◆赤きバラの情熱

第一話 始まりの赤いバラ




一、


 はああ…。

 口から溜息が漏れた。

 十一月にも入ると、そろそろ夕暮れも早くなり、朝夕は冷え込むようになる。あれだけ姦しかった虫たちの声も小さくなって久しい。
 出遅れたコオロギの声が晩秋の侘しさを誘っている。

 あかねは、とぼとぼと夕なずむ道を歩いていた。

 今日も遅くなってしまった。

 というのも、学園祭のクラス準備に勤しんでいたからだ。
 風校祭…そう銘打たれた学園祭。特に派手な訳ではないが、通り一偏等の催し物はある。模擬店やら展示会やらステージやら諸々と、部活やクラス単位で催されるのである。
 三年生は、公募制推薦など受験シーズンにさしかかるため、簡単な模擬店を出すくらいだ。だが、二年生や一年生はそれぞれクラスごとに教室を使って出店することになっていた。
 出し物は風俗や法律に抵触しなければ、目立った制限は無い。喫茶店やらちょっとした食堂はもとより、お化け屋敷やカラクリ屋敷、自主撮影の映画やパフォーマンスなど多種雑多。
 原価を引いた儲けは、打上げ代として使うことが許されているので、自然、力が入るというもの。クラスごと、趣向を凝らした出店を計画するのである。
 勿論、その原動力になる実行部隊となる準備係的存在が各クラス居る。まず、運動部などのハードな部活へ身を置いていない者、それから、家が比較的近い者、そういった人材がそこへ名前を連ねるのが常。
 あかねの場合、部活に入っていないし、徒歩通学だ。しかも、責任感は人並み以上に強いときている。頼まれれば嫌とは言えない性格だ。故に、クラス催しの準備委員として、活躍されられることになってしまったのである。
 一方、早乙女乱馬。
 クラスで実行委員を決めた二学期の始めは、秋季大会のバスケ部の助っ人として試合に借り出される日々が続いていたため、乱馬は実行委員には名を連ねなかった。自ら手を挙げるタイプの人間でもないので、大方のクラスメイト同様、直前の手伝いだけですり抜けることになったのである。
 放課後チャイムが鳴ると、すぐさま、あかねたち準備委員たちは作業を始める。
 あかねのクラスの出し物は、「喫茶店」だった。それも、オカルト喫茶…という少々妖しげなものであった。
 オカルトチックな雰囲気を持った店にするために、様々なアイデアを出し合い、装飾品や衣装を作っているのだ。

 学園祭数日前ともなると、帰宅時間がグングン遅くなる。
 
 トボトボと一人歩く、通学路。
 両手に通学鞄と紙袋を抱えていた。紙袋の中には、委員会でやり残した「宿題」が一杯詰まっている。
 重い足取りは何も荷物のせいだけではない。疲労が溜まり始めていた。
 
 教室の片隅で奮闘して、気づいたら下校時刻が過ぎていたのである。見回りの教諭から「さっさと帰れ!」と言われてしまった。
 大慌てで帰路に就いた。
 一緒に校門を出てきた準備委員の友人たちも、一人、また一人、別の道へと去って行く。そして、ついにあかね一人となってしまった。

 と、前方に工事の看板が立っていた。
「この先工事中につき、迂回してください。」
 そう書かれていた。
 悪いことは重なるもので、帰宅を急いでいる時に限って、トラブルは起こる。少し遠回りして帰らなければならない事態に陥ったようだ。

「あーあ…ついてないな…。」
 また、一つ、大きな溜息が口から漏れる。
 
 強行突破するわけにもいかず、素直に迂回路へと回る。子供の頃から馴染んだ町だ。家までの道は幾通りか知っている。
 が、普段はあまり使わない道。
 秋の陽はつるべ落とし。この頃は、五時を回ると、太陽はすっかり西に沈んでしまう。もう七時前だ。空は真っ暗だ。道も人影はまばらで、街灯が心細げに急ぐ道端を灯している。

「すっかり遅くなっちゃったわ…。」

 とぼとぼと一人、住宅街へと続く道を通り抜ける。
 あかねが選んだこの迂回路には坂がある。急な勾配ではないが、住宅街に沿って小さな沼地が広がる場所がある。
 「練馬」はもともと「根沼」と呼ばれていたこともあるほど、沼地が多かったらしい。夏場にはカエルの声がかしましいほど聞こえてくるが、今は虫の声も殆どしない。静まり返っていた。特に恐怖心は無かったが、一人で歩く暗がりは心細い。
 「痴漢に注意」と書かれた看板が雑木林の脇の金網にすげられていたが、どうやって注意すれば良いのだろうか。この手の看板を見るといつも疑問に思ってしまう。とはいえ、無差別格闘技で鍛えた身体だ。損所そこらの痴漢に負けるとは思わなかった。
 とぼとぼと暗がりの坂を登って行くと、どうも後ろが気になってくる。気配がある訳ではないのに、耳に誰かの足音がこだましてくるような気がするのが不気味だった。

 時折、歩みを止めて耳を澄ませてみるが、己の吐息くらいしか聞こえてこない。
 自分のテリトリーではない道を歩いている心細さが、不安を増長させているようにも思えた。

「早く帰ろう…。」

 気を取り直して、坂道を急ぐ。草木に覆われたこの坂を登りきってしまえば、またしばらく住宅地が続く筈だ。
 足を早めて、トコトコと登り始める。走るまではいかないにせよ、結構急いだ。坂を登りきった頃は少し息が乱れていた。

「やっぱ…身体は正直よねえ…。」
 と溜息が漏れた。

 このところの連日の遅い帰宅のせいで、少し修行をサボっている。特に走り込みに裂く時間を減らしている。その体たらくがこの息切れなのだろうか。
 あかねは自分の修行態度に反省を感じながら、ふうっと大きなため息を吐きだした。

 と、目の前を何かが横切った。

 えっと思って目を凝らす。と、そいつはこちらをじっと見た。そして一声、ミーと啼いた。
 猫である。それも、立派な毛並みの白い猫だ。
 何も珍しい動物ではなかったが、何故か歩みを止めた。
 猫の方へと目を転じると、そこには大きな建物の影が目に入った。
 たいそう立派な木造の洋館がそこに建っていた。囲む塀は黒い鉄柵。門扉は赤煉瓦。屋敷内は木が鬱蒼と生い茂っている。かなりの年代物の洋館のようだった。

「こんな洋館、あったっけ…。」
 あかねは洋館を見ながら、首を傾げた。

 生まれて以来、天道家を離れたことがないあかね。この道を辿るのも今日が初めてではない。が、洋館がこんなところに建っていたか…一瞬、疑問に思った。

 と、その時だった。前方から軽自動車が一台、猛スピードで駆け抜けてくるのが見えた。この暗がりであるにもかかわらず、そいつは結構飛ばしていた。

「危ないっ!」
 このままではそこに立ち止まっている猫を轢(ひ)いてしまう。そう思うと、咄嗟に身体が動いていた。
 鞄を脇に脇に置き、猫へとダイビング。そして、身を翻して洋館の脇へと全力で避ける。
 見事な身のこなしだった。
 あかねの脇を軽自動車がブーンと音をたてながら通り過ぎて行く。坂道をスピードを出して下って行った。

「たく…。標識が無いからってそんなに飛ばさないでほしいわね…。」
 そんな言葉を去りゆく車体へと投げかける。

「本当にそうですわね。」
 真正面から声がした。
 唐突に声をかけられたので、びっくりして声の方へと頭を手向けた。
 古い洋館の門扉から、一人の若い女性が覗いていた。白っぽいワンピースを着ていたせいもあるが、とても、色の白い長い茶色がかった髪の女性がそこにいた。
 と、あかねが胸に抱いていた猫がミーと一声啼いた。まるで、女性に何かを告げているような声だった。
 その声を聞いて、女性がにっこりと微笑んだ。その微笑みに応じるように、猫はあかねの腕をすり抜けて、女性の方へと歩み寄る。そして、ゴロゴロと女性の足元にすり寄り、身体を親しげにすりつけた。
 どうやら、この女性の飼い猫か、良く知る猫だったようだ。
 女性は足元に寄って来た白猫を抱き上げると、あかねに対してこう言った。
「この子を助けていただいてありがとう…。娘さん。」
 そう言って笑った彼女は、ゾッとするような美しさだった。
「あ、いえ、別にたいしたことじゃないです。」
 思わず、ドキッとしたあかねが、そう切り返した。
「何かお礼をしなきゃいけないわね。」
 女性はそう言って猫へと瞳を移す。
「そんな…お気を遣わないでください。特別なことをしたわけじゃないんですから…。」
 戸惑い気味にあかねは女性へと声をかけた。
「でも、それじゃあこの子の気が済まないみたいだから…。」
 そう言って猫へと目を転じる。猫は一声。みゃあと啼いた。
「あ…いえ、今日はたまたまいつも通る道が工事をしてここを通っただけなんです…。ホント、別にお礼なんて、気を遣わないでください。」
 あかねは恐縮しながらそう答えた。
「相変わらず、奥ゆかしいのね…。この国の人は…。」
 ふと女性からそんな言葉が漏れた。
 あかねはえっと思って女性を省みた。
 長く後ろに棚引くのは黒髪ではなかった。少し茶色がかった色だ。顔立ちも、暗くてはっきりは見えなかったが、良く見ると鼻が高く掘りがある。いわゆる平たい顔ではなく、西洋人のそれに近い。
 外国人、或いはハーフのような顔立ちの二十代半ばほどの歳ごろの女性だった。

「この国には、袖振りあうも多少の縁…とかいう言葉があるでしょ?ねえ、教えてちょうだい、娘さん、あなたは何て言うお名前なのかしら。」
 女性は瞳を巡らせながらそう問いかけてきた。
 とても流暢な日本語だった。外国人特有のよどみがない。
「あかね…。天道あかねです…。」
 次の瞬間、躊躇なく自分の名前が、口を吐(つ)いてこぼれていた。特に意識して答えた訳ではない。いや、むしろ、答えることに抵抗のようなものを感じたのであるが、小さな声が名前を告げていた。
「あかね…素敵なお名前ね。この真っ赤なバラにお似合いの名前だわ…。」
 女性はにっこりと微笑みにしていた大輪のバラを見やりながら、笑った。
 それは見事な紅のバラだった。

 どこかでボンボンと時を告げる時計の音が鳴った。屋敷の中から聞こえてきたようだ。
 その音にはっとあかねは我に返る。急ぎ足で帰宅中だったことを思い出したのだ。
 時計の鐘の音は七つ。つまり午後七時を告げている。

「あ…あたし、帰らなきゃ…。遅くなったら家の人が心配しちゃう。」
 そう言って、洋館の門のところにおいてあったカバンを手に取った。

「あ…待って。何もお礼がないのは不本意だから、これを。」
 そう言いながら、持っていた真紅のバラを差し出した。
「これならあなたも気を遣わないでしょ?」
 そう言って女性は笑った。

 断るのも大人げないと思ったあかねは、そのバラを手に取った。

「痛っ…。」
 と、思わず激痛が右手に走った。

「あらあら、私としたことが…ごめんなさい。今しがた切ったばかりのものだから、トゲを処理していなかったわ。それに、一本きりじゃ、失礼よね。待ってて、幾許かの花を包んであげるわ。」
 女性はそう言うと、あかねへ渡したバラを再び手に取る。そして、それとは別のバラを数本、花籠から抜き取った。ガサガサっと包み紙へと巻き込んだ。
 どの花も、トゲが刺さったバラと同じくらい見事な真っ赤なバラだった。
「ごめんなさいね。血が出なかったかしら?」
 花を包みながら、女性はあかねへと声をかけた。
「ええ…。このくらいなら大丈夫です。バンソウコウも持ってますから。」
 あかねはそう言って愛想笑いした。少しばかりバラのトゲで右手の人差し指から血が滲みだしていた。
 それをバラのトゲが刺さった右手へと貼ろうとした。
 もちろん、不器用な彼女のことだ。バンソウコウをうまくめくれない。ましてや利き腕ではない左手、しかも怪我をしている手で貼ろうというのに無理がある。

 女性がその不器用な手つきを見て、思わずクスッと微笑んだ。
「貸して御覧なさい、私がやってあげるわ。」
 そう言って女性は猫を地面に置いた。おとなしく地面へとおろされて「ニャァ」と一声啼いた。
 あかねは黙って女性のなすがままに、バンソウコウを貼って貰った。そう深い傷ではなかったが、末端神経である。少しジンジンとした痛みが走っていた。
「家に帰ったら、ちゃんと消毒なさいね。」
 女性はバンソウコウを貼り終えると、そんなことを言った。
「はい…ありがとうございます。」
 あかねはペコッと頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ、余計な時間を取らせちゃってごめんなさいね。早く帰らないとさぞかし家の人も心配するわ。
 バラは家に帰ったらすぐに、水あげして、花瓶にさしてあげてね。茎を軽く焼いてあげれば、長もちするわ。」
 と言いながら、包み終えたバラをあかねへと差し出した。

「素敵なバラの花をどうもありがとうございました。」
 あかねはペコンと頭を下げると、その館を後にした。そして、一目散、家に向かって駆け出した。

 その後ろ姿を見送りながら、女性はふっと微笑んだ。口元は笑っているが、瞳は決して笑ってはいない。腕に抱えた白猫もじっとあかねの姿を見えなくなるまで凝視し続けていた。その眼光は鋭い獣の瞳だ。

「ふふふ…。モーネ…、わたくし、あの娘(こ)に決めたわ。」
 女性はべロッと舌を出して、さっきあかねがトゲを差してしまったバラを口元へと咥えた。そしてあかねが持った辺りを舌先でねぶった。まるであかねのつけた血の味を確かめるような、不気味な所作だった。

「あの溢れんばかりの若さと聡明さ…情熱ほとばしる勝気さ…そして血の美しさ…。どれを取っても極上の原石よ…。」
 モーネと呼ばれた猫は、答えるようにまた一声啼いた。ご主人さまにあいわかったとでも言っているかのように。じっと遠ざかるあかねの後姿を見つめる漆黒の瞳。

「さて…もう一眠りしましょうか…。まだ、期は熟していないわ…。まだ…ね…。」
 フワッと女性は欠伸をした。そして、吸い込まれるようにゆっくりと館の中へ歩み去る。
 女性の姿が見えなくなると、館にもわもわと煙が立ち込める。と、霧の中へと音も無く消え去る。何も建って居なかったかのように、辺りは雑木林の続きの景色になった。



二、

 あかねは夕泥む街の中をひた駈けた。
 鞄につけたアクセサリーの人形たちがゆらゆらと揺れながら、あかねを見上げている。片方の手に持った紙袋の中には、女性に貰った真っ赤なバラが覗いている。

 天道家の夕飯は七時頃だ。まだ、帰らぬあかねを、姉や父たちはきっと心配し始めているだろう。

 風林館高校の最終下校時刻は午後六時半。そこから考えても、小一時間近くまわっている。普通の通学路を歩いて辿れば、二十分ほどの行程だが、今日は回り道をし、道草を食った分、確実に時間をオーバーしている。
 いかんせん、携帯電話という気の利いた文明の利器をあかねは所持していなかった。まだ要らないと思っていたのと、携帯代も馬鹿にならないと気が引けて、未所持のまま過ごしていた。
 天道家の住民の中で、携帯電話を所持しているのは姉のなびきだけである。
 昨今、携帯電話が世間に充満したせいで、街中でトンと、公衆電話も見かけなくなった。
 学校から出る時も特にかけなかったから、急いで帰らねばならない。おまけに大きく通学路から外れている。

「やばい、やばい、やばいわ…。」

 焦れども、走れるスピードは決まっている。車や自転車のように風を切って走り抜けるとまではいかない。しかも、息切れがしてくる。ここでも修行不足なのが露呈してしまっている。すぐにハアハアと苦しくなって、走るのをやめてしまった。
 迂回路を抜けて、やっと正式な通学ルートの川沿いの道へとさしかかった。


 聞き慣れた声がすぐそばでした。
「たく…。こんな遅くまで何やってたんだよ…。」
 そいつはそう言葉を投げると、タンとフェンスから飛び降りて来た。明らかに不機嫌そうな声であかねをじっと見つめてくる。
 この不器用な少年は、あかねの家の居候、早乙女乱馬。

「乱馬…迎えに来てくれたの?」
 少し笑みを浮かべながら、あかねは乱馬へと目を転じた。が、この天邪鬼な青年は、すっと視線を自ら外す。
「帰りが遅いって、おじさんが心配してたからな…。俺が迎えに出て来てやったんだ。」
 と無愛想に返答を返して来た。
「とっくに下校時間は過ぎてるだろーが。ったく…。どこで道草を食ってたんだ?」
 その言い方がぞんざいなので、帰宅が遅くなって申し訳ない…と思っていた感情は吹き飛び、勝気さが頭をもたげてくる。
「道草なんか食ってないわよっ!いろいろあったから下校が遅くなっただけよ。」
 と荒い言葉を投げつける。
「そのいろいろってーのは何だよ?」
 乱馬はぶすっとした表情で食い下がる。このとうへんぼくは、本当はかなりの心配症なのだ。あかねの姿を見て、ホッとした途端、気持のタガが外れたのだろう。
 優しい態度であかねに接するなど、どう足掻いても出来ない天邪鬼男の乱暴な言動だった。
「いろいろはいろいろなのっ!」
 あかねもあかねで、売り言葉に買い言葉で荒い言葉が口をつく。素直にありがとうが言えない。つくづく可愛げの無い女だと思う。
 そのわきで、乱馬はあかねの右手のバンソウコウを目ざとく見つける。

「へっ!どーせとろ臭えーおめーのことだ。大方ドジ踏んで帰ろうに帰れなかったんだろ?」
「ち…違うわよ。いくらなんでもそこまでドジじゃないわよ。」
「じゃあ、何だ?このバンソウコウは…。」
 と執拗に問い質した。
「これ…。」
 そう言いながら、バラの花を差し出した。
「これ?…バラ?」
「うん…。ちょっと道端で猫ちゃんを助けたら、そこの家の人に感謝されちゃって…。帰りがけにお礼だって貰ったの…。その時、トゲでチクッとやっちゃったの。血を止めるために貼ったバンソウコウよ。決して大ドジ踏んだ訳じゃないわ。」
 と口を尖らせた。
「けっ!バラのトゲでチクッてやるのも、大ドジの一部じゃねーか…。」
「な…何ですって?」
 と柳眉を吊り上げたところで、
「…ったく…ほれ。」
 と言いながら手を差し出して来た。
「何?この手は…。」
 唐突に出された手に戸惑いを感じたあかねが乱馬へと問答を返す。
 握ってやろうとでも言うのだろうか?いつからそんなに積極的になったのか…と見つめると、それを察した乱馬が怒鳴った。
「ご…誤解すんなよっ!俺は、荷物を持ってやるって言ってんだ!バラの花だけじゃねーだろ?通学かばんにそれから、そっちの紙袋…。」
「いいわよ…もう、家もすぐそこだし…。」
「いいから、貸せっ!」
 もぎ取るように乱馬はあかねの鞄を横取りする。暗くて見えなかったが、おそらく顔中を真っ赤にしているに違いない。
「たく…それにしては遅かったじゃねーか。」
 言葉尻からするに、かなり待ちくたびれていたようだ。
「だって、途中の道、工事してて、迂回してたんだもの…。乱馬だって下校するとき迂回したんじゃないの?」
 と問いかけた。
「工事で迂回だあ?」
 きょとんと聞き返してきた。
「うん…三丁目の辺りで…。だから坂道を迂回して来たのよ。」
「変だな…あの辺りで工事なんかやってたっけ?」
 と口ごもる。
「少なくとも、あたしが通った時にはやってたわよ…。」
 あかねがこそっと答えた。
「俺が通った時はやって無かったぜ…。」
「きっと、夜間工事なのよ。」
「住宅地だろ?都会の幹線道路じゃあるめーし…。」
「あたしに言われても知らないわよ…。」
「ま、いーか…とっとと帰ろうぜ…。皆、お腹をすかせて待ってるんだしよー。」
 そう言って乱馬は歩き出した。

 ミイイ…。

 背後で猫が鳴いた。

「ヒッ!」
 乱馬は一瞬ビクッとする。
「もう…何怖がってるのよ…。」
 思わず苦言が零れる。

 ミャアアア…

 また猫が鳴いた。
 と、乱馬の身体があかねの傍に隠れる如く、密着する。
「ホント、大の男が猫を怖がるなんて…情けないんだから…。」
 フウッとあかねは溜息を吐きだした。
「うるせー。苦手なんだからしょーがねーだろ…。」
 身を寄せながら乱馬が叫ぶ。決して後ろを振り向こうともしない。
「そろそろ苦手を克服したら?」
「簡単にできるんなら、とっくにやってらー。」
「ま、それもそうね…弱虫乱馬君。」
「俺は弱虫じゃねえ…。」
「にゃああ…。」
 あかねが猫の真似をして一声鳴いた。
「ひえっ!」
 その声にまで、びくついてあかねへとしがみつく。そして、あかねの手を引っ掴むと、ダッと駆け出していた。
「ちょっと…乱馬…。手…繋がってるんだけど…。」
 あかねが苦笑いしながらたしなめる。
「うるせ―。とっとと来いッ!」
「何、逃げてるのよ…。犬じゃあるまいし、猫って追って来ないんだから…。」

 外灯の下を二人、猛スピードで駆け抜けて行く。
 塀の上には真っ黒な猫が一匹。
 猫はじっと駆け抜ける二人の姿を見送った。瞳に妖しい緑色の光を宿しながら。



三、

 家に帰り着くと、てき面、息が切れていた。
 苦手な猫を振り切るように、乱馬が必死で駆けたからだ。

「もう…何で、あたしまであんたに付き合わされるのよ…。」
 ハアハアと息を切らしながら、あかねが玄関先で吐きつける。
 対照的に、乱馬は息ひとつ切らして居ない。
「うるせーよ。このくらいで息切れしてんのか?情けねえなっ!」
 玄関に入って、猫の気配が無くなると、途端、横柄な態度になる。
「うるさいわねっ!あたしだって好きで修行をサボってるんじゃないわ。」
 ムッとした表情を乱馬へと返す。
「そんなことじゃあ、無差別格闘流の跡取りとしては失格だぞっ!」
「あんたに言われたかないわよっ!」
「とにかくだなあ…おめー最近走り込んでねーだろっ!それに…俺の目は節穴じゃねーぞ!おめーこのところロクに睡眠時間を…。」

 と言いかけたところで、邪魔が入った。
 

「帰った早々、玄関先で喧嘩?賑やかねえ…相変わらず…。」
 ひょいっと階段からなびきが声をかけてきたのだ。

「あ…ただいま…。」
 あかねは姉へと声をかける。
「ふーん…乱馬君。あかねを迎えに出てたんだ。」
 なびきはしたり顔でニッと笑った。
「俺はおじさんに言われたから…。」
「って、今日はお父さんと早乙女のおじさま、町内会の会合に出てて、まだ帰って来てないわよ。」
 となびきはニタッと笑った。
「え?」
 とあかねは乱馬を見返した。
 天邪鬼男は、真っ赤になって、プイッと横を向いた。
 と…いうことは…自主的にあかねを迎えに出向いていたことになる。
「何のかんのと言っても、あかねが心配なんだ…乱馬君。」
「…う…うるせーよ…。」
 ブツブツと靴を脱ぎ捨てる。

「ホント、素直じゃないんだから…。」
 クスクスっと笑ったところで、なびきはバラの花へと目を手向けた。

「あら…バラの花?どうしたの?」
「ちょっとね…猫助けして貰ったの。」
「猫助け?」
「うん…。猫助け…。」
「そう…。まあ、どっちにしても、早乙女のおばさまかかすみお姉ちゃんに、ちゃんと水揚げして生けて貰いなさいよ。あんたがやると、絶対、綺麗に生けられないんだから。それに、バラにはトゲがあるしね。チクッと何回やるか、わかったもんじゃないし…。」
 と言葉を投げた。
「だよなあ…。もう一回すでにチクッてやってるらしいし…。」
 乱馬はそう言いながら、からかうようにあかねのバンソウコウを指差した。
「う…うるさいわねっ!」
「へーんだっ!不器用女ーっ!」
「こら、乱馬ーっ!そこへなおれっ!」

 バタバタと廊下を駆け抜けて行く、賑々しい乱馬とあかね。

「たく…。喧嘩するほど仲が良いっていうけど…。ちっとは自粛して欲しいわ。」
 フウッと溜息を吐き出して、なびきはその姿を目で追った。




☆ ☆ ☆


「見事なバラだねえ…。」
 早雲が花瓶へ入れられた真っ赤なバラを見て、感嘆の声を出した。夕食後、のどかが早速、生けてくれたのだ。
「でも、さっき、ガス火であぶっていたのは何だったんだ?おふくろ…。」
 乱馬がのどかへと問いかける。

「バラの花をもたせるには、ガス火で軽くあぶると良いのよ。湯上げという方法もあるけど、こっちの方が簡単なの。」
 とおだやかにのどかが説明した。
「そうね…母さんも時折真っ赤なバラをガスコンロで焼いてから生けてたわ。」
 かすみも頷いた。
「へええ…。そんな方法があるのか…。初耳だぜ。」
「バラかあ…亡くなった母さんも好きだったわよね、お父さん。」
 なびきが早雲へと問いかけた。
「ああ、特に真っ赤なバラが好きだったね。」
 早雲がウンウンと湯のみを持って、頷きながら答えた。
「そっか…お母さん、バラが好きだったのか…。」
 何を思ったのか、あかねは一本、バラを花瓶から抜きとった。

「どーすんだ?それ…。」
 不可思議な瞳をあかねに手向けながら、乱馬が問いかけた。
「綺麗な花だから…お母さんに一本生けてあげるのよ。」
 そう言いながら、立ち上がった。
「あかねは優しいねえ…。」
 早雲がウンウンとほほ笑んだ。
「凶暴さが無けりゃ、可愛いかもな…。」
 ポツンと乱馬が言葉を投げる。

 それっきり、茶の間へあかねは戻って来なかった。

 時計の針は八時前を指している。夕食後の一家団欒。お茶菓子をつまみながら、茶の間でテレビを見ていた。

(まだ仏間から戻ってこねえのか?長いこと母ちゃんに手を合わせてるんだな…。)
 そんなことを思いながら、仏間を伺っていると、
「あかねなら、とっくに二階へ上がったわよ。」
 となびきが茶々を入れて来た。
「え?この番組、見ねえのか?」
 と素っ頓狂な声を出す。
 テレビ画面に映し出されているのは、あかねがお気に入りで欠かさず見ている番組だ。それをスッ飛ばして、二階へ上がるのは、試験前くらいのものだ。
「気になるの?」
 となびきは声をかけた。
「べ…別にそう言う訳じゃねーけど…。」
「学園祭用の仕事を持ち帰って、二階でごそごそやってるみたいよ。乱馬君、手伝ってあげたら?」
 となびきはニッと笑った。
「何で俺が手伝わなきゃならんのだ?」
「だって、許婚でしょ?…あかねのことだから、苦労しているんじゃないかしらねえ…。」
「あのなあ…そう思うなら、おめーが手伝えばいいんじゃねーか?」
「却下っ!」
「何でだよ?」
「一銭にもなんないから…。」
 そう言いながら、なびきはパリンとおせんべいを頬張った。
 この女わ!…という瞳をたじっと傾けながら、乱馬は言った。
「もっとも、あいつのことだから…俺が手伝うって言っても、頑として受付ねえと思うけどな…。」
「そうね…素直じゃないもんね。あの子は。」
「おめーが言うなっ!」



 その夜、あかねの部屋の電灯は、なかなか消えなかった。

 日付が変わる頃、お手洗いに立った乱馬は、あかねの部屋でまだ、起きている気配を感じていた。

「たく…。夜なべかよ…。寝ねーと身体がもたねーぞ…。」
 と独りごちたが、それ以上、干渉するのは止した。
 己が口を出すと、結局は喧嘩腰になってしまう。それがわかっていたからだ。
 余計な心労をあかねに与えてはいけない。ここは黙って見守るのが一番だ…。
 グッと堪えて、自分の寝床へと帰る。

 夕刻、玄関先で、「苦言」を言おうとして、なびきに邪魔されてしまった。言ったところで、喧嘩になっていただけかもしれない…そう思った。

(ま…必要なら、手助けはしてやらねーでもねーが…。今夜はやめとくぜ…。)
 そう言いながら瞳を閉じる。

 秋の夜は、しんしんと更けて行った。
 


つづく


 お試しから設定を変えて、少し書き直しました。学園祭実行委員というくくりより、クラスの準備委員にした方が流れができやすいし、色んな要素を詰め込み易いと思ったからです。削ろうと思っていた描写も入れられるかな?
 「風校祭」は妄想創作です。原作にもアニメにも学園祭の描写はありませんでした。アニメにバザーがちょこっとあっただけで…。「うる星やつら」は「友引祭」、「境界のRINNE」は「三界祭」だったかな…。風林館高校の場合は、「風林祭」より「風校祭」の方がしっくりくるような気がしたので。


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