マジカル★まじかる2〜境界線の魔女 
第二話 境界線の魔女

「う…ん。」
 太陽の光に曝されて、あかねはふっと目を開いた。
 いつものように新鮮な空気を体いっぱいで吸い込むと、ふっと周りを見回した。
 乱馬の寝床はきれいに畳まれている。
「乱馬?」
 呼んでみると、川の方で声が聴こえた。
「やっと目が覚めたか?」
 笑っている。 
 いつも彼の方が早起きだった。
 あかねはトンと杖を地面に突き立て、結界を外した。
「よーしよし。今日も結界のおかげで貞操は守れたわ。」
 たっぷりと寝てご機嫌だ。
「なあにが、結界のおかげだよ。半端な結界しか張れねえくせに。」
「何か言った?」
「いや、何でもねえよ!」
 乱馬はふうっと溜息を吐いた。
 本当のところ、毎朝彼女より早く起き出して、結界に触れないように細心の注意を払いながらギリギリの場所からあかねの寝顔を覗き込んでいた。
 穢れを知らぬ、乙女の寝顔は神々しいほど穏やかで健やかだ。彼女の寝顔を毎朝眺めながら、ちょっとした幸せな朝の気分に浸るのが、実は、旅に出てからの彼の朝一番の日課となっていた。
 勿論、寝顔を覗き込まれていることなど、あかねは知らぬ存ぜぬである。
 いや、わかってしまったら、絶対に同じ空間には寝かせてくれないだろう。

 朝食はいつも乱馬が用意していた。
 そこいらに居る獣であったり、魚であったり。魔界の野道は、獲物でいっぱいだった。彼はあかねが起きると、用意したご飯をたらふくとお腹へ入れる。
「良く食べるわねえ…。」
 あかねは毎度のことながら、感心したように目を向ける。
「あんだよ…。食べないと一日が始まった気がしねえだろ?」
 頬張りながら答える。
「魔界のプリンスがねえ…。ご飯の支度かあ。」
 と答える。
「おめえも、しっかり食っておかねえと、へたるぜ。」
 とすましたものだ。
 実際、乱馬は本当に良く食べる。
 普通、朝からはそんなに食べないのであるが、彼は食欲の塊であった。

「さて…。今日はいよいよ境界越えだな。」
 
 朝食が終わると、乱馬がぽつんと言った。
「南の魔界へ入るのね。」
 あかねは食後のお茶を飲みながら答えた。
「いや…。その前に、一つ、やっつけなきゃならねえことがあるからな。」
 乱馬は少し厳しい表情になった。
「やっつけなきゃならないことって?」
 あかねはマグカップを啜りながら訊き返した。
「おまえなあ…。なあんにも知らねえんだな。」
 ちょっと呆れた顔になってあかねを覗き込む。
「何も知らないって?」
「たく…。お気楽というか、暢気というか。このまんま、はい、こんにちはって境界線を越えられるとでも思ってるのかよ。」
 やれやれと言わんばかりの物言いである。
「え?何か手続きが必要だったっけ。」
「だーっ!たく…。マジで知らねえのかよ。」
「何よ、もったいぶって。何かあるなら教えてくれたらいいじゃないのぉ!」
 少し膨れっ面。
「まあ、いいや。百聞は一見にしかずってな。境界線へ行ったらわかるさ。」
 乱馬は大きく溜息を吐くと、先に立って歩き始めた。
「ちょっと待ってよ。」
 まだお茶を啜っていたあかねは慌ててマグカップを魔法で巾着袋の中へと消した。魔女や魔族たちは、必要な身の回り品は、こうやって魔法で亜空間に繋がる巾着袋へと飛ばす。各々、自分の小さな亜空間を持っていて、そこにいろいろな物を詰め込んでいるのだ。ガラクタもあれば必需品もある。それを、あかねが持っているような魔法の巾着袋から出し入れしているのである。便利なものだ。これも魔法力がないと取り出せないし仕舞えない。魔力が強いほど、巾着袋もたくさん入ると言う訳である。普段は亜空間は見えない。ドラえもんの四次元ポケットのようなものだ。
 あかねは慌てて巾着へそこいらのものを放り込むと、先に立って歩き始めた乱馬の後を追った。

「乱馬ぁ!乱馬ったらあっ!」
 小走りで付いて行く。
「ほら、早く来いよ。」
 彼は川沿いにどんどんと先に行く。
 朝靄が辺りに立ち込めてきた。いや、靄と言うよりは霧に近い。ひんやりとした空気が頬を掠めてゆく。さっきまで照っていた太陽は霧の中に隠れてしまって、光の片鱗すら見出せない。だが、確かに天上には昇っているらしく、真っ暗な夜とは違う、灰色の世界が広がっていた。
「何だか変なお天気になってきたわねえ…。」
 あかねはぞくっと肩をすぼめながら後ろから声を掛けた。
「脳天気なのはおめえだよ…たく。」
 やれやれと云わんばかりに乱馬はあかねを振り返る。
「何よ!それっ!」
「まあ、いいから。境界線に来れば分るさ。」
 相変らず乱馬は無愛想だ。今朝までの陽気さはない。その態度が怪訝に思えて、あかねは勝気さを剥き出しにする。
「もおっ!偉そうに…。」
 
 だが、脚を進めるうちに、あかねも何かを感じ取り始めていた。
 周りに立ち込める霧。これは自然現象ではないと思い始めたのだ。
(これって…。もしかして「妖気」?)
 明らかに「魔力」だ。ビリビリと何者かの「気配」を感じ始めた。
「流石のおめえも何となくわかったようだな。」
 乱馬がポツンと言った。
「ねえ、誰よ、この気配。」
 あかねも真顔になる。
「境界の魔女、ケイルだよ。」
 乱馬はにやっと笑った。
「ケイル…。聞いたことあるわ。境界線を守る魔女が居るって。境界を越えるためには、彼女と勝負して勝たなきゃいけないって。もしかして、この気配。」
「やっと思い出したか。たく、おまえは…忘れてたのかよ。常識だぜ。」
 乱馬が笑う。
「あのさ…。やっぱり、その。古魔女と闘わなきゃいけないの?」
 あかねは心細げに乱馬を見返した。
「あったりめーだ!境界線を越えるということは、この世界を出るということだ。それが意味するものが何か、魔法学校で教わらなかったか?」
「教わったわ…。他の世界は己の力が通用しない場合があるって。」
「そうだ。境界線を越えるためには、力が強くなければいけないということだ。ケイルの召喚獣と戦って勝った者だけが、この先の門を通る事を許される。向こうの世界へ行くパスポートを手に入れられる。」
 あかねはそんなことを魔法学校で学んだことがあると確かに記憶していた。当時は、境界線を越えることなど意識すらしていなかったので、聞き流していただけだ。
「じゃあ、乱馬。あんたも古魔女と戦うの?」
「いや…。俺は。」
 
 彼が口を開こうとしたときだった。

「誰が古魔女だい?ええ?」

「誰?」
 あかねは思わず身構えた。
 鋭い視線を背後に感じたからだ。

「ほお…。気配を感じることはできるか。まあ初歩の初歩じゃからのう。」
 振り向けば、老婆が一人こちらを見詰めていた。
 皺が刻まれた顔と、丸々と太った体。手には年季の入った魔女の杖。そして井手達は黒衣の魔女服。引き連れた妖気は、並々ならぬ強さを感じさせている。思わずあかねは力が入った。
 老婆は乱馬の姿を認めると、にっと笑った。
「おうおう…。そこに居るのは「ぼん」ではないか。暫く会わぬうちに、こんなに逞しく成長しよって!」
 目を細めて見入った。
「おい、ケイル婆さん、いい加減にその「ぼん」って言うのやめてくれねえか?」
 乱馬は苦笑しながら見詰め返した。
「何、構わぬではないか。わしから見ればおまえさんの父とて「ぼんぼん」じゃ。」
 けたけたと婆さんは笑った。
「ねえ、「ぼん」って何?」
 あかねはぼそっと乱馬の耳元で囁いた。あまり耳に馴染まない言葉だったからだ。
「どうも、「お坊ちゃん」とかいう意味でケイル婆さんは使うらしい。西の魔女国の言葉らしいぜ…。西の魔女国の出身だからなあ。ケイル婆さんは。」
「へえ…。あんたが「お坊ちゃん」ねえ。」
 白々しい目で乱馬を見詰め返す。
「るせー。俺はこの国の魔王の跡取り息子だぜ。他から見れば「お坊ちゃん」なんだろうよ!」

 二人でこそこそとやっていると、ケイル婆さんはじっと見据えた。
「で、ぼん、境界線を越えてどこまで行くのだ?見たところ、玄坊の御使いに行くようでもあるまいしな。」

「玄坊?誰?それ…。」
 またあかねが乱馬の袖を引っ張って訊いた。
「親父のことだよ。玄馬って言うから、ケイル婆さんは時々そう呼んでる。」
 ぼそっと乱馬は答える。

「これ、さっきからこそこそやってないで、わしの問いに答えんか。」

「あ、はい!あたしたち、この東の魔女国を出て、修行の旅に出るんです。」
 あかねが答えた。
「修行?」
 婆さんは問い返した。
「ええ。もっと広い世界を知るために。ここを出たいの!」
 婆さんは暫く考え込んだようだ。
「広い世界を知る…何故そんな必要がある?」
「ここの魔女国だけに固執するのは嫌なの。あたし、いろんな世界をこの目でこの足で歩いてみたいのよ!」
 あかねは真っ直ぐに向き直る。
「ほお…。なかなか気の強そうな魔女っ子じゃな、おまえさんは。で、どうなんだ?ぼん。おまえさんも修行の旅なのかのう?」
 にんまりと笑うケイル婆さん。
「ああ。」
 乱馬は端的に答えた。
「で、おぬしら、どういう関係じゃ?」
 興味を持ったのだろうか。婆さんは根掘り葉掘り訊いて来る。
「俺の許婚だ。こいつは。」
 あかねが答えるより先に、乱馬が口を割った。
「ちょっと!何時からあたしがあんたの許婚になったのよ。」
 あかねはじろっと乱馬を見返した。
「いいじゃねえか。親父の占いでおめえが俺の婚姻相手の候補に当ったには違えねえんだからよ。それに、おまえは絶対俺の嫁になるんだから。」
「またあ!いつ、あたしがあんたの嫁になることを承服したって言うのよ。」
「だから、てめえの口から言わせてやるって言ってんだろ?」
 
「シャーラップ!ここで痴話喧嘩するでないよ。あいわかった。今しがた、おぬしらの無防備な心を読ませて貰った。そういうことなら…。」
 婆さんはエヘンと咳払いをする。
「心を覗く?ですって?」
 あかねは目を丸くする。
「ケトル婆さんは読心術にも長けてるからなあ。へへっ。安易に意識を飛ばしちゃいけなかったか。」
 乱馬が少し顔を赤らめる。
「何であんたが赤くなるのよ!」
「うるせーっ!」

「賑々しい連中じゃなあ…。時におまえさん。」
 婆さんはあかねを見返した。
「あかねよ。」
 わざと名前を主張してみた。
「じゃあ、あかねとやら。ここから先へ行きたいなら、ワシの召喚獣と闘え。」
 婆さんは言い放った。
「ま、それが規則みてえなもんだからな。」
 乱馬も頷く。
「召喚獣同士で闘うの?」
 あかねの疑問に、婆さんは直接答えた。
「阿呆ぬかせ。おぬしとワシの召喚獣が闘うんじゃよ。」
「あたしが?」
 あかねは目を丸くした。普通、召喚獣は生身の魔族や魔女とは闘わない。召喚獣は召喚獣同士闘うのが常なのである。
「おまえさん以外に、誰が居るというんじゃ?」
「だって…。召喚獣は召喚獣同士。」
「甘いな。ワシの召喚獣一匹、魔力で倒せなんだら、この先へ行ったところで、野垂れ死にするのがオチじゃぞ。東の魔女国の恥さらしにも成りかねん。だから、ここを通り抜ける者とワシが直接対峙して、この先へ進めるかどうか判断するのじゃぞ。魔法学校で習わんかったのか?」
 そういえばそんな規則があると、魔女法を教えていた先生が言っていた。それをあかねは思い出した。つまり、強くなければ、東の魔女国から隣国へ抜ける事はできないという寸法だ。
「隣国へ渡りたいという物好きな願いがあるなら、ここで勝負じゃ!」
 そう叫ぶと婆さんは杖をツンと地面へと突き立てた。
 
 と、一瞬、地面が唸った。

「え?」
 そう思ったときは、あかねは身体ごと召喚空へと投げ出されていた。
 周りは漆黒の世界。
 だが、光が全くないと言うのではない。漆黒の中に居ながらも、婆さんや乱馬の姿がはっきりと目に映ったからだ。
「おい…。おぬしまでワシの作りし魔空へ来る事はなかったろうに。」
 婆さんはあかねの横に立つ乱馬に問い掛けた。
「いや。俺はこいつのパートナーとしてこの勝負を見届ける義務がある。」
「ほお…。そこまで。」
 婆さんは暫し考え込んだが、すぐに口を開いた。
「良かろう。じゃが、手出しは一切無用じゃぞ。」
「わかってるさ。」

「ちょっと、乱馬あ。あんたは闘わないの?」

 あかねは不思議そうに乱馬を見返した。
「ああ、俺は通行札をとっくに手に入れてるんでな。」
 とあっさりと答える。
「そっか。あんた、ぼんだもんね。この国の御曹司だから。」 
 少しすね気味にあかねが答えると
「阿呆!ぼんはとっくの昔にワシの召喚獣と闘って通行札を手に入れとるわい。」
「そーういうこと。おめえとは出来が違うんだよ。俺は物心がついたときには、ここの召喚獣と闘って勝ってるさ。」
「え?子供の頃に?…でも、どうせ、お父さまの威厳でも借りて弱っちい召喚獣と交戦したんでしょうよ。」
「ぬかせっ!ここで闘う召喚獣は決まってるんだ。それに…。手は抜かねえさ。言っとくが、俺の力は底なしだせ。ま、ガキの頃の俺に倒せた相手におめえがてこずるのは才能の違いだろうけどよ。」
 失礼な物言いである。当然のことあかねの闘争心に火が点いた。
「言ったわねっ!絶対勝って、通行札を手にれてやるわ。」
「ほーっほっほ。威勢だけは良いようじゃな。じゃが、どこまでその意識が持続するかのう…。ここを通れる力を持つ魔族はほんの一握りじゃ。確かに、ぼんは子供の頃から強かったぞ。この国を束ねるだけの力は持って生まれておったからのう。幼くとて、突拍子もない技でこやつを打ち下し寄ったわ。どうら、前置きは良いとして、そろそろ始めるかのう。」
 そう言うと口笛を吹いた。
 と、魔空が「ぐおおーん!」と唸りを上げた。いや、空間が唸ったのではなく、召喚された獣が唸ったのだ。
「な、何…?」
 あかねは思わす声を立て、ぎゅっと拳に力を入れた。
 ケイル婆さんの背後から、そいつはのっそりと現れた。それも、羽を持ち、自分の数倍はあろうかという大きな塊だった。黒い艶のある獣。鋭い眼光がこちらを睨みるけている。
 あかねが普通の少女なら、それだけで身震いしたろうが、彼女は違った。
「こいつと闘ったらいいのね?」
 正面に見据えている婆さんと、背後の乱馬に向かって言葉を投げた。
「ああ、そうだ。おまえの魔法力でこいつと闘って見るが良い。無制限一本勝負。先に倒れたほうが負けじゃ。ほーっほっほ。辞めるなら今のうちじゃぞ。」
「辞めたりするもんですかっ!絶対勝ってやるんだから!」
 少女の目はカッと見開かれた。そして、マントから杖を取り出した。

「ケルベロス!久しぶりのバトルじゃ。存分にやってみるがいい。」

 ケイル婆さんの呼びかけに、そいつは、うおおんと一声鳴いた。
 
「あかね。そいつはケルベロスだ。地獄の門番と言われているな。一筋縄じゃあいかねえぞ。俺はこっから高みの見物させてもらうからな。」
「ええ、見物でもなんでもしてらっしゃいな。あたし…。」
 あかねは大きく息を吸った。そして一声まくし立てた。
「ぜーったい、こいつに勝って、南に行くんだから!この世界から旅立つんだからっ!」

 そう言い終わるや否や、彼女は真正面から、ケルベロスに向かって走り出した。




つづく



(c)2003 Ichinose Keiko