◆飛鳥幻想
第七話 闇夜の攻防

十八、夜見の桜

「乱馬たち、上手くやってるのかな…。」

 あかねは、長いため息を吐き出した。

「やっぱり、気になります?あかね様は、乱馬様のことがお好きなのでしょう?」
 桂がにやりとほほ笑んだ。

「や…やだ。あたしと乱馬って別に、特別な関係じゃないんだから!」
 と真赤な顔であかねが否定に走る。
「あらあら、そうですかあ?」
 クククと口元を押さえてながら問いかけてきた。
「だから…そんなんじゃないって、言ってるじゃないっ!それに、乱馬は女だし。」
 と乱馬が女だということを、あかねは改めて強調した。男子禁制の宮ということなので、乱馬が男だということは、知られてはまずいからだ。
「あら、女同士だって、ときめくことはありますわよ。乱馬さんが宦官なのなら、なおさらのことじゃありませんこと?」
 と桂は笑った。
(この時代って、同性愛あり…なのかな。)
 桂の言葉に、あかねはドキドキしたほどだ。
「乱馬は宦官でもないんですけど…。」
 とあかねは苦笑いしながら、桂へと言葉を継いだ。
「それより、乱馬さんが好きなら、ちゃんと手綱と握り締めておかないと、思わぬ横槍が入るかもしれませんよ。」
「横槍…ですか?」
「何だか、円様が乱馬様に、ご執心なご様子でしたから。」
「円さんが乱馬にご執心ですって?」
 あかねが目を丸くして問いかけた。
「ええ…。根ほり葉ほり、乱馬様のことを、私に尋ねて来られましたし…。あれは、相当、乱馬様のことをお気に召したようですわ。」
「円さんってオカマさんなんでしょ?」
「宦官になられる前は相当な色男だったって、噂がありますよ。」
「色男ねえ…。」
「ええ。数多な女性が円様に言い寄ってたらしいですよ。」
「へええ…。確かに、きれいな顔してるものねえ…。」
「乱馬様に女の色気を感じたのかもしれませんよ。気をつけないと、円様に強引に持って行かれますよ。」
 桂がコロコロと笑った。
「冗談でも止めて欲しいわ…そういうの…。」
 あかねは思わず、首を横へ振った。

「ねえ、桂さんって、麻呂爺さんの侍女か何かなの?」
 あかねは桂へと問いかけた。
「いえ…。麻呂様と私は…そうですね、主従関係のようでそうでないようで…。」
「主従関係じゃないの?お世話をする人とか…。まさか、男女の関係なんかも…ないですよね?」
「ほほほほ、麻呂様は私の陰陽の師匠ですわ。」
「師匠?」
「ええ…。数年前、私は己の術を磨くため、とある方の元へ弟子入りしようとしたのですが…。その方は公務で遠国へ下られるということで、その方から麻呂様を紹介していただいたのですよ。」
「へえ…そうだったんですか。」
 あかねはそれ以上突っ込むのを止めた。あまり、詮索されたくないこともあるのだろうと、彼女なりに気を遣ったのだ。

「で、桂さん、なびきお姉ちゃんの具合はどうでした?」
 返す口で、桂になびきの症状を尋ねた。こんな場合は、話題をごろっと変えてしまうのが得策だと思ったのだ。
 また、持病の「花粉症」が悪化したのか、それとも、寒暖差の激しい古代社会の気候に疲れが重なって風邪をひいたのか、喘息でも出たのか、夕刻からなびきは、伏せったままだった。
「少し熱っぽいご様子ですわ。病魔退散の咒法を施しましょうと、さんさんに申し上げているのですが、寝れば治るとそればかりで…。」
「ま、わからないでもないわ…。まじないで病魔を抜きとると言われてもねえ…。」
 あかねは苦笑いした。
「あかねさんたちの時代では、まじないで病魔を撃退しないんですか?」
 逆に、不思議そうに尋ねられた。
「しない、しない。あたしたちの時代じゃ、薬で治すわ。」
 あかねは手を横に振りながら答えた。
「薬ですか…。薬草とか動物の臓物で作った…。」
「あは…。薬草はあるけど…。動物の臓物はあんまり関係ないかな…。化学物質って言っても、わかんないか…。」
「はあ…。」
「あたしたちの時代は、病気はまじない師が治すんじゃなくって、医者が治すのよ。化学的療法を使ってね。」
「医者…ですか。」
「ええ。だから、なびきさんも、まじない師に関わってほしくないんでしょうね。そっとしておいてあげるのが、良いと思うわよ。」
 そう言いながら、閉じられたままの御簾を見やった。その奥に、なびきが横たわっている筈だ。
「それに…。うつっても大変だから。」
「ですね…。あかねさんは、今夜はどうされます?」
「あたしは大人しく寝るわ。…日が暮れてしまったら、何もすることもないし…。昼間結構、身体を動かしたから、適度に疲れているし、乱馬も居ないし…。」
「そうですね。それがよろしいですよね。気が安らぐお香はどうしましょう?お持ちしましょうか?」
「お香はあたしたちの時代でも使うことがあるから…。そうね。持ってきてもらおうかな…。」
「はい、では、後で部屋の外で焚き込めますね。」
「お願いします。」

 この時代のお香は、貴人の特権だった。正倉院には香木もたくさん残されている。風呂に入ることが少なかった人が、臭気を誤魔化すために用いただの、汚水や死人が発する死臭を消すために用いただの、いろいろ説はある。が、それ相応の身分でなければ、高級なお香は用いることができなかったと思われる。

 あかねは香の芳しい香りに包まれて、一人、眠りに入って行く。
 昨夜は乱馬が隣に居てくれたが、今は居ない。
 少し、さみしい気もしたが、わがままばかり言ってもいられない。だが、彼がいつ帰っても良いように、女官たちに頼んで、もう一組、蒲団を敷いてもらった。
「乱馬…。大丈夫かな…。ううん。乱馬だったら大丈夫よね…。」
 そんなことを思いながら、目を閉じる。手には、乱馬と交換した黒い勾玉。首から麻紐で吊り下げていた。
「大丈夫…乱馬なら…。」
 そう念じながら、目を閉じた。






 夜中、ふっと眼が開いた。
 古代の夜は長い上、冷える。どうしても途中で、尿意を感じるのも仕方があるまい。

「はあ…。乱馬も居ないし…。桂さんたちを起こすわけにもいかないし…。」
 はっしと天井を睨みながら、気合いを入れる。
「ちゃっちゃと行って、ちゃっちゃと蒲団へ戻れば良いのよ。うん、そうしようっ!」
 勇気を振り絞り、蒲団を抜け出して、厠へと踏み出した。

 厠付近にも焚き木は焚かれている。ほんのりと焚き木が明るく照らしている。
 目も暗闇にかなり馴染んできていた。現代ほど明かるくはないが、それでも、この館はまだ、燈火がある方だと思った。電球とは違うぬくもりのある灯り。

「狼たちの遠吠えも聞こえないし…静かな夜ね…。春はまだ浅いからちょっと冷えるわ…。」
 厠から出て、ふっと視線を流す。と、もやっと何かが夜空に浮き上がっているのが視界に入った。

「あれは…。何?」
 それに誘われるように、あかねは庭を歩き出す。

 ゆっくりと、足元に気を使いながら、その光に向かって、進んで行った。

「え…木の幹が光ってる?」

 そこにあったのは、大きな木だった。葉も花も無いのに、幹全体が、うっすらと光っているように見えた。
「これって、桜の木?」

 美しく光る幹に誘われるように、ふらふらと歩み寄った。
 その木は、妖艶な輝きを夜空に解き放っている。近づくと、枝先に、たくさんの花のつぼみが付いているのが見えた。この分だと、開花するのに、そう時間はかかるまい。
「すごいー…。どうやって、光ってるのかしら…。幹に、コケでも生えてるのかな。」
 そう言いながら、手を枝先へと伸ばそうとしたその瞬間、声が響き渡った。

『この木に触ってはなりませぬっ!』

 楊とした張りのある高い声が響いてきた。

 ハッとして見上げると、そいつと目があった。
 男性のような狩衣を着た、妖艶な男…いや、女性だった。

『そこから一歩でも踏み出すと、…命は無い…。と言われておりませぬか?』
 声がきつく問いかけて来た。
 慌てて辺りを見ると、目の前に「注連縄」が揺れていた。

「そっか…注連縄を超えるなって、桂さんがきつく言ってたっけ…。」
 そう言いながら、一歩、後ろへと下がった。ここなら、結界を超えそうにはなるまい。
「にしても、見事な木ですよね?どうして光っているんです?」
 あかねは、気さくに声をかけていた。普通、こんな場合、気後れして、話しかけることなどできないだろうが、乱馬たちと関わっているせいで、平気だった。
『……そなた…、私を怖がらないのですね…。』
「え、あ…まあ。」
 正直にあかねは答えた。その様子から人ではないとは思ったが、特に怖いと思わなかったからだ。
『ちょうど良い。その子を…。』
 女人は傍らを見た。
「え…?」
 あかねが女人の視線を追いかけると、傍らに少女が横たわっていた。
 
「あ、安宿媛様!」
 慌てて近寄りかけると、女人は言った。
『疲れ果てて眠っているだけです。心配はいりませぬ。』
「眠っているだけ?」
 怪訝にあかねが覗き込むと、確かに、規則正しい寝息が聞こえてくる。
「何でこんなところで眠っているんです?」
 少しきつめに問い詰めるあかねに、女人は微笑みを浮かべながら言った。
『恐らく、寝ずにそこに張られた結界の番をしようと思うたのでしょうね。その子の衣服、良く見てごらんなさい。』
 そう言われて、着ている物を見つめると、下に着込んだ獣の毛皮が見え隠れしていた。春とはいえ、夜は冷える。それを見越して着こんでいたようだ。それに、すぐ傍に火が入った壺土器が置いてあった。暖を取るためのものなのだろうか。

「寝ずの番…。何のために?」
 あかねはゆっくりと抱き起こしながら、女人へと尋ねかけた。

『聖なる埴(はに)をその火を壺へくべていたのでしょう…。』
 と小さな焚き火へと女人は眼を投じた。
「聖なる埴?」
『畝傍(うねび)か甘樫(あまかし)辺りから持ち込んだ埴なのでしょう。』
「甘樫の埴…。」
 あかねは女人の言葉に、最初に安宿媛たちと出会った時、土を盗ったという件で、真神たちに追い回されていたことを、うっすらと思い出した。
『誰に教わったか知りませぬが、首皇子にかけられた呪詛を少しでも返そうと思って、結界の切れ目を守っていたのでしょうね…。健気な娘ですわ。』
 女人は柔らかな微笑みを浮かべながら、そう言った。

「首皇子にかけられた呪詛ですって?」
 驚きの声をあげかけたあかねを、女人は制した。
『静かに…。声を荒げると、その娘が目覚めてしまいます…。』
 あかねはその声に、思わず声を落としながら尋ねた。
「あの…それって、どういうことです?」
『どういうことも何も…。皇子の魂を狙っている者たちが居るということ。それも、己の手を汚さずに、呪いをかけるという卑怯な方法で…。』
「魂を狙うってことは、命を狙っているってことですね?」
 女人は黙って首を縦に振った。
「呪いで人を殺す…。そんな、陰湿な事を考える人って…。」
『首皇子を皇位につけたくない者は数多居ます…。それに、高貴な魂は利用価値も高い…。』
「どういう意味です?」
『何、この結界は、麻呂が張ったもの。そう易々とは崩せませぬ。時が満ちるまでは、まだ少しだけ時間がありますし…。』
 何かの事情を見通している様で、女人は呟くように言った。

『そなたとここで出会ったのも何かの縁。一つ頼まれてくれませぬか?』
「はい?」
『何、簡単な頼みです。この娘を起こさぬように部屋へ連れて帰って欲しいのです。このままでは病を起こしてしまいます。』
 と願い出た。
『絶対にわらわに会うたことを口にせず、そなたが、庭先で眠っているところを見つけたと…言ってください。』
「どうしてです?」
『それは…わらわの存在を気付かせたくはないのです…。』
 やはり、何か事情があるのだろう。

「わかりました…。このままじゃ、安宿媛様、風邪ひいちゃうかも…。責任を持って連れて帰ります。」
 あかねは胸を叩いた。
『よろしく頼みます…。』
 その言葉を聞いて、安堵したように、女人は頷いた。

『時に…そなた、この枝先に、花のつぼみが見えると言っていましたね?』
 今度は、確かめるようにそう話しかけてきた。

「ええ、これって、桜の花ですよね?」

 声の人物は、ふわっと注連縄の向こう側へ、降り立った。その身軽さ。とても、人とは思えなかった。桜の精か物の怪か。が、不思議と恐怖心はなかった。

『…そう、そなたのは、この夜見の木の枝先がはっきりと見えるのですか…。』

「ええ…。桜の季節には少し早いと思ったんですけれど…。」

『このつぼみは桜の花などではない…。強いて言うなら、夜見(よみ)の桜木。』
 女人は桜を見上げながら答えた。
「魂の花?」
『これは、魂が寄りついて作った花のつぼみ。命が消え去る刹那に魂が吸い上げられて、つぼみをつける忌々しい妖(あやかし)の木。今宵はたくさんの命が散り急いでいる…。死に瀕した魂が、夜見媛の鏡に吸われ、死の国へ行かず、この夜見の木に集められているのです…。』
 
「魂が寄りついてつぼみが出来るんですか?誰が、何のために…。」
 意味が良くわからずに、あかねが問い返したが、女人はそれ以上、その件に関しては、何も答えなかった。

『この結界の真下にある奥つ城(おくつき)を開くため…。龍が居る隠(いなば)の奥つ城を……。』
 女は、結界の向こうを見上げながら言った。
 黒い森が結界の向こうに建つ高床式の建屋の奥に続いている。女はそれを見た。
「隠(いなば)?」
 初めて耳にする言葉だった。
『大和に国を譲らされた阿射加国で祀っていた龍神を封じた龍穴のことです。知りませぬか?』
「大和に滅ぼされた国って…大国主尊の出雲国じゃあ…。」
『出雲…。あなたたちの世界では、その国の名しか伝わっていないのですか?』

 女はそれきり黙りこむ。そして、ふと、別の問いかけをあかねに寄せてきた。

『そなた…。その胸にたゆさえている勾玉は…。』
「あ…この勾玉ですか…。」
 乱馬と交換した黒い勾玉が胸から出ていた。不思議なことに、桜の花に反応するかのように、自ずから光っていた。
『見せてくださいな。』
 女人は、結界の向こう側から、そう言葉をかけると、ふわっとあかねの胸から、その勾玉を、手も触れずに引き寄せた。勾玉は上に浮き上がり、自然に女人の手元へとするりと入った。

「あ…。」
 あまりに急な展開だったので、有無も言わぬうちに、あかねから黒い勾玉は引き離された。それに、安宿媛を抱いているままでは、無理もできなかった。
「か、返してくださいっ!」
 乱馬と交換した勾玉だ。手渡すわけにはいかない。
『大丈夫…すぐに返します。』
 女人はじっとその勾玉を見つめた。
『これは…玄武の玉。そなたの物ですか?』
 女人は勾玉を返しながら、あかねを見つめた。

「いえ…。ある人と交換したものです。」
 あかねは答えた。

『なるほど…この玉の持つ、強い意志によって、この世界へ召喚されたのね…そなたたちは…。』
 女人は、じっと黒い勾玉を見つめながら、両掌へと包み込む。何かを念じているようにも見えた。

「あの…。その玉…。」

『もちろん、返します。これはわらわが持っていても意味がない玉…。』
 そう言うと、女人は、すいっと手を上にあげた。と、手の中におさまっていた玉が、再び、ふわっと浮き上がり、独りでにあかねの元へと戻ってきた。
『そなた、この玉を交換した…と言っていましたが…。他にも玉があるのですか?』
「え…ええ。もう一つ、紅い玉があります…。今は、この黒い玉の本当の持ち主が持ってるんですけど…。」
『紅い玉…紅玉ですか…。なるほど…。』
 じっと、女人はあかねを見つめた。
『さてと…この玉に少しばかり私の力を込めました。』
「力?」
『ええ。この力が必要な時が、必ず来る筈です。この玉は生きています。この玉の自らの意志の力が働いて、今宵、わらわとそなたを、引き合わせたのかもしれませぬ…。』
「玉の意志?」
『ええ、この玉が欲した力を分け与えました。』
「あの…言ってる意味がよくわからないんですけど…。」
 困惑げに見上げるあかねを、女人は、にっこりと微笑み返す。そして、あかねの問いかけには何も告げず、すいっと桜の木の上へと、再び、浮きあがった。1
『少し長居をし過ぎました…。今宵は嫌な気配がたた立たなかったゆえ…つい…。そろそろ、帰らないと、あの者が戻る頃。見つかれば面倒ですから…。では、その娘のこと、くれぐれも頼みましたよ。』
 夜見の木の幹が、女に反応して、キラキラと暗い夜空に輝いて、ひと際美しさを増した。
 
「あの…それってどういう意味ですか?」
 あかねがそう問い返した時、ゴオオッとつむじ風が吹き抜けて行った。既に女の姿は消え、はらはらと花びらのような砂塵が。木の幹から舞い上がった。それは、幽遠というよりは、鬼気とした美しさだった。


 女が消えた後、ふっと、あかねの後ろ側で、人の気配が立った。

「そこで何をしているのかしら?」
 聞き覚えのある声。文忌寸円の声だった。

「あ…ちょっと、トイレ。」
 咄嗟にあかねは嘘をついた。
 女人は消える前に、自分の存在を他に教えてはならぬと言い置いていたことが、気にかかったからだ。
「トイレ?」
「え…ええ。そしたら、煙が立ってたので、何かなと思って、様子を見に来たら…。この子が眠っていたもんですから。」
 半分嘘で半分本当だ。
「あらあら…安宿媛様じゃないの。まあ、こんな夜更けに…。」
 円はそう言いながら、傍らを見た。そこには、安宿媛がくべていた、壺が置いてあった。まだ、チロチロと心細げな残り火が壺の下で見え隠れしている。

「ふーん…。首様のために、けなげねえ…。」
 と円は言った。

「あの…このままにしていたら、風邪ひいちゃうかもしれないから…。どうしましょうか…。」
 あかねが円へと声をかけた。
「良いわ…。私が、お部屋へお連れするわ。あんたは、とっとと、お休みなさい。」
 と高みから円が言い渡してきた。
 そのタカビーな命令口調に、少しばかりむっとしたが、その言葉に素直に従うことにした。
「ねえ、あんた。」
 円はあかねへと声をかけて来た。
「まさかと思うけど、結界を超えてないわよね。」
「あ…そっか、結界があったんだっけ。」
 とあかねはすっとぼけた。
 円はあかねを見ながら、独り言のように言った。
「まあ、結界に触ってたら、あんたが無事でいられるはずも無いわね…。他に、何も見てないわよね?」
 と執拗に尋ねて来る。
「見るって何をですか?」
 とまたボケた。
「まあ、良いわ。あんた、鈍そうだから、心配ないわね。」
 円は馬鹿にしたように、あかねを見下ろした。
 あかねは頭に来たが、これもグッとこらえた。己の失言が危険を呼ぶ可能性があったからだ。
「じゃあ、安宿媛様のこと、宜しくお願いしますね。」
 とぶっきらぼうに言って、そのまま、安宿媛を円へと預けて、そそくさと、その場を立ち去った。瞬間湯沸かし器のあかねにとって、この場は火を吹く前に立ち去るに限ると、判断したのだ。


「たく…失礼な奴ね!」
 後ろ手で、ピシャンと部屋の板戸を閉めながら、寝床へと戻る。
 まだ、後腐れが悪かったが、ここで一人怒ってみたところで、どうにかなるわけでもない。
「忘れよう…。さっき見た、女の人も、木のことも…。」
 そう念じながら、蒲団へと横たわり、目を閉じる。




「で?安宿媛様が結界の傍で眠っておられたのですか?」
 翌朝、あかねは、桂に問いかけてきた。
 恐らく、あの後、円が安宿媛を、桂たちの元へお連れしたのだろう。
「ええ…。トイレに立ったら、壺に火をくべながら眠っていたのを見つけたの。」
 当然、桂にも、女人のことは口にしなかった。何故か、言いだしてはならないような気がしたからだ。
「安宿媛様はどこにいらっしゃったんです?」
「結界傍の木の傍よ。」
 と答えた。
「木なんて…結界傍にのこにも植えられていませんよ…。」
 と桂は困惑気味に、首を傾げる。
「え?」
 あかねは信じられないという表情を浮かべる。

「ほら、どこにも木なんてないでしょう?」
 その場に行って、確かめたが、不思議な事に、夕べ、あのとき、はっきり根を張っていた木が、朝になって見ると、どこにも見当たらなかったのだ。
 あかねはきょろきょろとあたりを見回したが、桜の木はすっかりと消えていた。
「結界…のすぐ傍にはえてる木だったんだけど…。」
 あかねは首をひねる。

「寝ぼけてらっしゃったのでは?…ほら、樹木なんてどこにもありませんよ。あるのは、安宿媛様がくべていた壺と古い井戸だけですわ。」
 安宿媛がたきこめていた壺は、焦げを作ったまま、結界の傍に置かれているのが目に入った。

 注連縄が傍で揺れている他は何もない土地。というより、木一本植えられていない、ただのゴツゴツした地面だった。いや、木というよりも、そこには、古びた井戸が存在していたのだ。水落遺跡の傍にあった、埋蔵文化財展示室の部屋の中に忽然と展示されていた井戸のような、四角い木の板の井筒。

「井戸ねえ…。やだ、あたしまで、寝ぼけていたのかしら…。」
 桜の木など、どこにも植わっていない現況を見て、あかねは、自信無さげに、溜め息を吐き出した。
「にしても、安宿媛様…よほど、首様のことが気がかりだったのですね。」
 火に焦げた壺を見つめながら、桂がため息を吐き出した。
「首皇子様がどうかしたんですか?」
 それとなく夕べの女人から呪詛の話をきいていたが、あかねは桂に問いかけた。
「夕べから激しく咳こみなさっていて…。それを心配して、寝ずに祈り続けられていたのですわ。」
 とため息を吐き出した。
「咳?」
 桂は呪いのことは口にしなかった。
「ええ…。首様は新京の土地が合わないのか、あちらへ移られてから、咳こまれる病に苛まれるようになったので、その療養を兼ねてこの地へ参られたとお伺いしています。」
「咳こむ病気ねえ…。喘息か何かかしら…。」
 あかねは考え込んだ。
 
「ねえ、あの結界を超えられるのは、稚媛様と檜隈女王様と麻呂爺さんと首皇子様の四人だけなんですよね?」
 と確認してみた。
「ええ、今のところは…。」
「結界を超えたらどうなるんですか?」
 あかねが尋ねると、無言のまま、桂はおもむろに、木枝を拾って、手に取った。そして、それを結界の内側へと放り投げた。 

 バチンと音がして、木枝が弾け飛んだ。
 それも、木端微塵、バラバラに砕け散ったのだ。まるで、センサーに反応したかのように、弾け飛んだ。

「え?」
 あかねが、驚きの声をあげた。

「不用意に結界を超えると、こうなります。」
 桂は厳しい表情を浮かべながら、そう言った。
「でも、あの人は平気そうにそこに立っていたけど…。」
 とあかねはつい、声を出して言ってしまった。

「え?人が居たのですか?」
 ギョッとして、桂が声をかけてきた。
 しまったと思ったが、遅かった。
 仕方なく、トイレに立った時、桜の木があって、その傍に、人影が立っていたことだけを話した。会って言葉を交わしたことは、もちろん、黙っておいた。女人の口ぶりから、話してはいけないような気がしたからだ。
「寝ぼけていたのかもしれないんですけど…。」
 とすっとぼけた。
「変ですねえ…。あそこの結界は、そん所そこらの力では越えることができないはずですが…。」
「じゃあ、あたしが会ったのは…。」

「物の怪か、妖(あやかし)の類ではないかのー。」
 ひょいっと、麻呂爺さんが顔を出した。いや、それだけではなく、あかねと桂の顔の間に入って、両者に対して、すりすりと頬を寄せてきたから、たまらない。

「きゃああっ!何、何、何なのよーっ!」
「麻呂様っ!」

 両者共々、悲鳴をあげた。

「くおらっ!いい加減にしやがれっ!エロじじいっ!」
 爺さんの後ろから、聞き覚えのある少女の声が飛ぶ。
「乱馬っ!」
 あかねは後ろを振り返って、ハッとした。着ていた着物が、ボロボロに裂けていたからだ。ところどころ血は滲んでいた。顔もホコリまみれだ。何かあったことは、明白だった。

「どうしたの…それ…。」
 あかねが恐る恐る尋ねる。
「いや…別にたいしたことねー。」
 乱馬はプイッと横を向いた。
「大丈夫じゃないってことないでしょう…。傷だらけじゃないの。」
「いや、本当に大丈夫だから…。」
 言った先に、ヒザからガクンと崩れ落ちる女乱馬であった。
 
 

十九、傷だらけの乱馬

「いったい、何があったんです?」
 
 御簾越しに、敷布に横たわった乱馬を見守りながら、あかねが麻呂爺さんににじり寄った。

「ま…あれだ。ちょっと、のっぴきならない事態に巻き込まれて…。あは、あはは。」
 爺さんは笑ってはぐらかそうと試みた。が、あかねはそれでは納得できない。
「笑って誤魔化さないでください!ちょっとやそっとで、乱馬がこんなに傷を受ける筈は、無いんですっ!」
 あかねからしてみれば、当然の言動だった。乱馬ほどの達人が、ここまで傷つけられるのだ。得体の知れない敵とやりあったからに違いない。しかも、爺さんは傷一つついていないのが、あかねには気に食わないのだ。
 消毒液などない古代だ。水で注ぎ、眉唾物ではあったが、桂が用意してくれた薬草を傷口に塗る。性も根も尽きはてた乱馬は、なされるがままに横たり、まどろみの中へと入って行く。

「説明してくださいっ!いったい何があったんですか?」
 唾を飛ばしながら、あかねが麻呂爺さんに迫る。その剣幕に、桂はただ黙って、乱馬の介護をするだけだった。

「たく…。人の枕元で、ガタガタ言うなよ。うるさくて眠れやしねー。」
 御簾越しに乱馬があかねへと苦言を吐き出してきた。

「だって…。」
 そう言いかけたあかねの言葉を抑え込むように、乱馬は続けた。

「俺なら、大丈夫だよ。傷は擦りキズ程度で浅(あせ)え。ただ…、物凄く疲れてんだ。寝れば体力も回復すらあ…。それに…爺さんだって、相当疲れてる筈だから、責め立てるのは、後にしてやれよ。」
 とあかねを嗜めた。
「でも…。」
 矛先がおさまらないあかねが、反論しかけたが、それを桂が押しとどめた。
「麻呂様も乱馬さんも、昨夜はお眠りになっていらっしゃらないんです。あかねさん。もう、このくらいにしてあげてください。」
 そう、桂に拝むように言われては、あかねもこれ以上、この場で深く追求する訳にもいかなかった。
「わかったわ…。今はこれで引き下がるけど…。後でちゃんと、説明してもらいますからねっ!お爺さん!」
 と睨みつけた。
「何はともあれ、休息あるのみじゃ!ワシは奥で休むわい。桂ちゃん、床を作ってくれ。」
 桂はこくりと頷いた。
 肩をすぼめながら、麻呂爺さんと桂郎女は、そのまま部屋を出て行った。
 去り際に桂が、
「あかねさん。乱馬さんの傍に居てあげてくださいね。気技を使われるくらいの武の使い手ですから、その…心を許していらっしゃる方が、傍らに身体の一部を接して寄り添うことは、気の回復を早めることにもなりますから…。」
 と、そんなことを言い置いた。

 太陽は天高く昇り詰めていたが、部屋には御簾が下ろされて、薄暗くしてあった。窓ガラスなどない古代だ。どこからともなく、生温い春風が吹きぬけてくる。うららかな日差しが、御簾越しに感じ取れた。

 二人きりの時間が緩やかに流れ出す。

 女のまま横たわる乱馬。この宮は男子禁制なので、仕方がない。が、男の乱馬が傷ついている姿を見るのは忍びなく、乱馬の自尊心も許さないだろうから、物足りなさは感じるものの、仕方があるまい。


「もー、何があったのよ。こんなにボロボロになっちゃって…。」
「仕方ねーだろ…。慣れないことだらけ…なんだからよ。それに、さっきも言ったが、傷はたいしたことねーんだ…。」
「にしては、ガタガタじゃないの。」
「傷よりも気が空っぽになりかかってんだよ…。」
「気?」
「ああ。夜通し、いろいろあったからな…。悪い、もう、喋るのも億劫なんだ。後生だから、寝かせてくれ、今は…。できれば、おまえの膝枕で…。」
 甘えたように吐き出すと、乱馬はあかねを見上げた。
「わかったわよ…。膝枕、やってあげるわ。今日だけよ!」
 そう言って、あかねは乱馬の頭を自分の膝の上にのせた。

「サンキュー…。」
 すぐに瞳は閉じられる。

 気力が消沈しているときは、「食べて寝る」が乱馬の基本だが、「食べる」が抜け落ちている。いや、食欲よりも今は睡魔の方が勝っているようだ。

「後でちゃんと、何があったのか教えなさいよ…。」
 そう言いながら、あかねはそっと乱馬の手を握りしめた。
 さっき、去り際に桂に言われたことを、思い出したのもあったが、ポツンと投げ出された乱馬の左手を、ごく自然に手に取ったのだった。
 男のゴツゴツした手と違って、自分より短いのではないかと思う指。握り返してくる気力も無いようで、黙って、そのまま、目を閉じる。寝息が聞こえるまで、左程、時間がかからなかった。
 よっぽど疲れ切っているのだろう。規則正しい寝息が、すぐに漏れ始めた。
「ホント、馬鹿なんだから…。こんなになるまで何やってたのよ…。」

 そうだ。こんなになるまで戦ってきたということは、当然、命の危機を乗り越えてきたことを示唆している。
 集落一つを消し去った、妖(あやかし)を相手にしたのか、それとも、他の何かなのか。乱馬は黙して語らず、ただ、貪るように眠りに落ちていく。


 まさか、彼が相手にしたのが、「稚媛様」だとは、当然、あかねに思い及ぶこともなかった。


 そう、あの時、前皇の嬪だった紀氏の媛様の臨終の席で、繰り広げられた「修羅場」。その中心に居た人物こそ、稚媛と檜隈女王だったのだ。
 眠りに引き落とされる中、戦いの状況の記憶が、乱馬の脳裏へと浮かび上がっては消えていく。


 あの時。


 乱馬たちが潜んでいた天井の下。
 バタバタと音がして、女たちが泣き叫ぶ声が響き渡っていた。
「いやああっ!」
「きゃあああっ!」
 その金切り声は、尋常ではない何かを強く物語っていた。
 たまらず、忍び込んだ隣の部屋の天井から、飛び込もうとする乱馬の背中を、ぐいっと爺さんは引き留める。
「これっ!闇雲に飛び込んではならぬっ!下手をこくと、おぬしも魂を抜かれるぞ。何しろ、相手は、魂依媛様じゃからのう…。」
 とても、爺さんの力だとは思えぬくらい強い力で、乱馬の肩を止めた。
 爺さんの言葉に、乱馬の瞳は、信じられぬといったように、大きく見開かれた。
「おいっ!爺さん。今、何て言った?」
 思わず、問い返していた。
「だから、相手は稚媛様じゃと言っておるんじゃ!」
 爺さんの声がはっきりとそう告げていた。

「稚媛様だって?」
 乱馬の言葉はそこで途切れた。

「ああ、稚媛様が制御心を失ったまま、その霊力を解放されておられるのじゃよ。」
 爺さんの顔が険しくなった。
「何だ?一体どういう意味だ?」
 乱馬がそう発しかけた時、全身が、戦慄いた。
 尋常でない気が、一気に天井板下から湧きあがってくるのを感じた。

「しまった!気付かれた!」
 爺さんの瞳が光ると同時に、乱馬の身体を強く横へと押し退けた。
「わたっ!」
 バランスを崩した乱馬のすぐ脇を、乳白色の光の輪が一気に突き抜けてきて、天井板をバリバリと破壊した。

「そこに居るのは誰じゃ!出て参れっ!」
 天井へ向けて、良く通る若い女の声が響き渡る。檜隈女王の声だった。

 一瞬、どうすべきか迷った乱馬は、爺さんを振り返った。爺さんはアゴ先で、下へ行けと合図を送って来た。
 乱馬は、そのまま、トンと階下へ向けて降り立つ。二メートル以上あったが、乱馬にとっては、たいした高さではない。
 天井の下は異様な光景だった。周りで女たちがたくさん、倒れていた。
 女たちがえびぞりに背中を曲げ、事切れたように白眼をむいていた。口をあんぐりと開け、ヨダレが垂れている。その上を幾つもの白い煙のような物がふわふわと、漂っていた。
 乱馬が降りたった時、ひと際、黄金色に輝く魂が、丁度、稚媛の胸元の鏡の中へと引き入れられている瞬間だった。稚媛は不気味な笑みを浮かべて、その鏡の縁を撫でていた。
 稚媛のすぐ膝元には、板張りの部屋の中央の台座には蒲団が敷かれ、長い髪の女性が一人、着物を掛けられ、仰向けに横たわっていた。顔は血色を失い、唇は青ざめている。その金色の物体が、この女性から引き抜かれたことは、確かなようだった。

「な…。何だ?気持ち悪いっ!」
 思わず、乱馬は眉間にしわを寄せた。人の死を間際に見ているような、嫌な気分に陥った。

「ほう…小治田宮に居た客人の一人か。天井裏の麻呂爺にそそのかされて、我らをつけて来よったか。」
 中央で横たわる女性の枕元に座っていた檜隈女王は、乱馬の姿を認めると、不気味に語りかけた。すっぽりと頭には頭巾のように黒色の布をかぶり、手には、掌の倍はあろうかというような、水晶玉が七色の光を解き放っているのを抱えている。あやしげな呪術者のようないでたちだった。
 彼女のすぐ傍には、稚媛が無表情で立っていた。まるで、心ここにあらずといった感じで、覇気も生気も感じられない。

「おーい、爺さん、ばれてるみたいだぜ。」
 乱馬は天井へと声をかけた。

「みたいじゃのー。おぬし、適当に相手になっとれっ!」
 爺さんの声が、天井裏から返って来た。が、この下に降りてくるつもりはないらしい。

「ふふん。では、望みどおり、先に、そなたから相手にしてやろうぞ。幸い、客人は他にも居る。そなたを殺したとて、供物(くもつ)となる客人に不足はない。
 ククク…。麻呂にはもう少し働いてもらわねばならぬからのう。後で記憶を抜いて、今夜のところは生かしておいてやる…。が、そなたは違うぞ。見るからに良い魂の輝きを放っておる。のう…稚媛や。こやつの魂を奪えば、たちどころに夜見の花は満たされるぞ。」
 檜隈女王の表情は鬼気としていたが、彼女の隣に立っている稚媛が乱馬を睨み据える瞳は、もっと危ない輝きを解き放っていた。稚媛の瞳は、まるで獲物を狩ろうとする獣のような鋭い光を宿していたのだ。

「行けっ!稚媛!その者の魂、丸ごと吸い出せ!」
 
「冗談じゃねーっ!」
 乱馬は握りこぶしを繰り出した。一応、いたいけない少女だ。怪我をさせるわけにはいかない。となれば、気を失わせるのが一番だと踏んだ。鳩尾(みぞおち)付近を狙った。
 だが、乱馬の目論見は、見事に交わされてしまった。すいっと、稚媛は横へと退いたのだ。まるで、乱馬の一手が鳩尾に来るのが、わかっていたかのように。
「おっと…。」
 乱馬は前に体重をかけ、稚媛の動きに敏感に反応した。彼とて武道家。相手の動きくらい造作なく追える。
 稚媛は乱馬の目の前で、軸足を踏み込むと、サッと攻撃に出てきた。
「おわっ!」
 予想外の稚媛の攻撃を、寸ででかわしたが、少し態勢が崩れた。慌てて、身を起こした。息を整えかけた乱馬の頬の傍で、シュッと少女の拳が唸った。触れていないのに、稚媛の拳圧で、乱馬のチャイナ服がピシッと音をたてて横に裂けた。
「乱馬っ!怯(ひる)むなっ!稚媛様を攻撃しろっ!」
 天井から爺さんが返す声でそう怒鳴っていた。

「攻撃しろったって…。」
 すぐに状態を起こしたものの、稚媛を攻撃する気にはなれなかった。何がしかの術で、檜隈女王に操られていることは、明らかだ。
「稚媛様っ!おめー、俺のこと忘れたのか?」
 と叫びかけた。が、少女の瞳は、何も動かない。

「攻撃しろっ!死にたいのかっ!乱馬っ!」
 爺様が叫ぶ。
 慌てて、身構えた。野生の感が、尋常ならぬ危機を察したのだ。が、攻撃はできなかった。襲い来る、稚媛の攻撃をかわすのがやっとだった。
 乱馬のチャイナ服は、触れもしないのに、引き千切れる。
「何か変だ。稚媛…何かにとり憑かれでもしてるんじゃ…?」
 乱馬は稚媛を睨み返しながら吐き出した。
 稚媛の現在の状況。どう考えても、現在の稚媛は、乱馬を敵としか認識していない。顔すら忘れている様子だった。

(死にたくなくば、その子の中に宿る魔性に、くれぐれもお気をつけなさいませ…。)
 この世界へ来た時、最初に遭遇した狼を駆る青年が、そう発したことを、咄嗟に思い出した。何故この場で、あの狼青年のことを思い出したのか。考える余裕も無い。

「まさか…奴が言ってた、魔性って…これのことだったのか?」
 
 少女はじっと乱馬と間合いを取っていた。右手には白い紙を垂れさせた榊を握りしめていた。いわゆる、玉串というものだ。そして、左手は胸元にある鏡を握りしめていた。

 かすかに少女の口が、何か呪文のような言葉をかたどっているような気がした。
「何か仕掛けてくる!」
 乱馬が咄嗟にそう感じた時だった。
 風もないのに、ふわっと稚媛の長い髪が、後ろへとなびいた。

「え…?」
 と、身体が大きく引き戻された。いや、彼女に操られているような感覚に陥った。
「なっ…何だ、これ…。」
 声が一瞬詰まった。

「術にはまったか!」
 脇からニヤリと檜隈女王が笑いながら声をかけてきた。
「それ、抜き出せ!その娘の魂を!その比売鏡(ひめがみ)に…。」

 乱馬の身体は何かに操られたように、戦慄(わなない)いた。

「うわあーっ!な、何仕掛けやがった?」
 乱馬はきつい表情で稚媛を睨みかえした。
 年端のいかない少女だからと、遠慮などしている場合ではない。やらなければこっちがやられるっ!
 意を決した乱馬が、ぎゅうっと拳を握りしめた。体内の気を一気に拳へと集中させる。 
「仕方ねー。攻撃したくはなかったが…。悪いっ!」
 そう言いながら、猛虎高飛車を浴びせかけようと身構えた時だった。
 稚媛は見据えていたかのように、にやりと笑った。
「もう遅いわ…。」
 呟くように言うと、すっと掌を乱馬へ向けて差し出した。

「なっ!」
 飛び出す筈の気弾が、乱馬の手から飛び出さなかった。気弾を放つどころか、振り上げた拳から、集めた気を、一気に吸われている、そんな感覚に見舞われた。
「畜生!何だってんだ?」
 吸い取られまいと、必死で抵抗したが、無駄だった。

 乱馬を見据えながら、稚媛と檜隈女王の口元が、同時に動いた。
「その、穢れ無き乙女の魂、差し出せ…。ここへ差し出せっ!」
 と同時に言いながら、笑っている。

「てめーら…。何を…。」
 そう言ったまま、乱馬は絶句した。稚媛と視線がかち合った途端、力が抜けたのだ。
 稚媛の視線に捉えられると、ドクン、ドクンと心臓が張り裂けんばかりに鼓動し始めた。

「うわっ!」
 次には衝撃が身体中を走り抜けた。ビリビリと脳内にまでも、電撃が走ったような気がした。
 辺りがグルグルと。物凄い勢いで視界が回り始める。一気に力がそぎ落とされるそんな感覚だった。

「ククク…。素晴らしいほどに大きな魂じゃ!ああ、満たされていくのが見える。…夜見の桜が、そなたの魂で…満たされる…。」
 檜隈女王の口から、そんな言葉が漏れてきた。

「てめー、何、言ってやがる?」
 意味不明な言葉に、思わず乱馬は檜隈女王を睨みあげた。そして、咄嗟に、稚媛へ向けていた掌を翻して、檜隈女王へ手向けた。そして、檜隈女王目がけて気弾を撃ち込んだ。
 パシンと渇いた音が響いた。生身の人間、ましてや普通の女性ならば、十分に気を失わせるくらいの打ち込みだった筈だ。だが、檜隈女王は倒れなかった。

「そう…私を気弾で打ち砕くつもりだったのか…でも、残念じゃのう…。目論見は空振りに終わったっぞよ…。実態の無い私には普通の気弾は効かぬわ!」
 そう言いながら、檜隈女王は笑っていた。乱馬の拳を、前に居た、稚媛が素手で止め、空に粉砕したのだった。稚媛によって、粉砕された乱馬の気は、媛が手にしている鏡に、余すところなく吸い込まれて行く。

「ふふふ、無駄な足掻きよ…。そなたの魂は…もう、その子が、稚媛が握ってしまった…。抵抗などできぬ。」

 檜隈女王の声がそう口走ると同時に、ドーンと体全体が揺さぶられたような気がした。
「うわああああっ!」

「さあ、稚媛、この娘の溢れる若い魂を鏡の中へ引き込め…。余すところなく、全て我らの手に…。」
 檜隈女王の指図に従うように、稚媛は胸の鏡を乱馬に手向けた。





二十、真夜中の攻防

 
 鏡面がこちらへ向けられた途端、乱馬の体は大きくわなないた。
 鏡から発した大きな光の輪が乱馬に向かって、輝き始めた。そいつに引っ張られるように身体が大きく引き寄せられていく、いや、吸い込まれていく。

「うわあああああっ…。畜生っ!逃れる術はもうねーのかっ!」
 乱馬の意識は、一気に混濁し始める。
 口から気と共に、魂が引っぱり出される。そう思った時だ。

 天井から湯が、バシャバシャッと降って来た。と、白い光の輪が、乱馬目がけて、鏡から逆流するように降り注いだ。
 その勢いに、乱馬は後ろへと尻もちを着いた。それほど、衝撃が激しかったのだ。
 尻もちをついたと同時に、乱馬はみるみる、娘の姿から青年の姿へと変身する。

「そ…そなたっ!男?」
 乱馬を見た檜隈女王が一瞬、驚きの声を張り上げた。
 その刹那だった。

 爺さんの怒声が背後から響いてきた。
「乱馬っ!今じゃっ!稚媛様の翳している鏡を壊せーっ!」

 その声に我に返った。
「鏡だな?そいつを壊せば良いんだな?」
 そう言いながら、立ち呆けている稚媛の懐目がけて、右手の人さし指を打ち込んだ。
「爆砕点穴!」
 良牙の技を、解き放った。

 みしっ!めりっ!

 乱馬の人さし指は、稚媛の胸元の小さな鏡にめり込んだ。
 と、今度は、白色の光が、鏡から逆流するように、己を照らしだす。その光のシャワーに包まれ、徐々に気力が乱馬の元に充満し始める。まるで鏡に奪われた魂の一部が、己の中へと戻ってくるようだった。

 パリン!

 稚媛の胸元から、鏡の破片が、粉砕して飛び散った。

「乱馬ーっ!そこから離れろーっ!」
 麻呂爺さんの怒声が乱馬に向かって吐き出された。
 乱馬は後ろを振り返ることなく、そのまま、反対側へと受け身を取って倒れ込んだ。
 と同時に、頭上から麻呂爺さんが舞い降りて来た。片手に数珠のような玉を握りしめ、天井から飛び降りてきたのだ。

「静まり給え!荒御魂(あらみたま)!遠のき給え、奇御魂(くしみたま)!治まり給え、和御魂(にぎみたま)!三つ魂、鎮魂っ!」

 乱馬の上を爺さんの身体が、身軽に飛び越えると、そのまま、、檜隈女王目がけて、飛びかかった。爺さんの手には、勾玉がぎっしりの首飾りが握りしめられている。爺さんは、勢いのまま、檜隈女王へその首飾りをかけて着地する。

「邪魔だてするかっ!麻呂ーっ!」

「霊魂滅沈(れいこんめっちん)ーっ!」
 爺さんは両手の人差し指を上に差し上げるように上に向け、印のようなものを結ぶと、気合をこめて闘気をたぎらせた。

「無念ー!もう少しで、夜見の桜を満たせたものを…。」
 檜隈女王はそう虚空へ叫び、崩れ落ちた。ふつっと、漂っていた妖気が、そこで途絶えて消えた。と同時に、檜隈女王は、気を失ったように、爺さんの差し出した腕の中へ崩れ込んだ。稚媛は眼を大きく見開いたまま、放心したようにペタンと尻から崩れて、床へへたり込み、そのまま、倒れてゆく。
「乱馬っ!稚媛様を頼むっ!」
 爺さんの呼び声に、慌てて、傍に居た乱馬は、崩れかかった稚媛の躯体を抱き抱え、床に激突するのを防いだ。
 恐る恐る稚媛様の顔を覗き込むと、その瞳は、瞼で閉じられていた。息はしっかりとあった。身体も生温かかった。稚媛は生きていた。思わず、ホオーッとため息が漏れた。
 
 爺さんは、檜隈女王の身体を支え、抱え込んでいた。
「はああっ…何とか終わったわい…。」
 爺さんは、そう言いながら、ふううっと深い息を吐き出した。爺さんの顔は、汗まみれになっていた。

「一体、何だったんだ?」
 稚媛を抱きとめたまま、乱馬が声をかけた時、爺さんの腕に倒れ込んだ檜隈女王の身体が、黒い煙のようなものを立ち上げ始めた。ジュワジュワと燻ぶるような煙が、女王の身体から湧き立つ。ギョッとして乱馬は爺さんの腕の中を覗き込んだ。

「あ…ありがとうございます。麻呂様。」
 とくすぶった煙をあげながら、女王の口が象った。
 さっきまでの恐々とした表情から一転、穏やかになった檜隈女王の顔つき。天井を仰ぎながら、爺さんに礼を言っている。勿論、何が何だかわからない乱馬は、黙ってそれに耳を澄ませた。 
「いや…礼には及ばんよ。」
 爺さんはすべてがわかっているようで、軽く頷きながら檜隈女王を覗き込む。
「これで、やっと逝けます。後のことは、…どうか…よろしくお願いいたします…。」
 檜隈女王は、乱馬に抱えられて気を失っている稚媛へ視線を流しながら言った。
「ああ、大丈夫じゃ。稚媛のことは我に任せておけ。」
 爺さんは檜隈女王に答えた。
「それより、そなた…いつ死に絶えた?そなたを殺し、式に落としたのは、誰じゃ?」
 爺さんは檜隈女王にたたみかけた。その言葉に、檜隈女王の口は、パクパクと動きかけたが、音にはならなかった。声にだせなかったのか、言葉にできなかったのか。
 一息吸い込むと、力無く女王は吐き出した。
「口惜しきことながら…私の口からその名を申し上げることができませぬ…。」
 悔しそうな表情で答えた。

「そうか…。呪力で抑えられているのか…。術の主を、口にはできぬか。」
 コクンと女王は頷き返した。
「麻呂様…。私を式に落とした者は…稚媛様の力を操り…阿射加(あざか)の封印を解こうと考えている筈…。」
「やはり…阿射加絡み…か。」
「でなければ、阿射加の血をひく稚媛様に数多の魂を抜かせるよう仕向けたりはしませぬ…。」
 檜隈女王の言葉に、爺さんは考えこんだ。
「どうか…倭国を…お守りください……。でなければ、この国は…。柿本人麻呂様が、以前、危惧なさっていたように、倭国は藻屑と消え果てます…。」
 切なげな瞳で、檜隈女王は麻呂を見つめあげた。
「ああ…後のことは、ワシらに任せて…。安らかに逝きなされ。檜隈女王。
 あがれ、ゆらゆらとあがれ、みたま。」
 爺さんの放ったその言葉に、女王は大きく一度頷くと、ガクリと肩を落とした。と、ふわっと衣服が床に落ちる。いや、正確には、女王の身体が、フッと空間に溶けるように消えてなくなったのだ。

「なっ…。消えた?」
 乱馬が目を見張った、と同時に、コロンと何か玉のような物も転がった。
 それは、小さな勾玉だった。血の塊のような深い赤色の勾玉。勾玉と共に、掌に収まるほどの大きさの人形に切られた紙も落ちていた。朱色の顔料で「檜隈女王」という文字が刻まれているのが見えた。
「おい…。」
 ギョッとして乱馬が爺さんに声をかけると、爺さんは頷きながら答えた。
「これは式じゃ。」
「式?」
「ああ、術師が傀儡(かいらい)として檜隈女王の魂を利用しておったのじゃよ…。」
「術師が作った操り人形?使い魔みたいなものか?」
 乱馬が乗り出すと、爺さんは頷いた。
「我ら陰陽師は式を作り、そいつを思いのままに使役して任務を履行させることがある…。つまり、式を使える誰かが、檜隈女王の躯体から魂を抜きとり、式として術をかけ使役していたんじゃよ…。」
 爺さんは、人形の紙を拾い上げながら、そう答えた。
「じゃあ、今まで俺たちが見ていた、女王ってのは…。」
「式として宛がわれた傀儡人形(くぐつにんぎょう)じゃ。檜隈女王様の肉体は朽ち果て、当に灰塵と化しておろう…。そう考えると、檜隈女王自らの手ではなく、稚媛様が魂を吸われていたのも、頷ける。病に倒れられたという噂を耳にしていたが、まさか、この世を旅立たれておったとはのう…。」
「ってことは、死んでる…ってことか?」
「ああ…。人知れず、どこかで息絶え、この世から消え去っておろうな。」
 爺さんは抑揚無く答えた。
「し…信じられねー。…誰が、何のために…こんなこと…。」
 目をパチクリさせながら、乱馬は爺さんと人形の紙きれを見比べた。

「誰も見たことのない程の、大がかりな呪術の発動のために…。と考えるのが妥当なところじゃろう。その力を最大限に引き出すために、檜隈女王様の魂を利用した奴がおるのじゃろうな。」
「おい…それって…。俺たちの召喚と関係してんのか?こいつ、俺たちのことを、供物とか呼んでたぞ。」
 乱馬はにじり寄った。
「まだ、詳細はわからぬが…恐らくは関係しておろう…。」
 爺さんは頷いた。
 爺さんは小難しい顔で、檜隈女王が着用していた衣服を畳んだ。身体は人形でも、服は現実の物のようだった。
「いずれにしても、檜隈女王様のツクヨミの力を、利用した奴が居るということじゃ…。」
 苦虫を潰したような顔つきで、爺さんが吐き出した。
「どういう…意味だ?それじゃあ、まるで、檜隈女王にもツクヨミの力が宿っているように聞こえるぜ…。」
 上手く飲み込めず、乱馬が問い質す。
「そりゃ、そうじゃ…。檜隈女王もツクヨミの力を持っておられたからのう…。稚媛様ほど強靭な力ではないがのう…。」
「それって、どういう事だ?稚媛様の他にもツクヨミの力を持つ者が居るってことか?」

「彼女が何故、檜隈女王と呼ばれておるかわかるか?」
 唐突におじじ様は乱馬に問いかけてきた。
「わかるわけ無(ね)ーだろ、そんなこと。」
「檜隈(ひのくま)の名前が示すように、彼女は太陽に背を向けた存在じゃからな。」
「太陽に背を向けただあ?」
「ああ…。檜隈女王も稚媛様も、いずれも、太陽に背を向けた存在なんじゃよ…。じゃから、ツクヨミの力を内包しておる…。」
「だから、どういうことなんでいっ!ちっとも話が見えて来ないじゃねーか!何で、二人が太陽に背を向けた存在になるんだ?」
「二人とも、日が蝕(は)える時、つまり、日食の時に生を受けた大王家の娘だからじゃよ…。」
「日食って、月が太陽の影になって太陽が欠ける天体現象のことだよな?」
「そのとおりじゃ。」
「それがどうしたってんだ?」
「日食…。お主らの時代では、通り一辺倒の天体現象にしかすぎぬかもしれぬが…。陰陽道的にも呪術的にも、日食は重要な位置を占めておる…。この倭の国を滅ぼすほどのな…。」
「倭を滅ぼすって?」
「尊皇はいわば、この国を照らす太陽。それを陰らせる日食は不吉の証…。おぬしの世なら、月が太陽を翳らせることは知られておるのだろう?」
「ああ、日食は月に太陽が隠されて起こるっていうのは、誰もが知ってる。」
「我らの世界では、日食は神の起こす大事じゃと信じられておるからのう…。月が日食に関係していることは、陰陽師しか知らぬ。」
「それがどうしたってんだ?」
「お主たちにとっては、日食はただの天体現象に過ぎぬかもしれぬが…。古来より太陽が蝕える時に産声を上げた大王家の皇女は、異能を示すと言われておるのじゃよ。」
「あん?」
「日食の最中に生まれた人間は、高い魔の能力を持って生れてくるのじゃ。」
 爺さんは乱馬を見ながら続けた。
「檜隈女王様は、日食の日に生を受けられたんじゃ。大いなる巫の力を持って生まれても、太陽にうとまれた魔の能力を持つ娘は、伊勢の斎宮にはなれぬ…。」
「もしかして、檜隈女王の名前の「ヒノクマ」の意味することって…。」
「じゃから、言っておろうが…。日が欠けること…すなわち、日食を暗に示しておるんじゃよ…。」
「おい…じゃあ、稚媛様は?やっぱり、大王家の子なのか?」
 乱馬の問いかけに、爺さんは黙り込んだ。
 返答を迷っているような様子だった。
「こら、ちゃんと質問に答えやがれっ!太陽が蝕える時に生まれた大王家の子は、異能を持つんだろ?稚媛のあの力は、大王家の血を引く証拠じゃねーのかよ?」
 爺さんが黙っているので、乱馬はまくしたてた。

「ああ、稚媛様も、大王家の血を引いておるよ。」
 爺さんはゆっくりと答えた。
 館が、一瞬、慟哭したように思えた。外を風が物凄い勢いで吹き抜ける音が、カタカタと蔀戸を揺らせている。
「稚媛様は、先の大王、珂瑠皇子様の皇女であらせられる。しかも…母君も大王家の血を受けた御方。
 いろいろ複雑な事情が絡んでおっての…珂瑠皇子様は稚媛様の素性を隠し、そして、ワシに預けられたのじゃよ。」
 爺さんの瞳は、険しく輝いていた。
 
「おい…それって…。」

「大王の珂瑠皇子様じきじきの命、いや、頼みじゃったのでな…。ワシは、稚媛様を養女として、育ててきた…。魔の力をできるだけ封じるための咒法を施しながら…な。
 平城京へ遷都して以降はこの小治田宮でな…。小治田宮は、炊屋姫尊様がお創りになられた聖なる宮じゃ。故に、太陽神の力も高め易い土地じゃ。まさに、ツクヨミの力を抑えるのに、適した場所なんじゃよ。佐留の奴めも、そうしろと強くワシにすすめてくれたし、奴の持てる力を貸して、土地を強化してくれよったわ。」

「なんか、複雑な話なんだな…。この子の父母は天皇家の人間なのに…素性を隠して爺さんが育ててるなんて…。」
 乱馬の瞳は、稚媛のあどけない寝顔に落ちた。

「無論、稚媛様は自分の両親の顔はおろか、何も知らずに育った。そんなこの子を、不憫に思い、可愛がられたのが、檜隈女王様じゃった。檜隈女王はこの子の母親と懇意じゃったからのう…。」
「稚媛様の母ちゃんも皇室の人間なんだろ?何で、そろいもそろって稚媛様のことを隠したんだ?」
「大王家同士の結びつきでも、いろいろ複雑な事情がからみついて、決して結ばれてはならぬ、血の結びつきがあるんじゃよ。
 稚媛様の父親は尊皇様(すめらみことさま)、つまり大王様。対する母君は大王家に繋がる血筋とはいえ、末端…いや、一度主流から外れた皇統じゃからのう。」
「一度、主流から外れた?」
「大王家に限らず、皇統には血で血を洗う争いは尽きぬじゃろう?」
「権力争いに負けた皇統ってことか。」
「ああ…。権力争いには様々な思惑が溶け込む。魑魅魍魎の如く、複雑な糸が絡み合うものじゃ。」

 そう言ったきり、爺さんは黙り込んだ。
 どうやら、稚媛には、乱馬が踏み入れぬほどの、秘密があるようだ。
 一呼吸置いて、爺さんは、話し始める。

「檜隈女王様は、稚媛様のことを、幼少のころから気にかけておられた。檜隈女王様もご自身も弱いとはいえ、ツクヨミの力を持っておられた。ゆえに、放っておけなかったのじゃろうな。
 それに、檜隈女王様は、佐留とも懇意じゃったゆえ、奴にも入れ知恵されたのかもしれぬ。
 魂依の術の後継者として、稚媛様を正しくお育てになろうと思われ、ワシのところにも良く通ってきておられた。」
「魂依の術ねえ…。いわば、高貴な方の葬式係みたいなものなんだろう?」
「ツクヨミの力を抑えながら、最大限に利用できれば、とても良い魂依媛となられる。檜隈女王様はそう思われて、稚媛様の面倒を見ておられた。檜隈女王様が傍におられれば、稚媛様も暴走しない。ワシもそう考えておった。
 じゃが、そんな檜隈女王様を陥れた者が居たようじゃな。」
「っていうことは…。」
「今、おまえも見ておったろう?檜隈女王様の魂を生きながら抜き、そして、式神にして使った術者が居た。」
 麻呂爺さんの瞳は険しくなった。
「何のためにだ?」
「稚媛様を利用するためじゃよ。今までも、結界で守られた小治田宮を一歩出れば、稚媛様の魔の力は暴走することがあった…。が、呪力の高い檜隈女王様が傍に居れば、稚媛様の力は制御できた。じゃが、その檜隈女王様を亡き者にし、彼女の純粋な魂を穢し、式として使えば…。」
「稚媛様を操れる…って寸法か。」
「ほう、お主でも理解できるか。」
「おいっ!馬鹿にすんなよ!で?その、影で檜隈女王様を操っていた者は、何をしようってんだ?」
「稚媛様を駆使して、生きた人間から、大量の魂を吸い出させる。それが、そやつの主たる目的の一つだったんじゃろうな。」
「魂を吸い出して、どうしようってんだ?」
「さあな…。そこまで、ワシもまだわからん。わからんが、何かの呪術に使うつもりなんじゃろう。…これはワシの憶測にすぎぬが…稚媛様にこのようなことをさせた首謀者は…稚媛様の生誕にも、糸を引いておるかもしれぬ…。」
「なあ、その、首謀者ってのは、誰だ?」
「まだわからぬ…。わからぬが…ありとあらゆる術に長けた術者であることだけは確かじゃ…。ツクヨミの力のことも良く知っている…な。」
「柿本佐留のような…か?」
「或いは…な。」
 爺さんはそう吐き出すと、黙り込んだ。
 その沈黙を、すぐに乱馬が引きはがす。
「爺さんには、凡その見当がついてんじゃねーのか?」
 爺さんはその問いかけには答えなかった。恐らく見当がついているのだろう。沈黙の中に、爺さんの答えを聞いたような気がした。だが、もちろん、今の時点で乱馬に話すつもりはないようだ。
「もう少し待っておれ、もっと詳しくわかったら、おまえさんにもちゃんと説明してやるわい。」
 といったん話を区切った。

「これで、何とか、終わったのう…。竈門娘様の魂は行方知らずになってしまったが…。」
「え?娘(いらつめ)様の魂は、この鏡の中にあるんじゃねーのか?」
 乱馬は端に転がっている鏡を指さしながら尋ねた。
「残念ながら、鏡を通じてどこかへ運ばれた…。鏡はただの通過呪具にしかすぎぬでな…。壊したところで吸われた魂の行き先まで、辿ることは不可能じゃ。」
「おいっ!じゃあ、この先、どーすんだ?盗られた魂を探すのか?」
「探さんわい!」
「なっ!」
「ごちゃごちゃと細かいことは気にするな!」
 眼を白黒させた乱馬に、爺さんが吐き出した。
「気にならないでか!何か…無責任過ぎるぜ…。それって…。」
 乱馬は大きくため息を吐き出しながら、言った。
「仕方があるまい…。ワシは、魂を辿る術を持ち合わせておらんのじゃから!」
 爺さんは不機嫌そうに吐きだした。
「じゃあ、何で、俺は助かったんだ?あのまま、魂を引き抜かれて、おっ死んでいてもおかしくない状況だったぜ…。」
「男と女の魂を依り付かせる呪具が違ったんじゃろう。」
「あん?」
「つまり、魂を入れる器の鏡は、男と女で違うのじゃよ…。」
「あん?」
「現に…男に変化したおまえさんの魂は、稚媛様には吸えなかったではないか?壊したのは女の魂だけを集める鏡じゃったんじゃろう。その証拠に、その鏡を壊した途端、舞い戻ったろう?おぬしの魂はその男の肉体に…。」
 乱馬は押し黙った。確かに、男に変化した途端、吸いこまれかけていた魂ごと、引き戻されたような感覚に見舞われたからだ。
「それが、他の女たちは、どうじゃ?」
 そう言われて、辺りを見回したが、倒れた女たちは起き上がることなく、事切れたままだった。
「おい…こいつらは…。」
「最早、手の施しようがない。鏡の奥に繋がる結界を越えて黄泉の彼岸へ吸われてしまえば、ワシの力を持ってしてもな…。」
 爺さんは肩を落とした。
「救えないのか?」
 乱馬が勢い込んで爺さんの襟ぐりへと掴みかかる。
「ああ…。黄泉の世界に取り込まれてしまっては…鏡を壊しても、元へは返せん…。竈門娘様も既に事切れておられるご様子じゃ…。」
 爺さんは、中央で寝かされている中年の女性の脈を取りながら、答えた。
「誰の魂も取り戻せないってことか…」
「恐らく、この女官たちの魂は、竈門娘様の魂と共に、鏡を媒体に吸い取られた…いや、別に吸い取られたと考えるのが妥当じゃろうな…。そら、稚媛様の傍を見てみい。」
 稚媛の傍には、古墳で発掘されるような鏡が二個、転がっていた。
「二個あるところを見ると、それを媒体にして吸い出したんじゃろうな…。一つは竈門娘様専用と見て、間違いなかろう…。何らかの理由で、他とは分けておきたかったのじゃろうて…。」

 回りに事切れている女官たちが転がっていた。いずれも、息はすでにない。
 胸が痛む、光景だった。

「何か…あんまり、見たくねー光景だよな…。人がたくさん倒れて、事切れてる状況なんて…。」
 乱馬は傍で、そう、呟いた。
 あかねを伴わずに来て、本当に良かったと思った。この異様な光景を、あかねには見せたくない。

「おい…。爺さん。じゃあ、道すがら見た、あの部落の光景も…。やっぱり、稚媛様の…。」
「ああ、稚媛様の仕業じゃろう。いや、あれだけではなく、ここしばらく続いていた、怪奇現象は、全て…。夜中、檜隈女王がこっそり宮を連れだして、襲わせておったに違いあるまい…。」
 爺さんは頷いた。
「本当に、女官たちの魂は、鏡を壊しても…戻らないのか?」
「残念じゃが、戻らん。ワシの鎮魂(たまあふり)の力を持ってしても、戻せん。もう、魂はここには無いからのう…。」
「稚媛様は?彼女でも無理なのか?」
「ああ、稚媛様の力は魂を抜きとるだけじゃ。一度、肉体から遊離した魂は、稚媛様にも戻せぬよ…。」

 爺さんはおもむろに、懐から大きな青い光を放つ勾玉を出してきた。そして、それを己の額に当て、何やら、ブツブツと呪文めいた言葉を唱え始めた。唱え終ると、勾玉を、グイッと人差指で、稚媛の額へとあてがった。稚媛の額に、勾玉の型が残るほどに強く押し当てる。

「おい…。何してるんだ?」
 咄嗟の爺さんの行動に、不審な瞳を傾けながら、乱馬が問い質す。

「念のために、稚媛様に我が咒法をかけておこうと思ってのう…。」
「爺さんの咒法?」
 乱馬は怪訝な顔を、爺さんに手向けた。
「ああ、稚媛様の力を操る者の影響力を少しでも剥ぐための咒法じゃよ。」
 爺さんは咒法をかけ終わると、ふううっとため息を吐き出した。
「ま、気休め程度にしかならん咒法かもしれんがな…。」
 謙遜したような言葉を吐きだした。
  
 最後に爺さんは、壊れた鏡の破片を集めて、持っていた布きれに綺麗に包み込んだ。
 包み終えると、立ちあがり、乱馬を促した。
「さて…。そろそろ夜も明ける。帰るぞ。」
「帰るって?」
「決まっておろう、小治田宮へじゃ。ほうれっ!」
 そう言うと、爺様は乱馬に、傍にあった水を頭からひっかけた。
「わたっ!冷たい!何しやがる?」
「仕方あるまい?宮は男子禁制。…それとも、何か?おぬし。あかねちゃんのところへは帰りたくないと?」
「バッ、馬鹿っ!あいつの名を出すなっ!」
「おぬし、解り易いのう…。ほっほっほ。やはり、あの娘に惚れとるか!」
「うるせー!」
 拳を振り上げた乱馬に、爺さんは力なく微笑みかけた。
「悪いが、稚媛様を背負ってくれ。ワシは露払いをしながら前を歩かねばならぬでな…。」
「お…おう。」
 乱馬は傷ついた身体を傾けて、稚媛を負ぶった。ふらっと足元が一瞬、立ちくらんだが、ぐっと丹田に力を入れて、立ちあがる。
「落とすなよ!」
「誰に物言ってやがるっ!宮まで運んだら良いんだろ?」
 乱馬が言った。
「ああ…。おぬし以上にワシも気力を使い果たした…でな。稚媛様を負ぶる気力はもう、残されておらぬのじゃ。」
 と爺さんは言った。

 正直、乱馬にも気力は殆んど残されてはいなかった。が、根性と負けず嫌いの性格で、必死で稚媛を負ぶって、小治田宮まで帰って来た。池の畔を通った時、香具山に上る朝日が神々しく見えた。水面がまだ生えぬ枯れ木の姿を落としてたたずんでいる。
「この池、埴安の池…とか言ってたな…。」
 乱馬は池を横目に、呟いた。
「あの香具山のほとりにある泣沢の泉はこの池に染み出すように注ぎ込むとも言われておるんじゃよ。」
 爺さんは頷いた。
「泣沢の泉?」
「ああ…。よどみなく、コロコロと音をたてて湧き立つ清き泉じゃよ。その音ゆえ、泣沢の泉と呼ばれる神聖な泉じゃ。」
「神聖な泉ねえ…。」
「前皇の妃が護っておられる、神聖な泉じゃ。」
 感慨深く、爺さんは言った。
「前皇の妃ねえ…。竈門娘様以外にも妃が居たってことか…。まあ、古代社会だから一夫一妻じゃねーんだろーが…。」
「一夫一妻?…お主らの世界は…一夫一妻なのか?」
「あ…ああ。一夫一妻制だぜ。重婚は法律で禁じられてる…。」
「法律…律令のことか…。ほう…。おぬしらの世界は、一夫一妻制ねえ…。ということは、お主の妻はあかねちゃんだけか?」
「だから、あかねはまだ妻じゃねーっつのっ!許婚だ。」
「許婚なら、妻も同然じゃろうが。まだ婚姻はしていないのじゃよな?契りは交わしておるのか?」
「契ってねえよっ!」
「何故、婚姻せんのじゃ?他にも女が居て、一人に絞りきれんとかいうのかの?」
「他に女なんて、いねーよ!」
「眼中にあるのはあかねちゃんだけじゃな?」
「爺さんの知ったこっちゃねーだろっ!それより、泣沢泉を守っている前皇の妃ってのは、誰なんだ?」
 乱馬は真っ赤になりながら、声を張り上げた。
「中臣(なかとみ)氏の水の祭祀を斎いておられる、それは美しい御方じゃよ。名は宮子様とおっしゃる。」
「中臣氏?」
「宮廷の水の祭祀を一手に引き受けていた氏族じゃ。先帝、珂瑠皇子様の御嫡子、首様を御産みになった方じゃ。首皇子様誕生後、数カ月で巫女に戻り、泣沢泉を護っておられる。」
「おい…男を知った女は神を斎くことはできねーんじゃなかったっけ?」
「例外もあるんじゃ。」
「例外だあ?」
「ああ…。宮子様はその数少ない例外に当たられる。」
「良くわかんねーな…。」
「宮子様は妃として嫁がれたのではなく、一夜巫女(ひとよみこ)であったからな…。」
「ひとよみこ?何だそいつは…。」
「儀式に於いて一夜限り、尊皇様の添い寝をされる巫女様のことじゃよ…。」
「あん?」
「古来、まだ女を知らぬ若き尊皇が立たれて最初に植えられた苗を収穫する折に催される収穫祭に於いて、必ず一夜巫女様が選定されるんじゃ。一夜巫女様は臥所に一晩籠られて、尊皇の初めての収穫を御一緒にお祝いなさる相手として、主たる祭祀一族から占いで選ばれるんじゃ。」
「占いで選出される一夜妻ってことかよ。そんなことがまかり通る世の中なのか?」
「ああ。じゃが、宮子様は目出度き御方でなあ…。その一夜の契りで、身籠られたんじゃ。それが、首皇子様じゃ。」
「百発百中って奴かよ…そいつは…。」
 どう答えて良いものやら、苦笑いしていると、爺さんは続けた。
「だからこそ、中臣氏と同族の藤原不比等様が後見人となって、首皇子様を養育されておられるのじゃよ。」
「へええ…。じゃあ、首皇子様を御産みになった後、その宮子様ってのは、また、巫女に戻ったってことになるのか?」
「ま、簡単に言えば、そういうことじゃな。首様が生まれてすぐ、後宮から祭祀に戻られたんじゃ。
 尊皇は神の血筋。その方と一夜だけの契りを成した方じゃから、巫女としての務めもできるんじゃ…。」
「ふーん…で?その泉、見たことがあるのか?爺さんは…。」
「いや…。泣沢宮の結界のそのまた厳しい結界に護られた泉じゃ。誰も近寄れぬわい。」
「じじいでも近寄れないのか?」
「ああ、無理じゃな。」
「誰も近寄れない神聖な泉か…。」
「覗き見ることすら叶わぬ、神聖な泉じゃ…。言い伝えでは、天と地、双方から湧きたつと言われておる神聖な香具山の水じゃ…。」 
 爺さんは、焦がれるような瞳でポツンと言った。
「稚媛様が夜に魅入られた夜見媛ならば、対する首皇子様は太陽に祝祭された皇子じゃ。対極にある関係となる…。恐らく、その、対極も、稚媛様を操っている奴の思うところなのかもしれぬがな…。」

 たおらかに水をたたえた埴安池。そのぐるりをゆっくりと泣沢宮へ向かって歩く。背中の稚媛の温かさを感じながら、傷の痛みに耐え、息を必死で整えながら、歩く。前を行く爺さんも、確かに、足元がふらついているように見えた。
「きついか?」
 そう爺さんは乱馬にたたみかけてくる。
「へっ!こんくらいっ!」
 粋がりながら前に進む。
「悪いな…お主も魂を引きずられた後じゃというのに…。」
「こいつを背負えるのは、今は俺しか居ねーんだから…。で?あの竈門娘様の屋敷はどうするんだ?あのまま、ってわけにもいかないんだろ?」
「すでに、ワシが飛ばした式で、ワシの館から若者が派遣され、適当に片付けしとるじゃろう…。」
「式?」
「ああ…。じゃから、稚媛をおぬしに任せとるんじゃ。式の使役はかなりの呪力を使うで、体力が無い年寄りにはきついんじゃっ!」
「式ねえ…。」
 いつの間にそのような術を駆使したのかと…得体が知れぬ、食えぬ爺さんだと、乱馬は思った。
「それより、帰ったら、あかねちゃんに添い寝してもらえ。ワシから頼んでやろうか?」

「な…。何だそれっ!」
 思わず、稚媛を背中から降り落としそうになった。

「ほっほっほ。おまえさん、やはり、あかねちゃんに惚れておろう?」
 笑いながら爺さんがたたみかけてきた。
「う…うるせーっ!だったら、どうだっつーのっ!」
「ほーっほっほ。否定はせぬか…。惚れた者の気は、力を回復するにはもってこいじゃからのー…。せいぜい、優しく介抱してもらえ…。但し、女同士のままじゃが…。」



 横たわった蒲団の上、そんな回想を思い描きながら、ふっと感じる、やわらかな気。
 繋がれた手から溢れて来る力の源。
(あかねの手…凄く、あったけえ。)
 繋がれた手に全身全霊を傾けている己が居る。触れているだけで、満たされる安らぎ。
「あかね…。」
「何?」
「ありがと…。」

 そう吐き出すと、乱馬は、深い眠りへと身を任せた。

「馬鹿…。」
 あかねの唇から、そんな言葉が発せられたのを、遠のく意識の中で聞いたような気がした。



つづく






ちょこっと解説

藤原宮子(ふじわらのみやこ)
 藤原不比等の女。文武天皇(珂瑠皇子)の妃になり、首皇子、後の聖武天皇を生みました。が、生まれてすぐ赤子と離れ、成人して即位してからやっと数十年ぶりに我が子と対面したと記録されています。
 何故、息子と離れていたのか、肝心なところは何も触れられておらず、感動の再会も、玄ム(げんぼう)という僧侶の介でなされたと記されているだけです。
 出産後、精神を病んでしまって、玄ムの介護により回復したから息子と再会したとか、何らかの理由により父の藤原不比等に幽閉されていたとか…様々な憶測がありますが、詳らかにはなっていません。
 また、彼女の母親に関しても、海部の娘だったとか、葛城氏の娘だったとか…良くわからないとも言われています。不比等や藤原氏との血が繋がりも疑わしいという説もあります。
 そんなこんなで想像を膨らませて、独自に創作して展開させていただいております。一夜巫女という辺りも創作です。もっと古来には一夜妻となった巫女が実際に居たようで、記紀神話の中にもそれらしき記述が出てきます。
 読まれた方はわかると思いますが、「古事記」は、男女の生業は結構ストレートに表現されております。私は高校時代に初めて岩波旧大系本で目を通したのですが、古事記ってエロ本?とまじで思いました。
 古事記には一夜巫女と目される女性と一夜だけ交わって、結果、子供が生まれたので、それは俺の子じゃないだろうと疑ってかかった尊が居ましたが、臣下に「一夜のうちに何度お召しになられましたか?」と問われて、「七回」と答えて、「それじゃ、尊の子供に間違いありません。」「じゃあ、俺の子か…。」と納得する、笑い話のような話も存在しています。(一晩のうちに七回って、尋常じゃないんですけど…。なんだか、乱馬もあかねとの生業の始めはそのくらい行きそうだなあ…とか思ってる私も脳みそが腐りきっていますが…。)

 中臣氏も、元々、祭祀に携わる一族だったようです。折口信夫説を基盤に、水神を祀る一族として、書いております。


日食
 「続日本紀」には何回か「日蝕(は)ゆることあり」という表現で日食の記事が定期的に出てきます。中には記載間違いもあるようなのですが、だいたい正確に暦に沿っているそうです。不思議な事に、日本の飛鳥地方近隣では見られない日食も記事として記載があります。既に、計算で日食を割り出していたことの表れです。
 大宝二年(702年)九月二十六日に皆既に近い日食があったと記録されています。一応、この日を稚媛の生誕日として本稿を書いています。檜隈女王の日食の記載は嘘八百です。「檜隈」という地名が飛鳥近隣にありますので、そこにちなんだ名前だろうと思われます。
 また、日食や月食は、陰陽に通じた一部の陰陽博士には、既に読み解くことができたようで、彼らはすすんで天皇に進言し、それに従って天皇は、民を前に、太陽を隠してみたり、月を隠してみたりという手品まがいのことをして驚かせたそうです。暦を作り管理することは、支配者にとって、必要不可欠でした。天体現象も支配を強固にするために、天皇は、暦のプロフェッショナルの陰陽師を上手に利用していたのです。
 記紀神話の三貴神の一人、「ツクヨミノミコト(月読尊)」は、月を読む…つまり、暦を読むという言葉から生まれたという説もあります。


 この項目を書いていたとき、思い立って、かなりな部分、最初から加筆したので、そのせいで、各一話分がメチャクチャ長い作品になってしまっています。
途中で切って、話の区切りを見なおそうかと、考え込んだのですが…。…もう、見直すのも面倒で…
そんなわけで、この作品の一話分は通常の小説頁の二倍…いや、三倍量となっております。すいません、長くて。

 前半部のクライマックス…。まだ話半分…かな。いや、三分の一かな…?
 今、十五話目書いてます…まだ、クライマックスまで行ってませんから…。やっぱ、二十話前後の作品になること必至です(汗)

 


(c)Copyright 2013 Ichinose Keiko All rights reserved.