サイレントムーン
第九話 月満ちる時




一、


「準備はいいかい?」
 蓮白玖が乱馬へと言葉をかけた。
「準備っつーったって、装着物もねーし、武器もねーだろーが!」
 乱馬は、少し不機嫌な顔つきをチラつかせながら、甲高い声で、蓮白玖へと応え返した。

 乱馬の姿は女化している。そう、アト化され、男の姿から女の姿に変化していた。蓮白玖が言うには、今の状況では、お湯を被っても、男の姿には戻らないという。
 アト化した女乱馬の他に、このラボ内に設置されたカプセルの中には、男乱馬のままの自分が、計器類に繋がれて、眠っていた。己が二分裂しているので、変な感じもしたが、それはそれで、現状を受け入れるしかなかった。

「まあ、そーだけど、闘いの望む決意はついているよね?生死を賭けなきゃならないんだから。」
「緊張感の欠片も無いお面を被って、言う言葉かよ!」
 つい、そう怒鳴ってしまった。
 蓮白玖が、うさぎの白面を被っているからだ。結局、乱馬の前で、一度も面を外さなかった。顔を隠しているというよりは、もしかすると、肉付きの面なのかもしれない。
「面なら…。ほら、乱馬の分もあるよ。」
 と、乱馬へも同じうさぎ面を渡そうとした。
「あのなあ…、何で俺まで、こんなもの被らなきゃなんねーんだよ!うさぎじゃねーぞ、俺は!」
「まーいーから被りなよ。ただの面じゃないから。」
「ただの面じゃなくても、被りたくねーけど…。」
「チッチッチ!わかっちゃいないなあ。これだから素人は。」
「何だよ?」
 ムッとして、蓮白玖へと言葉を投げる。
「君はアブストラクト・マグネック・フィールド(抽象磁場空間)へ入るのは初めてだからね。面をしていた方が、何かと都合いいんだよ。慣れないと、目をやられかねないしね。」
「目をやられる?」
「アブストラクト・マグネック・フィールド(抽象磁場空間)は、物凄い速さで光が流れているんだ。似非(えせ)アト化させたとはいえ、君は生身の人間だ。それなり慣れていないと、闘い辛いと思うよ。ボクらでも、面をしていた方が、攻撃も安定する。」
「もしかして、防護用品の一つなのか?このふざけたうさぎ面は…。」
「そうだよ。何の意図もなく被(かぶ)っていたと思って居たの?」
「ああ…思って居た…。っていうより、おめーがうさぎ面を外したところなんか、見たことねーぜ、俺は!」
 渡された面を手に、そう答えた。何が面白うて、うさぎ面など被れるか…と思ったのが本当のところだ。
「いーから、被ってみて!」
 そう言われて、渋々、顔へ当てる。と、紐も何も結わえるものはないのに、ピタリと顔に吸い付く。
「あ…。」
 装着してみて、驚いた。確かに、視覚的に何か変わった。しかも、ただの面ではないことは、明らかかだった。軽いのだ。まるで、何も装着していないかのような、フィット感。それだけではない。息もちゃんとできるし、口も開く。見た目と装着感がまるで違う。これを作ったのが、高度な知能を兼ね備えていて、確かな科学技術を持って居ると、確信できる。
「このお面を被っていれば、防護服は要らないよ。君が着ている服だって、いつもと変わりないけれど、実はこの面と連携がとれていて、多少、バリヤーも働くようになっているんだ。」
「へええ…。あんまり、実感はわかねーけどな。」
 着用しているのは、赤チャイナの上着と黒い光沢のあるズボン。靴も黒いチャイナ風ズック。つまり、いつもの、カンフースタイルだ。
「さて、覚悟はいいかい?行くよ!」
 そう言うと、蓮白玖は乱馬の先に立って、誘導する。

「ここは…。」

 ラボの中にある、とある空間へと誘導された。
 どうやら、ここに出口があるようで、薄暗い空間の先に、ピシピシと閃光きらめく光の道が見える。

「君が修行している間に、計器類をいじくって、敵地への侵入路を作っていたのさ。」
「侵入路?」
「ああ…。君らが思って居るような道じゃなくて、亜空間ロードだけれどね。」
「亜空間ロードねえ…。」
「ボクらが行き来する亜空間は、様々な道筋を開いていけるんだよ。もちろん、逆も然りだけれど…。」
「逆も然り?」
「ああ、敵に感づかれたら、ボクが作った亜空間は片っ端から消されて行くだろう。つまり、ボクらが行く道を全て消されてしまったら、そこでゲームオーバーってことだ。」
「もしかして…道と一緒に俺たちも、消滅ししまう…ってことか?」
「ああ。バグとして、監視システムにデリートされてしまうこともある。」
「デリート…つまり、消去…か。」
 少しばかり険しい顔になった乱馬を見て、蓮白玖はククッと笑った。
「怖いかい?」
「怖い…というより、釈然としねーっと言った方がいいのかな。パソコンの中を這い回るバグデーターみたいなもんか…。俺たちは。」
「まあ、否定しないよ。あちら側から見れば、ボクらは不純物だから。」
「バグとか、不純物…呼ばわりされるのは、あんまりいい気分じゃねーな…。」
 つい、苦笑いがこぼれてしまう。
「さあ行くよ。行かなきゃ、終わらせられない!」
 蓮白玖は意味深な言葉を吐きだした。
「終わらせる?」
「ああ、ボクの最終使命は、全てを滞りなく終焉させることだから…。」
 そう、蓮白玖は呟いた。
 「終焉」…意味深な言葉だと、乱馬は思った。
「とにかく、行くよ!君はあかねさんを取りしたいんだろ?」
「ああ…そうだな。あかねを奪還するぜ!」
 グッと拳を作って、気合を入れた。
「ボクについて来てよ。面には誘導装置もあるから、多少遅れても、見失うことはないだろうけれど。」
「…って、おめーを信用して、大丈夫なんだろーな?」
「大丈夫。ぬかりなく、道筋は作ってある。レディーゴー!」
 蓮白玖が、いきなり走り出した。
「っと!置いてくな!」
 乱馬もそれに倣って、走り出した。
 電磁波のような閃光が、バチバチと、音を発てて走る、一本の道。二メートルほどの道。両脇は暗闇が続いている。崖なのか、それとも、何も無い空間なのか。
「っと、言うの忘れていたけれど、道から落下しないように注意してね。
 と、先を行く蓮白玖が言った。
「落下したら、どーなるんでい?」
「あの閃光に当たる確率が高くなる。あれに当たったら、ジ・エンドさ!」
「感電…か。おっかねーな!」
「ま、お面を被っていたら、当たっても、一発くらいならアースが効くと思うけれど…。一発じゃ済まないだろうからね。」
「数発うけたら、お陀仏かもしんねーってことか。」
「いいかい?お面から発せられる誘導の光に沿って、確実に進んで行くんだよ!」
「誘導の光?」
「足元に光の道筋ができているだろう?あれは、このお面を被っているから見える光さ。」
「なるほど…。便利なお面だな。」
 蓮白玖が言うように、足元は、鈍く光っていた。先の先まで、道筋がついている。真っ暗な中でも、きちんと浮き上がっている。
「これを目印にしろってか。」
「そーゆーこと!」
 
 とにかく、乱馬は走った。蓮白玖と共に。
 生身の身体ではないせいか、あまり息も切れてこない。一定のスピードで走り抜ける。
 ただ、厄介なのは、目印などない黒一色の空間。道は適当に曲がりくねりしているが、どこまで行けば辿りつけるのか、わからなかった。

 と、警報のような音が、耳元から響いて来た。
 ハッとして、辺りを見回すと、足元の遥か前方、こちら目がけて赤い光が飛んで来るのが見えた。

「乱馬!道に寝転がって!」
 蓮白玖が怒鳴った。
「寝転がる?」
「いーから、早く、伏せて。それから、揺れるから振り落とされないように、這いつくばって!」
 そう言って、蓮白玖は、道へと這いつくばった。
 乱馬も慌てて、蓮白玖の真似をし、うつ伏せに道へと這いつくばった。
 と、グワンと道が下方に向かって動いた。まるで、空間ごと落下したような気がした。
「うわっ!」
 蓮白玖が忠告したように、ゆらゆらと揺れた。慌てて、腹を道にぴったりとくっつけて、頭を下げる。
 と、何とか落とされずに、すんだ。ぴったりと身体が道に、まるで磁石のように吸い付いていた感じがした。
「なっ!何だ?一体何が起こってるんだ?」
「しっ!静かに!黙って気配を消して!」
 耳元から蓮白玖の声が聞こえた。どうやら、お面を通じて、通信を飛ばして来たようだ。
 気配を消せと言われて、這いつくばったまま、息をひそめた。
 と、ゴオオオと頭の上を、何かが通り抜けて行くのを感じた。熱を持っているのか、少し熱いと思った。
 思わず目を閉じると、瞼の裏が赤くなった。ということは、赤い炎か何かがすり抜けていったのだろうか。
 しばらくじっとしていると、その何かは、遥か向こうへと飛んで行った。

「ふう、行ったか。」
 傍で蓮白玖がむっくりと起き上がった。
「もういいよ。」
 そう言って、再び、立ち上がり、走り始めた。
「今のは、何だったんだ?」
 乱馬も、蓮白玖に従って、再び走り出した。
「監視システムだよ。迎撃光線を打ってくるんだ。アレに当たったら、この空間からはじき出される。」
 蓮白玖は、走りながら、説明し始める。
「監視システムの迎撃光線ねえ…。ってことは、俺たちの動きは既に察知されちまったってことか?」
「いや、そうとも限らないよ。定期的に空間を巡っては、ぶち当たった、異物を排除する仕組みなんだ。だから、察知されたとは限らない。」
「闇雲に打ってきているってことか?」
「そういうことになる。ほら、スピードを、あげるよ!」
 蓮白玖の動きが、途端、速くなった。
「定期的に飛ばしてくるってことは、また、遭遇するってことか?」
「ああ。でも大丈夫。アレが飛んで来る寸前で、お面から警報が流れてくるから、今みたいに、頭を下げて道に這いつくばれば、道が勝手に下がったり上がったりして、避けてくれる。ボクたちは、ここから落とされないようにだけすればいい。這いつくばれば、面にセットされている磁石装置が働いて、振り落とされないように、道に吸い付くようになっているんだ。」
「磁石ねえ…。確かに、ぴたっと、道そのものにくっついてたな、さっきの俺。」
「ま、そう、頻繁に遭遇する訳ではないけれど、あいつが巡回してこないうちに、前に進むよ!」
「お…おう!」

 こうして、何度か、あの赤い波動に出くわしたが、同じように、腹這いになって、やり過ごした。

 いったい、どのくらいの時間を、走ってきたろうか。

「おい…。本当に、あかねのところへ辿りつくんだろうな?」
 少し不安になって来た乱馬は、蓮白玖へと問い質す。
「そのうち、辿りつけるさ。」
「って、あとどのくらいとか、わからねーのか?」
 つい、不安になった乱馬は、きつく問い返していた。
「わからない。」
「こら!わからないって!」
「ぼちぼち、蓮黒玖と遭遇する筈なんだが…。」
「は?敵に遭遇していいのかよ?見つかったらおしまいなんじゃねーのか?」
「いいんだよ。そうなるように、亜空間を調節したんだから。」
 と、また、訳の分からないことを、蓮白玖が言い始めた。
「待てい!敵と遭遇するように調節しただあ?」
「ああ、適当な時間に、蓮黒玖に見つけてもらわないと、次のステージには行けないんだ。」
「それって…どういう意味だ?」
「蓮黒玖に出会わないと、永遠回廊から抜け出せないからだよ。」
「永遠回廊だぁ?」
「そー、永遠回廊。」
「ってことは、同じところを…。」
「グルグル回り続けることになる。そろそろサイレントムーンが昇り始めるころだ。奴が現れてもいい頃なんだが…。」


 と、面に付けられていた警報機が鳴り始めた。

 キュンキュンキュン…。

 さっきまでの巡回していた、迎撃光線を知らせる類とは違う、もっと、険しい音が耳元で鳴り響く。
 
「ようやく、おでましたようだよ。」
 ニッと蓮白玖が笑った。
「たく…。わざわざ、敵と遭遇しよーだなんて、訳わかんねーぞ!」
「いいんだ…これで。」
 そう言いながら、蓮白玖は身構えた。
「乱馬も、一発でのされるような、ことにはならないでね。」
「なるかー!俺を誰だと思ってやがる!おめーが何を企んでいるかは知らねーが…。負ける訳にはいかねーんだ、あかねを助けだすまでは!」
「その意気なら大丈夫かな。」
「で?奴を撃破すればいいんだな?」
「ああ…。先に進むには、それしかない。あいつを倒して、正道へ侵入を果たさねば、次のステージにが上がれない。」
「なら、全力で行くぜ。俺は…。」

 警報音が鳴り止んだ。と同時に、人影が、一つ、また、一つ。辺りへと立ち始めた。

「ちぇっ!一人じゃねーのか…。」
 乱馬が吐きだすと、
「いや、一人だよ。本体はね。」
 蓮白玖に緊張の表情が浮かぶ。」
「本体…ってことは…。」
「分身している。」

「たく…懲りない奴らだな。」
「大人しくしていれば、破壊は免れたものを…。」
「これだから、低レベルの奴は…。」
「身の程知らずのバカだ。」
 蓮黒玖が、あちこちに見え隠れする。ある者は空高く浮き、またある者は下から、そしてある者平面で身構えている。当然の如く、死角は無い。
 ゴクンと唾を飲み込んだ。
「へええ…。君が、女化した、早乙女乱馬…か。」
 一人の蓮黒玖が、そんな言葉を投げてきた。
「随分、女々しい身体になるんだな。」
「俺たち二人と、まるで同じだよな!蓮白玖!」

「俺たち二人と…だあ?」
 不可思議な言葉を投げてきた、蓮黒玖の分身が言った「俺たち二人」という、言葉尻に、引っ掛かりを持ったのだった。
 と、隣りの蓮白玖が、キッと厳しい瞳を蓮黒玖へと投げかけているのが見えた。その言葉に反応したかのようだった。その様子を見て、
「まさか…俺たち二人って…蓮黒玖と蓮白玖、おめーら、二人のことなのか?」
思わず、そう問いかけた乱馬だった。

「ああ、そうだ。」
「そいつから、何も事情は聴かされていないのか?」
「たく…。乱馬を信用していないのか?蓮白玖よー。」
 それぞれの蓮黒玖が、それぞれ別々に投げつけてくる、言葉。蓮白玖をゆすぶっているようにも見えた。

「言う必要など、無かったからね。蓮黒玖。」
 蓮白玖はそう、答えた。

「言ってやれば良かったのに…。おまえと、そこの女化した早乙女乱馬は、同じ穴の狢(むじな)だと…。」
 そう言った蓮黒玖が、笑うと、一斉に、あざけり笑う声が、多数の蓮黒玖の口元から響き渡る。

「同じ穴の狢?」
 その言葉に、乱馬も反応した。
(俺とと同じ狢…。ということは、もしかして…。)
 蓮白玖の方をチラリと振り返った。

「蓮白玖、貴様は、俺たちの本体から切り離された、不要な部分。バグ。」
「バグというよりは、ゴミだ!」
「女化するところまで同じだな。その乱馬とかいう奴とな。」

 辛辣な言葉が飛んでくる。その、語感に、うさぎ面の下の乱馬の顔は、怒りに震え始めていた。
 蓮黒玖の分身たちの言葉が、真意を吐いているとすると、やはり、この蓮白玖は…。

「まあ、御託(ごたく)はいい。」
「貴様らは、ここで終わりだ!」
「我々の目を欺いて、侵入してきたのだろうがな!」
「飛んで火にいる夏の虫だ。」
「乱馬。貴様に、面白い物を見せてやろう!」
「ほら見な!」

 蓮黒玖たちは、スッと、一方向へと、指さした。
 その先には、己の、そう、生身の早乙女乱馬の姿が、そこにあった。生命維持装置に繋がれて、目を閉じて眠り続けている。

「何故、俺の、本体が…男の身体がそこにある?」
 乱馬は、問い質さずにはいられなかった。

「なあに、貴様らのラボから拝借してきたんだよ。」
 クククと、生命維持装置の傍に居た、蓮黒玖が笑った。
「そいつがバカだから、事は簡単に運んだよ。」
 クスッとまた、別の蓮黒玖が、蓮白玖を指さしながら笑った。

 蓮白玖は、顔色一つ変えずに、乱馬の横に立っている。そして、黙って、蓮黒玖たちのなじりの言を聞いていた。怒る訳でもなく、お面越しに流れてくる気は、むしろ、不気味なほど、静かであった。

「貴様らがこちらへ出てきた後、ラボを漁らせてもらった。」
「そうしたら、生身の早乙女乱馬が生命維持装置に固定されて置かれたままになっているではないか。」
「セキュリティーもなにも仕掛けずに。」
「おかげで、難なく、この早乙女乱馬の男の躯体を手に入れることができた。」

「てめーら、俺の体をどうする気だ?」
 乱馬が甲高い声で、問い質す。

「そんなの、決まっている。」
「あかねを永遠の虜にするために、使わせて貰う。」
「せいぜい、有効に使ってやるさ。」
 黒うさぎ面の蓮黒玖たちが、高らかに笑っている。

「させるか!」
 当然の如く、乱馬は、奴らの企みを阻止するべく、飛び出そうとした。
 と、それを引き戻すかのように、蓮白玖が、グッと乱馬の右腕を掴んだ。
 尋常な力ではない。
「蓮白玖?」
 予想外の蓮白玖の動作に、戸惑った乱馬。
「これは、ボクと蓮黒玖の闘いだ。だから、君は下がっててくれたまえ、乱馬。」
 蓮白玖は、そう、乱馬へと声をかけた。
「おめーの闘い?」
 クエスチョンマーク一杯の顔で、蓮白玖を見返す。と、今まで見たことが無いくらいに、蓮白玖の闘気が背中から上がっていることに気付いた。
「ああ。ボクはこの場で、蓮黒玖との決着をつけなければならないんだ。でないと、君を先に進ませられない。最初からそのつもりで、仕掛けたんだ!」
「どういう意味だ?」

 乱馬は丸い瞳をそのまま、蓮白玖へと手向けた。

「蓮黒玖(あいつ)が言う通り、ボクは、あいつから分離した部分で生成されたアトロイドだからよ、乱馬。」
 そう言いながら、蓮白玖は、白うさぎの面をゆっくりと外した。
 そこに現れたのは、女とはいえ、蓮黒玖によく似ていた。蓮黒玖よりも肌の色は白かったが、顔に前に見た蓮黒玖と同じような、歌舞伎役者の入れるタトゥー(入れ墨)があった。
「蓮白玖…おまえ…。やっぱり…。」
 乱馬が問い質すと、コクンと蓮黒玖の頭(こうべ)が揺れた。
「ああ、ボクは、蓮黒玖から引き剥がされた、分身。要らない部分だ。そう。今の君と同じように、男の本体から引き剥がされた、女の躯体から作られている。」
「男の身体から分離された…女の躯体。」
 乱馬の脇を抜けて、蓮白玖は、前に進みでた。
「ボクと蓮黒玖は、元は一人の人間だったんだ。」
 そう言いながら、蓮白玖は、再び面を顔に付けた。
「おい!お前も、あの呪いの泉に落ちたのか?蓮白玖!」
 乱馬は蓮白玖へとせっついた。
「正確には落ちたのではない。とある理由のために、呪泉の水を浴びせかけられた。」
 蓮白玖は、そう吐きだした。
「ボクは北魏の生まれでね。その地で修行していた道士だった。」
「道士?」
「道教という当時の一大宗教の指導者のことだよ。ボクの一族は道教の幹部に名前を連ねていてね。とある日、最高幹部ともいうべき道士から、密命を貰って東の海の果てにある「蓬莱島」へ赴くことになったんだ。
 当時、東の海の果てには、火を吹く山があり、その山麓に仙人が居て、不老不死の妙薬を作っているといううわさが伝わって来た。その噂を確かめて来いと言われたんだ。それで、ボクは呪泉に行って、女溺泉に身を投じた。」
「何で女溺泉にわざわざ身を投じたんだ?」
「道士の占いに従った…というのかな。」
「占い?」
「ああ…。汝、女溺泉に身を浸してから旅立てというお告げがあったんだ。」
「そんなことで、呪泉に身を投じたっていうのか?」
 コクンと蓮白玖は頷いた。
「当時のボクの居た世界は序列がはっきりしていたからね。何の疑いも持たず、女溺泉に身を浸し、それから東へ向けて旅立ったんだ。
 蓬莱島に渡ってみれば、不死の山の麓に、「かぐやのみこ」という、輝く巫女さまがいて、彼女にすがれば、どんな難病も瞬く間に癒してくれるという、評判が立って居た。」
「かぐやのみこ?」
「輝くように美しい巫女。それがカグヤさまだった。実際、ボクがこの地で出会ったのも、その名のとおり、光り輝く女性だった。慈悲深く、すがってくる病人や怪我人を、瞬く間に治していく。不思議な手法を用いて。」
「不思議な手法?」
「薬さ。彼女が作りだす薬は、どんな薬草よりも効いた。優れた文明を持つ彼女の星の技術からすれば、何の変哲もなかったろうが、未分化の古代社会では、彼女の医療技術は奇跡だった。」
 蓮白玖はそう言った。
「老若男女、「カグヤさま」と呼ばれて慕われた。彼女に病や傷を治してもらうために、遠方からも人は集まった。文明の黎明期の島国においては、カグヤさまは、優れたシャーマン的医療の実践者で、慈悲深い巫女だった。でも…。実体は違った。」
 蓮白玖は、少し愁いを帯びた口調になった。
「カグヤさまは人間の生気を吸わなければ生きてけない、異星の生命体だったのさ。」

二、

 真っ暗な闇の世界。
 ここは、アブストラクト・マグネック・フィールド(抽象磁場空間)と威張れる、亜空間の中。
 現ではない、虚構に近い電脳世界だ。
 蓮白玖という、白うさぎ面の女。彼女に対するは、数人に分裂した、蓮黒玖という、黒うさぎ面の男たち。
 そして、電脳化された、女形態の乱馬。
 白うさぎ面の女は、滔々と、己の真実を語り続ける。

「そして、ボクは…カグヤさまの延命のために、この身を捧げたんだ!」
 語られて行く、真実に、乱馬は言葉を失った。
「カグヤさまが生き延びられるように、この身体を差し出した。カグヤさまはボクの生気を吸って、生を繋いだんだよ。」
「何で、そんなこと…。」
「君には理解できないことだろうね…。でも、カグヤさまにもっと、生きて欲しかったから。彼女なら、きっと、たくさんの人々を救えると思ったから。でも、実際は違ったんだ!」
 蓮白玖の顔が、険しくなった。

「違ったって?」
「カグヤさまの後ろ側に…あの方が…居たからだよ。」
「あの方?」
「君にも言ったろ?カグヤさまの母星、ターリネ星のアラヤの創始者にして、偉大なる神霊、オクトの陰謀が介在していたんだ。」
「オクト神霊の陰謀…。」
「この星をオクトの命を繋ぐための、家畜星にすること。そのために、カグヤさまはこの地に来た。
 その結果、カグヤさまは二つの心を持ってしまったのさ。」
「二つの心?」
「ああ。延命のために他の生態系の命を食らうことを、当たり前としているオクト神霊に忠実なカグヤさま…それから、もう一人は、そんな己に矛盾を感じて苦しみ始めたカグヤさまだ。平たく言えば、オクト神霊に対して従順な心と、それに造反したいと思う心。その心から、己も二分裂してしまわれたんだ。
 二つの心を持ってしまった、カグヤさまは、ボクの死後、その亡骸(なきがら)から二つのアトロイドを作った。一人は、オクト神霊に忠実な「蓮黒玖」、そして、もう一人はオクト神霊に不義なボク、「蓮白玖」だ。」


「何故、カグヤさまが弱い躯体をわざわざ遺したのか…、我々には理解に苦しむがねぇ。」
 蓮黒玖の一人が言った。
「蓮白玖には、人間だった時の記憶も組み込まれているようだし。」
「かわいそうだよなあ…。人だった頃の記憶が残っているのは。」
 と、蓮黒玖たちがそれぞれに吐き出して行く。
「余計な記憶が残っているから、気を揉み、悲哀に暮れる。」
「無駄な記憶を貴様に遺すなんて、何て無駄なことをしたんだろうね。カグヤさまは。」
「その点、ボクらには、人間の時の記憶は無い。」
「人間の時の記憶に苦しむ、蓮白玖、おまえは、男の俺から引き剥がされた、出来損ないだ。」
「そう、要らない部分。」
「我々から抜き去った、不純物だ。」
 一斉に、蔑みの言葉を投げ始める。

「俺は…俺はそうは思わないぜ。人だった時の記憶が、残っている蓮白玖(こいつ)の方が、少なくとも貴様らよりマシに映るぜ!」
 乱馬は怒りに震えた声を、張り上げた。

「ふん!乱馬、貴様も出来そこないではないか!」
「その女の躯体が何よりの証拠!」
「完全体の人間ではない!欠陥人間だ!」
 クスッと蓮黒玖が笑った。
「ああ、出来そこない同士、気が合うだろうぜ。」
 蓮黒玖の分身たちが、乱馬を見やって、あざ笑う。
 
「確かに、ボクは君らから見たら不純物だ。でも、それを卑下するつもりはないよ。」
 蓮白玖がそう言い含めると、一斉に、蓮黒玖たちが笑い始めた。

「ククク、人間だった時の記憶など、宿していても、何の役にも立つまいに。」
「そうだ。まさに、不要の長物。」
「出来そこない故、記憶が残り苦悩する。そうだろ?」
 口々に、蓮白玖を否定するような事柄を口にした。蓮黒玖たちは、蓮白玖のような、鮮明な記憶は持って居ない様子だった。

「本当にそう言い切れるのか?おまえら!」
 乱馬は、キビッとした声で、蓮黒玖たちに向かって言い放った。
「本当は、大切な記憶を消されて、悔しいんじゃねーのかよ?だから、罵っているんじゃねーのか?」

 その声に、ピクンと肩が動いた奴が、一体だけあった。
 どうやら、そいつが、本体だ…乱馬はそう思った。いや、乱馬だけではなく、蓮白玖も気づいたようだった。

 
「ボクにして見れば、記憶が殆ど残っていない、君の方が気の毒だよ。ボクにはあるんだ。カグヤさまとの、鮮烈な出会いの記憶も、それから、人ならざる正体を知った時の衝撃の記憶も、色々……全て、忘れずきちんと持って居る!それを、不幸だとか、欠陥だとか、思ったことは無い。これ以降も、思わないさ!
 だから、負けない!この戦いに負ける訳にはいかないんだ!蓮黒玖!カグヤさまが愛したこの星を守るために、ボクという存在全てを賭けて、君たちと闘う!」
 蓮白玖が叫ぶと、辺りはシンと静まり返った。

 と、今度は、ゴオゴオと辺り一面に、風が吹いて来た。
 自然の気配など、何も無い、アブストラクト・マグネック・フィールド(抽象磁場空間)の中に。嫌な空気が漂い始める。

 と、一瞬、静まり返った、蓮黒玖たちの口が、再び、勢いを取り戻したかの如く、騒がしくなった。

「蓮白玖…おまえは、ただのバグだ!」
「俺たちアトロイドに、無用な記憶は要らない。」
「蓮白玖、おまえは、未だ、人間の時の記憶を引きずって生きているのか?哀れな奴め!」
「そう、人間の記憶など、不必要だ!我らに残っていなくて、せいせいするぜ!」
「思い出など要らぬ!要らぬのだ!」
 背後の蓮黒玖たちが、口汚く、罵ってくる。
「おまえは、ただのバグ人形だ。呪いの泉のせいで変化してしまう、負の部分…そう、女の部分をそのまま引き剥がして生成された、バグだらけのアトロイドに過ぎない。故に、オクト神霊に半造する心をバグとして分離して完全体になられたカグヤさまやオクト神霊に従おうとはしない。」

「ああ…確かに、オクト神霊側に寄ってしまわれた、バグを分離してしまわれた完全体のカグヤさまには要らない存在だろうね。それは認めるよ。でも、ボクは、オクト神霊よって引き裂かれたバグに残った…優しかったカグヤさまの…崇高なる遺志を受けつぎ、完全体になられた、否、オクト神霊に洗脳され改造されたカグヤさまや、君たち蓮黒玖に、終焉の引導を渡すために、存在してきたんだ。」
 すうっと、蓮白玖は身構えた。
 
 と、閉ざされた暗い空間に、薄い光が、向こう側に射し始めるのが見えた。闇の中に浮かぶ白んだ光。
 太陽のような明るさほどとはいかなかったが、暗闇の中に、ポウッと一筋の光が輝いた。
 そう、この亜空間フィールドの地平線に、月が昇り始めたのである。

「ふふふ、いずれにしても、もう遅いわ。見ろ!月が…サイレントムーンが昇って来た。」
「今宵はサイレントムーンの月夜だ。その意味を知らない訳では無かろう?」
「ターリネ星の力が極限に引き出される、サイレントムーンの饗宴が始まる。」
「間もなく、この地球のファーム化が始まる。もう止められぬ。蓮白玖、貴様を乱馬と共に葬ってやる。」

 月の頭が顔を出したかと思うと、次々に、蓮黒玖たちへとその光が伝搬して、その身体が自ずから銀色に輝き始めた。身体から発する闘気と共鳴するかのように、少しずつ、光の威力が増し始める。
「蓮白玖、俺も闘うぜ。」
 蓮白玖の傍に居た乱馬が、そう声をかけた。多勢に無勢だ。この場は二人、供託して闘うしか方法は無いと、乱馬は判断したのだ。
「いや、君は、いい。ボクだけで大丈夫だ。」
 蓮白玖は静かに言った。
「何、戯言、言ってやがる!ここで負けたら、終わりなんだろ?あかねどころか、この星が…地球が…奴らのいいようにされて、滅んじまうだろーが!」
「この星の存続のためのメインの闘いは、まだ、始まってはいない。その戦いに臨めるのは君だけだよ、乱馬。だから、君は手出し無用だ!」
「収めるだと?この状況じゃ、何もできねーんじゃねーのか?」
「いや…いいんだ。これで…。ボクはあえてこうなるように、事を進めて来たんだから。」
 何故だろう。危機的状況なのに、蓮白玖はその状況を諸共せず、やけに落ち着き払っていた。
「あえてこうなるように…だと?」
「ああ。用意周到に準備して来た。何千年もかけて、あの人と…。」

 月が半分ほどその姿を露わにしていく。サイレントムーン。蓮黒玖がそう呼んだ白い大きな月。

「覚悟はできたか?蓮白玖!」
「俺たちの要らない部分よ!」
「それから、早乙女乱馬。貴様もここで葬ってやる。」

 数体の蓮黒玖たちが、各々円陣を組み、四方八方から、乱馬と蓮黒玖を囲んだ。
 この囲みから脱するには、戦わなければ事は決するまい。蓮白玖の意志がどうあろうが、戦わねば、遣られる。
 そう覚悟した乱馬は、丹田へと気を溜め始めた。いざとなったら、飛竜昇天破をぶっ放すつもりだった。
「止めたって、戦うときは闘うからな!俺は!」
 じりじりと蓮黒玖たちに間合いを詰めながら、蓮白玖へと声をかけた。
「だからいいんだ。君には、ここから離脱してもらう。強制的にねっ!」
「何を訳わかんねーことを!」
 乱馬がそう吐きだした時、一斉に、蓮黒玖たちが、乱馬と蓮白玖目がけて襲い掛かって来た。

 ビリビリバリバリ!

 電磁波のような物が、乱馬と蓮白玖のすぐ頭上で弾け飛んだ。

「うわあああ!」
「何だ?」
「これは、バリヤーか?」

 どうやら、蓮白玖が間一髪、頭上に放射状のバリヤーを張ったようだった。雷のような電撃が走り、襲い掛かって来た蓮黒玖たちを一蹴する。パンパンと音が弾けて、何体かの蓮黒玖の分身体が弾け飛んで消えた。
「小癪な!」
「こんなバリヤーなど!」
「粉砕してやる!」
 次々と、蓮黒玖が襲い掛かってくるが、蓮白玖が張ったバリヤーはびくともしない。

「蓮白玖…おまえ…。」
 乱馬は蓮白玖を見返した。蓮白玖は全身全霊の力を、放射状のバリヤーへと集中させて、その身一つで耐えているようにも見えた。気を抜けば、恐らく、バリヤーは崩壊し、数多の蓮黒玖たちが、乱馬たちを襲ってくるに違いあるまい。
 と、蓮白玖は薄い笑いを浮かべながら、乱馬へと言った。
「この場を収めるのはボクの役目だ。ボクは、この存在そのものを賭して、あいつらを倒さなければならない。そのために今日まで耐え忍んできたんだから!」
 その言葉は意味深で特徴的だった。何かを覚悟しているような、物の言い方だった。
「だから…乱馬、君は…君は、ボクを作ったあの人の…カグヤさまのバグが潜む場所へ…行ってくれーっ!!」
 そう、蓮白玖が言った時、
 バチン!
 ひと際、大きな音がして、張られていたバリヤーが、吹っ飛ぶのが見えた。
 と、蓮黒玖たちが、しめたと言わんばかりに、数体、いや、数十体の徒党を組んで、一斉に、乱馬たちへと向かって、飛び込んでくるのが見えた。

 ブワッ!

 今度は、目の前で何かが破裂したように見えた。
 否、破裂したのではなく、蓮白玖が瞬時に分裂したのだ。
 見事に何体もの等身大の蓮白玖に。それらが各々、分散して、襲い来る蓮黒玖へと襲い掛かって行く。
 乱馬が見上げると、白と黒のうさぎ面たちが分散して渡り合うのが見えた。
 中には乱馬目がけて飛び込んでくる、蓮黒玖の分身体も居たが、バリヤーに当たると、パチンと電撃を放って、面白いように自爆してしまった。
 つまり、乱馬は一切、戦闘には関われなかった。ただ、ただ、蓮黒玖と蓮白玖の闘いの行方を、下方から見つめているだけだった。

「蓮白玖!貴様、何故、分身できる?」
「それに、いつの間に、そんな強靭なバリヤーを張れるようになったのだ?」
「我々より、劣るスペックの…六徳ではなく刹那のアトロイドが何故?」
「分身は、我らレベルではないと、出来ない筈なのに!」
 蓮黒玖の声が、怒涛のように響き渡る。

「生憎だったね、蓮黒玖!ボクは…サイレントムーンの光を浴びると…己のレベルをあげられるんだ!刹那から六徳をも飛び越えて、虚空へとね!そう、カグヤさまによって作られたんだよ、蓮黒玖!」
 蓮白玖は、言い放った。

「虚空だと?馬鹿な!」
「貴様、サイレントムーンのおかげで、そこまでスペックを挙げられるというのか?」
「くそおお!」

 バチバチと、黒と白。その二つの物体が接触すると、火花が散り、一緒に弾けて消滅していく。
 まるで、それは、空間に溶けていってしまうかのように。分身同士のせめぎ合い、つぶし合い、そして、消滅。
 最後に残ったのは、本体。蓮白玖と蓮黒玖。白肌と黒肌、その二体の躯体が、じりじり、間合いを取りながら、睨み合っていた。

「けっ!俺さまが、バグにここまでしてやられるとはな。」
 蓮黒玖は、はっしと蓮白玖を睨み据えていた。
「窮鼠猫を噛むってね。今のボクは恐らく、君と同等…いやそれ以上の力を持って居る筈さ。」
 蓮白玖がそれに応えた。
「貴様も、満月の光を浴びると、虚空までレベルがあがるのか…。」
「ああ。元々、君とボクは二つで一つの躯体だったからね。連玖(れんく)という人間の。」
「そんな名前など、もう忘れた!」
「君が忘れても、ボクは忘れない。否(いや)、恐らく、君だって、思い出している筈だ。いや、君だって、本当は、忘れてなど、いなかったんじゃないのか?封印していただけなんだろ?そうだろ?」
「だったらどうだと言うのだ?もう、今更!」
「そう…今更…なんだ。でも…。少なくとも、忘れちゃいけないんだよ。オクト神霊が介入してくる前の、純粋なカグヤさまと、それから、従者となってあの方の傍に常に侍(はべ)っていた「連玖(れんく)」という人間の記憶…その二人の想い、全てを!」

 最早、乱馬の出る幕ではなかった。
 いや、この戦いに己は介入してはならない。そう思った。

(蓮白玖…おまえ、蓮黒玖との間に横たわる、俺の知らない一連の因縁を、ここで決着をつけようとしているんだな…。)

 女化している蓮白玖。それから、男のままの蓮黒玖。
 白と黒、色違いのうさぎ面を被った同士のアトロイド。
 恐らく蓮白玖がさっき口走った「連玖(れんく)」というのが、彼らの人間の時の名前なのだろう。
 己のことを自らバグと自嘲する傍ら、秘めた強い想いを刃として持ち続けていた蓮白玖。同じく呪泉に落ち、女化する乱馬には、蓮白玖の、否(いや)、連玖という彼らが分離する前の人間の心、それから、その悲しみと苦しみが、乱馬には理解できた。
(俺も自分の意志とは裏腹に、変身してしまう人間だからな。そして、この身体を持て余しつつも、本気で惚れてしまった許婚が居る…。)
 グッと握りしめた拳。
(蓮白玖の想いに報いるためにも、俺は…あかねを、助けなければならねえ!)


三、

 と、月がいつの間にか、空へとその丸い姿を露わにしていた。
 真っ白い月。地上で見上げる大きさの、数倍もあろうかという大きさの月。その、表面には見慣れた文様が見える。うさぎが餅をついていつような黒い模様が。
 怖くなるほど、白い色を照らしつけてきた。魔性の月。そういう表現がしっくりくる、満月。サイレントムーン。
 甘ったるい匂いがどこからともなく、漂ってくるのを感じた。花の香りのような、きつめの香水のような匂い。
 すると、どうだろう、月がだんだん変色しはじめたではないか。真っ白だった色が赤みがかっていく。

「ほら、もう始まったみたいだぜ。」
 蓮黒玖が蓮白玖へと言葉を放った。
「そうか、始まったのか。」
 蓮白玖が納得するように言い放った。
「何が始まったんだって?」
 乱馬が問い質すと、
「絶望へのカウントダウンさ!」
 蓮黒玖がそう叫んで、笑った。

「まさか…あかねが…。」
 そう言葉を紡ごうとした乱馬へ、蓮黒玖は言い放った。
「ああ。もうすぐ、彼女はコアとなる。愛する男の虜になってな。」
 ニヤッと蓮黒玖が笑った。
「愛する男だと?」
「ああ。おまえの本体だ。男の姿のな。」
「もしかして、さっきの俺の、眠った肉体を…。」
「フフフ、その通りだ。カグヤさまが、連れて行ったよ。あかねを虜にするために。今の貴様は蓮白玖と同じバグだ。貴様の眠ったままの肉体には、今頃、カグヤさまが憑依しておられるだろうよ。あかねを虜にするために。」
「何だと?」
 乱馬は、怒鳴った。あかねが危ない。そう思っただけで、焦り始めたのだ。
「あかねさんなら大丈夫だよ。乱馬。彼女は強いって言ったのは、君じゃないか。信じないでどうするんだよ!」
 蓮白玖が蓮黒玖の背後から声をかけた。
(そうだ…。あかねは強い。俺の最高の許婚だ。惑わされる訳がねー!)
 そう強く思った。
「でも、本体の中から揺すぶりをかけたら、あの、小娘、どうなるだろうねえ?」
 乱馬の心理をかき乱すように、蓮黒玖が言い放ってくる。
「それに、もう、助けには行けねーぜ!タイムアウトだ!乱馬、蓮白玖!」
 揺すぶるように言葉をかけて来る蓮黒玖。
「タイムアウト?」
 乱馬がきびすを返すと、蓮黒玖は言い放った。
「お前なら感じられるんじゃねーのか?刻々と、ここへ向かって、近づいてくる絶望の足音がよー。」
「絶望の足音?」
 そう、言われて、ハッとした。
 確かに、さっきから、こちらへ向かって、隠微な気が流れてくるのを察していた。
 ブブブブ…。地鳴りのような低い音も、どこからともなく響いてくる。
 浮かんでいた月も、真っ赤に染まり始めた。いや、月だけではない。真っ黒い空間が、赤く変色し始めている。

「あれは…まさか。」
「監視システムさまのお出ましか。」
 乱馬に続いて、蓮白玖が言い放った。
「ああ…。俺たちをデリートするために、動き出したんだ。いわばこの空間の最終兵器さ。あれは、確実に異物を始末しに来る。俺たちはあの赤い光に一掃されて、ジ・エンドだ。この空間ごと、飲み込まれて終わりさ。逃げる場所は無いぜ!」
 蓮黒玖が表情ひとつ変えずに、淡々と言い放った。
「俺たち…ってことは、てめーも一緒に粉砕される…ってことか。蓮黒玖。」
 乱馬は、蓮黒玖へと声をかけた。
「ここは、俺たちの主、非情なオクト神霊の下僕と化したカグヤさまが作りだしたアブストラクト・マグネック・フィールド(抽象磁場空間)だからね。閉じるのも開くのも、全て、カグヤさまの意志一つなのさ。」
 既に、何らかの覚悟をしているのだろう。蓮黒玖は静かに言い放った。
「その、てめーの親玉のカグヤが、この空間を閉じようとしているっていうことか。けっ!おもしれー!」
 乱馬も淡々と、その言葉に対した。
「おまえは怖くないのか?その存在を消されてしまうというのに。」
「その言葉、まんま、てめーに返すぜ。蓮黒玖。悟った顔しやがってよー!へっ!黙って消されてたまるかってんだ!俺は、最後まで、絶対、ぜーったい、諦めねーぞ!」
 そう言いながら、丹田へと気を溜め始めた乱馬。
「無駄だというのに…。バカだな。貴様は。」
 蓮黒玖はそう言って、力なく笑った。最終兵器が作動した以上、闘いを続けても意味は無いと見限ったようで、反撃もしてこなくなった。乱馬や蓮白玖に対して、攻撃する意思もなくしてしまったらしい。
「蓮黒玖。わかっていないね。ボクの本体を踏襲した身体を持って居る癖に。諦めたら、それで全てが終わってしまう。でも、諦めなければ…。」
「奇跡が起こるとでも言うのか?蓮白玖よ。」
 蓮黒玖は蓮白玖をじっと見据えた。 黒うさぎ面の男と、白うさぎ面の女が向かい合う。
「ボクが、ただ、指をくわえて滅されるのを待っているとでも思って居るのかな?蓮黒玖は。諦めの悪さなら、そこの乱馬と良い勝負ができると思うよ。ボクも。」
 蓮白玖が言った。
「それに、君だって、同じ躯体から分離したボクが…次に何をしようとしているか、わかっているのではないのかい?」
 そう言いながら、蓮白玖は、白いうさぎ面を外した。
 中から現れたのは、顔に入れ墨のある女。赤みがかった髪の毛が、ゆらゆらと揺れながら、橙色に輝く。瞳は銀色に輝き始める。白んだ肌は抜けるように美しかった。
 対する蓮黒玖も、黒うさぎ面を取った。
 現れたのは、蓮白玖と似ている男性の姿。蓮白玖よりも、肌は幾分か浅黒い。髪はアジアンらしく黒く、瞳は、金色に輝いている。
 乱馬が男から女に変化しても、どこか似通っているように、蓮白玖と蓮黒玖も似通っていた。
 じっと、見つめ合う、蓮白玖と蓮黒玖。それは不思議な光景だった。女溺泉によって分けられた、男の躯体と女の躯体。それが向き合っているのだ。

 乱馬は、黙って二人を見比べる。
 元は、一人の躯体だった、蓮白玖と蓮黒玖。面を外した二人で、一体何をしようというのか。

「バグだったのは、俺の方だったのかもな…蓮白玖。」
 ふうっと、蓮黒玖は一つ、大きく息を吐きながら言い放った。
「違うよ。あえて言うならば、どちらもバグだ。僕らのベースは、人間ではない、うさぎだ。だから、最初からバグなんだ。人間だった亡骸の細胞の欠片から、別々のうさぎをベースに分けられて、カグヤさまが作った存在なのだから…。」
 蓮白玖が笑った。
「そうだな、連玖という漢(おとこ)がこの大地を駆けぬけて生きていたのは、俺たちが生まれる前のことだったものな。」
 掌に拳を作りながら、蓮黒玖も少し、笑った。
「で、やっぱり、思い出は大切だろう?蓮黒玖。」
「ああ、そうだな…。この躯体を作った亡骸にしみ込んだ、様々な思い出が、俺たちの原動力なのだからな。…さて…。共に、今のカグヤさまに、二人揃って、牙を立てるとするか。」
 蓮黒玖が蓮白玖へと声をかけた。遥か先には、こちらへ向かって来る赤い光が見える。
「ボクらは、この瞬間のために、別々に作られた存在なのだから。」
「ああ…。そうだな。カグヤさまは、その結末を望んで、ボクらを分けたのだろうからな。」
 蓮白玖と蓮黒玖が頷きあった。

「まー、よくわかんねーが、和解したのか。おめーら。共に、あいつを倒すのみ。」
 乱馬がそう、二人に声をかけた時、蓮白玖と蓮黒玖は共に頷いて、乱馬を振り返った。

「乱馬、君が担う役割は、あいつと闘うことじゃない。さっきも言ったろ?」
 蓮白玖が言った。
「え?」
 何を言い出すんだと、乱馬が顔をあげると、ガクンと力が抜けた。いや、丹田に溜めていた気が、一時的に体内へと逆流していく。つまり、気が離散したのだ。しかも、足元が地面に張り付いて、全く動かなくなった。動かなくなったのは足だけではない。手も瞬時に力が抜けて、コブシ一つ、振り上げられない状態に陥った。
「蓮白玖、おめー、今、俺に、何をした?」
 乱馬が叫ぶと、蓮白玖はにっこり微笑みながら言った。
「君は、あかねさんを助けるという一番大きな役割があるだろう?」
「おい!その前にあいつを粉砕しなければ、あかねのところに辿り着けないんじゃねーのかよ!」
 動かない手足を懸命に降り上げようと足掻く乱馬。
「俺たち二人が、あいつへ攻撃を加えた瞬間に、この亜空間フィールドは木っ端微塵に吹き飛ぶ。ボクらはそう言う風に作られたんだ。いわば、空間を破る、爆弾。」
「爆弾だあ?」
「そう、爆弾だ。陰と陽、その相反するエネルギーが触れあって炸裂する仕組み何だよ。その時生じる炸裂エネルギーで、別の亜空間フィールドが開けるはずだ。乱馬。」
 蓮黒玖が言った。
「そこには、ボクらを作った主(ぬし)様が居る。」
 今度は蓮白玖が言った。

「おまえたちを作った主(ぬし)?」
「ああ…。「カグヤさまの意志」というバグだ。彼女に会って、あかねさんを救い出す…それが、君の役目さ!」

 後の言葉は、物凄い速さで飛来してきた、不気味な巨大物体の音によって、かき消された。
 ゴオゴオと轟音を鳴り響かせながら、迫りくる、監視システムの赤い気流。まるで、炎を巻き上げながら空飛ぶくじらのように大きな口を開き、蓮白玖と蓮黒玖、その二人と共に、乱馬をも飲み込まんと、激しく戦慄いた。その中は、漆黒の闇。

「乱馬!後は任せたよ!」
「さらばだ!早乙女乱馬!」

 蓮白玖と蓮黒玖の声が微かに、聞こえた。と、二人の影が、一瞬、重なったように見えた。
 白い蓮白玖の躯体が、黒い蓮黒玖の肉体へと溶け込むように消えていく。やがて、一つの固まりになった二人は、七色の光をきらめかせる。
 と、赤い塊が開いた闇の中で、黄色い閃光が弾け飛んだ。
 その刹那。

 ドードーン!

 耳をつんざく炸裂音が轟き渡る。

「蓮白玖ーっ!蓮黒玖ーっ!」
 思わず、声を限りに叫んだ乱馬。その大きく見開かれた瞳に、映ったモノは、数多の胡蝶。
 蓮黒玖と蓮白玖の身体に走った閃光と共に、ブワッと飛びだした胡蝶の群れ。
 ひらひらと美しく輝き、一つ、また一つ、暗闇の中へと消えていく姿が、乱馬の円らな瞳に、映って見えたのだった。


つづく





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