◆赤きバラの情熱

第五話 洋館にて



一、

「何ぃっ?あかねと乱馬くんが外泊ぅっ?」
 
 天道家の夕餉の食卓。
 早雲は目を輝かせて、声を発した。
「パフォフォフォフォ〜。」(それは目出度いっ!)
 傍でパンダに扮した玄馬が日の丸扇子を持って踊っている。
「行きなさいっ!万全を期して。くうううっ!」
 何を勘違いしているのか、父親たちはテンションが高かった。

「あのね…。お父さん。外泊って言ったって、学園祭の準備がてら、クラスメイトたちと公子んちに呼ばれただけなんだから。」
 あかねは苦笑いをしながら父親たちを見比べた。
「乱馬くんが良く承知したわねえ…。」
 なびきがちらりと乱馬を見返した。彼はブスッと箸を動かしながら答えた。
「仕方ねえだろ…。肝試し付きだしよ…。」

「肝試し?」
 なびきが問い返して来た。

「学園祭の出し物でうちのクラスが出す喫茶店の装飾の参考に、東んちの近所の廃屋を探索するんで、あかねと俺の護衛が必要なんだってよ。」
「近所の廃屋って?もしかして四丁目の洋館?」
「おめーも知ってるのか?その洋館。」
「まーね…。吸血鬼が住んでるとかいう言い伝えがある洋館よ…。かなりの年代物で、雰囲気だけはあるわね…。確かに…。何?そこを探索するの?」
「ああ…。武道家の腕を買われて、借り出されたんだよ…親父たちが思ってるような、ウレシハズカシお泊り会じゃねーよ。」
「ふーん…。」
「探索の後は、夜なべで学祭の装飾品を作るのを手伝わされるんだとよ…。くそ、面倒くせぇ…ったく…。」
 ぶつくさと苦虫を潰したような顔で答えた。
「まあ、何にしても先方さまに失礼がないようにね…。二人とも。」
 かすみがお茶をいれながら答えた。
 
 この家族たちはどこか感性が吹っ飛んでいる観がある。乱馬とあかねは許婚という一応の間柄なので、二人が一緒に外泊しようと、特に咎める者も居なかった。というより、関係を進めて来いと言わんばかりの盛り上がり方だ。
 高校生だからと、二人が一緒に寝泊まりすることはご法度だとのたまうかすみですら、祝言騒動以来、少し考え方が柔らかくなったようだ。
 
 夜の闇が深遠になる頃、家族の場違いな「いってらっしゃい。」の声援を受けながら、あかねと乱馬は揃って天道家を出た。




「何だか変な気分だぜ…。」
 乱馬はふっと溜息を吐く。背中には洗面道具や着替えなどのお泊りグッズが二人分入ったリュックを背負いこんでいる。
「良くあんたが公子のごり押しを了解したわねえ…。」
 あかねは乱馬をまざまざと見返した。
「しゃあねーだろ?東に睨まれたら、クラスでの平穏は保てねえし…。それに、おまえ、怖がりだもんな…。」
「誰が怖がりですって?」
 あかねがキッと振り返る。
「ま、それはいいとして、断ったら無差別格闘流の名折れだろ?一応、指名して頼まれた訳だし…。」
「それだけ?」
「ああ…それだけだ…。」
 ブスッとした表情で素っ気なく返答する。
「こんな夜更けに、校門前で集合なんてよ…。どうかしてるぜ…。ったくぅ…。」
 乱馬はぶつくさとつぶやきながら、あかねの後を付いてゆく。
「ま、仕方ないじゃん。学校なら皆が迷うことは無いし…。それに、出て来たからには楽しみましょ。」
 あかねは屈託なく笑った。
「ちぇっ!怖がりが…いい気なもんだぜ。」
 乱馬はぼそぼそと吐きだした。

 そうなのだ。
 あかねは案外と怖がりなのである。肝が座っているかと思いきや、オバケだけは別なようで、前に破恋洞という洞穴の中で、理性を失った彼女にきゃあきゃあと一頻りしがみ付かれた経験を、乱馬は思い出していた。 あの時は、あまりに怖がる彼女を放り出すわけにもいかず、軽く手を握って先に進んだりもした。もし、良牙と右京が一緒に居なければ、もう少し素直に手を繋いだまま先に進めたかもしれない。

 そんな記憶が、ふと頭を過(よ)ぎる。

 と、チリンチリンと自転車がベルを鳴らしながら後ろから走って来た。そして、二人を追い越し際に、ピタッと傍で止まった。

「愛人(アイレン)!こんな夜更けに、どこ行くあるか?」

 自転車からさっそうと降り立ったのは、シャンプーであった。出前の途中か、自転車の後ろの荷台には猫飯店の大きめの容器がくくりつけられてある。

「シャンプー。」
 あかねが声をかけると、シャンプーはムッとした表情で二人を見比べた。
「こんな夜更けに二人でどこ行くあるか?」
 怒ったような声を荒げて来た。
「どこへ行こうと、あたしたちの勝手でしょ?いちいちあんたに断る必要なんてあるのかしら…。」
 あかね負けじと言い返した。

 女の戦いが勃発寸前。そんな危惧を感じ取った乱馬は、慌ててあかねの耳元へと耳打ちした。
「おい…あかねっ!ここでシャンプーとひと悶着起こしたところで、集合時間に間に合わなくなるだけだぜ…。適当にあしらえ…。」
 こそっと囁きかける。

 確かにそうだ。くだらない意地の張り合いで時間を食って、集合時間に遅れては、友人たちに悪い。
「それもそうね…。」
「だから上手くかわすから、合わせろよっ!」
 そう言った乱馬に、あかねはコクンと一つ、頷いて見せる。
 もう、辺りは暗闇に包まれていたから、シャンプーからは二人の動きは見えなかったようだ。

「まあまあまあ…。いや…別に、大した用じゃねーよ…。ちょっと学校へこいつの忘れ物を取りに行くんだ。」
 と乱馬は早速、適当な言い訳を口にし始める。
「学校…?こんな時間にか?」
 案の定、シャンプーに怪訝な顔を手向けられた。
「ああ…。文化祭で使う作りかけの道具を取りに行くんだよ。休み中に作らなきゃならねーんだ…だよな?あかね…。」
 下手な言い訳である。
「本当あるか?乱馬、あかねとデートしてる訳じゃないあるね?」
 念を押すように尋ねて来る。

 あかねから見ると、シャンプの問いかけは、余計な詮索、大きなお世話である。
 目の前で、乱馬が言い訳めいたことをシャンプーに口走って居るのを見て、内心ムッとした。が、ここで変に角張ってみたところで、何の得にもならない。集合時間に遅れるだけだ。ならば、適当に乱馬に合わせるのが良いと彼女なりに、そう結論付けて、グッと堪(こら)えた。

「そうよ…。荷物が重くなるから、乱馬に手伝って貰うだけよ…。何か文句ある?」
 と不機嫌そうにシャンプーへと対した。
「人使いが荒い女あるね…あかねは。」

「なっ…。」
 カチンと来そうになった瞬間湯沸かし器のあかねを、乱馬はグッと横から抑え込むと
「ま…そういうことだから…。おめーも、出前の配達があるんじゃねーのか?」
 と自転車の荷台を指差しながら、横から口を挟む。

「あいやー、忘れるところだったある…。私出前の途中だったあるね…。こうしちゃいられないある。冷めないうちに届けねば猫飯店の汚点になるある。…っと…乱馬…。」
 シャンプーは自転車にまたがりながら、乱馬へと視線を移した。
「あん?」
「また、帰りに、猫飯店に食べに来るよろし。昨日の晩みたいに、また御馳走するあるよ。…あかねはきっちり代金をいただくあるが…乱馬はタダね。じゃ、再現(ツァイツェン)!」
 そう言葉を投げると、シャンプーは大急ぎでペダルをこぎ出した。そして、勢いよく一度チリリンとベルを鳴らすと、暗がりの道へと消えて行った。


「昨日の晩…?また、御馳走…?」
 シャンプーの言い遺した言葉に、あかねの顔が瞬時に憤怒と化す。
「ちょっと…乱馬。ゆうべ、猫飯店で御馳走になったの?」
 ぐいぐいと前にせり出すあかね。鋭い視線が突き刺さって来る。

(…シャンプーの野郎…余計なことを…。)
 そう思ったが、後の祭。

「どういうこと?ちゃんと、説明してくれるわよね?」
 山の神(あかね)の甲高い声が耳元で響き渡った。思わず、後ずさりしたくなる凄みがある。

「あはは…。昨日…通りがかりにちょっとな…。その…婆さんに呼び止められて…だな…その何だ…試作品を食べてくれとか言われてよう…。」
「試作品って?どんな料理だったの?」
 浮気を追及された亭主のようだ。かみさん(あかね)はしつこく食い下がる。
「たはは…料理まで説明しなきゃならねーか?」
 顔が引きつり始めた。
「説明できない料理を御馳走になった訳?」
「ま、何だ…新メニューを考えたからってよー…。」
 そう言いながら口ごもる。
 すったもんだ…訳のわからない見ず知らずの女からシャンプーを助けたお礼…というのが真相であるが、あかねに余計な詮索をさせるわけにもいかず、この場は適当に切りぬけてお茶を濁すしかない。
「だから、どんな新メニューだったのって訊いてるんじゃないっ!」
 敵も去ること、しつこく食い下がる。
「だから…どんなだって良いだろーが。あの時は、学校帰りで腹が減ってたんだよ…。おめーの代わりに東にこき使われてたからな…、俺はっ!」
 言い訳が、宙に浮いている。

「誤魔化さないで、ちゃんと説明しなさいよっ!」
 声を荒げたあかねに、前から声がかけられた。

「あかねー、乱馬くーん。」
 暗闇の先で声がした。
 ゆかとさゆりがこちらを見て手を振っていた。
 その声に二人、ハッと我に返った。

「道端で喧嘩なんかしちゃって…相変わらずねえ…。」
 あかねと乱馬の様子を伺っていたのか、ゆかが笑いながら問いかけてきた。
「ホント、仲が良いわねえ…。」
 さゆりも同調する。
「そんなんじゃないわよ…。」
 あかねがそう言って、怒りの矛先を収めた。
 乱馬はホッと溜息を吐きだした。
 ゆかとさゆりの出現は、乱馬にとって、地獄に仏だった。これで、あかねからの追及は、一旦、遠のいた。後は、彼女がすっかり忘れてくれるのを期待するだけだ。

「公子も来てるわよ。」
 校舎の中央にある時計は丁度八時を回ったところだった。
 夜の学校も案外、雰囲気がある。道路の向こうに広がるのは、生徒たちが帰ってしまった学校だ。
「肝試しなら、学校でもできるんじゃねーのか?」
 フツッと乱馬から文句が漏れた。
「学校じゃ、オカルト喫茶の参考にはならないよ…早乙女君…。」
 にゅっと五寸釘が後ろから顔を出した。いろいろ、オカルトグッズに身を固め、手には蝋燭まで灯して持っている。ご丁寧に骸骨の燭台付きだ。見るからにおどろおどろしい雰囲気を漂わせている辺りは、五寸釘らしい。

「ははは…。五寸釘、てめーも来てたのか…。」
 苦笑いをする乱馬に、
「ええ…オカルトチックな屋敷を探検できる機会なんてそうありませんからね…。」
 こちらも、瞳を輝かせている。
「他の男子は塾があるから今日は来ないって…。」
「塾ねえ…。」
「ま、それなりの大学狙いの子たちは、週末は塾くらい行って当り前よね。」
「ふーん…。もう、受験勉強かよ…。」
「乱馬には受験なんて関係ないもんね…。」
「うるせーっ!」

「メンバーはゆかにさゆり、リサにあかね…そして乱馬君と五寸釘君とあたし…。七名よ。揃ったところで行きましょうか。」
 公子は先頭に立って歩き出した。
 闇の中にぽっかりと昇ったばかりのお月様。犬が遠吠えをしている。


 やがて公子の道案内で、目的の洋館が見えてきた。
 
 立派な木造の洋館がそこに建っていた。


二、 

「え…?あの洋館って…。」
 ふとあかねは足を止めて、洋館の影を見上げた。
 見覚えのある洋館に見えたからだ。つい、数日前にバラの花束を貰った、あの女性が居た洋館。
 だが、公子は明らかにあかねが辿ったあの迂回路とは違う道を歩いていた。どう通っても、あの迂回路には出ない筈だ。
 確かに、同じような雑木林が館の周囲に広がってはいたが、公子が連れて来たこの洋館は、建っている場所が平坦だった。迂回路途中にあったバラの洋館は坂の上に建っていた。明らかに立っている場所が違う。
「どうしたの?」
 あかねの歩みが止まったのを見て、ゆかが問いかけた。
「あ…うん。べ、別に何でもないわ。」
 あかねはそう言って、言葉を止めた。

(ま、建てられた年代が恐らく同じころなのかもね…。それ館全体を見た訳じゃないから…。同じように見えただけね…。)
 館を囲む塀は生垣で、見えて来た門戸は黒い鉄門であった。迂回路にあった屋敷は確か、囲む塀は黒い鉄柵は門扉は赤煉瓦だった。
 それに、あのバラの洋館があった場所は、四丁目ではなく三丁目辺りだった筈だ。
(似たような雑木林に囲まれているから、錯覚しちゃったのよね…。きっと…。)
 そう一人納得した。

「着いたわよ…。」
 公子が言った。

 静かだ。漠とした暗闇に浮かぶ洋館。ツタが絡まり、そそり立つように見える。ここだけが暗い。敷地の広さが良く分かる。

「雰囲気あるわねえ…。」
 ゆかがぼそっと吐き出した。

 確かに、今まで抜けてきた住宅地のとは違った気配が漂っている。乱馬の顔が途端に険しくなった。
(何か居る…。というか、誰か棲んでるかもな……。)
 彼も武道家。只ならぬ気配は察知できるだけの能力は持ちまえている。さっと横に目を流す。あかねも何かを感じているのだろうか。少し緊張しているように見えた。
「けっ!さっさと肝試しをすませちまって、帰ろうぜっ!」
 乱馬はあかねの緊張を破るべく、乱暴に言葉を投げた。

 ギギギギギ…。

 錆付いた門が軋んだ音を鳴らして開く。

「さあさ…皆さん、早速、行きましょう…。」
 先に立って門へ入って見せたのは、乱馬では無く五寸釘だった。心なしか、暗がりの中、彼の足取りはうきうきしているように見えた。
「先頭は僕に任せてください。夜中の墓地廻りで鍛えた僕の腕を皆さんに見せて上げます。」
 などと吐き出す。
「ははは…五寸釘…。急に元気になりやがったな…。」
 乱馬は苦笑いを浮かべた。
 さすがにオカルト愛好家だ。足取りに恐怖や迷いは一切ない。乱馬ですら、この屋敷に、得体の知れぬ薄気味悪さを感じているのに、五寸釘は平気な様子だった。
 女性五人の中に男が二人。乱馬が先頭を行くのは当然の成行きだろうと思ったが、五寸釘が先頭を行く。

「ま…こういう場所では、五寸釘君が一番頼りになるのかもしれないわね。」
 と公子が目を見張ったほどだ。

「ま、適材適所って言葉もあるからな…。」
 乱馬はすっと後方へと下がった。しんがり(殿=最後部のこと)も重要なセクションである。先鋭は五す釘に譲って、乱馬は後方から異変が無いか、見渡しながら、ゆっくりと歩みを進め始めた。
 いつもの軽口と、あかねへの執拗な絡みは、一切無い。真剣みを帯びた表情で、辺りを伺いながら、最後部からつき従って歩いて行く。

 敷地の中は思ったよりも整然としていた。雑草がもっと鬱蒼と茂っているように思えたのだが、足下に感じる西洋芝は丁寧に刈られているようだった。でこぼこすら感じられない。

「ハウスクリーニングの人か庭師さんでも定期的に入ってるみたいね…。意外にもきちんと手入れされてるわ…。」
 ポツンと公子が言った。
 確かに、もっと雑然とした庭を期待していたのだが、現状は違っていた。
 館を中庭から見上げると、灯は何処にもない。窓はしっかりと閉ざされていて、シンと静まり返っている。
「別段妖しげな物の化も居そうにないですね…。人が埋まっている気配は皆無だし…。」
 五寸釘はつまらなさそうに声を出した。
「ははは…ここは空き家だぜ…。墓場じゃねーぞ…。」
 乱馬は苦笑いを返した。
「いや、こういう古びた館には誰かが埋まっていても、おかしくはないですよ…うひひひひ。」
「だから…ここは墓場じゃねーって…。」
 思わず、乱馬の口から苦言が漏れる。

 と、後ろの草むらがざざざと動いた。

「何か居る。」
 そう吐き出したのはさゆりであった。

 ぞぞぞぞ…。ざざざ…。

 草むらの向こう側で何かが蠢いている。
 乱馬の背中が毛羽立った。
「乱馬…?」
 あかねは彼の気配が変わったことを不審に思い、伸び上がって彼を見詰めた。
「な、何でもねえよ…。」
 明らかに何か動揺している。
「は、早く行こうぜ…。」
「でも…。」
 気配があるのに捨て置くのかとあかねが言おうとした途端、草むらから白い塊が飛び出してきた。
「ひっ!!」
 乱馬は小さな悲鳴を上げた。

「にゃあ…。」

 そいつは人の気配を察知して飛び出してきた白い猫であった。

「猫か…。」
 公子が吐き出した。
「猫…ねえ。」
 ゆかも納得した。
「不味いかな…。」
 そう言ったのはあかねであった。蠢いていたものの正体が猫であれば、乱馬が恐れるのも無理はない。だが、猫というものは、一匹居ると、周りに何匹か潜んでいるものだ。
 あかねが危惧した如く、案の上、猫は一匹ではなかった。

「みい…。」
「にゃん…。」
「みゃあ…。」

 集団で住みついていたのか、人の気配に驚いて、猫が数匹束になって飛び出してくる。


「ひっ。」
 と小さな声をあげた乱馬。彼は代の猫嫌いである。嫌いだけならまだしも、怖いのである。
 その有様を見て、
「ちょっと…乱馬…。しっかりなさいよね。」
 皆に聞こえない声で、ボソッとあかねは乱馬へと声を投げた。
「わ、わかってらあっ!」
 彼の声は震えている。微かに残った自尊心だけでその場は我慢している。あかねにはそう思えた。
 あかねだけならば、或いは怖いと、見境なくあかねの腕にしがみ付いてきたのかもしれないが、公子やゆか、さゆり、五寸釘の手前、ギリギリの線で猫への恐怖心を堪えているようだった。
 あかねにとっても、その方がありがたかった。変に怖がられて、恐怖心が一気に上昇してしまえば、彼は猫化してしまう。そうなると、もう手がつけられない。誰彼とも猫と区別がつかなくなり、自由奔放に暴れ回ってしまうだろう。
 そうならないために、多少、怖がっていても、猫化せず、理性が働いてくれている方がいい、そう思った。

 と、後ろでゆかが手招きした。
「ねえ、あかね…。あれ…。」
 促されて視線をゆかが言う方に、視線を巡らせると、光が一筋見えた。
「あれは…。」
 光は館の奥から漏れている。
「人が居るんじゃないの?」
 さゆりが疑問を投げかけた。
「まさか…。誰かが越してきたなんて話、聞いてないわよ。」
 公子が小首を傾げた。
「行ってみましょうよ。」
 さゆりの提案に、一同はゆっくりとそちらの方へと歩き出す。
「ほら、乱馬…行くわよ。」
 猫の気配に怯えている乱馬に発破をかけると、あかねは明かりの漏れる方へと歩き始めた。
「お…おう…。」
 猫の最中に放り出されるのも嫌な乱馬は、その声に従って、おっかなびっくり歩き始める。明らかに、猫を牽制していた。

「もう…情けないんだから…。」
 あかねは苦笑いを浮かべながら、乱馬の背後を守るように一緒に歩き始めた。
 これではどちらが用心棒か、わからない。

 うっすらと灯る灯りに吸い寄せられるように、あかねたち一行は光源に向かって足を進めた。




三、

 猫の出現に、すっかり気遅れしてしまった乱馬は、あかねの脇へと隠れながら一緒についてくる。

「もう…何、及び腰になってるのよ…。だらしないわねえ…。」
 思わず、苦言があかねの口から漏れた。
「仕方ねーだろ?苦手なもんは苦手なんだしよー…。」
 コソコソとあかねの袖脇に隠れながら、乱馬は言い訳をする。
「なるほど。乱馬君って猫が苦手だっけ。」
 ゆかがその様を見ながら笑った。
「ふーん…。乱馬君にも苦手があるのねえ…。」
 クスッと公子が笑った。
「うるせー。誰だって苦手の一つや二つあるだろーが…。」
「何、偉ぶってるのよ…。」
 
「しっ!静かにっ!」
 そう、一同へと警戒の言葉を投げると、五寸釘はフッと持っていた灯りを消した。
 その様子にハッとして、一行は足を止めた。
「どうしたの?五寸釘君…。灯りを消しちゃって…。」
 ゆかが小声で話かける。
「いえ…あの灯り…。どうも、蛍光灯みたいな人工的な光源じゃないみたいだから…、念のためにこちらも光源を落した方が良いかと思って…。」
 真っ暗な館の中、館の奥で灯っているのは人工的な光ではなさそうだ。どちらかというと、暖色系の色。丁度、五寸釘が持っていた蝋燭の火と同じような橙色だった。しかも、焔が揺らめくように、光源は揺れている。
「皆さんも懐中電灯は消しておいた方が無難ですよ…。」
 と囁いた。
「でも、そんなことをしたら、足元が見えないわよ…。」
 さゆりが反論をすると、
「いえ…大丈夫です。幸い、月明かりがありますから…。光源を落してしまっても、暫くしたら、目も慣れて、足元くらい見えるようになりますよ…。」
 と暗がりのプロは言った。
「でも…。」
 不安がるさゆりに、乱馬が補足する。
「五寸釘が言うとおり、人間の目っていうのは、案外、慣れたら暗がりだって結構見通せるもんだぜ…。」
 乱馬が後ろ側からそう声をかけた。野生児の乱馬らしい言葉だった。野山へ修行に入ると、光源なしで走り回ることが多い彼だからこそ、そんな発言が漏れるのだろう。
「早乙女君の言うとおりですよ…。それに…こういう肝試しの場合…思わぬ霊などが寄って来ることも考えられますから、できるだけ気配は消してしまった方が良いんです…。光源があると、人間が近寄って来ることが奴らには知れ渡りますからね…。下手に光を照らしていると、襲われる確率も上がってしまいます…。」
 五寸釘も深夜の墓廻りでこういうことには慣れているらしい。おどろおどろしく言って聞かせる。
「そ…そういうものなの?」
「ええ…。墓場廻りの基本です…。」

「だから…ここは墓場じゃねえっつーのっ…。」
 ボソッと乱馬の口から漏れる。

「化け物が跋扈(ばっこ)しているなら、墓場と同等だよ…早乙女君…。それにさっき、猫がたくさん居たろう?猫は人の魂を好む動物だとも言われているからね…。クククク…。」

「お…脅かすな…。俺は確かに猫は苦手だが、化け物は怖くも何ともねえんだからな…。」
 と脇から声を出す。
「何、偉そうに言ってるのよ…。」
 思わず、あかねが横から突っ込んだくらいだ。
 猫の気配はいつの間にか消えてしまっていた。恐らく、あかねたち一行に驚いて、どこかへ身を隠してしまったようだ。猫の姿が見えなくなると、乱馬は急に元気を取り戻した。

「ま、とにかく…先に進みましょ。」
 公子が一同へと声をかけた。この女傑もさすがに動じないというか、肝が据わっている。

 じっと、光源の方向を伺う。館から見て、北側の方角だった。そちらの方向は、明らかに窓が少ないからだ。こういう屋敷は総じて南側の日当たりの良い方角に大きな窓が多く作られるものだからだ。

 一同は息を殺しながら、そっと、そっと光の方向へ向かって歩き出す。

 光源の方向はツタが絡みついた壁が広がっていた。長年放置されたせいか、ぎっしりとツタが館の壁へと伸びあがって居るのが見えた。

 バサバサバサッ!

 木の上から黒い塊が急に飛びかかって来た。

「きゃっ!」
 思わず、リサが声を上げてしまった。
「何っ?これっ!」

 そいつは、器用にあかねたち一行の頭上を飛びまわり、滑空する。 
 特に襲いかかる様子は無く、あかねたちの頭上を一巡りすると、すうっと灯火の方へと飛び去る。

「今の…何?」
 公子が五寸釘へと問いかける。
「さあ…。蝙蝠(こうもり)か何かな…。」
 五寸釘が答えた。
「あれは多分…モモンガかムササビだろうぜ。」
 乱馬が傍から吐き出した。
「モモンガ?」
 あかねがきびすを返す。
「大きさから見て、ムササビかモモンガのどっちかだろうな…。コウモリはもう少し小さいし…。」
「コウモリやムササビがこんな都内の住宅地に居るの?」
 あかねが問いかけた。
「ああ…、結構、都会の住宅地でもには小動物が生息してるんだぜ…。コウモリなんか、夜になるとそこら中で飛んでるぞ。まあ、さすがにムササビやモモンガは数居ねーだろーが…。この屋敷の周りは雑木林だ。奴らが生息してたって不思議じゃねーぜ…。」


「確かに、彼の言うとおりだよ…。こいつはムササビだ。僕のペットさ。侵入者諸君…。」
 洋館の方から声が響き渡って来た。透明感のある若い男の声だった。

 その声に、一同はギョッと固まった。
「やだ…誰か居る…。」
「嘘っ!見つかっちゃったの?」

 どうやら出入り口があったのだろう。館の方に人影が立った。細長い影だった。月明かりに照らされて、館の壁が浮き上がって不気味に見えた。
 
「まさか…化け物じゃないわよね?」
「あたしたち…生きて帰れるのかしら…。」
 恐る恐る、声の方へと頭を傾けた。
 乱馬は無言でその影を見詰める。いつでも飛びかかれるように、丹田へと気を溜めて身構えた。

「酷いなあ…。クラスメイトを化け物呼ばわりしないでくれるかい?」
 

 あかねはその声にハッとした。聞き覚えのある声だったからだ。大きな瞳を凝らして、近寄って来る人影を見詰めた。

「ひょっとして……あなた…大上君?」
 あかねが最初にその人影へと声をかけた。

 人影はその声に反応して動きを止めた。
「その声は…天道さん?」
 と聞き返して来た。

「やっぱり…大上君ね。」
 あかねの顔がパッと明るくなった。途端、乱馬はムスッとした表情になる。
 
「ほんとだ…大上君じゃん。」
 ゆかも一緒に声をあげた。

 大上の肩の上で、さっき飛びまわっていた小動物が唸り声を上げながら、興奮していた。今にも飛びかからんという殺気を孕んでいた。
「大丈夫…僕の知り合いたちさ…。悪者じゃないよ。だから、そんなに警戒しなくて大丈夫だよ…。気を鎮めて…。」
 大上はそう言いながら小動物の怒れる肩を撫でた。
 それから、あかねたちの方を見て、声をかけた。

「たく…さっきからゴソゴソと物音がするから、泥棒でも入ったかと思ったよ…。」
 大上はあかねたちの前にくると、そう言いながら人懐っこい笑顔を手向けた。白いヒラヒラのブラウスを着て、黒いパンタロン型のスラックスをはいて、長い栗色のくせっ毛をふわっと背中に流している。いかにも古い少女マンガにでも出て来そうなルックスであった。

「ここって…大上君のお家なの?」
 ゆかが興味深げに問いかけた。

「ええ…僕の日本での居城です…もっとも、正しくは僕の祖父の家なんだけど…。」
 そう言いながら、大上が笑っている。


 と、俄かに庭先が賑やかになった。


「乱馬ーっ!」
 そう言って、物陰から飛び出して来た影。そいつは、まっしぐらに乱馬の首根っこへと抱きついて来た。
 その勢いに、思いっきり、後ろへ飛ばされる乱馬。咄嗟に受け身をとって、地面に叩きつけられる衝撃を耐えた。

「し…シャンプーっ!」

 乱馬の首根っこに抱きついて来た少女は、チャイナ娘のシャンプーであった。

「あいやー、こんなところで乱馬に会えるなんて、大歓喜っ!」
 乱馬に飛び付いた彼女は、すりすりと頬ずりを乱馬へとなすりつける。
 その様子を見ていたあかねの表情が、思い切り曇った。ムスッと不機嫌な表情へと変わる。

「シャンプー…何でおめーがここに居るんだよ?」
 突然現れた、シャンプーに驚いて、目を白黒させながら、乱馬は問い質した。
「何故って?出前頼まれたからあるよ。お仕事あるっ!」
 そう言いながらも、乱馬から離れる様子を示さない。ゴロゴロと喉を鳴らす猫のように、乱馬へと頬を擦りつけている。
「出前?」
「そうあるっ!」


「ああ、彼女の店に出前を頼んだのは僕だけど…。それが何か?」
 そう言いながら、大上が苦笑いを浮かべていた。

「あ…いや、別に…。」
 口ごもりながら、そっと見上げる乱馬の瞳に、物凄い形相をしてこちらを睨んでいるあかねの顔が映り込む。ゴゴゴゴとあかねの背後に、嫉妬の焔が渦巻いているのが伺えた。ギュッとシャンプーに抱きつかれてどぎまぎしている己をじっと凝視するクラスメイト達の視線も痛い。

「やっぱり、乱馬と私、見えない糸で繋がってるあるねっ!嬉しいあるっ!」
 シャンプーは嬉しそうに頬ずりする。

「わたっ!いいから、いい加減離れろって、シャンプーっ!」
 焦りながら乱馬が言い放つ。

「早乙女君…。その女性は君の彼女かい?」
 大上がクスッと笑いながら問いかけて来る。チラッとあかねの顔を見るのも忘れずにだ。

「彼女なんかじゃねえっ!」
 と言っている鼻先で
「私の婿殿あるよっ!ねえ…乱馬っ!」
 すりすりと頬ずりしながら、シャンプーは言い張った。

「あれ?君にはあかねさんっていうって言う許婚が居たんじゃないのかい?」
 無言で気焔をまき散らしているあかねを盗み見ながら、大上が問いかけた。

「あかねは親が勝手に決めた乱馬の許婚に過ぎないあるっ!凶暴なあかねより私の方が、乱馬にふさわしいあるっ!それ、一目瞭然ねっ!」
 なかなか離れようとしないシャンプーと、乱馬のふがいなさに、遂にあかねの堪忍袋の緒が切れた。


「ええ、ええ…。乱馬にはあんたみたいな猫娘がお似合いよっ!」
 そう言い放つと、どこから探しだしたのか、水の入った鉄製のバケツを、乱馬とシャンプーの頭上から思いっきり浴びせかけた。

 バッシャ―ンッ!


「ぎええええええっ!」
 次の瞬間、女乱馬の怒号のような悲鳴がこだました。猫嫌いの乱馬。水を浴びて猫になったシャンプーを、その顔面へと見据えて恐怖に支配されたのだ。
「ほーらほら…。猫娘、大好きなんでしょう?乱馬…。」
 水浸しになって猫へと変身したシャンプーの背中を持ち上げると、うすら笑いを浮かべながらあかねは乱馬の鼻先へと甚振るようにくっつけた。
「猫ーっ!やだーっ!やだやだやだーっ!」
 涙目になりながら、身体を揺らす乱馬。それを逃がすまじと抑えつけながら、あかねは猫シャンプーをなすりつけ続ける。
「ほーらほら…。」

 乱馬にとって、まさに阿鼻叫喚地獄。

「うぎゃーっ!」
 やがて乱馬は白目を剥いて、仰向けに倒れ込む。ひくひくと手足が微かに震えていた。

「ふんっ!」
 乱馬が気を失ってしまうと、あかねは鼻息高く、パンパンと手を叩いて、くるりと背を向け、肩をいからせる。


「あかね…そこまでやらなくても…。」
 気の毒な状況の乱馬を見据えながら、公子が苦笑い浮かべた。
「天道さんって、結構凶暴なんだね…。」
 ボソッと大上が傍に居たゆかとさゆりへと声をかけた。
「ええ…。あかねって、乱馬君に対しては、「加減」って言葉が吹っ飛ぶから…。」
「ま…乱馬君が優柔不断だってことが元凶なんだけど…。」
 ゆかとさゆりが大上へと答えた。

「ぐぬぬ…モテ男、早乙女乱馬っ!許すまじっ!」
 その背後で五寸釘がカンカンと藁人形を庭木に釘づけている。





「ふふ…。なかなか面白い相関関係じゃないの…。猫娘のヴァンパイアに、猫嫌いの男女ヴァンパイア…。それに、曰くつきのフィアンセ…。
 あの娘を捕縛したのは正解だったかもね…。楽しめそうだわ…。」

 館の二階の窓から、怪しげな影が立つ。そいつは、庭先の喧騒を眺めながら、舌をぺろりと出して、ニッと笑った。


つづく



最初のプロットにはシャンプーを登場させる気が全くなかったもので、どう引っ張るか、思案しとります…。やっぱ、彼女を絡めた方が面白くなりそうなので…で、多分、その分、やっぱり、長くなる(苦笑…


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