◇心の扉〜深い河を越えて


三、苦難

 あかねはそのまま東風の接骨院へ入院という形で隔離されていた。
 隔離と言うには語弊があるかもしれないが、とにかく本人は天道家へ帰りたがらなかった。
 次の日の夕方、乱馬はあかねを見舞いがてら病室へ顔を出した。
 あかねは案の定、乱馬を見るとそのまま固まってしまった。動揺が走るのが痛いほどわかった。
 乱馬は少しでもあかねをリラックスさせるために、彼女の病室に入る前に水を被り、女の形になっていた。
「よお。」
 女の形はしていても中身は健康そのものの少年。
 あかねもそれはわかっているのだろう。乱馬からあからさまに顔を背けた。正面切って己を見てくれない寂しさに、わかってはいたが、心が痛んだ。
 何を話すわけでもない。あかねは乱馬が居る間はずっと蒲団を被って明後日の方向を見ている。ただ、静かな時を刻むだけであった。乱馬も敢えて話し掛けず、傍の椅子に座って、ぼんやりと外を眺めていた。
 東風も天道家の人々も心得ていたようで、乱馬が来ると蜘蛛の子を散らすように居なくなった。
 だが、あかねは喋らない。
 それは、乱馬に限ったことではない。東風にもかすみにものどかにも、何一言発さずにじっと病室に佇んでいた。
 言の葉を失ってしまったのか。それともただ、喋りたくないだけなのか。
 乱馬も彼女の傷が痛いほど己に迫ってきて、男のまま傍に行くことだけはどうしてもできなかった。

 そんな日々が何日か続いた。

 情けないと通う度に思った。逃げないで彼女の傍に居ると決意したにも関わらず、この体たらくである。男のまま、何度も病室の前に佇んだが、一歩を踏み出せずに居た。そして、いつも、廊下の水道をひねり、水を引っ被る。それから何事もなかったように「よお。」と一言だけ言って病室へ入るのである。
 あかねの表情は固く閉ざされていて、笑顔は消えて久しい。ここへ入る度に痩せこけていくような気がした。口から栄養を補給しようとしないらしく、時々点滴を打たれているようだった。
 身体に受けたたくさんの裂傷は日毎に癒えて、包帯もいつしかバンソウコウへと取って代わった。
 乱馬は夕刻、学校がはねると、必ずここへ来た。そして小一時間、彼女の傍らでじっと座っていた。 
 一言も言葉を交わさなくても、彼女の心の動きは手に取るようにわかっるような気がした。本当は人恋しくて、俺と話したい、そう思っていて欲しいという願望がそう錯覚させるだけなのかもしれないが。
 いつ話し掛けられても、好いように、じっと座っていた。が、毎度彼女は口を開かずに居た。
 小一時間経つと、東風が夕食を運んでくる。
 あかねは決まって東風を見ると、コクンと首を垂れる。
 でも、その目には恐怖がじわっと広がっているように見えた。きっと男たちの記憶がフィードバックするのであろう。東風という親しい間柄の年上の男性でも「おとこ」というだけで、拒否反応を示す。
 この道理がわかる若い接骨医はあかねの初恋の人である。あかねは兄のように慕いながらいつか報われぬ夢に溺れていたことがある。それなのに、そんな東風にすら、向けるあかねの表情には、恐怖が詰まっているのだ。
 そんなあかねの表情を見るだけで、心が潰れそうになった。

 意気地がない。

 そう思った。
 男の形で彼女の前に立てない己。
 彼女に全否定されるのが、怖いのだ。それも良く分かっていた。
 もし、あかねが己の形に怯えてしまったら。そして、二度と会いたくないと思われてしまったら。

 夕食が始まると、乱馬はいつも静かにその部屋から消えていた。もっと傍に居たい。居てやりたいと思うのだが、乱馬自身、憔悴しきったあかねを見ていられるのはその位の時間が限界であった。
 だが、彼は、病室を出ても、そのまま帰りはしなかった。
 彼は、そのまま、隣りの部屋へ移り、そこで朝までじっとしていた。息を殺し、空(から)のベットに横たわり、夜中そこに居るのである。朝日が昇る前、そこを立ち去るまでじっと佇む。
 あかねの傍に居たいと心は強く欲していた。
 たとえ同じ部屋得なくても良いから、少しでも近くに居たい。
 東風は黙ってそんな彼を何も云わず、好きなようにさせてくれた。
 あかねの部屋の電気は夜中ずっと点いていた。暗闇を事の他、怖がっている様子だった。夜になると、かすみと乱馬の母が交代で泊り込みにやってくる。彼女たちもまた、乱馬がすぐ隣りの病室に居ることをちゃんと知っていた。
 
「心に受けた傷を癒すには、時間がかかるだろうね。」
 東風は用を足しに診察室に下りてきた乱馬を見るとそう声を掛けた。
「あかねちゃん、きっと葛藤し続けているんだよ。君の顔を見ているのが一番辛いかもしれない。でも、どんな形でもいい。出来る限り傍に居ておあげよ。乱馬君。」
 乱馬は黙って頷いた。言われないまでもそうするつもりだった。
 思ったよりも長丁場になりそうなことは容易に予想がついた。待つしかない自分が、惨めに思えた。

 と、外でカタンと音がした。見ると良牙がボロボロになりながら入ってくるのが見えた。
「良牙っ!」
 乱馬は呼び止めた。
「おう…。乱馬か。ここはあかねさんの入院している病院か…。やっと着いた。」
 彼はそう言うなり、ボロボロになった身体と荷物をどさっと床へ投げ出した。
「あかねさんが病気になったというのは本当か?」
 疲れた表情で良牙は乱馬を見た。乱馬はこくんと頷いてみせる。
「お見舞いへ行きたいのだが…。」
「ダメだ。」
 乱馬は冷たく言い放った。
「何故だ?」
 良牙はガバッと起き上がると乱馬を睨んだ。
「そうか、おまえ…。ヤキモチ妬いてるな。他の男にあかねさんのパジャマ姿を見られたくないとか。」 
 良牙には全く事情が飲み込めていないようだった。ただの怪我や病気程度という認識しかないのだろう。表向きには「流行り病で入院中」ということになっていたからだ。鵜呑みにしているらしい。
 尤も、あかねの実情は、第一線級の極秘事項にされていたので、良牙が知らなくて当たり前の話ではあった。
 流行性のある病でへたっているので、面会は謝絶というのが真相だった。勿論、小乃接骨院に入院していることも家族以外には知れていなかった。総合病院に入院していると思われているはずだった。この隠遁作戦には、なびきの力も大きく働いている。裏で情報を操作しているのだ。珍しく無償であった。彼女もまた妹のことを最大限に心配している一人であった。
 だから、なびきは不用意に接骨院へは近づいてこなかった。
 乱馬自身が一番警戒しているのは、やはり、シャンプー、右京、小太刀の三人娘だ。あと、九能帯刀だ。ややこしいときにややこしい連中とは行き会いたくない。いつもに増して彼は用心深く、あかねのところに出入りしている、そんな状態だった。
「とにかく止めても俺は行くぜ。」
 良牙は鼻息が荒い。
「ダメだって言ってるだろ?」
 乱馬は睨みつけて言った。当たり前だ。東風ですらあの調子なのである。良牙だとあかねがパニックに陥りかねない。それだけは阻止しなければなるまい。
 両者の睨み合いが続いた。
「俺は行く。」「いやダメだ。」
「何故だ?」「何でもいいだろうっ!」
 両者の罵りあいは激しさを増す。
「仕方がないなあ…。」
 二人の若者の様子を傍で見ていた東風はそう言うと、ばっさと良牙の頭から水をかけた。
「ぷぎ、ぶるるるるる…。」
 良牙はそう言うと瞬く間に黒豚へと変身を遂げた。
 急に何しやがると言いたげに東風を睨みつけた。東風は子豚に変身した良牙を摘み上げると乱馬に言った。
「乱馬君、Pちゃんとして彼をあかねちゃんのところへ連れて行っておあげよ。」
 東風はそう言った。
「でも…。」
 乱馬はまだ躊躇して東風を見返した。東風の真意がどこにあるのか呑み込めなかったからだ。
「Pちゃんは子豚だから。あかねちゃんも警戒はしないだろう。それに…。心を閉ざしてしまった患者は小動物と付き合うことで少しずつほぐれてくることがあるんだ。だから、Pちゃんが傍に居れば彼女も少しくらい心を開くようになるかもしれないじゃないか。」
 Pちゃんがあかねの心を解きほぐす鍵になるということ自体が本当は我慢ならないことであった。本来ならばあかねの傍に居てメンタルケアをするのは己の役割だと強く思っていたからである。
 Pちゃんへの嫉妬が、頭を擡げてきた。
「あかねちゃんのためだから。」
 そんな複雑な乱馬の心の動きを察したのだろう。東風はゆっくりとそう言い含めた。
「仕方ねえか…。ちぇっ!連れていってやるよ。だけど…。一言だけ言っておく…。」
 乱馬はPちゃんのバンダナを摘み上げると、顔の前に持ってきて睨みつけた。
「おめえがこれから見聞きすることは、絶対に秘密だぞ…。何を見たり聞いたりしても、一切それに首を突っ込むなよ。それから俺に対しても何にも絡むなよ。それが守れない時はあかねの傍で良牙に戻してやるからな…。男と男の約束だぞ。」
 乱馬は少女に、良牙は子豚に変身しているのだから、男と男の約束というには語弊があったが、当人たちは至って真面目であった。良牙、もといPちゃんも、乱馬の様子がいつもと違うので、コクンと一つ頷いて見せた。



四、現実


 あれから数日が過ぎた。
 Pちゃんを傍に連れて行ってから、少しあかねは変わった。
 東風が睨んだとおり、心に病を持った彼女は、小動物に対しては、少しだけ構えていた心の扉を開いた。
 乱馬は相変らず女の形のまま、距離を持ってあかねの傍に侍っていた。
 彼としては本当は面白くなかった。
 己がどう足掻いても、こじ開けることさえできなかった心を、Pちゃんが開いたという事実が。
 
 あの夜、良牙をPちゃんに転身させて、乱馬はあかねの前に連れて上がった。
 病室でぼんやりと天上を見て、寝そべっていたあかねが、Pちゃんの姿を認めるや否や、起き上がった。彼女の目は一瞬だが輝いた。昔宿していた瞳の光に、立ち戻ったのだ。
 だが、乱馬の存在を認めると、またすぐに身構えてしまったが。
「Pちゃん…。」
 少しだけ唇がそう動いた。
 殆ど聞き取れないくらいの小声だったが、確かにそう呟いた。
「こいつさあ、迷い込んで来ちまったんだよ…。ほら、おまえが恋しくて、匂いを嗅ぎつけて来たんだろうなあ。」
 乱馬は作り笑いをして、身構えるあかねのベットの上へとPちゃんを置いてやった。
 あかねは両手を開いてPちゃんにおいでおいでをする。
 Pちゃんはあかねの様子がいつもと違うことに戸惑いを感じながらも、ゆっくりとあかねの胸へと這い上がる。あかねはPちゃんを抱き締めると、嬉しそうに一瞬、表情が和んだ。
 Pちゃんを抱き締めるあかねを、乱馬は複雑な表情で見ていた。
 己には決して動かさなかった心を、Pちゃんには反応するのかという複雑な思い。

「我慢だよ。乱馬君。どんな形にせよ、あかねちゃんの心が少しでも動くことがわかったんだ。こうやって一つ一つ、凍ってしまった心を溶かしてゆくしか術はない。焦っちゃいけない。でも、最後には君自身の力が要る日が来るんだよ。そのときは存分に彼女を解放してやればいい。」
  東風は、乱馬の肩にポンと手をやると、そう呟くように言い含めた。
 それは分かりきっていたことであった。だが、目の前のあかねがPちゃんには少しだけでも心を開いたのだ。嬉しい筈なのに、ちっとも嬉しくない。
「バカ。」
 誰に向けたのでもない言葉を、こそっとそう吐き出した。

 
 数日たって、Pちゃんが血相を変えて飛び出してきた。あかねはもう寝入ってしまったらしい。
 夜中になって、彼は階下の診察室で、変身を解いた。
「乱馬…。てめえっ!!」
 良牙に戻った彼は、乱馬の襟足を掴んでそう凄んだ。
「何だよ、薮から棒に…。」 
 乱馬は良牙を睨み返す。
「ずっとあかねさんの様子がおかしいと思ってたんだ。てめえ…。」
 良牙はそう言うなり絶句した。
 どうやら真実をあかねの口から「真相」聴いてしまったらしい。
 あかねはPちゃんをただの豚と思っている。良牙という身近な人間が変身した姿であることを全く知らない。人間の言葉を解さないという気安さから、己に起きた出来事を語って聞かせたのだろう。
 良牙はふるふると手を握り締めて、乱馬を睨んでいた。
「そっか、あかねの奴、Pちゃんに話したんだな。」
「ああ、全て己の身に起こった忌まわしい出来事を洗いざらい話してくれた。」
 良牙は震えながら乱馬に言い放った。
「それは良かったな…。」
 乱馬はぶすっとしたまま良牙を見て言った。
「おまえは、いつだってそうだ。そうやって己を正当化しようとする。おまえに責任がないとでも言いたいのか?」
 良牙は涙を浮かべながら乱馬を見返した。
「おまえは何だ?あかねさんの何なんだ?許婚だろ?」
「ああ…。親が決めたな。」
 乱馬は無味乾燥にそう言って除(の)けた。
「バカ野郎っ!あかねさんはだから余計に苦しんでるんだ。本当はおまえに助けて欲しいって思ってる。このままだとあかねさんは己の手で命を縮めてしまうぞ。それでもおまえはただ見守っているだけなのかよっ!!」 
 良牙の目からは涙が溢れ出した。
「畜生っ!!」
 良牙は掴んでいた手を放すと、どすっと一発、拳を壁に向けた。
 ミシッと音がして壁に大きな穴が開く。
「おい。壊すなよ。」
 乱馬は背中越しに良牙にそう呟いた。
「何落ち着いてやがる。貴様っ!」
 良牙が声を荒げた。
 乱馬はそれには答えないで、崩れ落ちた土壁を手で拾い始めた。
「どうしておまえはそうやって冷静で居られる?答えろっ!」
 良牙は興奮して言い放った。
「俺が冷静だって?落ち着いているだと?誰に向かって言ってやがる。」
 土壁を集めてゴミ箱へ入れながら乱馬は続けた。
「俺は…。俺だって血反吐を吐きたいくらいの気持ちなんだ。だが、あかねは俺には何も話さないし助けて欲しいという目も向けねえ。俺は何をしてやれるっていうんだよ。P助には話せても俺には話せない。俺だって聞きたいよ。弱音だっていいから、聞いてやりてえよ。だけど、あいつがそれを望まない以上、俺は黙って見てるしかねえんだよっ!」
 声はだんだんと大きくなる。二階のあかねを起こしてしまいそうなくらいに。
 二人の若者の上を時間が重苦しく過ぎる。
 睨みあったまま時が過ぎる。
「じゃあ、良牙。おめえはこんな場合どうするんだよ。」
 乱馬は投槍に言い放った。
「いちいち俺が言わなければわからねえのかっ!」
 良牙は乱馬を睨むと、傍にあったポットをいきなり乱馬へと投げた。

「あちちっ!熱いじゃねえかっ!この野郎っ!!」
 
 熱湯を浴びた乱馬は良牙の奇行に思わず声を荒げた。
 少女だった身体はぐんと伸びて、湯煙の中から男の乱馬が現れた。
「現実から逃げたくなる気持ちは良く分かる。だが、それじゃあダメだ。おまえは、あかねさんの許婚だろ?本当に大切だと心から思っているならば、ウジウジと女の腐ったような格好してねえで、男で居ろっ!」
「良牙…。」
 乱馬は驚いたような目を良牙に向けた。
「たとえあかねさんが何でも打ち明けたとしても、それは…。俺、響良牙にではなく、あくまでもペットのPちゃんに一方的に話したに過ぎねえんだ。俺は…。俺はただの子豚のペットだ。それ以上でも以下でもねえ。だが、おまえは違う。少なくともあかねさんにとって、おまえは特別な存在なんだ。それがわからねえのかっ!この先、あかねさんと添い遂げようという決意があるなら、それを態度で示せっ!」
 そう言い終ると良牙はすっくと立ち上がった。

「何処へ行くんだ?こんな夜中に…。」

 乱馬は良牙に声をかけた。
「俺は旅に出る。暫くこの街には戻らねえ…。上手くやれよ。乱馬。あかねさんの笑顔を取り戻せるのは、おまえだけだ。」
 良牙は穏やかにそう言い置くと、くるりと背を向けた。
 そして意を決したように、リュックを背負うと、後ろ手にピースサインを出して見せた。
「あばよ…。乱馬。」
 それだけ言うと、彼はその場から夜陰へ消えた。
 乱馬はただ呆然と、良牙を見送るだけであった。

「彼が言うことにも一理あるね。」
 二人のやり取りを遠巻きで見ていた東風が乱馬に声を掛けた。
 乱馬は東風を黙って見返した。
「乱馬君、君はずっとあかねちゃんの前では女の形で通してきたろう?如何(どう)してだい?」
 東風はこぼれたままのポットを起こしながら乱馬に問い掛けた。
「何故って…。男のままじゃ、あかねは…。」
「怖がるって思ってるんだろう?」
 そのとおりである。男という不埒な生き物に食い物にされたあかね。彼女に余計な神経を使わせないために、ずっと少女のままで通していた。
「でも、それじゃあ結局のところダメなのかもしれないね。問題は解決しないんだよ。きっと…。」
 東風はそう言うと、ふいっとポットを持って部屋を出てしまった。

 後にポツンと残された乱馬。

 何気なく診察室のガラス越しに己の姿を映してみた。
 男の姿の己がそこにあった。
 良牙と東風の言葉が脳裏に浮かんでは消えてゆく。
(何故、己はずっと女の形をしていたのだろうか。)
 あかねを必要以上に怖がらせないためだというのはもしかして建前だったのかもしれない。ぼんやりと己の影を見ながら乱馬は考えを巡らせて行く。
 そう、恐れていたのだ。「男」としての己を全否定されることを。本当はそれが怖かっただけなのだ。女に変身できることを幸いに、現実逃避を図っていた。
 己の心の狭さが分かってしまった。
(現実から逃げているのは俺も同じじゃねえか…。それに俺は、あかねを全然信用してないじゃねえか。こんなことで、あいつの傍に一生ついていてやれる筈はねえ。)
 向き合わなければならない。或いはこれは、あかねの閉ざされた心との真剣勝負になるだろう。勝ち負けで物事の価値を判断するわけではなかったが、このままズルズルと時を過ごせば、あかねは良牙が言うとおり、命を縮めてしまいかねない。
 夜陰の向こう側の窓辺に映る己の投影に、あかねの笑顔が重なってゆく。
 煌くようなその笑顔。今のあかねには見えなくなった美しい内面からの輝き。
 取り戻したいと切に思った。
 他の誰自身のためではない、己のために。再びその笑顔が降臨することを望んで止まなかった。
 
「俺は絶対あいつの笑顔を取り戻す。」
 
 乱馬はぎゅっと握り拳を掴んだ。

「誰自身の為でもない。あかねの為に…。そして、俺の為に。」





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