サイレントムーン
第六話 アトロイド



一、


 蓮黒玖が手を振り上げたと同時に、乱馬が動いた。

「させねー!」
 手に溜めた闘気の塊を、そいつに向かって打ち付ける。
「猛虎高飛車ーっ!」
 叫び声と共に、放たれた気は、蓮黒玖を強襲する。
「ふん、こんなもの、他愛もない!」
 乱馬が投げた気を、そいつは身軽にひょいっと交わして見せた。

 ドーン!

 開かれた窓をすり抜け、乱馬が飛ばした気は、外へと一気に流れて行った。

「なっ!攻撃を交わされた?」
 険しい顔を手向けながら、乱馬は言った。
 確かに、攻撃が当たったのに、すり抜けて行った。

「なかなか面白い技を使うけれど、貴様は俺の敵じゃない。」
「敵じゃなかったら、味方だとでも言いたのか?」
「いや、生憎、今回は味方ではないよ。この前は助けてやったが、今回はその必要もない。」
「ってことは、倒すつもりか?」
「ふふふ、今回、俺は、その子を迎えに来ただけだ。」
 パチンと手を鳴らすと、目の前の蓮黒玖が二人に分裂した。
「二人に分裂した?何でもありかよ!」
 思わず大声が出た。
「あまり、気持ちの良い眺めじゃねーな…。」
 あかねをかばいながら、そんなことを吐きだす。
「あらかじめ言っておくが、分かれたからって、力が落ちる訳ではないよ。力、技、全て、分裂前と一緒だ。だから、素直にその子を僕に渡してくれる方が、痛い思いをしないだけ、利口だぜ。」
「けっ!もし、嫌だって言ったら、どーするんだよ?」
「こうする!」

 それだけ、一言投げつけると。分離した蓮黒玖たちが一斉に乱馬目がけて襲い掛かった。

「二人がかりで対峙する気か?卑怯な!」
 そう声を荒げた乱馬は、バンと気を身体から浴びせかけた。
「ほう…貴様、気を扱えのるか、おもしろい!」
 難なく避けて、二分した蓮黒玖が乱馬の左右から襲い掛かる。
「こなくそ!」
 二人を薙ぎ払おうと、再び闘気を一発。浴びせかけようとしたその時だった。
 ニヤッと蓮黒玖が笑った。と、ボン!ボン!と音が二つ同時に鳴って、二人が四人に分裂した。
「何?四人だと?」
四人に分裂したからといって、力が四分割されたわけでもなく、蓮黒玖の攻撃は緩まない。
「もっと、分裂できるぜ!」

 ボン!ボン!ボン!ボン!

 今度は八人に分裂して見せた。

「これでわかったろう?俺にたてつくのは、無駄だということを。」

「畜生、俺は諦めねえ!」
 グッと両手を握りしめ、気を充満させ、寄って集って攻撃を仕掛けて来る蓮黒玖たちに向かって、気弾を浴びせかけようとした。
 とその時だった。
「きゃああ!」
 あかねの悲鳴がすぐ側であがる。
 ハッとして、振り返ると、黒いうさぎたちが寄って集ってあかねを取り巻いているのが見えた。見たところ、十五匹くらいはいる。異様な光景だった。

「貴様が大人しくしないのなら、彼女を殺すぞ!」
 あかねの傍に立った一人が、乱馬へと言葉を投げた。

「何だと?」

「嘘ではない。いつだって、彼女を殺せる。」
 蓮黒玖が合図すると、黒いうさぎたちの瞳が真っ赤に光った。と、その口が一斉に開いた。鋭い歯があかねへと手向けられる。
「ふふ、このまま、こいつらが一斉に、彼女の頸動脈を噛みきれば、どうなるか…。どうする?早乙女乱馬。」

「くそっ!」
 あかねを人質に取られてしまえば、戦えない。
 観念した乱馬は、身体から力を抜いた。そして、両手をあげ、頭の後ろに組んだ。抵抗しないという合図だ。

「そうそう。抵抗しなければ、おまえは殺さない。」
「けっ!それはありがてーな!」
 蓮黒玖たちを睨み据えて、乱馬は皮肉を吐きつける。
 と、黒うさぎが一匹、乱馬の背中を思い切り蹴った。
 ドオッと乱馬はそのまま、畳の上に倒れた。うさぎとは思えないほどの重い蹴りだった。
 と、畳がギューンと音がして、青白く光り始めた。
「ふふふ、暫く、そこへ這いつくばっていろ!」
(何だ…この、重力。身動きできねー!)
 這い上がろうと、必死で身体に力を入れたが、畳に張り付いてしまって、全く動かない。這いつくばったまま、磁石に吸いつけられたようだった
 その上から、分離した一人が、乱馬の頭を押さえつけるように、足で上から踏みつけた。
 ズシリと重たい体重が、頭へとかかる。
(こいつ…。何なんだ?こいつの重量。)
 畳と足とに挟まれて、ますます身動きが取れなくなった。

「乱馬っ!あんたたち、乱馬をこれ以上、甚振(いたぶ)ったら!許さないわよ!」
 あかねが見かねて叫ぶ。
「気の強い女だな?」
 あかねを羽交い絞めにしている個体が笑った。
「あまり、ぎゃんぎゃん、言われるのも気に障る!それっ!」

 バリバリと電撃のようなものが、畳から流れ出て、あかねを強襲した。
「いやあああっ!」
 その衝撃に、あかねの悲鳴が上がる。

「てめーら!」
 足蹴にされていた、乱馬が、火事場の馬鹿力よろしく、蓮黒玖を制して、立ち上がろうとした。
「じっとしていろ!」
 上に居た蓮黒玖がリモコン装置のようなものを操ると、ブンと音がして、再び、畳へと押さえつけられる。
「くそっ!」
 手も足も、再び畳へと吸いつき、動かなくなった。

(このザマじゃ、あかねを守れねえ。このまま、あいつらの手におちるのを黙って見ているだけしかできねーのか?俺は…。)

『フン!血が通っていない機械人間が相手…、上等ではないか。相手が機械人間なのであれば、ただ、壊せばよいだけのこと。違うか?』
 父親の玄馬の声が脳裏にこだました。
『どんなに知能が進んだAIであろうが、機械は機械。』
 そう言いながら、灯る蛍光灯を指さす。
『例えばこの電灯…。ここへ直接攻撃を加えるのはもちろん有効だが、電気を供給する元を叩けば、全部が止まってしまおう?何も個体だけを叩けば良いというものではない。少し考えればわかることじゃ。』
 そんな、父の声が脳裏を横切って行く。


(何も抵抗できないまま、終わるのは嫌だ!)

 乱馬の瞳に、闘争心が甦った。
 その瞳に強い光が宿ったことに、蓮黒玖たちは、もちろん、気付かなかった。

『何も、闘いは力と力のぶつけあうだけではない。早乙女流の基本は、動と静だ。感覚を研ぎ澄まし、相手をよく観察し、闘い方を見極め動く。忘れたか?』
 脳裏から父が、どうしたと言わんばかりに乱馬を見返して来た。

(そうだ…。早乙女流の基本は動と静。感覚を研ぎ澄まし、相手をよく観察する…。そして、動く!)
 踏まれた足の下で、蓮黒玖たちを観察する。
(何かある筈だ。こいつらと闘う術が…。何も、目に見えていることだけが、闘いの全てではない…。)

 ジジジ…。

 全身の力を抜き、静寂に身を包む。と、小さなノイズが乱馬の耳に入った。いや、それだけではない。よく目を凝らして見ると、蓮黒玖たちの姿がほんの少し歪んで見える。画像の一瞬の乱れのような筋。それが、チラチラと見えた。
 敵の一体、一体。その乱れ方を観察する。と、一体だけ、その揺れが小さいことに気が付いた。

(あいつだけ、乱れ方が少ない…。もしかして…本体…か?)
 乱馬の瞳が鋭く光った。
(蓮黒玖が機械仕掛けなら、そこから分かれた分裂体は幽霊みたいなもの。本体を攻撃すれば、或いは…消えてなくなるかもしれねえ…。手も足も畳に吸いつけられて動かせねーが…、気弾だけは掌から何とか繰り出せるぜ。)
 グッと再び、丹田に気を集中させ始めた。
(少しずつ…少しずつ溜めろ…。奴に気づかれないように…。)
 足を押さえつけている奴に、気付かせてはならない。そう思って、無抵抗のふりをして、慎重に気を集め始める。本体に不意打ちを仕掛けるためだけの気を。

(相手は機械…。そんなにでかくなくても砕けるはずだ。)
 
 蓮黒玖たちは、何か、事後作業に夢中になっていた。あかねを捕縛し、それから、部屋に何か細工しているようにも見えた。

(もうちょっと…もうちょっとだ…。)
 乱馬も起死回生するべく、慎重に気を集め始めた。
 そして、気が集まった刹那。
「今だ!」

 畳に横たわったまま、掌を、本体と目星を付けた奴に、気弾を浴びせかけた。

 バンッ!

 乱馬の強襲は、見事に本体へと命中した。

「うわあ!」
 バキバキバキと音をたてて、蓮黒玖の黒うさぎの面がひび割れる。
 と、青年の顔がそこへ現れた。精悍な若い男の顔だった。顔には耳から頬へ向かって二本の黒い、歌舞伎役者が書きこむような、入れ墨があった。
「畜生!」
 面が後ろへ飛び散ると、同時に、蓮黒玖の肉体が、フッとその場から消えた。と、そいつだけではない。パン!パン!と破裂音が響いて、風船が破裂する画の如く、部屋に居た蓮黒玖たちが一斉に消えていく。
 乱馬の頭の上に足を乗せていた、個体も、パンと消えた。それから、床の吸引力も消えた。

「しめたっ!」
 乱馬の身体の拘束が解けた。手も足も自由に動く。
「あかね!」
 気を失ったまま、畳の上に倒れた彼女へ手を伸ばそうとした、その時。
 ドクン!と部屋全体が唸り音をあげたように思った。
 甘ったるい匂いを含んだ、生暖かい空気が、部屋中に溢れる。それを肺の中に吸った途端、再び乱馬は、身動きが取れなくなった。

『危ない、危ない。俺さまとしたことが…。まさか、窮鼠に手をかまれそうになるとは…。』

 ジジジと音がして、目の前にいきなり、黒うさぎが現れた。黒うさぎのラビ。そのものだった。

「貴様…。今、俺に…何をした?」
 動けない身体を必死に耐えて、立ち続けようとする乱馬。そいつへと言葉を投げた。

『お前には見えないか?この電脳蔓が。』
 クスッとうさぎが笑った。

「電脳蔓だって?」
 そう言われて、ハッとした。部屋の中をうごめきまわる、そいつの影を見つけたからだ。
 透明なつる草…。そいつが、黒うさぎの背後から物凄い勢いで、伸びて行くのが見えた。音もなく、ツル先を伸ばして行く光景は、驚愕を通り越しておぞましかった。
「な…何だ、こいつは!」
 よく見ると、己の肢体にもからまりついている。どうやら、こいつのせいで、身動きを封じられたようだった。
「でやーっ!」と手刀で薙ぎ払ったが、容易に千切れない。引きちぎろうともしたが、びくともしない。
 ふんぬっと、掌から気弾を浴びせかけたが、千切れるどころか、ワチャワチャと、放った気弾へと一斉につる先を伸ばして、集まって来る。よく見ると、乱馬が放った気を餌に、ブクブクとツルがみみずのように腫れあがり、そこから、幾重にもツルが育ってくるようにも見えた。
 そして、育ったツル先は乱馬の身体にどんどん巻きついてくる。
「畜生!」
 
 つる草に絡みつくされて、手も足も出ない。完全に捕らわれてしまった。

『無駄だ。そいつの好物は人間の気。気弾は格好の餌。放てば放つほど、育つスピードは早くなるんだぜ。』
 クスッと黒いうさぎは笑った。

「ちょっと!何これ!」
「きゃああ!」
「早乙女君!」
「くっ!何だ?この変な紐状の物体はっ!」
 階下から天道家の人々の怒声が漏れ聞こえてきた。いや、天道家だけではない。開け放たれた窓から、近所中の悲鳴が轟いてきたようにも思う。

「てめー。いったい、何をたくらんでやがる?」
 乱馬ははっしと、黒うさぎを睨み据えた。

『この星のファーム化さ。』
「星のファーム化?」
『ああ。この星を支配する人は、素晴らしいエネルギーに満ちている。それを、永遠に使わせて貰う。そのために、来たんだ。俺たちは…。』
 いかれた、宣言だった。
「な…。何だと?そんなこと、易々とできる筈なかろー!趣味の悪いSFじゃあるめーし!」
『これは現実だぜ。悪趣味と言ってもな。ククク…。心配するな。誰一人も死なないよ。』
 そう吐きだす、黒うさぎの瞳が、黄金に光り始める。
「死なないだと?」
『そうさ。この星の人間は、いわば、我々の家畜。』
「家畜?」
『現状のまま、眠りに落ちて、死なぬまま、永遠に我々の母星に必要なエネルギーを供給してくれる。永遠の命と引き換えに、ね…。』
「なら、あかねは何だ?一緒にここに眠らせておけばいいだろう?」
『この娘は特別な存在。だから、連れて行く。』
 そう言いながら、窓の外を見上げた。
『それから、乱馬。貴様はもう、用済みだ…。』
「用済み?」
『だから、ここで処分させてもらう。』
「処分だと?」
『身体の内部から丁寧に溶かして、彼女を、天道あかねを永遠に美しく長らえさせるための、高濃度エネルギーにしてあげるよ。そうすれば、貴様だって浮かばれよう?愛する女の餌となるのだから。』
「な!」
 とんでもない話だった。
『ふふふ…。苦しまなくてもすむように、してあげるからね。』

 乱馬に絡みついていた、透明なつる草の締め付けが、急にきつくなったと思った。と、そのうちの一本が、みるみる真ピンクに染まっていく。
 明らかに、何かの液体がそこに溜まったように見えた。
 と、ずるっと音を発てて、乱馬の右腕辺りへ這い上がって来て、一気に突き刺さった。
「痛っ!」
 激しい痛みが身体に走った。と、何やら液体がそこを通じて、ドクドクと体内へと流れ込んで来た。
 と、次の瞬間、ふわっと身体が浮き上がったように思った。
 とても、ふわふわと、いい気持ちが駆け抜けてくる。眠りに入るまえの、安堵にも似た、気持ち。

『ふふ、こいつの繊毛は特別でね。捉えた獲物に恍惚を与えてから、少しずつ、エネルギーを抜き去ってくれる。だから、一切の苦痛はないよ。そのまま、溶けていくんだ。』

 黒うさぎがそう言い放った、その時だった。

『蓮黒玖。君の好きにはさせない!』

 と、乱馬の傍に、もう一つ、影が立ち、そいつの姿が、フッと浮き上がった。

『フン!来やがったか。』
 黒うさぎが侮蔑を込めた表情で、現れたモノへと、瞳を手向けた。


二、

「おまえ…。シロ。」
 乱馬の瞳が、少しだけ見開かれた。

 ジジジという音と共に、現れた、影。そいつは、段々に具現化していき、一匹の白うさぎへと変化したからだ。

『蓮白玖(れんはく)。やはり来たか。』
 そう言って黒うさぎがシロへと話しかけた。
『やっと、君が撃った、ボクの傷が癒えたからね。蓮黒玖。』
 シロはそう答えた。
『君らが好きな、月の光がもうすぐ西の端へ消える。君の姿が変化を解いたのも、そのせいだろ?まあ、早乙女乱馬に反撃されたことも、計算外だったようだけれどもね。』
 シロは、意味深な言葉を、黒うさぎへと投げかけた。
『フン!貴様だって、人型へ変化できないから同じだろう?ククク、この前、俺がつけた、傷、まだ完全に癒えた訳でもなさそうだな、蓮白玖!』

 黒うさぎと白うさぎの、言葉の応酬が続く。なかなか、見られない、不可思議な光景だった。

『もっとも、今更おまえが駆けつけてきたところで、もう遅いぜ、蓮白玖。』
 黒うさぎが煽った。
『「あの方」が目覚めたって言っていたよね。でも、満月までにまだ、猶予はある。』
『猶予?絶望までのカウントダウンだろ?』
『絶望を希望に変えてやるさ。』
 シロは、乱馬のお腹の上に、ちょこんと乗った。
『だからこいつ(乱馬)は、ボクが、いただいて行くよ。』
 シロが乗ると、はらりと、つる草の呪縛が解けた。
『そんな、出来そこない、連れて行ったところで、この星はもう、手遅れだぜ、蓮白玖。』
『生憎、ボクは諦める訳にはいかないんだ。主さまが構築したシステムが動いている以上はね。』
『なら、今度こそ、その忌々しい活動を止めてやろう!』
 黒うさぎがため込んでいた闘気を、シロと乱馬を目がけて打ち込んできた。

 ドゴーォーッ!

 どす黒い、煙のような物が、乱馬と白うさぎ目がけて飛んでくる。

『ボクはまだ、やられる訳にはいかないんだ。はああっ!』
 と、シロは、口から何かを吐き出した。そいつは、ピンポン玉くらいの白い小さな丸い塊だ。
 そいつは床に落ちると、コロコロと転がり、黒うさぎの目の前で炸裂した。

 ボンッ!

 弾けた玉から、白い閃光が弾け飛んだ。
 瞬く間に黒い光は、白い光へと飲み込まれて行く。いや、黒い光だけではなく、乱馬の身体をも、飲み込んでいくのがわかった。
「畜生…一体、何が起こってやがるんだ?」
 さっきのつる草の流し込んだ液体のせいか、起き上がれない乱馬が叫んだ。
『大丈夫。君はボクが守るから!』
 シロが傍でそう叫んだ。
 と、光の輪が、乱馬目がけて飛んで来て、瞬時に乱馬を囲んだ。と、同時に、瞳を開けていられない、光の洪水が、一気に輪を目がけて雪崩れ込んで来た。

「うわああああ!」
 眩さに耐えかねて、瞳を閉じる。が、閉じてもなお、光は、瞼の裏で輝く。

『乱馬…あたし、待ってるから…。助けてくれるって、信じているから。』
 光の渦の向こう側から、あかねの声が響いて来たような気がした。
『ああ…。待ってろ!絶対に、助けてやるから!』
『きっとよ、乱馬!』
『ああ!きっとだ!』
 光の洪水の向こう側へ、あかねの笑顔が遠ざかっていく。
『あかねーっ!』
 声の限りに叫んでいた。
 
 ゴオオォォ…

 突風が、消えゆく光に向かって吹き抜けていく。その後に残ったのは、不気味なまでの静寂。まるで、何事も消滅してしまったような、殺伐とした荒野が続いている。その荒野の上に、白昼だというのに、明るく照らしつけてくる、丸い月。そいつが、だんだん大きくなり、立ち尽くす乱馬目がけて、落ちて来る。

「うわああっ!」
 思い切り叫んだところで、目が開いた。
 ハアハアと荒い息が漏れ聞こえる。

 ハッと、我に返った時、そいつが乱馬を見て、ニッと笑った。

「やあ…目覚めたかい?」
 声をかけてきのは、うさぎではなく、人の形をしていた。白いうさぎの面を被った人が、乱馬をじっと見つめていた。声から察するに、女だ。
「こ…ここは?」
 辺りを見回す。が、当然、天道家ではない。
 青白いライトが、上から照らしつけて来る。狭い空間だった。見たことも無い、計器類がいっぱい壁や天井、床に並んでいる。
「確か、俺…蓮黒玖とか言う奴に襲われて…。」
 一瞬途切れた記憶を取り戻そうと、思考を巡らせる。
「安心して、奴からは逃げ遂せたよ。」
 そいつは、そう吐きだした。
「ここは、ボクのラボ…ラボラトリーだ。君も傷を受けたようだから、治療している真っ最中だ。」
 そう言葉を返された。
「おまえ…誰だ?あいつと同じお面をかぶってやがるな!」
 白と黒、色の違いはあったが、目の前の人型は、乱馬を襲った「蓮黒玖」と同じ形状の面をかぶっていた。顔は見えないため、年齢は不詳。その高めの声から、若いのではないかと推測できる。が、女性にしては、言葉遣いが硬かった。男のような物の言い方だ。しかも、己のことを「ボク」と呼んでいる。典型的なボクっこである。
 思わず、睨みつけて、戦闘態勢をとる。いつでも攻撃を開始できるように。
「落ち着け、早乙女乱馬!確かに、蓮黒玖と同じ形状のお面をかぶっているが、ボクはあいつとは違う。ボクは蓮白玖だ。」
 そう言われてもなお、乱馬は戦闘態勢を解こうとはしなかった。
 「蓮白玖」という名前に、聞き覚えがあった。この前、夜討ちして来た相手の名前だったからだ。
「てめーが蓮白玖なら、尚更、戦闘状態を解く訳にはいかねーぞ!何しろ、一回、俺はてめーに、殺されそうになったからな。」
 と吐きつける。
「確かに、あの時は君を殺そうとしたけれど、大丈夫。今は殺す理由がなくなった。」
 と蓮白玖は言い切った。
「んなこと、信用できる訳ねーだろ?」
 と唾を飛ばした。
 当たり前である。本当に、殺されかけたのだ。易々と信じられるほど、お人好しではない。
「てめー、何でこんなところに、俺を連れ込んだ?」
 と語気を荒げた。
「だから、言ったろ?治療してあげていると。」
「治療だぁ?」
 身体を起こそうとして、何かに繋がれていることを発見した。医療機器のような、たまご型の機械に、すっぽりとはめこまれたように、座っているのが見えたのだ。
「満身創痍だったからね。今、ツル草につけられた傷を治して、それから、注入された、身体の内部を溶かす特殊液体の除去も進めているんだよ。」
「てめー、俺を本気で殺そうとしていたんだろー?何で、治療なんてしている?」
「ボクの敵を倒すのに、君の力が必要不可欠だからさ。」
「お前の敵?」
「ああ。天道あかねに目を付けて、彼女をさらい、そして、最終的に君を殺そうとした、あの方を、ボクは倒さなければならない。」
「あの方?」
「あの方。ボクの生みの親でもある、カグヤさまだよ。」
 うさぎは、突拍子もない事を言い始めた。
「カグヤ?もしかして…あのおとぎ話の、かぐや姫か?」
 乱馬の瞳は驚きに満ちた。『竹取物語』の主人公として知られる、かぐや姫と同じ名前が、この得体の知れない蓮白玖といううさぎ面の女の口から発せられたからだ。
「そうか…君たちの国の伝説のお姫様の名前にもなっているんだったよね。カグヤさまは…。もっとも、伝説として、伝わっていった話は、本当の出来事とは全く変わってしまっているだろうけれど……。」
 蓮白玖は仮面の下で、自嘲気味に笑った。
「おい!俺の知るかぐや姫の話と、てめーの主のカグヤさまって、繋がっているのか?」
「ああ。多少は君の時代にまで伝わっている、おとぎ話に、影響していると思うよ。ボクの主、カグヤさまはこの星の人間のコミュニティーの中に、それは見事に溶け込んでいたからね。」
「溶け込んでいた?」
「ああ。この星のデーターをとって、人間に変身し、混じっていた…とでもいうのかな。ただ、美しく、目立つ存在でもあられたから。だから、その時の伝承が、後世に伝わっていったとしても、不思議では無いと思うよ。」
 と、これまた、疑わしいことを、するりと話した。
「おまえの主がかぐや姫の伝説の元になったとかとでも言うのかよ?」
「ああ。昔話や、伝説なんて、史実に尾びれや背びれがくっついていったものだろう?文字が普及していないころの伝承は、口で伝わっていくと、変遷を遂げるのは、当たり前だから。かなり、変遷してしまったとは思うけれど。数多の男たちの婚姻を断り、そして、天へ帰って行く。そんな話じゃなかったっけ?」
 どういう訳か、うさぎ面の女は、かぐや姫伝説の少しは理解している様子だった。だから、更に、疑いたくもなった乱馬だ。
「この際、竹取物語…いや、かぐや姫の昔話のことは、ややこしくなるから、いい。置いておく…。それより、いったい、俺の目の前で、何が起こっているんだ?ちゃんと説明してくれるんだろうな?」
 そう、乱馬は蓮白玖へと投げかけた。
「それは、順を追って話すよ。そうでないと、君はボクと共同戦線を張ってくれそうにないからね。」
 そう言って、蓮白玖は乱馬を、真摯な瞳で見下ろした。
「共同戦線だあ?俺は、んなもの、張る気なんてねーぞ!」
「果たして、これを見ても、そう思えるのかな。」

 フッと、空間の中に、モニターが浮き上がった。まるで、空間にスクリーンが張ってあるかの如く、映像が映し出される。それは、乱馬にとって、目を疑うような光景だった。



三、

「こいつは…。」
 映像を見て、乱馬は息を飲んだ。
「天道家の今の様子だ。」
 蓮白玖は真顔で言いきった。
「今の様子…。」

 映し出されたのは、天道家の茶の間だった。
 かすみは急須を持ったまま、なびきは、テレビに見入ったまま、早雲と玄馬は縁側で将棋盤で対峙したまま、微動だにせず、固まっている。よく見ると、身体に透明なつる草が、幾重にも巻き付いていた。

「こんなふうになっているのは、何も、天道家だけではないよ。」
 ブンと音がして、画面が切り替わる。
 右京の店では、打っちゃんがお好み焼きを焼いている姿のまま、その横で小夏がお盆を持って客を接待しているまま。
 猫飯店では、珊璞がラーメン鉢を両手で抱えて、可倫婆さんが厨房で熱心に鍋を掻きまわしている。その横で沐絲がお皿をたくさん持って居るまま、固まっていた。
 九能家では、木刀を持って素振りをしている九能先輩。それから、池のワニにエサをやりながら小太刀が固まっている。それぞれの身体に、つる草が巻き付いていた。

 悪い夢を見ているような光景に、段々と気分が悪くなってくる乱馬だった。

「何でこんなことになってるんだ?」
 乱馬は、治療機械から身を乗り出して、蓮白玖へとつっかかった。
「直接の原因は、巻きついている、あの電脳蔓の仕業だよ。」
「あの、透明な奴か?あれは一体…。」
「ああやって、人間に絡みついて、茎から特殊な繊毛で人を刺して、無動化する溶液を体内へ注入する。そして、それに侵された人間は、生きたまま、そのまま固まってしまうんだ。その状態があれだよ。
 東京の町全体が、いや、東京だけではなく、秋津島(あきつしま=日本列島本島)全体がこんな状況に陥っているだろう。
 やがて、この状況は、地球全体へ広がり、この星全体の人間が、ああなるのも、時間の問題だ。逃げたって無駄だ。あの電脳蔦は生命エネルギーを察知して、人間を探し出し、漏れなく繋いで行く。」
「一体、何のために、あんなことを!」
「蓮黒玖が言っていたろう?この星をファーム化するためだ。忘れたかい?」
「ファーム化…そう言えば、あいつ、そんなことを言っていたな。母星に必要なエネルギーを供給してくれる、家畜にする…みたいなこと。あれが、ファーム化なのか?」
 蓮白玖はウンと一つ頷いて見せた。
「連中は、電脳蔓を使って、この星の人間を生きたまま捕縛し、殺さぬように栄養分も補給し、アラヤの再生に必要なエネルギーを吸い上げ続けるんだ。家畜化された人間は、不老不死を得る代わりに、活動を停止し、眠り続ける。そういう仕組みだ。」
「ふ…ふさけるな!あれのどこが、不老不死だ!あれじゃ、生きたまま死んでるのと同じじゃねーか!」
 ドンと乱馬は、治療器の壁を叩いた。
「何の権限があって、あんなことをされなきゃなんねーんだ?おい、こらっ!」
 わなわなと震える乱馬に、蓮白玖は言った。
「この有様は、ボクらの主さまの母星の、ターリネ星の支配者、オクト神霊の命令…それに尽きるんだ。」
「ターリネ星のオクト神霊?」
「ああ…。オクト神霊は、ここから、何千光年も離れた銀河の中にある、ターリネ星の支配者だよ。」
「ターリネ星の支配者?」
 聞き慣れぬ星の名前に、そのままきびすを返した乱馬。
「ターリネ星は、アラヤと呼ばれる電脳生命体が支配する世界なんだ。アラヤは、地球で言うところの、ホモサピエンス(人間)ということになるのかな。その、アラヤの中の最上位の生命体を、「オクト神霊」と呼んで、あがめている。」
「最上位の生命体?何なんだそいつは。」
「ターリネ星の最初のアラヤ…さ。そして、偉大な支配者。」
「最初のアラヤ?」
 乱馬が問い質すと、蓮白玖は応えた。
「ターリネ星には、もともと、地球と同じように、星を私支配する高等生命体が居た。細胞からできた普通の生命体だったという。彼らは不老不死についての研究もさかんに行なって来た。その結果、不老不死の超生命体を作り出したんだ。」
「不老不死の超生命体?」
「ああ。そうさ。生命をも左右できる科学技術を持ったとき、高等生命体は、ことごとく「不老不死」を突き詰めようとする。君らもそうだろ?」
「…俺は、別に、不老不死なんて臨んだこともねーが…。」
「それは、君がまだ若い証だよ。歳を重ねて、様々な人の死を見送ると、いつしか、不老不死に憧れを抱くようになる。必ずとは言わないけれど。だって、永遠の時を生きることは、生命の究極の夢なのではないのかな?」
「…不老不死は理想…確かに、そうかもしれねーな。俺は、まだ、身近で人を亡くしたことはねえ。でも、あいつを亡くしかけた時、一瞬、腑抜けた…。」

 サフランと闘った時の記憶が、脳裏に過ぎった。そう。あの時、あかねを亡くしたと思った時…己だけが生き残ったという、慙愧に耐えない想いを抱いていたことを、俄かに思い出したのでる。

「老いたり、怪我をしたりして、痛んだ臓器は、己の身体から再生培養して取り換えればいい。ターリネ星の不老不死の研究も、そんな考えが基本になっている。永遠の時を生き続けられることを願って、行きついた先…それは、肉体の再生技術だった。」
「なるほど、臓器移植を何かの方法で新しく作り替え、それを移植する。その作業を繰り返せば、延々と死なないで生き続けられるっていう論理か。」
「そうだ。老いない身体を求めて行った結果、ターリネ星では、それが、サイボーグ…アンドロイド…ナノロイド、ピコロイド、そして、アトロイド、アラヤ…と進化を遂げていったんだ。つまり、ターリネ星人は、部分改造人間、完全機械生命体、それを経て電脳生命体へと変わって行ったんだ。
 その研究の最先端にいたのが、オクトさまなんだよ。アラヤの偉大な創造主にして、朽ちない身体を持つ偉大な支配者。それが、オクト神霊って訳さ。」
「神霊?」
「神の霊だよ。朽ちない魂をずっと持ち続けている、不老不死の霊魂。」

「よくわかんねーな…。そいつが、この地球に、何の用があるってんだ?何故、あんなふうになってやがる?」
 モニターに、未だ映し続けられる、異様な光景を指さしながら、乱馬は蓮白玖へと吐きつけた。」

「究極の不老不死を追求した結果、進化の頂点に達した超生命体、それが電脳生命体アラヤなんだよ。アラヤもボクらアトロイドも、実体は持たない。」
「実体を持たない?」
「ああ。君が見ているボクは、画像…みたいなものさ。アラヤもそうだ。ただ、アラヤが僕らアトロイドと違う点は、時たま、全ての身体のパーツを組み替えるのさ。永遠に朽ちない生命体も、ある程度のメンテナンスは必要…。アラヤはその劣化に応じて、時々身体を組みかえる。その時、それまでの記憶を一旦、全てリセットするんだ。
 その際、アラヤは膨大な生命エネルギーを使って再生を行うんだ。だから、そのエネルギーを求めて、宇宙空間へと旅立つ。」

「つまり、俺たちは、その餌ってことか?」
「その通りだよ。ターリネ星のアラヤやその支配者オクト神霊を支えるのが、君らのような高知能を持つ生命体の生体エネルギーなんだ。オクト神霊の命をうけ、それぞれのアラヤは探査隊を編成し、銀河の星々へ散り、ボクらのようなアトロイドを生成し、使役してエサとなる生命体が居る星を探して巡っているんだよ。」
「ふざけるな!」
 乱馬は、そう一声発し、蓮白玖を睨んだ。
「地球も、弱肉強食の世界じゃないか。ホモサピエンスは下等生物を食らい、生きている。それと、同じだよ。君らがこの星の植物や動物を食べるように、電脳生命体も定期的にエネルギーを摂取しなければ生きていけない。それだけのことだ。」
 淡々と蓮白玖は話していく。乱馬の顔が、怒りで満ちて行く。が、グッと我慢して、蓮白玖へと質問を続けた。
「で?貴様は、カグヤ姫に仕える家来みたいなもんなのか?」
「ああ。家来みたいなものだよ。ボクらアトロイドはアラヤから見れば、下等な電脳生命体だ。」
「下等?」
「ボクらアトロイドは、アラヤ階級の生命体と決定的に違う。いわば、ボクらはアラヤに使役されるため造られた生命体だ。絶対服従で、たてつくことはできないように、あらかじめ、プログラミングされている。そして、壊れたら、それで終わり…だ。誰も修復してくれない。とどのつまり、使い捨ての電脳生命体…なんだ。」
「使い捨ての電脳生命体…ねえ。」
 そう、表現されても、いまいち実体が鵜呑みにできない乱馬であった。
「壊れたって、誰も修理なんかしてくれないから、ボクたちアトロイドは、それぞれラボを持っていて、不具合があれば、そこで、自分で修理を施すんだよ。この施設は、ボクの、ラボなんだ。」
「なんか、よくわかったようで、わからねーな。でも、異星人のカグヤという電脳生命体が…己の生命を維持するために、俺たち地球の人間を、家畜化しようとしていることは、理解した。だけど、あかねは何だ?蓮黒玖の奴は、あかねを、特別な人間だ的なことを言っていたけどよー。」
「ああ、そのことか。それも説明しなきゃならないな。」
「あたりめーだ!じゃねーと、協力もできねーぞ!」
 チラッと蓮白玖を見た。
「それから、もう一つ。てめーが、この前、俺を殺そうとした理由も一緒に説明してもらおーか。じゃねーと、俺を殺そうとした奴なんかと、危なくて、徒党なんて組めないからな。」
「案外、気にするタイプなんだな、君と言う個体は。」
「普通、そーだろ?殺し合いしてたやつとお手て繋いで仲良くなんて、簡単にできっかよ!」
「別にボクは君とお手てを繋ぎたいだなんて、思っていないけれど。」
「だああ…。言葉のアヤだ。言葉の!とにかく、ちゃんと説明してくれ!」
 脱力しながら、乱馬が怒鳴った。
「あかねさんは、地球とボクらの母星を繋ぐ、中継のための「核(コア)」にされるんだ。だから、特別扱いという表現を使ったんだと思うよ、蓮黒玖は。」
「中継のためのコア?」
「ああ。遠く離れた母星。ターリネ星へ、エネルギーを送り出すためには、それなりの中継施設が必要となる。その機械を動かすための動力。それがあかねさんになるんだ。」
「あかねが動力源?」
「ああ、そうだよ。ボクらの技術で、あかねさんをゼロノイド化することで、それは叶うんだ。」
「ゼロノイド?」
「あかねさんの身体をゼロ化することによって、家畜のエネルギー送付を可能にするんだ。そのためのコア。それを彼女に担わせる魂胆さ。」
「で?何で、あかねなんだ?何故、あいつが、選ばれた?」
「彼女が、この山に張り巡らされていた、捕獲システムを目覚めさせたからさ。そして、様々な角度から吟味されて、コアに適した個体だと、認識された。それだけのことだ。」
「捕獲システム?」
「ああ。星食い計画を実行するためのシステムだ。餌になる人間がそのシステムに触れることによって、目覚め、再び活動を開始する。そのように、プログラムを設定されていたんだ。」
「再び活動?おい、それって、昔にも稼働したってことか?」
「ああ…していたよ。ボクがまだ、この大地に、人として、生きていた頃にね。」

「おい!てめー。まさか…。地球人…なのか?」
 蓮白玖の言葉に、信じられないという顔を手向けた。


つづく






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