晦冥の館



第一話、始まりの蒼い海




 昼なお暗い、深遠なる海に囲まれし闇の丘。
 その果てに建つは冥府の王が棲む白き館。
 ひとたび中に分け入れば、二度と戻れぬ不帰の館。
 我は待つ。
 この館に尋ぬる人を。
 見目麗しき、血肉を持つ、選ばれし佳人を。




一、
 

 エンジン音が轟音を上げ、水飛沫を撒き散らしながら、海原を分け入って進む。
 頬を撫でる風は、ムッとした湿気に包まれていて生ぬるい。
 その上、遮る事のない真夏の太陽が、横合いから殴りつけてくるように照り返す。夕方にはまだ間がある昼下がり。太陽の威力は真っ盛りで、煌々と熱気を持ったまま、容赦なく船上を照らしつけてくる。庇もない簡素なポンポン船。垂れ幕のような簡易庇が設えられてあるので無防備に太陽へと、その柔肌を晒すことはないにしても、ムッとした熱気が上から伝わってくる。
 小さな船の上には、船を動かしている船頭、見たところ四十代半ばの、体格の良さといけすがある船の仕様から見て、本業は近海漁師なのだろう。客人は三人。一人は六十は過ぎているだろう上品な老婦人、そして、あと二人は若い少女、どう見ても、高校生くらいだ。
「お客さんたち、本当に流島(ながれじま)」へ行くのかい?」
 日に焼け焦げた船長が、客人たちを不思議そうに見返しながら、確認するように問いかけた。
「え、ええ。」
 老婦人が代表して、口を割った。にっこりと微笑む顔は、人の良さが出ているようだ。
「へええ…。長い間、ぱったり人足が遠のいていた、あの流島へなあ。そういえば、皆と仲間が、反対側の港から、豪華なクルーザーが出航したと物珍しそうに言ってたっけなあ。おめーさん方、それと関係があるのか?」
 好奇心を湛えた瞳で漁師が尋ねてくる。
「そのクルーザーに乗る予定だったんです、あたしたち。」
 今度は白いワンピースを来た少女が答えた。
「たく、集合場所を間違えて別の港町へ、連れてきやがって!この方向オンチ!」
 傍らの薄桃色のワンピースを着込んだ少女が、吐き出すように言った。
「な、何ですってえ?聞き捨てならないわねえ、乱子ちゃん!」
 ムッとした表情で、横から白いワンピースの少女が薄桃ワンピースの少女を突っついた。
「だって、本当のことじゃねえか。第一、あかね、おめーが、集合場所をちゃんと見てねえから不手際が生じたんだろう?」
 「乱子ちゃん」と言われた少女が、口を尖らせる。
 本当の名前は「早乙女乱馬」であるが、訳あって今は「天道乱子」で通している。
「あんただって、ホイホイくっついて来ただけだから、同罪よ!集合場所を間違えたのを、あたしにだけ、押し付けるわけ?」
 少女たちは互いに、はっしとにらみ合う。二人とも喧嘩腰だ。
「まあまあまあ、船の上で暴れるのはよしてくれや。落っこちてしまうぜ。」
 船頭は、慌てて二人を止めに入った。
「わざわざ、ご無理を言って、船を出させてしまって申し訳ありませんねえ。」
 老婦人が、ぺこりと頭を下げた。
「あ、いや、物のついでだ。俺っちも、通行料をこんなに頂いちまって、逆に恐縮だよ、っはっはっは。」
 と、豪快に笑いながら、嬉しそうにスポンサーの老婦人を見た。
「本当、すいません。あたしたちまで乗せてもらって。」
 あかねが老婦人に深々と頭を下げた。たまたま、居合わせた、この老婦人と行き先が同じだということが知れ、この船に同乗させてもらったのである。
「良いのよ、ついでだもの。私も集合場所を間違った口ですもの…。一人では心細かったけれど、こんな可愛らしいお嬢様たち二人とご一緒できて、心強いわ。」
 老婦人は笑いながら、答えた。
「ほら、あんたも、頭下げなさいよ!」
 あかねは、隣に座り込んでいる乱馬の頭を、ぐいっと右手で押さえ込む。
「うっ!痛えなー!わかってるよ!そんくらい!」
 文句たらたら、乱馬が頭を下げた。

「ホホホホ、仲が良いのねえ。あなたたち。」
 乱馬とあかねの様子に、老婦人がコロコロと少女のように笑った。
「そう見えます?」
 殴りかかったポーズを、寸でで止めながら、あかねが尋ね返した。
「ええ、見えますとも。お揃いのお洋服、似合ってるわよ。」
 と、目を細める。
 そうなのだ。二人とも、お揃いのデザインの色違いのワンピースを着込んでいる。
「それに、ほら、昔から言うでしょ?喧嘩するほど仲が良いってねえ…。昨今の若い人たちは、そうやって、ため口で喧嘩なんかしないと思っていたけれど、あなたがたは、するのねえ…。」
 物珍しそうな瞳が、二人の少女の上を流れる。
「それって、褒めてんのかあ?」
 ムッとした表情で、乱馬が老婦人にきびすを返した。
「もう、乱子ちゃんったら、横柄な口の利き方は止しなさいって!女の子はそんな物言いしないわよっ!ったく、乱暴なんだからあっ!」
「うっさいわね!あかねちゃんに乱暴だなんて言われたくないわよ!」
「ホホホホ、本当に際限なく、口喧嘩できるのねえ、あなたたちは。」
 老婦人は、また、笑った。

「でも、わざわざ流島へねえ…。あんな、何もないところへ、何しに行きなさるんで?」
 船頭は、まだ、訊き足りないようで、三人を見比べながら、道中の見聞録の続きを申し出る。
「あ、あたしたち、招待されたんです。その、島に新しく出来るっていう「ペンション」のこけら落としに。」
 あかねがにっこりと微笑みながら言った。
「ほお…。あの島にホテル?そんなモダンなものが建ててたっけかなあ…。」
 船頭は、乱馬とあかねの話に、小首を傾げた。
「あら、地元の方なのに、島に建てられた新しいホテルを御存知じゃないんですの?」
 老婦人が、不思議そうに船頭に尋ねた。
「ああ、そんなホテルが建つなんて話は今初めて聞きましたぜ。まあ、陸地から流島の間にはたくさんの島があって、良く見えないからなあ…建てても気がつかなかっただけかもしんねーが。それに、普通、あの島へは。岬の反対側の漁港から行くもんだで。何でわざわざ、俺っちの小さい港町の方へ来ちまったんだ?」
「私の場合は、単なる勘違いですわ。あなたがたは?」
「あたしたちは、案内状を見ないで地図を見たから…。ほら、こっちの港町の方が島に近いでしょう?だから、つい…。」
「たく、おめーが良く、案内状を見てなかったから集合場所の港を間違えちまったんだろうが!」
 乱馬は、まだ、ふてくされる。
「ぐじぐじと男の腐ったのみたいに、ほじくり返して文句言わないでよ!乱子ちゃん!」
「あんだとお?」
 また、雲行きが怪しくなる。それを間から制すように、爺さんが言った。
「どっちにしろ、ホテルなんつう、ハイカラな宿屋は俺っちには縁のない世界だからなあ…。ところで、おまえさん方。ここら辺りから潮の流れがちょいと速くなるから、振り落とされんように、しっかりと船の端につかまってろや。喧嘩なんか、しとる場合じゃないぜ。」
 と、片手で握っていた操舵ハンドルを、両手でしっかりと持った。

 カクン、と船が少し動いたような感じがした。

 確かに、潮の流れが変わったようだ。
 安定していた船の走行が、急に、おぼつかなくなった。渦巻きとまではいかないが、白波が際に立っているのが見える。それに、当てられるように、船体が大きく上下左右に揺れ始めた。
「結構、スリルあるな…。」
「きゃあ、海水がかかっちゃったあ!」
「そら、また、もうひと波、来るぜっ!」
 若い娘っ子の黄色い声に、船頭は、にっと笑いながら、舵を取る。やはり、この近海には慣れ切っているだけのことはある。
「この海流を抜けたら、すぐ、桟橋があるお七夜御崎だ。もうちょいとの辛抱だ。奥さんは大丈夫かね?酔っ払っちゃいねーかね?」
 と気遣う事も忘れない。
「あ、はい、何とか。」
 老婦人は、大きく揺れる船体に、必死でしがみ付きながら答えた。
「それ、俺も支えてやっからよ!」
 思わず、乱馬が手を貸したほどだ。野生児の彼には、このくらいの波など屁とも思わないのであろう。対して、カナヅチのあかねは、振り落とされたら土左衛門だとわかっているから、傍らから乱馬の腕に必死でしがみついていた。

 ウンウンウン、ウワンウワンウワン。
 エンジン音も波にさらわれる度に、大きく唸り音を上げる。
 やがて、打ち寄せる白波は、ピークを過ぎ、次第に大人しくなる。再び、静かになった頃、船頭の爺さんが、乗客たちに言った。

「ほれ、流島の七夜御崎はあそこだ。」
 そう言いながら、親指を差上げて指す。
「あらら、なかなか、ハイカラな建物が先端に建っているじゃないですの!」
 老婦人が手を翳しながら言った。
 突然、目の前に開けた断崖絶壁。その丘の先端に、建物はあった。古い洋館を改装したようで、海松の生い茂る背後とは対照的に、美しい白亜の建物だった。海鳥たちが、ギャアギャアと声を上げて、絶壁をぬって飛ぶ。
「すっげえ、断崖の上に建ってんだな…。切り立ってるっつうか。」
 乱馬があんぐりと大口を開けて、頭上の建物を見た。
「でもよう…。何であんな建物が建ってるのを地元の人が知らないんだ?」
 と素朴な疑問を投げかける。
「さあなあ…。何でも、この島には忌まわしき伝説が幾つか残っていてねえ…。」
「忌まわしい伝説?ですか。」
「あはは、いや、何、あんまり好んで地元民が近づかねえだけだ。この辺りの海流は今見ているように流れもかなり速いからな…。」
 船頭が白亜の豪邸を見上げながら言った。
「なあ、海の孤島なのに、あんな、立派な洋館が建てられるもんなのかよ。」
 皮肉っぽく乱馬が囁く。
「あれは、多分、昔からあった、洋館を改装しただけのもんじゃわ。」
 と、船頭が地元民らしく、もっともらしい理由付けをした。
「前からあった洋館?」
 あかねの問い掛けに、船頭は答えてくれた。
「あの洋館はなあ、何でも、東京さ住んでた旧華族とやらが、戦前に金と暇にあかして建てた別荘だよ。ありゃ、間違いねえ。戦前に建ったまんまの古い洋館をそのまま、改修したものだ。」
「へええ…。海の孤島に戦前に建てた洋館かあ…。」
 乱馬が感嘆していると、船頭は丁寧に追加説明を施してくれた。
「あれが建った昭和の始めか大正時代の頃は、事故があっても、そんなのは建てる側の都合でどんどん闇に葬られたしなあ…。それに、あの建物の基礎は、もっともっと、かなり古い時代からあったんだとよ。」
「建物の基盤だあ?」
「ああ、何でも平安時代辺りから、現世を避けて小さな庵なんかを結んだ僧侶なんかが居たとか、都落ちした罪人が流された…とかいろんな伝説があってなあ、気付いた頃には建物があったそうだよ。
 旧華族の別荘も、古くからあった建物を増築したって、誰かが言ってたっけなあ…。」
「なるほど、昔からこの孤島に、人は住んでいたんですね?」
 老婦人が、にこにこ笑いながら相槌を打ちつつ、爺さんの話に聞き入る。
「でも、ここ数十年は、あの洋館も、すっかり忘れ去られた存在になってしまっただよ。 ほら、太平洋戦争とか、昭和の中頃にはいろいろあったろ?あの戦争は普通じゃなかったからねえ…。日本国中が争乱に巻き込まれてしもうてさあ、戦中には贅沢なんか禁止されていたからねえ。
 訪れる人もいなくなり、長い年月が過ぎるまま、ああやって洋館をすっぽり覆うほどに海松が生い茂り、誰もわざわざ島まで渡らなくなっちまったからねえ…。あんたたちが久しぶりの訪問客なんじゃねえか?」
「長い間、忘れられた島だったんですねえ…。ここは。」
 船頭の言葉を受けて、老婦人が、感慨深げに合いの手を打つ。
「そうか…。どこかの金持ちがあの岬の館と土地を買うたと誰かが噂しておったが、あの建物を改修してホテルにしたのか。なるほどなあ…。」
 と、船頭は船頭なりに、納得している様子だった。そして、改めて、乱馬たちに好奇の瞳を手向けた。
「で?そのホテルのこけら落としに、あんたがたが招待されたって訳なのかい?」
「ええ、とある雑誌からホテルのこけら落としモニターの募集を見つけて応募したら、たまたまご招待されたのですわ、オホホ。」
 と老婦人は笑った。
「そちらの娘さんがたは?そのモニターへ応募なさって、ここまで来たんで?」
「ええ、まあ、そうなんですけど…。正確には、あたしたちは、そのモニター応募に当たった方の代理なんです。」
 あかねはにっこりと微笑みながら、爺さんに答えた。
「別に、好きでここへ来たわけじゃねーよ!」
 と、乱馬が付け足すように言った。


二、

 あれは、今から、つい数日前、一学期が終わった日の事だったか…。


 成績表を抱えながら、高校から帰宅すると、乱馬の母、のどかが天道家に上がりこんでいた。
 まだ、のどかと母子の対面を果たせていない乱馬にとっては、厄介な訪問。彼はすぐさま、玄関先の生花花瓶の水を頭から被り、女の子へと変身を遂げ、難を逃れる。これも、見慣れた、いつもの光景だ。
「おばさま、こんにちはー!」
 などと、わざと明るく、受け答えしてみる。
「あら、乱子ちゃん、こんにちは。」
 まだ、彼女が乱馬と同一人物であると気付かない脳天気な彼の母は、にこにことそれに答えた。
 二人の様子を間近で見ながら、あかねや天道家のほかの家族が、やれやれと言わんばかりにため息を吐く。
 一緒に居間に居た、乱馬の父、玄馬も調子を合わせるべく「ジャイアントパンダ」の姿に変身していた。この父子、乱馬が女に変身できるなどと知れたら、のどかの刀の介錯付きで切腹間違いなしだ。
 切腹が嫌でのどかから正体を隠したまま、無駄な時を過ごしていたのである。
 母に息子と名乗り出られぬ以上、己の素性は誤魔化していた。まさか、水と湯で自由に性別を行き来できる体質だなどとは、母知る由もない。
 故に、彼女にとって、目の前に居る女の子は、「あかねちゃんのイトコの乱子ちゃん」なのである。
 
 梅雨も明けて、本格的な夏。開けっ広げられた、縁側の軒先には風鈴が吊らさがり、チリンチリンと涼を呼ぶ音を鳴らしている。そんな昼下がりのことであった。

 一通り、あかねの父、早雲や姉のかすみとは話が弾んだ後らしく、あかねと乱馬を見るなり、のどかはホテル行きを二人に切り出してきたのである。

「あのね、私の知り合いの娘さんが、こんなのに応募して当選したんだけれど…。やむを得ない理由で断らないといけなくなったらしいの。で、主催者に問い合わせたら、キャンセルは困るっていうお返事が返ってきて…。で、私のところに誰か代わりに行ってくださる方が誰か居ないかしらって頼みにいらしたの。」
 そう言いながら、懐から何やら、書類が入った「茶封筒」を取り出してきた。手に取ると、「夏の避暑決定版!北陸の孤島の豪華な夏休みご招待」と、仰々しく書かれたパンフレットが出て来た。

「おば様、是非、あかねちゃんに行ってもらえないかしらって、わざわざ訪ねて来てくださったのよ。」
 と、かすみが、あかねと乱馬の分の麦茶を注ぎながら言った。
「おばさん、お茶やお花のお稽古を見ているでしょう?だから、若い娘さんに知り合いがたくさんいらっしゃるんじゃないかって。先方さんが気を回してくださったのよ。」
 にこにこしながら、のどかが言った。
「へええ…いいじゃん。あかね。行ったら?ただで泊まれるんでしょう?」
 と、なびきが横からにょっと顔を出す。
「そんな、急に言われても…あたし。一人じゃ何となく心細いわよ…。」
「そうだな…。おめーみたいな不器用女、一人旅させたら、何があったもんだか、わかんねーもんな!」
 隣から乱馬が、茶々を入れる。
「何ですってえ?」
 思わず、あかねが拳骨を握ったとき、のどかが、満を持したように言った。

「そう言うと思ってね…。根回しを別にしておいたのよ。」
 と、嬉しそうに、のどかが切り出したのだ。
「根回し?ですか?」
「何だそれ…。」
 取っ組み合いをフイにされて、あかねと乱馬が、のどかを不思議そうに問い返す。と、のどかは楽しげに言った。
「もう一人、追加してもかまいませんかって主催者の方に問い合わせてみたのよ。あかねちゃんだって、一人で行くより、二人で行った方が心強いでしょ?」
 そう言いながら、乱馬を見やった。
「先方さんは、大切なモニターを兼ねたご招待だから欠席されるよりは、一人くらいなら増えても構わないって、二つ返事をいただいたのよ。」
 そう言いながら、乱馬とあかねを見比べた。どうやら、電話でごり押しした様子が伺える。侮るべからず、主婦パワーだ。
「もしかしてそれって…。私とあかねちゃんと二人で行って来いってことかしら?」
 乱馬が恐る恐る、のどかに尋ねた。
「良くわかったわねえ、乱子ちゃん。あなたはあかねちゃんと、とっても仲良しさんだし。何だかとっても、ゴージャスなホテルらしいから、夏休みの思い出作りに、行ってらっしゃいな!」
 にこにこと、のどかが笑っている。

「よろしいっ!この際だから、二人揃って行って来給え!そこまでの交通費はお父さんが出してあげよう!」
 ポンと、二人の背中を、天道家の主、早雲が叩いた。

「ちょ、ちょっと待ってよ!二人きりで旅行でだなんて!」
「そうだよ!こっちにも、事情っつうのがあるだろうが!良いのかよ!俺たち二人で旅行なんかして!」
 二人とも、共に焦った。
「実に結構!構わないよ!乱馬君のお母さんが、お膳立てしてくださった、ご招待旅行なんだから。行かないのは失礼じゃないかね?二人とも。」
 早雲は、嬉しそうに切り返す。その後ろ側で、パンダが『祝・旅行』と嬉しそうに看板を抱いて、小躍りしている。
「かすみお姉ちゃんも、何とか言ってよ!あたしと、乱ま…、あ、いや、乱子ちゃんが一緒に旅行だなんて、許されるの?」
 あかねは最後の頼みの潔癖症な長姉に、助け舟を要請した。
「あら、別に良いんじゃないかしらん?あかねちゃんと乱子ちゃんは仲良しさんだし、きっと楽しい旅行になるんじゃないかしら?」
 のほほんと、的外れな言葉が返ってきた。
「かすみお姉ちゃんまで…。」
 と、なびきがすっと二人の後ろに立った。
「あら…。二人で何か、都合でも悪いことがあるのかしらん?おば様のご好意を無駄にするのはどうかと思うけど…。」
 と、にたりと笑う。そして、アゴ先で、のどかを見よと言わんばかりに、あかねと乱馬に合図を送る。
 視線の先には、日本刀を持って、少しおろおろするのどかの様子が映し出された。
「あの…。何か不味いこと、おば様しちゃったかしら…。あかねちゃんも乱子ちゃんも、旅行は嫌い?」
 日本刀を今にも抜こうとせんばかりの、狼狽振りだ。こんなところで、真剣を抜かれては、たまらない。
「おば様!落ち着いて!い、行きます!喜んで、ねえ、乱子ちゃん。」
「え、ええ…。行きますわ!もう、二人で思いっきり楽しんで来ます!」
 ぎょっとしたあかねと乱馬が、結局は、二つ返事で引き受けることになってしまった。

「じゃあ、主催者側に、あかねちゃんと乱子ちゃんの名前を書いて、送っておくわね。乱子ちゃんは、あかねちゃんのイトコだから天道乱子で良かったわよね?」
 と、わざわざ確認までする始末。「早乙女乱馬」と名乗るわけにもいかず、
「はい、天道乱子で大丈夫ですわ、おばさま。あは、あははははは。」
 などと、笑って誤魔化す。

(この小心者め!)
 となびきが嘲笑しながら、二人を見比べている。


 そんな、こんなで、乱馬とあかねは二人で、のどかが設定してくれた、三泊四日のリゾート旅行へ出てくるはめに陥ったのである。
 しかも、出発の朝は、のどかも含めた家族一同の見送りを受けた。
 明らかに、家族全員が、二人の旅行を面白がっている。

「乱子ちゃん、あかねのことは頼んだよ。大いに、好きにやってくれても構わないからね。」
 早雲が、あかねに気付かれないように、こそっと乱馬に耳打ちしたほどだ。
「好きにやれって言われても…。」
 のどかの手前、少女のまま苦笑いし返すしか、術がない。
「似合ってるわよ、そのおそろいのワンピース。」
 後ろから、なびきがからかうように声をかける。
「おば様がわざわざ選んで、持ってきてくださったんだものねえ…。ペアルックってさあ。」
 ケラケラ笑いながら、二人を見比べている。
 お揃いのワンピース。あかねには白、乱馬には薄桃色。それぞれの体型にぴったりで、ふわふわフリルが可愛らしい、ノースリーブの清楚なワンピースだった。ご招待でも、一応、豪華という文字が案内状に踊っている手前、きっちりと整えて行くべきだと、のどかがわざわざ準備して、届けてくれたのである。

 勿論、
「スカートなんか履いてられっか!」
と乱馬はかなり抵抗したようだが、
「そんなこと言って、おば様が傷ついたら、人傷沙汰が起こらないとも限らないわよ!いいのかなあ?乱馬君。」
という、なびきの真実味を帯びた一蹴で、渋々、袖を通したのである。

「わあ、やっぱり、このタイプにして良かったわあ。二人とも良く似合ってる。」
 選んだのどか本人は、にこにこと屈託がない。
「記念に一枚、撮っておいてあげるわね。」
 と、なびきが、嫌がる乱馬を跳ね除けて、カメラワークして楽しんでいる。
「あとで、一枚、おばさまにも、焼き増ししておいてね。なびきちゃん。」
「勿論、おばさまにも一枚、差上げますわ。可愛らしい、二人の晴れ晴れしい旅立ちの晴れ着ですもの。」
 とからかい口調だ。
「たく、あとで覚えとけよ!」
 乱馬は、憎々しげになびきを見返した。

『おみやげよろしく!』
 と、ジャイアントパンダが後ろで踊っている。
「忘れ物はないわね?」
 主婦らしい気遣いを見せるかすみ。その後ろで、のどかがにこにこと見送りに立つ。
「二人で思う存分、楽しんでいらっしゃいな。お土産よりも、お土産話をたくさん聞かせてね。」

 たかだか三泊四日の旅行に、大袈裟だと思えるほどの、お節介で迷惑な見送りを背に受けながら、今朝方、東京を出発してきたのである。



三、

「たく、子の気持ち、親知らずだぜっ!ぶりっ子の格好で、こんな迷惑な遠方への旅…。」
 ぶつぶつと独り言のように、乱馬は言い放つ。
 はきなれぬスカートに、さっきから、足元がスースーして気持ちが悪かった。いくら、女に変身してしまう体質を持っているとはいえ、好き好んで女の格好をするほど、堕ちてはいない。ましてや、あかねとペアルック。と言っても、女同士のペアルックだ。精神的なダメージは、相当に大きい。
 ホテルに着いたら、とっとと、ワンピースなどは脱ぎ捨てて、いつものスタイルに着替えたい!
 そう、切に思っていた。
 目的地は福井県の日本海沿い。東京から出向くのには、ぐるりと回って行かねばならず、かなり遠方だ。

 対するあかねはというと、気分転換が早いのか、それとも、元々鈍い性質だからなのか、乱馬ほど、複雑な思いには捕らわれていないようだった。皆の見送りを受けて、揚々と出て来た以上は、この旅を楽しむ。そういう、意気込みみたいなものを感じるほどだ。
 行きがけの電車の中でも、不機嫌な乱馬に比べると、いささか、機嫌が良かった。
 いつもよりは、饒舌だったような気もするし、パンフレットを開きながら、あれやこれやと、旅程内容へと思いを巡らせている様子だった。
「寝室はスィートルーム張りの豪華ベッドだし、本格的フルコースのディナーもあるんですって…。すっごーい!これが全部、ご招待で受けられるだなんて!」
 と嬉々としている。
(女ってえのは、良くわかんねー生き物だな…。)
 女化した乱馬を真横に、はしゃぎまわるあかねに、複雑な表情を手向ける乱馬。
(もしかして、こいつは、俺の事を男だと意識してねーんじゃねーか?)
 そこまで考えた。
 十代後半の男が、…女に変身した男の子と初めて二人旅をする…その不安を払拭するために、必死ではしゃぐフリをしているあかねの心情など、到底、解せる筈もなかった。

 館が建てられている場所は断崖絶壁だったが、そこから少し向こう側へ行ったところに、小さなハーバーが設えられてあった。見ると、他の客人たちを乗せてきた、クルーザーが目に留まる。集合場所を間違えて乗ることができなかった、白い大きなクルーザーだ。そいつが、接岸して、波間にゆっくりと揺れていた。
「へええ…。本格的なクルーザーじゃねーか。」
 乱馬が感嘆したように言った。
「見たこともねえクルーザーだなあ…。まあ、こんな、場末の海域じゃあ、観光客だって好き好んでこねえがなあ…。」
 船頭も感心しながら言った。
「これに乗れなくて、お嬢様方は、さぞかし残念だったかしら?」
 老婦人がくすっと笑った。
「別に…どってことねーさ。」
「あたしは、ちょっと興味はあったわね。中がどんな風になってるかって。クルーザなんか、とんと縁のない人生だもの。」
 正直な心情を、あかねは吐露した。
「帰りに乗せてもらえば良いじゃないかしら?」
 と老婦人は言った。
「そうよ!帰りに乗せて貰えば良いのよ!海の孤島なら、帰りも当然、航路ですものね。」
 とあかねの瞳が、ぱああっと輝いた。
「ホント、単純な奴!」
 吐き捨てるように、乱馬が言うと、
「何ですってえ?」
 とまた喧嘩腰だ。
「ほらほら、いがみ合ってないで、到着したわよ。」
 と老婦人が二人を止めに入った。
「さてと、あとは接岸させるだけだ。」
 船頭はエンジンを切りながら、ゆっくりと、岸へと接岸させる。毎日船を駆るだけあって、馴れた手つきだ。

「お嬢さん方に、この島にまとわり付く伝説の影が影響しなきゃ良いがなあ…。。」
 独り言のように、船頭は、ふっと言葉を吐き出す。

 その言葉尻を、すぐ傍らに居た乱馬が、耳聡く咎めた。
「何だ?その、伝説って…。」
 ポツンと聴こえるか聞こえないかほどの小声で吐き出されたものだっただけに、余計に、耳に止まったのだ。
「ああん?何か聴こえたかね?」
 と、船頭は誤魔化した。
「今、この島にまとわり付く伝説がどうとか、言ってたじゃねえか。」
 乱馬は、懐疑的な瞳で、船長を見返す。
「いや、そんなこと、言ったっけかあ?わっはっは。」
 豪快に笑いながらも、船頭は付け足す。
「ま、どこにでもあるような、言われ話だよ。都会の金持ちに対する地元民のヤッカミ半分も入ってると思うけど、この館の建つ場所には、いろいろ怪談や伝説が伝わってんだ。」
「怪談…ですか?」
 あかねが、聞き耳をたてていたのか、問いかけてきた。
「まあ、辞めておこう。今、こんな話をしたところで、お嬢様方を恐がらせるだけみたいだからな。」
 と、意味深に言葉を含んで、それ以上言及しなかった。
 いや、それ以上、会話が続かなかった。というより、怪談を語って聞かせるだけの時間が無かったのである。
 陸地の方から、一行を迎えるために人が出て来たからだ。
 遅れて来た客人を迎え入れるために、そこに居るのは、一目瞭然だった。
 一人は、颯爽とした、痩身の若者。さりげにスーツなどを着用して、それらしい雰囲気を保っている。この館の若主といったようないでたちだった。そして、彼の傍らには、、これまた、お約束のように居る「執事風」な紳士。二人は、恐らく、この館の全てを取り仕切っている、招待者なのだろう。



「ようこそ!我が、流島ホテルへ。」
 満を持して、桟橋の上から、若者が客人たちに声をかけた。
「クルーザーの集合時刻にいらっしゃらなかったので、ご心配申し上げていたのですよ。」
 と、隣から執事が声をかけてきた。白髪が混じる、五十代半ばくらいの物腰の柔らかい紳士だった。
「ごめんなさいね。三人とも、集合場所をつい、うっかりと見逃してしまっていて。」
 そう言いながら、老婦人が声をかけた。
「えっと、確認させていただきます。今、到着になられましたのは?」
「天道あかねと乱子です。」
 あかねが真っ先に答えた。
「天道あかねさまと天道乱子さま…。お二人はご姉妹ですか?」
「い、いえ、姉妹じゃないですよ。」
 あかねは通り一遍等に答えた。今、乱馬は少女の姿をしている。また、のどかが先に送った資料があるだろうから、それに沿っておかねば不味いだろう。乱馬の素性を知られるようなことは、滞在中絶対あってはなるまい。
「あたしたち、イトコ同士なのぉ!」
 と、乱馬も、甘い声色で誤魔化す。
「その、変なぶりっ子辞めなさい!」
 隣から、あかねが、思わず、頭をこつきかけたくらいだ。
「で、そちらのご婦人は?失礼ですが…。」
 執事が顔をしかめながら、問いかける。
「田中鈴音でございますわ。おほほ。」
 今まで一緒に小船に揺られてきた老婦人が笑いながら答えた。
「失礼ではございますが…。こちらが聞き及んでおります、田中鈴音さまとは、ちょっと、年齢が違うような気がするのですが…。」
 明らかに、書類不備でもあったのだろう。執事が困惑気味に答えた。
「おほほほ、ちょっと、年を鯖を読ませていただいたんですの。」
「鯖を…ですか?」
 乱馬がひょいっと、執事の背後に回り、書類に書かれてある年齢を見た。
「お、おい!婆さん。いくらなんでも鯖読み過ぎじゃねーのか?ここには二十歳って書いてあんぞ!」
 苦笑しながら、指摘する。
「あら、私、二十歳から一切、歳を取らないことにしておりますの。おーっほっほっほ。」
 と煙に巻くような物の言い方だ。
「実際、いくつ鯖読んでんだよ…。もう、二十歳を三順くれえ、軽くしちまってんじゃねーのか?」
「あーら、あなた方も女だったら、今のうちにわかりますわ。歳を取らなくなりたいという原理が…。」

 ウウン。と執事は軽く咳払いをして、言った。

「肝心なことでございますが、貴女様は本当に、田中鈴音さまで?」

「ええ、何なら…えっと、身分証明証など…。」
 婆さんは持っていたカバンをゴソゴソとかき回し、免許証を出してきた。そこには、確かに「田中鈴音」と顔写真入りで明記されている。

「ちょっと拝見…。」
 そう言いながら、執事は、眼鏡を凝らす。
「確かに、現住所も一致しますな…。」
「でもよう、生年月日からすると七十歳くらいだぜ。幾らなんでも、鯖、読みすぎじゃねえのかあ?」
 コツン、とあかねが横から頭を叩いた。
「いてぇーっ!何しやがる!」
「あんたねえ、デリカシーっつうものが無いの?横から個人情報を盗み見るなんて、失礼でしょうが!タダでさえ、大人な女性に年齢を尋ねるのはとっても、非常識な行為なのよ!」
 と、お咎めが入る。
「うるせーな!四十以上鯖読むのと、どっちが非常識っつーんだよ!」
 ブツクサと、あかねを見上げる。

「いずれにしましても、ここから帰って貰うのもお気の毒だ。ここにいらっしゃる間は年齢が二十歳、それで良いじゃないか。立浪。」
 若者が執事にそう付け加えた。
「でも、紫苑様…。」
「良いんだ。今回のご招待の趣旨は、ゲストの皆様に存分に楽しんでいただくこと。このご婦人の年齢に偽りがあっても、何ら支障はきたさない。そうだろう?」

「さすが、若主人、物事が良くわかってらっしゃるわあ!」
 老婦人が目を輝かせながら言った。

「よござんしょう!紫苑様がそう言われますのなら…私にも異存はございません。」
 渋々、執事は承諾し、事は収まった。

「じゃあ、そういうことで…。あ、君。」
 そう言いながら、若者は、今しがた乱馬たちを船でここへ連れて来た船頭に向かって声をかけた。
「へ?何ぞ御用で?」
 船頭は、何だと言わんばかりに、きびすを返した。
「えっと、あなたは確か月浦の方かな?」
「ええ、そうがす。日浦じゃなくて月浦の漁師ですが…。」
「漁師が本業ですかな?」
「へえ、このご婦人にここまでお連れするように依頼されて乗せて来ただけで。本業は近海の漁師ですが…」
「ならば、丁度良かった。なあ、立浪。」
 そう言いながら、執事を見やった。
「まさに、渡りに船とはこの事です。エー、君。」
「君っていうのは、ちょっと気持ち悪いな。次郎太って呼んでくれ。」
 船頭は苦笑いしながら答えた。荒々しい海の男には都会の名称など、耳障りだったのだろう。
「じゃあ、次郎太さん。良かったら、明日、近海の魚介をそうだなあ…二十人前ほど届けてはくれぬだろうか?」
 若者が話し掛けた。
「当てにしていた日浦の漁師が、この暑さに疫病になって魚場に出られないと連絡があってねえ…。丁度、代わりに新しく、都合してもらおうと思って居たんだ。何、お礼はたくさん弾むよ。どうだ?引き受けてはくれまいか?」
 と、交渉に入る。
「お代は…このくらいでいかがでしょうか?」
 執事がさっと、電卓を叩いて提示した。
「ほおお!これはこれは。ようがしょ!お届けさせていただきましょ!」
 気合が入ったところを見ると、期待以上の額を提示されたようだ。
「月浦のよりをかけた新鮮な魚介を、お届けにあがりましょう!」
「ああ、是非ともそうしてくれ。楽しみに待っているよ。」
「良かったわねえ…次郎太さん。また、新しい商売になって。」
 と鈴音婆さんがにっこりと微笑んだ。
「確かに。ありがたいことで。」
 にいっと、海の男は逞しそうに笑った。それから、手を振りながら、小船に乗って、帰って行った。

「さて、いつまでも、お客人を待たせておくわけにはいきません。あなた方も、さあさ、こちらへ。」
 遠ざかる次郎太の小船を見送りながら、若者は館の中へと先導した。




 一之瀬的戯言
 島の名前や地名は創作です。適当につけました。
 で、何で舞台が北陸方面かと言いますと…。ネタバレしそうなんで、また後で(こら!



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