◆神奈備

第三話 吉備津彦


一、 

 乱馬とあかねは倒した竜を見詰めて、呆然と突っ立っていた。
 奴の身体からは、闘気がすっかり抜け落ちていて、戦う意思はどこにも感じられなかった。とにかく、危機は一度(ひとたび)去ったようだ。

「お、おめえは、何だ?」

 恐る恐る乱馬が竜に近づいて問いかけた。
 手には剣を番えて、いつ彼が襲ってきてもよいように、身構えることだけは忘れなかった。

「お、おめえらけ?オラを覆っていた禍気(まがつき)から解き放ってくれたんは。」
 そいつは人懐っこい目を乱馬に差し向けた。
「そーか、そーか。おめえさんらが勾玉を浄化してオラを正気に戻してくれたみてゃーだな。」
 そいつは一人で納得しているようだった。一応、もう、乱馬たちを襲う気はないらしい。あれだけ武狂うように勃起していた剣がすうっと矛先を閉じてしまった。こいつを最早、敵としてみなしていない証拠だろう。不思議な剣だった。
 ふうっと溜息を一つ吐くと、乱馬は一旦、剣を鞘に納めた。
「おまえ、何て名前だ?」
 乱馬はじろっと竜を見詰めながら、問いただした。
「あん?おめさんこそ、誰じゃ?人に名前を問う前に、自分で名乗るのが礼儀ちゅーもんじゃねーだか?」
 助けてもらった割には偉そうな口ぶりである。
「まあ、ええ。先にオラが名乗ってやるだ。オラは吉備津彦じゃ。この神南備の森を守っとる。」
 えっへんとそいつは胸を張って見せた。

「吉備津彦だって?」
 乱馬はあかねを振り返った。
「そう、あなたが吉備津彦なの。」
 あかねが目を瞬かせて竜を見上げた。
「あん?おめさまたち、オラのこと知ってるだか?オラはおめさまたちとは今、初めてお会いするだが。」
 竜は小首を傾げて二人を見比べた。
「俺たちだって初めて会うさ。俺は、乱馬だ。で、こっちはあかね。」
 乱馬はざっと名乗って見せた。
「あたしたち、瑞枝媛さまに頼まれて、御魂を探すように言い付かってきたの。で、最初に吉備津彦を探せって言われて、この笛を吹いたら、いきなりあんたがあたしたちを襲ってきたのよ。」
 あかねは端的に竜に説明した。
「瑞枝媛さまだって?」
 竜はびっくりしたような声を上げた。そして、じろじろと二人の顔を見比べた。
「ほんに、おめさまたち、人間界から来なすっただか…身体の匂いがこの世界のもんとは違っとるわ。」
 鼻をひくつかせながら体臭をかいだ。
「こら、くさい物を嗅ぐような真似はよせやいっ!俺たちがくせーみてーじゃねーか!」
 乱馬が声を荒げた。
「悪い、悪い。つい癖だでなあ。ふむ、おめさまたちか。思金がこの世界に召喚した人間っつーのは。しっかしまあ…。こんなおぼこいガキンチョを呼び寄せるなんて、思金の奴も、大胆だな。」
 悪気はないのであろうが、その言い方にカチンと来た。
「ガキンチョで悪かったな。でも、そのガキンチョにやられたおめえは、それ以下かもしれねーぞ。」
「こらっ、乱馬ったら、そんな風に言っちゃダメでしょうっ!」 
 あかねが傍で嗜めた。
「まあ、ええが。実はオラ、人間界から助っ人を召喚したって瑞枝媛さまに言われてよう、泉を離れて様子を見がてら、こっちへ飛んできただ。ところがだ、あたり一面この霧でよう。方向を見失って彷徨ってただ。そしたら、いきなり、黒い生き物のようなモヤに襲われてよう、気がついたら正気を失って荒れ狂ってただ。そこを、おめさまたちに助けてもらったちゅーわけだ。」
 竜は癖のある喋り方で事情を説明した。どこの方言とも汲み取れぬ。変なイントネーションと言葉遣いが特徴的だった。
「黒い霧?」
 あかねは気になったのか、そう言葉を返した。
「ああ、黒い霧だ。そいつに襲われたら、正気を失っただ。何かこう、荒れ狂いたいような気分になって。頭が真っ黒になって、自分で抑えようと思っても利かない邪悪な力に支配されてしまったっちゅう訳だ。」
 竜は腕を組んで見せた。
「なるほどなあ。それで、額の玉が黒く輝いていたって訳か。そいつをこの剣で突いたら、元に戻れた…そういうことだな。」
 乱馬はようやく納得したようだ。
「そだ。そういうことだ。まあ、何にしろ、助かっただ。」
 竜はにっこりと笑って見せた。
「でもよう、意外だったな。思金が人間界からこの世界を救える神漏岐(かむろぎ)と神漏美(かむろみ)を召喚したって媛様が言ってたが、それがおめさまたちみたいな、ガキンチョとジャリンチョとはなあ。いやあ、まいった。まいった。」
 何がまいったのかよくわからないが、竜はそう言うとからからと笑った。
「たく、この世界の言葉は難しすぎるぜ。その「かむろぎ」と「かむろみ」って何なんだ?」
 乱馬は不快を表しつつ、竜を見返した。あまり、彼がガキンチョを連発するのも気に食わなかった。

「神漏岐は男神と神漏美は女神の力に通じる者のことだが。まあ、助っ人の異世界人とでもいうんかいのう。神漏岐は力強い荒くれ男、神漏美は美しき女性と相場は決まっとるんじゃが、腕白坊主とおてんば娘、ガキンチョとジャリンチョが二人かあ。まあ、こういう番狂わせもありかいのう。わっはっは。」
 
「期待はずれで悪かったわね。あたしたちだって、好きでこの世界へ迷い込んだんじゃないわ。」
 その言葉には、あかねもちょっとムッときたようだ。

「まあ、ええ。思金はしくじるような奴じゃねえだから、何かそれなりに「理由」ちゅうもんがあるんじゃろ。それより…。」
 吉備津彦は改めて二人を見比べた。
「聖魂探しをするんだべ?」
 そう言われて乱馬も頷いた。
「そ、そうだっけ。二つの、なんつーったっけ、玉を探さなきゃ、元の世界に帰れねーしな。」
「荒御魂と和御魂よ。もう、物覚え悪いんだから。乱馬は。」
「そうそう、それだ、それ、その玉。」
「じゃあ、行くかいな。ほれ。」
 吉備津彦はひょいっと背中を二人に広げて見せた。緑色のウロコがてかてかと光っている。
 乱馬とあかねは顔を見合わせた。
「ほんれ、何ぼさっとしとるんじゃ?はよう、乗らんけ。」
 吉備津彦はどうしたと言わんばかりの顔をした。
「乗っていいの?」
 あかねが問うと、
「当然だべ。早く乗って、探すだ。神南備の森は広えからなあ。満月の日までに、探し出さなきゃなんねーだが?」

 言葉に甘えて竜の背中に二人はひょっと乗っかった。

「もっと頭の方へ来るだ。そんなところだと、振り落とされるかもしんねえべ。」
 竜は二人にもっと上に来いと誘った。二人はもぞもぞと身体を上に動かせて、彼の頭の後ろ辺りに陣取った。角が生えていて、それを手綱にあかねが前に、そして、ぴったりと後ろから守るように乱馬がまたがった。
「ほんじゃ、飛ぶべ。」
 二人が背中に乗るのを確かめると、ふわっと吉備津彦は空へと舞い上がった。

「わあ、凄い。」
 あかねが歓声を上げた。
 どんどん遠ざかる地面。正面から吹き抜ける冷たい風。
「ひょおっ!いい気分だぜ。」
 乱馬もあかねの後ろから思わずこぼれる言葉。
 見渡す大地は緑。だが、上空へ上がると、所々、黒い霧に覆われているのが手に取るようにわかった。

「なあ、あの黒い霧は…。」
 乱馬が問いかけると、吉備津彦は難しい声を張り上げた。
「ああ、闇の連中の仕業だべ。あの霧は己の意思でも持っているかのように、この森の精霊を襲うんだ。そして、直玉(なおひたま)を禍玉(まがひたま)に変えていきやがる。」
 憎々しげに吐き出した。
「直玉?」
 あかねが問うと、吉備津彦は丁寧に説明してくれた。
「この森の精霊が身体に持っている勾玉のことだべ。オラは額に持ってる。この勾玉があの霧によってどす黒い禍玉に変えられた精霊は、さっきまでのオラのようになるんだ。自制心を失い、好き勝手暴れだす。」
「何のためにそんなこと…。」
「そりゃあ、あれだべ。この世界を禍つ気で覆い尽くし、闇の世界に変えたがってる奴がいるんだ。この森を闇の瘴気で満ちた魔界に変えようとしている罰当たりな奴がよう。」
「こんなに綺麗な森を闇の中に閉ざしたいのかしら。」
「綺麗な森だから、奴ら、目障りなんだろうよ。」
 あかねは黙ってしまった。下界が俄かに騒がしくなり始めたからだ。吉備津彦の下に広がる景色は、どす黒い霧に包まれていた。

「奴ら、こんなところにまではびこってきやがったてただか。」
 吉備津彦は苦渋に満ちた声を出した。
「なあ、ちょっくらええだか?」
「あん?」
「御魂を探す前に、個人的な用事を片付けさせてもらいてえだ。オラ、さっきからどうもそっちが気になって、御魂探しに気持ちが集中できねーだ。」
 吉備津彦は背中の二人に問いかけた。
「気持ちが集中できねーんなら、俺は別にかまわねーけどよ…。な、あかね。」
 乱馬が前のあかねに声をかけた。
「そうねえ…。吉備津彦さんが気になってることがあるなら、それを先に済ませてからでも、あたしたちはかまわないけど。」
 あかねも承諾する。
「集中力に欠けると、何かとへましちまうからな。オッケー。いいぜ。吉備津彦。」

「ありがてえっ!じゃば、お言葉に甘えさせていただくだっ!」

 吉備津彦は急降下した。

「わたっ!」
 乱馬は思わず前のあかねにぎゅうっとしがみつく。
「きゃあ。どこさわってんのよっ!エッチ。」
「ば、馬鹿っ!暴れるなっ!振り落とされっちまうだろうがあっ!」
「胸、さわんないでよーっ!!」
「けっ!まだ、膨らんでもいねーくせに、偉そうに言うなよっ!」

 吉備津彦は二人の怒声などお構いなく、黒い霧の中へと身を投じていった。




二、

「なあ、吉備津彦。黒い霧はおめえたちの玉を悪玉に変えるってさっき言ってなかったか?おい。」
「大丈夫なんでしょうね。さっきみたいに…。暴れたりしないわよね。」
 黒い霧を顔に受けながら乱馬とあかねが吉備津彦に問いかけた。
「ご心配ぇなく。神南備の神剣に突付かれて開放してもらったけんね、その力で、迫ってくる禍つ気なんて、へっちゃらじゃがっ!」
 ずんずんと吉備津彦は霧の中を進んだ。時々迫り来る森の木や岩を避けるのだろう。大きくうねりながら飛行する。そのたびに、乱馬はあかねの黄色い声と罵声が混じった言葉でけん制される。
「またあっ!どさくさに紛れて、触ったあっ!」
「だから、んなんじゃねーっつーてるだろうっ!誰が色気のねえ、ぺったんこの胸なんか…。」
 あかねに乱馬を殴りかかる余裕がなかっただけ、ありがたかったかもしれない。お互い、吉備津彦の蛇行飛空に、必死でへばりついているしかなかったからだ。
 口先だけで、わーわーとやりあった。

 やがて、吉備津彦はとある大岩の上にすっくと降り立った。岩というよりは小高い岩山と言った方がしっくりくるだろうか。
 谷底は平らな土地のようで、吉備津彦はその上からじっと何かを探していた。

「ここはどこだ?」
 乱馬が吉備津彦に問いかけた。
「オラの在所だ。」
「ザイショ…?。何だそこ。」
「住んでるところだ。」
「へえ、吉備津彦の家があるのか…。にしても、このいやな空気は。」
 黒い霧は吉備津彦の在所を包み込んで、数メートル先も見えない。重苦しい空気が立ち込めている。
 そればかりではなく、生き物の気配すら感じられない。
 吉備津彦の顔は途端厳しくなった。と、くんっと上に飛び上がった。

「吉備津彦?」

 彼は乱馬の問い掛けには答えないで、真っ直ぐにすっととある方向へと向かって飛んだ。

「え?」

 乱馬とあかねの鼻先を何かがかすめて通ったような気がした。と、突然霧の中から赤く光る眼がすっと浮き上がった。

「どわっ!」
「きゃあ!!」

 吉備津彦は空中に浮かんだまま動きを止めた。
 彼の頭の先にそいつは居た。じっとこちらの動きを伺うように、先方もゆらりと浮き上がっている。吉備津彦よりも一回り、いや、二回りほどでかい。
「く、黒い竜?」
「乱馬、見てあの額っ!」
「黒い勾玉。もしかして。」

「乱馬はん、言わずともわかると思うだが…。頼まれてくれんけ?」
 吉備津彦がじっと先の黒竜を見詰めながら言った。
「も、もしかして、奴の額の勾玉を剣で突いてくれって言うんじゃ…。」
「何かあの黒い竜とは訳ありみたいね。」
 あかねが苦笑する。
「頼むわっ!あいつ、オラの幼なじみなんじゃ。」
「幼なじみだあ?」
「今は禍玉のせいであんなに大きくなっとるじゃが、本当はオラとそう変わらん大きさなんじゃ。あいつを傷つけとうないんじゃ。頼むっ!」
 吉備津彦の目が真摯に乱馬に頼み込む。


「し、しょうがねえ…。やるっきゃねーか。」

 乱馬は促されて、さっと腰に結わえた剣を抜く。
 シャッっと音がして、その剣は再び、乱馬の手に入ると、一回り大きくなった。

「オラ、あいつの真上に飛ぶで、真上から突っ込んでくれや。オラんときみてゃーに、一気に突いてくれれば、あいつも正気に戻れるじゃろ。」

 なるほど、理にかなったことである。
 だが、問題は、黒竜と吉備津彦の大きさの差である。元々は吉備津彦と同じくらいの竜らしいのだが、今はその倍、いや、三倍は長さも大きさもある。
 すいいっとそいつは、吉備津彦を牽制するように飛び始めた。
「やっぱ、オラのこともわがんねーみたいじゃな。安芸津は。」
 吉備津彦は一緒に上空を飛びながら、苦笑した。
「あきつ?」
 乱馬はその問いに訊き返した。
「あいつの名前だべ。めんこかろう?」
「あのな…、んなことはどうでもいいんだ。とにかく、俺があいつの額の玉目指して飛び降りられるように、しっかり飛べや!」
「おうがす。とにかく、あいつを正気に戻すだす。」

 黒竜にはなかなか隙がない。睨みあうように二頭の竜は上空を牽制しあって飛びまわる。
 だんだんとその動きが速くなってきた。
「あかね、しっかりつかまってろよ。振り落とされるなよっ!」
「う、うん。」
 まるで遊園地のジェットコースターに乗ったように、身体が激しく上下する。武道を嗜んでいるあかねでも、かなりきつい空気の流れだ。必死で吉備津彦の角にしがみついていた。

「そろそろ行くでーっ!」
 吉備津彦は一言叫ぶと、更にスピードを上げて黒竜へと近づいていった。
「今だっ!!」

 乱馬は勢い良く、飛び出した。
「うおおおおおーっ!!」
 腹の底から声を出すと、目の前にせり上がってくる黒竜の額目掛けて、剣を突き立てる。
 と、その時だ。鈍い光が黒竜の額から発光された。
「え?」
 乱馬が一瞬ためらいを見せたとき、黒竜がぐおんと一言戦慄いた。
 乱馬は剣を握り締めたまま、飛び降りた黒竜の黒光りする角を持って身体を落ちないように支えた。目の前を光りだす、黒竜の額の勾玉。
 やがて、その光が止んだとき、黒竜はしゅるしゅると縮み始めた。そして黒かった体がみるみる赤色へと変色を遂げる。やがて、その竜も吉備津彦と同じくらいの大きさになっていった。

「あれ?あたい…。」

 赤い竜は目をきょろきょろとさせて、一言、発した。

「安芸津、おめえも黒い霧にやられただか。」
 吉備津彦が地面へと降り立った。
「吉備津彦っ。何やってるのさ。こんなところで。瑞枝媛さまのところへ行ったんじゃなかったのけ?」
 赤い竜は吉備津彦を傍に見つけて声を上げた。
「行っただが。んで、神漏岐と神漏美の二人を連れてきただ。」
「へ?…どこさいる?」
 赤い竜は辺りを見回した。そして、乱馬とあかねの二人を見つけた。
「でええ?このめんこい子供らが思金さまが召喚なすった神漏岐と神漏美なのけえ?」
 
 乱馬は内心ムッと来たようだ。だが、傍らのあかねがぐっとそれを押さえつけるように手を出した。
「喧嘩売っちゃだめだよ。乱馬。」
 先に牽制をかけたのだ。

「オラも驚いただが、どうやら、この子らが媛さまの言っておじゃった神漏岐と神漏美みてえじゃが。それが証拠に、安芸津の禍気を剣で取っ払ってくれたじゃが?実は、オラも助けてもらっただ。」
 それでも納得しかねるという視線を安芸津は流していたが、吉備津彦にいろいろと言われて、それなりに、己の前に展開している事実を受け入れたようだ。
「申し遅れたば、あたいは安芸津。吉備津彦の幼なじみの竜じゃ。このたびは助けていただいたそで、ありがとございました。」
 そういって長い首をぺこりと垂れた。
「あ、いえ、こちらこそ。」
「こっちは乱馬、あたしはあかね。呼び捨てでいいわ。よろしくね。」
 そう言ってにっこりと微笑むあかね。ぶっきらぼうな乱馬よりもあかねの方が口が立つようだった。

「それよか、この在所の荒れ方は何だだ?」
 吉備津彦は辺りを見回して驚きの顔を浮かべた。
「黒い霧が襲って来て、気がついたらこうなってただ。」
「じゃあ、オラやおめえのととさまやかかさま、じじさまも。」
 吉備津彦の問い掛けに、安芸津は顔をしかめて答えた。
「んだ、多分、あたいと同じように黒くなって、神南備をうろついてるじゃろうよ。この在所の皆が揃って暴れだしただ。驚いてあたいが何とかしようと近づいたらいきなり霧に包まれただ。」
「厄介だな。」
 吉備津彦はゆらゆらと長い緑の首を上へと揺らめかせた。
「何にしても、早く、和御魂と荒御魂を探し出さねば、この禍気の元は断てねえだな。」
「あたい、和御魂の飛んでった方向なら、だいたいわかるべ。」
 安芸津がひょいっと吉備津彦の方を振り返って声を掛けた。
「え?本当?」
 あかねの目が輝いた。
「んだ。たまたま和御魂と思しき青い光が飛んでいった方を見たんだ。」
 どうやら手がかりが早く見つかったようだ。
「方向さえわかれば、何とか探し出せるかもしれないわ。ねえ、乱馬。」
「あん?」
 乱馬はきょとんとあかねを見返した。
「もおっ!しっかりしてよ。瑞枝媛さまから「奇御魂」預かってきたんでしょうがっ!」
「お、おう、そだっけ…。」
「おお、奇御魂を持ってるのけ?じゃあ、案外早く見つけられるべ。あたいが見た方向へ行って、奇御魂の反応を見ればいいさ。」
 安芸津が目を輝かせて言った。
「あ、なるほど。そういうことか。忘れてたぜ。」
 乱馬はごそごそとポケットをまさぐった。と、布袋にしっかりとしまいこまれた奇御魂が手の中に現れた。
「おお、ほんに、それは奇御魂じゃあ。よっく、媛さまが差し出してくだされたなあ…。」
 吉備津彦は知っているらしく、首をもたげて覗き込みながら乱馬の出してきた勾玉を見た。奇御魂の勾玉は、白い石の塊のまま、乱馬の掌の上で鎮まっている。

「そうと決まったら、日暮れまでにちょっとでも進むだ。安芸津、御魂はどっちの方角へ飛んでっただ?」
「あっちだ。東の方向になるだかなあ。」
 安芸津はくいっと首をもたげて、和御魂が輝きながら飛んでいったという方角を指し示した。
「東雲(しののめ)か。和御魂らしい方角じゃ。」
「あん?」
「御魂は太陽ととても関係の深い玉じゃというで、東雲といったら太陽の昇ってくる方角だべ?」
「よくわかんねーけど、ま、いいや。早いこと行った方がいいな。ほらよ。」
 乱馬は持っていた剣を再び番えた。
 彼の指し示した方向には、いくつもの黒い影がゆらゆらと佇んでいるのが見えた。
「いやん、何よあれ…。」
「大方、ここの竜の連中じゃねーか?黒い霧にやられっちまったな。」
 乱馬の言うとおり、居るわ居るわ。いずれも大きな黒竜の形をしている。

「ちげえねえっ!あんだけ相手はさすがに乱馬はんでも、できんじゃろ。」

「相手にできてもしたかねーよ。いくつ命があっても足りねえ。」
 ごっくんと鳴る喉元。
「さ、早く乗るだ。オラの背中。」
 言われるまでもなく、乱馬はあかねの手を引っ張ると、吉備津彦の背中へ引き上げた。
「安芸津、おめえも飛び上がるだ。」
「わかった。」

 二頭の竜は連れ立ってすいいっと上空へと伸び上がった。
 それを見て、一斉に躍り掛かってくる黒い竜頭たち。そのうちの一頭が、吉備津彦のすぐ脇を掠めて伸び上がってきた。
「いやっ!」
 あかねは思わず顔を背けた。と、後ろから庇うようにかぶさる少年の身体。左手をあかねの胴に伸ばし、しっかりと彼女を抱え込んだ。
「頭低くしてろっ!しっかり角に捕まってろよっ!」
 乱馬はそれだけを言うと、さっと持っていた刀を振り向きざまに薙ぎかけた。ざっと鈍い音がして、一瞬、黒竜が戦慄いたように思えた。
「吉備津彦っ!ひるむな、いっけえーっ!」
 たち蓋がる竜たちを目前に乱馬が叫んだ。
「おうさっ!安芸津もしっかりと付いて来えやっ!!」
 吉備津彦は叫ぶと同時に、一気に上空へと駆けた。

「でやああーっ!!どけどけどけどけーっ!!」

 掛け声と共に、乱馬は左右上下に剣を振り回した。切っ先が迸る。迫り来る黒竜たち目掛けて振り下ろされる刃。竜たちは一瞬ひるんで後へ引く。その合間を、吉備津彦が一気に駆け抜ける。
 やがて、吉備津彦は黒竜たちを交わしおうせて、暮れなずみかけた大空へと駆け登った。

「ふう…。何とか抜けきれただか。」
「みてえだな。」
 乱馬は持っていた剣を再び鞘に収めるとにっと笑って見せた。

「乱馬…。手。」
「あん?」
「だから、その癖の悪い手っ!」
「あ…。」
 しっかりとあかねの胸辺りをつかんでいた。
「おめえ、全然、ふくらみがねえなっ!ペッタンこだ。」
「馬鹿っ!」
 あかねが後ろへ思いっきり突き飛ばした。
「わたっ!こらっ!落っこちたらどうするんでいっ!」

「もー、知らないっ!!」

「ははは…。オラの背中ではお手柔らかに願うだよ。」



三、

 二頭はそれから、黒い霧を裂けるように、東に向けて飛んで行った。
 明るく輝いていた太陽は、いつの間にか西の空へと傾きはじめていた。

「今夜はこのあたりで野宿だな。」
「妥当じゃがね。黒い霧も見えねーようじゃし。」
「おっし、暗くなる前に寝屋作ってやらねーとな。」

 上空を旋回しながら乱馬はとある川の畔を指差した。
「あの辺がいいんじゃねーか?」
「がってん承知じゃっ!」

 川原は静かだった。何の気配もない。潜んでいる精霊も居る様子はなかった。
 この後は、野宿に慣れている乱馬が、焚き木を拾い集めたり、地面を軽くならして、寝やすい場所を確保した。
「後は飯なんだが…。」
 動き回ったからだろうか。乱馬のお腹がぐううっと鳴った。
「なら、これは?」
 あかねは瑞枝媛が出がけにくれた、五色豆を取り出した。
「豆っか…。」

「おお、さすがに媛さまじゃあ。五色豆までご用意くださるとは。ありがたや…。」
 吉備津彦が頭を垂れた。
「確か、これ一粒で食事一回分まかなえるっていうようなこと言ってたわね。」
 あかねがごそっと取り出してみた。赤、緑、黒、青、黄のマーブル模様が交じり合う、不思議なおたふく豆くらいの豆だ。
「これ一粒でかあ?何だか腹が膨れても「食った!」っていう感じになりそうにねーぞ。」 
 懐疑的な目を差し向けて乱馬が覗き込んだ。
「罰当たり言うじゃねえだっ!この近辺の食料になる魚や木の実も奴らの黒い霧で毒されていにゃあとは限らんで、下手に口にはできん。そう思って媛様がくださった貴重な食料じゃ。そんなめっそうもねえこと口走ったらバチ当たるべ。」
 こくんこくんっと後ろで安芸津も同意している。
「でもよー。」
 乱馬はやれやれと溜息を吐いた。
「あんたって、ひょっとして、食いしん坊なの?」
 あかねがじっと見詰め返した。
「食は人間の基本だぜ。何かこういう物だけですましっちまうのって寂しかねーか?」
「まあ、皆でわいわいとご飯食べるのが、確かに楽しいけどね。」
「ほら見ろ。あかねだってそう思ってるじゃんか。」
「でも、吉備津彦さんの言ってることも正しいと思うわよ。つべこべ言わないで食べてみましょうよ。」
「はあ、ま、いいか。これから獲物を獲ってきたって、体力と時間の無駄だもんな。」
「決まりっ!」
 あかねは五色豆を吉備津彦にも安芸津にも一つすつ分けてやった。

「食事の前に…。そろそろ日も暮れただし、変化解かせてもらうだ。」

 五色豆を手に、まだ考え込んでいた乱馬の目の前で、吉備津彦がそんなことを言った。

「あん?」
 吉備津彦の方を振り返った乱馬は、己の目を疑った。

 ボンッ!

 爆裂音と共に、もうもうと立ち込める煙。吉備津彦が爆発したように見えたのだ。

「お、おいっ、吉備津彦っ!」
 何が起こったのかと、あかねも一緒に身を乗り出した。

 煙が上がってそこに現れたのは一人の少年だった。緑色の水干と袴を着用している。いわゆる「狩衣(かりぎぬ)」というあれだ。袴は短めに刈り上げられていて、動きやすそうな装束であった。
 髪は長く、乱馬のように後ろ一つでくくり付けられていた。歳背格好は十五歳前後というところだろうか。

「あ、あなた、吉備津彦…なの?」
 あかねが恐る恐る問いかけた。
「ああ、そうだ。これがオラの精霊としてのもう一つの姿じゃ。」

「吉備津彦が変化を解いたのなら、あたいも。」

 今度は安芸津がボンッと音を立てて、煙に包まれた。

「うげ、今度は安芸津の方かよ…。」
 煙の向こう側にもう一人、今度は少女が現れた。こちらも吉備津彦と同じくらいの歳背格好で、朱色の狩衣を身に着けていた。彼女も髪が長く、吉備津彦と同じように後ろに垂らしていた。

「おっどろいた。へえ…。おまえら、変身できんのか。」
 ほおおっと溜息を吐きながら乱馬が二人を見比べた。

「地上ではこの格好じゃないと、身体を横たえるのも面倒じゃけんね。」
「なるほど。そういうことか。」

「さて、今日は疲れたじゃろ?ゆっくり休んで、明日また、御魂を探すだ。ほれ、五色豆。食ってみろ。」
「あ、ああ…。」
 促されて、手にした五色まめをポイッと口へ含ませた。
 不思議な味がした。甘いような辛いような硬いような柔らかいような。もごもごと噛みほぐしてから飲み込む。
「おっ?」
 胃の中に流れ込むと、不思議と空腹感が癒されてゆく。いや、それだけではない。身体に活力が満ち溢れてくるような気さえした。

「どうじゃ?なかなか癖になる食感じゃろ?」

 にっと吉備津彦が笑った。

「ほんとだ。お腹もふくれたし、疲れも取れて爽やかな気分よ。」
 一緒に口に含んだあかねも、じっと己の腹を見ながら、感嘆にふけっていた。
「でも、俺は、やっぱり、ご馳走をたらふく食う方がいいな。何かよう。やっぱ、物足りないぜ。こういう食事はよう。」
 と乱馬。
「たく、あんたってば、本当に食いしん坊なのね。」
 あかねが呆れたと顔を向けた。
「どんなに粗末な食材でもよう、ちゃんと味付けして食うってーのが、基本だと俺は思うがな…。ま、いいか。腹も膨れたし。後は寝るだけだ。」
 ふわあっとあくびをして、乱馬はゴロンと横になった。
「もう、本当にガキなんだからあっ!」
 あかねは脇で苦笑してみせる。
「でもさ、あたしたちが居なくなって、今頃、あっちじゃあ、大騒ぎになってるんじゃないかしら。」
 あかねが溜息を吐きながらぽつんと言葉を吐いた。
「それなら心配は無用だべ。この世界とおめさまたちの世界とじゃあ、次元が違うじゃでな。」
 吉備津彦が言った。
「何、それ…。」
 不思議そうな顔をしてあかねは彼を振り返った。
「つまり、おめさまたちの世界とここの世界とでは、時の流れ方が違うんじゃ。同じようでいて同じではないということじゃが。」
「良くわかんないな。」
「そう心配しなさんでも、おめさまたちが元の世界に戻るときには、こちらに召喚されなさった時点へと戻るっつーことじゃ。」
「ふーん…。やっぱり良くわからないわ。」
 あかねはそこで言葉を切った。というのも、傍の乱馬から寝息が漏れ始めたのが聞こえたからだ。
 彼は寝入りがすこぶる良いようで、寝転んだ先、もうすやすやと寝息をたてていた。

「呆れたっ!乱馬ったら、もう寝ちゃったわ。」
 くすっと笑うあかね。

「はは、疲れたら寝る。そして疲れをすっきりと取る。それが基本じゃで。こやつは、それが良くわかっていなさるんじゃろ。明日はもっと動き回らねばならんかもしれんからのう。」
「危険は奇御魂が結界を張って守ってくれるじゃろうから、あかねはんも寝られるとええ。オラも安芸津も休むだから。」

「そうね…。何か乱馬、見てたらあたしまで、眠くなってきっちゃった…あふ。」
 あかねもあくびをした。
 まだ年端行かない子供である。動き回ったのと、不思議な世界で緊張していたのとで、かなり疲労が溜まっていたようだ。
「じゃあ、あたしも。」
 乱馬と少し離れたところで、あかねも横になった。

「おやすみなさい。」

 そういうや否や降りてくる眠気。誘い込まれるようにあかねは目を閉じた。



 つづく



狩衣
 イメージが湧かない方は「犬夜叉」の白童子のような感じの服を思い浮かべていただくとよろしいかと…。狩衣は鎌倉時代の武士の元服前の子供の装束だったそうです。イメージはそんな感じです。
 そういや、犬夜叉も狩衣っぽい服だもんなあ。彼も元服はまだかもしれないな。前髪あるし。半妖だからないかもしれないですが。


神漏岐(かむろぎ)・神漏美(かむろみ)
 高天原の皇孫の男神と女神のことです。たとえば高皇産霊(たかみむすび)、伊耶那岐(いざなぎ)が神漏岐、神皇産霊(かみむすび)、伊耶那美(いざなみ)、天照(あまてらす)が神漏美にあたります。この作品では違う意味として使う予定でありますが。詳細は作品内でどうぞ(とっても無責任)


直玉・禍玉
 正しく清い気を持つことを「直(なお)つ」と、逆に穢れた気を持つことを「禍(まが)つ」と言います。
 直気と禍気はそこから作った一之瀬的造語。
 私的に「犬夜叉」の「曲玉」の解釈は「禍玉」の方が正しいと思います。「禍」に「曲」という字を当てることは全くないとは言い切れないんですが、「禍」の方が意味的にはしっくりくるのです。(何突っ込んでるんだ?私。)


吉備津彦と安芸津
 岡山の吉備からいただきました。で、相対する女竜は安芸。隣の広島から。単なる語呂合わせ命名。
 喋ってる言葉ですが、岡山弁的ちゃんぽん語です。本当は名古屋方面の言葉で叩きたかったんですが、あんまり知らないもので。現在、旦那が名古屋に単身赴任しているもので…時々行ってますが…。不思議の国名古屋で、月一度、楽しませていただいております。(奴は関西人のくせに、中日ファンなので名古屋をめいっぱい楽しんでいるみたいです…。)
 何で竜かは水の神だから。あと、乱馬と言えば竜ですからね(笑


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