サイレントムーン
第七話 バグ



一、

「ああ。そうだ。ボクのベースには、この星の人間のデーターがある。でも…その記憶は、殆どないんだ。」
 嘘か誠か、それは乱馬にも判別できなかったが、蓮白玖は、それだけを言い置いて、少し黙った。

「少しも覚えていないのか?」
 乱馬はせっついて怒鳴った。

「ああ。千五百年前に、この地でカグヤさまと出会ったことだけ、覚えている…その程度の記憶しか、今は持ち合わせていない。あの頃のことを思いだそうとすると、頭の中が真っ白になるんだ。思い出すなと言う、警告が流れ始めるんだよ。」
 少し頭を抱えこみながら、苦しそうな表情を見せた。
「もしかすると、ボクを作った時、カグヤさまが、シールドをかけたのかもしれない。」
 そう吐きだした。
「シールド?」
「ああ…。一種の記憶操作だよ。」
「そんなことまでできるのか?」
「ターリネ星の化学は半端じゃないからね。ただ、言えることは、ボクはカグヤさまに、蓮黒玖はカグヤさま、ないしは、それに準じるアラヤが作ったことは間違いない。それも、この地球の人間…それから、生き物をベースにね。」
「もしかして…俺を襲った黒いうさぎ野郎も、おまえと同じアトロイド…とかいうのか?」
 乱馬は穿った瞳を、蓮白玖へと向けて問い質した。
「ああ、蓮黒玖もアトロイドだよ!」
 蓮白玖は断言した。
「それも、僕よりも、高精度なアトロイドだ。蓮黒玖は。そして、彼に比べたら、ボクは、バグみたいな存在なんだ。」
 そう、蓮白玖は吐きだした。
「バグ?」
「ああ。バグだよ。オクト神霊の側から見れば、思いっきりバグだね。」
「どーしたそんなことがわかるんだ?」
「ボクにはオプト神霊に対する絶対服従のプログラムは、放り込まれていないんだ。」
 そう、蓮白玖は言った。
「オクト神霊への絶対服従プログラム?」
「ああ…。ボクらアトロイドは、オクト神霊に絶対服従キーが組み込まれる。常にオクト様に従順であるようにね。でも、ボクには、そのキーが欠けているんだ。だから、完全体ではない。」
「つまり、不完全なアトロイドなのか?」
「…ってことになる。同じカグヤさまが作ったアトロイドでも、蓮黒玖にはきっちりと、絶対服従キーが働いているから、奴から見れば、ボクは敵だ。」
「って、やっぱり、蓮黒玖の奴もカグヤが作ったのか?」
「そうだよ。カグヤさまはボクと蓮黒玖をほぼ同時に作った。ボクとあいつが似ているのは、恐らく、そのせいだからと思うよ。それから、多分、同じ親から生まれたうさぎをベースに使っているんだろうさ。ボクは白うさぎで、蓮黒玖(あいつ)は黒うさぎ。」
「共に、カグヤが作ったアトロイド…なのに、片方には絶対服従のキーが施され、片方には施されなかった…。」
 乱馬は一旦、そこで、思考を止めた。蓮白玖の話は、現実を遥かに越え過ぎていたのである。己が身体にも、「呪泉の呪い」というとんでもなく非現実な体質を秘めているが、蓮白玖の話は、それを遥かに凌駕してしまっている。
「絶対服従キーが無いボクは、バグのような存在なんだ。アトロイドとしてのスペックも、蓮黒玖と比べたら、格段と低い。まともにやりあったら、とても歯が立たないよ。だから、あいつらには、いつだって打ち負かせる存在だと思われているのさ。」
「それって舐められてるってことじゃねーのか?」
「そーだよ。」
 あっけらかんとした返事が返って来た。普通、相手にコケにされたら、怒りが溢れようものなのに、こいつ(蓮白玖)は気にも留めていない。
 力が抜けそうになったが、問い質さねばならないことは問い質したい。そう思いなおして、言葉を継ぐ。
「何で、カグヤさまは、二種類のアトロイドを作ったんだ?」
「それは、カグヤさまがこの星に降り立った後、カグヤさまとオクト神霊の間に、のっぴきならない事件が起こったからだよ。」
「何があったんだ?」
「カグヤさまが、オクト神霊に反旗を翻した…。そういうことなんだ。オクト神霊を裏切るために、ボクを作ったんだ。反旗を翻したことに気付いたオクト神霊が、カグヤさまを再洗脳し、それから作ったのが、蓮黒玖。わかるかい?この違い。」
「おまえは、反旗を翻した主、蓮黒玖とかいう黒うさぎ野郎は、再洗脳されたカグヤに仕えているってことか?」
「ご名答…。で、カグヤさまは洗脳される直前、ボクに命じたんだ。」
「何を命じたんだ?」
「待つこと…、それからオクト神霊の野心を破ることさ。」
「待つこと?」
「ああ。再び、オクト神霊が、再び目覚めた時、その禍を取り除くための先導的役目をするのがボクの指名。つまり、この星を奴らの手におとしてはならないんだ。ファーム化を辞めさせなければならない。」
「で?おめーは、なんで俺を殺そうとしたんだよ!そっちもきっちり、理由(わけ)を聞かせてくれよな!」
 チラッと蓮白玖を見流しながら、別の命題を、問いかける乱馬が居た。
「前にも言ったろう?…君が彼女の…天道あかねの、想い人だったからさ。」
「想い人だったら殺すって、意味わかんねーぞ!こらっ!」
 つい、声を荒げた乱馬だった。
「彼女の想い人である君は、いわば、彼女をゼロノイド化させるための、餌になるからね。だから、殺さねばならなかったんだ。あの時点ではね。」
「餌?」
「ああ、餌だよ。ゼロノイドの心をある一定のテンポを守って制御するためには、愛する人のエネルギーを使うのが一番なんだ。」
「そう言えば、あいつ、蓮黒玖の奴、俺の身体から高濃度エネルギーを抜き取って、あかねの餌にするとか、訳のわかんねーこと言ってたな。」
「うん、本来なら、君も一緒に連れて行って、コアの隣に繋いじゃう筈なのに…。蓮黒玖の奴はそうしなかった。だから、不思議だと、ボクも思ったさ。何で、直接、君を連れて行かなかったんだろうってね。連れて行くどころか、捕獲してそのまま高濃度生体エネルギーかしてしまおうだなんて、乱暴過ぎるし。」
「あん?」
「君に何らかの欠陥があるから、連れて行かず、高濃度生体エネルギーを体内から取り出そうとしたんだ。きっと。」
「こら、ちょっと待て!それって俺が欠陥人間と、奴が判断したってことか?」
「うんそうだよ。」
 にっこりと、蓮白玖のうさぎ面が微笑んだ用にも見えた。
「ボクのラボの解析能力は、あいつらに比べて、格段に低いんだ。それは仕方がないとして、でも…速度は遅くても、正確な解析はできる。君を治癒装置に繋いで、データーを取ってみたんだけれど…。やっと今、結果が出たよ。やっぱり、君は大きな欠陥を抱えていた!だから、蓮黒玖が、君を連れて行かず、高濃度生体エネルギーだけを搾取しようとした理由も納得できた。」
「あん?」
「だって、君、身体に、ものすごい欠陥を抱えているじゃないか。」

「俺のどこが、欠陥品なんだ?ってか、モノじゃねーぞ!俺は!何だ?その欠陥てぇーのは?」
 思わず、身を乗り出して怒鳴った乱馬。

「君は、両性具有なんだろう?それも、水と湯で簡易に入れ替わる変態体質!」

 ビシッと乱馬を指さして来る、蓮白玖。

 乱馬の声が、ラボ内に響き渡った。

「やかましー!体質はどうあれ、俺は…男だ!正真正銘の大和男児だ!欠陥品じゃねーぞ!」
 と。



二、


『ねえ、乱馬。早く…早く気て!』
 ふとあかねの声がすぐ側で聞こえた。
『おい!待てよ!そんなに早く走ると、転ぶぜ?』
『大丈夫…え、あ…きゃあ!』
 すっ転びそうになった身体をはっしとキャッチする。
『ほらみろ!言わんこっちゃねー!』
 ふうっと溜息を吐きだす。と、目の前で、はにかんだ顔が揺れる。
『だって、早く、この姿、見せてあげたかったんだもの。』
 ふわっと顔にかかる、レース。ウエディングドレス姿のあかねが揺れる。
『あかね…。』
『これからは、二人歩いて行くんだから…。』
 差し出された細い腕。そっと触れようと、手を差し伸べる。が、それは男の自分の手ではない。ハッとしてみると、男の時よりか細く短い。男だった肢体は女へと変化していた。見ると、頭から水浸しだ。
『乱馬…男に戻れないのね…。これじゃ、結婚できないわ。』
 傍のあかねの顔が曇った。そして、乱馬を振り切って、駆け出して行く。

『待て、あかねっ!俺は男だ。女じゃねーっ!』

 そう、怒鳴ったところで、目が開いた。
 がばっと上半身を起こした。ハアハアと浅く息があがっていた。身体から汗がしたたり落ちる。

「夢…?」
 そう夢をみていたようだ。
 辺りを見回すと、自分の部屋。敷布も汗で濡れている。
「ここは…。」
 ガラッと障子が開いて、飛び込んで来た白うさぎ面をかぶった、女。あかねではない。蓮白玖だ。
「よく眠れた?」
 何故かうさぎ面にエプロン姿だった。
「でえ!蓮白玖?じゃあ、ここは!」
「君に必要なのは、上質の栄養と休息だろ?だから、天道家を模してみたんだけれど…。」
「あのなあ!何、変な気を回してるんだよ!で、てめー、何だ?その格好?」
 蓮白玖はTシャツとズボンの上に、エプロンをかけていた。
「ちょっと、かすみさんだっけ?あの人の雰囲気を出してみたんだけれど…。似てないかな?」
 長い髪の毛を、ふぁさっと手で払って見せる。もちろん、顔はうさぎ面だ。
「何、気色の悪いことやってやがる!それに、何だ?その髪の毛!」
「伸ばしてみたんだけれど…。どう?」
 くるんと回って、長くなった髪の毛をひけらかす、蓮白玖。うさぎ面をしているから、どことなく不気味だ。
「伸ばすな−!てか、一晩でそこまで伸びるのか?」
「そのくらい、簡単だよ。ボクのラボの技術を持ってすれば。」
「剥げ親父でも髪の毛が生えさせられるってか?」
「それは無理だね。髪の毛から再生させるんだ。体毛からやると、全然雰囲気が変わるよ。」
 ぼわんと、脳裏に、体毛から髪の毛を生やした玄馬の妄想が浮かび上がる。
 ごわごわとした、髪質。アフロのような爆発ヘアーを乗せたパンダが、蠢く。
 ブンブンブンと頭を横に振った。
 玄馬ならどんな髪型でも、毛が生えればOKだろうが、そんな頭髪になったら、見ているこちらの腹は笑いで震え続けるだろう。
「とにかく、その長い髪、悪趣味の極みだから、戻せ!元に!」
 と、蓮白玖へと言い放った。
「君だって、長いじゃないか。その後ろ髪。丸っこくて変なのをくっつけてるし…。」
「俺のおさげは、いーんだ!」
「変態だからか?」
「だから、変態じゃねーっつってんだろー!」
「それより、朝ごはん。作ってきてあげたよ。天道家の朝飯を再現してみたんだ。」
 そう言いながら、タンと持って居た盆を目の前に出して見せる。
 ご飯とみそ汁と焼き魚と納豆。それからたくあん。天道家の標準的な朝ごはんだ。だが、何故か物足りない気がした。そう、湯気がたっていないのだ。冷や飯にみそ汁…。嫌な予感がした。
「お…おう。」
「ボクたちと違って、君は固形物を摂るんだろ?」
「まーな…。」
 箸を持って、いただきますの挨拶をする。それから、一口、味噌汁を飲む。
 うっぷと、そのまま、吐き出しそうになった。

「な…何だ?こいつは!」

 まずい…というより、味噌汁の味ではない。しかも、冷たい。
 食べられないというほどの味ではなかったが、見てくれは完ぺきだけに、味と見た目の違和感が半端ない。
 例えば、チョコレート味のラーメンとか。冷やしうどん味のラーメンとか…そんな感じだ。

「うまいか?」
「うまいわけねーだろ?何なんだ?こいつは…。」
「やっぱり、味覚が違うかなあ?」
「ってか、何で味噌汁が甘いんだよ。」
「俺たちアトロイドの食事を、天道家風にアレンジしてみたんだけれど…。味が違うか、やっぱり。」
 蓮白玖が少しばかり、肩を下ろす。
「アトロイドの食事…。まさか、材料は、人間から抽出したエネルギーとか言わんだろーな?」
 昨日の今日のことだ。散々話して貰った、奴ら(蓮黒玖たち)の目論見のことを聞かされて、目の前のご飯の材料を疑ったのである。
「大丈夫だ!ボクらアトロイドは人体から抽出した物は食べないよ。植物や他の動植物、それから昆虫などから生成したものだから、安心していいよ。」
「こ…昆虫?」
「うん。この星は昆虫の宝庫だろ?イナゴやゴキブリ、バッタやカマキリ、それからコオロギとかクモとか。秋だから種類も豊富だし、助かるよ。」

「うっぷ…。」
 思わず、吐き出しそうになった。

「栄養的にも優れているんだから。ちゃんと食えよ。じゃないと、動けないよ。何なら、ボクが食べさせてあげようか?」
「いい…なんか、材料を聞いただけで食欲が…減退した。」
 思わず箸を置いた乱馬。
「ダメだよ!食べられないなら、ほら、注入してあげようか?噛まないならいけるんじゃない?」
「やめろー!」

 こんなあんばいであった。

(調子が完全に狂うぜ…。たく、あいつ、本気で俺を殺す気だったってーのが、信じられねー。)
 そうなのだ。
 己のラボという気安さも手伝ってか、最初に持った印象と、違ってきた。
 あかねが居れば、「お茶目」とか言う具合に評するのであろうが。
(もしかして…。蓮黒玖もお茶らけた野郎だったりして…。)
 が、そこで思考を止めた。
(…な訳ねーか。蓮白玖(こいつ)、自ら自分のこと、バグとか言ってやがったし。)

 どこか、男性的なところが、蓮白玖に漂っているのも、気になった。
 見たところ、女の姿をしていたが、中性的…否、男性的な感じがするのを、否定できないでいた。
 「ボク」という一人称や、しゃべり方、立ち居振る舞いが、女性というより、男性に近いのだ。あかねが男まさりなのとは、全く印象が違う匂いがした。しいて言えば、小夏に近いような…。あかねは、不器用で雑なだけで、決して女性的なところが薄い訳ではない。むしろ、乱馬から見れば、充分、女の子なのだ、あかねは。なのに、この蓮白玖は、根本的に何かが違う…。

(俺のこと、散々、両性具有だの、変態だの…好き勝手言いやがるくせに、自分もそういう部分があるじゃねーか!)

 そう思いながら、昨夜のことを思い出してみる。


『君が、まともな人間じゃないというデーターが出た。変態体質、つまり…君は、両性具有なんだろう?』 そう、指さして言われた時は、殴ってやろうかと思ったほどだ。
『俺は…男だ!正真正銘の大和男児だ!変態みたいな呼び方はするなーっ!』
『君は呪泉に落ちたのか…。それも、女溺泉に。』
 食ってかかろうとしたとき、そう、言われた。
『おめー、呪泉郷を知っているのか?』
 即座に問い返していた。
『ここから遥か西の大陸にある、変化の泉、呪泉郷。ボクがこの大地に生きて居たとき、近辺に呪泉の被害者が居たからね。』
『呪泉の被害者?』
『ああ。あの当時、大陸の国から、秋津洲(あきつしま)に移り住んだ者もいたからね。その中に、あの泉の、被害者が居たとしても、おかしくはあるまい?』
『そういうものかな。』
『君が呪泉郷の被害者なら、弾かれた理由もわかるよ。女に変化する奴は、男とは言えない。だから、カグヤさまの近くには置けない。蓮黒玖なら考えそうなことだ。で、そこに、ボクらが付け入る隙ができるって訳だよ。悪運が強いね、乱馬は。もし、呪泉に落ちて居なければ、今頃、君も、蓮黒玖に連れて行かれて、大変なことになっていたかもしれない。』
『いや…。今でも十分、大変なことになっていると思うんだが…。』

 そんなやり取りがあった。

「で?いつになったら、こんな陰気臭いところを出て、あかね奪還に動くつもりだ?蓮白玖。」
 朝ごはんをやっとのことで食べ終わると、蓮白玖へと問い質した。
 あかねが奪還できない以上、この世界はカグヤの母星のエサ場となる。
「チャンスは一度。次の満月の日。」
「っていうと、あと何日だ?」
「六日後だよ。」
「六日だあ?そんなに待つのか?」
「うん。満月の前の夜。それが一番、作戦遂行に適していると、ボクの機器がはじき出したからね。」
「おめーの機器って性能がいまいちなんだろ?」
「あ、処理能力が低くて、スピードがトロいってだけで、解析は正確だよ。君が呪泉郷の女溺泉に落ちた変態だってことも、ちゃんと解析したろ?」
「だから、変態じゃねーっつーの!やっぱり、ポンコツ機器じゃねーのか?…まーいい。何故、満月の晩がいいのか、理由を聞かせてもらおうじゃねーか!」
「満月が南中するまでが、あかねさんを奪還できる絶好の機会だからさ。」
「絶好の機会?」
「そう。絶好の好機なんだ。足さし、タイムリミットすれすれとなるけれどね。」
「だったら、もっと早く助けねーと不味いんじゃねーのか?」
「この勝負は、一発必勝だよ。やり直しは効かない。だからこそ、好機にミッションを行わなければ、意味はないし、成功もしない。」
「一発必勝…。」
「そうだよ。奇襲攻撃が効くのは一度きりだろう?」
「奇襲攻撃ねえ…。」
 本当に、こいつ(蓮白玖)と組んで、大丈夫なのか。少し不安に思えて来る。それは、何故か。緊張感が足りないのだ。この蓮白玖という白うさぎ面の女は、飄々としすぎている。
「サイレントムーン…満月が空高く昇るまでが、リミットだ。」
「満月が南中するまでがタイムリミット…か。満月に何か特別な意味でもあるのか?」
「満月の夜は、星食いシステムのパワーが最大(マスト)になるんだ。特に、カグヤさまが長い眠りから覚めた時に亜空間に上る月は、サイレントムーンと言って、その力は絶大になる。」
「おい…矛盾してねーか?相手のパワーが最大になる時を狙うってーのは、攻撃する側に、不利になるんじゃねーのかよ?」
「普通に考えればそうだろうね。でも、サイレントムーンが輝くときは、ボクにとっても、特別な日になるんだ。」
 蓮白玖は真顔で言い放った。
「しくじれば、二度とあかねさんを奪還することもできなくなる。だから、チャンスは一度だけ。この一度に賭ける自信はある?乱馬。」
「失敗は許されねーんだよな?上等だ!」
「そのくらいの気概があれば、良かった…君をアトロイド化できる。」
 そう言って、蓮白玖は面の下でクスッと笑った。
「はあ?俺をアトロイド化?おめーまさか、俺を訳わかんねー電脳生命体にするなんて、ばかげたこと…。」
「考えているよ。あ。でも、大丈夫、あくまで、仮だから。仮アトロイド。」
「おい!こら!仮っつーのは何だ?」
「仮想アトロイドのことだ。肉体はちゃんと保管しておくから。だから、大丈夫。あいつらに勝てば、戻してあげられる。」
 そう言うと、バチンと何やらスイッチを入れた。
 と、天井から計器や電線が、無造作に降りて来る。
「ちょっと!待てー!」
 焦った乱馬であったが、抵抗する暇もなく、降りてきたケーブルに、すぐさま捕まってしまった。
「この野郎!俺を改造する気か?」
 焦りつつ、怒鳴り散らす。が、蓮白玖は淡泊に言い切った。
「仮でもアトロイド化しなければ、蓮黒玖やカグヤさまとは戦えないよ。あかねを助け出せれば、元に戻れるからね。乱馬。」

「やめろー!」

 そう叫んだとき、麻酔薬なのだろう。ブシューッと噴霧器から薬品を巻かれて、だんだんと意識が遠ざかって行った。



三、

 次に目を開くと、空に浮かんでいるような、そんな不思議な感覚が、乱馬を取り巻いていた。
 地に足がついていないさま。それから、身体が少し軽くなったようにも思った。
 真下には己の身体がある。計器類がたくさん、手足、そして胴や頭に繋がれていて、赤チャイナの上着と黒ズボンという、着のみ着のままの状態で横たわっているのが見えた。

「気分はどう?乱馬。」
 蓮白玖が問いかけてきた。
「上から自分の姿を見下ろしているから、何か、幽体離脱したような感じだぜ。」
「当たらずしも遠からじだからね。その「幽体離脱」という状態と。」

 蓮白玖の説明によれば、下に居る本体を核として、繋がれた計器類が乱馬の細胞を全てアト化しているという。

「その、アト化ってーのは何なんだ?」
「君らの言語形態では、十のマイナス十八乗のことを、アト、もしくは、一刹那って呼んでいるんだろう?つまり、そのくらいの誤差単位で、君をデーター化しているんだよ。」
と、蓮白玖は返してきた。
「はあ?」
 数字のことが瞬時に理解できなかった乱馬は、思わず問い返していた。蓮白玖の言った意味がわからなかったからだ。
「そうか。君は数字の単位がわかっていないんだ。」
「うるせー!ほっとけ!」
「君たちの星では、数字の一は十のゼロ乗、十分の一はデシで10のマイナス一乗。百分の一はセンチで10のマイナス二乗…。このように、段々単位が小さくなって行って、10のマイナス十八乗のことをアトと表すのが、基本になっているはずだよ。」
(ああ、あの下敷きの数字の羅列!)
 乱馬は、数学の呼び出し補習のときに、貰った「下敷き」に書かれていたSI接頭辞のことを思いだしていた。
「そう言えば、何となく、うろ覚えだが、「アト」という接頭辞があった気がするな。十のマイナス十八乗ってことは、ゼロが十八個ついた分の一って訳か。見当もつかない小ささだな。」
「そう、それだけ、誤差が少ないデータってことなんだよ。で、アトは十のマイナス十八乗、十九乗、二十乗、とそこまでがアトになって、二十一乗から二十三乗までは、ゼプトと呼ばれているのさ。そのゼプトのの二十二乗は別名「阿頼耶(あらや)」と呼ばれていて、カグヤさまたち、電脳生命体の上限となっているんだ。つまり、ボクや君が十の十八乗の再現力なら、カグヤさまを始め、アラヤたちは、十の二十二乗の再現力となる…ってことなんだ。わかるかい?」
「何か、別に、細かい単位は覚えなくても良さげだな…。つまり、アラヤのカグヤの方が、スペックが上ってことが、結論として言いたいんだろ?おまえは。」
「そーだよ。…ちなみに、アトロイドは、マイナス十八乗の刹那、マイナス十九乗の六徳(りっとく)、マイナス二十乗の虚空と三つのランクがあって、ボクは最下位の刹那で、蓮黒玖は中位の六徳(りっとく)なんだよ。」
「つまり、蓮黒玖より、てめー(蓮白玖)の方がトロいってことか。」
 そこの部分だけ、納得できた。
「ああ、そういうことになるよ。性能もそれから、能力も、再現力も、全てね。」
「おめーも、苦労してそーだな。」
 細かい数字のことまで、理解はできなかったが、蓮白玖の上位が蓮黒玖で、更に上をいくマスター的存在なのが、カグヤたち電脳生命体ということも理解できた。
 が、もう一つ、乱馬には不可解なことがあった。というのは、下に見える己は男のままだが、何故か、宙に浮かんでアトロイド化している己は、女の姿に変化していたからである。

「で?何で、俺は、女化してるんだ?」
 乱馬は蓮白玖へと声をかけた。
「ちゃんと、意味があるよ。だから、女化させた。」
「意味だあ?」
「安心して。女にした理由は、自ずと見えてくるから。」
「って、説明無しにするつもりか?}
「ああ。面倒臭いからね。」
「くおら!面倒臭いだあ?」
「ま、敵地に侵入したらわかるから。」
「だから、説明しろっつーてんだ!」

 と言いかけた乱馬の目の前で、蓮白玖がニッと笑った。何かスイッチのようなボタンをポン通した。

 と、目の前に光がいくつか現れて、その中から人影が、一人ずつ現れた。
 乱馬の目の前に現れたのは、見知った野郎ども。

 赤い光からは九能が、青からは沐絲が、そして黄からは良牙が。
 それぞれの光の色に、目を光らせて、前に立って居た。もちろん、実体ではないことは、明らかだった。

「おい!こいつら。」
「ちょっと、あちらのデータからいじってみたよ。まだ、取り込まれていないけれど、データにはもう搭載されているからね。拾ってきたデータでナノロイドとして再現してみた。」
「ナノロイド?」
「アトロイドに比べてかなり画素的には劣るけれど、決して中身の力は衰えていないよ。」
「お…おい!まさか、こいつら相手に闘えなんてこと…。」
 嫌な予感が駆け巡る。
「そうだよ。その身体に慣れてもらわなければ。実体とは少し勝手も違うからね。アト化すると、生身の身体より動きやすいだろうけれど、身体が軽くなる分、力は若干劣ると思うんだ。君の好きな修行、存分にやって貰うよ。まずは、三体とも、ナノロイドレベルに合わせた。いきなり、アトロイドレベルだと、さすがにきついだろうから。何。ボクの優しさだよ。」
 にやりと、蓮白玖が笑った。明らかに面白がっている。
「って、こらあっ!三人一緒かよ?」
「だって、こっちはナノロイドだよ。一対一だったら、ハンディありすぎじゃん!ナノロイドだからって油断していると、痛い目に合うからね。ま、怪我をしたら、医療マシンで治してあげるから!」

 どうやら、良牙も九能も沐絲も、声帯はないのか、声は発してこない。が、代わりに眼光は鋭い。いつも、乱馬に突っかかって来る、恨めしい瞳を手向けているではないか。つまり、殺気もちゃんと発している。
 寡黙な分、不気味に見える。
 しかも、掛け声がないので、身構えてこちらへ照準を向けた時の違和感は半端ない。
 声はなくとも、身体の動きは逸品。九能は木刀を、良牙は爆砕点穴を、そして沐絲は暗器を飛ばして来る。ひとりずつならまだしも、三人一斉に乱馬へと飛びかかって来た。

「っと!」
 乱馬の目の前で九能の木刀の切っ先がかする。そして、良牙の爆砕点穴が襲い掛かる。さらに、沐絲の暗器の鎖鎌がじゃらりと空を舞う。
 それらを寸でのところで避けると、ピシッと来ていた洋服に裂けめが入る。

「でええ!何が性能が劣るだ!全然、オリジナルと違わねー、強さじゃねーか!」

「当たり前だよ。画素数が違うだけで、力もスピードも技も、ほぼ、現物だよ。じゃないと、修行にならないだろう?」
 

 いつの間にか、お茶をすすりながら、蓮白玖がこちらを見物している。

「てめー!一人、お茶なんか飲みやがって!」
 他所見をしかかったところで、九能の木刀が打ち込まれてくる。
「でえっ!あっちいけー!」
 足蹴りにして、蹴り飛ばす。が、しばらくして、そいつは何事もなく、再びデーターとして、現れる。傷一つなく、そして、体力も衰えていない。
 良牙と沐絲も同じこと。彼らを殴り飛ばしたり、蹴り飛ばしたりしても、一分も経たぬうちに、復活するのだ。

「ほら、おたおたしていると、やられちゃうよー。」
 完全に見物を決め込んで、座ってお茶を飲む、蓮白玖。緊張感の欠片も無い。

「てめー、あとで覚えてやがれーっ!」
 乱馬はそう怒鳴ると、九能と良牙、それから沐絲相手に、身体を動かし続けた。

 どのくらい、そうして、戦い続けたろうか。
 恐らく、小一時間は経過している。
 ハアハアと、肩で息をしながら、乱馬は、よどんだ空間の中で、ドオッと倒れ込んだ。
 恐らく、百回目くらいの甦りで、九能、良牙、沐絲の三人は、姿を現さなくなった。どうやら、そういうように、プログラミングされていたようだ。
「前クリアまで、七十分ほどか。まあまあ、及第点かな。」
「何が及第点だ!俺だけこんな激しい修行させやがって…。」
「ダメージもそこそこか…。もうちょっと、スペックが上がらないと、蓮黒玖に勝つことさえも危ういな…。」
「人の話を聞けーっ!」
 ボコりたい気持ちを抑えつつ、蓮白玖を睨みつける。
「亜空間では亜空間なりの戦い方があるからね。それを、出来るだけ早く、効率的に会得してもらわないと。力のセーブができず、垂れ流しって、いうのも考えものだし。」
 ブツブツと独り言のように、乱馬の戦い方について、モニターを見ながら分析している。
「亜空間?」
 その言葉が耳に引っかかった乱馬は、蓮白玖へと問い質す。
「ああ。ボクらアトロイドは、常は、アブストラクト・マグネック・フィールドという亜空間に身を置いているからね。
「マグネックフィールド?」
「カグヤさまが作りだした、「抽象磁場空間」の中なんだ。アラヤは一人一人、ここみたいな亜空間を作り出していて、その中で生きているんだ。…つまり、電脳世界とでも言うのかな。ま、そういうフィールド空間なんだ、ここは。だから、実体世界での物理攻撃は、ボクら、電脳生命体には、あまり意味を成さない。」
「意味を成さない?」
「ああ。亜空間の中でなければ、不利な闘いを強いられる。」
「どういう意味だ?」
「君も何となくわかったんじゃないのかな。」
「だから、何もわかってねーぞ!」
「ボクが君の命を狙った時のことや、蓮黒玖があかねさんを奪いに来た時のことを、思い出してごらんよ。君の攻撃は、蓮黒玖に効いたかい?」

「あ…。」
思い当たる節がある、乱馬であった。
 蓮白玖に殺されそうになった時も、蓮黒玖に気を奪われそうになった時も、攻撃したにもかかわらず、平気な顔をしていた。
「全く効かない訳ではないけれど、効き辛い。」
「何故だ?」
「そんなの簡単さ。君たちの空間では、ボクらは実体ではない…それだけの理由だよ。」
「実体じゃない?」
「言ったろ?アトロイドやアラヤは動物生命体や、機械生命体じゃない。そう、実体を持たない電脳生命体なんだよ。それより、休憩を少しとったら、今度は、この娘たちと闘って貰うよ。」
 再び、にたりと笑った蓮白玖。何やらスイッチを押した。

 再び、光と共に、今度は娘たちが姿を現す。
 赤い光からは小太刀が、青からは右京が、そして、黄からは、珊璞。
 それぞれが身構える。

「相手が女だろうと、蹴散らかして貰わねばならないときが来る。だから、手加減しないように、女も相手にしてもらうよ。それから、女子だから、もう一人。スペシャルゲスト。」

 金色の光の中から現れた娘。あかねだった。それも、何故か、長い髪の頃の。

「なっ!」

「君の記憶の中からデーターを抽出して作ってみたんだ。」
 と、蓮白玖が笑った。

「おい!こら、俺にあかねに手を挙げろっつーのか?」
 つい怒鳴ってしまった。
「ああ、変な同情や感情を持たれても困るからね。これはあかねさんじゃない。」
「わかっとるわい!でも、攻撃しづれーぞ!」
「攻撃しないと、中々終わんないよ。」

 だっと身構えていた、娘っ子たちが、乱馬目がけて、飛びかかって来る。敵意むき出しの目だ。
 さすがに、何もしないと、こちらがやられる。
 仕方なく、攻撃へと転じた。乱馬の気弾が炸裂した。何とも後味の悪い、闘いだった。

「だあああ!畜生!後で覚えときやがれー!このすっとこどっこい!」
 己が発した気弾の光の中で、女乱馬の怒声が響き渡っていった。



つづく





本作に出て来る、アトロイド、アラヤは一之瀬造語です。
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