第十話 五十年前の真実


一、

 崖下に開いた、深い深い穴の底。
 その形態から、この館の真下にある、断崖の洞窟のようであった。
 外海に続く洞窟であるのか、それとも、断崖の底に偶然出来上がったものなのかは明らかでない。だが、いずれにしても、人工物は一切見えない。自然が作ったものであることは、明らかだ。
 人の手は一切入っていない、自然窟。
 下に広がる洞穴の壁に、岩の突起が迫り出していた。そこへ、乱馬は下ろされた。
 つばきは既にその姿を隠してしまい、どこかへ消えてしまったが、何か強い力が己を呪縛していた。自由に身体が動かない。
「畜生!どうなってんだ?」

 押さえつけられるように仰向きに寝転がる乱馬を、立浪は見下ろしている。
 戦っていたさっきまで感じていた「嫌な感じ」は消えていた。さっきまでの荒々しさは姿を潜め、穏やかな顔つきだった。そのまま優しい執事と言っても過言ではない。乱馬も、普通の人間と対峙しているような感覚だった。

「これは、宝珠を育てる「蓬莱貝」の抜け殻だよ。」
 と、立浪は説明した。
「蓬莱貝?」
「ああ、俗称だ。傀儡に埋める「傀儡玉」を作る貝のことだ。」
「傀儡玉?」
「胡瑠姫様が宝珠の種を生きた宝珠貝に埋めて、数年越しで育て上げる。真珠貝と同じ理屈で作られるんだ。その二枚貝は、虚(とみて)の玉を作った折に使った蓬莱貝の抜け殻だよ。」
「虚玉?」
「ああ、僕の中に巣食っている海魂(あやかし)の名前だ。」
 立浪が真顔で言った。
「俺とさしで戦った、あの化け物か。」
 立浪の変身を思い出しつつ、乱馬が尋ねる。
「そうだ、奴が虚(とみて)だ。普段は僕の中で静かに眠っている。が、時々起き出して来て、入れ替わる。」
「今は?」
「僕の意識の底で沈んでいる。奴は、儀式を前にして、無駄な労力を浪費したくないんだろう…。」
 無駄な労力とはどういうことか、尋ねようと思ったが辞めた。奴を傷つけたことから察しても、理由はだいたい想像はつく。
「で?作った傀儡玉はどうするんだ?」
「決まっている。我ら玄武海人の魂を遷す器の人間に埋め込まれる。」
「そのために、俺たちは集められた獲物って訳か?」
 乱馬ははっしと睨みながら、問い質した。
「そうだ。玄武の海魂は憑依する人間を狩る、そして、狩ってきた人間に傀儡玉を埋め込み、魂魄(こんぱく)諸共、憑依してしまうのだ。」
「つまり、てめえらは、巣食わせている海魂の身体を宿替えさせるために、伝説になって残るような行為を長年に渡って続けてきた…。そういうことだな?」
 乱馬は尋ねた。
「そうだ。伝説は勝手に人間が想像して造ったから事実をそのまま語って居ない箇所も多々あるが、本質は伝説で語られているとおりだ。奴らは人間に憑依するために、数十年ごとに人間を狩る。現に私の身体の中にも、「虚(とみて)」という海魂(あやかし)が入っている。」
 そう言いながら、胸の辺りを撫でた。
「海魂は傀儡を定期的に替えることによって、悠久の時を生きながらえてきたらしい。私に憑依する前は、別の人間に、そいつに憑依する前はまた別の人間に…。だいたい、五十年か長いときは百年周期で人間狩りをし、魂遷を繰り返す。それが、玄武海魂と呼ばれる者たちの生き方らしい。」
「その、狩りの時期が今ってことだな?」
 乱馬は確かめるように言った。
「そういうことだ。五十年前にここで調達した体が、そろそろ、老巧化して急速に力を失いつつあるからな。」
「で、俺たちをここへおびき寄せたってことか。化け物を憑依させる器にするために。」
「ああ。その通りだ。」
「何で、今更、そんなことを俺に語るんだ?」
「君だって、何が何だかわからないうちに、殺されるのは不本意だろう?」
 立浪が言った。
「で、俺に懇切丁寧、ここで何が起こってるかを説明してから、殺してくれるってことか…。親切だな。」
「まあな…。君は傀儡にはしないと、胡瑠姫様が決定されたんだよ。この度は人数よりも多めにおびき寄せることができたからな。」
「俺は数のうちに入ってねえってことか。」
「そうだ、老人と男勝りな娘は要らぬ。胡瑠姫様はそう、判断された。」
「じゃ、ついでに一つ訊くが、傀儡になったら、どうなるんだ?おめえみてえに、人間としての記憶を持ちながら、化け物が身体の中に巣食わせるてことか?」
「化け物を巣食わせるというよりは、化け物に支配されるというのが正しいだろうな。化け物に憑依されたところで、既に、人間としては終焉を迎えているのだ。」
「何故、そんなにまでして、生き永らえる必要がある?何人もの人間をくり返し犠牲にしてまで…。」
 乱馬の追求は厳しい。
「さあ…。理由など訊いたことはない。…長い年月の間に、意味も意義もどこかに忘れ去さられたのかもしれない。」
 立浪は吐き付けるように言った。
「なるほど、この島に伝わる数多の伝説の本質は、人間に憑依した化け物譚だったって訳だ。
 察するに、俺たちを世話してくれたメイドや紫苑の野郎もおめえとも同じく、半世紀前に狩られ、化け物に憑依された人間…。」
「正確には、人間だったという過去形だがな。彼女たちには、人間の時の記憶は無い筈だ。文字通り、魂が抜けた操り人形だ。」
 立浪の顔が急に曇った。
「人間の時の記憶が残っているのは、紫苑様と私だけだ。娘たちには無い。」
「おめえには、残っているのか?人間の時の記憶が…。」
「ああ、残っている。だが、メイドたちは己が傀儡だということすら、理解していないだろう。感情を全て失い、胡瑠姫様を世話するためだけに仕える女官となる。それが彼女たちだ。」

「何だか、切ない話だな…。ってことは、ここに集った女たちは…。」

「そうだ。もうじき、狩り出され、魂を抜かれて、心が抜け落ちた傀儡人形にされる…。そうやって海魂を入れるための器になるんだ。」

「じ、冗談じゃねえぜっ!」
 乱馬がグッと動きかけたが、磁石に吸い付いたように、その場から身体が離れなかった。

「無駄だよ。蓬莱貝の結界は強力だ。人間の力でどうこうできるものではない。」
 だんだんに、立浪の顔つきが険しくなり始めた。
「胡瑠姫様も罪なお方だ。おまえのような面白い娘を、虚(とみて)如きに栄養として食らわせてしまうなど…。」
「その胡瑠姫(うるき)って奴が、おまえたちの首謀者か?」
「いや、我らのヌシ様は「玄武様」。胡瑠姫様は我らを導くために玄武様が作られた黒き巫女だ。」
「黒き巫女?」
「「魔女」とでも言うのが適切な表現かな…。玄武様の言を代弁される、黒い巫女、胡瑠姫様の命令は絶対なのだ。」
「逆らえない存在ってことか。」
 乱馬が問いかけると、立浪が小さく首を縦に振りながら言った。
「逆らえるものなら、とっくに逆らっているさ…。」
 と。そこまで話したところで、立浪の様子が変わり始めた。身体の中に何か、発作が起こったよな、苦しげな表情を浮かべる。
「…さて、もう良いだろう?…そろそろ、虚が出たがっている。最早、僕の力で虚(とみて)の出現を抑え切ることはできない…。」
 ぐっとその場にうずくまり、苦しみ始めた。ハアハアと荒い息をしている。

「悪いな…。もう、限界だ。僕を恨まないでくれ…。僕だって、奴らに蹂躙された事を、恨まない日はなかったのだから…。」

 そう、吐き出したところで、ふっと言葉が途切れた。

「全く、良く囀る奴だ。傀儡の分際で…。」
 声色が変わる。立浪の姿から化け物の姿に変化を遂げる。勿論、気の流れも変わった。そこにあるのは、人間の気ではない。ぶわっと立ち昇る妖気。

「けっ!執事のオッサンを押しやって、化け物の登場か…。」
 乱馬の瞳も険しくなった。


「俺様は人間如きに化け物呼ばわりされる、筋合いはないぜ。化け物というよりは、人間を超越した者。それが、我ら玄武の海神(わたつみ)だ。ククク。」
 言葉付きも変わった。
「へっ!神様の名前を名乗るなんて、おこがましいぜ!おめえはただの化け物じゃねーか。人間の中に憑依して自在に操るなんざあ!」
 睨みつけながら、乱馬が言った。

「昔より伝説にあるだろう?神は人間の中に憑依する。我々は神に近い存在なのだ。貴様ら人間よりもな。」

「けっ!神が乗っ取った人間を好き勝手使うかっつーんだ!てめえらは神なんかじゃねえ、ただの欲ボケた魔物に過ぎねえ。」

「ふん!威勢だけは良いのだな。面白い娘だ。まさに、味噌っかすよ。」
 化け物が笑った。
「婆さんの死体は後で捜してから食らうとして…まずはおまえだ。」
 化け物はゆっくりと言った。
「やっぱり、婆さんもこの洞窟に落としたのか?」
 乱馬が尋ねる。
「ああ、おまえも見たろう?床下にぽっかり開いた穴へ、婆さんが落ちていくのを…。ククク、今頃、この下の岩場で血まみれになって転がっているだろうよ。あの高さから落ちたら、人間ならば、助かるまい?おまえは、投げ込まれなかっただけでも良かったと思うんだな、小娘よ。」
 くすくすっと化け物が笑った。
「いや、一思いに、叩きつけられて死んでいたほうが良かったかもしれんがな…。」
 ちろっと赤い舌を避けた口から出した。
「どういう意味だ?そいつは!」
 乱馬ははっしと化け物を見上げて問い質す。
「小娘よ。さっき、俺様を傷つけた分まで、借りを、存分に返してもらうんだよ…。そのプリプリとした良い体…。ふふふふ。このままここでワシと繋がるのだ。そして、そのまま、おまえの溢れんばかりの生気、吸い取ってやるのよ。」
 いやらしい目つきになった。舐めるように、上から下まで、乱馬を見詰めている。思わず、背中に悪寒が走った。
「お、おいっ!まさか、繋がるってえのは…。」
 ゴクンと唾を飲み込んだ。
「ああ、勿論、こういうことだっ!」
 すっと伸びてきた魔物の手によって、バリバリッと乱馬のチャイナ服が乱暴に引き裂かれる。下の黒タンクトップから豊満な胸のラインがはじけて見えた。

「くふっ!なかなか良い体つきしてるねえ…小娘よ!」

「て、てめえ、何をしやがるっ!」

「どんな、男勝りな言葉遣いをしようとも、てめえが女であることをたっぷりと思い知らせてから、生気を食ってやるのよ。くふふふふ。」
 ヨダレが口元から伝い落ちる。嫌な眺めだった。

「その、思い知らすってのは…まさか…。」
 ぐっと乱馬の手に力が入った。
「我が身に繋がるのよ、決まっておろう?」
 にっと虚が笑った。
(じ、冗談じゃねえぞ!こいつ、俺と契ってから食らうつもりか?)
 焦ったが、蓬莱貝の結界に捕らわれた己では、抵抗すらできない。
 気弾を打とうと、気を集中し始めた。が、気が一向に集ってこないのも、気になった。
「気技は魔力を使って封じさせてもらったよ。結界の中に居る限り、おまえの発した気は全て、私の方へ流れてくるようになっているんだ…。ワシとて馬鹿ではない。学習するさ。」
 勝ち誇ったように、化け物が言った。
「ふふふ、おまえの気は美味しいなあ…。ほら、おまえに付けられた傷が癒えてゆくよ。」
 化け物は右足をちらっと見やった。確かに、乱馬がつけた傷が、みるみる消えていく様が見えた。

「若い娘の気は最高だよ…。ククク、でも、おまえのようなうら若き女はなあ、交わって性的悦楽の嬌声をあげさせて悶える中、生気を吸い取るのが一番、美味いんだよ。
 これから、下半身をあわせ、たっぷりと快楽を与えつつ、口からおまえの生気を吸い尽くしてあげるからねえ…。」
 そう言いながら、乱馬の身体に身を寄せてきた。
 生臭い、海の臭いが染み付いた、その不気味な身体をだ。

「バ、バカッ!や、やめろーっ!」

「嫌がるのは最初のうちだけ。すぐに気持ち良くなる…うふふ。」
 化け物はタンクトップの胸の隙間から、すっと手を伸ばし入れる。そして、乱馬のふくよかな乳をぎゅっと握った。
「身体が小さい割りには、大きな柔らかい良い乳をしておる。いたぶり甲斐があるというものだ。ククク。」

「くっ!」
 身体は蓬莱貝の結界に支配され、ビクとも動かない。このままでは、化け物に好き勝手に蹂躙される…。
 そう思うと必死にならざるを得ない。気を使えなくても、使えるもの変えるものは何でも使おう。そう思って、近づく化け物の手に、思いっきり噛み付いた。

「痛いっ!いたたたたっ!何をする。この小娘めっ!」
 化け物はパッと乱馬から離れた。見ると、腕から血が滴り落ちる。
「ざまあみろ!」
 乱馬ははっしと化け物を睨みあげた。
「おまえ…。己の立場がわかって居ないようだな…。わかった、ならば、もう、ワシも容赦はせぬ。」
 そう言いながら、乱馬を見下した。
 それから、傍らにあった、白い骨を使い、乱馬の手足を、蓬莱貝の床へと固定す

「こんなもの、打ち砕いてやるぜっ!」
 そう言って、手足に力を入れたが、動かなかった。

「ふん。我が妖術でその骨は砕けぬわっ!枷(かせ)は男の肋骨だから、女が好きなのよ…。女体は死んでも離さない…なかなか良い眺めだなあ…ふふふふふ。」
 化け物は笑った。

「畜生っ!動けねーっ!」
 踏ん張ってみるが、どうあがいても、手も足も、固定されて動かすことができなかった。
 化け物の大きな口が、目の前で舌なめずりをした。
「ククッ。久々の女だ。」
 ゆっくりと、乱馬の身体に手を滑り込ませる。抵抗は一切無かった。ツンと胸の切っ先を手でつまむと、ピクンと乱馬の身体は反応をした。
「さあ、おまえをたっぷりと可愛がってやろうぞ。今まで抗ってくれた分、存分に楽しませてもらうとするか…。ククク。そして、その後、我が中へ気を取り込み、次の虚へと力を伝える原動力にしてやるぞ…。亡骸など残らんよ…。すべてワシの腹の中だ。ふふふ、わっはっはっは。」

 今、まさに、化け物の魔手が乱馬のしなやかな肉体に伸びようとした、その時だった。

 ぴちゃん、と上から水滴が落ちてきた。水滴というより湯滴だ。生温かかった。

 と、化け物越しに上から、幾許かの湯水が、続けざまに、どっと己の上に流れ落ちてきたのだ。
 ドドドドドッ!
 湯は乱馬の身体に、たっぷりと注がれる。
 咄嗟に、何が起こったのか、わからなかったが、それは、まさに、天の恵みであった。

「しめたっ!湯だっ!」
 
 湯が浴びせかけられた身体に変化が現れる。
 豊満な胸は分厚い胸板に。柔らかな手足は筋骨で盛り上がった逞しき形に。小柄だった身体は、グンと伸びる。咽喉元には咽喉仏。そして、何より、力が身体の中から湧き上がってくる。
 立ち上がる湯煙の奥から、彼は現れた。

「やったね!男に戻ったぜ。ラッキー!」
 乱馬の瞳が、キラキラと輝いた。骨の呪縛も解けていた。
「うまい具合に、手足も動くぜっ!覚悟しな!今度は容赦はしねえ!」
 乱馬は身を翻した。
「こ、小娘っ!き、貴様、一体っ!」
 乱馬の変化に驚いた立浪の動きが一瞬、止まった。すかさず乱馬は脇腹を、思いっきり蹴り上げた。
「うわああっ!」
 痛さに耐えかねたのか、慌てて立浪が飛び退く。
 女であることを強いられた故に、今まで押さえつけられていた、鬱憤(うっぷん)が、一気に弾けたのだ。か弱い女の拳とは、破壊力が違う。
 ズシンッと後ろに尻餅をつくように腰を着いた、虚(とみて)は、溜まらず唸った。
「くそう、ならば、名前で呪縛してやる!天道乱子っ!我が呪縛咒法を受けよっ!」
 化け物は怒鳴った。
 だが、乱馬の手足の動きは、一向に止まる気配はなかった。

「何故だ?何故、呪縛できん?おまえの名前を叫んだのに!何故だ?…まさか、おまえの本名は、乱子ではないのか?」
 と、ギロリと、乱馬を睨む。
「あったりめーだ!乱子なんて名前の男が、この世の中に居るかってんだっ!」
 乱馬が凄んだ。
「そうか!乱子とは二つ名だったのか!畜生!だから、男になって、呪縛が解けたのか!」
 忌々しげに吐き出した。
 二つ名とは通り名のこと、言わば、本名とは別に付けられる名前のことであるが、乱馬には何のことを言っているのか、よくわからなかった。
「くそっ!呪縛は本当の名前がわからなければ、出来ない!」
 化け物が、狼狽し始めた。

「けっ!てめー、覚悟しな!今後一切、容赦はしねえっ!」
 乱馬は、次々と持てる大技を解き放っていった。まず炸裂したのは、疾風の高速拳。
「火中天津甘栗拳!」
 破壊力が増した拳が、ビュンビュンと高速で唸った。海獣のウロコがボロボロッと落ちるほど、壮絶さを増していく。
 これでは、堪らない。そう思ったのだろう。
 虚(とみて)は、一転、逃げの態勢に入った。
「逃すかっ!猛虎高飛車!」
 今度は得意の気技を、逃げ腰の海獣に解き放った。胸を張り、大きく湾曲させた態勢から放つタカビーな気技。
「ぐええええっ!」
 見事に海獣の身体に命中すると、そのまま、真っ逆さまに崖っぷちから下に落ち始めた。ゴツゴツした岩肌が容赦なく、海獣の身体を痛めつける。気力を使い果たしたのか、それとも、意識的か、再び、人間の身体へと変化を遂げ、立浪が姿を現した。
 さすがに、人間の生身の身体を見せられると、それ以上、攻撃することは、ためらわれた。
 一瞬の気の迷いが攻撃することを躊躇させたのだ。
 化け物はその隙を逃さなかった。立浪に姿が戻った事で、己に対する攻撃の手が少し緩んだのだ。
 逃げられると踏んだのだろう。
「甘い奴めっ!」
 そう吐き出すと、隙を突いて、岩陰へと身を隠す。化け物にとって、ここは巣とも言える馴染みの場所だったのだろう。

「あっ!しまった!逃がすかっ!」
 乱馬は慌てて、化け物が逃げ込んだ岩へと攻撃を加えたが、時既に遅く、奴の姿を見失ってしまった。
 気をまさぐって、相手を探そうとしたが、乱馬にしこたまやられて、化け物の気そのものが弱りきっていたことが仇になった。化け物の気を捉えることができなかったのである。いや、既に、その場から遁走してしまったのかもしれない。

「畜生!逃げられたかっ!」
 地団駄を踏んで悔しがったが、後の祭りだ。
 もう少しで、化け物本体を倒すことができたのに!そう思うと、残念極まりなかった。


二、

 化け物が姿を消した地下洞窟。
 そこには、乱馬が一人、取り残されていた。
 奴が戻ってこないことを、肌で感じ取ると、今度は、崖の上をはっしと睨む。そして、岩肌が大きく突き出している辺りを、ジロリと見やった。
 さっき、その辺りから、湯が滴り落ちてきた。 
 乱馬は上を向いたまま、徐に大きな声を張り上げた。

「そこに居るんだろ?婆さん!」

 シンと静まり返っていた、洞穴内に、乱馬の声が大きく響き渡った。
「隠れても、わかってるぜ!俺は気を探ることができるんだからよ!」
 と、続けざまに叫んだ。

「そう…。やっぱり、ばれてたのね。」
 ふうっと、婆さんからもれる笑みと溜息。

「ああ、ばれてるぜ。それに、婆さんだろ?さっき、俺にわざわざ湯を浴びせかけてくれたのは…。」
 と乱馬は問い返した。
「そうか、そこまでわかってるのね。」
 ひょっこりと婆さんが顔を出した。乱馬のいる場所よりも、少し上にある、岩場の影に居た。
「わからいでかっ!」
 乱馬はたっと岩肌に飛びつくと、そのまま、婆さんの居る場所までよじ登った。
「たく、こんなところから、ずっと化け物と俺の様を観てたのかよ。人が悪いぜ…。」
 と、吐き付けるように言った。あのまま、蹂躙されていたら、それも見学していたのかと言わんばかりの非難的口調だった。
「ええ、じっくりと観させてもらったわよ。悩ましきあなたの姿も少し拝見させてもらったし。」
「なっ、何だとおっ?」
 案の定、乱馬の顔つきが険しくなった。
「だって、私如きが、敵う相手ではないしね…。タイミングもあったから…。下手に顔を出して、あなたの足手まといにはなりたくなかたっしね。」
 と、一癖も二癖もあるような笑みをたたえた。
「でも、絶妙なタイミングだったでしょう?」
 ケラケラと笑っている。
「たく…。何とでも言えらあな…。でも…。でも、良く、俺の変化の源が湯にあるってわかったな。っていうか、俺の正体にも感づいてやがったのか?もしかして…。」
 乱馬は婆さんに畳み掛けるように問いかけた。
「ええ。男言葉を遣うあなたのことがずっと気になっててね、ここへ来た時からずっと、得意の占いでいろいろと探りを入れていたのよ。そしたら、呪泉に侵されているってね…。呪泉なら、湯が変化の鍵になるわ。」
 どうやら、婆さんは、呪泉郷の呪いについて、知っているようだった。あの秘境を知っているとなると、やはり、只者ではあるまい。
「だから、あの時、俺を助けるつもりで、湯を浴びせかけた…。そういうことだな?」
「ご名答!やっぱり、あなた、呪泉に落ちた人間なのね。今の姿が本来、あるべき姿。そうでしょ?」
 乱馬はコクンと頷いた。
「ああ、今の俺が本当の俺だ。女は仮の姿でしかねえ。女溺泉に溺れたせいで、水を被ると女に変身しちまう。婆さん推理どおりだ。」
 婆さんは暫し、乱馬を見詰めていた。美しい筋肉、それから、しなやかだが、鍛え抜かれた身体つき。精悍な身体から発せられる、力が満ちた気。それらをじっと、見詰めていた。
「男言葉をずっと遣うから、変だとは思っていたのよ…。そう、あなた、本当は大和男児だったの。安心したわ。」
「何だ?その安心てえのは!」
「あら、普通、あなたくらいの年齢で、自分の事を僕、なんて呼ばわる人は稀でしょう?女の子で「僕」なんて使うのは、性同一性障害の可能性もあるし…。ってね。」
「んな、わけねーだろ!」
「本当、港で出会ったときから、ずっと、違和感を感じていたのよ。本当の名前を名乗っていないから、貴方の本質がなかなか見えなかったわ。」
 と婆さんは笑った。
「で?どうやって、俺を占ったんだ?本名は今でも明かしてねえぜ。」
「ふふふ、周りから突き崩したら、以外に早くわかったわ。」
「周り?…ま、まさかっ!」
「そう、あなたの大切な女性よ。彼女は本名でこの旅行のメンバーに登録していたでしょう?」
 婆さんがにやりと笑った。
「彼女を護る、強い守護者が傍に居て、常に見守っているってね…。しかも、彼は大きな秘密を持っている。…それが、あなただってことは、簡単に見抜けたわ。
 あなたと彼女を結ぶ強い絆は、他の何者にも割っては入れないってね…。彼女が未来を託しても良いと心許す猛者。それが、あなただったのよ。」

 乱馬は押し黙った。己とあかねを結ぶ絆は、強固だという確信は、まだ、ない。

「で、彼女の方から、一つ一つ、紐解いて、あなたの宿世を見させてもらったわ。乱子ちゃん。」

「でえっ!この格好で俺の事を「乱子」って呼ぶなよな。何か、オカマみてえで、気色悪いっ!」
「あら、思ったよりもウブなのねえ…。あなた。だったら、本名を教えて欲しいわ。」
「わかったよ!俺の名前は「早乙女乱馬(さおとめ・らんま)」だ。」
「さおとめ・らんま…。良い響きね。思ったとおり、強い闘気を持つ者の名前だわ。でも、相手にすらすら本名を教えちゃダメよ。」
 と釘を刺す。
「婆さんが教えろって言ったから教えてやったんだろうがっ!」
「まあね…。でも、本当に、名前は武器になると共に、諸刃の剣ともなるの。相手に知られることによって、身体が束縛されたりね…。さっき体験したでしょう?乱子ちゃん。」
「あ…。」
 虚(とみて)に襲われた時、名前を呼ばれて、身体の自由が失われていた。それに、本名がどうのとか言いながら、奴は逃げた。それを、思い出したのだ。
「虚(とみて)は名前を呼ぶことであなたを縛ったのよ。」
「でも、乱子は俺の本名じゃねえぞ。」
 乱馬は首をかしげた。
「女のあなたはいわば、仮の姿。従って日頃使う仮の名や二つ名で、自由に呪縛できるわ。でも、男に戻った途端、身動きできるようになったでしょう?男のあなたは本当のあなた。だから、仮名や二つ名で呪縛はできない。」
「よくわからねーが…。まあ、良いや。婆さんは俺の本名を使って、何か仕掛けようとか…。」
「味方を責める気持ちはさらさらないわ。忠告をしておいてあげたのよ。特に、ここの海魂たちは名前の呪縛呪術を知っているわ。だから…ね。」
「わかったよ。そう思っておいてやらあっ!」
 乱馬は吐き出した。ここで、時間を取られている場合ではないからだ。
「それよか…。婆さんは、どうやって、ここへ舞い降りれた?化け物の言い方だと、今頃は、この下へ真っ逆さま…だったんじゃねえのか?」
「ああ、あれね。予めわかっていたから、ちょっとね…。」
「ちょっと、何だ?」
「あなたが使う、気弾のような気の技を使って、着地したのよ。」
「気の技って…。あんな、上から落下して平気だったのかよ?」
 岩肌がむき出す天井を指差して、乱馬が尋ねた。
「あら。あなただって、上手い具合に着地する能力は身につけていると踏んだけど?違う?」
「あ、ああ…。そりゃあそうだが…。ってことは、婆さんも気技を使いこなせるのか?」
「お生憎様、私はあなたのような武道家とは違うから、武道の気道で降り立ったんじゃないの。武道家のあなたとは一線を画する呪術を使ったのよ。」
「呪術?」
「ええ。一種の呪術ね。体内の気を一度放出させる、呪術技は一応、身に付けているのよ。腕力や筋力がなくても、気を集中させる力さえあれば、できる技よ。気技を会得しているあなたにはわかるでしょう?」

 確かに、乱馬には婆さんの言おうとしている内容が、少しは理解できた。体内から溜めた気を自在に使いこなすのは、何も武道家だけの得意分野とは限るまい。己の必殺技「飛竜昇天破」にしても、元は、女傑族の婆さんから教わった技。己が八宝斎のエロ爺のせいで、貧力脱力灸を据えられて、力を失った時、伝授してもらった大技だが、非力でも打てる技であるには違いない。

「なあ、婆さん…。他にも隠していることはねえか?」
 と尋ねた。
「手の内は、全部は見せないものよ。うふふ。」
 と、かわされた。
 食えない婆さんだと思った。
 占い師という職業も眉唾物だが、そんな、気技を使いこなせることにも、心に引っかかる物があった。

 一体、この婆さんは、何者なのか。
 何が目的で、ここに居るのか。
 全面的に、信用しても良いのか。
 それすらも、良く、わからない。
 疑心暗鬼になろうと思えば、いくらでもなれる。

「じゃあ、端的に訊く、これから、どうするんだ?」
 躊躇しながら尋ねた。
「そうね…。とにかく、上に上がって他の人たちと合流しないとね…。何人、狩られずに残っているかによるけれど…。」
「狩りか…。嫌な言葉だぜ。」
「そして、あの礼拝堂にあった水晶玉を壊す…これが究極的目的となるわね。」
「水晶玉だって?あの真っ黒いか?」
「ええ…。あの水晶玉に諸悪の根源が詰まっている…。私の占いにはそうはっきりと告げられているの。」
「どうやって壊すんだ?あんなもの…。」
「気の力よ。精錬された聖なる光に満ちた…。乱馬、あなたの放つような真っ直ぐな気でなら、壊せるわ…。多分。」
「多分…。随分、曖昧じゃねえか…。それに、やっぱり気に入らねえ…。」
「あら、随分、疑り深いのね。乱馬君。」
 婆さんはにっと笑った。
「おめえだって、俺を信用しちゃいねえだろ?それと同じだ。俺に信用して欲しければ、婆さんも本当の名前、いや、正体を明かしたらどうなんだ?」 
 と揺さぶりを入れた。

「……。」

 婆さんは暫く、考え込むように黙ってしまった。

「良いわ…。あなたには全部、話しておきましょうか。」
 考え抜いた上、折れた。
「但し、到底、あなたには信じられない話になるでしょうけれど…。」

「いや、どんな話が次に来ても、驚かないぜ。非科学的な現象にも己の身体で慣れてるからな、俺は。」
「随分とポジティブね…。良いことだわ。」
 婆さんは乱馬の方へと向き直った。そして、ポツリ、ポツリと己が何故ここへ来たのか、本当の理由を語り始めた。

「私はね、五十年前に、ここに来たことがあるの…。そう、奴らにもう少しで傀儡にされるところだった…と話した方が良いかしら。」
 
 それはまさに、驚きの新事実であった。
 婆さんと立浪と紫苑、そして、他のメイドたちの繋がり、忌々しい過去が、乱馬の元へと、赤裸々に語られはじめたのである。


三、

「蒼い海がどこまでも続く、孟夏。
 五十年前も今も、学生にとって夏休みは至福の時。それが学生時代最後の夏ともなれば、尚更。卒業して社会へ放り出されるまでの期限付きの自由。
 特に何不自由しない、裕福な家庭に生まれ育った私たち姉妹は、学生時代最後の夏を謳歌するために、この地へとやってきたの。
 両親が経営していたオーナー会社の取引先の御曹司が別荘へ招いてくださるということで、二つ返事で了解したわ。
 そう、次郎太さんが話していた、あの、奔放御曹司のご両親からの招待状だったの。裏事情なんて、勿論、知らされていなかったわ。それは、招かれる娘たちの親御さんたちだけが知っていた、秘め事だったのかもしれない。

 私の名前は中田薫(なかた・かおる)。
 私には双子の姉が居たの。いわゆる一卵性双生児。
 姉の名は「桜」(さくら)。
 同日に生を受けたわ。私と妹の鈴子は「一卵性双生児」だったの。つまり、双子。それも、親でさえ、まごまごしていたら見間違うくらいに、外見は似ていたわ。」

「双子…。」

「ええ。似ていることは自分たちでも自覚していた。だから、大学は敢えて、違うところへ進学したわ。姉の桜は中央の女子大、妹の私は地元の大学ってね。姉は家を出て、遠方へ通っていたから…。そこで士郎さんと知り合ったらしいわ。」

「桜…。何か、きいたことのある、名だな…。」

「ええ、メイドとして、ここに居たわ。五十年前と変わらぬ肌つやでね。」

「おい、まさか、その桜さんって。」

「メイドのさくらさんよ。そして、姉の桜には婚約者が居た。名前を立浪士郎と言ったわ。」

「立浪士郎だって?まさか…。あの化け物の執事の爺さんの事か?」

 驚いた乱馬の声に、婆さんの頭は、コクンと揺れた。

「二人は学生時代に知り合って、将来を誓い合って。互いの両親の承諾も取り付けていて、卒業したら結婚…って決まっていた。当時は良家の娘は花嫁修業してある程度家庭のことを身に付けて、それから嫁に出たから、婚約時代は長かったわ。結納は秋にって決まっていた。
 御曹司、青海紫苑の家からご招待を受けた私たち姉妹は、二つ返事で別荘行きを許諾した。姉の桜にとって、独身生活最後の夏休み。仲良しの姉妹とはいえ、この先の人生は別に生きなければならない。そんな意味合いもあったの。
 で、偶然にも、士郎さんと御曹司、青海紫苑(あおみ・しおん)とは学友だったの。私は士郎さんと、そこで初めて会ったのだけれど、姉が惹かれる理由がわかったわ。もし、姉という婚約者が居なければ、私がアタックしていたかも…。何てね。」

「でも…。若者が集う別荘地。
 いろいろあったわ。実はお見合いだったなんて、私は知りもしなかったし。
 姉は両親から知らされていたみたいだけれど、士郎さんが来るって知っていたから参加したようだった。妹の私と引き合わせようと思ったのね。両親も知った上で姉を参加させたわ。まさか、紫苑さんが姉を気に入るだなんて、思いもよらなかったから…。」

「紫苑が桜さんを気に入ったのか?」

「ええ、だから、話がややこしくなった。恋は熱病みたいなものだもの。
 士郎さんも紫苑さんの手前、積極的に「婚約者である姉」には声もかけられなかった。いずれ、婚約者として紹介するつもりだったようだけど…紫苑さんが姉に惹かれているのは一目瞭然だったそうで…。
 最初から士郎さんなり、姉なり、私なりが、二人の間柄をきちんと説明しておけば、或いは、事件は遅れて起こったかもしれない。この館が、魔物に魅入られた晦冥の館だったとしても…。」

「晦冥の館?」

「ええ。ここは、暗い闇に通じる、晦冥の館。足を踏み入れてはならなかった禁忌の館。」

 婆さんの話は続く。

「ある時、私の何気ない一言から、紫苑さんに、姉と士郎さんの関係が明るみに出たわ。
 そこで空気が一気に変わった。
 いえ、それだけじゃない。
 紫苑さんに芽生えた嫉妬心が、とんでもない「事件」を引き起こしてしまったの…。今思うと、それが狩りの始まりだったのかもしれない。」

「狩り…嫌な言葉だな。」

「言い合いになって、カッとした御曹司が士郎さんともめたのね。で、彼を止めようとして仲裁に入った友人が、過って窓辺から下へ落ちてしまったの…。ここは断崖絶壁。とても助からない…。」

「あれ?次郎太さんに訊いた話とちょっと違うよな…。確か、士郎さんの話だったら、婚約者が居たことがばれた友人が突き落とされたって…。」

「次郎太さんのは又聞きの又聞きの又聞きって具合に、噂になって人の口へ上っている間に変貌を遂げたものでしょうね。真相は違うの。当事者が落ちたのではなく、とばっちりを受けた仲間が落ちてしまったの。」

「あ、なるほど…。伝言ゲームが途中で主語が入れ替わる事なんて、ザラだもんな。」

「その事件が起こった夜、この屋敷に異変が起こったの。
 いえ、あの事件そのものが、「始まり」だったのかもしれないわ…。

 館の座敷の床の間には、黒い大きな水晶玉が飾ってあったわ。不気味なほど、妖艶な輝きを持つ水晶玉。
 この館の前の主人がそこへ据えていたものだそうだけれど、座敷に足を踏み入れると、度に、妖艶に輝いていた。
 紫苑さんが士郎さんと抗ったのはその、水晶のある部屋だった。それから、過って紫苑さんが友人を突き落としてしまったのも、その部屋だった…。」

「おい、それってまさかと思うけど…。」

「私はたまたま、事件があった現場に居なかったから、何も見ていないのだけれど、水晶玉がさせた所業とも考えられる。もしかすると、水晶玉の魔の力がそうさせてしまったのかも…。
 その、事件を皮切りに、紫苑さんの様子が変になったわ。当然、お友達を突き落としてしまったんですもの。その場は修羅場になったわ。興奮して暴れまわっていた紫苑さんは取り押さえられ、この屋敷の地下にあった座敷牢へと入れられた。で、警察に連絡して、護送してもらおうってことになって…。
 でも、その日は夕方から嵐が吹き込んでね。
 そう、昨日からこの館を降り注ぐ、嵐のように、急に天候に異変を来たし、ずっと風雨が激しくて、警察は紫苑さんを逮捕しに来られなかった。いや、警察だけじゃなくって、突き落とされた友人の捜索もできなかったわ。
 何しろ、ここは陸から数キロ離れた孤島だったから…。しかも魔の結界が張り巡らされたね…。」

「なるほど…。何か今回の事と共通点が多いな…。」

「この島に通じる交通手段は、嵐で寸断されてしまった。その上、島の回りは、あなたも見たでしょう?結界が張り巡らされている。そのまま、時は過ぎていった。
 で、後でわかったことだけれど、この館に招かれた女の子たちの中に、招かれざる客が、一人、混じっていたのよ。」

「招かれざる客だあ?」

「そう。本来は招いていない客人。一人ね…。彼女が「胡瑠姫」だったのよ。古代から生き永らえてきた、魔の一族の娘。」
「胡瑠姫?さっき、立浪が言っていた…か?」
「名前を渡奈那子(わたり・ななこ)さんと言ったわ。」
「奈那子?」
「ええ…。彼女が「お七」だとしたら?」

「お、おいっ!怪談じみてねえか、それ。」

「かなり後になって、調べたんだけど、御曹司が招いた中に、「渡奈那子」って女性は居なかったそうよ…。それに、出入りしていた漁師さんの年配の方が、事件の後で漏らしていたわ。『あの、奈那子って娘さんは、「妾のお七さん」そっくりだった。』ってね。」

「何か、嫌だな、それ…。」
 背筋に冷たい物が走る。

「話を元に戻すわね…。お七に似ていた奈那子という招かれざる客と、この別荘で働いていた従業員や女中さんが「化け物一味」だったとしたら?」

 婆さんの言葉に、乱馬は唾をゴクンと飲んだ。

「嵐で閉鎖されたこの別荘で、彼らの狩りが始まったのよ。
 それから、殺戮が繰り返されたわ。用のない者は虚(とみて)と伊奈魅(いなみ)…。この二人のオスの化け物たちによって、生気を吸われた。
 カラカラに干からびた人間の躯はそのまま、この下に転がっているわ。」

 婆さんが下を見やる。

「あれって…。もしかして、あの石灰質な石ころって…。」
 下にびっしりと広がる白い石を指差して、乱馬が声を震わせた。今まで下には全然気を取られていなかったが、改めて見ると、確かに、人骨だった。
「あれは人間の成れの果てよ…。長年にわたって、虚(とみて)と牛(いなみ)が食らい続けた人間の骸(むくろ)。力を維持するために、彼らは時々、この島に張り巡らされてある結界を越え、人間界に近づいて、漁師や釣り人、遊泳者を襲ってはここへ連れ込み、気を食むの。」
 
 その言葉にゴクンと唾を飲み込む。かなりの数が、この下に転がっていることになる。

「お、おいっ!結界だの人間界だの…。それじゃあ、まるで、この館に奴らはずっと、五十年もの月日を過ごしていたみてえじゃねえか!」

「あら、過ごしていたのよ、実際に。」

「あん?意味、わかんねー!」
 乱馬は吐きつけた。
「この島のホテルは、彼らの魂の宿替えのために、もう一度建て直されたんじゃあ?あいつらも、他のところから…。」

「そう考えるのが普通なんだけど…。実際は違うの。彼らはこの島が人間界から見えないように、結界を張って、普段は誰も近づけないようにしているのよ。つまり、彼らが人間を襲うときにだけ、結界は解かれ、外海へと出られる仕組みになってるってわけ。わかる?」

「まさか…。そんなこと。」

「でないと、こんな凄い施設、短期間に作れると思ってるの?」

 婆さんの言う事に、一理あった。
 外から見えない結界で、張り巡らされていたら、人間の来訪は無いだろう。

「五十年前にも、ターゲットに絞られた五人の娘たちは次々に狩られ、傀儡にされた。魂魄ごと憑依されたのよ、玄武七宿によってね…。
 その中に、私と妹も居たの。
 庇いあいながら、館の中を逃げ惑ったけれど、相手は魔物。
 姉は胡瑠姫に、私は「室(はつい)」に捕縛された。
 やがて、空は嵐が去り、満月が美しく船を照らしつけていた。時が満ち、魂遷(たまうつし)の儀式がしめやかに行われたの。あの魔水晶は満月の光を受けると、妖艶に光り輝き、その呪力を増すのよ。」

「魂遷の儀式?」

「狩った傀儡に、奴らの存在の源を憑依させる儀式…。各々、狩ってきた傀儡に海魂が宿る玉を吸引させて、発動させる…ね。
 でも、私が「室(はつい)」によって傀儡にされそうになった時、奇跡が起こったの。」

「奇跡?」

「ええ…。奇跡と呼ぶには、あまりにも他愛の無い偶然…なんだけれどね…。
 奴ら、私と姉の区別がつかなかったのよ。
 術を仕掛けた胡瑠姫がしくじったの。つまり、私に桜の名前を使って呪縛をしようとしたの…。
 私は桜ではないわ。だから、呪縛は失敗。その僅かな隙を突いて、桜姉さんは、私を窓辺から海に投げ出したの。あの時儀式を行った部屋は、ずっと下の方に位置していたから…。今よりは、助かる見込みがあったのね。
 酷いだなんて思わないでね。姉にしてみれば、一か八かの賭けだったのよ。運が良ければ、どこかの岸辺に打ち上げられるだろう…ってね。
 私は投げ出された。その中で、不思議な光を見たの。青く輝く光が、真っ直ぐに身体に飛んで来た。その光に包まれて、海面への激突は避けられたわ。
 私を探せと声が聞こえていたようだけど、さすがに化け物も暗い海面を探す術はなかったみたい。

 それ以降、姉たちには会えずにきたわ。
 この島でこの前、再会するまではね…。」

 乱馬は次々に明かされる、あまりに壮絶な真実に、暫し、言葉も返せず、じっと婆さんを見詰めていた。





 




一之瀬的戯言
 この第十話以降は、初公開となります。

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