◆飛鳥幻想
第五話 二人の古代


十二、からぶろ
 
 稚媛様が檜隈女王に連れて行かれ、首皇子と安宿媛も別所へ下がってしまった後、乱馬とあかねとなびきの三人は、退屈な午後を過ごした。
 特に何もするでもなく、板床にじかに座っていた。
 外はあいにくの雨。ザアザアと降り注ぎ、外に出るのもままならなかった。
 じっとしていることなど、性分に合わない乱馬は、体力を持て余し気味に、降り注ぐ雨滴を恨めしそうに見上げる。

「たく…。散歩一つできねーのかよっ!」
 と吐き出した。
「仕方ないじゃないの。ここには雨傘もないし…。不用意に雨なんかに当たると、風邪ひいちゃうわよ。」
 あかねが横からたしなめる。
「そうねー。雨に当たって風邪をひいたら大変だわ。まともな風邪薬だって無い時代だものね。」
 となびきも同調した。春とはいえ、雨降り天気。少しばかり肌寒いのは、気密性が低い板張りの部屋の中に居るせいかもしれない。何より、天道家のように、あちこち雨漏りしている建物だ。
「俺は、誰かさんと違って、風邪ひくような柔な鍛え方してねーけど。」
「誰かさんって誰よ!この筋肉馬鹿っ!」
「何だとー?」
「馬鹿は風邪ひかないもんねえ!」
 鼻息が荒いあかねを横目に、なびきが割って入る。
「乱馬君、ここは医療が発達していない時代よ。下手に風邪をひけば、命とりにだってなりかねないわ。ここは、大人になって我慢なさい、ね。」
 不服そうな乱馬をなびきがたしなめた。

「まあ、そんなに興奮なさらずに…。」
 桂が、湯の入った器を持って入って来た。

「とにかく…こう、何もすることがなくちゃ、身体がだれきっちまうっ!」
 あまりに時間を持て余した乱馬は、何を思ったか、唐突に、指立てふせを始めた。
「ちょっと!いきなり何やってんの?」
 あかねが咎める。
「日課だよっ!日課!これくらい、やっとかねーと、いざというとき、身体がなまって動けねーっつーのっ!」
「たく…もうちょっと、別なことに体力使いなさいよ!」
「おめーもやっとけよっ!武道家は日々の修行が必要な稼業だろーが!」
「嫌よっ!風呂もまともにないのに、汗かくなんてっ!」

「あなたたち、武人なんですか?」
 二人の会話に、桂が尋ねた。
「ああ。こいつはともかく、俺は武道家を目指して、日々、修業してんだ。」
 と乱馬が言った。
「何で、あたしはともかくなのよ!あたしだって、目指してるわよ。」
 あかねが乱馬の言に割り込んだ。
「おめーはお嬢様武道に毛が生えたくらいしかやってねーじゃん。」
「そんなことないわよっ!」
「俺みたいに、山籠りとかもしてねーし…。」
「天道流はあんたんとこの早乙女流みたいに、野性味が溢れてないだけよっ!」
「まあまあまあ…。喧嘩なさらないでくださいね。」
 桂は苦笑いしながら、二人をとりなした。
「そう言う訳で、俺は日課をこなすから、邪魔すんなよ!」
「しないわよっ!勝手にやんなさいな。」
 プイッと二人は横を向いてしまった。

 その後、乱馬は懸命に身体を動かし続けた。部屋の中なので、やれることは腹筋や背筋、腕立て伏せなど、限られてはいるが、女体のまま、真摯に取り組んでいた。
「乱馬さんって、身体を常に鍛えてらっしゃるんですね…。」
 桂が目を丸くしながら、乱馬を見た。
 あかねは、鍛える乱馬を横目に眺めながら、桂を相手に、まったりとした会話を続ける。この時代のことを、問いかけながら、わからない言葉や歴史的背景は、九能との勝負でかなり勉強したなびきに、解説を頼んだ。
 そうやって、退屈な午後を過ごす。
 市井の人々は、もっと忙しい生活を強いられているのだろうが、ここは、皇室関係の宮だ。
 古代の貴族社会に身を置いた一日は、緩やかに流れて行く。
 

「沐浴(もくよく)でもなさいますか?侍女たちが湯を沸かしてくれましたよ。」
 夕方近くになって、桂がそんな誘いかけをしてきた。
「乱馬さん、かなり汗をかくような修行をなさっていますし…。」
 遠巻きに、館の侍女たちが、乱馬の修行の様子を、好奇の目で見つめていたので、気を利かせて湯を沸かしてくれたのだろう。

「沐浴?お風呂ですか?」
 あかねの瞳がきらりと光った。古代へ来て、身体を拭くこともしていない。そろそろ、髪のべたつきや身体の臭いが、気になっていたところだった。

「この時代に風呂なんて、あんのか?第一、飛鳥周辺って天然温泉もねーんだろ?」
 乱馬がいぶかしげに問いかけた。
「ここをどこだとお思いですか?大王家の宮だったところですよ。浴室(からふろ)くらいはありますわ。」
 と桂が言った。

「まあ、どんなものでも、あるだけましよ。」
「そうね、これ以上、身体が汚れたら、痒くなりそうだし…。」
 なびきとあかねが、顔を合わせて頷きあった。

「では、ご用意してきますね。」
 そう言いながら、桂は、部屋を立ち去る。


「よっしゃあ!久々の風呂だぜ!」
 立ちあがった乱馬を、あかねが一瞥しながら言い放った。
「……乱馬、あんたまで一緒に立ち上がることはないでしょう?」
「ああん?」
「だから、あんたは湯を浴びれば、男に戻るんでしょーがーっ!」
 ベシコンとあかねの平手が乱馬に入った。
「何しやがるーっ!」
 腫れあがった頬を押さえながら、乱馬があかねを睨みあげた。
「俺だってひと風呂浴びたいっつーのっ!」
「だからって、あたしたちと一緒に入ろうとするなーっ!このどすけべーっ!」
 あかねの平手打ちが、スパーンッと乱馬の左頬へと勢い良く入っていった。
「何で身体を動かしていた俺より、おめーらの方が先に入るんだ?」
 掌の型をなでながら、乱馬があかねへと食ってかかった。
「レディーファーストって言葉があるでしょーが?」
「何が、レディーファーストだ!どこにレディーが居るってんだあ?」
「また殴られたい?」

 女に変化していたところで、元は男だ。一緒に入る訳にはいかない。あかねは直情的に乱馬に訴えかけたのである。実力行使で。
 
 桂が、がらんとした部屋の中で、一人すねている乱馬を発見して、声をかけた。
「あの…。乱馬様は湯浴みされませんので?」
 部屋を掃除しにきたようで、肩手にホウキを持っている。桂は乱馬が変身体質であることは、もちろん、知らない。
「後で入るんだよ。」
 ムスッと乱馬はそれに答えた。
「三人くらい、御一緒に入られる大きさでございますよ?…。」
「だから…こっちにも事情があるんだっ!」
「事情?」
 桂は、不可思議な顔を浮かべると、さっさと部屋を掃き始めた。
「たく…。もうちょっと、力加減しやがれってんだ!あかねの馬鹿っ!」
 まだヒリヒリする頬を撫でながら、天井から滴り落ちる雨粒を恨めしそうに見上げていた。





 それから三十分余り。

「はああ…。やっと、一息つけたぜ。」
 湯けむりを前に、乱馬は大きく溜め息を吐きだした。
 ここへきて以来、ずっと、「女」で通している。一応、男子禁制の宮らしく、屋敷内に麻呂爺さん以外の男の姿はない。従って、男に戻ることもままならない。
 桂に頼んで、人ばらいを厳重にしてもらった。
 一人でゆっくりと入りたいと、所望したのだ。

「風呂だって言うから…温泉みたいなのを想像してたんだが…。」
 木の板で囲まれた薄暗い空間。床も天井も壁も全て板。その中に、もうもうと下から蒸気が立ちあがってくる。湯船はない。
 傍に井戸があり、そこから汲み上げた水を床下の釜で炊き上げて湯気を浴びる。
「サウナ風呂だな…こりゃ…。」
 そんな文言を吐きつけながらも、満足げに身体を伸ばして、久しぶりの男の体を満喫する。空風呂とはいえ、傍に湯桶が置いてあった。それを頭からかぶって、男に戻ったのだ。
「食べ物も貧層だし…修業もままならねえ…。たく、こんな生活が続いたら、確実、基礎体力が落ちるよなあ…。」
 隆々と盛り上がる筋肉を布きれで拭きながらため息を吐き出した。
 石鹸やシャンプーなどという気の利いたものは当然ない。手ぬぐいもない。白い布きれがあるだけ。それで、ごしごしと垢をすり落とす。香料などないが、それでも、湯桶に使っている木の匂いがほのかに薫る。湯気が天井まで吹きあがり、それだけで気分は上々だった。
「あー。気持ち良いー。」
 すっかり親父になって、湯気の中で唸り声を上げる。

 と、ガタンと音がした。

「湯殿の加減はいかがですか?熱すぎませぬか?」
 不意に、戸を引き開けられ、女官が顔を出した。
 その瞳に映し出されたのは、男乱馬の精悍な肉体。女の滑らかな身体とは程遠い、ゴツゴツした生身だった。
 ヒッと軽く声を上げ、息をのみ込んだ。乱馬の正体を知らない彼女にとって、そこに居た男乱馬は侵入者以外の何者でもなく。
「い…いやあああっ!」
 当然のことながら、彼女の叫び声が浴室から館中に響き渡る。

「わたっ!やべっ!」
 そう察した乱馬は、ガタオル代わりに持っていた布を思い切り、女官の顔目がけて投げつけた。その布は女官の顔へと張り付く。その一瞬の刹那、用心に置いていた水桶を頭からひっかぶった。
 ジーンと、水の冷たさが全身に滲みわたる。と同時に、身体はみるみる女体へ変化する。

 女官の悲鳴を聞きつけた館の者たちが、バタバタと湯殿へと集まってくる。

 ガラガラッと扉を開けて、悲鳴を上げた女官と間一髪女に変化した乱馬を見比べ、何事かと覗き込む。
 もうもうと上がる湯気の中から、乱馬は女体をむき出しに立ち上がり、慌てて、浴室から外へ飛び出た。湯気にあてられて、再び男に変化したら、それこそ一大事だからだ。

「あは…。何か、この子、あたしの裸見て、卒倒しちゃったんです。きゃはっ!」
 そう言いながら、乱馬はおどけて見せる。
「お…男…男が…男…。」
 アワを食ったように、女官は辺りを見回す。が、目の前には裸体の女乱馬。男の姿は消え失せていた。
「男なんて、どこにもいませんことよ。もう、何寝とぼけていらっしゃるのかしらねえ…。きゃはっ!」
 乱馬はわざと女言葉を使いながら、女官へと声をかけた。
「あ…れ?先ほど、湯殿の中に居た男は?どこへ消え失せました?」
 きょろきょろと女官は、男乱馬の姿を探しまわる。
「だからあ、最初っから浴室に男なんて居ませんってばあ!居たのは私だけですわよ。もう、寝ボケないでくださいね!」
 と、乱馬は芝居を打つ。

「見間違ったのではないですか?」
 桂は目くばせしながら、女官へと声をかけた。
「でも…。」
「でも…も何も、乱馬様しかいらっしゃいませんよ。ほれ、乱馬様はこのとおり、女ですし…。人騒がせも大概にしてくださいね。」
 まだ、激しくクレッションマークを点灯させている女官は、桂に促されて、湯殿を出て行った。

「たく…。何やってんのよっ!バレたら、どーすんのよっ!」
 飛び出してきたあかねが、乱馬へと話しかける。
「うるせーよ!まさか、人が来るなんて、思わなかったんでいっ!仕方ねーだろ?」
 乱馬は真っ赤な顔をあかねに手向けながら、文句を言った。
「ほんと、気を付けてよね!」
「わかったから、とっとと出てけっ!それとも何か?俺の入浴姿、見たいのか?」
 そう言いながら、湯船へと足をかけた。
「言われなくても出ていきますっ!あんたの裸体なんか、見たかないわっ!」
 そう言うと、御簾を上げて、さっさと湯殿から出ていくあかねであった。


「たく…男子禁制の宮って、んとに、面倒臭えっ!」
 サウナから上がると、再び、水を頭から引きかぶり、女へと変身を遂げる。
 男乱馬に戻ると、あかねと共に要られなくなる。こんな古代へ放り出されて、あかねと離されるのは、まっぴらごめんだった。
「はあ…。現代へ戻るより先に、男に戻りてーぜ、ったく!」
 乱馬は、溜め息と共に、小声で吐きだした。



「なんで、着物を着たまま入らなかったのよ?」
 なびきが呆れ顔で、乱馬を見やった。
「風呂って、裸で入るもんじゃないのかよ?」
 なびきの言葉に、乱馬が首を傾げながら返した。
「これだから…。ちゃんと、湯船の前に着物が置いてあったでしょうが…。」
 なびきが言った。
「ってことは、おめーらは着物を着て入ったのか?」
「ちゃんと着物を着て入ったわよ。お姉ちゃんがそうしろって言ったから。」
 とあかねが答えた。
「高貴なお方は、江戸期や明治期でも確か、衣服をお召しになったまま、風呂へ入っていたしね。桂さんに尋ねたら、当然だって言われたから。」
 くすくすとなびきが笑った。案外、このなびきは、乱馬が騒動を起こすことを見越して、わざと云わなかったのではないかと、思われる節がある。
「浴室(からふろ)は普通、衣服を着たまま入りますよ。浴室だけではなく、水浴びも着物を着たまま入るのがあたりまえなんですけど…。乱馬さんにも、ちゃんと湯あみ用の着物を置いてあったんですけどねえ…。」
 苦笑いしながら、桂が言った。
「てっきり、これって、湯上り用の着物だって思ってたぜ…。」
 乱馬は着込んだ着物を見ながら言った。
「ふーん…。 奈良時代っつーのは、裸の付き合いってのは、無い世の中なのか。温泉はあるんだろ?」
「ええ、湯の出る水もありますが、ここから近くは吉野辺りまで行かなければ、湧き湯はありませんわ。」
「確かに、奈良盆地には天然温泉は無いに等しいわね…。」
 なびきが頷いた。
「それは湯あみの着物ですから、こちらに召し換えてくださいな。」
 そう言いながら、桂は手にしてきた衣服を、乱馬の前に差し出した。

 いつも同じ服を着ているわけにもいかないからと、この時代の服を、桂は用意してくれていた。着物に似た白い装束だった。

「桂さん、ひとつ我儘を聞いてほしいんだけど…。」
 その衣装を見ながら、乱馬が言った。
「何です?我儘とは?」
「あのさあ、俺、どうも、女みたいな服装は苦手でさあ…その、桂さんみたいな、男のような服があったら、そっちを着たいんだけど…。」
 あかねとなびきが着ている女っぽいヒラヒラした着物は、できるだけ着たくないと思ったのだ。
「そう言えば、桂さんって、他の女官さんたちと違って、男のような服を着てますよね…。何か理由でもあるんですか?」
 あかねが問いかけた。
「ええ…。私は現在、この男子禁制の宮中にあって、媛様たちをお守りする兵士の役目を申し付かっておりますから…。これでも、剣や槍、弓矢は男たちに引けを取りませんよ。
 とりあえず、私の着物をお貸ししますね。」

 桂は快く、筒状のズボンのような衣服と取り変えてくれた。

「やっぱこっちの方が動きやすくて良いや。」
 乱馬は着替えながら、言った。

「乱馬様も武道をなさっているんでしたっけね。」
 と桂が言った。

「この宮の中には、本当に、一人も男が居ないんだな。」
 筒ズボンをはきながら、乱馬が言った。
「宮の周りには、たくさんの男兵士を巡らせて警戒はしていますよ。」
「でも。宮の中には居ないんだろ?何でまた、男を入れないんだ?」
 その問いかけに、答えるかどうか迷ったのか、桂は一呼吸置いてから、ぽつりと言った。
「男を入れないのは、呪詛(じゅそ)除けのためです。」
「じゅそぉ?」
「呪いのことよ。」
 なびきが間髪入れずに解説を挟んだ。
「呪いで男子禁制ってーのは、一体、どういう了見なんだ?」
「すいません、今は、これ以上、私の口からはお話しできません。」
 桂がきっぱりと告げた。
「だああ…。何か、気になるじゃねーか。呪いと男子禁制の関係…。」
「仕方ないんじゃないの?桂さんの口からは言えない訳があるんじゃない?」
「後は妄想で補うしかないわね。」
「も、妄想するの…?お姉ちゃん……。」
「想像の間違いなんじゃねーの?」
 
「どうしてもお知りになりたくば、この宮を仕切っていらっしゃる麻呂様に直接お伺いください。」
 桂は懇願の表情を浮かべた。どうやら、臣下の桂には喋って良い権限がないらしい。麻呂なら、話せるようだ。
「あのスケベ爺さんに訊けってか?」
「麻呂様に伺えば、ちゃんとお話してくださると思いますわ。…。それから、もう一つ、皆さんに申しておきたいことがあります。」
 そう言いながら、桂は少し離れた場所にある、高床造りの立派な木造建築を指さした。
「何か、趣がある建物ねー。高床式とか言うんだっけ…。」
 あかねが言った。
「あの注連縄より奥へは決してお入りになりませんように…。」
 注意して、高床式の木造建築物の周りを見ると、注連縄で囲ってあるのが見えた。
「ホントだ、あれ…注連縄(しめなわ)…よね。」
「ああ…注連縄(しめなわ)だな…。」
 乱馬も頷く。
「注連縄は、場所と場所を隔てる結界なんです。ちょっと事情があって、あちらには誰も渡ることができないんです。何があっても結界を越えてはなりませんよ、命が惜しくば…。」
 桂が脅しかけるように付け加えた。
「命が惜しくば?」
 乱馬が問い返す。
「ええ、あれを越えることは、首様と稚媛様以外、許されてはおりませぬゆえ。」
 と桂が念を押すように言った。
「何か、そんなこと言われたら、入ってみたくなるじゃねーか…。」
 乱馬は軽く言った。
 ブンブンと桂は首を横に振った。
「そんな、滅相もない!駄目ですってば…。下手に足を踏み入れると、本当に、死にますよ!」
 桂は、チョンと首を切る真似ごとをした。



十三、招かれざる客

 夕方近くになって、宮ではちょっとした騒動が持ち上がった。
 
 乱馬たちが着替え終って、一服ついていると、俄かに邸内がざわつき始めた。
 門戸付近で何やら押し問答が始まっているようだった。
 バタバタと足音がして、皆、門戸の方へと走り急ぐ。

「何だ?何があったんだ?」
 廊下を走って来た侍女をひっ捕まえて、問いかけてみると、
「宮へ入れろと尋ねて来られた武人が門戸で騒いでおられるのです。」
 と答えが返ってきた。
「武人が騒ぐ?」
 興味がわいた乱馬は、あかねともども侍女たちに混じって、門戸まで出てみた。

 確かに、門戸の前では、年齢不詳の優男風の若者が一人、今にも飛びかからん勢いで、中へ入れろと騒いでいる。
 甲冑に身を固め、ご丁寧に古代的な兜まで頭に乗せている。今にも戦さにでも出ようかという雰囲気を漂わせた武人であった。その男を中へ入れまいと、必死で侍女たちが抵抗していた。
 ここは男子禁制の宮だ。当然だろう。

「これこれ、何をそんなに騒いでおるのじゃ?」
 邸内の騒がしさに気付いた麻呂爺さんが奥から出て来た。と、取次に出ていた女官たちはホッとした表情を浮かべながら、矢継ぎ早に騒動の発端を口にし始めた。

「麻呂様。この者が屋敷へ入れろときかないものですから…。」
「ここは男は立ち入りできないと言ってきかせても、一向に応じないのです。」
「この宮の関係者だからとずっとごり押しされ続けていて…。」 
 宮の門前で女官たちは口々に、困惑気に、馬で乗り付けた男性を指さしながら言った。

「お若いの…。この屋敷には男は入れぬのじゃ。諦めて帰られよ。何なら力づくで追い払おうかの?」
 爺さんは、青年を伺いながら見上げながらそう言った。穏やかな口調だが、決して、油断はしていなかった。どこか冷たい闘気を身にまとわせながら、青年に言葉をかけた。

「そんな、連れない…。とても、麻呂様のお言葉とは思えませぬが…。」
 いかつい甲冑姿とは裏腹な、細い高音の男声で返答が返ってきた。

「その声…。」
 爺さんの表情が、変わった。どうやら、知人らしい。
「知ってるのか?」
 乱馬がこそっと耳打ちすると、爺さんは頷く。
「文忌寸円(ふみのいみきのつぶら)じゃよ。」
「ふみのいみきのつぶら?…また、舌をかみそうな名前だな…。」
 苦笑いする乱馬を真正面に見ながら、青年は兜を剥ぎ取った。そこに現れたのは、痩せ形の年齢不詳の優男。若いのかそれ相応の年なのか。見た限りでは不明だ。いや、どちらかといえば、中性的でもある。

「陰陽寮の高官じゃよ。」
「陰陽寮?」
「この近くには、陰陽寮があったからな…。円は陰陽術寮の術師の一人なんじゃよ。しかも、凄腕のな。」
 麻呂爺さんは言った。

「全く、誰も、私の事を知らないのね…。ほんと、嫌になっちゃうわ。だから、飛鳥に残ってる田舎女官は嫌いなのよ!」
 兜を取りながら、にんまりと笑った。アルカイックスマイルとでも言うのだろうか。口元は笑っているが、目元は鋭い。

「うげ…。何か、カマっぽい野郎だな…。」
 思わず乱馬が唸ったほどだ。
 あまり彼の周りには居ないタイプの青年だった。
 女装の達人の紅つばさや小夏とは、別のタイプの中性的な男性であった。

「もう、ここを嗅ぎつけて来よったのか…。」
 爺さんは苦笑いを浮かべた。どうやら、この青年が現れることを予期していたかのような口ぶりだった。
「ええ、それは…まあ。」
 青年はそれを受けて、ニッと笑った。
「私が、尊皇(すめらみこと=天皇のこと)様の行幸に駆り出されたのを良いことに、平城宮を出立なさったのでしょうけれど…。私を出し抜こうなど、無駄なことですわ、麻呂様。」
 クスッと円は笑った。が、瞳は笑っていなかった。怒っているような、すねているような。不穏な輝きに満ちていた。
「で?円よ。まさか、お主、任務を途中で放り投げて、ここまで来たのではあるまいな?」
「あら、ちゃんと、尊皇様を行幸先まで送り届けてきましたわよ。で、お役御免で、ここまで参上しましたの。
 ああ、そうそう、ちゃんと、首様を守る役目も尊皇様にも申し使ってますわよ。つまり、私がここへ参上したのは、尊皇様じきじきの命ですの。そこのところ、よろしくね。麻呂様。」
 円は得意げに言った。

「麻呂様、どうなさるのです?」
「この男を館に招き入れるつもりですか?」
「尊皇様のご命令なら、男でも入れるのですか?」
 女たちは、口々に、怪訝な顔をしながら、麻呂へと問いかけた。
「そうか、皆は、奴を知らんのだな。…ああ、招き入れるしかなかろうな…。尊皇様の命令じゃったら、断れぬしな…。それに、否を唱えても、奴は入ってくるじゃろうて…のう、円。」
 諦め顔で円に向かって、麻呂が問いかけると、コクンと頷いて答えた。
「ええ、そのつもりですわ。私を受け入れないということは、尊皇様に対する反逆になりますわよ、皆さん。」
 円は不気味に笑った。
「仕方ないな…。その…誰か、円の馬を馬小屋へ引いていけっ!門戸にずっと繋ぎっぱなしという訳にもいかんからな。」
 麻呂は女官たちに叫んだ。
「本当に良いのですか?麻呂様…。男を宮へ招き入れても…。」
「なあに、何も問題ないよ。奴は男ではないからな。」
 と麻呂は女官たちを前に言った。
「男ではない?」
「言っておられる意味が良く飲み込めませぬが…。」
 女官たちはますますわからないという顔を、一斉に麻呂へと手向けた。

「麻呂様の許可も得ましたし…それじゃあ、遠慮なく、入りますわよ。」
 円は武装を解くと、すいっと邸内へと入り込んだ。
 宮の建物の中へ入るなり、桂といきなり鉢合わせた。
「あーら、円様。お久しぶりでございますわね。」
 桂郎女は円を見つけて、にこやかに頭を下げて、挨拶した。
「あら、桂郎女。ごきげんよう!」
 互いに言葉まで交わしている。どうやら、桂は円を知っているようだった。

「爺さん、あの円とかいう野郎、ちゃっちゃと上がりこんで来たけど…。良いのか?この宮って、男子禁制なんだろ?」
 と乱馬は怪訝な顔をしながら、麻呂爺さんへと問いかけた。
「まあ、円に限っては、問題なかろう。あやつ、見てくれは男じゃがな…。その実、男ではないんじゃ。」
「あん?男じゃねえ?」
 爺さんの言葉に、乱馬は疑問を投げつけた。
「円は男であることを辞めてしまったからのう…。」
「どういう意味だ?」
 良く意味が飲み込めず、首を傾げる乱馬に、爺さんが追い打ちの言葉をかけた。
「その…あれじゃ。円は宦官(かんがん)なんじゃよ。」
「かんがん?」
 その言葉に、耳をピクンとさせた円が、そそくさと乱馬に向かって言い放った。

「まーた、その話ですか?そうです。私は宦官です。男を失ってかれこれ数年ですわ…。悪いですか?」
 
「おい…その宦官ってのは何だ?」
 言葉の意味がわからずに、問いただす乱馬にどこから湧きだしたか、なびきが切り返した。
「宦官というのは、玉を取った男性のことよ、乱馬君。」
「玉を取っただってえ?…もしかして…。オカマか?」
「気持ち的にどうかは知らないけど…。肉体的にはオカマよ、オカマ…。」
「肉体的にはオカマねえ…。」
「あんたと同類じゃん。」
 あかねが後ろからぼそっと言った。
「同類とは聞き捨てならねーな!俺はオカマじゃねーっつーの!」
 もちろん、乱馬は反論を試みる。

 その会話を傍で聞いていた円の瞳が、パアーッと見開かれた。そして、乱馬の手を取った。
「もしかして…そこの変わった結い髪をなさっているあなた…。あなたも宦官なのですか?道理で…あなたの周りから、芳しい同類の匂いがしますわ。」
「ちょっと、待てっ!俺は…。」
 ハッとして周りを見ると、物珍しそうに、宮内の女官たちが、円と乱馬を見比べていた。

「乱馬さんも宦官だったのですか?だから、男服にこだわりを持ってらしたんですか?」
 桂が、興味深い顔を乱馬に手差し向けた。
 風呂上りに、わざわざ筒状のズボンを要求されたことを、思い出したのだろう。


「ちょっと待ていっ!違う!俺は宦官じゃねーっつのっ!」
 焦った乱馬に、円はにじり寄って来た。
「そうですか!あなたも宦官仲間なのですね…。」
「は?違う!違う!俺はタマなんて取ってねーぞ。」
 何を言うかと言わんばかりに、乱馬は、目を吊り上げて、円に対した。
「別に隠さなくても大丈夫ですよ!あなたの身体からは、タマが取れた香りが漂ってきますわ。ねえ、同類のよしみ、仲良くしましょうよ!」
「だからー同類じゃねーっつーのっ!」
 プルルンと乳が揺れる乱馬の胸元。それを見ながら、円が少しばかり、うるうる眼をした。
「あなたは異世界からの客人だとお伺いしましたが…。凄いですねー。あなたがたの世界では宦官になると胸まで育てられるんですか?」
 とんでもない質問を投げかけてくる始末。その質問に、麻呂爺さんが反応した。
「ほう…。この子たちが、異世界から迷い込んで来られたと、何故、お主が知っておる?」
 鋭い瞳で、円を見上げた。
「あら…。麻呂様の言葉とは思えませぬねえ…。私も術師の一人ですわよ。占いの一つくらいできますわ。だから、こうして、わざわざ、飛鳥まで出向いてきたんじゃありませんか。」
「ほう…占いをねえ…。ワシは首様のことが気になって、追いかけてきたのかと思ったが…。」
「うふふ、もちろん、それもありますわ。そろそろ、刺激が欲しいと思っておりましたところですの…。でも、ある意味、ついていましたわ。こんな、可愛らしい御方とお知り合いになれたんですもの。」
 と、乱馬の方へ、色目を流す始末。
「だから、おめーとは同類じゃねーっつーのっ!」
「ねえ、あなた。その胸をどうやって育てたか、教えてくださいません?男から転換しても、胸は育てられるんですねえ…。」
「バカッ!胸まで育てるかーっ!俺は変態じゃねーっつのっ!この胸は育てた訳でも作った訳でもねーっ!」
「胸を育てられる咒法が発達した世界にお暮らしですか?」
「そんな咒法があったら、あかねの貧乳に施しとるわいっ!」
「ほお…こちらの女性は、確かに、乳が平ですわね…。みすぼらしい乳ですこと…。」
 と気の毒げに、円はあかねをちら見した。
「何ですってえ?」
 
 わいのわいのと賑やかな宮の中。

「たく…。円の奴め…。どこでどう客人たちのことをつかんだかは知らぬが…。あやつが動き出したということは…。ちと、厄介かもしれぬな…。」
 麻呂爺さんは、円と乱馬たちのやり取りを横目で流しながら、ふうっと溜め息を吐いた。

 この得体の知れぬ、文忌寸円。
 ちゃっかりと宮の中へと上がり込んでしまったのであった。



十四、危険な夜


「あの…。桂さん。」
 夕餉が終わり、寝る頃合いになって、なびきが、桂へと話しかけた。
「何です?」
「悪いんですけど…。さっきから、ぞくぞくしてきてて…。」
 天道三姉妹、至って健康体で、かすみさんが時々風邪をひく以外は、あかねもなびきもあまり調子が悪いところを見せたことがない。

 慣れない世界で、急に疲れが出たのだろうか。それとも、緊張の連続に身体が悲鳴をあげたのだろうか。
 なびきの申し出に、桂が言った。
「あら、それは大変。病魔除けの咒法を施しましょうか?」
「病魔除は遠慮するわ…。…それより、風邪だったら他の人にうつすかもしれないから、別室で休ませてもらいたいんだけど…。」
「煎じ薬、お持ちしましょうか?ヤモリとか芋虫とか蛇とかを焼いてすり合わせたお薬…。」
「いえ…そういうの、飲むだけでもっと具合が悪くなりそうだからいらないわ…。」
 なびきが勘弁してくれという顔を手向けた。

「珍しいな…。なびきが体調を崩すなんてよー。」
 と乱馬が問いかけると、なびきが答えた。
「あたしだって、体調を崩す時くらい、あるわよ。格闘馬鹿の乱馬君やあかねと違って、あたしは普通の体力しか持ち合わせてないんだから…。」
「お姉ちゃん、あたしと乱馬を同一視しないでよね!」
 あかねが睨みつける。


「では、なびきさんには、別のお部屋をご用意しましょう。ごゆっくりお休みくださいな。」
 と桂が言った。
「お願いします…。ごめんねー、乱馬君、あかね。」
 そう言いながら、なびきは別室へと消えた。



「で?今夜はこの部屋に、俺とおまえだけ…ってか?」
 ボソッと乱馬が言った。
 
 なびきが居なくなるということは、自動的に、乱馬とあかね、二人きり…ということになる。
 別室を用意してもらおうとも思ったが、古代社会という訳のわからない世界に身を置く身の上。真っ暗な夜に、別室で離れて休むのも、正直、不安であったので、乱馬もあかねも言い出せなかったのだ。

 そんな二人を知ってか知らずか、
「今夜は冷えますから、くっついて眠られた方がよろしいですよ。」
 と、そんな言葉をかけながら、他の侍女が夜具の準備をする。
 夜具もぴったりとくっつけられた。


「まさかと思うけど…お姉ちゃん…。」
 あかねが真っ先に、口にした。
「確かに…あいつなら、変な気を回しかねねーが…。」
 乱馬もあかねも、互いの顔を突き合わせた。
 乱馬とあかねをふたりきりにするために、わざと、体調を崩したと言いだしたのではないか…。
 くっつけられた夜具を見ると、そんな猜疑心が二人を襲う。

「わかってると思うけど…。」
 並べて用意されたねぐらを見ながら、あかねが乱馬へと言葉を傾ける。
「わかってらー!誰がおめーみたいな、色気の無え女に…手なんか出すかっつーのっ!」
 と乱馬は乱暴な言葉を投げつけた。
「そうね…。この宮は幸い、男子禁制だし…。変身を解くわけにはいかないものね。」
 あかねも強がって見せた。
「たく…なびきの奴め!明日起きたら、とっちめてやる!」
 そう言いながら、乱馬はごろんと横になった。

 昨夜は本当に疲れ切っていたので、横になると、ストンと眠りに落ちれたが、今夜は眠気がなかなか下りて来ない。
 もっとも、まだ、日暮れて、そう時間が経っていないから仕方がない。現代時間にしてみると、八時前だろう。八時に寝てしまう高校生など、現代社会には居まい。
 この時代の人々は、朝日の登る少し前から活動して、日が落ちて暫くしてから寝床へ入る、そんな生活だったろうから、現代人とは生活時間帯もずれていて当然だろう。まだ、来たばかりで乱馬もあかねも己の体内時計がこの時代に慣れていないようだった。二人とも宵っぱりではなかったが、それでも、八時前に就寝するほど、お子様ではない。
 が、テレビや雑誌など、手軽な娯楽も何もない、古代社会。
 宮の中も静けさに包まれていて、ドンチャン騒ぎをやる訳にもいかない。となると、横になって寝るしか、他にやることがないのだ。
 世話係の女官も部屋を出て行ってしまうと、あかねも仕方なく、乱馬と並んで敷物の上に横たわる。
 外の雨は上がったが、何となく昨夜より肌寒い。

「寒くねーか?」
 と乱馬はあかねを見やる。
「ちょっと寒い…かな。」
 心細い返事が返ってくる。
「だな…。少し冷えるもんな…。」
 だからといって、身体をすぐさまくっつけるほど、長けてはいない。第一、あかねにくっつけば、鉄拳が繰り出されるのは、目に見えている。
「あのよー…。」
 戸惑い気味に声をかけてみた。
「このまま、寒さに震えて、お互い…風邪ひくのも何だし…その…。」
 と、歯切れが悪い。。
「いいわ。このまま風邪ひいたら、本当に洒落にならないものね…。」
 あかねの方から、ごそごそと薄い上掛けと一緒に、乱馬の方へと身を寄せた。

 ドクン…。

 あかねの柔らかな肌が自分の肌に触れ、乱馬の心臓が高鳴った。

 女の体に変化していても、元は、健康な男子だ。反応しない筈がない。
 
(はああ…。これが男の体なら…。)
 乱馬は乱馬で、あかねが聞いたら殴られそうなことを心に思った。


「ねえ…。乱馬。」
「…何だよ…。」
 と少し不機嫌に、返事をするのも、照れ隠しの一環だろう。
「…夜って、こんなに暗くて心細いのね…。」
 あかねは隣りの乱馬へと話しかけた。
「文明社会に慣れ親しんだ俺たちに、夜の暗闇は無縁だしな…。」
 乱馬は天井を見上げながら、あかねの問いかけに答えた。

 当然、古代社会には灯火は希少だ。あかねたちの部屋の外に、こうこうと松明が焚かれている。その橙色の炎がチラチラとガラスの代わりの大きな布越しに見え隠れする。
 部屋の中には、蜀台すら無い。ロウソク自体、未発達の文化レベルなのだろうか。それとも、高価過ぎて配置されていないだけだろうか。
 それでも、まだ、光源があるだけまし、というものだろう。
 山修行に慣れている乱馬にはともかく、蛍光灯に慣れ親しんでいるあかねにとっては、心細い明りにしか思えなかった。
 さっき、外を覗いてみたが、月明かりも無い。星の瞬きも無かったということは、春霞に曇っているのだろう。
 夜の四十万(しじま)が、延々と広がっているだけの闇夜だった。しかも、何らかの訳ありで、男を排除して、おまけに、呪詛除けの結界を張り巡らしてあるという。そのせいか、得も言えぬ緊張感が、館を支配しているのだ。

「静かだな…。」
「街の喧噪なんか無いもんね…。車やオートバイだって通らないし…。」
 ここまで静かだと、大都会東京の喧騒が懐かしい。
「…微(かす)かだが、遠くで犬の遠吠えも聞こえて来るぜ。」
 静けさの中に耳を澄ますと、オオンという獣の遠吠えが聞こえてくる。
「狼の遠吠えかもしれないわね…。」

 聞こえてくる獣の遠吠えに湧きあがる不安をじっと堪えて、女に変化したままの乱馬に身体を預けて横になった。

「ねえ、あたしたち…一体、どうなるんだろう…。」
 不安げな問いかけがあかねの口を吐いて出た。
 乱馬はじっと天井を見たまま答える。
「しっかりしろよ…希望を失ったら、終わりだぜ。あかね。」
 と強めに言った。
「クヨクヨしてたって始まらねーしよ…。絶対帰ってやるって信念が無けりゃ、武道家としても失格だぜ。」
 乱馬はそう言い切った。
 元の世界に帰る術(すべ)は、全く不明だ。もし、帰れなければ、この世界へ留まる覚悟が、それなりに必要になってくるだろう。
「あんたは良いわねー。前向きで…。」
 あかねがボソッと吐き出した。
「別に好きで前向きになったわけじゃねーぞ。女溺泉で溺れてからは、物事をマイナス方向へ考えるのはすっぱりと辞めたんだ。」
「どーして?」
「だってよー、くよくよ考えたところで、何の解決にもなんねーし、マイナス思考が鬱積したら気が滅入っていく一方だからな…。俺だってこの身体になって、相当、滅入ったんだぜ、最初は…。」
「そうなの?」
「当り前だ。でも…。」
 乱馬は天井を睨んだまま、おもむろに答えた。
「完全な男に戻れる日が必ず来るって楽観的に考えることにしたんだ…じゃなきゃ…女の体と付き合えねーし…。…帰れないなんて思ったら負けだぜ…。その時点で帰るのを諦めたことになる。」
「乱馬…。」
「呪泉郷で溺れて…女の身体を半分ひきずってる俺だが…、男に戻れる日が必ず来ると信じてるんだ。そう…男に戻れなかったらどうしよう…って思った時点で、戻るのを諦めるのと同じなんだ…。俺にとってはな…。」
 あかねは黙って乱馬の言葉に耳を傾けた。

 乱馬は強いとあかねは思った。
 水と湯で変身を余儀なくされる落ち着かぬ体を持つことは、並大抵のストレスではないだろう。己が変身体質になって、ここまでポジティブでいられるかどうか、自信は無かった。
 乱馬の強さの根本を垣間見たような気がした。

「だから、弱音を吐くな…。絶対戻ってやるって、胸張ってれば良いんだよ。チャンスは必ず巡ってくる。そう信じてりゃ、何とかなるさ…。」
 乱馬は最後に、吐き出すように言った。
「幸い、二人一緒だしな…。」
 夜の闇が深々と降りてくる。
 こんなところで女のままあかねを口説く気ではなかったが、少しだけ己の本音が零れた。

「そうよね…。二人一緒なんだよね…。」
 確認するように声が漏れてきた。
 返答の代わりに、そっとあかねの手を握りしめる。
 その手をぎゅっと握り返す。

 二人一緒…。その言葉が嬉しかった。


「ねえ…今夜はずっと、手を握っていて良い?」
 はにかみながら問いかけてくる。
「別に良いけど…。」
 戸惑いながらも、乱馬は己の手をあかねに差し出した。それを柔らかいあかねの指がぎゅっと握りしめてくる。
「古代世界の迷子よね、あたしたち…。」
「良牙じゃあるめーし…。」
 少しだけ笑みがこぼれた。


 深い夜が降りてくる。
 暖房器具もなく、スースーと風の通りも良い部屋だ。
 当然の如く、夜半に小水を催した。

「乱馬…。」
 ゆさゆさと彼の身体を揺り動かす。
「ねえ、乱馬ったらっ!」

「あうう?」
 寝とぼけた顔を手向けながら、むっくりと乱馬があかねへと視線を投げかけた。
 と、傍で、手を合わせているあかねと視線があった。
「な…何やってんだ?おまえ…。」
 不思議そうに瞳を巡らせると、
「あたし…おトイレに行きたくなっちゃったんだけど…。」
「じゃ、行けば良いじゃんっ!」
 眠さも手伝って、素っ気なく返答を返すと、再び目を閉じる。
 ぞんざいな乱馬の態度にムッときたあかねが、バシンと一発、乱馬の脳天を殴りつけた。
「だからー、付いて来てって言ってるんじゃないのっ!」

「痛ってーっ!もうちょっと、かわいげのあるお願いの仕方、あるだろーがっ!可愛くねーなっ!」
 眠たい所を起こされた乱馬は、不機嫌な瞳を投げつける。
「わ、悪かったわね…。可愛げが無くって!」
「便所くらい、一人で行けないのかよー?」
 ギロリと瞳を巡らせると、
「だって…。暗くて、怖いんだもの…。トイレも、ほら、あれでしょ?」
 と再び、懇願の瞳になる。
「あ…。そーか…。」

 そうだった。当然の如く、現代人が使用しているスタイルの便所ではない。水洗トイレだが、別の意味の水洗だった。小さな川を引き込んだような用水路にまたがって、用を足すスタイル。屋根はついていたが、紙もなければ、支えも無い土の上。
 おまけに、電灯などという気の利いたものもある訳ではない。外にはかがり火があるが、トイレ付近はやたらに暗かった。あかねが不安がるのも仕方がない。

「わかったよ、付き合ってやるよ。」
 ふううっと長くため息を吐き出すと、あかねの手を引いて、部屋の外へと出た。
 辺りは静けさに包まれている。この館の人々も、眠りの中に居るのだろう。長々と聞こえていた、狼の遠吠えも、複数の人々の呻き声も、今は静かになっていた。それがかえって不気味に思えた。
 手探りで靴を探し出し、それをはいて土へと降りる。ジャリッと玉石の音が冷たく響いた。
 吐息は白くはなかったが、それでも、ひんやりとした空気が頬を撫でた。いつの間にか雨は止み、空にいびつな丸さの月がぼんやりと浮かんでいた。朧月だ。
 薄雲が流れているようで、星は無い。
「ちゃんと、ここで待っててよっ!」
 あかねは念を押して、厠用の小屋へと入って行く。
「ああ、とっとと行ってこいっ!」
 物影にたたずみながら、あかねを待つ。

「朧月かあ…。」
 月を眺めながら、目を高みに投じると、そこに、彼を見出した。
 厠の少し先、竹が塀を作るように編まれて突き上げられた柵のすぐ向こう側にそびえ立つ木の上から、乱馬を見下ろしているように見えた。
 
「あいつは…!」

 暗闇に白く顔が浮かび上がる。
 薄茶色の狩衣を着こんでいるその姿。見覚えのある男が、怪しげに、辺りをうろついているのが目に入ったのだ。
 
「あれは…、確か、円(つぶら)とか言う奴だったよな…。こんな時間に、何してやがんだ?」
 
 円は己を見つめる、乱馬の視線に、すぐさま気付いたようだった。

「これはこれは…。乱馬殿。」
 と親しげに話しかけてきた。
「何やってんだ?こんなところで。」
 乱馬が問いただすと、円はふっと微笑みながら言った。
「ちょっと、お散歩ですわ。」
「散歩だあ?こんな時間にか?」
 思わず、声のトーンが上がる乱馬に、円は慌てて告げた。
「いけませんよ。大声は。皆様、ぐっすりと御休みになられている刻ですよ。」
「だよな…皆眠っているこんな深夜に…何やってんだよ…。」
 いぶかりながら、乱馬が円に問いかけると、ふわっと円の身体が乱馬の方向へと傾いた。
 
「乱馬殿もこんなところで、何をしておいでです?もしや、この私の気配を感じ取って、出て来られましたか?」
 すいっと円の腕が伸びて来た。
「な…何しやがる。」
 本能的に、乱馬は横へと飛びのいた。ゾワッと身の毛が総立ちになった。
 円は遠慮することなく、さらに、乱馬へとぐっと身体を延ばしてくる。

「そんな、嫌がることはないでしょう?」
 グイッと円の右手が乱馬の左手をつかみ取った。
「どうです?今宵は冷えます。共に、肌と肌を合わせて、柔らかな眠りに就きませぬか?」

「じ、冗談はやめろっ!俺にはそんな趣味はねーっ!」
 全身全霊の力を使って、乱馬は円の手を己から振り払った。
 ゾクゾクッと鳥肌が身体中を這い上って来る。九能に言い寄られるのと同じような感覚が、全身を突き抜けた。

「あら…冗談など申していませんわよ…。」
 円は真正面から乱馬を見つめた。

「いい加減にしねーと、ぶっ飛ばすぜ!」
 乱馬は粋がって見せた。このままでは己の貞操が危険だ。

「乱暴な娘(こ)ですねえ…。まあ、良いですわ…。」
 円はニヤッと笑った。その笑い方に、不穏な不気味さを感じた乱馬は、思わず、数歩、後ろへとのけぞったくらいだ。
「今宵はこのくらいにしてあげますわ。でも、その気になったら、いつでもいらっしゃい。あなたを愛撫して、蕩けるほどに可愛がってさしあげますことよ。」
 そう乱馬に言い置くと、円はくるりと身を翻し、向こう側へと行ってしまった。

「な…何なんだ?あいつは…。」
 その後ろ姿を見送りながら、乱馬は、ホッと溜め息を吐きだした。

 と、背後で別の人の気配がすっくと立ち上がった。
「ちょっと!ちゃんと待っててくれるって約束したじゃないのぉ!」
 振りかえると、怒った瞳とぶつかった。
「あ…あかね。」
 不意をつかれた脳天を押さえながら、振り向くと、あかねが睨みつけていた。
 もしかして、さっきの、円とのやり取りの一部始終をあかねに見られたのではないかと、心臓がバクバクと波打ち始めた。やきもち焼きのあかねのことだ。男に逢引されそうになったのを見られていたら、ひとたまりもあるまい。
 だが、あかねは、円とのやり取りには、一言も触れなかった。

「もー、あんた、トイレから出ても居ないから、びっくりしたじゃないの!」
 半分、怒って半分ベソをかいているような感じが暗がりから伝わってくる。
「ご…ごめん。」
 そう言いながら、頭を下げた。
「何やってんのよ!こんなところで。」
 と小言を言う。
「いや…何…その…。月がきれいだったから、つい、ふらふらと…。」
 とお茶を濁す言葉を言った。円に言い寄られたとは、あかねに言えないと思ったのだ。男のプライドが傷つくし、あかねにあらぬ誤解を与えたくもなかった。
「あの月のどこがきれいなの?」
 ぼんやりともやがかってみえる月を指さしながら、あかねがふくれっ面を乱馬に手向ける。
「あれえ?そんなにきれいじゃねーか…。」
 たははと笑って誤魔化す。
「もう…。寝とぼけてたんじゃないの?」
 あかねが乱馬をジロリと見た。
「うるせー!それより…。おまえこそ…。終わったのかよ?」
「うん…スッキリしたわ。これで朝までぐっすりよ。」
「ぐっすり…っつーか、目が冴えちまったぜ、俺は…。」
「まだ、夜明けまで時間があるから、横になりましょうよ。」
 そう言って、あかねは乱馬の手を引いた。
「待て!」
 そう言って乱馬はあかねを留める。何と言わんばかりに乱馬を覗くと
「俺も用足ししてくるぜ…。何か、冷えちまった…。」
 ともぞもぞしている。
「ついて行ってあげようか?」
「アホかっ!用足しくらい、一人でできる!ここで待ってろ!勝手に帰るなよっ!」
 と厠へと飛び込んだ。本格的にもよおしてきたのだ。それに、円はあかねには手を出さないだろう。変な安心感があった。
 そそくさと厠の小屋へと小走りに入って行く。

「もう…。何なのよ…。一体。」
 ふううっと、溜息を吐きながら、空を眺める。月は傘をかぶっている。あかねは、ぼんやりと、光の輪を見つめた。
 と、ざわざわと風が鳴り渡る音が聞こえた。
「ちょっと、冷えてきたわね…。さすがに…。」

 風音に耳を澄ませながら、乱馬を待つこと数分。
 すっきりとした顔で、小屋から乱馬が出てきた。
「はああ…。やっぱ、女ってーのは、不便だよな…。」
 とあかねに言った。
「はあ?」
「だってよー、立ちションできねーじゃん。」
「あったりまえでしょうっ!」
「はあ…おめーも、トイレは面倒な用足し、してるんだよなー…。」
「何、言ってるのよっ!このスケベッ!」
 パシッと背中を一発、叩く。
「何しやがるーっ!正直に感想言っただけだろーがっ!可愛くねーっ!」
「可愛くなくって悪かったわねっ!」
 乱馬もあかねも怒鳴ちあった。
 いつでも、どこででも、この二人、喧嘩の種は尽きない。
 本格的にヒートアップしてきたところで、好奇心旺盛な瞳が、いくつもこちらを眺めているのが見えた。
 この館の侍女たちが、目をくりくりさせながら、覗きこんでいる。その中から、ツカツカと一人の女性が歩み寄って来た。マスクをかけたままのなびきだった。

「あのさー…。二人とも…この夜中に、庭先で言い争うの止めた方が良いわよ…。みんな迷惑してるわよ…ほら…。」

 なびきが指した先には、桂郎女をはじめとして、女官たちがずらっとこちらを覗きこんでいた。あからさまに迷惑そうな顔を二人に手向けてくる。

「とにかく…迷惑千万だから…二人とも、喧嘩なら日が昇ってからにした方が良いわよ…。」
 言うだけ言うと、なびきは、くるりと背を向けて、自室へと帰って行く。
 
「あ…ごめんなさい…。」
「ははは…。悪かった。」
 そう言いながら、乱馬とあかねはささっと自分たちの部屋へ入って言った。そして、速効、蒲団へと飛び込んだ。
 顔が真っ赤に熟れていたことは、言うまでもなく…。やっちゃったと言わんばかりに…。

「ね…寝るぜ!」
「わ…わかってるわよっ!」
 背中あわせになりつつも、互いのぬくもりを感じあっていた。冷えきった身体がだんだんにぬくもりを取り戻す。

 彼らが眠りに落ちた頃、一番鳥がけたたましく啼いた。また、古代の朝が巡り来て、一日が始まろうとしていた。



十五、魂依媛

「厠へ行って、喧嘩になったんですか?」
 呆れたと言わんばかりに、桂が朝餉の膳を片づけながら言った。

「だって、あんたがっ!」
「だって、おめーがっ!」
 互いに言葉を立て合って腕をまくしあげる。

「ほら…また。本当に仲が良いんですねー。もしかして、あかねさんは乱馬さんに気があるとか?」
 くすくす笑いながら桂が言った。
 昨日の円の変な誤解以来、どうも、桂の乱馬を見る目が、少し、おかしい。
 すっかり、乱馬も円と同類(=宦官)だと、信じ込んでしまった感じがある。

 と、そこへ、バタバタと音がして、人が表へと集まっていく。
「稚媛様のお帰りだわ。」
 桂はさっと立ちあがり、乱馬やあかねを促した。
「もしかして…出かけてたのか?」
 怪訝な顔をする乱馬とあかねに、早く早くとせき立てる。
 館中の従者たちが揃って、稚媛様の帰宅を出迎える。当たり前と言えば、当たり前の光景。稚媛様が乗った籠が館の前につけられると、籠を担ぐ男たち以外の男性は、さっと引き揚げる。これ以上、男子は出入りできないのだろう。
 籠を女性で担ぎあげるわけにもいかず、担ぎ手だけは数名そこへ残っている。その前を先導するように、麻呂爺さんが偉そうに歩いている。
「麻呂様はああやって露払いしながら、館まで籠を先導するのがお役目なんです…。」
 桂がこそっと耳打ちした。おそらく、結界を張っているのだろう。
 そして、籠が下ろされると、御簾を引き上げ、中から檜隈女王が出てきて、眠った稚媛を抱き上げたまま進入禁止の注連縄の結界の奥へと消えていった。あの、立派な高床式建物だ。
「あの高床式…。稚媛様だけが出入りできるんじゃなかったのか?」
 乱馬が尋ねると、
「基本はそうですが…。檜隈女王様もお入りになることができます。」
 桂は答えた。
「へえー。あの女も入れるのか。」
「はい。檜隈女王様も巫の力をお持ちの御方ですから。」
 と意外な言葉を投げかけた。
「巫の力ねえ…。おっかない巫女さんだな。」
「以前はあそこまできつい御方ではなかったのですが…。」
 桂は、かばうように吐き出した。
「女は何かのきっかけで変わるってか?大失恋でもしたかねえ…。」
「何よそれ…。」
 乱馬の言葉じりを押さえて、睨みかえしたあかね。
「仮説だよ、仮説っ!女っつーのは色恋沙汰一つで、性格変わるんじゃねーの?」
「あんた、世の女性を敵に回す気?」
「別に敵に回す気なんてねーよ。一般的にそう言うじゃん。」
「どーだか!」
「おまえも、恋してみろよ。そしたら、性格もうちっと柔らかくなるんじゃねーのか?」
「うるさいわねー。性格きついのは、あんたにも責任あるでしょーが!」
 さりげに、凄いことを言い合っているが、当人たちは、気にしているそぶりはない。

「で?稚媛様たちはどこへ行ってたんだ?夜通しの御勤めに関係あるのか?」
 興味深げに乱馬が尋ねる。
「夜通し、あんな子を連れ歩くなんて、児童虐待よね…。可愛そうに、疲れ切ってぐったりしてたわ。稚媛様。」
 気の毒そうにあかねが言った。
「まーた、おめーは、そんなどぎつい言葉を使って…。んな言葉使ったって、この時代の人に通じる訳ないだろ?」
 乱馬が苦笑いする。
「だって…あたしたちの社会じゃ、子供を夜通し働かせるなんて、れっきとした犯罪よ、犯罪っ!」
 と鼻息が荒い。
「しゃーねーだろ?ここは古代だし。児童福祉法だって、適応の範疇外だ。稚媛様にだって、いろいろ事情があるって…。」
 乱馬が押しとどめる。また、喧嘩になりそうな雰囲気が漂い始める。
 困った顔を桂が手向けた時、後で人の気配がした。

「おはよう…。」
 力無い声と共に、青白い顔で、なびきが、唐突に、にゅっと顔を出して来た。
「なびきお姉ちゃん…具合は?」
「もう、最悪っ!鼻水、咽頭痛、頭痛、涙目…おまけに、くしゃみも…。」
 どよーんとした空気がなびきの上を張りつめる。本当に体調を崩していたようだ。

「だああっ!近寄るなっ!うつったらどーすんでーっ!」
 乱馬が思わず、飛び退いた。咳を浴びせかけられて、うつされるのだけはまっぴらだった。

「大丈夫よ…。ちゃんと、マスクを持ってるから…。」
「おい、マスク持参だなんて、ずいぶん、準備万端だな…。」
 乱馬が問いかけると、
「たまたまよ、たまたま。この春先から何となく、花粉症っぽい症状が出始めてたから…。ポシェットに忍ばせてたのよ。」
 ぐしゅんと、クシャミを解き放つ。
「もしかして…花粉症デビューしたの?お姉ちゃん。」
「さあ…。医者へ行って抗体検査した訳じゃないから、何とも言えないけど…。古代社会って、現代より、ずーっと、埃っぽいから、それで鼻や喉をやられたのかもね…。」
 そう言いながら、なびきはおもむろにマスクをかけた。

「何か…変わったお面ですね…それ。」
 マスクを知らない桂が目を見張りながら、なびきを見返した。桂には、お面に見えたのだろう。


「で?稚媛様は夜通し何処へお出かけになってたんだ?」
「媛様は…檜隈女王様に連れられて、魂送(たまおく)りの儀式へ出て行かれたのだと思います。」
 桂はそう説明し始めた。
「魂送り?魂送りって何だ?わかるか?あかね…。」
 傍らのあかねに声をかけた。
「わかるわけないでしょ!」
「なびきはわかるか?」
「知らないわよ、そんな儀式。」
 あかねに続き、なびきにも一蹴された。

「魂送りとは、死人(しびと)から魂を抜きとる儀式ですよ。」
 桂が横から問いかけに答えた。
「死人から魂を抜きとる儀式だあ?」
 その答えを聞いて、また、乱馬が声を荒げた。
「ええ…。魂送りとは死を迎えた人の魂を安寧(あんねい)に送るための儀式です。
 大方、病を得て、新京へ行くだけの体力が無かった皇族か貴族のどなたかが、死に瀕していらっしゃるのでしょう。稚媛様は、魂送りをする力をお持ちの送り巫女なのです。が、どこからも、訃報は届きませんでしたから、おそらく、今夜もお出かけになられると思います。」
 と桂が言った。
「人の死を見送る専門の巫女なの…あの子って…。」
 あかねは複雑な表情を手向けた。人の死に関わる儀礼を、あんなに小さな娘がすることに、痛々しさを感じた。しかも、夜を徹して行われる儀式。
「ええ。そうです。」
「なるほろ(ど)…ら(だ)から、夜に連れら(出)されて行ったのれ(ね)。」
 鼻づまりの声でなびきが頷いた。

「はい。夜見魂依媛(ヨミノタマヨリビメ)、それが稚媛様のあざ名です。」
「夜見魂依媛?何だか、舌をかみそうな名前だな…。」
「簡単に訳せば、魂を依り付かせるという意味です。魂を自由に扱うことができる巫女にふわさしい名なんです。
 魂を手玉に取る…といったら大袈裟ですが、稚媛様は人の魂に触れる能力がおありになるんです。」
「人の魂に触れることができる巫女…。…つまり、それがツクヨミの力の一端か?」
「ええ、恐らく、そうなのでしょうね。でも、死人(しびと)の魂に触れられるのは、檜隈女様も同じですけど…。」
 桂が言った。
 乱馬もあかねもその言葉に、互いに顔を見合わせた。
「檜隈女王の名前の檜隈(ひのくま)は元々、日が陰る場所のことを呼びならわす言葉でもあるんです。飛鳥の西には皇族方の陵墓がたくさん築かれた土地があって、そこを「ヒノクマ」と呼んでいます。」
「王家の谷…みたいね。」
「ええ。首皇子様の父、前皇の陵墓も檜隈の近くにありますわ。」
「で?その檜隈女王ってーのも、何か?魂送りができるってーのか?」
 乱馬が問いかけた。
「以前は、檜隈女王様が、主に、皇族方の魂送りをなさっていたのですけどね…。ここ最近では、檜隈女王様が稚媛様を伴って施術しに行かれることが多くなったんです。」
「魂送りねえ…。いまいち、ピンと来ねーな…。」
 乱馬が言い返すと、あかねが言った。
「そう?あたしは何となくイメージできるわよ。」
 とあかねが答えた。
「あん?」
「ほら、幽体離脱とか言うじゃない。魂は肉体を離れ、自由に浮遊すると考えられていたんじゃない。それと同じ理屈なんじゃないの?」


「ワシも幽体離脱して、女体へ乗り移ってみたいものじゃのーっ!乱馬よ、その肉体、ワシに貸してくれいっ!」
 そう言いながら、爺さんが唐突に、飛び出してきた。そして、ビタンと乱馬のおっぱい辺りへと張り付いた。

「出たなっ!くそじじいっ!」
 ポカンと爺さんの頭を殴りつける。

「相変わらず、乱暴じゃのー。」
 ひょいっと乱馬の攻撃をかわしながら、爺さんが笑った。
「こんの、スケベじじいっ!」
 乱馬が睨みつけた。
「わっはっは、愉快、痛快。こうやっておると、疲れも吹っ飛ぶわいっ!」
 構わず、麻呂爺さんは乱馬の肉体へと張り付く。それを見ながら、乱馬は声を荒げた。
「俺は疲労回復の道具かーっ!」

「麻呂様…。左の大臣(おとど)の尊厳は、どこへいかれました…?」
「どこから見ても、ただのスケベ爺さんね…。」
「ますます…八宝斎のお爺ちゃんじみてきたわね…。」
 ハハハと桂となびきとあかねが苦笑いしながら、乱馬と爺さんのやりとりを見守っている。下手に手出しして、自分たちの身の上に、爺さんのスケベ心が向けられるのも、正直嫌だった。乱馬が爺さんの遊び相手になっている間は、他の女子たちに目もくれまい。
 だからだろうか。三人とも、爺さんが乱馬に絡むのを、あえて積極的に止めに入らなかった。



「爺さんは、夜通し、稚媛様につき合ってたのか?」
 乱馬は、汁椀に手を伸ばしながら、爺さんに尋ねた。
 遅い朝餉を食しながら、爺さんは首を横に振った。一同、食事にありついたところだった。相変わらずの乱馬には物足りない粗食である。
「いいや、ワシは、明け方に呼ばれただけじゃ。」
 と答えた。
「明け方に呼ばれるって?どういうことです?」
「おまえさんがたも見ておったろう?籠を担ぐ男たちに対して、結界を張るために呼ばれたんじゃよ。」
 ご飯をかっこみながら、爺さんが答えた。
「稚媛様はやはり、どなたかの魂送りの儀式に呼ばれましたので?」
 桂が尋ねた。
「多分な…。」
「多分だあ?ずいぶん、曖昧な話じゃねーか。」
 乱馬が吐きつける。
「ま、檜隈女王様が連れ出したんじゃし…。」
「連れ出すって…夜中にか?」
 乱馬が尋ねた。
「ああ。ま、とある高貴な御方が一人、新京には移らずに、新益京の一角で死の床に伏せっておられるから、その方がらみじゃとは思うがのー。」
 と爺さんは言った。
「もしかして…竈門娘(かまどのいらつめ)様ですか?…いよいよ危ないんですか。」
 桂は思い当たる節があるらしく、問いただした。
「竈門娘?誰だそれ…。」
「前皇の嬪(ひん)にまでなられた紀氏の姫様ですわ。でも…いろいろあって昨年、嬪(ひん)の身分は、はく奪されてしまいましたけれど…。」
「嬪(ひん)って何だ?」
「天皇のお妃さまのことよ。身分によっていろいろ呼び方があるんだけど…。嬪は臣下から嫁いだ媛様に与えられた号だから、身分的にはあんまり高くないお妃さまを示す言葉になるかしらね…。前皇ってことは…文武天皇の妃かあ。確か、皇后のような正妃にあたる皇后は居なかったはずね…。正夫人が藤原不比等の娘、宮子。あと、紀臣(きおみ)の竈門娘(かまどのいらつめ)と石川臣(いしかわおみ=蘇我氏の同族)の刀子娘(とねのいらつめ)…この三人しか、知られてないわね…。
 で、続日本紀によると、竈門娘と刀子娘のお二人は、文武亡きあと、嬪号を剥脱されているわ。これも、多分、首皇子の立太子に絡んだ、藤原氏の策略のひとつだと思うけれど…。」
 なびきがさらりと解説してくれた。
「なんか、お姉ちゃん、凄い。」
「金が絡んだら、凄いな…。」
 乱馬もあかねも、なびきの博識ぶりに目を見張る。
「まーね。」
 ふふんと、鼻を鳴らして、なびきは得意がる。
「何で、首皇子様の立太子に絡んで、嬪号を剥脱されたんだ?剥脱したら、どうなるんだよ。」
 乱馬がわからんという顔をなびきに手向けた。
「ほら、天皇を生んだ母親、皇太母となれば、その権力は絶大よ。政権を己の手に握りしめたい不比等にとって、藤原腹以外の娘が皇太母になったら、うっとうしいじゃない。だから、先に嬪号を剥脱しておけば良いって、不比等が考えたって不思議じゃないでしょ?」
 なびきが説明してくれた。

「竈門娘様は、確か、長らく伏せっておいでだと訊いたことがありますわ。もしかして…。」
「ああ…。いよいよ、危ないそうじゃ。」
 桂の疑問に、麻呂爺さんが頷いた。
 

「それよりも…麻呂様…。」
 桂の横で控えていた別の若い女官が、顔を少ししかめながら、麻呂へと声をかけた。
「さっき、この膳を支度するときに、ちらっと小耳に挟んだんですけど…。」
「何じゃ?」

「また…邑(むら)が襲われたそうです。」
 女官が言った。
「邑(むら)が襲われる?」
 その言葉に乱馬が反応すると、女官が説明し始めた。
「ええ…ここ数日、この辺り一帯の集落が一晩のうちに人が卒倒して事切れるという怪奇現象が続いているんです。」
 女官が心配げに言った。
「あん?盗賊団にでも襲われてるのか?」
「いえ、そういう流血がらみではなく、バタバタ倒れて死ぬという怪現象が続いてるんです。」
 女官が答えた。
「はやり病じゃないの?この時代には薬もワクチンもないから、麻疹とか疱瘡で命を落とす人が多かったんでしょ?」
 あかねが尋ねた。
「疫病でもないようなんです…。伝え聞いたところによると、前の晩まで病人一人居なかった邑が、たったの一晩で、疫病で壊滅するとは考えられませんし…。
 今朝聞いた邑も、やっぱり、それらしき病人は見当たらなかったそうですよ…。麻呂様。何か良からぬことでも起こってるんでしょうか?」
 その話を黙って聞いていた麻呂が、反応した。
「さあ…。誰か呪詛(じゅそ)でもしておるかのう…。」
「呪詛(じゅそ)にしては、規模が大き過ぎますよ。一人二人ならまだしも、集落何十人も一度に呪詛にかける呪術者や陰陽師がこの大和国に居ると思います?」
「その件に関しては、都の陰陽寮が懸命に調べておるじゃろうて…。」
 と歯切れの悪い答えが返って来た。
「だと良いんですけど…。陰陽寮もごっそりと新京へ遷ってしまって…。真剣に飛鳥のことをお考えになっているかどうか…。それに、中にはこの宮も危ないんじゃないかって言う者も居て…。」
 と女官が言った。
「この宮なら大丈夫です。稚媛様や麻呂様がおられます。お二人の霊力を信じなさい!」
 と桂が女官をたしなめた。
「でも、賽(さい)の神を門戸に祀って、魔除けを行う集落も増えているそうですよ。」
 
「賽の神?」
 と勢い良く問いかける。
「道俣(みちまた)の神のことじゃよ。」
「道俣って?」
 なびきが麻呂爺さんに代わって答えた。
「道祖神(どうそしん)のことよ。ほら、現代社会でも村の外れや入口にお地蔵さんとか、祠とか、何かしらの神仏を置いて祀(まつ)っているところがあるでしょう?旅の道中を守る意味合いもあるけど、禍の侵入を防ぐ意味合いを持った神様ってところかしらね…。他にも道案内的な要素を持った神様でもあったわ。」
「道案内の神様ねえ…。地獄への道案内じゃねーだろーな。」
「また、あんたは、くだらないことを口にして!」

「でも、一晩で、邑が壊滅するだなんて、確かに、尋常じゃないわね。」
 なびきも首を傾げた。

「実は、邑が壊滅する出来事は、これが最初じゃないんです。」
 女官がポツンと言った。
 その言葉に、乱馬とあかねは、それぞれ、えっという表情を手向けた。

「最初じゃないってことは…前にもあったのか?」
 乱馬が尋ねると、コクンと桂が頷いた。
「ええ…。都が寧良(なら)へ遷った頃から幾たびか…。ほら、初めてあなたたちにお会いしたとき、途中、廃墟になった集落があったでしょう?」
「ああ、あの廃墟…か。」
「空き家になった竪穴式住居の集落のことね。」
 乱馬もあかねも思い出していた。稚媛を助けた後、この池上の迎賓宮へ来るまでの道すがら見たあの不気味な光景。
「もしかして…あの廃墟も一晩で滅んだのかよ?爺さん。」
 乱馬は爺さんへ話しかけた。
「ああ…。半年ほど前じゃったかのう…。あの集落の人間も一晩で壊滅しておったよ。」
 椀へ伸ばす手を止めることなく、爺さんは淡々と言葉を吐きだした。
「人々は逃げ惑う途中でふっつりと魂を抜かれたように事切れていたと、襲撃の痕跡を目の当たりにした者が言っていたのを伝え聞きましたわ。もっとも、都が遷ったころにたて続けに起こった怪死現象のせいで、市井(しせい)の人々の新京移住が進んだといっても過言じゃありませんけどね…。」
 と女官も頷く。
「あん?」
「だって、古宮で怪死現象が続くと、皆さん恐怖心に煽られて、新しい土地へ我先に行こうとするじゃありませんか。だから、最初は、陰陽寮が仕組んだんじゃないかって噂されたくらいなんですけど…。」
「そんな、いっぺんに術をかけられる陰陽師なんて、居ませんよ。それに、陰陽寮はちゃんとした役所です。市井の人々を襲うなどというおぞましいことをする訳がないでしょう?」
 桂がきつめに吐き出したので、思わず、女官は首をすぼめた。
「で、今回の事が起こった場所は?」
 乱馬が尋ねると、女官が眉をひそめて言った。
「竈門娘様が臥せっておられる紀寺の途中にある集落だそうですよ。」
「そんなこと、誰に聞いたのです?」
 桂が女官にきつく問い質した。女官はおっかなびっくり答える。
「あら…麻呂様に同行した者が話していたのを耳にしたんですけど…。いけませんでしたか?」
「また、無駄口を叩いていたのですか?」
 桂が険しい顔つきになった。どうやら、女官が出入りの者と親しげに話すことを良しとはしていない様子だった。

「桂ちゃん、まあ、そう目くじらをたてるな。情報の収集も大切じゃ。人の口に戸は建てられぬ。確かに、紀寺へ行く途中にあった集落が襲われておったわい。」
 爺さんが小さく呟いた。
「爺さんも見たのか?」
 と乱馬が問いかけた。
「ワシも、稚媛様を出迎えに行った折、嫌が応でも目に入ったわい。人だかりがしておったからのう…。」
「人だかりっつーことは、どこの集落の話なのか、爺さんは知ってるってことだよな?」
 乱馬が話しかけた。
「ああ…。ワシらが通った頃には、片付けが進んでおったわ。…それよりも乱馬。」
 爺さんは乱馬を見た。
「あん?」
 ご飯をかっこみながら、爺さんへと瞳を移す。
「朝餉が済んだら、ちと、ワシにつき合え。」
 と唐突に言われた。
「付き合うって?」
「まあ、良いから良いから…。」
「まさか、てめー、スケベなこと考えてねーだろーな?」
 ジロリと視線を流すと、爺さんは笑い飛ばした。
「それを望んでおるのなら相手してやらぬでもないが…。」
「望むかー、ボケーッ!」
 と暴言を吐きだしたところで、あかねが隣から、乱馬の頭をポカンと叩いた。
「何、お年寄りに乱暴な言葉吐き出してんのよっ!」
「痛てーっ!たく。何ならてめーが相手すれば良いだろう?」
 涙目になりながら、あかねを睨みあげる。
「そーね、乱暴者のあんたより、あたしが相手してあげた方が…。」
 あかねがそう言いかけた時、爺さんの表情がみるみる曇った。
「やじゃー、やじゃー。乱馬が良いんじゃー。」
 とだだをこねだしたのである。
「何、子供じみたこと言ってやがる!」
「あかねちゃんより乱馬が良いんじゃー。」
「何でだよ?」
「あかねちゃんより、乱馬の方が、乳がでかい!板胸のあかねちゃんより豊満な胸の乱馬ちゃんの方が良いんじゃー!」

 みきっ!びしっ!

 その一言に、乱馬とあかねの双方から、鉄拳が入ったことは言うまでも無い。

「確かに、あかねは板胸だが…。そこまで嫌がることはねーんじゃ?」
「板胸で悪かったわねっ!」
 共に、目がつりあがったところで、桂が前に出てきて、はっしと頭を下げた。

「乱馬さん!ここは穏便に、麻呂様のお相手をお願いしますっ!」
 床に頭を擦りつけて、頼みこむ。
「あん?」
 何を言い出すと乱馬は桂を顧みた。
「いえ…麻呂様じきじき、乱馬さんにご指名が入ったわけですし…。何かお考えがあってのことかと思いますので…。」
「ご指名って、俺は、キャバ嬢じゃねーんだから…。」
「乱馬、つきあってあげなさいな…。お爺さん、貧乳より爆乳の方が好きだって言ってるし…。」
 機嫌を損ねたあかねは突き放した。
「いやだっ!」
 思い切り大きな声で吐き出すと、爺さんがバタバタと手足を動かし始めた。

「嫌じゃー嫌じゃー、乱馬が良いのじゃーっ!」
「駄々っ子か、おめーはっ!」
 その様子に、呆れながら乱馬が吐き出す。


 結局、乱馬は、爺さんと桂に押し通されて、朝餉の後の爺さんの相手をする羽目に陥ってしまったのだった。









ちょこっと解説

浴室(からふろ)
 平城宮跡の東には「法華寺」という光明皇后建立の古刹があります。その敷地内に、「浴室(からふろ)」という薬師の湯で病人たちに湯浴みさせた施設がひっそりと建っています。この項目は、その「浴室」の様子を参考に、書かせていただきました。この施設の脇には、井戸があり、そこから水をくみ上げて、建物の下に置いた石に沸かした湯をかけ、その湯気で身体を洗う。古代のサウナです。
 湯を自在に沸かす風呂など、流石に、古代では難しいでしょうから、恐らく、あっても、こうした「からふろ」程度だったと思われます。



邑(むら)
諸説ふんぷんありますが、村は比較的大きな都会を示した言葉だったようです。
また、邑は「おおざと」の元になった字です。これに対して、「こざとへん」は元になった字は「阜」。こざとへんは「人が集まる場所」を示し、おおざとは「丘、高い場所」を示します。
この作品では、主に、邑(むら)または里(さと)という言葉で、集落を表現していきます。


蛇足
「畑」と「畠」、両方とも、中国でできた漢字ではなく、日本にて作られた漢字「国字」です。 
 いずれも、萬葉集には既に出現していて、奈良時代前後に成立したのではないかと考えられています。
 畑は「火」という文字から察するに、焼畑の名残があるのかもしれません。畠の方は、白い田んぼ、つまり渇いた田んぼという意味だそうです。
 また、「田舎」という言葉も、萬葉集に出てきます。


魂依媛
 記紀神話に「玉依比売」という比売神様がいらっしゃいます。豊玉比売(とよたまひめ)の妹で神霊(魂)の依り来る女という意味があるそうです。記紀神話の場合、玉依比売は豊玉比売とは綿津見神(わたつみのかみ)の娘として語られています。ついでに言うと、記紀の場合、「玉」は「魂」ではなく「真珠」だという説もあります。
 で…この作品での「魂依」は「玉依」から語感を借用しただけで、解釈などは全て一之瀬の創作です。くどいようですが、完全に創作ですので…。


紀竈門娘(きのかまどのいらつめ)
 文武天皇の嬪の一人。紀氏の娘という以外には詳しくはわかりません。
 同じく、文武天皇の死後、奈良に遷都して後の和銅六年(613年)に、石川刀子娘(いしかわのとねのいらつめ)と共に、嬪号をはく奪されています。諸説ありますが、恐らく、藤原宮子の産んだ首皇子を帝位に就けるべく、藤原不比等辺りが何だかんだと難癖つけて、嬪号の剥脱を仕組んだと思われます。




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