◆赤きバラの情熱

第三話 放課後の異変



一、


 あかねが帰った放課後。乱馬はクラス委員たちと、準備に余念が無かった。
 学祭のオカルト喫茶店で使う、様々な道具や衣装を懸命に手作りしていた。

「これ何に使うんだ?やたら、黒い布(きれ)が多いけど…。」
 と巻き込んだ黒の布の棒を、運びながら、乱馬が問いかけた。
「オカルト喫茶だもの…黒は欠かせないから、たくさん買ったのよ。」
「結構、値段も馬鹿になんないんじゃねーのか?」
「商店街の布屋さんで余り物を安くして貰ったのよ。」
「ふーん…。」
「こういう柄が入った生地は案外流行があるんだってさ。まとめて買うって言ったら安く融通してくれたのよ。」
 確かに、良く見ると、訳のわからないウサギだか何だかの動物柄が入っていた。
「ま、近くで見たらわかるけど、遠巻きにすれば、気になんないでしょ?使い捨て同然だから、これくらいで良いのよ。」
「暗幕にも使えるね…。窓だけじゃなくて、天井から吊り下げれば、雰囲気が出るかもね。」
 にっこりと柔らかく柊が話かけた。
「あと、赤も仕込まないとね…。」
「赤色?」
 乱馬が不思議そうに問いかけた。

「ええ…。黒には赤色が栄えるじゃない。血の色だし。」
「血ノリもつけたら良いかもね。」
「それから、メニューにも血ノリジュースとかどう?トマトジュースをそうネーミングするとか…。」
「トマトジュースより、赤紫蘇とかアセロラジュースの方が雰囲気出るわよ。」
「お品書きもそれっぽく、血が滴るようにしてさあ…。ネーミングも絞って色々出さない?」
「それ、良いわ!」

 こういう話は、女子ほど盛り上がるかもしれない。
 
「ろうそくも欠かせませんよ。こう、シャレコウベの燭台に灯せば、雰囲気、盛り下がりますよ。」
 背後から、顔色の悪い少年がぬっと顔を出した。

「五寸釘…。てめーも準備係だっけ?」
 居たのか…と言いたげに乱馬が後ろを振り向いた。
「ええ…。はじめからずっといますけど…。僕、部活やってないし…あかねさんも居るし…くふふふふ…。」
「…たく、存在感、まるで無えな…相変わらず…。」
 たははと乱馬は笑った。
「あら、でもないわよ。五寸釘君って、こういうの得意みたいだから、いろいろアイデア出してくれてるわ。」
 と公子が言葉を挟んだ。
「適材適所…ってか?」
「まーね。」

 他愛ないお喋りにこうじながら、それらしい小物を思い思いに作りだす。
 それぞれ、得意分野があるようで、デザイン画を起こす者、材料を調達して振り分けて行く者、裁縫をする者、工作をする者など。思い思いのバートに分かれて、作るのだ。

 乱馬はというと、とりあえず、あかねが担当していたパートへと回された。

「これで何を作るんだ?」
 黒い布を机の上に広げながら、問いかける。
「マントよ。」
 と公子が切り返した。
「マント?」
「ええ…。ウエイターには吸血鬼になってもらおうかと思って…。」
「吸血鬼だあ?」
「オカルト喫茶だもの。ルックスの良い男子には吸血鬼に紛してもらうのよ。ほら、牙だって準備するんだから。吸血鬼ドラキュラってほら、黒マントを翻しているイメージがあるじゃない?だから幾つか作るのよ。わかった?」
「ああ…。でも、俺、裁縫は得意じゃねーぞ…。」
「あかねの助っ人でしょ?文句言わないの。男女平等だから、裁縫男子も良いんじゃない?それとも、女の子に変身する?」
「じ、冗談じゃねー。男のまんまでやるぜ…。」

 ふくれっ面をしながら、針と糸を持つ。
 そして、誰かが作った見本を見ながら、チクチクと作業を開始した。

 それぞれ、お喋りにこうじながら、順繰りに己の役割分担をこなしていく。大がかりな内職集団が出来上がっている。

 特に、男女の区別は無かったが、気の合う者同志、さまざまクラスの噂や、芸能界のことなどを、くっちゃべりながら手を動かす。
 
「なかなか器用じゃない。乱馬君。」
 公子が傍を通り際に声をかけてきた。
「まーな…。」
「あかねの三倍は手が早いわね。」
「あの不器用女と比べるなっ!」
「確かに…あかねはこういう作業は得意じゃないわね…。」
 クスッと公子が笑った。
「だったら、もっと別な作業をやらせたら良いじゃねーか…。裁縫なんかやらせずに…。」
「まーそうだけど…。」
「大工仕事なんかどうだ?あいつ、力持て余してるから、そっちの方が向いてねえか?」
 正直な感想である。
「私も最初はそう思ったんだけど…。これがねえ…。」
 意味深に公子は笑った。
「そうそう…あかねったら、力はあるんだけど…。トンカチものこぎりも、持たせたら危なっかしくて…。」
 横からゆかが話に割り込んで来た。
「のこぎりはすっぱ抜けるわ、釘はまともに打てないで飛んで来るわ…。あかねはともかく、周りも怖くて作業に集中できないのよ。」
 さゆりも頷く。

「たはは…。有り余るほど不器用な上、破壊力は半端じゃねーからな…あかねは…。」
 乱馬は思わず脱力しかかった。

「トンカチとのこぎりって怪我したら大ごとになるけど…針なら指をさすくらいだしね…。あかねはともかく、周りにかける被害も少ないと思って、裁縫部隊に回ってもらったの…。」

「あはは…そりゃある意味賢明な判断だな…。」
 ジト汗が額に滲み出る。
「でも、あいつのことだから…針持っても、指さしまくってるんだろ?…布地、血だらけになんねーか?」
「まあ、オカルト喫茶だし、多少の血シミもありじゃないの?」
 ゆかが笑った。
「おい…。」
「冗談よ…。黒い布担当だから、シミもつかないわよ。」
 ゆかがコロコロと笑い転げた。

「時に、早乙女君…。」
 前に座って、同じように裁縫道具をいじっていた、大上が乱馬へと問いかけて来た。
「何だ?」
 乱馬は、面倒くさそうに答えた。
「天道さんとはどういう関係なの?恋人なのかい?…にしては、口げんかばかりしているみたいだけど…。」
 と、ストレートに疑問をぶつけてきた。その問いかけに、ピクンと乱馬の耳が動いた。何を問いかけてきやがる…という瞳を手向ける。

「大上君は転向して間が無いから知らないか…。」
 ゆかがニッと笑いながら、言葉を継いだ。
「乱馬君はあかねの許婚なのよ。」
「いいなづけ?…何です?それ…。」
 意味が通じなかったのか、大上が首を傾げた。
 乱馬は乱馬で、余計な事を言うなという風に、ゆかをちら見する。

「大上君は帰国子女だから知らないかなあ…。許婚って言葉。」
「ええ…知りません…。どういう意味です?」
「フィアンセっていう意味の日本語よ。」
 公子がすっと説明した。
「オー、フィアンセ…。」
 大上がポンと上下に手を打った。

「親が勝手に決めた許婚だけどな…。」
 ムスッとした表情で、乱馬は言葉をつけ足す。

「…そうですか…。親が決めた許婚同士…。」
 大上は乱馬へと視線を移しながら、吐きだした。
「ということは…まだ、結婚には至っていなんですね?」
 と問い質して来た。
「ああ…。」
 吐き出すように乱馬は答えた。勿論、事実である。

「ということは…あかねさんはまだ純潔を保っていらっしゃる…。」
 ポツンと大上が言葉を投げた。

「あん?」
 思わず乱馬は大上を見返していた。

「それとも、もう既に手はお出しになられているんですか?」

「出してねーよっ!」
 乱馬はムッとして言葉を投げ返した。

「うっそ―っ!乱馬君、まだあかねを抱いてないの?」
 横からゆかが茶々を入れて来た。
「だ…抱いとるかーっ!」
 思わず、怒鳴り返していた。
「寝室を共にしてないの?」
「す、する訳、ねーだろっ!」
「ええ?じゃ、まだプラトニックラブ、続けてるの?」
 さゆりまで突っ込んで来る。
「余計なお世話だっ!」
 真っ赤になって言い返す。図星だったからだ。
 
「あんたたち、祝言まで挙げようとしたじゃない…。なのに、まだ、手を出してないなんて…信じられないわっ!」
「相変わらず…純情ねえ…。あんたたち…。」
 公子までそんな言葉を投げて来た。

「う…うるせーっ!悪いかっ!」
 と、怒鳴り倒す。

「純情培養のカップルか…。なるほどね…。ということは、心変わりもオッケーってことだよね?」
 大上の言葉に、乱馬は眼光を鋭くした。

「どう言う意味だ?」
 とあからさまに不機嫌な表情を大上へと手向けた。
「あはは…別に深い意味はありませんよ。身体が綺麗なままなら、別れる時も後腐れがない…。そういう打算が、お互いの心の奥に働いているんじゃないんですか?」
 チラッと大上は乱馬の表情を見据えながら、そんな言葉を吐きだした。
 無論、乱馬の表情は、みるみる険しくなる。

「…それとも…素直に結べない無い理由(わけ)があるとか?」

 大上の言葉が嫌に耳に突き刺さった。
 互いの心が素直でない以上に、まだ、呪泉の呪いを引きずっていることから来る「戸惑い」をそれとなく突っ込まれたような気がしたのだ。
 あかねにキス一つまともにできないのは、己の奥手な純愛感情のせいが大方を占めているが、中途半端な体質を引きずっている身体にも、要因があった。いずれ、呪泉郷へ行き、男溺泉を浴びて、完全な男に戻る気でいたが、まだ、果たせていない。

「否定はしないんですね?」
 黙り込んだ乱馬を、大上はじっと見据えた。

「人の心なんて、移ろいゆくものでしょ?確たる関係を結んでいたところで、別れるカップルなんてざらにいる…。そこに杭を打ち込む、隙もできるかもしれませんからね…。
 許婚だからってあんまり安心しない方が良いのかもしれませんよ…。早乙女君。」
 大上は意味深に笑った。まるで、あかねを横取りしようと思っているかのように、乱馬の耳には響いた。

「結構、シビアなことを平然と言うのね…。大上君は…。」
 公子が二人の間に割って入って来た。
 ここは、下手な争いの火種を作りそうだと、委員長自ら、止めに入った様子だった。
「ま、恋愛事情はいろいろ人それぞれあるし、この話は一旦置きましょ。口ばっかり動かしてないで、とっとと、作業を進めて貰わないと…宿題にするわよ。」
 と発破をかけた。

「だな…。宿題にして持って帰る訳にもいかねーし…。頑張るか…。」
 そう言ったきり、乱馬は口を閉じてしまった。そして、熱心に、針と糸を使って、本来のあかねのノルマを淡々とこなし始めた。
 その様子を透かし見ながら、大上も、淡々と己の作業を開始した。

 女子たちは、手を動かしながら、他愛のない話題をまた、お喋りし始める。
 良く、話題が尽きないものだと、半ば感心しながら、耳を傾け口を閉じ、さくさく手を動かし続ける。

 時計の針が四時半を回った時、大上は片付け始めた。

「もう帰るのか?」
 乱馬が大上へと声をかけた。

「大上君は家庭の事情でどうしても五時ごろまでにはお家に帰らないといけないんですって。」
 ゆかが隣りから口を挟んで来た。
「家の事情?」
「ま、人それぞれ家庭の事情があるのよ…。塾に行ってるのかもしれないし。そこは詮索無しよ。乱馬君。」
 委員長の公子が言った。

「じゃ、今日はこれで。」
 大上は鞄を持つと、教室の引き戸をガラガラっと開けて、帰宅して行った。

「…いろいろ気に食わねえ奴だな…。」
 ボソッと乱馬は吐き出した。
 何故だろう。彼には何か得体の知れない雰囲気がある。そう思った。

「ほら、まだあと一時間あるんだから、ぼさっとしないっ!あかねの代わりを務めてよね、乱馬君。」
 公子は背中から覗きこみながらニッと笑った。

「わかってるよっ!ったく…あかねの数倍俺は器用なんだからなっ!」
 そう言って、再び、針を動かし始めた。


二、

 そこに居た男女総勢、九名。下校を促す、午後五時半のチャイムが鳴るまで、熱心に準備を進めていた。
 何も、二年F組に限ったことではない。普段は、運動部と吹奏楽などの文化部の一部しか、最終下校時まで残っていない校内だが、そこここのクラスで人の気配があった。
 文化祭は来週の木、金、土と準備と片付けを入れてきっかり三日間。今日が木曜日だから、きっかり一週間前だった。そろそろ、本格的に各クラス、準備を始めている
 従って、校内に居る限りは、賑やかだった。
 五時半のチャイムが鳴ると、一斉に片付けに入る。そして、最終下校は午後六時。それ以降は残れない。
 簡単に箒で掃除して、必要ならば雑巾がけもしてから、教室を出る。
 
 昇校口から靴を履き替えて外に出れば、もう、真っ暗だ。

「さようならー。」
「また、明日ねー。」
 方々で交わされる、下校の挨拶。
 その中をかいくぐりながら、乱馬は校門を急ぎ足で出た。
 曇っているのか、空に星影は一切無かった。何となく、湿っぽい空気を肌で感じた乱馬は、家路を急いだ。
 恐らく、もうじき、雨が降るだろう。生憎、傘を携帯していない。
 走る訳では無かったが、急ぎ足で歩いた。
 今日は、右京もシャンプーも校門で待ち受けては居なかった。二人とも、稼業の飲食店が夕方の営業を始めている頃だ。乱馬を追いまわせる時間はとっくに過ぎていた。小太刀の影も無かった。恐らく、乱馬を待ちくたびれて、とっくに帰ってしまったのだろう。

「はあ…平和な下校は久しぶりだな…。」
 足取りも軽やかに家路を急ぐ。
「あかねの奴…いっつも、こんな感じで暗がりを歩いて帰ってるんだな…。」
 一人、また、一人、別の道へと辿り出し、五分も歩くと己の進行方向から、風高生はすっかり居なくなった。

「昨日、この辺りで工事をやっていたって言ってたけど…。どこもそんな気配無いじゃねーか…。」
 辺りを伺いながら歩く。
 昨日、あかねの帰宅は遅かった。己が思っていたより、三十分以上もだ。
 陽がとっぷりと暮れてしまうと、どうしても、心配になる。早雲辺りがいつも乱馬へと迎えを強制するような瞳を手向けて来るのだ。もっとも、昨日は自主的に家を出ていた。
 川沿いの道が途切れる辺りまで、いつも、迎えに行く。緑のフェンスの上からあかねの帰りを待つのが、このところの日課になっている乱馬だった。

「いつもは、待ってやってるのに…そこを一人で通るのは変な感じだな…。」
 すっかり日暮れているので、フェンスの上を走るのも気が引けた。別に、バランスを崩す気はしなかったが、あかねが居ないと乗る気にもなれなかった。

 川沿いの道の外れに、暗い場所があった。
 数年前までは畑だったらしいが、今は耕す人も無く、荒れ地と化した空き地が百メートルほど続く。その間に、電柱から伸びた電灯が寂しげに一つ、灯されているだけだ。
 川の対面も木が繁っていて、ここだけはいつも、シンと静まりかえっている。おまけにカーブの入った少し細道になっているため、車も殆ど入って来ないし、夕方過ぎともなると、人通りもほとんどなくなる。日暮れてしまうと、見通しも悪い。
 ここの場所(ポイント)が心配で、乱馬はいつも、あかねを迎えに出ていたのである。

 その近くを通った時だった。


「ミイーッ、ミャア―ッ」

 と猫の鳴き声が響いて来た。

「ひっ…ね…猫?」
 相変わらず、猫が苦手な乱馬は、途端、顔色が変わった。
 
「ミャアアアッ!」
 喧嘩でもしているのか、激しい声を挙げて、猫が鳴いている。

「お…落ちつけっ!とっとと、駆け抜けちまえば良いんだ…。」
 ドキドキバクバクと心臓が鳴り始める。心なしか、額にも汗が浮き始めていた。
 すうっと、一息、大きく息を吸い込んだ。
 心の準備を整えて、一気に駆け抜けようと、ダッシュし始めた。

 カラン…。

 乱馬の黒いチャイナ靴に、何かが当たった。ふと瞳を落すと、レンゲが落ちていた。中華スープを飲む時に使う、あのレンゲだ。
 ハッとして、地面を見渡すと、見覚えのあるステンレス製の「岡持ち」が横倒しに転がっていた。中央に真っ赤な「猫」の文字。

「猫飯店の岡持ち?」
 
 ギョッとして脇を見て、驚いた。シャンプーがいつも使っている自転車(ママチャリ)が投げ出されて転がっているではないか。
 それだけでははない。
 目の前で気焔を吐く猫には、まさに見覚えがあった。

「シャンプーッ!」
 思わず、足を止めた。
 
「ガア、ガアガアッ!」
 と、今度はアヒルが乱馬の目の前に転がりこんで来た。くるくる眼鏡をかけたアヒル…。傷ついたようで、ふらふらと一回りすると、パタンと倒れた。

「おめーは、ムースッ!」
 思わず声をあげて、ムースへと歩み寄っていた。

 何事かと、暗がりに目を凝らすと、そいつが居た。
 白い狩衣と薄いピンクの袴を着用している。長い栗色の髪がなびく。良く見ると、胸元が福与かだった。女のようだった。ヒラヒラと頒布(ひれ=肩からかける細長い布切れ)を肩にかけている。見るからに異様な風体だった。
 シャンプーはそいつに対して、明らかに敵愾心を抱いているようだった。興奮気味に、フーフーと唸り声を挙げている。
 だが、所詮は小動物と人間。力の差は歴然としていた。

「てめー、何だ?何者だ?」
 ムースを抱きかかえて、乱馬はそいつへ向かって吐きつけた。
 
 猫がシャンプーであると知ると、少しは恐怖心が薄れたのか、それとも、シャンプーとムースの危機を組み取ったのか、猫に対する恐怖心は少し薄らいでいた。


「あら…、あなたは…確か、二年F組の早乙女君…。」
 見知らぬ女の声だった。勿論、聞いたことも会ったこともない。だが、相手は乱馬のことを知っている様子だった。

「おまえ…何故、俺の名前を知ってやがる…。」
 乱馬の表情が鋭くなった。当り前であろう。

「あなた、風林館高校では結構有名だもの…。知らない生徒なんて居ないんじゃないかしら?」
 女は鬼面の下でクスッと笑った。

「てめーも、風林館の生徒か?」
 乱馬はキッとそいつを見据えた。
 
「そうよ…一応ね。三年E組に在籍しているわ…。」
 暗がりで良く顔が見えなかったが、髪の毛が長い大人びた雰囲気の女だった。無論、見かけたことも無い。
「三年E組…なびきのクラスか…。」
 乱馬は吐きつけた。
「ええ…あなたの許婚のお姉さん…天道なびきさんと同じクラスね。」
 クスッと笑いながら女は言葉を続けた。
「もしかして…その子たちの知り合いなの?早乙女君は…。」
 そう言いながら、女はシャンプー猫とムースアヒルへ視線を流した。

「ああ…。だったらどうだってんだ?」
 そう言いながら、身構える。

「へええ…。早乙女君にはヴァンパイアの知り合いが居るの…。」
 女はそう言葉を投げた。

「こいつらは、人間だっ!化け物、呼ばわりするなっ!」
 ムカッと来た乱馬はそう吐きつけた。
「そいつは面妖ね…。この子たち…どこからどう見ても、人間とは思えないわ…。猫とアヒルよ…。」
 クスッと女は笑った。

「呪泉郷で溺れて、変身する体質になっちまってるが、こいつらは人間だっ!」
 怒りの瞳で女を仰ぎ見る。

「呪泉郷…あの呪いの泉に溺れたヴァンパイアが、ここいらにはたくさん居るみたいですものね……。」
 どうやら、この女は呪泉の呪いを知っている様子だった。いや、案外、それを知って、シャンプーとムースへ襲いかかったのかもしれなかった。
「呪泉に落ちた人間は、立派なヴァンパイアよ…決して人間じゃないわ。」
 女は断言してくる。

「何だとっ?」
 己も呪泉郷に溺れている乱馬は、はっしと女へと吐きつけた。事と次第では容赦はしない…そんな怒気を孕んで、女を牽制する。
 
 シャンプーもムースも、呪泉の呪いを受けた言わば同志みたいなものだ。シャンプーとムースを化け物扱いされることは、乱馬にとって、この場は、己を愚弄されることと等しかった。故に、激こうしていたのだった。

「ヴァンパイアは、狩られる対象なのよ…。早乙女君。」
 女はすっと、もう一段高い傍の木の上に飛び上がった。そこから見下ろして、笑っている。

「狩られる対象だと?」

「ええ…そうよ…。ヴァンパイアは我々に狩られる対象…もしくは使役される対象なのっ!」
 女は徐に頒布を投げた、頒布はヒュッと音をたてて女の背後から飛び、シャンプー猫とムースアヒルへと襲いかかった。まるで、意志を持っているかのごとく、細い頒布は二匹の身体へと絡みつく。

「させるかっ!」
 敏捷(びんしょう)に乱馬は動いた。
「猛虎高飛車っ!」
 そう叫ぶと、巻き付いた頒布目掛けて、気弾を浴びせかける。
 
 ドン、ドンッ!

 と二連発、音が弾けて、頒布が千切れた。

 ズササッ!ズズズッ!
「にゃんっ!」
「があがあっ!」
 鳴き声と共に、シャンプー猫とムースあひるが地面に投げ出される。二人とも、少し目を回したのか、咄嗟に動けず、沈みこむ。少しすりむいたようで、傷ついた身体から少し血が滲みだしていた。

 と、その時だった。
 ピチャンと一粒、水滴が当たった。
 ピチャン…ピチャン…とまた一つ。そして、瞬く間にバラバラと音を発てて水滴は空から降り落ちて来る。

「ちっ!雨が降ってきやがった…。」
 恨めしそうに天を仰ぎ見た乱馬。みるみる、身体は縮まっていく。逞しい肉体は丸みを帯び、手足もか細くなっていく。
 そう、雨に当たって、女へと変身してしまったのだ。

「なるほど…あなたもヴァンパイアなの…早乙女君…。道理で…この子たちと同じ血の匂いをまとってる訳ね…。」
 その様子をまざまざと見下ろしていた、女の口から、そんな言葉が漏れ聞こえた。
 当然、短気な乱馬は、瞬時に怒りが炸裂する。

「俺は…ヴァンパイアじゃねーっ!人間だーっ!」
 そう言って、女へと襲いかかった。
 そいつをひょいひょいと避けながら、女は更に追い打ちをかけた言葉を、女乱馬目掛けて解き放つ。

「水に当たって変身する人間なんて居ないわよ…。あなたは、立派な、ヴァンパイアよ…。早乙女君っ。」
 そう言って、ひと際高い木へと飛び移った。その身のこなしは、尋常ではない。かなりな修行を積んでいると見えた。
 瞬く間に雨は本降りになる。次から次へと落ちて来る水滴。
 
「ま、今夜のところはこのくらいにしておくわ…。雨も激しくなってきたし…。あたし、雨に打たれるのはあまり好きじゃないから…。」

「貴様っ!一体…何物だ?」
 乱馬ははっしと睨みあげた。

「ふふふ…そうあせらないで…。同じ学校の生徒だもの…。どこかで必ず行き合うわ…。」

「ふ…ふざけるなっ!」
 乱馬は拳を握りしめる。

「今夜のところはここまでよ。」
 と言いながら、女はフッと笑った。そして、くるりと背を向けると、高く飛び上った。とても、人間技には思えない跳躍力だった。
 あっという間に、乱馬たちの傍から姿を消し去る。

『じゃ、またね…。今度は本気で相手して差しあげるわ…早乙女君…。』

 そう声を残して、女はその場から立ち去って行った。




三、


「で?何であいつとあそこでやり合ってたんだ?」
 
 猫飯店の店で、やかんから湯を浴びせかけて貰いながら、乱馬はシャンプーとムースへと疑問を投げかけていた。

 あれから、シャンプー猫とムースアヒルを自転車の荷台へ突っ込み、ほうほうの体で濡れながら、猫飯店まで連れて帰ってやったのである。猫は苦手で、抱えるのも嫌だったが、グッと堪えて、自転車の荷台へと放り込んだ。
 二人とも、ぐったりと乱馬のなすがままにされ、猫飯店まで帰って来たのだった。

「全く、酷い目にあったね…。」
 湯でびしゃびしゃになった身体を拭きながら、シャンプーが声をかけた。
「まったくだ…。」
 ムースも眼鏡を拭きながら、それに同調して見せた。

「二人ともてんで歯が立たなかったのか?その女に…。」
 コロン婆さんが苦い顔を二人へと手向けた。

「配達の帰りにあの場所に差しかかった時、声をかけられたね。」
「あいつにか?」
「そうある…。やっと、一人見つけた…とか何とか言われて、唐突に、水を頭から浴びせかけられてしまったある…。闘いを始める閑も与えられなかったね…。思い出しただけでもむかつくある!」
 シャンプーがムッとしながらそれに答えた。
「おらも、シャンプーを助けに入って、気がついたら水浸しになってただ…。」

「で?そこへ婿殿が来た訳じゃな…。」

 コクンと揺れる、頭二つ。

「でも…そ奴、何者なんじゃ?シャンプーとムースに有無も言わせず、水を浴びせかけ、おまけに化け物呼ばわりするなど…。」
「風林館高校の生徒らしいがな…。あんな奴、見たこともねえ…。」
 ムスッとしながら乱馬が吐き出した。
「転校生か何かかのう?」
「かもな…。俺のクラスにもいけ好かねえ転校生が一人居るが…そいつは男だし…。」
 ボソッと乱馬は履きつけた。

「ヴァンパイア呼ばわりしていたところを見ると…ちときな臭いな…。」
 コロン婆さんが考え込んだ。
「曾婆ちゃん…その…ヴァンパイアって何あるか?」
 言葉自体を知らないのだろう。シャンプーが問いかけた。

「妖(あやかし)や怪物のことじゃよ。主に吸血鬼のことを指し示すらしいがのう…。」

「吸血鬼あるか?私は吸血なんてしないあるよっ!失礼あるねっ!」
 シャンプーはむくっとふくれっ面をした。
「確かに、俺もムースも吸血鬼なんかじゃねー…。それに、あいつ…呪泉の呪いのことを知ってたみてーだし…。」

「ほう…。呪泉を知っていたと?」
 コロン婆さんが大きな瞳を乱馬へと廻らせた。

「ああ…。知っていた…。その上で俺たちは人間じゃねえとか言ってやがった…。それに、この辺には、呪泉に溺れたヴァンパイアが、たくさん居るみたいね…とかも言ってたぜ。」
 乱馬はギュッと拳を握りしめた。
 化け物呼ばわりよりも、人外呼ばわりされたことの方が、正直、頭に来ていた。

「ほう…、そやつ…呪泉の呪いを知った上で、シャンプーやムースを襲ったとも考えられるな…。」

「ああ…。ヴァンパイアは狩られるか使役される対象だ…とか何とかも言ってたしな…。」

「ううむ…。それも気になる言葉じゃな…。」
 コロンは、じっと乱馬を見据えながら言った。

「いずれにしろ、婿殿…。そやつ、何かを企んでいることだけは確かだろうて…。ゆめゆめ、油断なされるなよ。」

「ああ…。勿論、そのつもりだ…。」
 コクンと揺れる、真摯な瞳の頭。

「乱馬なら大丈夫ある。強いあるっ!私の愛人(アイレン)になる男あるからねっ!」
 シャンプーはそう言いながら、乱馬の身体へ、ひしっと抱きついた。
「こらっ!シャンプー、くっつくなっ!」
「その逞しい腕で、私を守るよろしっ!」
 必要以上にくっつくシャンプーと、焦る乱馬を見て、ムースの瞳が怒りに燃える。

 ドバシャ―ンッ!

 思い切り、無言で店の防水バケツを乱馬の頭から浴びせかけた。無論、乱馬だけではなくシャンプーもそのとばっちりを受けて、水浸しだ。乱馬が女化すると、シャンプーは猫へと変身を遂げる。

「ミイーにゃーんにゃん!」
「わっ!ねっ猫ーっ!来るなッ!ひっつくな―っ!」
 涙目になりながら、懸命に駆け出す女乱馬。背中のシャンプーを引き剥がそうと必死だ。
「オラのシャンプーに手を出すからじゃっ!良い気味じゃっ!」
 かっかっかと笑うムース。

 その三人を見ながら、コロン婆さんは思い切り溜息を吐きだした。

「ふう…。何事も起こらなければ良いがのう…。」
 そう言いながら、外を見やると、まだ、雨がザーザーと音をたてて降りしきっていた。



つづく




 


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