サイレントムーン
第四話 刺客
一、
秋の夜は、虫たちが姦(かしま)しい。夏の昼間、蝉たちが節操なくなきわめくのと同様、オスたちが交尾するメスを求めて、愛の歌をせっせと歌いあげる。
都会の真ん中とて、虫たちは生息している。
人間が滅びて後も、平然と生きぬいていけるのは昆虫という種族だけなのではないかと言われているのもわかる気がする。
今宵、空に月は無い。
新月。
「朔」とも言われる、闇に閉ざされる夜。
だが、電気エネルギーを手にした人類は、最早、闇など恐るる存在ではない。
大都会は眠らぬ摩天楼。ここ天道家も、完全に暗くなる訳ではないのだ。
が、日付が変わってしまえば、天道家の人々は眠りの中。
夜が早い天道家。丑三つ時にもなると、広い母屋も静まり返る。
寝相が悪いあかね。そのベッドの真下で、ふと目覚めたうさぎ。
うさぎは夜行性ではない、正確には、「薄明薄暮性(はくめいはくぼせい)」。つまり、朝方と夕方が一番活動が活発になる。
まずは、あかねのベッドの上にそっと飛び上がる。
「うん…。」
その躍動を感じたのか、あかねは、寝がえりを打った。
シロはそのまま、みじろぎもせず、息を潜めた。そして、待つこと数分。あかねが目を開かないことを確認すると、再び、活動を活性化させる。
うさぎの瞳に怪しい光がともった。ザザザとデジタル画面のようなノイズが一瞬、走る。そして、クワット見開いた瞳は、銀色に輝いた。
そのまま、鼻先を右手へと手向ける。つる草につけられた傷を覆う包帯へ狙いを定める。クンクンと匂いを嗅ぎ、それから、舌先で血の付いた辺りを舐める。
と、ジジジと瞳が再び、唸り音をあげた。その音と共に、ゆらゆらと揺らめく、銀色の瞳。それだけではない。シロの身体全体が、白く輝き始めた。
それに共鳴するかのように、あかねの身体も白んで輝き始める。まるで、あかね自身が光を発しているように。すうっと、包帯の辺りが赤く光り始めた。包帯をとらないのに、浮き上がってきた文様。それは、炎の形に見えた。
手首から肘にかけて、鮮明に浮かび上がってきた、炎の紋章。
『やはり…。この、あかねとかいう娘…。「あの方」と遭遇したのか…。』
そう思いながら、うさぎは眠っているあかねを覗き込む。
『「あの方」がつけた、刻印が鮮明に浮き上がっているのがその証拠。やはり、「あの方」の目覚めの日は近いということか…。』
じっと、見据える瞳。
『今夜は新月。月の光が再び威力を取り戻し、「あの方」が本格的に動き始める前に、終わらせなければ。』
シロの身体から、光が鎮まる。と、あかねの身体から発せられていた光も、すうっと消えてしまった。浮き上がっていた包帯の下の刻印も、何事も無かったかのように、消え失せていた。
辺りから光が消え、また、夜の闇に覆われる。その間、あかねは眠り続けたままだった。今も、昏々と眠っている。
と、トンとシロはベッドの上から降り立った。
そして、タタタと窓へ駆けあがる。そして、何かを念じる動作を見せた。と、シロの瞳が、再び、銀色に輝き始めたと同時に、ゆっくりと、鍵が外れた。更に、スッとひとりでに窓が開いた。
冷たい夜風が、あかねの部屋へ流れ込んでくる。微かに金木犀の香りが立った。
シロはあかねの部屋から脱出する。と、再び、窓は閉まっていく。施錠の音もした。
窓が閉まったことを確認すると、シロは屋根を伝って歩き始めた。決して走らず、そっと屋根瓦に足を乗せて、音を発てないように、忍んで歩く。
『瓦を壊さぬよう、そっと…そーっと…。』
そんなことをぶつくさ吐きつけながら、足を運ぶ。うさぎは飛び跳ねて走るモノと相場が決まっているのに、まるで、猫のように忍んで歩く。そのさまは、うさぎには見えなかった。
しかも、ギシッ、ギシッと、シロが歩く度に、瓦がしなった。とんでもない重量が、この小さな身体にあるように見えた。
『彼女を目覚めさせてはならない…。それが、ボクの使命だから。使命を果たすためなら、殺人だって厭わない…。この星の未来のために…。』
ゆらゆらと揺れるシロの瞳が、再び、真っ赤に輝き始める。
ゆっくりと矢ねを伝うと、ある部屋を覗き込む。その部屋の窓には、カーテンが無い。代わりに、障子がはめ込まれている。
再び念ずると、瞳が真っ赤に輝きを放ち、窓へとその光が当たる。
と、今度は窓が障子ごと溶けた。音もなく、すっぱりと。
そして、ゆっくりと気配を伺いながら、部屋へと足を踏み入れる。
と、図体が大きい獣の姿が見えた。
『獣?それも、こんなに大きな…。』
ハッとして、立ち止まる。
玄馬が変身したジャイアントパンダであったが、シロには得体の知れない生き物に映った。
『この世界に、こんな生き物が居たっけ?』
目を白黒させながら、凝視した。ドキドキと心音が唸りを挙げた。
バタン!
獣が寝がえりを打った。それを寸でのところで交わす。巨体に踏み込まれたら、厄介だ。
『ふう…この世界…。暫く見ぬうちに、かなり進化した様子だな…。このような獣を飼っておるとは…。ここの家の奴ら…侮れぬかもしれない。さて、ボクのターゲットは?』
ゆっくりと頭を巡らせる。と、居た。
ターゲットは獣の横に敷かれた蒲団の上を、大の字になって転がっている。
ゆっくりと、ターゲットへと近づく。
『お前に恨みは無いが、この星の安寧のため、その命、頂戴する!』
シロの瞳が怪し気に揺らめく。今度は、真っ赤に染まった。そして、目から光線を発した。
バウム!
轟音が弾け、乱馬の寝ていたあたりに焦げ臭い異臭が立ち込める。
『やったか!』
が、乱馬は寝がえりを打ち、初動攻撃を交わしたのである。
『こいつ…ボクの気配を察して、避けたのか…だが、次は外さないよ!』
再び、シロの瞳が光った。
バウム!
と、またもや、乱馬は寝がえりを打った。
シュウシュウと煙が立ち込め始める。
さすがの、乱馬も、この異臭に気が付いて、瞳を開く。と、目の前で殺気を滾らせた赤い瞳の丸っこい奴がこちらをはっしと見据えているのと、視線がかちあった。
「何だ?何だ?何だ?」
さすがに、武道家の卵。さっと、起き上がって、攻撃態勢に移った。
バウム!
再び、繰り出された、ビーム攻撃。そいつも、紙一重で交わした。
「白うさぎ…おめえ…。シロ…か!」
襲って来るのが、シロだと気付いた乱馬。
「てめー、何しやがる!」
起き上がって身構えた。
『しれたこと、おまえを殺す!』
脳内へ直接、語りかけられた言葉。若い女の声だった。
「こいつ、人語を喋ってやがる!化け物か?」
すっかり眠気はどこかへ吹き飛んだ。
「ぱふぉ?」
隣で眠っていた、パンダ、もとい、玄馬も瞳を開いた。
「ぱふぉふぉ?」
『何事?』と認められた看板を、サッとさしあげる。眼は半分閉じていた。
「こいつが、俺を襲って来た!殺したいんだとよ!」
乱馬は玄馬へと応え返す。
『あっそう!』
キュキュキュッとマジックペンで看板にそう書き入れると、玄馬パンダはむっくりと置きあがった。そして、シロを見下ろした。
『こいつ!ボクを、攻撃してくるつもりか?』
シロは焦って身構えた。
と、玄馬は、わっしと軽々右手で乱馬の首根っこをつかんだ。
「でええ!何しやがる?」
バタバタと足をばたつかせながら、叫んだ乱馬。
『果し合いなら、外でやれ!ワシは眠い!』
そう書いた看板を片手に、シロがさっき破壊した窓辺へツカツカと歩いていくと、ポーンと外へ向かって、乱馬を放り投げた。
「こらー!親父ーっ!」
弧を描きながら、庭先へ落とされた乱馬。シロは、呆気にとられた。ぱちくりと開いた赤い目を、パンダへと差し向けた。
『外で、殺し合いでもなんでもやってくれ!』
にたあっと笑いながら、パンダは、そう書かれた看板を、シロへ向かって掲げた。
一瞬、戸惑いを見せたシロだったが、相手にしたいのは乱馬だ。パンダには用は無い。そのまま、窓辺へ駆けて行き、乱馬が飛ばされた地面へと飛び降りる。
もちろん、黙ってやれれっぱなしの乱馬ではない。下で身構えて、飛び降りて来る、シロを見上げた。
トンと後ろ足で軽く着地すると、シロは真っ赤な瞳を暗闇で光らせながら、乱馬を睨み据えた。
『君には気の毒だが…。ここで死んでもらうぞ!早乙女乱馬!』
乱馬の脳内へと、そんな言葉を投げつけてくる。
うさぎには声帯が無いので、黙して喋らない。その獣口で喋られても、薄気味悪いが、脳内へ直接喋りかけられるのも、あまりいい気分はしない。
「おまえ、一体、何者だ?何で俺がてめーに殺されなきゃなんねーんだ?」
乱馬はそう言いながら、うさぎの攻撃を交わした。
『君に死んでもらわねば、この星が滅びるんだ!』
「この星が滅びるだあ?冗談も大概にしろよ!」
『冗談ではない!真面目な話だ!ボクは君を殺さねばならない。そのために、ここに来た!』
クワッと見開いた瞳から、次のビームが飛び出した。
バウン!
庭にあった常夜灯に当たって、石がボロボロに砕けた。
「てめー!何しやがんでーっ!ただでさえ、居候で、肩身が狭いんだぞ!それに、おめーだって、一宿一飯の礼儀ってもんがあるだろーが!何、不義理かましてやがるっ!果し合いしてーなら、俺について来い!」
そう吐きつけると、乱馬は、ひょいっと、勢いよく木へ飛びあがると、そのまま、塀の向こう側へと飛び降りた。
相手は身軽なうさぎだ。乱馬を追いすがって、軽く塀を飛び越えてきた。
「畜生!ちょろちょろと!」
目が覚めて、戦闘モードがすっかり出来上がった乱馬は、天道家から少しでも離れようと、必死で街を駆けた。まだ、夜が続いている。街灯はついていたが、人の気配は全くない。時々、足音に驚いた犬たちが、人家の庭先で吠えた。
「ふざけやがって!」
乱馬も闇の中を懸命に駆けた。もちろん、ナルト柄パジャマのまま、裸足である。
『なかなか、やるじゃないか。乱馬。君、かなりのやり手だな。』
追いかけながら、シロは乱馬の脳内へと言葉を投げつけてくる。
「てめーに褒められても、嬉しくもねーけどな!」
そう吐きつけて、街を駆け抜けて行く乱馬。やがて、少し広い公園へと駆けこんだ。
「ここなら、思い切りやれるだろう?来な!」
そう言いながら、乱馬は止まった。そして、ファイティングポーズを取って見せる。
『いいだろう…。ここを貴様の墓にしてやろう!骨も身も粉々に砕いて。』
「けっ!おもしれー!やれるもんなら、やってみな!」
両者、公園の広場で、睨みあう。
『行くぞ!』
シロが先に動いた。
二、
バシュッ!
再び、瞳から発せられたビーム。そいつは、公園の石に当たると、そのまま、微塵に砕き去った。骨までも砕いてやるといったのは、強(あなが)ち、こけおどしでもなかった。本気だということが、わかる。
はっしと睨みつけながら、乱馬は吐きだした。
「見たところ、てめー、動物じゃねーだろ?いや、生き物じゃねーよな?さしずめ、うさぎ型ロボットみてーなもんだろ?」
と畳みかけた。
『ふふふ、わかるか?』
シロは笑いながら、乱馬へと話しかけてきた。
「ああ…。生き物が持って居る「生気」ってもんが、一切感じられねえ。それに…。その攻撃も機械仕掛けの武器そのものじゃねーか!」
乱馬は肩で息をしながら、そう叫んだ。
『当たらずしも、遠からじだ。ボクは動物生命体じゃない。』
「じゃあ、何だ?アンドロイドか?」
『そんな、下賤な機械生命体ではないよ。ボクは、アト生命体…アトロイドだ。』
アトロイド。耳慣れない言葉だった。少なくとも、乱馬の知識の中には、聞きかじったことのない無い言葉だった。
「アトロイド?何だそいつは!」
『君たち、原始的な人間にはわかるまい。人間からもっと進化した、電脳生命体だ。』
そう言って、グワンと何かを飛ばして来た。
『こういう攻撃はどうだい?』
クスッとそいつは笑った。うさぎのまま笑ったので、薄気味悪かった。
「てめー!卑怯だぞ!」
地面に吸い付いてしまったかのように、足が固まってしまった。いや、足ばかりではない。手も動かない。
『闘いに、卑怯もくそも無い。確実に仕留めなければいけない相手ならば、感情を殺し、非情になれるのさ。ボクは。』
そう答えた。
「機械に感情はねーからか?」
乱馬はシロへ向かって吐きつけた。
『ボクにも喜怒哀楽はあるさ。だから、ちゃんと弔ってあげるからね。気の毒だが、夜露と共にここで消えて貰うよ、早乙女乱馬。』
「くっそー!身体が…動かねえ…。それに、気も集まらねえ…。」
焦れば焦るほどに、力は抜けていく。まるで、目の前のうさぎに全てを奪われて行くような感覚に捕らわれる。
『まあ、君も、うさぎのままのボクに簡単に殺されたのでは、死ぬに死に切れないだろう…だから、一つだけ、いいことを、教えてあげるよ。』
クスッとシロが笑った。
「この期に及んで、何を教えてくれるっつーんだ?俺が殺される理由でも教えてくれるのか?」
確実に乱馬を木っ端微塵にするエネルギーでも瞳に注入しているのだろう。シロの瞳が怪しく浮かんだ。
『殺される理由は、君があの子の想い人だからさ。』
「あの子?」
『天道あかね…だよ。』
「あかねだと?」
あかねの名前が、シロから飛び出して、乱馬の顔色が変わった。
『大丈夫…。君がここで死ねば、彼女は救われる。そして、この星もね!』
「どういう意味だ?」
『文字通りさ。君が消滅すれば、彼女にかけられた呪縛は解けてなくなる。そう、ゼロノイドにされずに済むんだ。』
「アトロイド…だの、ゼロノイドだの…。訳わかんねー単語並べやがって。説明しやがれ!一体おまえは何のためにこんなことをしやがる!」
乱馬が睨みつけると、シロの瞳が、真っ赤にきらめいた。
『残念だけど、もう時間だ。さよなら…早乙女乱馬。』
シロの瞳から、銀色の閃光が飛び出し、その閃光で砕け散る…と思った瞬間だった。
真っ黒な闇が、シロの背後から、いち早く飛んできた。と、シロが解き放った閃光は、瞬く間にその黒い闇に飲まれていく。それだけではない。一緒に飛んできた別の黒いビーム砲が、シロに狙いを定めて命中した。
ドオン!
乱馬の目の前でシロの下肢が吹っ飛ぶのが見えた。
ジジジジと音を発てて、シロが公園の土の上に、ドオッと倒れ込む。小柄な身体のくせに、重量があるらしく、土にメリメリと胴体がめり込んだ。
「一体、何が起こったんだ?でも、助かった?」
ドキドキと乱馬の心臓が、鼓動を打った。と、黒い闇を飛ばして来た物体が目に入った。
「おめーは…ラビ?」
思わず、吐きだしていた。公園のベンチの上に、そいつがこちらを向いて、ちょこんと座っていたからだ。黒いうさぎ、昨日、乱馬を思い切り足蹴にして逃げ去った、ふざけた黒うさぎ、ラビ。
『蓮黒玖(レンコク)…貴様、何故ここへ来た…。今日は新月。月は無いのに…。』
完全に息の音は止まっていないのだろう。シロがラビに向かって、そう叫んでいた。
『あいにくだったな…蓮白玖(レンハク)。ふふふ、あの方が目覚めたのだよ。』
意味深な、でも、乱馬には全く分からない会話を、交わし始めた。
『ちっ!もう…目覚めてしまわれたのか…。』
『ああ。だから、一旦戻って、ムーンエネルギーを溜めて来たんだ。貴様を破壊するくらいの力は持っているぜ。』
『フン!用意周到だな!』
『蓮白玖。新月の夜に、貴様が乱馬を殺しに来る…と、睨んでいたからな。だから、見張っていた。悪く思うなよ。』
『悪くなど思わないよ。ボクらは、それぞれの主(あるじ)のために稼働しているのだからな。蓮黒玖。』
何か訳有なのだろう。シロはラビにそんな言葉をかけていた。
『だから、蓮白玖。貴様にはここで砕かれて貰うぞ!闘いに卑怯は無い…そう言ったのは、おまえだしな。』
『フン!生憎、ボクはまだ、破壊される訳にはいかない。だから…全力で逃げる!』
そう言うと、同時に、何かを投げつけたシロ。そいつは目の前で弾けて、閃光が光った。瞼を開けていられないくらいの光の渦が、辺り一面に立ち込める。もちろん、乱馬もまぶしさに目を開けていることはできなかった。
その光が、消える頃には、シロは忽然と乱馬たちの前から、姿を決していた。
『ちぇっ!逃げ足だけは早い奴だ。』
黒うさぎは、立ち上がりもしないで、ベンチの上からそう言葉を吐きつけた。
「おめえ…。俺を助けてくれたのか?」
信じられないという顔を手向けつつ、乱馬はラビの方へと向き直った。
『ああ、今、貴様に、死なれては困るのでな。』
はっしと見据えてくる、ラビの瞳はきつく、態度も横柄で、言葉も高圧的だった。何か行け好かない雰囲気を、感じた乱馬だった。
(こいつも、得体が知れない化け物…の仲間か。)
そう言葉を喉へ飲み込むと、ラビへと顔をたむけた。
「おまえも…アトロイド…なのか?」
乾いた唇で、そう問い質す。
『ああ、俺も、アトロイドだ。』
と即答された。
「消えた白いのと同じって訳か。」
『同じではないぞ、俺は「六徳(りっとく)」。あいつは「刹那(せつな)」だ。その違いは明らかだぜ。』
「りっとくにせつな?何だそれは!」
『アトロイドの性能階級だ。それぞれ、刹那、六徳、虚空と三段階ある。階級が上がると、その性能も段違いとなるからな。だから、俺は蓮白玖より上だ。』
「性能階級?一体全体、アトロイドって何なんだ?」
『そんなこと、貴様が知る必要はない。それより、とっとと帰れ。早乙女乱馬。』
と言い放って来た。
「帰れだと?」
『とっとと帰って、天道あかねを守れ。』
「てめーにいちいち、指図されることじゃねー。一体、あの白うさぎは、何故、俺を狙ったんだ?」
『おまえが、天道あかねの想い人だからだ。早乙女乱馬。』
「何で、それが、俺を殺すことになるんだ?訳わかんねーぞ!」
『まあ、せいぜい、蓮白玖には気をつけることだな。少し壊したから、暫くは大人しくしているだろうが、また、きっと、復活するぜ。しつこいからな。あいつは。…それから、一つ、忠告するが、もし、誰かに俺たちのことをしゃべったら、天道あかねの命は無いと思え。天道あかねの命は、こっちが握ってるってこと、肝に命じておけよ。』
そう言い放つと、ニヤッと白い前歯を見せて笑った。そして、フッと空に溶け込むように、姿を消した。
「こら!逃げるのか?逃げないで、ちゃんと全部説明しろーっ!」
まだ明けやらぬ空の下、乱馬の声が、響き渡る。
が、目の前から奴はもう姿を消していた。
バルルルと朝刊を配るオートバイクが、すぐ脇を通り抜けて行く。
三、
一体、あの連中は何だったんだ?
アトロイドって一体…。
とぼとぼ辿る帰り道。殺されかけた、不可解さ、理不尽さ、そして不快感と闘いながら、考え込んだ。が、考えれば考えるほどにわからないことが積み重なって行く。
一番衝撃的だったのは、うさぎに襲われ…よりも、殺されかけたことに尽きる。しかも、手も足も動かぬように、地面に縛り付けられてしまった。気も沸き上がって来なかった。
(あいつ…俺の、気を根こそぎ、吸ってやがった。)
腑抜けとまではいかなかったが、身体から、闘気が抜けていくのが、良くわかった。ひな子先生にかけられる、八宝五円殺の技にそっくりだったからだ。
(あいつらの、あの身体。生身じゃねえ…。アトロイド…謎の言葉だが、これだけはわかる。気を通わせた生命体じゃねえ…。むしろ、機械に近い…というか。機械よりも高度な生命体。)
ジジジと機械がうねるような音が、彼らの身体から、わずかだが漏れ聞こえていた。モーターのノイズのような音だった。感覚を研ぎ澄まさねば、普通の人間には集音できないくらいの小さな音だった。
それに、乱馬には意味不明な単語の羅列。「アトロイド」だの「ゼロノイド」だの…。それから、「性能階級」だの。
(趣味の悪い推理やSF小説を読まされているような気分だぜ…。)
そう思った。
ただ、わかっているのは、彼らの関わる何かに、あかねと自分が、まきこまれてしまったという事実だ。
(俺がここで殺されれば、あかねは助かるとか…ゼロノイド化されない…とか、意味不明なことを口走ってやがったな。あのシロい方。)
蓮白玖(レンハク)が白い方で、蓮黒玖(れんこく)が黒い方。多分、奴らの名前なのだろう。声も似ていると思った。男と女の違いはあるが、トーンが似通っていた。
(これはやっぱり…この前の山ごもりに関係していると、考えた方が、合理的だな。あかねのあの腕の傷とも関係しているのかもしれねえ。)
うすらぼんやりとだが、そう思った。
(あかねは、つる草に絡まった時にできた傷だって言っていたし、俺もそう思ったが…。もしかして、違うのかもしれねえ…。が、それを裏付ける証拠もねえか。もう一度、週末に、あそこへ行ってみるしかねーんだろうか…。でも、それは自滅行為かもしんねーし…。あかねを問い質しても、不安にさせるだけだろうし…。)
どうしたものかと、考え込むが、全く解決の糸口は見えない。
それに、この件は誰にも言えないと思った。最後に黒うさぎが、乱馬にわざわざ、他言は無用と、大きな釘を刺していったからだ。
(あかねの命は俺たちが握っているって…。一体、何の組織が絡んでるんだ?科学陰謀団か?生物兵器を使う連中…。いや、生物じゃなくて、機械だよな…。まさか、宇宙人じゃねーだろーな?)
呪泉の呪いを受けた身体だ。多少のことでは動じない。人外の者に対する寛容度も高い。が、薄気味悪さは感じる。
(とんでもねー奴らに、絡まれたもんだ!)
見上げると、東の空が白み始めているのが見えた。そろそろ夜が明けてくる。
そーっと屋根伝いに部屋へ入った。見事に砕かれたガラスに障子。
(このザマ、どう説明したらいいのかな…。本当のことは言えねーし、俺と親父がやり合ったって言っても、この破壊のされ方じゃ、言い訳も滑りそうだし…。)
部屋に入って更に驚く、蒲団に焼け焦げた大穴がいくつか開いていた。おまけに、庭の石塔が一基、粉々に砕け散っている。寝ぼけてやり合ったと言っても、誰も納得しまい。
(こりゃ、知らん顔していた方が得策かもしんねー。)
生真面目にそう思ったほどだ。
(ふわあ…。眠くていい考えが浮かばねーや。ひと眠りして、それから考えよう。)
呪泉郷に浸って以来、あまり物事を真剣に突き詰めて考えることは、無くなっていた。元々、頭で考えるより、筋肉で考えるタイプである。何より、お湯と水で入れ替わるこのふざけた体質とつきあっていくには、深く考えていたら、精神に異常をきたすのは明白だった。なので、乱馬も父の玄馬も、それから、良牙も、珊璞も、沐絲も、一様に、物事を深く悩むことはしない。良牙が、気に病む性格を持ちつつ、どこか、脳天気な部分を持ち合わせているのが、いい、証拠だ。
よって、睡眠時間に、は、どんな悩み事も影響はされない。横になればすぐに眠りに落ちることができた。食べて寝なければ、身体は回復しない。回復せねば、存分に力を発揮して闘えない。つまり、格闘家としては失格だ。玄馬の厳格な教えの一つでもあった。
いつの間にか、夜は明けきり、朝になった。
「乱馬!いい加減に起きないと遅刻するわよ!」
意外なことに、起こしに来たのは、あかねであった。
「あう…。」
枕を抱えこみながら、寝がえりを打った。
「あーっ!何、何なの?この蒲団ーっ!」
次に聞こえたのは、あかねの怒声。乱馬が敷いていた蒲団に、いくつかの焦げ跡を見出したからだ。
「ちょっと…何、窓も壊れてる!」
視線を移すと、窓が障子ごとすっぱりと切れ込んで、破壊されているではないか。
「乱馬ーっ!あんた、夜中に何やったのよ?」
鼻息荒く、乱馬を見据える。
「うるせー!もうちょっと、寝かせろー!」
ぐっすり眠りこんでいた乱馬は、耳元で怒鳴り散らすあかねに向かって、文句を吐きつける。
あかねが、プッツンくるのに、数秒も要らなかった。瞬時に、腰を落とし、乱馬の寝ている敷蒲団へと手をかけた。
「いーから、起きなさいーっ!」
哀れ、そのまま蒲団ごとひっくり返される。が、乱馬も大概、根性が据わっている。枕を抱えたまま、ゴロゴロと畳の上を転がり続け、それでも、なお、寝息をたてている。その無神経さに、あかねもあきれ果てた。
「いい加減にしてよねー!」
どっかーん!
最終的には、実力行使。
枕ごと抱えられ、畳の上に頭から突き落とされる。
「たく…。もうちょっと、小マシな起こし方ができねーのかー、おめーは!」
茶碗を片手に、あかねへと声をかける。脳天にはでかいタンコブ。それから、頬や額には無数のひっかき傷。
「起こしてもらえるだけ、ありがたいと思ってよね!」
チラッと見据えて来る瞳は冷ややかだ。
「それより…。乱馬君。お蒲団が焦げていたって本当?」
かすみが、お茶をいれながら、乱馬へと声をかけてきた。
「窓ガラスも壊したんだってねー。」
なびきも続いて吐きだした。
「それだけじゃなくて、常夜灯も粉々に砕けているんだけれど、乱馬くーぅん…。」
早雲もそれに続いた。新聞紙を持つ手が心なしか震えている。
ぎくり!
乱馬の肩が動いた。
(どう説明しよう…。)
「夜中、言い争う声をきいたんだけど…。何やっていたのかなー。」
なびきが漬物へと箸を伸ばしながら、問いかけて来る。
「あの…その…。良牙の奴が決闘を申し込んで来て。俺、寝ぼけてたから…。あんまり覚えて無くて…。」
苦し紛れに、良牙の名前を口走った。
その名前を聞いた途端、一同、納得した様子だった。
「そーか、良牙君か。」
「また、決闘しに来たのね。」
「できれば、他所でやってくれんかね?」
「あらまあ、修理代が必要になるから、今月、食費を思い切り抑えなきゃいけないわ。」
なびき、あかね、早雲、かすみの順に言葉を発する。
「す…すいません!」
頭を畳にすりつけて、ひたすら、謝る。
何とか誤魔化せた…と心の中では舌を出す。
「それより、おめー、もう体の具合はいいのか?」
制服姿のあかねに声をかけた。
「うん。熱は下がったわ。」
「傷は?」
「そう簡単に、治らないわよ。」
「痛むか?」
「ちょっとだけね。それより、急がないと遅刻するわよ!」
「っと、そーだな!悠長に歩いている暇はねーか!」
あかねと一緒に駆け抜ける通学路。やはり一緒だと、どこか駆ける足も軽い。
何も通学路に限ったことではなく、授業中も安寧に睡眠に落ちていけた。
何分、昨夜、睡眠半ばで決闘…という異常事態に陥っている。朝方引き上げて来て、そこから小一時間眠ったとはいえ、絶対睡眠時間は足りていない。それに、全力で戦ったダメージが残っている。となると、授業中、眠くなるのは必定。特に、午後の授業は、目を開いていることさえ、できなかった。
机に突っ伏して、惰眠を貪る。
「たーく!早乙女は!許婚が居たら居たで、安心してお昼寝かあ?大胆にもいびきまでかいてやがるな。答案用紙、呼ばれても、取りにもこないとは…。良い度胸してやがる!」
壇上からツカツカと歩いてきた数学教諭が溜息を吐きだした。まだ、若い教諭で、血気盛んな方だ。ひくひくと口がひきつっている。手には、三十点と書かれた乱馬の答案用紙を持って居る。
「ちょっと…乱馬。乱馬ってば…。」
隣の席から、慌ててあかねが眠りこける乱馬の袖を引っ張る。
だが、乱馬は気持ちよさげに眠り続けて、目覚める気配もない。
「いい…天道。放っておけ!でも、許婚の責任で、後で職員室まで連れて来い!たっぷり補習してやる。」
ヒヒヒと数学教師が笑った。が、メガネの奥の瞳は笑っていない。
「もし、連れて行かなかったらどうします?先生?」
恐る恐るあかねが尋ねると
「この点数のまま、成績表につけて、留年させてやろうかな。」
うすら笑いを浮かべながら、吐きだす。
「天道が先に卒業して、こいつが留年する…というもなかなか楽しいではないか。ふふふふ。」
どことなく、おぞましい雰囲気が漂い始める。この教師ならやりそうだ。そんなことを思い、つい、ゴクンと唾を飲んでしまったあかねであった。
「で?補習なのかよ。」
ふわああっとあくびをしながら、乱馬はあかねへ瞳を手向けた。
「ほんと、呆れたわよ。名前呼ばれても全然起き上がらないし。しまいめに、先生切れちゃったのよ。」
「無視していいかな。俺、もー眠くってよー。」
「知らないわよ。無視して帰ったら、この点数で成績を付けて、留年させてやるって言ってたわよ。」
「留年?」
「ええ。」
コクンと揺れる、あかねの頭。
「あたしが先に卒業しちゃっていいのかな?」
「あ…それは、やっぱ、不味い。非常に不味い。」
「じゃ、職員室まで、ついてくわ。」
「何でおまえまで一緒に来るんだ?」
「許婚の責任で連れて来いって言われたのよ。」
「何だそれ…。数学に許婚とか、関係あんのか?保護者ならわからなくもねーが。」
「こっちが聞きたいわよ。」
ガラガラっと入った職員室。数学教諭は乱馬の顔を見ると、にたりと笑った。
「天道、逃げないようについててやれ。」
と意味不明なことを言われて、職員室の片隅へと二人、一緒に座らされた。
「さて、今日の問題の総復習といくかね。どうせ、授業中ずっと寝ていて聞いていないだろう?みっちり、指導してやるから、その気でな…。」
数学教師の逆襲だ。
「あら、早乙女君。勉強熱心さんね。」
背後から担任のひな子先生が、ニコニコ笑顔で覗き込んでくる。
「できたら、帰りて―!」
「ダメよ…。一緒に卒業したいんでしょ?」
あかねが横から、チャイナ服の袖を引っ張る。
「たくー、何で俺ばっかりこんな目にあうんだ?」
「普段の行いと、成績が悪すぎるからな、早乙女は。」
数学の教諭がそう言いながら、笑った。
こうして、平穏を取り戻した乱馬は、望まぬ補習へと駆り出されたのであった。
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