◇天高く 第二部

第七話 群雄割拠



一、


 全日本無差別格闘大阪大会初日。女子準決勝第一試合。天道あかね対観月みさき。

 本大会注目のカードの一つだ。
 拮抗した実力は、両者、いずれも引けを取らない。
 観客は、美しい格闘姫たちの絡み合いに、魅了されていく。

 みさきは試合を有利に運ぶため、覚えたばかりの「気技」をあかねに使うことを決したようだ。
 
 彼女が身にまとった美しい気が、激しく燃え上がり始める。
 男性の選手でも、ここまで気を引き上げることは難しいと思われる。そこは、さすがに関西女流の覇者だ。

 対するあかねは、気技はまだ使えない。
 そろそろ独習しなければならないと思い始めていたが、まだ、そこまでの域に達していないと、修行すら始めていなかった。
 気のコントロールは、上級者でも並大抵の修行では習得できまい。生死を賭けるほどの激しい修行がなければ、習得できまい。 
 それは、格闘技に身を置くあかね自身が良く見知っていた。
 あの乱馬とて、最初の気技であった「飛竜昇天破」を身に付けたとき、死門が目の前に開けていた。
 そんな「気の技」をみさきは会得しているというのだ。
 会得してまだ日は浅いとはいえ、授けたのは「観月凍也」。かなりの破壊力の気技と思って良いだろう。

『下手に逃げ腰になると、気技の餌食になるだけだぜ。防御の基本は逃げではなく、完全なる受身態勢だ。』
 乱馬の声は続く。

 受身…。そう、受身なのだ。

『当たって砕けろとは言わねえが、おめえには、みさきさんの気技を受け止められるだけの力は持ってると思うぜ。この数週間、東風先生と真面目に向き合って基礎から鍛えていたからな…。』
 乱馬は一気にあかねに畳み掛けた。
『いいか、これから言う事は、良く聞いて覚えとけ!東京の大会とこの前、おまえとやりあった中で、みさきさんの攻撃に関して、直感したことがある。その情報をおまえに与えておくから…。』
『情報?』
『ああ。みさきさんは左利き、サウスポーだ。』
『左利きですって?』
『百パーセント間違いねえ。彼女は左利きだ。』
『何でわかるのよ。みさきさん、お箸もペンも右手で持ってたわよ。』
『日常生活は左利きには不便に出来てるからなあ…。恐らく矯正したんだろ?その結果、左右両用ってのはよくあるパターンじゃねえか。
 僅かだが、みさきさんの気は左に偏ってる。元来の利き腕っつうのは、完全に矯正はできねえもんさ。』
『左利き…。』
『ああ、だから、みさきさんは必ず、ここぞという攻撃は「左手」で打ち出してくるぜ。気技も十中八九、左で打つだろうな。まだ、会得したての技なら、余計にな…。』
『左から打ち込んでくる…。』
『右利きのおまえにとっては、左の方が防御の手を差し出し易いだろう?どうしても、利き腕は攻撃に、利き腕じゃない方は防御に回わりやすいからだ。剣を右手に、盾を左手にって具合にな…。
 が、左利きのみさきさんに、そいつをやらかしたら、命取りになるぜ。わかってると思うが、左利きの相手と知らずに対峙したら、防御に空白が生じやすい右側に攻め込まれる。防御してねえ右側を急襲されたら、相手の思う壺だ。』
『あ…。』
 確かに乱馬に言われてみるまでもない。左利きに右側を急襲され攻め込まれたら、防御が一瞬遅れて命取りになる。知らずに右側を出し抜かれたら、そのまま気技の餌食になるだろう。

『出し抜かれそうになったら、逆に出し抜け。
 みさきさんは左で気技を打ち込んでくる。右側へ防御の力を注いで、それをやり過ごせ。そうすれば、みさきさんを出し抜ける。みさきさんが打てる気技は、せいぜい一発…だ。まだ、連発できるだけのスキルは持っていねー。」
「一発…。」
「ああ。気技を打ち始めたばかりなら、それが精いっぱいだ。だから、一撃を耐えられさえすれば、攻撃の突破口が自ずと開けてくるさ。おまえなら、できるだろうぜ。自分の力を、修行の成果を信じるんだな。』

 試合の前の僅かな時間に、授けられた助言。
 それに思いを巡らせながら、あかねは、対峙したみさきを、はっしと見詰めていた。
 乱馬の与えてくれた情報の真偽、みさきの利き腕はどちらか、それを、冷静に見極めようと、はっしと正面から睨みすえた。
 みさきの打ち出してくる、気技が、果たして左と右、どちらの手から放たれるのか。本当に彼女は左利きなのか否か。

 寸時の迷いも許されぬ。


「いくでーっ!あかねちゃん、でやあああああっ!」

 みさきの気焔と共に、発せられた「気」。

(やっぱり、左っ!)

 あかねは目をしっかり見開いたまま、反応していた。
 ぐっと両手の拳を握り締め、左足を引いて、右足を前に身構える。右手は顔面をカバーするようにひじから差上げ、歯を食いしばり、全身の気を集中させた。そう、本来は左半身でする動作を、右半身にさせ、右側に繰り出されたみさきの左手攻撃に対して、防御の盾にしたのだ。

『何も、気は攻撃のみに使うもんじゃねえ。おめえだって、今までの修行で、気を打てないまでも、一点に集中させることくらいは出来る筈。そいつを防御壁に使うんだ。』
 乱馬のアドバイスが脳裏に響いた。

 みさきから放たれた気は、矢のようにあかねを攻撃してきた。

「くっ!」
 あかねは、必死で耐えた。ともすれば、後ろに薙ぎ倒されそうになるのを、必死で身体全体で防いだ。
 あかねの気は、右腕に集中する。手がジンジンと痺れ、もぎ取られそうになるのを感じたが、耐えた。
 右手が燃えるように熱く発火しそうだ。とにかく、必死でそこへ、己の気全部を集中させた。
 激しき気のぶつかり合い。

 遂に、みさきの攻撃が緩んだ。
 己の気を一気にあかねに投下した結果だ。

「今だっ!あかねっ!一気に行けーっ!」
 
 乱馬の声がすぐ傍で響いたような気がする。いや、乱馬ではなく、激しい修行を傍で支えてくれた、東風の声だったのかもしれない。それとも、己の内面から沸きあがる心の声だったのかも。

 後ろに引いた左足で、そのまま、一気に床を蹴った。

「今度はあたしから、行くわよーっ!でやああああっ!」

 バンッ!
 
 左足が離れると同時に、あかねは、右手を翳したまま、みさきの身体へと猛進した。

「し、しもたっ!」
 みさきは焦った。まさか、あかねがすぐさま、反撃してこようとは思わなかったのである。
「くっ!」
 あかねも歯を食いしばり、全身全霊の気合いを込めて、みさきへと激突する。
 あかねは、みさきの胸元へ頭から飛び込み、つかみかかると、そのまま、引き倒した。
 その勢いに、みさきは耐え切れず、足元がぐらついた。

 ザザザザッ。

 鈍い音がして、みさきが仰向けに背中から倒れこんだ。

 一瞬、会場がシンと水を打ったように静まり返る。
 皆、固唾を飲んで、勝敗の行方を見定める。
 勝ったのは、あかねか、それともみさきか。

 波打ったように静まり返った会場。あかねはゆっくりと上体を起こして立ち上がる。ハアハアと肩で息をしながら、リングへと立ち上がった。
 対する、みさきは仰向けに倒れ込んだまま、身動きひとつだにしない。

「ワン、ツー、スリー、フォー…。」
 レフェリーが出てきて、みさきをカウントし始めた。

「ファイブ、シックス、セブン、エイト…。」
 まだ、みさきは動かない。

「ナイン…テン!勝者、天道あかね!」
 わあああっと観衆が一斉に喝采する。

「勝った…。」
 あかねは放心したように一度上を仰いだ。
 その笑顔が会場に設えられた、大スクリーンへと映し出される。場内アナウンスがあかねの勝利を高々に称えた。
 控え室へと立ち向かう途中、ボックス席の乱馬と視線が合った。
 乱馬は黙ったまま、そっと腕組みした手の下から、Vサインを出す。それを見て、ほっとなずんだ。

「あちゃあ…。負けよったか…。」
 乱馬の脇で、凍也が手を目に当てた。
「気技を跳ね返された時点で、みさきさんの勝運は尽きたみてえだな。」
 にっと乱馬が笑った。
「やっぱ、おまえ、あかねはんに手引きしよったな。」
 凍也がジロリと乱馬を見据える。
「ははは…。そいつはお互い様だろ?あかねがまだ気技攻撃ができねえことを見越して、みさきさんに気技を伝授したんじゃねえのか?おめえ…。」
「ああ、そうや。気技使(つこ)たら、楽に勝てると思うたんやけどなあ…。」
「へへへ、気技であかねを出し抜いたつもりかもしれねえがな。まだ、気技を使い出して日が浅い、みさきさんは、気をコントロールしきれず、全部、気力を使い果たしちまった…。それが敗因だろうぜ。」
「ちぇっ!みさきがサウスポーやってこと、見抜かれとったか。」
「当たり前でい!」
「巧みに、隠しとったつもりやねんけどなあ…。」
「隠したって、じっくりと観察してりゃあわかるさ。」
 と乱馬はすらりと言い放った。
「いつ、みさきがサウスポーやってわかったんや?」
「前回、東京での対戦を見せてもらった時に、もしやと思ったんだが、大阪へ来て、観月流の道場であかねと対峙しているのを見て、確信した。」
 すらっと言い放った乱馬に、凍也は舌を巻ながら言った。
「ほんまに、恐い奴やな…。なんちゅう、観察力と分析力持っとんねん…。鋭すぎるで。正直、右利き、左利きが、ここまで勝敗に関わってくるとは思わなんだけどなあ…。」
 思わす、凍也が溜息混じりに乱馬を見返した。
「互いの超力が拮抗していたら、利き腕の如何は、充分に勝敗に影響するぜ…。凍也。」
 乱馬はゆっくりと付け加えた。
「今度のおまえの相手も、左利きだぜ。おめえと同じな…。」
 乱馬は眉間をピクリともさせずに、そう言い切った。

「ほんまに、恐すぎるわ。乱馬は…。」
 凍也はその言葉を飲み込むと、わざと笑って見せた。だが、決して目元は笑ってはいない。真剣そのものの眼差しだった。
「もしかしたら、それが相手への切り崩しに繋がるかもしれねえぜ…。窮地に立たされた時ほど、全身を研ぎ澄ませて、冷静に相手を分析したら、勝機が転がってる事もあるだろうしよう。」
「助言、ありがたく貰っとくわ。」

「ああ…。頑張れよ…。みさきさんのためにもな。」
 乱馬はそれだけを告げると、その場を去った。
 自分の試合の準備に入るために。



二、

「完敗やわ。あかねちゃん。」
 悔しがる風も無く、みさきは呆気らかんとしていた。精一杯やったという満足感の方が強かったのだろう。
「うちが左利きやって、よくわかったなあ…。」
「ううん、あたしが見抜いたんじゃないわ。乱馬の助言があったのよ。あれがなかったら、恐らく、あたし、みさきちゃんに負けていたわ。
 だって、気技が使えるだなんて、思っても居なかったもの。」
 あかねも正直な心を話した。
「そんなことあらへん。気技が使えても、まだまだコントロールできてへん、中途半端やってこと、良くわかったわ。自分のこれからの課題も良くわかった。
 また、やろうな。あかねちゃん。今度は負けへんで。」
「ええ。あたしも気技を習得するわ。みさきちゃんに負けないように。」
 互いに控え室で持って来たジャージを羽織ると、着替えもそのままに観客席へと入った。
 二人の勇姿に気付いた観客が、それぞれに声をかけてきたが、無視はせずとも、感嘆に微笑み返すだけで、先を急いだ。
 予め、大会の世話役を務めていたみさきの親父さんから、座席を用意してもらっていた。選手用のボックス席もあったが、できるだけ近くで彼らの試合を観戦したかったのである。
 勿論、許婚として試合の行方が気になったのもあるが、一人の格闘家として、それぞれの試合運びをこの目でしかと観戦したかったのだ。
 満員の大観衆の中、確保してもらっていた席がポツンと空いている。
「ご苦労様。みさきもあかねさんも良く頑張ったな。」
 そこに老人が一人佇んでいた。
「あ、お爺はん。」
 みさきの表情が変わった。
「お爺さん?」
「ああ、ウチと凍也の祖父や。あかねちゃんは初めて会うんやっけ。」
 紹介されてペコンと頭を下げた。
「かとうならんでよろしい。昨日、乱馬君にはお会いした。」
 品の良い爺さんがあかねを見ていた。
「ああ、観月流の元当主の。」
 あかねは納得した。昨日、凍也に連れられて、乱馬だけ別行動していたのだ。この老人に会いに行っていたのを思い出す。
「さて、女子の第二試合が終わったところで、これから、二人の許婚の試合が始まるぞ。」
 と会場へと視線を移す。
 席は三塁側のスタンド席とはいえ、一番前のため、遮られる頭もなく、試合が見渡せるいい場所だった。

 インターバルの催し物も賑やかしく行われる。
 さすが、大阪。リングの上、お笑い芸人たちがおどけている。それを笑いながら観客は次の対戦に思いを馳せる。
 次は、乱馬の登場だ。相手はこの前の関東大会青年部の覇者だという。少年部の覇者と青年部の覇者。盛り上がらぬ筈はない。
 場内アナウンスに導かれて登場する、若き格闘家たち。
 相手はレスリング風の試合着、それに対する乱馬の井出達は純白の道着。一応、無差別格闘早乙女流の正式試合着は白の道着だ。柔道や空手と同じように上級者は黒い帯を締める。

「乱馬君は、かなりの使い手と見えるのう…。前回、東京の大会では凍也を負かしたというが、それも納得でける。」
 観月流のご隠居、寒太郎爺さんは長く伸ばしたあごひげを手でしごきながら、乱馬を見入る。
 乱馬と対峙する相手も、かなり鍛えているようで、筋肉が盛り上がったがたいの大きな青年だった。頭はスキンヘッド。乱馬よりも上背もあり、一回り大きく見える。対峙する乱馬が華奢(きゃしゃ)に見えるくらいだ。
 それぞれのプロフィールが簡単に紹介され、いよいよ向き合う。
 一礼して、相手に臨むと、乱馬の気がいきなり大きくなった。

「ほう…。気のコントロールも手練ていやはる。全く無駄がないのう。」
 寒太郎老人の目が鋭く光った。
「そっか、気は普段から意識してコントロールしておけば、それなりに修練されるんか。参考になるわ。」
 みさきが乱馬を見ながら、頷く。まだ、気技の何たるかを良く知らないあかねでも、みさきが言おうとした意味が何となくわかる。 
 乱馬の攻撃は電光石火。
 ダッと駆け出すと、次の瞬間、巨体がドオッと前のめりに倒れこんだ。
 一瞬だった。
 相手は完全にノックアウト。意識すら失っているようだ。
 審判が出てカウントするまでもない。
 乱馬は道着の襟元を正すと、軽く一礼した。

「はやっ!もう、勝負が決してもうたやん。」
 みさきも唸ったほどだ。
「それだけ、相手との差が歴然と有りすぎたんじゃろうな…。青年部のチャンピオンだと言うが、所詮は、乱馬君の相手ではなかった…。ということやのう。」
 寒太郎老人も、コクンコクンと頷く。

 大観衆が沸き立つ中、乱馬は覇者として、花道を下がる。
 のされた相手には担架が担ぎこまれた。

「あの兄ちゃん、大丈夫やろうか?」
 みさきが心配げに担架を指差す。
「なあに、軽い脳震盪(のうしんとう)を起した程度じゃろう。血生臭い技を繰り出した訳ではあるまい。
 それだけ、乱馬君の気が大きすぎたということじゃよ。わっはっは。」
 寒太郎は豪快に笑った。
 爺さんの言ったとおり、軽い脳震盪を起しただけだったようで、担架が担ぎこまれたところで、相手がふらふらっと立ち上がる。もう、試合が決したことに、愕然とうな垂れている、青年が、ちょっと気の毒にも思えたほどだ。

「さてと…。次は凍也じゃな。」
 爺さんの声が低く唸った。

 乱馬は着替えもしないで、すぐに引き上げてきて、あかねたちと合流した。まだ、覚めやらぬ会場の歓声に応えながら、悠々と歩いて観客席へと上ってきた。

「爺さん、そこ、俺の席だよな?」
 そう言って寒太郎老人を見た。
「ああ、おまえさんの席や。特等席やろ?」
 爺さんは、にっと笑って見せた。

「あっさりと決まったわね。」
 あかねは乱馬に声をかける。
「ああ。時間をかけるのも勿体無いような気がしたんでよ、あっさりと下してやった。もっと、もったいぶって、ねちこくやった方が、観客は喜んだかもしれねえけどな。
 こっちは観客のために格闘やってんじゃねえし…。手短に決着つけてやったぜ。」
 スポーツドリンクの入ったボトルに口をつけながら、どっかと席に座った。すぐに決したとはいえ、汗をかいている。それをタオルでしごきながら、座った。
「青年部のチャンピオンが、あれだけ短時間で、少年部のチャンピオンに翻弄されたら、形無しやな…。」
 みさきがにっと笑った。
「青年部のチャンピオンっつったって、強いとは限らねえしな…。あれじゃ、良牙やムースの方が腕があるぜ。」
「それ誰や?」
「近所のダチだよ。二人とも、俺と闘うために、今回の大会にエントリーするって張り切ってた筈なんだがな…。」
「予選敗退したんか?」
「いや…。予選そのものに参加してねえよ。ムースは居候している中華飯店が稼ぎ時で出場できず。まあ、無理もないがな…。忘年会シーズンは稼ぎ時だからなあ…。
 で、良牙は予選自体を棄権したらしい。」
「棄権?怪我でもしたんか?その人。」
 みさきが興味津々に尋ねた。
「いや…。迷子になって彷徨ってるうちに、予選が終わっちまったそうだ。」
「迷子やてえ?何やそれ…。」
「良牙君、らしいわね…。それ。」
 あかねは、良牙がエントリーしていたということは、今初めて聴いたが、極度の方向音痴の彼なら、迷って予選遅刻敗退という事態もありうると、思わず苦笑いがこぼれた。
「参加できていたら、恐らく、どっちかが、決勝トーナメントへ出場していたろうな…。」

「さてと…。次は凍也の登場やで。」
 寒太郎が静かに言った。
 会場のライトがふっと消えた。
 スポットライトが中央のリンクへ集中する。

 さすがに、地元大阪。観月凍也の人気が一番高いし、期待も大きいようだ。
 凍也の入場に、一斉に歓声が沸き立った。
 アイドル歌手顔負けの、黄色い歓声も混じっているような気がする。

「すげえ…。凍也の奴、人気者だな。」
 乱馬が苦笑いしたくらいだ。
「昨今は格闘技ブームやからな…。あいつ、大阪の女子高生に結構人気あるんや。地元のテレビ番組で何度か、ジュニア選手権やらが放映されたからなあ。」
 みさきが忌々しげに言う。
「ほっほっほ。そういえば、思い出したようにファンレターが道場の方にも届いておるようじゃのう。」
 寒太郎老人が笑った。
「せやねん!さすがに、最近は試合に集中せなあかんっつう気遣いもあるみたいで、ここんところギャラリーは減ってたんやけどなあ…。
 ネットには追っかけまがいのブログまであるんやで。」
「ブログ…。凄いわねえ…。」
「ブログって何だ?」
 そう差し込んできた乱馬に
「あんたねえ…。ブログも知らないの?」
 あかねが、呆れ顔で覗き返す。
「知らねえもんは知らねえ。」
「インターネットのページよ。日記みたいなノリでホームページよりも気楽に作れるから、人気があるのよ。そのくらい、知っときなさいよ!」
「おめえん家、インターネットなんか、繋いでねえから、知らねえで当たり前だろうが。」
「そうよね…。乱馬は携帯電話も持ってないもんね。」
「えええーっ?携帯も持ってへんのん?」
「んな、金のかかるもん、持ってねえ!」
「っていうより、持てないのよね。」
 あかねが笑った。
「偉そうに言うなよ。あかね、おめえだって持ってねえだろうが。」
「うっそぉ!あかねちゃんも持ってへんのん?」
 みさきが目を丸くした。
「ええ。面倒だし、今のところ必要ないかな…っというより、乱馬が持ってないから、あたしも持たないことにしてるの。」
「ウチなんか、携帯のない生活なんか、想像できへんのに…。」

「ブログや携帯のことは置いておいて…ホント、凍也君って人気者なのねえ…。乱馬はここまで騒がれてないわねえ。」
 クスクスとあかねが乱馬を見やる。
「うるせー!人気が出れば出たで、おめえのヤキモチ度が上がるだろうが!」
 乱馬が薙ぎ払うように言った。
「まだ、知名度が薄いだけや。この大会は年末、全国各地でまとめてテレビ放映があるらしいから、それが流されたらどうなるかわからんで。
 まあ、凍也の経験から言わしてもらうけど、騒がれん方が家内は平和やで。ほんま、女子高生はかなんで。」
 みさきは嫌な思いもしているのだろう。鼻息が荒かった。
「おめえだって、女子高生のクセによう。」
 みさきの言い方が可笑しかったので、乱馬が笑った。
「にしても、インターバルが長いわねえ…。」
 あかねが会場を見渡しながら言った。
「しゃあないんとちゃう?乱馬君がものごっつう早く、決勝進出を決めてしもうたから…。」
 とみさきが笑った。
「会場かって、いろいろ裏があるんじゃよ。審査員の段取りもあるしのう…。ほっほっほ。予定よりもかなり早めに今日の試合は進行しとるしのう。」
 寒太郎爺さんも笑う。

「それにしても、風月氷也…。あいつ、やっぱり、嫌な気の持ち主だぜ…。」
 乱馬が氷也を見ながら、そう吐きつけた。
「嫌な気?」
 あかねがきびすを返すと
「ああ…。こう、何つうか、気の質が歪んでいるというか…。」
「そんなことまでわかるの?」
「まあ、乱馬君くらいの領域に達したら、そのくらいは看破できるやろうな。」
 寒太郎老人はからっと言った。
「そういうものなの…。」
「ああ、そういうものさ。」
 あかねは目を見開いた。己にはまだ、足を踏み入れられない、気技の領域を、乱馬はとっくに凌駕していることに、今更ながら、驚いた。出会った頃はここまで歴然たる差はなかった筈だ。
 だが、今では、赤子と大人の差ほど、彼とは実力が開いてしまった。物理的な力の差だけではなく、格闘技そのものに対する技量も含めてだ。

 と、背後に人の気配を感じた。
 気の何たるかを、まだ良く知らないあかねにも、その荒廃した物がわかるような、嫌な気配だった。
 

 と、背後が歪んだような気がした。

「よう…。表の御老父はん。」

 声をかけてきたのは、昨日、会場前ですれ違った老人だった。

「そこにいはるのは、観月流跡取りのみさき嬢さんか。」
 老人は舐めるようにみさきを見やった。
「何や?あんた…。」
 みさきの顔が曇った。
「あそこの壇上に居る、観月凍也、それから風月氷也の母方の祖父や。そう、あんたとは血の繋がりこそないが、親戚ということになるわなあ…。」
 老人は言い切った。

「てめえ、その話は…。」
 乱馬が割って入ろうとしたのを、寒太郎老人は止めた。

「ふふふ、もしかして、そちらのお嬢さんは観月流の裏話は知らぬか…。まあ良い。この試合が終われば、全てがあからさまに晒される。隠しおいても意味がなかろう。」
 ジロリと老人は再び、みさきを見やった。
「何が言いたいねん?」
 己に向けて、言葉の刃が飛んでくると見切った、みさきが、食って掛かった。

「だから、この試合が終われば、おぬしの許婚が凍也から氷也へと代わるということや。」
「なっ!何やて?」
「どういうこと?」
 あかねもみさきと一緒に突っ込んでいた。
「詳しくは、そこの御仁から訊くが良かろう…。わっはっは。これだけは言っておこう。凍也が氷也に負かされれば、観月みさきは観月氷也と結ばれ、流派を継がねばならぬ。」

「そんなふざけた話。…凍也は負けへん。たとえ、裏観月流がどんな汚い手を使って攻撃を加えたとしても!」

 みさきは去りゆく老人の背中に、そう言葉を吐きつけていた。

「みさき…。おまえ。」
 今度は寒太郎爺さんが驚く番だった。
 みさきの口から「裏観月流」という言葉が確かに漏れたからだ。寒太郎老人からしれみれば、みさきが「裏観月流」の存在を知っているとは思わなかったからだ。
「いつ知ったんじゃ?みさき…。裏と表、二流がある観月流派のことを。」
 
 あかねだけは、何のことやらわからず、取り残されたように、きょとんと、爺さんと孫のやり取りを見ていた。勿論、口を挟むのは差し控えていた。乱馬があかねの肩に手をポンと置き、これ以上、何も訊くなと押しとどめたのがわかったからだ。

「ごめん…。ウチ、訊いてしもたんや。関東大会へ出向いた前後から、凍也の動きがおかしかったから。」
 みさきがポツンと返答した。
「訊いたって誰にじゃ?」
 爺さんが驚きを隠せないまま、みさきを振り返る。
「ウチの道場の弟子たちや。昔から道場に通ってる、古い爺さんたちに詰め寄ったら、渋々、教えてくれたんや。
 裏観月流やお爺はんの秘密も…。」
 みさきはしっかりと爺さんと向き合ったまま、答えた。
「そうか…。知ってしまったか。」
 寒太郎老人は、ポツンと答えた。
「ああ、知ってしもうた。観月流がどんな流儀なのか、それから、裏観月流の氷也たちが、ウチを嫁にしたがっていることも…。 次の凍也と氷也の試合で、何もかもが決する事を含めて、全部。」

 自分の預かり知れんところで、様々な陰謀が渦巻いていることを、みさきは悟っていたのだ。
 あかねだけはカヤの外に居た。当然、何が話されているかはわからなかった。だが、何か、重大な事態が起こっていること、それが次の試合に絡んでいることだけは、容易に察しがついた。

「おまえまで巻き込んでしまうこととなり、すまん。」
 寒太郎爺さんは頭を垂れた。

「かまへん。ウチかて、観月流の跡取り娘や。流派の掟がどんなもんかはわかってるつもりや。たとえ、それが理不尽な事やとしても…。 
 お爺はんが、流派の掟を、ここで終わりにさせて、ウチと凍也を結ばせようと思ってる気持ちもようわかってる。」
 みさきは真摯な瞳をリンクへと手向けた。

「あのう…。あたしには全然話が見えてこないんだけど…。」
 ここであかねが初めて言葉を挟んだ。

「これからの試合はウチら観月流の流儀の跡目争いも兼ねてるんや。」
 みさきが簡潔に言った。
「跡目争い?」
「ああ、凍也と風月氷也は兄弟なんだ。血を分けたな。」
 乱馬が端的に言った。
「兄弟…ですって?」

「話せば長いことになりますがな…。」
 爺さんは、シワ深い顔に、更にシワを寄せて、淡々と話し始めた。
 
 

つづく




一之瀬的戯言
  集中力があれば、ムースや良牙の参入も楽しい話になると思いましたが、さすがに、それほど、労力を裂いて作品を書く元気はなかったので、乱馬の話の中だけに留めました。
 いずれも「ありそうな話」ということで…。

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