◆蒼い月と紅い太陽
第十四話 忌む月
一、
「やっと見つけたよ…諸君。」
早雲は浪間の上から、乱馬たちを睨みながら言葉をかけてきた。
声色は早雲そのものの声だが、背負った気からは、邪悪なものが流れている。
その瞳も、人間のものとは言い難く、炎のごとく真っ赤だ。
「ふふふ…。なかなか考えたね。離れ小島か…。おかげで少々探し出すのに苦労してしまったよ。」
「苦労?そうかな…。おめーほどの妖(あやかし)なら、俺たちの気なんて、見つけるには容易いんじゃねーのか?」
乱馬が挑発するように言った。
「まあ、その辺はご想像に任せるとして…。なるほど、ここならば、どんなに派手に暴れたとて、誰も文句は言わないか。」
シュタッと浜辺の岩の上に降り立つと、あたりをぎょろぎょろ見渡しながら、早雲はそんな言葉を吐きつけた。穏やかな口調だが、どこか荒んでいる。
「ああ…。天道君とて、己の家を荒らされるのは、気のりがせんじゃろう?」
玄馬が結界の中からそれに答えた。
その結界の中で、あかねは玄馬に護られるように一緒に早雲を見上げていた。
「ほう…。あかねも居るのか…。」
早雲は、愛娘を見つけてふっと鼻先で笑った。凍りつくような冷たい笑みだった。
「ええ…あたしは天道家の娘として、この戦いを見届ける義務があるわ…。お父さん。」
あかねは結界の中から、父親を睨みあげた。
「そうだね…。なびきとかすみは同席をしていないようだ…。ワシの娘の中でこの場に居るのは、あかね…おまえだけだね。」
「当り前よ。武道のたしなみがない、お姉ちゃんたちを、ここへ呼ぶことはできないわ…。それに、これは、乱馬が受けた勝負ですもの。立ち会うのは、あたしだけで十分でしょ?」
はっしと睨みあげるあかねの瞳には、強い意志の力が宿っている。
実の父と許婚の一騎打ちだ。それも、化け物に憑依された父と、それを打ち砕こうとする許婚の「死を賭した勝負だ。
複雑な思いを胸に抱いて、この場所に立っている。それは、乱馬も玄馬も、心得ていた。
「天道君…てっきりわしは、君が一人で乗り込んで来るものと思っておったが…。」
眼鏡の真ん中を右手っで押さえながら、玄馬が吐きだした。
えっと思って、あかねが玄馬を見上げた。と、玄馬は、すっとあかねたちの背後へと右の人差し指を指し示す。
つられて振り向くと、確かに、早雲ひとりでここまで乗り込んで来た訳ではなさそうだった。後ろに、人影がある。それも、邪気を体中から発散させていた。一見して、嫌な感じが漂ってくる。
「何…十六の時から、許婚として長い間、あかねを見守ってくれた乱馬君へのちょっとした配慮だよ。天道君。」
ニッと玄馬は笑った。
「どういう意味だね?」
玄馬は表情一つ変えず、早雲へと問いただした。
「ふふふ。ワシがここであっさり、乱馬君を斃してしまっては、面白くなかろう?だからゲストを連れて来たんだよ。」
早雲は不敵な笑いを浮かべていた。
「ゲストだって?」
玄馬がチラッとそいつを見据えて言った。
「ああ…魔龍の七つの玉を飲み込んだ人間の一人だよ。」
くくっと早雲は笑った。
「中堀とかいうあかねの会社の人間…。シャンプーに九能先輩、それから小太刀と五寸釘…俺が倒したのはこの五人だ。あと一人がそいつってことか?」
乱馬が後ろをチラッと見やりながら問いかけた。
「ああ…。ここへ来る途中、この青年をたまたま見かけたから連れて来てやったのさ。魔龍に憑依された人間だよ。…そっちだって、わざわざ探す手間が省けて、嬉しかろう?」
くくっと親指をさしながら、早雲が笑った。
「探す手間ねえ…。たく…魔龍に憑依されたまま彷徨うっところは、相変わらず、間抜けな野郎だぜ…。」
ふうっと乱馬はため息を吐きだした。
と、そいつは乱馬の一言に、馬鹿にされたとでも思ったのだろうか。
物陰から唐突に攻撃を仕掛けてきた。
ビュンと石つぶてが飛んだ。
「たく…単純なところはそのままだな…良牙っ!」
乱馬はぐっと、その石つぶてを右手で受け止めた。掌の中い収まった石つぶてを、粉々に握りつぶす。
「り…良牙…良牙君ですって?」
あかねは驚きとともに、石つぶてを投げて来たそいつへと瞳を投じた。
確かに、見覚えのある、黄色いバンダナが彼の頭に結わえられている。
だが、そこに立っていたのは、あかねが良く見知っている温厚な良牙とはかけ離れた青年であった。
久しぶりに目にする彼は、無精ひげも蓄え、乱馬と同様、体つきも少年のころよりも一回り大きくなっていた。肩幅も張り、腕や足にも筋肉が盛り上がるように美しく盛られている。
それだけに、荒廃した禍々(まがまが)しい邪気が、妙に迫って来るのだ。
饒舌な良牙ではない。寡黙な、いや、邪気にまみれた良牙がそこに居た。
「たく…。この前の世界大会…。また迷って欠席したろう?良牙…。」
乱馬がそう声をかける。と、また、石つぶてが飛んだ。
その石つぶては、玄馬が張った結界にぶつかって、弾け飛ぶ。
「良牙君…欠席したの?」
ぼそっとあかねが乱馬へと問いかけると、こくんとうなずいた。
「ああ…。不戦敗の狼…こいつにはそう揶揄されるほど、大事な公式戦には姿をあらわさねーんだ。実力はかなりのもんだってーのによ…。
この前も、準決勝でこいつとやり合う筈だったんだが…。また姿を現さず、結果は俺の不戦勝だった…。」
ぶすっとした表情で乱馬は良牙を見返す。
「だから…。ここ数年は、良牙(こいつ)と試合場で組み合ったことは無え…。」
荒(すさ)んだ気を、はあはあと吐きつけながら、良牙は黙って乱馬を見据える。さっきから一言も発しない。どす黒い邪気に意識ごと支配され、尋常ではない。
「ふふふ…君と闘いたいと思っているのは、良牙君とて同じだろう…。君を求めて、迷っていたのを見つけたんだよ…。だから、わざわざここへ連れて来てやったのだよ…。乱馬君。」
ニッと早雲が笑った。
「ただ、俺と対戦をさせに連れて来たんじゃねーんだろ?おじさん。」
乱馬はその言葉に、すぐさま問い返していた。
「もちろんだよ…。ふふふ…。前に言ったろう?君が負ければ…あかねとの婚約は破棄させてもらう。そして、あかねは、私が用意する別の者と結ばれてもらう…とね。」
「もしかして…その別の者っていうのが、こいつ(良牙)ってことか?」
「ああ…。この良牙君だよ。」
良牙へと指を据える乱馬に対して、早雲は言い放った。
「ちょっと…何、冗談言ってるの?お父さんっ!良牙君まで巻き込んじゃって…どういうつもりなの?」
その言葉を聞いて、あかねがヒステリックに怒鳴った。
「どういうつもりかって?ふふ、理由はただ一つだ…。おまえたち人間が奪った、我らの穢土(えど)を取り戻す…。あかね…お前にはそのほう助をしてもらうよ…。」
にやりと早雲は笑った。
「えど?…ほう助?」
あかねが踵を返すと、そばで玄馬が補足の言葉を継いだ。
「我らが東京と言っておる土地…そこには古来から龍の棲み家だったという。江戸の土地の産土(うぶすな=土地の神)の中に、黄龍(こうりゅう)、青龍(せいりゅう)、赤龍(せきりゅう)、白龍(はくりゅう)、そして黒龍(こくりゅう)…黄、青、赤、白、黒…五色の龍が居たという…。」
「五色の龍…。」
唐突に話に入ってきた玄馬を、あかねは戸惑いながら、見返した。
「江戸は五色の龍たちが闊歩するだけあって、それは無限の力を秘めた土地だった。それが証拠に、今でも聖なる山と崇められる、不死の山…富士山もある。そして、地震などの地殻変動も多い…。これは龍たちが自在に地脈に行き交う、荒ぶる気に溢れた土地の何よりの証じゃ…。
我ら八十島に生きる民は、古来から、さまっざまな呪法を用い、荒ぶる産土(うぶすな)が棲む土地を鎮めて開拓してきた。飛鳥京も難波京も平城京も平安京も…各所の土地の荒ぶる産土を鎮めて、古代から都を営んで来たのだという…。
下剋上の戦国時代が終焉した時、この江戸という土地に目をつけた一人の僧都が居た…。江戸幕府の布陣を作った、天海和尚と呼ばれている大僧都じゃ。」
「天海和尚…。あの、南光坊天海と呼ばれた怪僧…ですか?」
あかねが問いかけると、玄馬は深く頷いた。
「天海僧都は、徳川家から委託されて幕府を置くに相応しい「理想郷」をこの関東の地に求めたんじゃ…。」
「その天海僧都が求めたのが…。」
「そう、江戸と呼ばれた未開の地…今の東京じゃ。」
乱馬も早雲も、黙って、玄馬の声に耳を傾けている。
「天海和尚は、五行陰陽や風水など、あらゆる呪法を駆使して、江戸を作り上げたと言われている。
彼が最大に力を注いだのが、あらゆる呪法を用いて、五色の龍の力を最大限に活かすこと…。
黄龍、青龍、赤龍、白龍は天海の手中に治まったが、黒龍だけは持て余したらしい…。」
「黒龍?…もしかして…それが…。」
あかねは問い質した。
「ああ…。君の父、天道君に憑依した魔龍の正体じゃよ…。」
玄馬の声が一際高くなった。
「ふふふ…早乙女君の説明したとおりだよ…あかね。
ひとつ補足しておくと…。我ら黒龍の力を制することが出来なかった天海坊主は、已(や)む無く、我ら黒龍を江戸の果ての地中深く、封印したのだ…。」
早雲が言った。
「そう…その封印の場所こそ…天道家の古井戸…だったという…。そうだったよな、天道君。」
玄馬は早雲へと瞳を流す。
「天道家(うち)のあの…古井戸…。」
あかねはギュッと手を握った。
そう、春分の日辺りから、井戸の水が赤い血の色に変わった。思えば、異変はあの時から始まっていたのだ。
「天海僧都が四百年ほど前に施した、古井戸の封印…そいつが、解けてしまい…黒龍は復活した。そして、封印の井戸を代々守ってきた、天道家を巻き込んで、復讐の狼煙(のろし)を挙げたんじゃ…。」
腕を組みながら吐きだした玄馬の言を受けて、乱馬が続ける。
「ああ、魔龍の一番の目的は、己を封じた人間に復讐すること…。再び、江戸の地を荒ぶる土地へと戻して、大混乱に陥れること…。そうだろ?親父っ、おじさんっ。」
乱馬は父親たちへと言葉を吐き出した。
「その通り…。だが…生憎、封印を解いたは良いが…四百年も井戸の聖水に浸されてしまって、我が力は最盛期の半分にも及ばない…。再び全盛期の力を取り戻すためには…それ相応の儀式が必要でね…。」
ゆっくりと、早雲は乱馬たちを振り返った。
「儀式…?」
乱馬が問いかけた。
「その儀式には、あかねが必要なんだよ…。」
にやりと早雲は笑った。
ぞっとするほど、冷たい笑いであった。
「まあ、大方、あかねを媒体として、再び力を取り戻す…みてーなことなんだろーけど…。俺は、生憎、はいそうですかって、簡単にあかねを渡す気は無いぜ…。」
乱馬は早雲へと吐きつけた。
「だから、あかねを賭けて、まずは、こいつと闘ってもらうんだよ…乱馬君。」
早雲は良牙の肩をポンと叩いた。
と、今まで言葉を発しなかった良牙に、何かのスイッチが入った様子だった。
はああっと大きな息を吐き出すと、ぎょろりと真っ赤な瞳で、あかねを見据えた。
「なっ…。」
結界の中に居るというのに、思わず、声を飲み込んでしまった。邪な輝きに満ちた隠微な光に射ぬかれたように、一瞬、動きが止まった。
その様子を楽しげに眺め、良牙の唇がかすかに笑みを浮かべる。
「待ってな…あかねさん…。乱馬の呪縛から、僕が解き放ってあげますから…。」
そんな言葉を吐き出す、良牙の口。
「乱馬を斃したら…あかねさん…僕と許婚になってください…。」
尋常ならぬ、良牙の言葉であった。はあはあと荒い息とともに吐き出される、抑揚のない言葉。まるで、傍の早雲に操られているようにも見えた。
「あ…あたしと許婚になりたいだなんて…良牙君がそんなこと言うわけ無いわ…。気を確かに持って、良牙君。」
あかねは思わず、後ろへと身を引きながら、そう答えた。
「大丈夫ですよ…。僕が幸せにしてあげます…。あかねさんに乱馬は似合わない…。似合うのは僕だ…。」
最早、聞く耳すら持たないらしい。
「だって…良牙君にはあかりちゃんが…あかりちゃんが居るじゃないのっ!」
そうだ。良牙には雲竜あかりというガールフレンド…もとい、思い人が居る筈だからだ。
乱馬が居なくなってこの方、時々、二人で彷徨っているところを見かけることがある。あかりは決まって勝錦に乗り、楽しげに歓談しながら、迷っている…そんな姿を何度も目撃している。
「いや、あかねさん…。僕にはあなたが居ればいい…。僕の心は君にしか向いていない…。今は、ただ…君を乱馬から奪って、僕の物にしたいんだ…。ふふふ…。」
耳を疑うようなことを呟いている。
「良牙君…。」
必死で制しようとするあかねへと、乱馬が怒鳴った。
「無駄だ…あかね。今の、良牙は、魔龍に操られてるから…何を言っても俺と闘っておめーを奪うことしか、考えていねー。あの、生真面目な九能先輩がそうだったろ?九能先輩も、おめーと結ぶことしか考えていなかった…。」
乱馬がグイッと、良牙をけん制しながら言った。
確かに、乱馬の言うことに一理があった。生真面目と融通が利かないあの九能先輩が、あかねを手中に収めようと、その本能に赴くままの欲望をたぎらせていたではないか。
ということは、目の前の良牙も…。思い人のあかりのことなど、思考の中に弾けだされて無いのであろう。
「ふふふ…あかね…。この二人の戦いは、もやは、避けられないんだよ…。雌雄を決し、勝った方がおまえと結ぶ…。」
早雲の瞳が赤く光った。
その冷たい瞳に、あかねは思わず、ぞっとした。
「大丈夫だ…俺は負けねえ。俺を信じろっ!」
乱馬はそう一言、吐き出した。
「うん…。わかった…。」
あかねはこくんと小さくひとつ頷いた。
「馬鹿息子…。負けたら承知せぬぞ…。」
彼女のとなりで、玄馬も深く頷いた。
「もちろんだ…。親父っ!しっかりあかねを守ってろよっ!この前みてーに、結界を破られたら、承知しねーぞっ!」
乱馬が吐き出した。
「さてと…楽しい闘いへと移ろうではないか…。もちろん、サドンデスだ。どちらかが地に這うまで、闘いぬく…。」
クスッと早雲が笑った。
二、
乱馬は一つ、大きく息を吐き出すと、ゆっくりと良牙を見詰め返した。
「じゃ、遠慮なく行くぜ…。試合じゃ闘いそびれている分、手加減は一切しねーっ!」
「ふんっ!おまえこそ…その、高飛車な鼻をへし折ってやる…。本当の覇者はこの良牙様だってことを、教えてやるぜ…。」
おおよそ、良牙らしからぬ言葉が吐き出される。これも、おそらくは、魔龍の玉のせいなのであろう。何より、良牙の体から、煙のような瘴気が、滲みだしているのがよくわかる。
今まで闘ってきた魔龍の僕たちと同じように、良牙も身体に、得体の知れぬ瘴気を漂わせていた。そいつは、良牙の背中で、本物の激しい闘気の渦と交わり、気焔が立ち上る。
もちろん、乱馬も負けてはいない。
彼は、良牙とは対照的な、澄んだ蒼い闘気を充満させはじめた。良牙が邪気ならば、乱馬は清気。
二人は睨み合い、それぞれ中腰に身構えた。
鍛え抜かれた二人の筋肉は、瑞々しいまで、引き締まって見えた。
共に、二十二歳。格闘家として、脂に乗り始める年齢だ。
若い肉体は、互いの闘志を否が応でも盛りたてて燃え上がる。
「行くぜっ、良牙っ!」
「来いっ、乱馬っ!」
最初の激突は、五分と五分。それぞれの拳が頬のすぐ横で突き出される。
ピシュッ!
乱馬の髪の毛が微かに切れた。
ダンっ!!
良牙のバンダナがひらひらと空を舞う。
強靭な肉片同士のぶつかり合いは、夜の帳を激震させた。
お互い一歩も引くことなく、互いの肉体をぶつけ合う。
「ふっ!相変わらず、直情的な攻め方だぜ…。」
乱馬が笑った。
「うるさいっ!ぶちぶちぬかすなっ!」
良牙の怒声が響き渡る。
「もちろん、そんな陳腐な攻撃で、この俺を倒せるなんて、甘い考えは持っちゃいねーだろ?良牙…。」
純情な良牙を駆り立てるように吐きつける乱馬。
「ああ、これくらいで鎮められる相手じゃ、楽しくもなんともねーからな…。」
ニッと良牙が笑った。
とても、冷たい笑い方だった。まるで、今までは手を抜いてやっていると言わんばかりの、口調であった。
「なら、手加減しねーで、一気に攻めてきたらどうだ?」
乱馬が誘うように言い放つ。
まだ、闘いの序の口で、果敢にも仕掛けて来いという乱馬。
普段とは違う乱馬の様子に、あかねの顔も不安げに揺れた。
「乱馬…なんだか、闘い急いでいるみたい…。」
小さく口を流れたあかねの言葉を、玄馬が答えた。
「当然じゃろうな…。」
「え?」
「この闘いだけで、すんなり終わるとも思えんからな…。」
玄馬が腕組みしながら言い切った。
「って…どういう意味です?」
「乱馬が勝って終わりとなるほど、甘い闘いではないということじゃよ…。」
「甘い闘いじゃない…。」
あかねはきょとんと玄馬を見上げた。彼の言うことが、理解できなかったからだ。
「もともと、この闘いは君の父君の天道君と、乱馬の勝負ではなかったかね?なのに、今、闘っているのは天道君ではなく、良牙君だ。」
玄馬は真摯に闘う二人を見詰めた。
そうだ。この闘いは、あかねの父と許婚の一騎打ちではなかったのか。
なのに、今、闘っているのは、良牙と乱馬だ。初めの意図とは明らかに逸脱していた。
「まさか…お父さん…。」
はっとしてあかねは父、早雲へと視線を流した。
父早雲の瞳が、意味深な笑みを浮かべている。
「そう、あかね君が危惧する通り、天道君の目的は、乱馬の力を少しでも削ぐことにあるのじゃろうな…。己が次に闘う前に…。」
「お父さんがそんな邪(よこしま)なことを考えているなんて…。」
少し父を擁護したい気に駆られたが、確かに、乱馬が良牙との勝負に勝ったとしても、すんなりと終わることはないだろう。早雲が魔龍に操られているとしたら、まだ闘いは終わらないからだ。
「そう考えた方が、妥当だと思わんかね。相手は邪な魔龍じゃから。少しでも、良牙君との闘いで、乱馬の闘気を使わせておく…あの、魔龍なら考えそうなことではないか。」
「乱馬の闘気ですか…。」
あかねは複雑な表情で、乱馬へと視線を流した。
確かに、この闘いだけで、おさまるものではなかろう。父、早雲は何かを企んでいるに違いない。
「この清浄な気を、魔龍は嫌うんじゃよ…。多分、天道君は、先に乱馬を良牙と闘わせることによって、清浄な気を減らしたいんだろう…。確実に乱馬に勝つためにね…。」
「乱馬に清浄な気を使わせるための策略…そう言いたいんですね。おじさまは。」
「そんな顔をしないでも大丈夫だよ。乱馬の奴も承知しているだろうからね…。だから、乱馬は、良牙君を激しく、焚きつけているんじゃよ。」
玄馬は乱馬へと視線を流しながら、あかねへと語りかける、
「それに…天道君もわかっているはずだ…。良牙君と乱馬では実力が違いすぎることをね…。いや、むしろ、乱馬に勝たせなければ、この勝負は意味がない…。」
えっとあかねは小さく吐き出した。
この闘いの確証部分に触れたような発言だと思ったからだ。それも、あかねが預かり知ることがない何かを、如実に言い表したような気がしたのだ。
この闘いには、何か別の意図がある…。
あかねは直感した。彼女とて、無差別格闘天道流の跡取り娘だ。
「ほら、動き出したぞ…。」
玄馬が、乱馬と良牙の方へと視線を転じる。
向かい合う二人の気の流れが、確かに変わり初めている。
「ふん…そんなにとっとと斃されたいか…乱馬よ。」
良牙の瞳が怪しげに光る。
背負った気が、どす黒く燃え上っている様子が、あかねにもありありと見える。
「あまり時間をかけてられねーのは、おめーらも一緒じゃねーのか?ぐすぐすしていたら、夜が明けちまうぜ…。」
乱馬は煽るように応じる。
「なるほど、俺たちに、あまり悠々としている時間は無いってことか…。」
良牙も頷いた。乱馬の言いたいことがわかったらしい。
そうだ。妖たちは、夜しか自在に動けない。太陽が昇りきってしまえば、妖力を失い、闘い続けることができなくなる。ここは海の孤島だ。東から太陽が昇るのを遮るものは無い。
乱馬はそいつを示唆していた。
「いいだろう…。勝負だっ!乱馬っ!」
「ああ、いつでも来いっ!」
共に、動きを止めた。
そして、はっしと睨みあいながら、お互いの闘気を身体へと充満させ始める。
「じゃ、遠慮なく、こっちから行くぜっ!」
良牙はかけ声とともに、激しい気柱を乱馬めがけて打ち込んだ。
ドオオオン!
爆裂音が鳴り響き、砂浜がざっくりとえぐられるように穴が開いた。
「ふん、腐っても世界チャンピオンだな乱馬。俺の一撃を交わすとは…。」
良牙が吐きだす。
「けっ!こんくれーでやられるよーな、俺じゃねーよっ!」
口をぬぐいながら、乱馬は答えた。
どうやら、咄嗟に上空に富んでのがれたようで、タンッと穴の中央へと着地しながら、乱馬が吐き足した。
「ならば、次はこれだっ!今度は避けられまいっ!」
再び良牙は、真っ黒な気弾を乱馬めがけて打ち放った。
ゴオオオオッ!
烈風が傍を吹き抜ける。ただの風ではない。たっぷりと邪悪な瘴気を含んだ黒い気だった。もくもくと、乱馬の体めがけて、一目散に飛んで行くっ!
「くっ!確かに避けられねーっ!」
みるみる黒い気は、乱馬の肢体を飲み込んでいく。
突き抜ける烈風は、あかねと玄馬の真横をすり抜けて、轟音とともに炸裂した。
「きゃっ!」
「っと…!」
ドーンッ!
閃光とともに、耳をつんざくような爆裂音が、あかねと玄馬の耳を襲った。
続いて、バラバラと上空から落ちてくる、砂や石つぶて。
結界に護られている、あかねと玄馬の上を、器用に避け、ズブズブと大きめな石が浜地へと突き刺さる。結界がなければ、その落下物に当たって、無事ではいられまい。
「ふっ…。結界がなければ、ワシらなど、木端微塵じゃな…。」
玄馬が自嘲気味に笑った。
「…ですね…おじさま。」
あかねもため息を吐きだしながらそれに応じた。
「結界に護られておるから良いものを…。少しも手加減する気はないようじゃな…。良牙君は…。」
「ふん、辛くも相殺したか…。」
良牙は煙の向こう側に乱馬の姿を認めると、鼻先で笑った。
「さすがに、魔龍に憑依されてるだけあって、凄まじい邪気を放ってきやがるな…。」
けほけほと咳きこみながら乱馬が言い放った。炭のように真っ黒な気が、あたり一面漂っていた。それは消えることなく、乱馬のぐるりを取り巻いていた。
「くくく…俺様の瘴気は特別製でね…。一度吸い込めば、体の内部から貴様を蝕み続ける…。」
にやりと良牙が笑った。
「人間には苦しかろう?ふふふふ…。」
嘲るように良牙が笑った。
ごほごほと乱馬は瘴気にむせる。その口元から、真っ黒な気が這い上がって来るのが、あかねたちにも確認できた。
良牙の言うように、乱馬は苦しげに顔をゆがめる
「乱馬…。」
あかねはぎゅっと手を握った。
あかねの心配を遮るように、乱馬は吐き出した。
「そんな顔するな…あかね。俺はこれくらいじゃ、やられねー…。」
「強がるな…乱馬。俺様の気はもうすぐおまえを飲み込む。そしたら、邪気にまみれた獅子咆哮弾で貴様を粉砕してやるぜ…。」
良牙はそう言いながら、身構えた。彼の気焔はますますどす黒く汚れて行くのが見て取れた。
「強がりじゃねえ…。なら試してみるか?良牙…。」
乱馬は咳を我慢した顔を差し向けながら、良牙を睨みあげる。
「ふん、虚勢を張っても所詮は人間。魔龍の気をまとった俺様に勝てるわけなかろう?
くくく…あかねさんは俺様が大事にしてやる…。だから、おとなしく、我が獅子咆哮弾の餌食となれーっ!うおおおおおっ!」
良牙は満面に不敵な笑みを浮かべると、両手を差し出し、そのまま、獅子咆哮弾を乱馬目がけて、打ち込んだ。
獅子咆哮弾が己に向かって弾け飛んで来た時、乱馬は全身の力をふっと抜いた。
獅子咆哮弾は相手に向かって一気に闘気を落とし込み、粉砕する技だ。それをすり抜けるには、全身の力を抜いて脱力してやり過ごすに限る。良牙とのあまたの闘いの中で、一応、対処法の一つとして、心得ていた。
その様を見て、良牙が笑った。
「ふふ、脱力してやり過ごす気だろーが、生憎だったな…。今の俺様には魔龍が巣食う。従って、ただの咆哮弾を打ち付ける技ではないんだよっ!乱馬ーっ!」
良牙は一度、差し出した手をひねった。
と、良牙の掌から、どす黒い瘴気が、乱馬に襲いかかる。その勢いたるや、さっきの比ではない。
ビシビシと音をたてながら、乱馬へとせり上がる、真っ黒な瘴気弾。
「かかったな…良牙…。」
乱馬の口がそうかたどった。
乱馬は、脱力していた手を、ぐっと左右の腕を胸の前で交差させた。抱え込んだ両手を盾に、良牙が打ちこんで来た黒い瘴気を避けにかかる。
「無駄な足掻きを…。」
その様子を見ながら、吐き出した良牙に、
「無駄かどうかは、己の身体で感じやがれーっ!良牙ぁっ!」
と叫びながら、体中の闘気を抱え込んだ両手から解き放つ。
カカッ!
乱馬の胸元から、真っ白な光が瞬いた。
黒い瘴気を打ち砕くごとく、乱馬の肉体から、真っ白な気が溢れだして来る。良牙が放った瘴気は、チリチリと音をたてながら、乱馬の胸元から発する白い気に相殺されていく。
「何っ?俺様の気を浄化しているのか?」
良牙はその様子を見ながら、たじたじと後ろに下がった。
そう、乱馬から解き放たれた気が、良牙の瘴気を浄化しているのだ。
「ああ…そうだ。」
乱馬はニヤッと笑った。
「今度は…良牙、今度はこっちから行くぜっ!猛虎高飛車ー瘴気還しっ!」
十文字に抱え込んでいた腕を、ぐっと押し開きながら、絶叫した。
解き放たれた腕から、真っ白な闘気が良牙目がけて飛んで行く。
『くそっ!貴様が瘴気を粉砕できるなどとは…聞いてはおらぬぞーっ!ぐわああああーっ!』
良牙の口元から、魔龍の断末魔の叫びが轟わたった。
良牙の身体へと打ち込まれた乱馬の気は、染み出していた魔龍の気そのものを、浄化して舞い上がる。
どおっと音をたてて、良牙の身体が仰向けに倒れこんだ。
しゅうしゅうと良牙を包んでいた真っ黒な気が音をたてて、空気へと溶け込んで行く。
倒れた良牙は、そのまま、沈んで気を失った。
と、良牙の身体から、弾けだした黒い煙は、吸い込まれるように、乱馬の手にしていた数珠玉へと消えていく。そして、そのまま、真っ黒な玉となって、数珠玉へとおさまった。
「この勝負…俺の勝ちだ…。おじさん…。」
乱馬は、はあはあと荒い息をたてながら、早雲を睨みあげた。
「ああ…そのようだね…乱馬君。」
早雲は含み笑いを浮かべながら、闘いの覇者乱馬へと向き直った。
三、
「乱馬が勝った…。」
あかねは結界の中で、ほおっとため息を吐いた。
良牙の黒い闘気が乱馬を飲み込んで行った時は、生きた心地がしなかった。
「ほう…乱馬め…。ここ数日の間に、邪気を打ち払う精気を扱えるまでに成長しよったか…。」
ニッと玄馬が笑った。
あかねははっしと父を睨みあげながら言った。
「お父さんっ!この勝負、乱馬が勝ったわ。だから、約束通り、乱馬との許婚の件はそのままにしてもらいますっ!」
そう叫んでいた。
フンと鼻先で笑いながら、早雲は言った。
「確かに、良牙君ではあかねの相手としては不足していたようだね…。少しは期待していたのにね…。」
早雲は倒れこんだ良牙を、足蹴にした。仰向けに転がって居た良牙の身体が、反転して、砂浜へとうつ伏せになる。良牙は正気づくことなく、なすがままだ。
「さてと…。この闘いは乱馬君の勝ちだ…。だが、まだワシとの勝負が残っている…。違うかね?」
すっくと早雲は振り向いた。
真っ赤な瞳が怪しく揺らめいている。
天上から照らしつけていた満月が、ふっと雲間へと消え去った。
ザザーンと相変わらず、荒い波音が耳に響いてくる。
「天道君…やっぱり、このまま次の勝負に雪崩込む気かね?」
玄馬がにこりともしないで、早雲へと問いかけた。
その傍では、良牙との勝負に勝った乱馬が、まだ荒い息を、はあはあと吐きつけている。
かなりの力を消耗していることは確かなようだ。
「ああ…。そのつもりだよ…。」
クスッと早雲は笑った。
「お父さん…。乱馬は今の勝負でかなり疲弊しているわ…。」
あかねが言葉を挟みかけた時、傍らの玄馬が言った。
「無駄じゃよ…あかね君。乱馬が疲弊していようと、いまいと、天道君は続けざまに闘うつもりだよ…。」
ポンとあかねの肩に手をあてた。
「でも…。今闘うのは、圧倒的に乱馬に不利じゃないですかっ!」
あかねはちらっと乱馬を見た。
いましがた、良牙へと激しい闘気をぶつけ合った乱馬は、まだ、荒い息を吐き出している。インターバルを置いても、すべての気力が回復するわけではなかろう。
駆け寄って行って、乱馬に気を交流させて回復をはかってあげたいが、結界がしっかりと張られていて、それもままならない。
あかねが結界を出れば、いつ、早雲が牙を剥くとも限らないから、自ら出て行くわけにもいかない。
「君たちが望まぬとも、私はこの闘いを辞めるつもりはないよ…あかね。是が非でも、今晩中にけりをつけねばならんのだよ…。」
早雲の瞳が真っ赤に光った。
「今夜中にけり…?」
魔龍は時を焦っているようにも見えた。
「さてと…。乱馬君…そろそろ始めようではないか…。楽しい闘いをね…。」
早雲は乱馬へとその怪しい瞳を巡らせた。
「何をそんなに闘い急いでいるのかは知らねーが…。俺も早く、けりをつけてえ…。この闘いを終わらさねーと、あかねを貰い受けることもできねーからな…。」
ゆっくりと乱馬が立ちあがった。
「でも、そんな状態で闘うなんて…無茶よ…。」
あかねが乱馬へと言葉を吐き出した。
「無茶でもやめる訳には、いかねーんだ…。あかね。」
その言葉を聞いて、あかねはゴクリと唾を飲み込む。
その向こう側に、中腰に身構える乱馬の姿が目に映った。
鋭い瞳は、光をたたえ、早雲を睨みつけている。
この時点で、すでに闘いは始まっていた。
父と許婚は、あかねの目の前で、激しい気合いを、ぶつけ合っている。
もはや、あかねの理解の範疇を超えた、男漢同士の領域であった。止める手立ては誰にも思い浮かばないだろう。
「御託は良い…さっさと勝負を始めよう…。ワシの中の妖が、おまえを斃したくて、疼いておるわ…。」
くくっと早雲が笑った。
「あかね君…。君は、この闘い…どんな結末を迎えようと…最後まで見届けねばならん…。それが、武道家として天道家の血を深いところまで引き継ぐ、君の宿命じゃ…。」
あかねの肩に置いた手に力をこめながら、玄馬が一言吐き出した。腹の底へと沁みわたる、言葉であった。
「これが、あたしの宿命…。」
「ああ…。そして、同時にそれは、早乙女家の血を深く引き継ぐ、君の許婚の乱馬の宿命でもある。」
意味深な、玄馬の言い回しであった。
まるで、二人の闘いの行く末を示唆しているような、鋭い瞳である。
ゴクンとあかねは唾を飲み込んだ。
この闘いに、己の意志は存在しない…。あるのは避けられぬ宿命だけ…。
「では、闘いを楽しむとするか…。」
ゴゴゴと波が一度大きく戦慄いた。
漆黒の闇の中、押し寄せる波は、そのうねりを激しく、浜へと打ち付けてくる。その真上の円い月が、蒼い光を照らしつけてくる。まるで、父・早雲と許婚・乱馬の戦いを見詰めるように、冷たい光が空から射しこめてくる。
「行くぞっ!」
そう吐きだすと、真っ先に早雲が動いた。
「来いっ!」
誘われるように乱馬も、ダッと砂土を蹴った。
ガツンと何かがぶつかる音がする。
月を背後に、二つの影が、おもむろに交差する。シュンッと音がはじけ飛び、影はそれぞれ別の方向へと流れ飛ぶ。
ザッと砂地へ着地すると、二つの影は動きを止める。
「ふふ、さすがだね。わが一撃目を交わすとは…。」
先に早雲が吐きだす。
「けっ!こんくれーでやられるよーな、俺じゃねーことはおじさんだって知ってるだろ?」
口をぬぐいながら、乱馬は答えた。
「ならば、次はこうだっ!」
再び影は、激しく脈動を始める。
ギュンギュンと激しくうごめく、早雲の影。
「来るっ!」
激しい木の流れを察知した乱馬は、すかさず己がため込んでいた気を炸裂させて、それに応じた。
ドーンッ!
閃光とともに、耳をつんざくような音が、二人の間に突き抜けて響く。
激しい気のぶつかりあいだった。黒い影が交差しながら闘気の火花を散らせていく。
結界だけが別の空間になっている。そんな感じで、戦いの圏内から外れているようだ。趣味の悪い迫力だけのアトラクションの渦中に、に放り出されたような、そんな感じである。
両者両雄は、互いに戦いの足並みを止めることなく、動き続ける。
早雲のスタミナは底が知れない。それに対して、乱馬は、良牙との前哨戦でかなりの闘気を使い込んでいる。
乱馬は必死で早雲の力を見極め、己の闘気をセーブしつつ、間合いを取っている。明らかに不利だった。
「ふふふ…。逃げてばかりだと、勝機は来ないよ…。」
早雲は、わかった上で乱馬をたき付けている。
あかねは拳を握りしめた。深くは考えたくはないが、乱馬のスタミナは限界に近付いている。このままだと、十分も持つまい…そう思った。
しかも、父は魔龍の力を身にまとっている。ずる賢い魔龍が、どんな手を使って来るか、先を読めない不安が支配している。
「このまま…長引けば、化け物の力を借りている天道君が有利なのは、火を見るより明らかじゃろうが…。」
玄馬は呟くように言い捨てる。
「でも、乱馬とて、このまま、やられたまま、終わるつもりもないじゃろう…。」
フッと玄馬の口元が笑った。それから玄馬はグイッとあかねの肩を引き寄せた。
「後悔しとらんかね?乱馬の許婚となったことを…。」
玄馬はあかねへと声をかけた。唐突の問いかけだった。
「いえ…。後悔などしていません…。あたしの許婚は乱馬だけです…。」
あかねは、早雲と乱馬へ視線を流しながら、表情ひとつ変えることなく、答えた。
「だが、この戦い、一筋縄ではいかんぞ…。」
玄馬のメガネがきらりと光った。
「もちろん、承知してます…。」
「おそらく…今日中に決着はみないだろーな…。」
意外な言葉を玄馬は吐きだした。
「え…?今日中に決着しないって…?」
あかねは不思議そうな瞳できびすを返した。
「やつの本当の狙いが、この闘いの終焉ではないからだよ…。」
「それって…どういう意味です?」
あかねの言葉に返答をせず、玄馬は吐き出した。
「この先、どういう展開が待ちうけようと…。乱馬を信じてやってくれ…あかね君…。」
一体、玄馬は何を言わんとしているのだろうか…。玄馬の言葉に疑問を抱いたあかねだが、それ以上、言葉を交わすことは出来なかった。
早雲と乱馬の闘いが激しく展開し始めたからだ。
自然と瞳は、二人の闘いへと吸い寄せられて引きつけられる。
ビシッと音がして、上空の乱馬の黒いランニングシャツの胸元が弾け飛んだ。
「くっ!」
早雲が解き放った、斬撃弾の切っ先が、乱馬のシャツをかすっていったようだ。
ピシュッと音がして、乱馬の胸元から鮮血が飛び散った。
「乱馬ッ!」
「大丈夫…かすっただけじゃ。」
玄馬はぐっと前のめりになりかけたあかねを押し戻した。これ以上身を乗り出すと、結界に触れてしまうからだ。
早雲の身体と真正面からぶつかりあって、乱馬けのようで、乱馬は着地すると、ふうっと息を吐きだした。そして、かすった傷口を確認する。
「人間の体は不自由だな…。」
その様子を見ながら、クスッと早雲が笑った。
「どう、不自由なんでい?」
乱馬ははっしと早雲を睨み返す。
「頑強な肌で身を守られていないから、傷を受ければ、赤い血が飛ぶ…。それがかすり傷でもな…。」
「だったら、どーなんだ?」
荒い息を吐きつけながら、乱馬は問い返した。
「傷を受ければ痛みも走ろう…。」
(畜生…。かなりセーブしたとはいえ、さっきの良牙との勝負で、相当量の闘気が俺の身体からぬけ落ちちまってる…。このままだと、やばいぜ…。)
早雲の攻撃をかわしていく乱馬も、必死であった。早雲の攻撃に捕まれば、確実に粉砕される。あばら骨の一本や二本は簡単にへし折られるだろう。
しかも、早雲は、まだ、本気にすらなっていない。不気味なほど、黒くひずんだ闘気を身体の下へと隠している。相手は天道家が代々封じてきたという化け物だ。その力は未知数である。
どくどくと滴り落ちる血の鼓動を感じた時、奴の声がした。
『このままやられる気か?』
それは女乱馬の声であった。
『何で、邪天慟哭破を使わねえ…。この前完成させたんじゃねーのか?』
その声は、せかすように乱馬の脳裏へと問いかけて来る。
『この勝負は…邪天慟哭破…。この技を使わないと負けちまうぜ…。』
ふと浮き上がってくる女乱馬の声。
(そうだな…。邪天慟哭破を使わねえと…やられちまう…。)
ゴクンと乱馬は唾を飲み込んだ。そして、ぎゅっと拳を握った。
『やっとやる気になったか…。ふふふ…見届けてやるぜ…、俺も一緒にその先を…。』
クスッと脳裏の中で女乱馬(そいつ)が笑った。
「ふふ…。いよいよ勝負を決する時が来たようだね…。乱馬君…。」
早雲の動きが止まった。
「ああ…。魔龍…おめーを斃すために、俺は最後の技にかける…。覚悟しな…。」
乱馬ははっしと早雲を睨みつけた。そして、周りの邪気を己の気と混ぜあわせ始めた。
乱馬の気が変わった。それはあかねにもはっきりとわかった。
良牙と決した時の清涼さが全く彼の闘気から消えている。かわりに、まとわりつく、邪悪な黒い闘気。
「乱馬…。」
あかねの表情が不安で満たされていく。
「いよいよ、打つか…。邪天慟哭破を…。」
玄馬の声があかねの耳元で、小さく囁いた。
見守る四つの瞳の前で、ゆらゆらと乱馬の黒い気が沸き立ち始めた。
つづく
お久しぶりです…。
やっと、迷いから脱しました…。
このままじゃ、良牙君の登場が無いまま終わりそうだったのですが…迷い抜いた末、ここに挿入することに…。
練り上げた脳内のプロットが熱いうちに完結できればと頑張っていますが、奈良と大阪と名古屋の三か所を行ったり来たりしている私生活が、すんなりと創作を進めてくれないので、悶々とする日を過ごしています。
体調管理も大変なのさ〜一回大きい地雷を踏んでいますので…。
希望としてはあと三話くらいで完結させたいのですが…。とにかく、早雲対乱馬…。一筋縄じゃいかないことは確かです。もともと、この二人を真摯に戦わせたくて書き始めた作品ですが…完全にテーマから逸脱してしまいました…。まあ、十年以上ほったらかしていたから、仕方がないんですけれど…。
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