◇ミラージュ  〜ふたりのあかねの物語〜


第四話 通過儀礼(SIDE B)


一、

 ざわざわと、木々の枝が風に揺れる。
 夕闇に染まる古びた神社の石段下。そこから上方へ続く世界は、とても、都会の喧騒の外れにあるとは思えない空間だった。いや、都会の真ん中にあるからこそ、そこらじゅうの精気を含んでいるのかもしれない。冴えざえと研ぎ澄まされた聖域への入口。
 日暮れて人影もまばらだ。
 今日は朝から蒸し暑かった。
 雨の降る前の、何とも言えぬ不快感がある。雲が分厚く、月も星影もない。
 その下で待機する人影が二つ。
 この異次元世界の住人である乱馬と、別世界から来訪したあかね。二人とも純白の道着を着込んでいた。
 勿論、乱馬は、あかねが己の知るあかねと別人だとは気付いていない。
 それぞれ頭には真っ白い鉢巻を締めている。
 彼らの後ろ側には、天道家の人々、それから早乙女家の人々が、見守るように控えていた。早雲と玄馬は正月よろしく、羽織袴姿。かすみとなびきはよそ行きのツーピース、のどかは留袖と、それぞれバリッと正装していた。
 ある意味、ハレの場だ。
 更に彼らの横には、立会人として、小乃東風が控えている。彼もまた、羽織袴を着用していた。
 この世界の東風は、かすみが傍に居ても平気らしく、取り乱すことなく、平然と佇んでいた。

「二人とも、準備は良いかな?」
 眼鏡下の細い目を、乱馬とあかねに手向けて、準備が整ったか否かを確認する。
「ああ…整った。」
 乱馬はそれに答えた。あかねもコクンとそれに頷く。
「早乙女乱馬、汝、この先、どんな障害が待ち受けていようとも、天道あかねと共に、この神社の裏山を越え、時間内に奥社まで辿り着けるかね?」
「ああ、必ず時間までに辿り着く。」
 乱馬の瞳はぎらぎらと輝いていた。その瞳は、己が良く知る乱馬と同じく、強い光に溢れている。
「良かろう。数多な困難が待ち受けていても、伴侶となるあかねを守り、奥社まで進み給え。」
「天道あかね、汝、この先、どんな障害が待ち受けていようとも、早乙女乱馬に従い、奥社まで辿る事ができるかね?」
 東風は、今度はあかねへと尋ねた。
「はい、必ず成し遂げます。」
 あかねは意識的に小さな声で言葉を返した。この世界のあかねは、武道少女ではないようだ。だから、少し意識して「おとなしく」振舞わねばなるまい。
「良かろう。夫となる、早乙女乱馬を信じ、いち早く奥社へ辿り着けるよう、精進し給え。
 さあ、出立の時は来たれり!」
 東風は手を上にさっと差上げた。そして、勢い良く、手から爆竹を投げ落とした。

 バチバチバチッ。
 パンパンパンパン。
 
 爆竹は、火薬の匂いを振りまきながら、夜のしじまへとこだました。
 その音に反応して、奥へと続く、森の木々がザワザワと不気味な気焔を上げたような気がした。
 爆竹は社までの道に潜んで手をこまねいている妨害者たちに、何かの合図になっていたようだ。

「行くぞ!あかねっ!」
 隣りで乱馬が大きな声を張り上げた。
「は、はいっ!」
 二人は、大きく、石段へと一歩を踏み出した。

「乱馬君、あかねはしっかり頼んだよ。」
「二人とも、いってらっしゃーい!」
「頑張るのよーっ!」
 早雲とかすみとなびきが、声援を送る中、二人は、奥の社目指して、石段を登り始めた。

 石段は二十段ほどを登ると、すぐに、右へと折れていた。それに沿って右へと曲がると、もう、下で待つ、天道家の人々からは何も見えない。
 暗がりがずっと上に向かって続いているのかと思ったら、そうではなかった。
 石の燈籠、一つ一つに灯りが灯されている。祭の夜のように、石段を照らして、上へと続いている。どうやら、蜀の火らしく、ちろちろと橙色が揺れている。
 バサバサッと木立が風に揺れた。
 武道の心得があるあかねでも、薄気味悪さに思わず、身体に力が入った。

「大丈夫だ…。あかね。止まることなく、二人で上を目指そう。この上に、俺たち二人の真新しい世界がある。」
 乱馬はあかねの不安を察知したのだろう。
 すいっと左手を差し出して来た。捕まれと言わんばかりにだ。
 好意に甘えてすっと右手を差し出すと、そのまま固く、右手を握って来た。逞しく頼もしい手。
 己の世界の乱馬なら、自分から手を差し出すなど殆どしない。そんな事をしようものなら、彼自身が緊張して固まってしまう。
 だが、今、繋がれた手の持ち主は、落ち着き払っている。大丈夫だらからといわんばかりの、彼の想いやりが、手の温もりを通して伝わってくるのだ。

(この手は乱馬の手だけど、でもあたしの知っている乱馬とは違う…。)
 繋がれたあかねは、複雑な思いが浮き上がってきた。

 だが、そんな、複雑な心境はそう長くは続かなかった。

 そう。この森には「妨害者たち」が数多潜んでいるのだ。
 満を持したかのように、唐突に彼らの攻撃が始まったのだ。

 ざわっとあかねは背中で殺気を感じ取った。

「あぶないっ!」
 あかねが伏せるまでも無く、乱馬がざっとあかねへと覆い被さる。
 カンカンカンカン。
 金属音が立て続けに起こる。脇を見ると、お好み焼きのコテが、地面へと突き刺さっているのが見えた。
 乱馬は伏せ際、道端に落ちていた石ころを、殺気が向かってくる方向へと投げつけた。パシッと音がして、何かにぶち当たる。

「さすがやなあ、乱ちゃん。よう避けたな。」
 聞き覚えのある関西弁。右京だった。
 あかねの良く知る右京と同じく、ハッピ姿にお好み焼きの大きなコテを背中に背負っている。長い髪がゆらゆらと、夜風に揺れる。

「君の潜んでいる方向なんて、お見通しだよ!右京君っ。」
 乱馬ははっしと右京を睨み付けた。言葉遣いは紳士的だが、対し方は随分と荒い。

「今度ははずさへんで!」
 だっと右京が動いた。と、乱馬は地面に突き刺さっていたコテを引き抜くと、容赦なく、彼女へと投げ返す。
 シュッと音がして、右京の右腕をかすった。
「つうっ!」
 右京は思わず、苦痛で顔を歪めた。
 かすっただけとはいえ、右京の右肘辺りから、赤い血が少し滲み出ている。
 乱馬は、怯んだ右京に、容赦なく、もう一本、コテを投げつけようとする。思わず、あかねは乱馬の動作を止めていた。
「乱馬!続けざまに打つことはないわっ!」
と乱馬の動きを制した。

「くっ!借りは後で返したるっ!」
 不利と見たのだろう。右京は一端、後ろの闇へと消えた。

「たく…。あかねは…気が優しいんだから。右京を倒しそびれちゃったじゃないか!」
 乱馬は投げるのを止められたコテを握り締めたまま、あかねへと瞳を巡らせる。ギラギラした鋭い瞳。思わず、ゾッと背中が泡だった。
 うっちゃんと彼女を呼んでいる乱馬と違い、右京をそのまま呼び捨てにしていたことにも起因しているのかもしれないが、幼馴染みである筈の右京へ対する「思いやり」が一切感じられなかったのだ。或いは、この世界の乱馬は、彼女と幼馴染みではないのかもしれない。

「ここで倒せる敵を一人一人、きっちり先頭不能になるまでとどめを刺さないと、また、後で持ち返して攻撃してくるよ!」
 と、更にきつい言葉が乱馬の口を吐いて出て来た。
「たく…。今度は邪魔しないでくれよっ!」
 パンパンと身体についた土埃を手で払い落としながら、乱馬はあかねの腕を引っ張り、身を起し語気を強めて言い捨てる。
「う…うん。」
 小さく頷いた。
 この世界のあかねは、非戦闘少女だから、邪魔するなと言われても仕方がないのかもしれない。

「また、お客さんだ。今度は僕の邪魔をして、動きを止めるなよっ!」
 そう念を押す乱馬の表情は更に厳しくなった。
 あかねも思わず一緒に身構える。武道家の血が体中にわき立つのを感じながらも、ぐっと我慢する。

 と、闇の中から、鋭い糸状のものが伸びて来た。格闘新体操の道具だ。これからも、この、攻撃の主が予測できるというもの。
 しゅるしゅるっと音をたてて、あかねの前の石段がボロッと崩れた。
「はあっ!」
 あかねは、予めその動きを読み、はっと後ろ側へと避け飛んだ。
 だが、そいつはまだ執拗にあかねを粉砕しようと伸び上がってくる。
「やあっ!」
 乱馬はそいつへと狙いを定め、横から素手で絡め取る。そして、そのまま両手でそいつをたくしあげ、上へと引っ張り上げた。
「きゃああっ!」
 乱馬が素手で取ってくるとは思わなかったのだろう。
 その武器の主が、空へと舞い上がる。出て来たのは、やはり、小太刀だった。
「そうれっ!」
 乱馬は手繰り寄せた小太刀を、そのまま、脇の大木へと叩きつける。
「あああっ!」
 小太刀の悲鳴と共に、バキバキバキッと木の茂みが折れる音がする。
「でいっ、やああっ!」
 乱馬は容赦なく、木へと叩きつけた小太刀に向かって、気弾を一発、浴びせかける。
 ポワッと蒼白い光が乱馬の手から飛び出し、小太刀を包んだ。鋭い気砲が小太刀を襲った。
 
「くっ、無念…ですわ!」
 がくっと小太刀の頭が垂れると、そのまま茂みの中へと落ちていく。

「一丁上がりだ!」
 乱馬はパンと手を叩くと、当得意げにあかねを見返した。どうだと言わんばかりにである。
 その容赦なき姿に、あかねの心がずきんと痛んだ。

 この世界の乱馬は、女だからと己の攻撃に手を抜く主義はないらしい。攻撃してくる者は、女だろうが情け容赦がないのだ。
 それは、この世界のあかねを大切に思う気持ちから沸き立っているものなのか、あかねは判断に迷ったが、とにかく、攻撃して来る者は打ち砕く、そんな主義が強く感じられる。

「さてと、まだ、半分以上、ある。先を急ごう。」
 乱馬は、にこっと笑いながらあかねを促した。
「う、うん…。」
 あかねはコクンと頷くと、彼の付き従って、再び一緒に上を目指した。



二、

 どうやら、二人の邪魔をしているのは、三人娘たちだけではないらしい。
 他の気配も、ビンビンに感じていた。
 遠巻きに刺すように見詰めてくる視線が、幾重にもある。
 案の定、数メートルもいかないうちに、攻撃が加えられる。

「あかね君、御免!」
 そう言いながら、頭上から木刀が振り下ろされてくる。九能帯刀だった。
「きゃああっ!」
 身体が、反射的に動いていた。
 あかねの見事な蹴りが、九能の顔に入っていた。
「ううむ…。なかなか強烈なお御足…。我が青春に悔いなし…。」
 鼻血を滴らせながら、九能はそのまま、ドサッと地面へ沈んだ。

「結構、やるじゃん、あかね。偶然にしても、上出来だ。」
 乱馬はにっと笑った。
 今のは、偶然が成せる技ではなく、あかねの実力であった。が、まさか、あかねに戦闘能力が備わっているとは思っていないのだろう。乱馬は、びっと親指をあかねに差上げた。

 と、その時だった。
 今度は、地面が唸った。メリメリメリッと音をたてて、足元からばっくりと割れた。
「爆砕点穴!」
 聞き慣れた声が、割れた地面から響き渡る。
「させるかっ!」
 乱馬があかねを抱えると、ふわりと上へ飛んだ。
 木の枝がざわざわと鳴った。

「乱馬っ!どこへ隠れたーっ!」
 地面から這い上がってきたものの、乱馬たちの姿は見えない。
 本当は、すぐ上の、木の上に居たのだが、そこまで視界に入らなかったようだ。
「どこだ?どこへ行きやがったあーっ!」
 叫びながら、真下の道なき森へと入るのが見える。
「うおおおおっ!」
 猪突猛進。一度、突っ込んだら、曲がる事を知らない、純情男、響良牙。この世界の彼も、方向音痴は相当なもののようだった。

「行っちゃった…。」
 ほおおっと、あかねは、乱馬の腕に捕まりながら、溜息を漏らす。
「良牙の奴、相変わらず、方向音痴で助かったよ…。」
 二人、顔を見合わせてくすっと笑う。

 と、ポツンと上から滴り落ちる水。
 ポツ、ポツポツ…。
 断続的に、降り始めた。雨だ。
「ちぇっ!とうとう、降って来たか。」
 恨めしそうに乱馬は上を見上げる。

(そっか…。この世界の乱馬は、雨に当たっても変身しないんだっけ…。)
 あかねはしげしげと彼を眺めた。
 己の知る乱馬は、雨に当たると、途端、女体変化してしまう。だが、この乱馬は雨に打たれても、彼は、変身することなく、男のままだ。
 あかねから見れば、変身しない乱馬は、画期的だった。
「どうした?そんなにジロジロ見て。」
 あかねの視線が気になったのか、乱馬が不思議そうに問い返してきた。
「あ…。いえ、別に…。」
 まさか、女に変身しないから、思わず見惚れた、などとは言い出せない。
「夜半に通り雨があるって天気予報では言ってたからな。ちぇっ!良い男が台無しだ。」
 と、ナルシスト的な言葉を吐く辺り、余裕があるようだ。
「さてと、できるだけ早く、終わらせちゃおうか。」
 そう言うと、彼はあかねを抱きかかえたまま、木の上から下へと飛んだ。

「見つけたある!」

 乱馬とあかねの近くに潜んでいたのだろう。
 今度は、シャンプーが二人目掛けて襲って来た。

「っと!」
 乱馬はシャンプーの攻撃をかわそうと、あかねを抱えたまま、横へ飛ぼうとした。

「食らえっ!ゴム入り焼きそばやっ!」
 と、今度は、反対側から、右京が技を仕掛けてきた。彼女の必殺アイテムの一つ、ゴム入り焼きそばが、あかね目掛けて飛んできた。

「しまったっ!」
 そう思ったのも束の間。
 あかねの右足に、ゴム入り焼きそばは絡みつく。弾力のある焼きそば麺があかねをそのまま、後方へと引っ張り挙げる。

「きゃあっ!乱馬あっ!」
「あかねっ!」
 ぐいっと、あかねを引き戻そうと、乱馬は懸命に態勢を整えようとしたが、シャンプーの攻撃がそれを許してはくれなかった。
「行かせないねっ!乱馬の相手はこの私。」
 シャンプーは果敢に乱馬に飛び掛ってきた。その両手には金瓜錘(きんかすい)が握られている。彼女の常備武器だ。
「くっ!」
 襲い来る、中国娘の攻撃をいなしながら、乱馬はあかねの傍に近寄ろうとした。だが、想いとは裏腹に、あかねには近づけない。それどころか、完全に引き離されてしまった。

 始めからそれが狙い目だったようだ。
 一人一人では乱馬にかなわない。ならば、あかねを彼から引き離してしまえば、少なくとも彼女は奥の院まで辿る事は不可能だろう。乱馬一人が辿り着けたところで、二人一緒でなければ、祝言の履行はかなわない。この世界のあかねは武道の素養がない。それを利用したのだ。
 少女たちの苦肉の作戦であった。

 まんまと、乱馬からあかねを引き離す事に成功した右京は、にっと不敵な笑いを浮かべた。
「気の毒やけど、あかねちゃん。乱ちゃんの元へは行かせへん!ここで時間が過ぎれば、今回の祝言は延期や。」
 右京は絡め取ったあかねへと、そう声をかけた。
 あかねは、怪我こそしなかったが、道着がそこらじゅう、すりむけている。右京のゴム入り焼きそばは、まだ彼女の右足にしつこく絡み付いていた。
「悪いけど、ここでウチと大人しくしとってな。タイムアウトにさえなってしもうたら、別にウチはあんたを倒す気はあらへん。恋敵とはいえ、あんたを傷つけて、乱ちゃんに疎まれるのは、さすがに後味悪いからな。」
 あかねを縛り上げようとでも思ったのだろう。右京は、そんな言葉をかけながら、あかねへと近づいた。

 あかねは、ぐっと拳を握り締める。
 こんなところで、へたっていては、異世界のあかねに未来を託したこの世界のあかねに申し訳が立たない。自分はこの世界のあかねではなく、通りすがりの異世界のあかねだが、だからと言って、闘いにこんな形で終止符を打たれるのは御免だった。

「あたし、負けるわけにはいかないの!」
 あかねは果敢にそう吐きつけると、反撃に出た。
「なっ!なんやてっ!?」
 驚いたのは右京だ。
 この世界のあかねは、お嬢様然としている。武道の心得は皆無の筈だ。それなのに、いきなり、凄まじい蹴りを食らったのだ。
 あかねの蹴りは破壊力がある。右京は後ろ側に吹っ飛んだ。

「いきなり何すんねん!」
 右京はコテを手に、いきり立つ。

「大人しくさらしとったら、怪我もせえへんって言うのに…。」
 右京は右手で大きなコテを握り締める。

「大人しくする気なんか、さらさらないわっ!」
 あかねの中に、闘争心が、一気に燃え上がる。
 乱馬と完全に引き離されたのは、彼女にとって「好都合」であった。彼の目がないということは、正体がばれるという危険を回避できる。そう、乱馬の前でおとなしぶって押さえていた己の実力を、洗いざらい発揮できるのだ。
「でやああっ!」
 あかねは怯むことなく、真正面から右京へと飛び掛って行った。
「しゃあない、加減はできへんでーっ!」
 右京はあかね目掛けて、大きくコテを振り下ろした。

 ガツンッ!

 大きな音がして、コテが地面へと叩きつけられた。すぐさま、右京はコテを振り下ろした先にあかねが居ないことに気がつく。そう、あかねは、一瞬の刹那、コテから逃れ、後方へ飛んでいたのだ。
 ビュンッと、あかねの足に絡まりついたゴム入り焼きそばが伸びる。
「こんどはあたしから行くわよっ!」
 ゴム入り焼きそばが戻ろうとする反動を利用して、あかねは、飛び退いた先にそびえていた木の幹を、思いっきり蹴った。
「うわああっ!」
 あかねの見事な蹴りが、右京の胸へと真っ直ぐに入った。反発の勢いをつけたゴム入り焼きそばの物理的力も作用したのだろう。右京はコテごと、真後ろに吹き飛ばされていく。
「ううっ!あかねに負けるやなんて!こんなこと、有りえへんっ!」
 無念そうに虚空を描きながら、右京の身体が地面へと沈んだ。そして、そのまま、気絶してしまった。

「ふう…。何とか倒せたわ。」
 あかねは右京が持っていた巨大コテを手にとると、そいつで絡みついたゴム入り焼きそばを、切り取った。

「さてと…。こうしちゃいられないわ!乱馬を探さなきゃ!」
 あかねは、辺りの気配を伺いながら、陰の中へと繰り出した。



三、

 あかねは、乱馬の元へ行こうと、辺りの気を探った。
 神経を研ぎ澄まし、辺りを伺って驚いた。
 この神社の聖域の中、一際、大きな気と気が激しくぶつかる場所がある。恐らくそこに、乱馬が居る。己が良く知る、優柔不断のナルシストとは、少し気の質が違うようだ。
「乱馬…。今頃、あっちでは上手くやってるのかしら…。」
 思わず、零れ落ちる言葉。
 脳裏に、この世界の大人しいあかねと、自分の許婚が仲良く肩を並べている想像図が浮かび上がった。己と違って、彼女なら、乱馬に上手く甘えられるに違いない。
 何故だろう、とっても寂しい気分になった。

 だが、あかねには、そんな感傷に浸る時間など、無い事を思い知らされる。不穏な気配を、数多、身近に察したからだ。

「何…。これ…。」

 気を研ぎ澄ますと、居るわ居るわ。一人や二人の気ではない。さっきから、己と距離を詰めるように、蠢いている人影。
 いったい、どのくらいの人がこの山の中に入っているというのだろうか。
 と、すぐさま、後ろ側から、いくつかの気が飛び出してきた。

「あかね君、早乙女なんか放っておいて、僕とデートだ!」
「いや、あかね君は僕と祝言さ!」
「乱馬なんか放っておいて、僕と遊ぼうよ!」
 ザザザザと茂みから音と共に、男が数人、飛び出してきた。
 いずれも、どこか見覚えのある顔ばかり。良く見ると、それは、風林館高校の男子生徒たちだった。
 それも、一人、二人ではない。総勢、何十人もが、一気にあかね目掛けて殺到してきたものだから、たまらない。

「きゃああっ!」
 あかねは悲鳴を上げながら、彼らと対峙することになった。

 どうやら、この世界のあかねが非力なのを良い事に、男たちが集ってきていたようだ。
 まるで、乱馬が風林館高校へ転校してくる以前の毎朝の格闘遊戯のように、群がり来る。あの時の彼らは、あかねへ交際を迫るため、交戦を望んでいたが、彼らの世界のあかねは、普通の女の子だから、もっと下心がストレートであからさまだ。
 力尽くで何とかなるとでも思っているのだろう。
 飢えるハイエナの如く、あかねに向かって群がってくる。
 だが、対するあかねは、気弱な少女ではない。名うての格闘少女、天道あかね。最近こそ、数多の男子生徒と対峙していなかったが、それでも、彼らを排斥することなど、造作も無かった。

「こんのっ!あんたたちなんか、目じゃないわよっ!」

 ひょいひょいと、面白いほどに、空へと投げつけていく。

「あかね君…。」
「強い君も魅力的だあ…。」
 思い思いに、言葉を遺しながら、男子生徒たちは暗がりへと沈んでいった。

「たく…。どいつもこいつも…。」
 さすがに数多の少年たちを相手したあかねだ。肩で息は切れてきた。

「へええ…。あかねさん、ってなかなか強いんだ!」
 相手を全て倒した後、最後にもう一人、少年が現れた。
「誰っ?」
 厳しい表情が手向けられる。
 木陰に佇んで、じっと見詰める瞳には、乱馬と同じく野性の輝きがぎらついている。
「良牙君…。」
 ハッと息を飲んだ。
 さっき、森の中へと爆砕点穴を打ちながら、行ってしまった彼が、再びそこに立っていた。
 己の世界の良牙と、少し雰囲気が違う。そう思った。彼女の世界の良牙は、どちらかというと、煮え切らないタイプで、自分に迫って来たことは無い。自分に好意を寄せていてくれているようだが、鈍いあかねには、それに恋愛感情が含まれていることなど、気に留めたこともない。それに、彼には、雲竜あかりというガールフレンドも居る。
 なのに、この世界の良牙はあからさまに好奇の目をあかねに手向けてくるではないか。

『それぞれの世界が違う分、同じ人物でも、少しずつ性格が違ってきますからね。』
 最初にそんなことを言っていたモリスの言葉が思い出された。

「良牙君…。何?」
 あかねは、平然を装いながらながら、良牙と対峙した。
「何って随分だなあ…。僕がここに居るのは、そこに倒れている連中と、同じ理由です。あかねさん。」
 こちらの良牙も、律儀な言葉遣いであかねに対する。
「同じ理由って…。」
「乱馬と君の祝言を妨害し、あわよくば、乱馬と成り代わって君と祝言を挙げることです。」
 良牙は、淡々と言葉を継いだ。
「乱馬と成り代わって祝言?」
 あかねは身構えながらも、果敢に対峙した。
「この通過儀礼には裏ルールがあるんですよ…。祝言に異議を唱える者は、妨害ついでに、油揚げをさらっていくことが出来るってね。」
「な、何ですって?そんな事、訊いてないわよ!」
 あかねは思わず吐き出した。
「そりゃそうでしょう。ゆえに、裏ルールと呼ばれているんだから。」
 くすっと良牙が笑った。見たことも無いような、冷たい笑いだった。背中がぞくっとしなる。
 ゴクンと唾を飲み込んだ。
「僕も宣戦布告。…ってことでよろしく。あかねさん。」
「よろしくされても困るんだけど…。」
 あかねは、身構えながら答えた。
「いや、是が非でもよろしくしてもらう。」
 良牙はそう言いながら、あかねへと襲い掛かる。
「冗談はやめてよっ!良牙君!」
 あかねはさっと横へ飛んだ。バキバキッと小枝が折れる音がする。雨で足元は滑りやすく、踏ん張るのがやっとだった。
「逃げても無駄さ。あかねさん。」
 良牙は、余裕があるのか、鬼ごっこの様相で、あかねを追いかける。本気を出せば、すぐにでも捕えられるだろうに、良牙はわざと、ゆっくり、追っているようだ。

(とにかく、逃げなきゃ!)
 あかねは危機的状況を回避するために、懸命に、道なき道を登った。鬱蒼と茂った山道。
 だが、良牙は、間合いを確実に詰めながらあかねを追いかけて来た。
 方向音痴の筈の彼。途中でまこうと何度も思ったが、予想に反して、彼は遅れをとらずに、あかねの少し後方から、ピタリとくっついて追いすがってきた。それだけ、体力に差があり過ぎるのだろう。あかねの歩調など、彼にとっては、問題視されないくらい、ゆっくりとした歩みだったようだ。
 身を隠すため、物影を探して逃げ惑ったが、これだけ余裕を持って追いかけられては、無駄だった。わざと、すぐさま捕まえずに、追いかけっこを楽しんでいる節もある。いや、案外、あかねが疲れ切るのを待っているのかもしれなかった。

 どのくらい、夜の森を逃げ惑ったろうか。
 ふっと気がつくと、建物の影が視界に入った。
 神社の宮作りのそれだ。どこにでもあるような、ひなびた木造の神社が、立っている。その前は少し広めの平坦な広場になっていた。
 逃げ惑った末に、辿り着いた場所。
 だが、あかねはすぐさま、まずい事に気がついた。その社の奥には、これ見よがしに、土塀が高く築かれていたのである。つまり、よほどの脚力が無い限り、そこから向こう側へは逃れられないという事だ。
(行き止まりだわっ!)
 あかねは、ハッとして、後ろを振り返った。
 足場もなければ、木も傍になかったので、這い上がる事も出来ない。その場で足踏み状態になってしまった。
 これ以上は逃げられない。

 あかねは、逃げるのを諦めると、だっと、身構えに転じた。

 良牙との力の差は歴然としていたが、このまま、手をこまねいて、彼に良いようにあしらわれるのだけは嫌だった。
 一矢でも報いよう。
 悲壮な決意で、良牙の前に立ちはだかったのだ。

「あかねさん…。あくまで僕と戦うつもりですか?」
 良牙は、静かに語りかけた。

「ええ…。あなたが、これ以上、あたしに近づくというのなら…。」
 あかねはぐっと良牙を睨みつけながら、それに応じた。

「それじゃあ、遠慮なく、あなたをねじ伏せさせていただきます。」
 紳士の良牙から、そう発せられた言葉。
 彼の目が獣に変わった瞬間だった。

 万事休す。

 あかねはグッと両手に気を込めた。



つづく




一之瀬的戯言
 今更ながらですが、「SIDE A」は現世界を、「SIDE B」は異世界を現しています。
 「そのAとBには何ぞ意味があるのですか?」と追求される方がいらっしゃるかもしれませんが、特に意味はありません。強いて言うなら、レコードのA面とB面です。ひも理論ではそれぞれの次元を「プレート」と呼び習わすようなので、そこから貰ったイメージで創作をしております。(ああ、アナログ世代ということが丸分かり…。)
 で、肝心なA面(現世)はどうなっとるんじゃ?…次第五話は現世へ跳びます。B面はこのままお待ちください。(邪悪すぎる!)


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