◇らせつ

第八話 ナニワの草原にて


一、

 歪な形の月が粛々と上から照らしつけてくる。色はあかねの世界と同じ、白っぽい月。銀河の星々も、同じリズムでまばたくだけ。どことなく、無味乾燥としているのは、ここが造られた電脳世界の証かもしれない。
 ひなびた温泉宿を抜け出した、あかね、なびき、月波(女乱馬)の三人は、広々とした草原に居た。川沿いに少し歩いたところに広がる、壮大な平らな地平。よく見ると、麦畑だった。麦の穂が整然と月明かりに照らされていた。

「ここいらは、ナニワ国ご自慢の穀倉地帯なんだ。」
 月波があかねに説明をしてくれた。
 だが、あかねの瞳は瞬きを忘れるほどに、見開かれていた。
 彼女が見とれたのは、壮大な穀倉地帯ではなかった。穀倉地帯の向こう側に点滅する、ありとあらゆる光の塊に、言葉を飲み込んでしまったのである。
 そう、穀倉地帯の向こう側、暗闇に浮かび上がるのは、不夜城の如くきらめく、ど派手なネオンサインに彩られた建物群。 いつか、テレビや雑誌で見た、ラスベガスの遠景を思わせる光源。迷い人を誘い込むような、賑やかなイルミネーションが、あかねを驚愕に導いていた。
「あ、あれは?」
 あかねは、そのきらびやかなネオンサイン群を指さして、訪ねた。
「ああ、あれね。あれが、ナニワ国の王都、それから一際輝いている建物群が、セントラルパレスよ。」
 なびきがさらりと答えた。
「セントラルパレス…。人々のあらゆる、欲望が渦巻く娯楽街だよ。あそこで、明晩、クイーンズギャンブルが開かれる。」
 月波が付け加えた。
 欲望は美しいネオンサインとなって、漆黒の闇の中に悠然と点燈しながら浮かび上がっている。
 なだらかな丘陵の向こう側に広がる摩天楼。どことなく空寒い風景だと、あかねは思った。

「でもさあ、こんな街の近くで、狩りだなんて、本当にモンスターが居るの?」
 あかねは不思議そうに問いかける。あかねの常識から考えれば、こんな都会の近く獣が棲んでいるとは思えなかったからだ。

「いるさ。この辺りはよう、昔っから小動物の宝庫でもある。その小動物が、最近、赤い月の魔力にほだされて、凶暴化して暴れまわってるって話だ。」
 月波が言った。
「赤い月の魔力?」
 あかねは月波を見つめ返した。
「おめーだって、クノウ国で体験したんじゃねーのか?それとも、オコチャマは早く寝るから、午前零時、俺たちの言葉で「魔の刻」まで起きてられなかったとかかあ?」
 月波が侮辱したように言い放った。
「あたしだって、十二時くらいまでは起きていられます!」
 あかねはちょっと怒ったように、口を尖らせながら続けた。
「赤い月なんて、どこにもないじゃない。今、天空に輝いているのは、白い月よ。」
 と月を指さした。
「ほら、つい最近も赤い月が照ってたじゃん。覚えてないの?」
 なびきが口を挟み込んだ。
「最近も赤い月が照っていたですって?いつの話よ。そんな月、あたし、見たことないわよ。」
 あかねはピシャリと言い切った。
「あんたが、森の中で迷子になってた夜よ。あんた、あの晩の赤い月を見てないの?」
 なびきが問いかけた。
「クノウ国で迷子になった夜?そんな月、照ってたかしら…。」
 あかねは小首をかしげた。

 小太刀に襲われ、赤子をさらわれた晩のことをなびきは示唆しているのだろうが、肝心な赤い月の出現のことは、記憶の外に漏れていた。確かに、彼女も赤い月の元に居たのだが、いかんせん、赤子を盗まれたことに神経が集中してしまい、結果、赤い月が照っていることなど、お構いなしに無我夢中で奪還に動いたのである。
 従って、あかねの記憶からは、赤い月の事など、どこを探しても見つかる筈もない。

「まあ、良いさ。見てないなら今夜見れば良い。…多分、今夜、赤い月は照る。」
 月波は天空を見上げた。

「そもそも、赤い月って何よ?」
 疑問に思ったことを素直にあかねは問いただしていた。
 すっかり、川湯の中できいた、赤い月の呪いの話も、記憶から欠落している。

「真夜中過ぎに、月が赤く照り始める現象だよ。あの月が赤い血の色に染まるんだ。」
 月波は白い月を指さした。
「月が赤くなるの?何で?」
 満月が赤いまま空から昇ってくるのは見たことがあるが、照っている月がいきなり赤くることなど、聞いたこともない。
「何で、そんな現象が起こるのよ?」
 あかねはたたみかけた。
「さあな…。俺たちも何で月が赤くなるのか知りたいくらいだよ…。でも、確かなことは、月が赤くなると、普段大人しい小動物も凶暴なモンスターになる。そして、人を襲うんだ。」
 月波は月を恨めしそうに見上げながら言った。
「ふーん…。」
 あかねには、いまいち、ピンとこない話であった。
「ま、異世界から滑り込んできたお嬢さんにはわかんねーだろーけどよ。」
 ふうっと深い溜息が乱馬の口から零れ落ちた。

「仙人でもある、うちのお父さんが言うには、赤い月が頻繁に出現するのは、魔王復活が近づいた証(あかし)らしいわ。ついこの前まで、こんなにしょっちゅう、赤い月が出現することはなかったもの。せいぜい出現しても、魔王節の前後くらいのものだったのに。」
「魔王節?」
 聞きなれない言葉に、あかねはきびすを返す。
「一年で一番、昼間が短い日のことだよ。つまり、闇が台頭する日。」
「冬至のこと?」
「そうそう、冬至のことを、あたしたちは「魔王節」と呼んでいるの。」
「そう、月が赤く光るのは、魔王節の前後の短い期間だけだったわ。」
「そもそも、何故、冬至の頃になると月が赤く染まっていたの?その、魔王節っていうのは何?」
 一向に話の筋が見えないあかねが、なびきにたたみかけた。

「昔、この世界は羅刹鬼という魔王に支配されかけたわ。世は闇に満ち、モンスターたちが徘徊し、人の心も荒んでいた。
 その世の中を救ったのは「勇者様御一行」。勇者様は命を賭して戦いこの世界を魔王から解き放ったの。でも、魔王は死んだ訳ではないわ。魔力を奪われて聖なる山の頂に封印されただけ。」
「聖なる山?どこにあるの?」
 あかねは尋ねた。
「さあな…。」
「さあなって…。」
「魔王を復活させようと、人がとんでもない考えを起こさぬように、勇者様たちは一切を語らず、どの伝説にも歴史書にも示されていないわ。一説では、勇者様が一切の記録を残せなように、言霊をかけたって言われているわ。」

 「RPGゲーム」にありがちな、設定だとあかねは思った。

「封印されてもなお、この世に未練がある魔王が、月を赤く光らせるって、昔からそう言われているわ。聖なる山の頂で、力を奪われた魔王は、今も、虎視眈眈とその復活を夢見て赤い月を照らしているって…ね。」
「半年くらい前までは、赤い月が魔王節以外に照らし出されることもなかったのに…。ここのところ、頻繁になってきているしな…。」
「そうよねえ…。ひと月ほど前からは、ほぼ、五日に一晩くらいの割合で出現するようになったわね。」
 なびきも頷いた。
「魔王の封印が解けかかっているって証だぜ…。たく、魔王の封印場所は、一切の記録が残っていねーから、探し出して封印しなおすことも容易じゃねーしな…。」
 月波が恨めしそうに、空を見上げた。
 
「何だか良くわからないけど…、つまり、赤い月は、不吉の象徴ってことね?」
 あかねは問いかける。
「不吉の象徴なんて甘っちょろいもんじゃないぜ。赤い月が照り始めると、おとなしいモンスターも凶暴化する。そして、普段は人なんか襲わない家畜ですら、手に負えない化け物に変化することもある。いや、動物だけじゃねえ。人の心も荒んじまう。弱い人間は魔に侵され易いらしいからな。ここんところ、どこの国でも、盗人とか喧嘩とか、多くなってるって話だ。」
 月波が憂いを帯びた顔を月に手向ける。

「でも…。赤い月が照るって言っても、今夜がそうなるとは限らない…のよね?」
 あかねがたたみかけた。

「もー、さっきから言ってるでしょ?ここ最近は五日に一晩くらい、魔の刻限、つまり日付が変わる頃合いになると、月明かりが変化するって。前に変化したのが、小太刀に襲われた五日前だったから、今夜は赤くなる確率が高いわ。気象予言士もちゃんと赤い月警報を出していたもの。」
 なびきが答えた。
「この世界じゃあ、気象予報士じゃなくて、気象予言士なのね…。」
 あかねは苦笑いした。
「それに、赤くなってもらわないと…、クイーンズギャンブルへの参加料は貯まらない…。参加できなければ、木石は手に入らないわよ。それとも、勝ち取った御仁から盗む?」
 となびきはあかねを焚きつけた。
「もー、何で話が過激に走ってくのよ…。」
 はああっとあかねの口からため息が漏れた。
 しっ、と月波が静かにしろと、促した。月波の表情が硬くなった。
「どうしたの?」
 月波の変化を不審に思って、あかねは問いかけた。まだ、天空の月は白いままだ。

「ほら、セントラルパレスの鐘が鳴ってる…。」

 耳を澄ますと、確かに、あのネオン群から、かすかに幾重にも重なって、鐘の音が聞こえてきた。
 こんな夜中に鐘をかき鳴らすなんて…と、驚いたあかねだが、その音は、教会の鐘のように、リンゴン、リンゴンと刻を告げて鳴り響いた。

「あの鐘が、何?」
「鐘が知らせている時…そう、午前零時…「魔の刻限」が始まるぜ…。」

 月波が言い終わらぬうちに、、ふわりと生暖かい風が、草原をわたり始めた。
 生温い不気味な感触があかねの頬を撫でて通り過ぎる。何とも云えぬ、嫌な感じにとらわれた。

「そうら…、始まったぜ。赤い月のお出ましだ。」
 月波は上空の月を見上げた。つられて、あかねも月の方へ目を転じ、ぎょっとした。

 今の今まで穏やかに白く輝いていたいびつな月が、一瞬暗くなったかと思うと、瞬く間に赤い血の色へと、変化し始めたではないか。いや、それだけではない。月が赤色に染まるのと同時に、広い草原自体が、ぞわっとわなないたかのようにも思えた。

 尋常な感じではない。

 武道家の直感で、あかねはすぐさま、異変を嗅ぎ取っていた。



二、


「魔獣も蠢き始めたぜ。」
 月波の瞳が、月の赤さにほだされて、ギラギラと輝き始めた。
 月波が言うとおり、確かに、何か異様な気配が、辺りを取り巻き始めていた。

 ひとつ、また一つ。

 影が確実に増えている。
 唐突に出現する魔の気配。まるで大地からわき立って出てくるようにも思えた。
 

 恐怖が、あかねの上を支配し始める。飢えたオオカミの群れの中に放り出されたような感覚。

 この赤い月明かりの下、奴らは間合いを取りながら、じっと、こちらの出方を探っている。
 格闘大会の試合前の緊張感の比ではない。斃すか斃されるか。殺しあいの予兆だ。
 否応なしに、緊張感が張り詰めていく。
 ざわざわと草原が、生ぬるい風に揺れ始める。

「ちょっと…。何よ、これ。半端な数じゃないわよ。」
 モンスターたちの気配を探りながら、あかねは思わず、声を荒げた。
 ちょっと気配を探っただけで、二十匹やそこいらは居る。いや、おそらく、それ以上に囲まれているだろう。
 無数の鋭い瞳が、こちらを真剣にうかがっている。


「しめしめ、これで明日の入場料はいただきね。」
 少しでも緊張を解きほぐすためか、自分自身に言い聞かせているのか、なびきが己の武器をぎゅうっと握りしめながら囁いた。
 彼女は、「らしくない鎖鎌」を手にしていた。ジャリッと鎖が地面に当たって、音をたてる。
 この世界のなびきは、自分の知っている姉よりは、頼りになりそうだった。どうやら、姉のかすみが道場を仕切っていたのと同じように、この世界のなびきは、ある程度、己の腕に自信がある様子だ。
 あかねの世界のなびきなら、絶対にあり得ない身構え方だ。あかねの知っている姉ならば、こんな場面で、自ら進んで戦おうとは、絶対にしないだろう。
 が、今、目の前に居るなびきは、隠れるでもなく、逃げるでもなく。真正面から敵と対峙する気合いで満ち溢れている。
(なびきお姉ちゃんも、幼いころから道着を着ていたら、きっと、強くなってただろうなあ…。)
 ふとそんな考えがあかねの脳裏に浮かんで消えた。


「気を抜くなよ。獰猛な獣が、たくさんいやがるぜ。」
 月波はペロリと上唇を舐めた。
 彼、いや、彼女もまた、かなりの手練(てだれ)と見えた。
「相手の数に不足はないわ。全てが札束に見えるくらいよ!」
 なびきがほくそ笑んだ。

「さあ、行くぜっ!」
「了解よっ!斃して斃して斃しまくるわ。」

 月波となびきが気合いを入れた。
 と同時に、周りを取り囲んでいたモンスターたちも、一斉に、襲いかかって来た。

 ブワンワン。
 ガルルルル。
 ウォー。

 様々な、奇声をあげながら、こちらめがけて、牙や爪をたててくる。

「ちょっと、洒落になんないわよ!この数!」
 獣の数の多さを目の当たりにして、思わず、あかねが叫んだ。
「つべこべ言うな、集中しろっ!死にてーのかっ!」
 月波があかねをたしなめた。
 集中を欠くこと、それは敗北を意味する。
 一対一の悠長な戦いではなく、相手は数多だ。月波もなびきも、己に降りかかってくる火の粉を振り払うのに精いっぱいである。

 無我夢中で、襲い来る獣を薙ぎ払う。
 殺生は好まぬ…などと、そんな悠長なことは最早、言っていられなかった。
 やるか、やられるか。

「えいっ!やーっ!」

 あかねは必死で動き回った。獣は矢継ぎ早に襲い掛かって来た。斃しても斃しても、新手がすぐに襲いかかってくる。いくらっ空言の世界とはいえ、殺生する気にはなれなかった。最初は遠慮気味に、襲いかかる獣を薙ぎ払っていただけであった。
 その中途半端さが仇になったのか、あかねを弱いと見くびったのか、他の二人に比べて、あかねの方へ攻撃を転ずる獣が多く居た。

 と、カキンと音をたてて、一匹の野獣があかねの剣に食らいついた。ライオンくらいの四足動物だ。
「いやあっ!来ないでっ!殺したくないんだってばあっ!」
 あかねは咄嗟に、剣を上に薙ぎ払った。
 ギャインと声をたてて、獣が手前に転がる。が、すぐに立ち上がって、攻撃の姿勢をあかねに手向けた。
「たく、中途半端に闘うな!ここは戦場だぜ!」
 そう声をあげると、月波がすかさず、剣を獣の胴体めがけて突き立てた。

 ブシュッと音をたてて、獣の体が煙と共に変化する。そして、消滅したと思った途端、チャリンと音をたてて、金貨となって地面に散らばった。ゼニモンの末路だ。

「おまえなあ…。いつまでそんな甘っちょろい姿勢で戦ってんだ?いい加減、攻撃に対して、己の腹を決めろ。でないと、おまえが殺されるぜ。」
 月波はそう叫びながら、ひっきりなしに襲い来る魔獣を、剣で突き倒して行く。彼の頭越しに、なびきが鎖鎌を振りながら、良い調子で魔獣を斃している様子が見える。
 なびきや月波が攻撃した後、斃れたゼニモンは金貨や紙幣へと変化した。さっきから、チャラチャラと金貨が零れ落ちる音が鳴りやまない。


 それは、不可思議な戦いだった。
 血飛沫一つ、飛び散るわけではなく、斃されたゼニモンは金へと変化を遂げて消滅するだけ。
 魔獣を斃しても、血飛沫が飛ぶわけでもなく、ただ、金貨に変化するだけだ。その様子を目の当たりにして、殺生の罪の意識が、少し和らいだのも事実である。

「わかたわよ、いい加減、腹をくくるわよっ!」
 渋々、あかねも覚悟を決めた。
 ここで己が斃さずを貫いたところで、それに何の意味があるというのだろうか。
 それに、ここでやられて死ぬわけにはいかない。このままでは、己はただの「足手まとい」だった。

 意を決すると、あかねは剣を握りなおした。
「たく、世話がやけるぜ。やっと、やる気になったか。」
 月波があかねからすっと離れた。

「ええいっ、もう、どうにでもなれだわっ!そんなに死に急ぎたかったら、かかってきなさいよ。」
 あかねは、獣に向かって気炎を吐いた。
 持ち替えた剣を、振り回しながら、あかねも必死で襲い来る猛獣相手に果敢に闘い始めた。

 彼女の周りでも、ゼニモンが貨幣へと、次々に変化する。切りつけて息絶える寸前、獣は貨幣へと変化する。
 チャリン、チャリン、と金の飛び散る音が、赤い月の下に鳴り響く。

「ああ、素敵。いい音っ!」
 敵をしこたま斃したなびきが、金貨が散らばる音を耳にして、そんな言葉を吐き出している。
「ああ、この音が聴けるから、ゼニモン退治はやめられないのよねえ。」
 とうそぶいていた。

(やっぱり、どんな世界に居ても、お姉ちゃんはお姉ちゃんだわ。)
 苦笑いがこみ上げてきた。

「こらっ!集中しろって言ってるだろーがっ!」

 再び、あかねのすぐ脇で、月波の声が傍で響いた。
 そして、油断したあかねの頭上高くから襲いかかって来たモンスターへ一撃を食らわせる。
 手にしていた如意棒のような長い棒振の武器を、襲ってきた魔獣の大きな口めがけて、突き出した。

 ギャイン!

 悲鳴のような怒号を上げて、どさっとあかねの傍に倒れこむ。その大きさにぞっとした。大人の象くらいはあるだろうか。
 ドオオッと雪崩れ込むように、地面へ叩きつけられると、ひらひらと紙幣が舞い上がった。

 ひょうっとなびきの口笛が鳴り響く。かなりの大物だったようだ。
 

「たく!いい加減にしろよ。」
 月波がストンとあかねの横に降り立った。

「あ…ありがと。」
 礼を言おうとしたが、次なる襲来に声は掻き消された。

「ほら、ぼんやりしてないで、斃して斃して斃しまくるれ!バカッ!斃す気がないなら、足手まといにだけはなるな!」
 月波が叫んだ。
 名前は違えども、姿かたちは、女乱馬だ。あかねに対するその口の悪さは、この世界でも同じだ。

「わ、わかったわよ!あんたより、多く斃してみせるわよっ!」
 月波の言い方に、カチンときたあかねは、勝気な本領がむくむくと頭を持ち上げてきた。乱馬に似た月波に対するライバル心から、闘争心が改めて湧き上がったのだ。
 あかねは持っていた剣を握りしめると、己に向かってくる魔獣目がけて、上や横へと剣を振り回し始めた。真剣を持ったのはもちろん初めてだが、幼い頃から武道一般を良くする彼女は、もちろん、剣道もそれなりの腕前があった。竹刀と真剣との差はあれど、力任せに振るうのは得意中の得意だ。
 我武者羅になったあかね。こうなったら、怖いものなしだ。

 ばっさ、ばっさと、襲い来る敵に、剣を振り回し続けた。
 普通刃物は、そうたくさんの獲物を切り刻むことはできない。血のりですぐに刃が痛んで使い物にならないというが、ここはバーチャル世界。獣から血のりは飛び散らないから、余計な心配も無かった。



三、

 体力は無限ではない。
 さすがに、数十分、全力で動き続けると、おなかも減るし、スタミナも切れてくる。
 月波もなびきもあかねも、息が上がり始めた。
 敵を斃すたびに、肩が大きく上下する。

 まず、なびきにその兆候が現れた。
 足もとがふらついて、ゼニモンを斃した拍子に、後ろ側へと弾き飛ばされた。

「きゃっ!」
 小さな悲鳴が草むらで起こった。
「お姉ちゃん、危ないっ!」
 あかねが叫んだ。
 なびきが転がった後ろ側に、獣の影を見たからだ。
 そいつがなびきへと襲いかかるのは、自明の理。
 その様子を見て、月波が反応した。だが、月波の位置からは離れすぎていた。何より、まだ、数多、ゼニモンたちが襲い掛かってくる。あかねも反応しようとしたが、己にふりかかる火の粉を振り払うのが精一杯だった。

「くっ!間に合わねーっ。」
 気弾を浴びせかけようとした月波であったが、獣の動きの方が一瞬、早かった。

「お姉ちゃんーっ!」
 あかねの懸命の声。
 地面から立ち上がれないなびき。

 万事休す。

 その時だった。

「とつげきぃーっ!」

 傍らで声がしたかと思うと、大きな塊が、月明かりを背負って、獣の上へと落下してきた。

「な、何?」
 あかねと月波が目を見開いた。と、同時に、ドスンと大きな音が地面へと轟き、なびきに襲いかかろうとしていた獣がそいつの下敷きへとなって、沈んだ。

 チャリン…。

 土煙りと共に、耳に馴染んだ音が弾けて、なびきを襲おうとしていた獣が消えた。
 

「ゆ、郵便ポスト…。」
 あかねは眼を見開いた。獣を踏みつけたのは、街中で見かけるよりもでかい郵便ポストだった。真赤に塗られた派手な郵便ポスト。この世界にもあるのだろうか。
 いや、それ以上に、あかねは、その中身について、思い当った。
 「突撃」という言葉と共に出現した郵便ポスト…となると、やっぱり中に入っているのは…。

 正体に思い当たったあかねに対して、なびきも月波も、降ってきた赤い郵便ポストに、驚いた様子だった。

「は、箱が喋った?」
 なびきなど、ぎょっとして、郵便ポストを見返した。
「新手のモンスターか?」
 月波も、持っていた剣の切っ先を向けて、攻撃態勢をとる。

「助けてもらっておいて、失礼ねえ…。」
 スポンと音がして、郵便ポストの上部から、人間の顔が飛び出してきた。端正な顔立ちに、茶系のポニーテールにオレンジ色のリボン。

(やっぱり、紅つばさ…。)
 中から出てきた顔を見て、何故かあかねはホッとした。
 思ったとおり、郵便ポストの中身は「紅つばさ」であった。その事実を再認識して、安堵したのである。

「化け物…じゃなくって、着ぐるみか。」
 月波が持っていた剣を下げた。
「たく…ややこしいじゃないの。そんな格好で草原をうろうろされちゃ。」
 パンパンと土埃を払いながら、なびきも同調した。

「礼儀を知らない人たちねえ。危ないから助けてあげたんでしょう?礼くらい言いなさいよ。」
 つばさが口を尖らせた。
「ああ、ありがとね。おかげで助かったわ。」
 物のついでという感じで、なびきがさらりと流した。
「何、そのとってつけたような言い草はっ!ま、良いわ。このゼニモンを斃したのは私だから、このお金は貰って帰るわよ。」
 つばさは投函口から手を出すと、地面に転がっていた金をわしづかみにする。そして、一緒に落ちていたなびきの巾着にも手を伸ばした。

「ちょっと、何すんのよ!それ、あたしの財布よ。」
 なびきが慌てて、つばさを見上げた。

「いいから、いいから。助けてくれた御礼くらいするのは、常識よ。」
 
「冗談じゃないわ!あたしが斃したゼニモンの稼ぎよ、半分もあげられないわよ!」
 怒ったなびきが、つばさへと襲いかかった。
 カキンと金属の音をたてて、郵便ポストへと、なびきの鎖鎌が当たって跳ね返った。

「ちょっとぉー、命の恩人になんてことするのよー。」
 どうやら、金属製でできた郵便ポストのようで、なびきの鎖鎌では歯が立たなかった。
「返しなさいよ!その巾着はあたしの財布だって言ってるでしょう?」
 だが、なびきはなびきで、許す気もないようだ。果敢に攻撃をしかけようとする。が、この郵便ポスト、なかなか動きが早かった。月波もあかねも、ただ、呆気にとられて、見ているだけだった。

「もおー、全部、貰うなんて誰も言わないわよ。そうね、半分くらいかな…あなたの命料だから、このくらいが相応よね。」
 なびきの攻撃をひょひょいっとかわしつつ、巾着を適当に漁ると、ポイッとなびきへと投げ返した。

「じゃーね。また、ご縁があったら、お会いしましょう。」
 つばさは、郵便ポストの中へと首をすっぽりと入れてしまうと、
「とつげきーっ!」
 と叫びながら、草原の闇へと溶け出して、去ってしまった。

「悔しいーっ!命より大事なお金を、変な奴に持っていかれたわーっ!」
 地団太を踏んで、なびきが悔しがっている。守銭奴の彼女にとって、金を盗られるのは、何よりも屈辱となるのであろう。
「あー、悔しい、悔しい!」
 そう叫び倒すと、なびきは自ら、再び、遠巻きに見つめていた獣目がけて、襲いかかっていた。さっきまで感じていた疲労など、どこかへ吹っとんで行ってしまったような勢いである。

「あいつ…そんなに金が好物なのかよ。」
 あきれ顔で月波があかねに話しかけた。
「みたいねえ…。あんなに悔しがってるお姉ちゃん、現世ではあんまり見られないものねー…。」
「言ってる意味がよくわかんねーけど…すっげえ、悔しさだけは伝わってくるぜ。」

 後は、なびきの独壇場であった。
 金を持っていかれた悔しさかなうバネはなかろう。
 あかねも月波も基本、獣から襲いかかられなければ、決して己から攻撃をしかけなかったが、なびきは違った。
 ブンブンとものすごい勢いで、鎖鎌を持って、自ら獣へと立ち向かう。
 その鬼気としたなびきの形相に、獣の方が一歩後ろへと下がるくらいの勢いであったくらいだ。




四、

 どのくらいの時間が経過したのだろうか。

 そのうち、赤い月は地平線の向こう側へと沈んで行った。
 代わりに、空が白み始める。

「すげえなー…。おめえ、よっぽど悔しかったんだな。」
 ずっしりと金で膨れあがった巾着袋がざっと十個、いやそれ以上。
「あー、思い出してもムカつくわ!あの盗人!今度会ったら八つ裂きにしてやるんだから。」
 郵便ポストに持っていかれた銭が、余程、不本意だったのだろう。まだ、怒り心頭、なびきはブツクサとブウたれている。
 こんな姉を普段、見かけることはなかったので、あかねも苦笑いが零れ落ちた。
「まあ、良いんじゃねーの?あの変な奴にいくらか持って行かれたから、余計に頑張った結果がこれだからさあ。」
 と月波が慰めようとするが
「あいつに持って行かれなかったら、あと数万はあったのよ!」
 となびきの鼻息はますます荒くなる。
「それよか、どうだ?目標額、集まったか?」
 と月波がなびきに問いかけた。
「それは大丈夫のようよ。ま、参加費、一人百万は軽く払えるわ。」
 なびきが巾着をひとところに集めながら、呟いた。

「さて、帰るか…。」
 月波は立ち上がると、二人を促した。
「そうね…少しは眠って、疲れを取っておかないと、今夜がきついものね。」
 なびきも同調した。
「今夜?」
 あかねが尋ねると、
「今夜、クイーンズギャンブルへ行くんでしょ?賭場は夜通し行われるわ。だから、昼間、宿屋で寝ておかないと、体が持たないわよ。」
 となびきが荷物を担ぎあげながら言った。
「ふーん…。そうなんだ。」
「オコチャマは徹夜が続くと辛いだろ?」
 カラカラと月波が笑った。

 帰り道。草原をセントラルパレスの方向へと続く道を、人々がぞろぞろと歩く姿を見て、あかねは目を見開いた。
 どの顔も、疲れきっていて、足も口も重い。しかも、服はドロドロ。中には、怪我をしている人も少なからず居る。
 老若男女…と言いたかったが、圧倒的に、腕っ節の強そうな壮年の男が多かった。
 戦場からの引揚者…そんな形容がぴったりの道行だった。

「ねえ、この人たち…何?」
 あかねがこそっと月波に訊ねた。
「ああ、こいつらか?みんな、俺たちと同じだろうさ。」
 月波がさらりと言って退けた。
「俺たちと同じって…まさか。」
「ゼニモン退治でしょうよ。みんな、今晩の賭場へ入場するための路銀を、手っとり早く稼いで来た帰りでしょうよ。」
 なびきも答えた。

「ゼニモン退治…って。こんなにあの草原に人が出ていた訳?」
 あかねが目を丸くして訪ねた。
「あったりまえよ。草原中のゼニモンを相手に戦っていたら、あたしたちだって、命がいくつあっても足りないわよ。」
 なびきがうそぶく。
「金のない奴は、考えること同じだからなあ…。ゼニモンにやられた奴も少なからずいるだろうな。」
 月波が笑いながら言った。
「でも、そんな人の気配、微塵も感じなかったわよ。」
 とあかねが言うと、
「そっかあ?俺は所々で人が戦っている気配を感じたけどな…。」
 と月波が答えた。
「嘘っー。」
「嘘ついたって始まらねーだろ?現に、ほら、変なコスチューム着た着ぐるみ人間だって、居たろうが。大方あいつも、ゼニモン退治に来てた輩の一人だろうぜ。」
「あ…。そっか。彼が居たっけ。」
「彼?女だと思ったけど。」
「あはは、ああ見えて、たぶん、男よ、つばさ君だったら。」
「知り合いか?」
「…あたしの世界に同じ顔した人が居るから…。」
「そうね、あのふざけた人、見つけたら、ただじゃおかないわよ。」
 月波とあかねの会話に、悔しさを思い出したのか、なびきが辺りをきょろきょろと、つばさの姿を捜し始める。
「しつけーな…おめーも。」
 なびきのしつこさに、あかねも月波と一緒に頷いた。

 ナニワ国の王都へと近づくたびに、人の数も増続ける。もう少し行けば、彼らが泊っている川湯宿へと続く分かれ道になる。

 と、脇の畑道で人だかりがしていた。

「何かしら?」
 あかねが後ろから覗き込むと、米俵くらいの生き物に向かって、三人の男たちが、寄ってたかって棒きれを持って突っついているのが目に入った。
「ゼニモン?」
「まさか。もう太陽が昇ってるんだぜ。大概のゼニモンは太陽光に弱いのが常だから、夜明けと共に巣に帰るか、普通の獣に戻るぜ。」
 そう言いながら通り過ぎようとした月波の横をすり抜けて、あかねは男たちの前に立ちはだかった。

「やめなさいよ。良い大人が…怯え切ってるじゃないの。」

「あちゃー。また、こいつは面倒事に首突っ込みやがって…。」
 ふううっと月波はため息を吐き出して、足を止めた。

 見れば、鶏よりも少し大き目の黄色い羽の生えた鳥であった。傷ついているようで、飛び上がることができないようだった。

「飛べない鳥に向かって、何意気込んでるのよ、あんたたちは。」
 あかねは臆することなく、男たちを睨みつける。

「鳥だあ?こいつは、ついさっきまでモンスター化して暴れまわってた奴に違いねえ。」
「そーだそーだ、同情の余地なんかねーぞ。」
 男たちはあかねを睨みかえした。

「さっきまではモンスターだったかもしれないけど、今は違うでしょう?凶暴性だって抜けて、こんなに怯えきってるじゃないの。」
「このアマ、邪魔しやがるのか?」
「邪魔もしたくなるわよ。傷ついた生き物じゃないと、倒せないなんて、情けないったらありゃしない。」
「へええ、そんなに助けたいなら、金よこせよ。そーだな…。十万で譲ってやらあ。」
「いや、体でも良いぜえ…。」
 弱っちい女と馬鹿にしたのか、男たちはあかねを取り囲んで、にやにやと笑いだした。

「やめときな。おっさんたち。」
 月波が横から声を出した。

「おや、こっちにも可愛い、姉ちゃんが居るじゃないか。」
 月波を見て、男が汚い手を伸ばしかけた時、月波の瞳が赤く光った。
 はああっと気合いを入れると、コブシを前に突き出す。
 こぶしは別段、男の体に当たることなかったが、繰り出された気弾の風圧だけで、男はズズズッと仰向けに倒れこんだ。つまり、拳圧だけで男をぶっ飛ばしたのだ。
 
「何をするっ!」
 倒された男の仲間が、キッと月波を見返した。
「まだやるか?今度はこんなもんじゃ、すまないぜ。」
 再び、月波が身体中に気を巡らせた。
 ボウッと青白い気炎が、月波の背後に立ち上るのが、あかねにも見えた。それは、そばに居たあかねも、思わず、ぞっとするような冷たい気の炎だった。
 さすがの男たちも、月波の気に臆したのだろう。

「ちぇっ、わかったよ、お嬢さん方。」
「す、好きにしな!」
 そう言い残して、散り散りになってどこかへ行ってしまった。

「良かったわね。」
 あかねは、地面にうずくまる、黄色い米俵に声をかけた。
「ピーチク。」
 鳥は羽をバタバタさせて、それに応じた。鳥と呼ぶには、図体もでかいし、まん丸な体つきであった。

「げええ…。ブッ細工な鳥だぜ。こいつは…。」
 月波が呟いた。
「鳥というより、ボールね…。」
 なびきも頷いた。
(鳳凰の鳥に似ているかも…。)
 助けたあかねは、前に町内で暴れまわった迷惑鳥のことを思い出した。鳳凰の鳥。そう言われた鳥によく似ていたのだ。
 
 と、鳥はバタバタと羽をはばたかせて飛び上がった。飛ぶというよりは、浮き上がったと言った方が似つかわしかった。
 そいつは、何を思ったか、ふらふらと空へ浮き上がり、あろうことか月波の頭の上に、ちょこんと乗っかった。

「こら、こいつ、何しやがるっ!重いじゃねーか。」
 月波は怒鳴った。が、鳥は一向におかまいなしで、ピゲーと雄たけびをあげて喜んでいる。
「あらら、この不細工鳥、あんたが気に入ったみたいよ。命の恩人ですものね。」
 くすっとなびきが笑った。
「命の恩人はあかねだろー?俺は助け舟を出しただけだぜ。こら。乗っかるんだったら、あかねの頭に乗れっ!」
 と言ったが、鳥は月波の頭の上に陣取って、動こうともしなかった。
「ま、いいじゃん。ついてきたいなら、あんたも一緒においでよ。」
 あかねが鳥に話しかけると、鳥もクエーッと頷いたように見えた。
「くぉらっ!言っとくがこいつ、めちゃくちゃ重いんだぜ。っていうか、こいつ、人の頭にクソたれやがったーっ!」
 最早、悲鳴ではなく怒号である。

「いいから、いいから、早く帰って、朝ごはんにしましょうよ。お腹がすいたわ。」
 あかねは、先に立って、歩き出す。

 また、変なのが一匹。
 あかねたちのパーティーへと加わったのであった。



つづく





戯言8

 視覚的には、「鳳凰の鳥」を思い浮かべてくださいまし。そう、丸薬を飲んで大きくなる前の鳳凰の鳥で。



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