◆赤きバラの情熱

第四話 四丁目の洋館



一、

「はあ…さて…どう言い訳するかな…。」
 乱馬はふうっと溜息を吐きだした。
 雨はまだひとしきり降っているようで、濡れて帰るのが嫌で猫飯店で傘を借りて来た。どこにでもある黒い蝙蝠傘だ。濡れてまた女に変化するのは嫌だったので、大きめの傘を借りて来た。
 とぼとぼと歩く、濡れた夜道。時折、バタバタと音をたてて、自動車が通り過ぎて行く。人影は無い。
 電灯越しに雨が空から降りしきっているのが見える。冷えてきたようで、何となく肌寒かった。



 
 あれから、猫飯店にて、夕飯を御馳走になった。固辞したのであるが、シャンプーたちを助けて貰ったのだからお礼にと、コロン婆さんにすすめられたからだ。
「天道家にはさっき、電話をかけておいたぞ。猫飯店(うち)で食べて帰るからとな…。」
 用意周到、コロンはニッと笑って見せた。
 少し、戸惑いの表情を乱馬が浮かべると、
「何、心配はいらんよ。電話口へ出たのはかすみさんじゃったから…。」
 とコロンはコロコロと笑った。
(いや…電話口に出たのがかすみさんだったとしても…あかねに伝われば同じじゃねーか…。)
 あのヤキモチ妬きは、乱馬が外食して来るのを嫌っているのは明らかだった。右京やシャンプーの店となれば、尚更だ。己が不器用過ぎて、まともに料理が作れないため、余計に敏感になるのだ。
 
 だが、腹は正直で、グウウッとお腹が鳴った。

「お腹は正直じゃな…。それ…。」
 と言って、炒めたての中華焼きそばを乱馬の目の前にゴロンと差し出した。
 それを見て、再び、お腹がグウウッと鳴った。
 旺盛な十代後半の食欲には勝てなかった。
(言い訳は後で考えたら良いか…。)
 そう思いながら、箸を手に取った。
「いっただきまーすっ!」
 一度、食べると決めたら、遠慮は無かった。あかねの怒声やふくれっ面は思考の外へと追いやられる。
「ほっほっほ…。次は何が良いかな?特製春巻きでも揚げてしんぜようかのう…。」

 泊って行かないかとシャンプーに引きとめられたが、さすがに、そこまでは出来なかった。そんなことをすれば、明日の太陽は平穏に拝めまい。それに、ニコニコ顔のシャンプーの背後で、ムースが不機嫌そうに乱馬を睨んでいる。
「腹も満腹になったし…俺…そろそろ帰るわ。」
 乱馬はそう言って、猫飯店を辞する。
「ごちそうさま…じゃ、またな、シャンプー、ムース…。」
 そう言ってあっさりと引き戸を開いて外に出る。
「まだ雨が降っているようじゃから…ほれ、傘を持って行け。」
 コロン婆さんはヒョイっとコウモリ傘を乱馬へと投げた。
「サンキューッ!遠慮なく、借りて行くぜ…。」
 そう言って表に出てきたのである。




 最初は軽かった足取りも、少しずつ重くなり始める。
 傘の重みだけではない。心情的に重くなり始めていた。
 問題は、どの面(つら)を下げて、居候先の天道家へと帰宅するかだ。

 にこやかにするか、それとも、あっさりとするか、無言で通すか…。様々な場面を想定して、できるだけ穏便に終わりそうな面(つら)を探していた。

 外でしこたま飲んで帰って来た、亭主のような気分である。

 猫飯店での外食を、顔をしかめて突っかかって来るだろう、己の山の神。多分、聞く耳などは持っていまい。いや、持っていたとしても、変な女に襲われていたシャンプーとムースを助けたからお礼に御馳走になったと言ってみたところで、信じては貰えまい。
『シャンプーやムースを襲える相手なんて、居る訳ないでしょ?』
 と突っかかってこられるのが関の山だ。
 己に負の要素がある時ほど、歩みは重くなる。

(どの面(つら)下げても、穏便にはいかねーかな…。)
 思わず、苦言が漏れて来る。
(ま、どっちにしろ、一度、雷は落ちるだろーな…。)
 天道家の塀の曲がり角へ来て、ふうっと大きな溜め息を吐きだす。

 と、天道家の門の前に立って、じっと眺めている人影を見つけた。黒いマントをすっぽりと頭から羽織り、傘もささずにじっと天道家を伺うように見詰めている。
 少し、異様な雰囲気を感じ取った。いわゆる、泥棒とは違う、もっと異質な雰囲気だ。

 つとっと乱馬は天道家の壁際で歩みを止めた。
 その気配を察したのだろう。そいつは、ふと乱馬へと視線を投げて来た。

 門扉に掲げられた電灯で、浮かび上がるその人影。良く見ると、上背が結構ある、六十前後の男性だった。
「こんな時間に…天道家(うち)に何か用か?」
 乱馬は怪訝な瞳を彼に手向けた。

 そいつは、急に呼びとめて来た青年へと瞳を巡らせた。漆黒の瞳。口ひげを蓄えている。頭髪はロマンスグレーだった。ライトのせいだろう、顔色はくすんで見えた。

(外人?)
 咄嗟にそう思った。堀の深い顔立ちは、いわゆる平たい顔の日本人系では無い。西洋系だった。

「君は…この家の方かね?」
 流暢なよどみのない日本語で、そいつが問い返して来た。外人特有なイントネーションではあったが、普通に聞きとれる。

「まあ、住人っちゃあ、住人だがな…。」
 乱馬はその問いに答えた。

 互いに牽制し合うように、じっと瞳を見据える。視線を外した方が負けだという思いが乱馬の心に交差する。
 先に視線を外したのは、その男の方だった。

「いまどき、珍しいほど、門構えが良い家だね…。この辺りを散策していて、思わず魅入ってしまったよ…。」
 と男は言いながらニッと笑った。
「こんな時間に傘もささずに散策?」
 乱馬は怪訝な顔を男に手向けた。雨が降りしきる上に、九時はとっくに回っている。深夜までとはいかないが、散策には向かない時間に天候だったからだ。
「ああ…。夜の散策は、昼間とはまた違った物を発見できるものだからね…なかなか楽しいよ…。」
 男はすうっと返答を返して来た。
「ふーん…。」
「それに…この国の物は、我々、ヨーロピアンには珍しい物だらけだよ…。飽きることを知らないね…。で、これは表札かい?見たところ、トラットリアやショップではなさそうだし…普通の家に掲げるには大きすぎないかい?」
 と人懐こい笑顔を浮かべて、乱馬へと声をかけて来た。
「これは…表札というより看板だ。」
 乱馬は素っ気なく答えた。
「看板?プレート?何て書いてあるんだい?」
「天道道場…そう書いてある。」
 男が指差したのは天道道場の看板であった。
「どうじょう…。」
「ああ…。ここには無差別格闘流の道場があるからな。」
「おお…格闘技の道場…。なるほど…それで看板なのか…。」
 男はわかったというように頷いた。
「君はここの道場のお弟子さんか何かなのかい?」
 男は乱馬へと問いかけた。
「まー、そんなよ―な者だ。」
 
「道理で…君も相当鍛えこんでいるようだね…。良い闘気をお持ちだ…。」
 そう言って、トンっと乱馬の肩を叩いた。

(こいつ…。)
 乱馬の瞳が一瞬、険しくなった。
 叩かれた手に、殺気とまではいかないものの、尋常ならぬ闘気のようなざわめきを感じたからだ。
 とても、初老の男性とは思えないような、得体の知れない気迫が籠っているように思えた。あえて言うなら、八宝斎の爺さんやコロンの婆さんが持ち合わせているような、熟練者の闘気に近い。

 男は、乱馬の考えが読めたのか、すっと手を引きながら言った。

「そんな怖い顔をしなくても大丈夫…。何も君とやりあいたいなどとは言わないよ…。ところで…君くらいの使い手なら、何となく感じないかい?」
 男は再び、天道家へと瞳を移しながら続けた。
「感じないかって…何がだ?」
 乱馬は怪訝な顔を男へと手向けた。
「この家から微かに流れている、妖気を…。」
「妖気?」
 思わず、きびすを返していた。何を言おうとしているのか、皆目さっぱりわからなかったからだ。無論、乱馬には何も感じられなかった。
 ごく普通の天道家がそこにある。

「ま、微々たるモノだから、人間には嗅ぎ分けられないのかもしれないが…。」

「おっさんにはわかるって言うのかよ?」
 乱馬は睨みつけるように問い質した。

「ふふふ…私のように年が長けて来ると、衰える代わりに研ぎ澄まされてくる感覚っていうのもあるんだよ…。少年。」
 男性はフッと息を吐きだして、乱馬へと向き直る。
「もしかすると、この家に住む誰かが、近い将来、怪奇現象に巻き込まれるかもしれない…いや、既に巻き込まれてしまっているかもしれない…。」
 そんな言葉を乱馬へと投げた。
 
「そいつは…予言か?その妖気を感じたから、ここへ立ってたのか?」
 キッとして乱馬は男へと問い質した。
「ま…そんなようなものかな…。」
「…おっさんは一体何なんだ?占い師とか何かなのか?」
 思わず、問いかけていた。
「いや…ただの散策中の通りすがりの外人だよ…。ま、今の私はこの有様だから……感知力が鈍っているかもしれない。」
「感知力?」
「もっとも、ただの思い過ごしかもしれないから、責任は持てないが…。どら、まだ、散策の途中だから…この辺で失礼するよ…。」
 男はくるりと背を向けて、ゆっくりと離れて行く。
「縁があったらまた会おう…。少年…。」
 そんな言葉を耳元で囁かれた。

 ハッとして振り返ると、男はゆっくりと右手を乱馬へ向けて振りながら、雨の中を歩いて行く。

 特に、悪さをされた訳でもないから、追いすがって乱暴を働く訳にもいかない。もう、良い時間だ。こんな道端で騒ぎを起こすのも、近所迷惑になるだろう。

「ま…いいか。別に、悪さをしていた訳じゃなさそーだし…。」

 いつしか、降りしきっていた雨も止んでいた。
 代わりに、もやが立ち始める。男が立ち去った方向は、既に、もやが出始めている様子だった。
 フッと息を大きく一つ吐き出すと、門戸の木扉をゆっくりと開いて、中へと入る。それから、玄関の引き戸を開いて、一言、声を上げた。

「ただいまー…。」
 と。
 
 
二、

 翌朝。

「いってきまーすっ!」
 元気な声が玄関先で響く。
 まだ、ほのかに暗い早朝の道。やはり、今朝は霧がかかっていた。

 傍らには、乱馬が一緒だった。朝や早くに起こされ、多少不機嫌面だ。
 赤いチャイナ服のポケットに両手を突っ込んで、一緒に歩き出す。

「たく…。ほんとに体調戻ったのかよ?」
 とあかねへ問いかけた。
「ええ…おかげさまですっきりよ。」
 スキップでも飛び跳ねそうな勢いで、あかねは微笑む。 
 
 あかねは、早退して家に帰り着くと、そのままベッドへ横たわり、ぐっすりと眠ってしまった。朝方、かすみが起こしに来るまで、眠り続けたのである。
 夕方、かかりつけの内科へ行こうと思っていたが、起きあがることなく、朝まで眠ったのだ。
 もともと体力の塊のような娘だったので、寝ったことで回復したのであろう。
 晩御飯を一回飛ばした分、食欲は旺盛だった。余った夕食を温め直して、朝からパクついていた。

 故に、あかねは、夕べの乱馬の様子は全く知らない。猫飯店でご飯を呼ばれて帰って来たことを含めてだ。

 乱馬は乱馬で、天道家に帰宅した時、正直、拍子抜けした。
 猫飯店でご飯を食べて来たとがあかねに知れたら、こんな笑顔を乱馬には手向けないであろう。時折、猫飯店やお好み焼きうっちゃんで足止めを食らい、食べて来ることがあったが、後で壮絶な舌戦があかねと繰り広げられるのも、いつものパターンであった。
 帰宅早々、ドカンと雷が落ちて来ると覚悟していたのだが、尽(ことごと)く空振りで終わったのだ。
「良かったわね…乱馬君。あかねは夢の中よ…。」
 玄関先でニッとなびきが笑った。
 拍子抜けしたせいで、脱力感に襲われた乱馬は、そのまま風呂へ入って、寝床へ直行した。彼もまた、ぐっすりと眠った口である。

 目覚まし時計は六時十分前にかけ、ダッと寝床から脱すると、大急ぎで朝ご飯をかき込み、あかねと一緒に家を出て来た。
 朝が苦手な乱馬が、こうやってあかねと一緒に家を出て来たのも、なびきに夕べのことを、根掘り葉掘り聞かれたくない無いという心理も少なからず働いていた。彼女の場合、きっとあかねへの口止め料を要求するのは目に見えていた。

「あんたまで、一緒に付き合うことはないのに…。」
 あかねは傍らの乱馬へと言葉をかける。
「しゃーねーだろ?人手が足んねーから、公子に来いって言われちまったしよー…。」

 ブツブツと言葉が漏れた。

 昨日から、乱馬の周りが俄かに、賑やかになって来た。
 まずは、大上に言われたことが、尾を引いていた。

(大上…あいつは一体、どういうつもりであんなことを言ってやがったんだろ……。まさか、あかねに気があるとか…。)

 それから、夕べ、帰り道で遭遇した謎の女のことも心に引っかかっていた。知らない女子だったが、なびきと同じクラスだと自ら語っていた。
 昨夜、なびきに直接尋ねてみようと思ったが、辞めにした。
 どう切り出して尋ねるのが良いか迷った上、情報料を寄こせとたかられるのがオチだと思ったからだ。
 ましてや化け物呼ばわりされてしまったことなど、知られたくも無かった。なびきに問い質すと、恐らく、根掘り葉掘り、逆に聞かれることになるだろう。それはそれで、返答に詰まることは目に見えていたし、なびきはナイフのように鋭く、訳を聞くため切りこんでくるだろう。
 余計な詮索を、なびきを通じてあかねに与えてしまうかもしれない…それを一番危惧したのである。
 結果として、結局、謎の女については何も問い質さなかった。

(ま…学園祭もある…。同じ学校の生徒なら、きっと校内で行き合うだろうしな…。でも…まさか、あの女、あかね(こいつ)に手を出してくるなんてこと、ねーだろーな…。)

 そう…。更にもう一つ。帰宅した際に、天道家の前で佇んでいた謎の外人だ。彼は乱馬に言った。天道家から微かに妖気が漂ってくると。
『もしかすると、この家に住む誰かが、近い将来、怪奇現象に巻き込まれるかもしれない…。』男はそんな意味深な事まで、言い置いて行ったのだ。
 勿論、信じたわけではない。が、少しばかり、夕刻であった変な女の姿と、リンクした。もしかして、あの女と関係があるのではないかと危惧したのだ。

 そんなことを考えながら、通学路を急いだ。自然、無口になった。
「どうしたの?」
 黙り込んだまま、言葉を発しない乱馬へ、あかねが声をかけた。特に饒舌では無かったが、いつもは、何彼とあかねに話しかけてくる。からかい口調を含めてだ。だが、一切、今朝は言葉が発せられない。
 あかねの声にハッと我に返る。
「いや…別に…。」
 昨日、女と遣りあった場所辺りまで来ていた。
 乱馬は、ヒョイっと川べりのフェンスの上に駆けあがった。あかねに複雑な表情を見せたくない…咄嗟にそう思ったのだ。別に後ろめたい訳ではないが、余計な心労をこの不器用娘に与えることはできない。
(ともかく…暫くはこいつから目を離さねえ方が良いだろーな…。)
 そう思った。傍にいなければ、肝心な時に彼女を守れない。
 勿論、この鈍い少女は、そんな複雑な乱馬の心情は見透かせなかった。


 朝、昼休み、放課後の準備会に、尽く、あかねの傍にぴったりとくっついて、さりげに、準備を手伝いを続ける。
 いつもの如く、不器用なあかねを茶化して喧嘩を吹っ掛けることもなく、黙々と真面目に作業をこなす。普段の彼より、数倍、真面目に仕事をこなしていた。
 あかねが復帰したため、お針子隊から力仕事の多い、大工仕事隊への配属替えもあったが、同じ空間の中で、トントンカンカンと装飾品を作っていた。
 大上は柔らかな笑いを浮かべながら、女子たちとの会話を楽しみつつ、手を動かしている。対する乱馬は、ムスッと口を結んだまま、淡々と作業をこなしている。時折、あかねの笑顔を盗み見ながら、それなり、充実した時間が過ぎて行った。

 
 放課後…。
 その日は、大上は所用があるからと、放課後の準備には加わらず、すっと帰宅してしまった。
 各人それぞれに事情があるからと、特に誰も文句は言わない。
 
 わいのわいのと、いつもの如く、作業が始まる。
 無論、一緒に、お喋りも始まった。放課後は朝や昼と違って、時間が長いため、緊張感も多少緩むのであろう。他愛のない会話が女子たちを中心に繰り広げられるのである。
 
「ねえ、知ってる?」
 ゆかが唐突に尋ねかけて来た。
「何を?」
 主語が抜けている会話に隣のリサがすぐさま、突っ込む。
「ほら、町外れにある古い洋館。あそこに最近出たんだって…。これが。」
 ゆかは指先をだらりと下へと垂らして大袈裟な格好をしてみた。
「何?…それ…。」
 さゆりが白い目でゆかを見ると
「幽霊よ、幽霊。隣りのクラスのさ由子(ゆうこ)が。そのお屋敷で幽霊らしき、人影を見たんだってさ。」
 ゆかがおどろおどろしそうに言った。
「もしかして…ツタが絡む、四丁目の古い洋館のお屋敷のこと?」
 公子が後ろから声を掛けた。
「そうそう、そこのことよ。」
 ゆかが答えた。

「四丁目の古い洋館…あそこに出たんだってさ。幽霊が…。」

 一同、ゆかの話へと、耳を傾ける。
 自然、誰もが黙り込んだ。故に、男子たちにも話声は聞こえた。

「由子、この前、塾帰りにそこを歩いていてたら、前から猫が一匹、由子の足元をすり抜けて、館の方へ歩いて来たんだって…。猫は由子のことなんか気にも留めず、門に向って一声、ミャアって無くと、誰も居ないのに、ギギギッて門が開いたんだってさ。」
「猫が勝手に開いたんじゃないの?」
「ううん…あそこの門扉って鉄門よ。猫の力で開けられるような代物じゃないって…由子が言ってたわ…。
 猫が入っていった方を見て、更にギョッとしたらしいの…。空き家だと思っていたのに、髪の長い女が、館から出て来て、猫を手招きしてたんだって…。」

「誰か引っ越して来たんじゃないの?で、そこで飼ってる猫なんじゃない?」
 茶々を入れかけたさゆりに、
「しっ。黙って…。」
 と、リサが好奇心いっぱいの瞳を傾けながら、それを制した。

「慌てて、由子は道端の木陰へと身を隠したんだって。ほら、あそこ、生垣だから、身を隠せる場所には困らなかったって…。で、由子は生垣へ身をかがめて、じっと見てたんだって…。そしたら…。おぞましき光景が繰り広げられたそうよ…。」
 ゆかが続ける。
「おぞましき光景?」
 あかねも耳をそばだてながら、聞き入っていた。針を持つ手もピタリと止まる。
「ええ…。猫は女の人の脚元へふらふら吸い寄せられるように敷地へ入っと行ったらしいわ…。それで…。」
「それで…。」
「その女の人、ひょいって、その猫を捕まえたんだって。猫はハッと我に返って、ニャアーと一声上げたらしいんだけど…。その人、ニッと笑うと、躊躇することなく、猫の咽喉元へこうガブッて噛み付いたんだそうよ。」

「いやあっ!」
 傍で一緒に聞いていたリサが耳を塞いだ。あかねもあからさまに嫌な顔をする。彼女もまた、怖がりであった。

「その場に凍りついた由子が、つい、枯れ葉を踏んで、音をたてたら…その女の人が、『誰っ?そこを覗いているのは…。』って物凄い形相で由子を睨みかえしたんだって。その口には真っ赤な血が滴り落ちて、まるで化け物のようだったんだって…。」
「それで…由子はどうしたの?」
 公子が淡々と問いかける。この女傑はそのくらいでは驚かない様子だった。
「あまりに奇怪な感じだったから、由子、その場は必死で逃げ出したんだってさ…。」
 そう言って、ゆかは話し終えた。ほおおっと一同から溜息が漏れ聞こえる。

「ふうん…。それって、その館に棲む吸血鬼なのかもね…。」
 とさゆりが言った。
「吸血鬼?」
 ゆかはさゆりを見返した。
「それって、ツタの絡まってる四丁目の洋館のことでしょ?そういう吸血鬼の噂が、昔からあの洋館には付きまとってるらしいわよ。」
 とさゆりは言った。
「さゆりもその洋館のこと知ってるの?」
 ゆかが興味深げに問い返した。

「まーね…。うちの祖父母の家があのお屋敷の近くにあるから、いろいろと噂だけはね…。」
「へええ…四丁目にお婆さんが居るの?」
「ううん、五丁目の外れよ。あの御屋敷からは少し回り込んだ裏手になるかしらね…。あの洋館って結構、敷地も広くて、三丁目の端っこから回り込んで、四丁目の半分がすっぽり入るから…。ま、風林館高校の三分の一くらいはあるんじゃない?」
「そんなに広いんだ…。」
「ほら、雑木林がずっとあの一帯広がってるでしょ?すぐ傍の雑木林もそこの洋館の持ち主の土地なんですって。」
「へええ…。知らなかったな…。」
「その洋館って外国の人の別荘地か何かだったんだってさ。」
「外国の人?」
「ええ、何でも、第二次世界大戦がはじまる前…だから昭和の初めごろかしらね…。ヨーロッパの貴族の末裔が日本に来て、別荘として建てた…って、まあ、一応そう言われているけど…。詳細は不明ね。」
「そんなに古いの?あの洋館…。」
 ゆかが驚きの声をあげた。
「ええ…、祖母が言うにはそうみたいだけど…。」
「で、そのお屋敷と吸血鬼とどんな関係があるの?」
 リサが聞き返した。
「祖母が言うには、そこに住んでいる西洋人は血を飲むとか…様々噂されてたんだってさ。」
「血を飲む…。」
 ゴクリとあかねの喉が鳴った。
「ま、在りがちな話よね…。」
 公子はフッと溜息を吐きだした。冷静沈着なこの女傑は、話を分析して見せる。
「ほら、昭和期には今ほど西洋系の外人さんが日本に居なかったでしょ?…だから、西洋の習慣とか良く知らなくて…。血って言うのも、案外、ワインのことじゃないかなって、私は思うんだけど…。で、それを飲んでいるから、血をすすっているように勘違いしただけじゃないのかしらね。」
「あり得る話ね。」
 さゆりも同調した。
「そうかな…。」
 リサが首を傾げた。
「第一、吸血鬼なんて、非科学的なおとぎ話よ。」
 公子は笑った。
「でも、由子は確かに見たって言ってたわよ。女が猫に襲いかかるところをさあ…。」
 ゆかが突っ込むと、
「何かの見間違いよ。第一、由子、かぶりついた口元までしっかり見えてたのかしら?」
「そこまでは確認してないらしいけど…。」
「ほら…。暗がりで錯覚しただけじゃないかしらね…。」
 公子は現実主義者らしい。怪異を否定して回る。

「でも、世の中、非科学的な現象って結構いっぱいあるわよ。」
 リサもゆかに同調して、公子に反論した。
「科学が万全じゃないことは確かかもね…。」
 さゆりはすぐ後ろ側へと目を転じる。

「確かに…非科学的現象を引き起こす人物が身近にいるか…。」
 公子が苦笑した。

 トンカチを叩いていた乱馬が、くるりと振り向く。
「おい…。何だよ。その非科学的現象って…。」
 明らかに乱馬も女子たちの話を黙って聞いていたようだ。もっとも、自然と耳に入っていたのかもしれない。

「これよ。」
 ひょいっと公子が傍にあった花瓶の水を乱馬にかけた。
「くおらっ!東っ!何しやがるっ!!」
 くっくっくと公子は笑って乱馬を見返した。見事彼は女へと変身を遂げていた。
「ごめんごめん…。つい悪戯心で。」
 そう言いながら笑っていた。
「たくうっ!風邪ひいちまったらどーしてくれるんでいっ!」
「まさか…乱馬君って体力の塊だから、このくらい平気でしょう?」

「あのなっ!悪戯でいちいち変身させられるこっちの身にもなりやがれっ!!」
 乱馬は鼻息が荒い。

「非科学的現象かあ…。でも、まあ、面白そうね…。ねえ、どう?そこの洋館へ、見学兼ねて行ってみるっていうのは…。」
 公子は突然そう言った。
「見学兼ねてって?」
 ゆかが身を乗り出した。
「あの洋館、雰囲気あるしさあ…。オカルト喫茶の参考にもなるんじゃない?結構、オカルトチックな感じを醸し出してるし…。肝試しも兼ねて…どお?」
 くすんと公子が笑った。
「肝試しぃ?」
 さゆりが目を輝かせた。

「乗ったっ!あたし!!」
 はいはいと云わんばかりにゆかが手を上げた。
「面白そうね…。あかねも来ない?」
「でも…。」
 あかねは話が急転直下しているのに明らかに困惑していた。ちらりと乱馬を見た。
 乱馬は浮かぬ顔をしてあかねを見詰めていた。
「いいじゃん。あかね。あんたなら、腕っ節強いし、用心棒に最適よ。あ、ついでに早乙女くんもどう?用心棒は一人より二人の方がありがたいし…。」
 ゆかがはしゃぎながら言った。
「その、ついでっていうのは何なんだよ。」
 乱馬は鬱陶しそうに目を差し向けた。
「だって、男の子が居た方がもっと頼りになるじゃないの。乱馬君は一応、男だしさあ…。」
「一応って…おめえ…。」
 乱馬は苦笑いしてしまった。


「勿論、興味があったら、他の男子も来てオッケーよ。集合時間は風林館高校へ午後八時。ま、こんな感じで決まりね。乱馬君とあかねは絶対参加してね!」
 公子がニッと笑った。

「ちょっと、公子っ!勝手に決めないでよ。何であたしと乱馬は絶対参加なの?」
 あかねが唾を飛ばした。

「あんたたち、腕っ節がたつじゃないの…。二人とも無差別格闘流の跡目でしょ?この際、腕っ節がたつ二人には是が非でも来て貰わないと…。」
 公子がにやりと笑った。

 反論を返す暇も無く、乱馬も呆気にとられている。

「…ってことで。その後は、女子は全員、ついでに我が家へ泊まりにいらっしゃいな。」
 公子はさっさと仕切っている。
「え?いいの?お呼ばれして…。」
 ゆかが目を輝かせた。
「うん。この週末、うちの両親、旅行で居ないんだ…。ちょっと、一人じゃ心細いと思ってたから…。準備会兼ねて女子はみんな、誘うつもりだったし…。」
 と公子が言った。

「行く行く!ね?あかねっ!」
「少しくらい、こう、わくわくしたことが無いとね。こういう冒険ってなかなかできないし。ゆかとさゆりとあかねとリサと寄って、完璧なパーティーよ。用心棒付きの…。」
「あ、他の男子は帰って貰うけど…乱馬君は良いわよ。泊ってくれても…。」
 と公子は声を挟んだ。

「うっそーっ!公子ってば…。乱馬は男の子だよ。泊まるって言ったって…。」
「ちょっと、公子、本気なの?」
 あかねは焦っていた。
「乱馬だけ特別扱いか?」
 男子がギロッと乱馬へ視線を流した。

「だって、乱馬君はあかねの許婚だし…あかね以外の女の子に手は出さないでしょ?それに、女にも変身できるわけだから…。」
 と公子は理詰めで勝手に話を進めて行く。

「まあ、言われてみればそーだな…。」
「乱馬には天道が居るし…。」
「乱馬は変身できるしな…。」
 ぼそぼそと男たちが頷く。

「あ、ちゃんと乱馬くんだけは部屋を分けるわよ。それともあかねは彼と同じ部屋の方がいいかな?」
「あたしは皆と一緒で、乱馬だけ別にして!じゃないと、行かないわよ。」
 とあかねは睨みながら公子へと言い返す。
 
 勝手に公子が仕切って、どんどんと計画が進んでゆく。置き去りにされるのは、乱馬一人。

「お、おいっ!俺はまだ、承諾してねーぞっ!」
 乱馬は公子を睨んだ。
「いいじゃん。あかねも来るって言ってるし。」
「男なら、グジグジ言わないでっ!」
 ゆかやリサに果敢に攻められる。
「わかったよっ!行きゃあいいんだろ?行きゃあ!」
 遂に乱馬は折れてしまった。

「じゃあ決まりねっ!今夜八時、集合場所は、校門前。ちゃんと外泊許可をご両親に貰って用意してきてちょうだいよね。」

 結局、アフターナイトの計画はとんとん拍子に決まってしまった。







 旧作品「赤き血の情熱」はここらあたりでぱったりと手が止まっていました。
 十年以上前に考えたプロットをいじくったので、諸所に矛盾点が生じています…慌てて書き直しました。ま、これも御愛嬌ということで…。


 この先は、登場人物が結構絡まりついてくるので、どうやって処理しようか、まだ、迷っております。書いては書きなおし…その繰り返しですが、やっぱり楽しい♪

 七話くらいで収めようと思っていましたが…多分、無理です…また、長くなりそう(汗


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