◆赤きバラの情熱



第六話 浸透する闇

一、


 キキーッと自転車のブレーキ音が門の外で響き渡った。ブレーキ油が切れているのか、それともわざと大きな音を出したのか。

 ハッとして振り向くと、長髪の男が自転車から降りて来た。

「こんばんわ…。ここに、岡持ち持ちの女子が来てねーだか?」
 聞き覚えのある声が響く。癖のある日本語だ。

「ムース?」
 あかねが最初にその声に反応した。

「ん?そこに居るのは…天道あかねではねーだか?」
 声の主はあかねへと声をかけてきた。

「やっぱり…、ムース。何しに来たの?」
 あかねが驚きの声をあげた。大上とムースの結びつきが今一つわからなかったからだ。

「ここにシャンプーは来てないだか?」
 唐突にそう問いかけて来た。

「シャンプーなら、そこに居るけど…。」
 あかねは水浸しになって、目を回している女乱馬の上に乗っかっている猫を指差した。

「にーにゃんっ!」
 シャンプーはムースへと声をかけた。丸で、何しに来た…と言っている様子だった。

「おらは、なかなか出前に行ったきり戻って来ないシャンプーを探しに来ただが…。ムムム…。貴様は乱馬だな?何やってるだ?」
 猫になったシャンプーに女化して泡を吹いている乱馬を見つけて、ムースが顔をしかめたのは言うまでも無い。
「また、性懲りもなく、シャンプーをくどいてるだかーっ!」
 そう言いながら、大上へと食らいついた。近眼のムースは、乱馬と大上を見違えたようだった。

「違う、違う。それは乱馬じゃなくて、この家の主の大上君よっ!」 
 慌てて、あかねはムースを大上から引き剥がしにかかった。

「な…何だい?君は…。」
 近眼のムースに、いきなり食らいつかれて、大上は驚いた様子だった。

「むむむ…その声…。確かに、乱馬ではねーだな…。それに、乱馬はこんな良い男でねーだ!」
 と大上に向かって吐きつけた。

「誰が良い男じゃねーって?」
 その言葉に、むくっと乱馬が起きあがる。

「おお、そこにいただか…。この、色情魔!」

「こらっ!誰が色情魔だっ!」
 ムカッと来た乱馬が、ムースへとせっついた。

「乱馬よ。また、貴様はシャンプーをこんなところで口説いていただかっ!シャンプーが帰って来ないからと、出前ついでに様子を見に来たら…この体たらくじゃっ!」
 矢継ぎ早にムースは乱馬へと文句を言い放った。
「口説いてねーよっ!…っつーか、こっちが口説かれてたんだっ!」
 ぐぬっと乱馬が、ムースを睨み返した。
「おまえがシャンプーにこんなところで足止めを食らわせてるだから…おばば様におらが怒られたでねーかっ!店は忙しいだっ!とっととシャンプーを帰すだっ!」
 ぐるぐる眼鏡を巡らせて、ムースが乱馬へと詰め寄った。
 
「知らねえよ…。さっさとシャンプーを連れて帰ってくれ…。」
 びしょ濡れになった乱馬が、ムースへと言葉を巡らせる。
「シャンプーも出前をしたらさっさと戻って来ねえーとダメでねーだか…。おばば様が怒っておったぞ。店が回らんとな…。」

 いつの間にか、シャンプーは猫から人間へと戻っていた。手には湯気を上げる携帯ポットが握られている。
「だって、すぐ食器を入れ替えるから、暫く待っててって、そこのお客様が言ったある。すぐに食器をうつすからって…声をかけてくれたあるよ。
 こっちも食器を取りに来る手間が省けるから、助かるある。だから、待ってただけあるよ。」
 ぷくっとふくれっ面をしながら、ムースに受け答えていた。

「本当だか?」
 眼鏡を持ちながら、ギロリと大上へと瞳を巡らせたムース。

「ええ、確かにそう僕が言ったんですけど…。だって、またこちらまで足を運んで貰うのは忍びなくて…。ここまでは結構な坂道ですしね…。」
 大上が笑いながら、答えた。

「ほら、だから、私、この玄関先で待ってたあるよ…。そしたら、乱馬が通りがかったね。」
 またすりすりとシャンプーは女のままの乱馬へと、容赦無く抱きついた。それを間近に見たあかねの形相が、またきつくなる。
「こら…シャンプーッ!くっつくなっ!」
 また、頭から冷や水をかけられたくない一心で、乱馬はシャンプーへと声を荒げた。
「そういえば、何故、天道あかねもここへ居るだ?」
 心中、怒りで煮えたぎっているあかねへ、ムースは問いかけた。

「僕も、理由が聞きたいですね…。こんな夜更けに、皆さん揃って、何故僕の家までいらしたんです?…ってクラスメイトの誰も、僕の家を御存知じゃないと思うんですが…。」
 大上も真顔で問いかけてきた。

「あたしが説明するわ。」
 そう言って、公子が口を挟んだ。
「えっと…あたしの家ってわりとここに近いんだけど…。ここって長い間空き家だったでしょう?学園祭のオカルト喫茶の内装や装飾品の参考になるものがあるんじゃないかって…その…放課後、大上君が帰った後に、盛り上がっちゃってさー。」
「ここって、廃墟のムードがビンビンに漂ってるからって…肝試しついでに、ちょっと見学させて貰おうって話がまとまっちゃったんだよ。」
 さゆりが脇から突っ込んだ。嘘をついたところで、何の得にもなるまい。そう判断したのである。

「肝試し…ですか…。」
 大上は思わずその言葉に思わず、苦笑いを浮かべた。
「確かに…まだ引っ越してきたばかりですから、家にも手は入れていませんし…。ご近所へ御挨拶にも行けていませんから、泥棒か何かが棲みついたと思われても仕方がない節はありますが…。」

「ごめんなさい。失礼なことをして。」
 公子がペコンと頭を垂れた。

「まあ…君たちはクラスメイトですし…。僕も学園祭の準備委員会に絡んでいますから…不問にさせていただきますけど…。勝手に屋敷に入って来るなんて…。不法侵入の類になりますよ…。」
 明らかに困惑顔を手向ける大上。だが、タダでは引かない、クラスのまとめ役公子は、早速、大上へと食らいついた。

「大上君…。改めてお願いするわ。学園祭のオカルト喫茶の参考にするためにも、是非、この家、見学させて貰えない?」
 唐突な申し入れだ。

「ちょっと…公子…。」
 良識派のあかねが戸惑いの声をあげた。迷惑じゃないのかと言いたげだ。

「だって、折角出向いて来たんだし…。ここが大上君の家だってわかったんだから、直接交渉するのもありかなって思ってさあ…。」
 にっこりと公子は微笑んだ。

「見学させてあげたいのは山々なんですが…。今夜のところは勘弁していただけませんか?」
 と大上はやんわりと断りにかかった。
 当然だ。とっくに八時は回っている。早い家なら就寝に就いてもおかしくなかろう。

「ってことは、日を改めて、昼間なら良いかしら。」
 公子は瞳を輝かせながら、言い放った。

 暫く大上は考える素振りを見せた。
「うーん…。僕だけの判断では、決め難いものがあるんですが…。」
 チラッと二階へと瞳を上げた。ぼんやりと照らしだされる、二階の灯火。と、灯火が妖しげに一度だけ揺れた。まるで、大上の言葉に返答を投げ返しているようだった。
 チュチュチュと声をあげて、大上の背中へとムササビが飛び移った。何かを語りかけたような風にも見える。
 その場には、二階の灯火もムササビのとった行動も、気に留めた者は居なかった。

「あたしも、是非、お願いしたいわ。この家って昭和初期に建てられたんでしょ?オカルト喫茶の参考にするのはともかく…こういう様式の古い館の中、一回で良いから見てみたくて…。」
 ゆかも目を輝かせて、大上へと迫る。
「みんなも見たいでしょう?ねえ?」
 公子は強引にリサやあかねたちを焚きつける。
「でも、みんなで押しかけたら、迷惑じゃないかしら…。」
 あかねが少し否定気味に言葉を巡らせた。

「……わかりました。オカルト喫茶の参考にしたいんですよね?こちらの指定する時間内に来ていただけるのなら…。」
 クラスメイトたちのごり押しに、渋々という具合に、大上は折れた。
 その返答に、チュチュチュチュとムササビが大上の背中を興奮したようにぐるりと一巡りした。

「え…ほんと?大上君っ!」
 キラリと公子の瞳が輝いた。

「ええ…。明日、一時頃から三時頃までの二時間だけなら…。但し、全ての部屋をお見せする訳ではありませんよ。ほら、まだ越して来て間が無いから、掃除も片づけも全然、手についていなくて…。
 何ぶん、古い家ですから、修理しないと足も踏み入れられない個所もありますから…。客間くらいなら…。それでも良いなら…という条件付きですが…。」

「きゃああっ!ありがとうっ!大上君っ!これで、学園祭は準備万端整えられるわっ!」
 大げさなくらい、公子は飛び上って喜んだ。

「えええ…夜じゃないんですかあ?」
 ボソッと五寸釘が傍から吐きつけた。
 このオカルトチックな少年は、残念そうな表情を浮かべる。
「できれば、今すぐ、拝見させていただきたいんですけど…。」
 五寸釘が話かけてきた。

「今夜は遅いですし…。日を改めて下さい。」
 五寸釘の懇願を、遮るように、大上は言った。

「そうよ、五寸釘君。ここは空き家じゃなかったんだから…。住人の大上君の意見は尊重しなきゃ。」
 あかねがやんわりととりなす。
「あかねさんがそう言うなら…。」
 あかね崇拝者である五寸釘は、渋々、願いを取り下げた。

「とにかく…シャンプー、これ以上遅くなったら、おばば様は本気で怒るだ。とっととオラたちは帰るだ。」
「乱馬はどうするあるか?猫飯店にご飯、食べに来るか?」
 シャンプーは乱馬へと声をかける。乱馬は乱馬で、チラッとあかねの顔を盗み見た。勿論、山の神「あかね」は不機嫌な瞳を、無言で乱馬へと投げ返してくる。
「あ…いや…。俺は、公子やゆかたちを送って行かねえといけねーから…。」
 と咄嗟に言い繕う。公子の家に泊まるなどと言ったら、シャンプーが黙っていないだろう。ここは、無難に切り抜けるに限る。

(たく…情け無いんだから…。)
 怒った表情を投げつけながらも、あかねは黙って頷く。

「ほら、シャンプー。早くするだっ!おばば様が待ってるだっ!」
 ムースは痺れを切らして、シャンプーへと声をかけた。
「仕方無いあるね…。今夜は帰るあるか…。」
 シャンプーも重い腰を上げた。
「じゃ、乱馬、またね。それから……由依(ゆえ)様によろしくある…。」
 そう言いながら、大上へと小声を投げかけた。乱馬やあかねたちには聞こえない程の小声であった。

 その言葉に、コクンと大上の頭が揺れた。

「ゆえさま?…誰のことだか?」
 ムースだけに聞こえたようで、シャンプーの言葉尻を捕えた。聞き慣れぬ名前だった。
「誰でも良いね…。それより、さっさと帰るある。」
 シャンプーは自転車へとまたがると、さっさと漕ぎ始めた。
「あ…待つだ。オラを置いていかねーでくれだっ!」
 ムースが追いすがった。置いてけぼりを食った形だ。慌てて、ムースも自分の自転車にまたがると、漕ぎ始めた。シャンプーとムースの姿が遠ざかって行く。

「あたしたちもお開きね…。」
 その姿を目で追いながら、公子もそう吐き出した。
「ごめんね…勝手に侵入しちゃって…大上君。」
 あかねがすまなさそうに大上へと声をかけた。

「あ…いえ…。特に問題があった訳じゃありませんでしたから…気になさらないでください。」
 愛想良い笑顔を浮かべて、大上は一同を見渡した。
「じゃ、皆さん…。ご見学されたい方は、明日、二時過ぎにいらしてくださいね。」
 と告げることも忘れなかった。

「じゃ、また…。」
「大上君、おやすみなさい。」
「明日、きっと訪問させてねーっ!」
「さよーならー。」
 口々に言葉を放ちながら、開いた門戸の外へと立ち去る。

「ごきげんよう…皆さん…。」
 大上は手を振りつつそれに応える。その背中にはムササビが、チョロチョロと走り回った。キキキと金切声のような物を大上へと吐き散らしている。

「ま…そう言うなよ…。由依はゴーサインを出してくれたし…。それに…君も感じたんじゃないのか?妖(あやかし)の気配を…。」
 キキキと頷くように、ムササビは動き回る。
「あの中にターゲットが目をつけた人間が居るかもしれない…。多分、由依もそう思った筈だよ…。」
 ニッと大上は笑った。
「僕も気になっていることを確かめたいし…。それに、早乙女君のことも気になるじゃないか…。」
 クスッと鼻先で笑う。
「さてと…。招くって決めたんだから…。準備も整えなきゃね…。掃除もしなきゃならないし…。勿論、おもてなしの用意もね…。」
 そう言って、大上は館の中へと入って行った。
 その後を受けて、ギギギッと鉄門が閉じる。ひとりでに…。

 カチャッと鍵のかかる音も一緒にした。




二、
 

 あれから、大上の家を辞すと、五寸釘以外のメンバーは、真っ直ぐに公子の家に来た。
 五寸釘だけすぐ先で別れた。
「早乙女君はお泊りですか?」
 と不服げに口を尖らせる。できれば、自分も行きたいと告げたげだったが、
「早乙女君は女に変身できるから、用心棒にはもってこいなの。悪いけど、完全無比なる男の子の五寸釘君はここで帰ってね。」
 と公子はすげなくそれに応える。
「ま、別に良いですけどね…。他に行くところもあるし…。」
 ボソッと五寸釘が言った。
「他に行くところ?こんな夜更けに?」
 ゆかが不思議そうに問いかけると、
「ええ…。せっかく出てきたんですから…。ほら、月も明るいし…。墓場廻りなど…。」
 ヒッヒッヒッと薄気味悪い笑い声をたてる。
「訊いたあたしが馬鹿だったわ…。」
 思わず、ゆかが苦笑いを浮かべてしまった。
「じゃ、皆さん、ごきげんよう…。僕は月明かりの中、墓場へと参ります。うっふっふ。」
 そう言うと、五寸釘はくるりと背を向けて、一人、とぼとぼ、逆方向へと歩き出す。

「…たく…考えれば考える程、訳のわからん奴だぜ…五寸釘はよう…。」
 ボソッと乱馬が吐き出した。
「そうよねえ…。この季節に肝試しの続きだなんて…。」
 あかねがそれを受けてコクンと頷く。
「最早、趣味の域を脱してることだけは確かね…。」
 公子もほおっと吐き出した。


 真っ暗な空に星がキラキラとさざめき出す夜半。十一月に入ると、そろそろ秋から冬に移ろいゆく季節。日付をまたぐ頃になると、グッと冷え込んで来る。
 まだ、震えるほど冷たい訳ではないが、そろそろ暖房機が欲しくなる。
 乱馬とあかね、それからゆかとさゆりとリサは公子に連れられて、大上の家の裏手の方向にある、閑静な住宅地へと向かった。


 ☆★☆


「ええええ?何であたしと乱馬の二人きりなの?」
 二階建ての木造住宅にあかねの声が響き渡った。
 公子の家での準備会兼お泊り会。その部屋割を廻って、あかねがとうとうと異議を申し立てている最中だった。

「だって、この六畳間で雑魚寝するにしたって、限界があるわ。蒲団を敷きつめて、ゆかとさゆりとリサとあたしの四人が眠るのに精いっぱいの広さだもの…。」
 ニッと公子が笑った。
「だったら、公子が自分の部屋へ行って、あたしがここに寝れば…。」
 あかねが息まきながら言った。
「あら…。あたしだけ一人別に寝かせる気?つまんないなあ…。」
 と公子がポソッと吐き出した。
「だからって、何でそういう部屋割になるの?」
 あかねは顔を真っ赤にして問いかける。


 一階の和室にあかね以外の女子四人で雑魚寝し、乱馬とあかねは奥の四畳半へ…そんな部屋割を公子が言い渡したのだ。
 乱馬は入浴中でこの場には居合わせていない。その間に、女同士の気易い会話が繰り広げられている。


「楽しいお泊り会ですもの…。一人はぐれるのはごめんよ。」
 と公子は言い切った。一人っ子の彼女はお泊り会そのものを楽しみたいという欲求が強いのだろう。
「だからって、何であたしが乱馬と同室なのよっ!」
「あら…あかねって怖がりなんでしょ?さっきの怪談を聞いた後で、一人で寝られるのかしら?」
 と涼やかな声が返される。
「じゃあ、ゆかかさゆりか、誰かもう一人、あたしと一緒の部屋で…。」
 あかねが吐きつけると、
「誰が好きこのんで、あんたらの間に割り込む野暮が居るってーのよっ!」
 さゆりが言葉を投げた。
「じゃあ、あたしが乱馬と別れるわ。」
「あのねえ…。女に変身できるっていったって、乱馬君は男の子なのよ?許婚のあかねはともかく…他の女子たちに囲まれて寝かせて良いの?」
「う…。」
 思わずあかねの声が詰まった。冷静に考えると、さゆりの言うとおりだったからだ。

「せっかく、わざわざ気を回してあげてるんだから…。あかねは乱馬君と休みなさい。」
 と公子がニッと笑った。
「だから、どーしてそう言う風になるのよっ!」
 堂々巡りだ。
「…もー、これだから、あかねは…。夕刻、シャンプーが乱馬君にまとわりついてたことに気を悪くしてたでしょ?あかねは…。」
「そうそう、嫉妬心バリバリに燃やしてた。」
 ゆかが言った。
「はあ?シャンプーに嫉妬なんかしてないわよ…。」
 急に小声になって、言い返す。
「にしては、乱馬君に水を浴びせかけたりしてたじゃない。」
「そうそう、猫嫌いって知ってて、シャンプーを猫に変化させて、しつこくすりつけてたじゃない…。」
「乱馬君可哀想に、悲鳴をあげてたわねえ…。」

 ゆかとさゆりが二人がかりであかねへと言葉を巡らせる。いわんや、リサも公子も、傍観しているとはいえ、ニタニタ笑いながらそのやり取りに耳を傾ける。

「あんたさー、乱馬君の許婚なんでしょ?」
「乱馬君だって、本命はあかねなんだろーしさあ…。」
「天道家(あかねんち)じゃあ、乱馬君は居候なわけだから、気を遣ってなかなかあんたに手を出してないみたいだし…。」
「悪いことは言わないから、少しでも関係をすすめなさいってっ!」
「そうそう…。多少の事には目をつぶってあげるから。…ね?」
 
「だ…だから、余計なお節介なんだってばーっ!」
 あかねは顔を真っ赤に熟れさせて、口を尖らせた。

 友人たちは容赦なく、様々にあかねへと攻め入った。

「友だちのお節介は快く受けなさいっ。」
「そうそう…。二人して、奥手を脱却なさいって。」

 真夜中だとういのに、わいのわいのと、賑やかしい。


「たく…。おめーら、何やってんだ?」
 濡れた頭をタオルでしごきながら、渦中の少年がドアを開いてリビングへと入って来た。風呂からあがったばかりの顔を紅潮させている。上がり際に水をかぶって、女へと変化を遂げていた。女性ばかりの集まりなので、彼なりに気を遣ったのだろう。
「もう夜中だから、あんまり騒いじゃあ、近所迷惑になっちまうんじゃねーのか?」
 と優等生的な言葉を投げる。
 あかねを中心に何をわいわいやっているのかと、穿った瞳を投げかける。

「もう夜も遅いし、そろそろ寝ようかって言ってたのよ。」
 ゆかがにっこりと笑う。
「風呂上りに何か飲む?乱馬君…。」
 公子が問いかけた。
「そーだな…。冷たいお茶でもあったら嬉しいかな…。」
「じゃ、適当に好きなのを飲んで。」
 そう言いながら、持ち込んだペットボトル飲料水をトンと置いた。
 それを紙コップに注ぎながら、ゴクンゴクンと飲んで行く。

「わざわざ女の子に変身したんだー。」
 乱馬の腕をぷくっとゆかがこれ見よがしに押した。
「上着を着ないと風邪ひいちゃうよ。乱馬君。」
「大丈夫だよ…。てめーらとは鍛え方が違わあっ!」

「そう言う問題じゃなくって、目のやり場が無いって言ってるのっ!ったく。」
 ムスッとあかねが吐きつける。

 乱馬が着用しているのは、男パンツと黒いランニング一丁。それも、男物なので、女化した彼には少しだぼついている。故に、ぼわついた衣服の隙間からこれみよがしなオッパイの片鱗がチラホラと覗いていた。

「別に、皆、見慣れたもんじゃねーのか?…それとも、おめーはペチャパイだから妬いてるとか…。」

「バカあっ!」
 べしっと、思わず、持っていたノートで頭を引っぱたく。
「痛ってーなっ!この野郎っ!」
 甲高い声が響く。
「とにかく、さっさとパジャマを着なさいよっ!」
「うるせー!ぎゃーぎゃー騒ぐなっ!」
「騒いでるのはどっちよっ!」

 真夜中だから大声をあげるなと、言った先からこれである。
 また、始まったかと、ゆかやさゆりたちも、はあっと溜息を吐き出した。

「とにかく…。あたしたちは休むから…。後は適当にやってね。」
 公子たちはそう言葉を投げると、そそくさとリビングから消えた。

 まだ、言い争いを止めない乱馬とあかねをポツンと残す形になった。
 辺りがシンとしてしまって、改めて、二人、ぽつねんと取り残されたことを知る。
 急に静かになった周りに、
「……あれ?公子たちは?」
「寝室に行っちゃったようね…。」
 ふうっとあかねは溜息を吐きだした。去り際に公子はエアコンのスイッチを切ってしまったようで、ひんやりと冷えて来る。
「で?俺はどこで休めば良いんだ?」
「あたしと乱馬は奥の部屋だって…。」
「え…。俺一人じゃねーのか?」
 キョトンと乱馬はあかねを見返した。

「何か、変な気を回されちゃったみたいで…。あたしとあんたで寝ろって…。」
 ボソッと吐きつける。
「…おめー、それを承知したのか?」
「まさか…。猛抗議したんだけど…。あんたが風呂から上がって来て、うやむやにされたみたい…。」
「…たく、変な気を回しやがって……。ま、グチグチ言っててもしゃーねな…。俺たちも休むか…。」
 ことんと持っていたコップをテーブルへと置いた。
「いいの?」
 ぼそっとあかねが声をかける。
「しゃーねーだろ?…俺たち二人とも他の皆に取り残されたみてーだし…。夜通し起きてる訳にもいかねーし…。夜はちゃんと眠っとかなきゃ…。風邪なんかひいちまったら洒落になんねーからな…。
 それに…寝ちまえば、同じだろ…。」
「それもそーね…。サクッと寝れば良いのね…。」
「そういうことだ…。で?奥の部屋って?」
「廊下の向こう側らしいわ…。」
「じゃ、荷物持って行くか…。」
 乱馬は傍に合ったリュックを持ち上げると、さっさと廊下を通って奥の部屋へと引き上げる。



三、

 寝室として用意された部屋は四畳半程度の和室だった。家具もテレビも無い、ガランとした部屋だった。

「おい…。これ…。」
 障子を開いて、思わず立ちつくす乱馬。
「え?」
 その後ろ側からあかねが覗きこむ。

 部屋の中には蒲団は一つ敷き詰められていた。大きさからダブルのものだとわかるが、敷き蒲団も掛け蒲団も毛布も、大きめのが一組だけ。
 予め、これみよがしに準備されていた。

「公子の奴…ふざけた真似を…。」
 思わず握った手に力が入った。

 じわじわと足元から冷えて来る。クチュンと一つ、あかねはクシャミを放った。

「…たく…」
 そう一言吐き出すと、乱馬は後ろのあかねへと声をかけた。
「このまま寝ない訳にもいかねーから…蒲団へ入るぜ…。」

「え…本気で言ってるの?」
 思わず、ドキッとした。

「本気も何も…。蒲団はこれ一組しかねーし、他人の家だから、夜中にバタバタやる訳にもいかねーだろ…。外は木枯らしが吹いているし、ここへ寝るしかねーんじゃないか?」
 そうゆっくりと吐き出した。

「まあ…そうだけど…。」
 そう言いつつも、困惑は隠せない。

「心配すんな…。女のまま寝てやるよ…。もっとも、最初からそのつもりだったから、風呂あがる時に水を浴びたんだし。」
 すっと言葉を投げてきた。
「それに…色気のねえ女には、全然、興味ねーから…俺は…。」
 あかねが怒気を孕みそうな言葉まで投げつける。

「誰が色気が無いですって?」
 言葉尻を捕えて、ムカッときたあかねがそう声を投げつけた。
「あん?俺に襲って貰いたいとか言うのか?」
 と乱馬は言葉を返した。
「そんな訳ないでしょっ!ったく…。いいわよ、一緒に蒲団にもぐりましょ。」
 そう言うと、あかねが先に蒲団へと転がり込んだ。

「ちゃんとパジャマ着てから入って来てよっ!じゃないと、入れてあげないからねっ!」
 と毒づくことも忘れずに。

 かすみが準備してくれた、いつものナルト柄のパジャマに袖を通す。

「別に…盗聴器とかなさそうだな…。」
 電灯を消す前に、軽く部屋をチェックする。
「公子がそんなことする訳ないでしょ?」
 蒲団から顔を出したあかねが思わずそう声をかけた。
「念のためだよ…。」
「盗聴器があったらまずいの?」
 思わず問い返すあかねに
「あほっ!まずかねーっ!」
「だったら別に探さなくっても良いんじゃないの?」
「なびきが公子をそそのかして、盗聴させる真似まではしねーかって…念のためにチェックしてるだけだよ…。」
「何、猜疑心抱え込んでるのよ…。なびきお姉ちゃんと公子は接点がないわよ。」
「わかんねーぞ…。なぎきの情報網を甘く見て、やられるのはいつも俺だし…。」
「考えすぎよ。」
「それもそーか…。」
 そう言葉を投げると、乱馬も蒲団をめくって中へと入る。

 先に入ったあかねの温もりに、思わずドキッと心臓が唸り音をあげる。
 辺りはシンと静まりかえっている。閑静な住宅地の中だ。天道家よりも静かだ。
 傍には惚れた女の温もり。ゴクンと生唾を飲み込む。女に変化していても、元は健康な男だ。恐らく、男の身体のままなら、平然と横たわってなどいられまい。
 自分が女変化出来て良かったとも思った。いや、反面、女に変身する己が恨めしくさえ思える。
 カップルとしての正念場に居るにも関わらず、女に変化してその場を逃れている、不甲斐ない自分が情けなかった。

 本当は男のままあかねの傍に在り、そして、その温もりを独占したい…。

(たく…面倒な身体だぜ…。)

『身体が綺麗なままなら、別れる時も後腐れがない…。そういう打算が、お互いの心の奥に働いているんじゃないんですか?』
 大上の言った言葉が脳裏に突き刺さる。
 手を伸ばせば、すぐにでも触れられる彼女の身体。それなのに素直に触れられないのは、女化する己の呪いを意識しているからだ。それは、大上に指摘されなくても、自分が一番良くわかっていることだった。

 複雑な想いに捕われたまま、揺れる乱馬の耳元に、先に寝入ってしまったあかねの寝息がすやすやと聞こえてきた。

(…悶々としているのは俺だけか…。)
 ふうっと大きな溜め息が漏れた。
(何を期待してるんだ…俺は…。)
 思考することをそこで止めた。そして、固く閉じる瞳。やがて、傍の温もりは安らぎへと変化する。
 触れるか触れぬかのギリギリの瀬戸際で、彼女のぬくもりを求めた。
(完全な男に戻ったら…その時は…絶対に…。それまでは見守り続けよう…。今はそれで良い…。)


 そう思った途端、急激に深い眠りが乱馬の上を下りて来た。もともと、良く寝る快男児だ。傍に感じるぬくもりは、心地よい眠りへと彼を誘う。

 乱馬が寝入るのを待っていたかのように、深淵の闇から「そいつ」は現れた。
 スススと音も無く近寄って来る、人の腕くらいの赤みを帯びた煙だった。そいつは、あかねの傍にゆらゆらと揺らめく。乱馬の方からは死角になって、何も見えない。それどころか、深い眠りに入ってしまった彼は、その気配すら感じることが出来なかった。

 まとわりつくように、くるりとあかねの顔の上を一巡りすると、煙は微かに赤い光を帯びた。そして、ジジジと小さな音をあげて、そのまま、あかねの少し開いた口元から、体内へと侵入を図った。あかねの吐息と共に、飲み込まれるように、口から体内へと消えて行く。

 無味無臭だったのだろう。あかねは少しだけ寝返りを打っただけで、目を開くことは無かった。


『あかね…。』
 誰かがあかねの名前を呼んだ。聞いたことのあるような若い女の声だった。誰の声か、記憶が繋がらない。
『誰…?あたしを呼ぶのは…。』
 深い意志気の底で、その声に返答を返す。
『わたくしよ、あかね…。』
 一人の女性の姿が、ぼんやりと浮かび上がって来た。見覚えのある容姿の女性だった。
『あなたは…あの洋館の…。』
 そう象りかけたあかねの言葉を遮るように、女は言った。
『ねえ、あかね…そなたのその瑞々しき身体…私に貸しておくれ…。』
 凍りつくくらいに冷たい感触が、あかねの意識へと直接触れる。
『イヤだって言ったら…?』
 勝気な瞳で彼女へと言葉を投げつける。
『そなたに拒否などできぬ…。すでにそなたは私の虜(とりこ)。』

 女の身体が霧状に崩壊したかと思うと、あかね目掛けて襲いかかる。
 ぶわっと散らばった煙が、容赦無くあかねの身体へと巻きついた。

『え?』
 ガシッと煙はあかねへと巻きつくと、あかねの身体の中へと浸みわたるように消える。
 と、ゴオッと物凄い勢いで、感覚が激流へと飲まれて言うような錯覚を覚えた。己が身体の奥から、目が回るほどの激しい衝動が、脳髄目掛けて突き上げて来る。
『いや…やめてーっ!乱馬…助けて…乱馬…!』
 声の限りに叫んでいた。

『助けを呼んでも誰も来ぬわ…。ここはおまえの意識の中の世界だからな…。』
 ぐるぐるとめぐる激流の中、浮き上がってくる、女の身体。

『あかね…。我と共にあれ…。そして、共に悠久の時を越えていこうぞ…。ククク…。』

 ガクガクと手足が震えた。そのまま、停止する全ての感覚。シュウシュウと音をたてて、あかねの肢体がみるみる赤く染まって行く。あかねの瞳から光が消える。そして、浮かび上がる、黒い闇。

『素晴らしい身体よ…、ねえ、パンディア…。』
 上半身を起こし、あかねの身体を乗っ取った意識体は、じっと彼女の身体を撫ぜる。
 瑞々しいばかりの十七歳の身体。
『精気が溢れている…。』
 ふと傍に視線を落とすと、女乱馬がぐっすりと眠りこけていた。
『まだ、獲物をとるには時は満ちてはいないわ…。』
 スッと乱馬から視線を外した。
『それに…いけ好かない奴らの気配もビンビンに漂っている…。もうしばらく力がみなぎるまで、この娘の中で眠っていましょうか…。パンディラ…。』
 そう言うと、妖しの影は、フッとあかねの中へと意識ごと消えてしまった。
 
 その途端、あかねの意識がふわっと浮き上がる。

 はたと閉じていたあかねの瞳が開いた。公子の家の奥の四畳半。ぼんやりと橙色の豆電球が頭上から照らしている。まだ、辺りは深淵の闇に包まれている。

 と、傍で声がした。
「何だ?どーした?」
 あかねの気配を察したのだろうか。ふと目を開き、あかねへと問いかけた。上半身を起こしているのが目に入る。
 寝ボケ眼を不思議そうにあかねへと廻らせる。

「さっきから、何かボソボソ寝言言ってたみてーだけど…。夢でも見たか?」
 乱馬はあかねへと問いかけていた。

「え?寝言?」
 あかねは乱馬へと問いかけた。
「いや…それは別にいいや…。それよか、まだ三時半だぜ。」
 そばにあったデジタル時計の液晶を見詰めながら、ポソッと吐き出す言葉。
「人様ん家だから、眠り辛いのかもしんねーけど…。夜明けまでにはまだまだ時間があんだから…。眠っとけよ…。それとも、トイレか?一人で行くのが怖いとか…。」
 じっと瞳をあかねへと廻らせる。
「そうね…トイレよ、おトイレ…。」
 そう言いながら、すっくとあかねは立ちあがる。
「じゃ、俺も…一緒に行くぜ…。」
 そう言いながら乱馬も立ちあがった。
「何であんたまで着いて来るのよ?」
「別にいいだろ?いきてえーんだから。」
 何故だろう、あかねの傍を離れてはいけないと、本能的に思ったのである。
「おまえ、先に行け…。俺、外で待っとくわ。」
 トイレの前でそう言った。
「何よ…急に…。」
「一応、その…レディーファーストだ…。」
「こんなところでレディーファーストって言われても…。」
「いいから、先に行けっ!」
 そう言って、あかねを先にトイレへと追いやると、ドアをパタンと閉めた。


(さっきの寝言は何だったんだ?)
 乱馬はトイレの扉をじっと眺めながら、考えに耽った。

 自分も眠っていたので、良くは聞こえなかったが、うわごとのように、何かを苦しそうに呟いていた。最後に一声吐きだした言葉だけは、しっかりと耳に入った。

『乱馬…助けて…!』
 と消え入るような声だった。

(でも、ま…別に、普通のあかねだよな…。)
 ほおっと長い溜息を吐きだした。

 深遠な闇が、あかねの中で、ゆっくりと渦巻き始めたことを、まだ、乱馬は知らないでいた。
 十一月の冷える夜のことであった。
 


つづく


シャンプー登場のモードにプロットを組み直しました…結果、やっぱりかなりな長編になる見通しに…。このままだと、書き上げるのにかなり時間と体力がかかりそうです…。


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