戯言(作品について)

 この作品は、某所でRNR諸氏の熱き乱あ妄想群に触れるうちに、書き連ねた実験的作品の一つです。
 別称「RNRのトラの穴」。
 皆さん一之瀬は濃厚大王と言われていますが、どうしてどうして!半さんもRANAさんもかなりなものです。
 いつもかような妄想作品の話で盛り上がっているわけではないのですが(概ねはバカ話?)、ひとたび妄想群に入ると只者じゃない集団。心して掛からないと「各人の妄想」に喰われます。

 それはさておき・・・この作品を読んで中国古典の「牡丹燈記」(『剪燈新話』)を思い出した方がいらっしゃっるかもしれません。
 上田秋成の「吉備津の釜」も「牡丹燈記」を底本に書かれた作品です。
 「牡丹燈記」は小泉八雲の「耳なし芳一」も底本に敷いていますので知っている方も多いかもしれません。
 また、アニメ版の「らんま1/2熱闘編・第41話・乱馬を襲う恐怖のタタリ」も元を正せばこの「牡丹燈記」に突き当たることは言うまでも無く。
 元々、仏教思想からの反映からか、「吉備津の釜」では取り殺す側は女、取り殺されるのは男というのが中・近世文学の一つの類型からの派生です。そう、「吉備津の釜」も「牡丹燈記」も、元は「女の業の深さ」を説話と言う形にして描き出されたものなのです。
 昨夏、「夏幻想」を書いた頃から一度やってみたいと思っていた、古典パラレル妄想作文。そういや、この作品で「吉備津の釜」から磯良の名前を引っ張ったなあ。
「湯釜の卜占」も「吉備津の釜」よりの引用です。一度、この作品に使われた「吉備津の釜」を吉備津神社にて拝観しましたが、なかなか幻想的でした。
 吉備津神社の拝殿が確か北向きだったと記憶しています。北向きに拝殿が立てられるのは極めて珍しいことで、古代史関係者も興味津々と言ったところでしょうか。
 勿論、鬼伝説とも合い待った古式豊かな神社。その回廊は見事です。


 今回、敢えてそれを顛倒させてみました。「女の業」を乱あに転化させると、しっくりこないような気がしたからです。
 これは自説ですが、乱馬の方があかねよりも嫉妬深いと思うのです。あかねの嫉妬はストレートで、単なる手が出る早さだけに終始していますが、乱馬は下手するとあかねを取りこんでしまうくらいの執念深さがあります。絶対そう思うのです。
 勝つまで諦めないという武道家魂はともかく、あかねが浮ついた時のあの執念深さは凄いと思います。良い子になったりねえやになったり。体質を利用しまくって相手を妨害しに出てみたり。
 この「蛍火」。抑えては居ますが「乱馬の執念」が一つのテーマになっています。

 これとは別に何本か「雨月物語」から引っ張ってきて、パラレル仕込んでいます…。「蛇性の婬」や「菊花の約」の乱あバージョンへ加味して書き連ねてみたいと思う今日この頃。
 昨夏はゴキ乱あに徹したオオバカ妄想でしたが、この夏のテーマはこれかな。
 「蛇性の婬」を底本に敷いて創作するときも男女転換させて、今回あえてあからさまに描写しなかった、乱馬のあかねへの異常なまでの執着ぶりを書いてみたいと思っています。これをしたためている今はまだ限りなくプロット段階ですが。

 次回は「菊花の約」から仕込んだ、これまた異色作「星迎へ」です。




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