◇天高く   中編



 上位戦は男女十六名ずつ、トーナメントで争う。
 いずれも午前中の予選に勝ち残った勇士ばかりだ。流石に気合の入り方も、午前の比ではない。
 あかねは気にかかる足を引き摺って試合場に上った。
 午前の部はプロレス宜しく、リングが設えつけてあったが、それは取っ払われて、いわゆる柔道場のような畳が一面に敷かれていた。
 あかねの出番は突端(とっぱな)だった。
 観戦者は待ってましたとばかり、盛り上がる。
 まずは少女の部の準々決勝までの十二試合が続けて執り行われる。そして、少年の部の十二試合。それから準決勝の男女四試合が行われ、最後に決勝二試合。そんな流れになっていた。
 
 あかねは相手を前に一礼した。礼に始まり礼に終わる。これが武道の作法であった。

「はあっ!」

 互いに牽制しながら構える。
 最初の相手は自分と背格好も似た少女だった。黒帯を絞めている。
 ダンっと床を蹴り、炸裂する技。あかねの目の前で相手の拳が唸った。
「やっ。」
 あかねはそれを避けて後ろへ飛ぶ。
「ていやっ!!」
 それを逃すまじと続けて襲い掛かるしつこい拳。許婚の天津甘栗拳をスローで見ているような連続技だった。乱馬に時々付き合ってもらっているあかねには、パットしない普通の技だ。スピード、破壊力。そのどれを取っても、あかねには蝿が飛んでいるくらいにしか思えない。
 身体を捩(ひね)って軽く払いのける。
 だが、油断をしたのが良くなかった。さっと避けたと思った途端、不意に少女の強烈な回し蹴りを喰らったのだ。
 ドサッと鈍い音がしてあかねは床へと転がった。
 上位戦はカウントが取られる。相手が十カウントで立ち上がらなければ勝敗が決する。
 少女はにやっと笑ってあかねの身体にそのまま乗りかかる。

…負けるもんですかっ!…

 あかねに眠っていた闘志が燃え始めた。
 あかねは少女の激しい寝技に耐えた。のしかかったままあかねの身体を掴み、捻り上げる少女。か細く見えた身体から繰り出される力技。あかねは身体をエビ状に曲げながら痛みに耐える。苦しい体制からあかねはぐっと丹田に力を篭める。口から息を吸い込んで気力を溜めた。
「はあっ!!」
 少女の身体が更にあかねを責めようと力を入れかけた瞬間、あかねは体内に溜めた気を開放した。
 あかねの上に乗っていた少女の身体が瞬時、後ろへと吹き飛んだ。
「でやーっ!!」
 あかねは逃すことなく、体制が逆になった少女を強襲した。流星蹴りを浴びせたのだ。
「キャーっ!」
 少女の悲鳴が轟き、ドスンと床に沈んだ。後は沈黙。カウントの声が響き渡る。

「上位戦第一戦勝者、天道あかねっ!!」
 高らかに審判が声を上げた。
 あかねは一礼して試合場を出た。

「さすがやね。あかねちゃん。ええ蹴り技もってるやん…。」
 脇でみさきに声を掛けられた。
「ありがとう…。みさきちゃんも頑張って!」
 あかねは精一杯笑顔で答えた。
「任しとき…。ますますあんたと闘うんが楽しみになってきたわ。ほな、うち行くわ…。」
 みさきが続いて闘技場へ上がった。
 
 あかねは実はその時、改めて己に起こったトラブルの重大さを認識し始めていた。初戦くらいのレベルの相手なら、一瞬で雌雄が決まっていただろう。
 相手の恐らく必殺技であったろう連続拳技を避けきったときに派生した油断。ほんの一瞬の気の緩みだった。一瞬気後れした隙に狙われた足。初戦の相手があかねの異変に気がついたのではなく、単なる偶然だったのだろうが、回し蹴りをまともに喰らったのだ。
 さっきよりも足は確実に痛めていた。
 あかねが己の足に気をとられているうちに、みさきは勝利をあっさりと決めていた。
 あかねが歓声に気がついて顔を上げた時にはみさきが悠々と引き上げてくるところであった。中央には無残に転がる初戦相手。
「気合で頑張るしかないわね…。持ってちょうだいよ…。せめて彼女と手合わせるまでは…。」
 あかねは念じるように左足に言い聞かせていた。


五、

 上位戦第二戦。
 あかねは呼び出されて試合場に上がった。
 向かい合う相手を見て、驚いた。見覚えがある。
 ふてぶてしい態度ででんと構える憎々しげな面構え。さっき、あかねが足を負傷したときに、捨て台詞を吐いて立ち去った少女だった。いや、少女というにはあまりにも巨漢ででかい。
 年齢は確かに十代なのであろうが、体格は少女を通り越してオバサンである。肉付きが良い。
 驚いたことに彼女が試合場に上がると、歓声が轟いた。
 垂れ幕がそこここに面下がる。
「がんばれ!プロレス界のアイドル・デンジャラス三木」
 あかねは脱力するのを感じた。どうやら、プロレス界では有名な選手らしい。

「ふん、あんたか。まあ、せいぜい頑張りな…。三十秒で沈めてやる。」
 
 礼などしない非礼ぶりにあかねは少しカチンときた。それだけではない、さっきの捨て台詞が頭を循環しはじめる。
 
「ちぇっ!まずいな…。あかねのやつ…。感情で突っ走ってやがる。」
 脇で見ていた乱馬がぼそっと言葉を吐いた。
 普段の冷静さを持ってするならば、絶対に勝てない相手ではないだろう。だが、あかねは短気な部分が多々あった。それは日ごろの口喧嘩でも余すところなく現れるあかねの欠点でもある。
「冷静さを欠くと…あかねでも持ってかれるぜ…。たく、仕様のねえ奴だ…。」
 乱馬は心配げにあかねを見詰めていた。

「始めっ!!」

 開始の宣言と共に両者は睨み合う。
「来な!お嬢ちゃん!」
 低い声で巨漢が煽った。
「てやーっ!!」
 言われたとおり正面切ってあかねが立ち回る。
「甘いなっ!」
 にやっと笑って巨漢はあかねを身体ごと受け止めて交わした。強靭な肉体だ。あかねの軽量の攻撃は難なくかわされた。
「バカッ!もっと冷静になれっ!あかねっ!!」
 耳に乱馬の声が響いてきた。
 あかねはきっと巨漢を見上げた。
「もう一回、来いっ!!」
 巨漢はあかねを誘う。
「やーっ!!」
 煽られたあかねは巨漢を目掛けて飛び込んだ。
「ふ…。おまえ、足痛めたろ…。」
 と、巨漢がそんなことをすれ違いざまに吐いた。
 一瞬表情が変わったあかねを今度は交わさずに身体ごと横から抱え込んだ。
 どおっと身体が横倒しになる。あかねは受け身を取ったものの畳の上に叩きつけられた。
「やっぱりな…。その左足。全然踏ん張りが利いてないよ。」
「だったらどうだってのよ…。」
「こうしてやる!」
 巨漢はあかねを抱え込むと彼女の身体を捻った。そればかりではない、あかねの痛めた足を狙って蹴りを入れ揚げてくる。
「う…。」
 一瞬、あかねの脳天に激痛が走った。
「痛いか?ふふ。そうだろうな…。でもな、怪我はする方が悪いんだから。」
 巨漢は楽しそうに攻撃を続ける。体重の差は歴然としている。抱え込まれて押さえつけられては、流石のあかねも動けなかった。その上に加えられる容赦ない攻撃。
「あう…。」
 あかねの顔が痛みに歪んだ。
「ほら…。棄権なんかするんじゃないよ。そうなるとおまえを倒すことができなくなって面白くないから。」
「棄権なんかするもんですかっ!」
「そうそう・・せいぜい楽しませて貰うからね…。ほうら、どこまで絶えられるかしら。」
 巨漢は卑怯にも痛めた足ばかりを狙い定めて打ってくる。
 あかねも必死だった。
「このまま負けて溜まるもんですかっ!!」
 本来の勝気さが身体を駆け巡り始めた。あかねは痛みに耐えながらも巨漢の攻撃の隙を伺った。強いといってもそれはプロレスでのこと。どこかに隙はあるはずだとあかねは神経を尖らせる。
「もうぼちぼち沈みなっ!」
 巨漢はあかねの身体を軽く上空へと投げた。そしてそのままあかねえお頭ごと抱え込んだ。このまま後頭部から下へ叩きつけるらしい。下手をすれば首の骨が折れるかも知れない。だが、そんなことなどお構いなしだ。いたぶるのが愉しい、そんな心の囁きが聞こえてきそうな相手だった。
 だが、ただ、手をこまねいているあかねではなかった。後ろに床を感じながらあかねは掌をパッと開いた。ずっと身体の気をそこへ集中させて溜めていた。
 まだ、上手く気をコントロールできないあかねは、気砲弾が打てる訳ではない。気は打てずとも、いずれは打ちたいと思っていた彼女は、気を集める訓練だけは欠かさないできた。
 苦し紛れ、いや、火事場の馬鹿力よろしく、地面へ叩きつけられる瞬間、咄嗟にあかねは貯めた気を床目掛けて打っていたのである。

 どんっ!!

 あかねの発した気が地面を炸裂した。その反動であかねは巨漢から辛くも逃れられた。
「何っ?」
 予想外のあかねの反撃に今度は巨漢がバランスを崩した。
「いつまでもやられっぱなしのあたしじゃないわよっ!無差別格闘流の本当の強さを見せてあげる!」
 あかねは見事なまでの開脚飛びを見せた。美しく開いた足は、巨漢の身体目掛けて飛流する。
「そんなへなちょこ蹴りなんか…わあっ!!!」
 あかねは巨漢目掛けて飛びながら、気砲を後ろに撃ってスピードと破壊力を上げた。あかねの流星脚は見事に巨漢の構えた胸倉を貫いた。
 ずしんと鈍い音がして、巨漢は畳に沈んだ。
 会場は一瞬波を打ったように静まり返った。巨漢がその半分にも満たないだろう少女に堂々と倒されたのだ。
 あかねの完全なる勝利だった。

「勝者っ!天道あかねっ!!」

 あかねは肩で息をしていた。そしてにこっと微笑んだ。
 これでまずは一矢を報いた。

「見事や、あかねちゃんっ!次はあたしと勝負やっ!決勝で当たりたかったけど…。準決勝で当たるんやもん。でも、あんたとなら本気出せるわ!多分、事実上の決勝戦やわ。」
 みさきはあかねの勇士を見送りながら嬉しそうに吐き出した。
 次の試合の掲示板にぱっとみさきとあかねの名前が点灯した。



六、

 準決勝までには少し間があった。
 先に男子の試合が行われるからだ。
 あかねは乱馬の戦い振りを見たかったのだが、早々に控え室に切り上げていた。
 今の試合で痛めた足は、ますます悪化を辿っていたからだ。東風先生が詰める医務室へ行って湿布薬でも貰おうかと思ったが止した。東風に診立てて貰うと、即座に棄権を言い渡されるかもしれない。そんな漠然とした不安があかねに過ぎったからだ。
 己の怪我は己自身がおそらく一番理解していたかもしれない。正直、軸足となる左足の感覚が麻痺し始めていた。歩く廊下もその痛みが気にならないほどに足は感覚を失いつつあった。
「負けるもんですか…。次の試合は、いよいよみさきちゃんと当たるんですもの…。」
 冷や汗が毛穴から流れ落ちるような気がした。
 ここは無理してでも闘いたかった。折角強い者と闘える絶好のチャンスを、こんな足の痛み如きで諦めたくない。あかねの勝気さはこんなところにも出始める。
 遥か向こうでは武道場の歓声が響き渡る。
「乱馬も頑張っているんですもの…。」
 あかねは自分の控え室に戻るとどっと身体を投げ出して座った。そこには誰も居ない。
 置いてあったポットから熱い湯を注ぐとあかねは胃袋に流し込んだ。熱い湯が胸を通って胃袋へと雪崩れ込む。その感触を身体全体で感じると、ほーっと深く溜息を吐いた。
「大丈夫…あかね。あんたならやれる。立って闘うのよ。こんなことで負けていられないわ。」
 自分に言い聞かせるようにひとりごちた。
 
「ちょっと待ってくださいっ!ここは女子更衣室ですよ…!」
 表で俄かに声がした。
「いいんだっ!俺ならかまわねえ。」
 少年の声がした。
「あなたが構わなくても、この中にいる、お嬢さんは…。」
「俺はこいつの許婚だっ!」
 そう勢い込んで扉を思い切り開けた少年。乱馬だった。

 バタンっと後ろで音がして鍵を閉めた。邪魔者の侵入を阻んだのだろう。
「乱馬?」
 急に現れた許婚をあかねはきょとんと見上げた。
 乱馬は無言であかねの前に立ちはだかった。
「何?いきなりこんなところまで…・。試合は?」
「へっ!一瞬で二試合とも決めてきた。それより…。」
 乱馬はぐっとあかねを睨んだ。そして低い声で乱馬が唸るように言葉を叩きつけてきた。

「棄権しろ!あかねっ!」
 
「え?何?よく聞こえない…。」
 小首を傾げてあかねが乱馬を見上げる。とぼけたのだ。
 と、もう一度乱馬の口が象った。
「これ以降の試合には…棄権しろっ!」
 あかねは己の耳を疑った。
「何よ、急に。なんてこと言い出すのよっ!」
 あかねは乱馬に食ってかかろうとしたその瞬間、乱馬の蹴りがあかねの左足に入った。
 乱馬の目の前で、顔が、俄かに歪む。
「こんな足で出場する気か?」
 乱馬はあかねを静かに見据えた。震えるほど染み渡る声だった。決して大声ではないが、肝へと直接響く。
 ダークグレイの瞳は余すところなくあかねを捕らえた。ほら見ろと云わんばかりに鋭い眼光を発する。
 あかねは耐えられずに視線を外した。刺すような彼の瞳の鋭さに負けそうになったからだ。
 しかし、心は頑なだった。
「嫌よっ!あたし、絶対に棄権なんかしないっ!!」
 思わず声が上擦っていた。乱馬から視線を外して宙を睨みながら叫んだ。
「今度の相手は…みさきさんは、この足で闘えるほど甘い相手じゃねえことはおめえも承知してる筈だ!」
 乱馬は激しく反論を試みる。
「足の一本や二本、へし折れたってあたしはこの試合を闘いたいのっ!!」
 二人の周りの空気が揺れた。びりびりと震撼した。

「ダメだっ!!」

 言葉を発するや否や、乱馬はあかねの間合いに飛び込んでいた。乱馬の手はあかねの細い手首をがっしりと掴んで捉えた。
「放してっ!!」
 あかねの悲鳴が耳を劈(つんざ)く。抵抗しようと力を篭める。
 暫く無言で小競り合いが続いた。乱馬の呪縛から逃れようと身を捩(よじ)るあかねと、動きを封じ込めようとする乱馬。
 到底あかねの力では、本気を出した乱馬に敵(かな)う筈は無い。何時の間にか壁を背に押し付けられていた。
 お互いの動きを止めて、睨み合う。乱馬の手はあかねの手首を掴んだまま、壁に添えられた。
 あかねの勝気な瞳は、キッと至近距離の乱馬を見上げて見据えた。
「兎に角、棄権しろっ!わかったな!」
 乱馬はゆっくりと口を開いた。
「嫌よっ!あたしに指図なんかしないでよっ!!」
 こうなるとあかねは一筋縄ではいかない。乱馬もそれは熟知していた。
「ダメだっ!!」
「嫌よっ!」
 乱馬の語気は険しく激しかった。飲まれまじと言葉を叩きつける。
「馬鹿っ!聞き分けろっ!」
 一際激しく乱馬が怒鳴った。

「馬鹿だもんっ!!」

 負けじと言い返そうとしたが、あかねの言葉は弾き返された。その口を塞がれたからだ。

 え…?

 時が止まる。

 言葉の行き先を失った瞬間、あかねの身体は、壁から引き剥がされて、乱馬の腕の中に深く沈められた。
 逞しい腕はあかねを縛るように抱きしめてくる。力強い腕に動きを封じられたあかね。激しい情熱を秘めた彼の口は、容赦なくあかねの舌を絡める。
 貪るように求めてくる激しい乱馬の唇は、あかねの闘争心を根こそぎ奪い取っていった。
 蕩けるような甘露な口づけに、あかねの思考も動きも停止した。その隙を待っていたかのように、素早く乱馬はあかねのみぞおちに当て身を一発食らわせた。
「うん…。」
 鈍い息があかねの口から漏れた。彼女の身体から俄かに力が抜けた。
「乱馬…ずるい…。」
 薄れゆく意識の下から遥かにそう囁くと、彼の広い腕の中で果てた。
「たく…。こうでもしねえとおめえは…。聞き分けねえじゃねえか…馬鹿。」
 腕に崩れ落ちたあかねの耳元でそう囁くと軽く目を閉じ、乱馬はぎゅっと力を入れた。あかねの心音が彼の腕を通じて己に流れ込んでくる。
 暫くそうした後、乱馬はぐったりとしたあかねを抱き抱えて、医務室へと向かった。




「準決勝第一試合。天道あかね、負傷により出場辞退。従って勝者、観月みさきっ!!」

 それからしばらくして、高らかに場内アナウンスが響き渡った。



つづく




相棒、半官半民さんよりご好意で描いていただいたイメージ画



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