◆飛鳥幻想
第二話 嵐の前の静けさ



三、酔っ払い巫女

 さて、亀石から立ち去った天道家御一行様。借りたレンタサイクルを返しに、近鉄飛鳥駅へと辿りついた。
 飛鳥駅には土産物屋もある。改札に向かう間に、アクセサリーの露天を広げたお兄さんが、ゴザを敷いて、電車で岐路に着こうとする観光客相手に商売をしていた。古代衣装風なコスチュームを来た若い青年がそこに座っていた。頭には布の古代風帽子をかぶり、麻で織りあげたような上着とズボンを着ていた。ちょっとしたコスプレ青年だった。恐らく、客の目を引くために、そのような衣装を身にまとって、商売をしているのであろう。
 その前を、女化した乱馬とあかねが、声を荒げながら通り過ぎる。まだ、喧嘩が続いているようだった。

「んっとに可愛くねー女だなっ!てめーはっ!男女っ!」
「はっ!あんたに言われたかないわっ!女男っ!」
「かわいくねー!かわいくねー!かわいくねー!」
「変態!変態!変態!」
「何だと?」
「何?あたしとやりあおうってーの?」
 双方、腕を巻くしあげんばかりの勢いだ。

 レンタサイクルを返しても、まだ、もめているようだった。
「たく…。飽きないわねえ…。あんたら。もうちょっと、人の目を気にしなさいよ。」
 ふううっとなびきが溜め息を吐きだした。

「こらこら、公衆の面前で喧嘩は駄目やで。お嬢さんたち。」
 駅舎近くの路上に露店を広げていたアクセサリー売りのお兄さんが、柔らかめに二人に声をかけた。
 ハッとして、声の方向を振り向くと、駅へ向かう人たちが、乱馬とあかねのやりとりに好奇な瞳を張り巡らせていた。
 
 
 その有様に、我に返ったあかねは、振り上げていた拳を、そっと下に下ろした。年頃の女の子だ。若い男性にとがめられただけでも、気恥ずかしい。
「べ…別に、喧嘩しようと思ってた訳じゃねーけど…。」
 乱馬はバツが悪そうに、毒舌の矛先を収めた。
「やだー…あたしったら…。ムキになりすぎたかしら…。」
 頬を真っ赤に染めたあかねが、恥ずかしそうにうつむくと、
「何、今さらブリっ子決め込んでやがる…。もう手遅れだぜ。」
 この期に及んで、まだ、からかい口調の乱馬。
「あんたと違って、あたしには羞恥心が残ってるのっ!」
「けっ!何が羞恥心だよ。」

「ほらほら、…道行く人たち、皆、あんたらを見て笑ろてるで。」
 若者が笑いながら止めに入った。
「ほんまに困った娘さんたちやなあ…。ま、ええわ。足を止めたのも何かの縁やろ。どや?ワシの作ったアクセサリー、明日香の土産に、買うていかへんか?安くしとくでー。」
 と商売っ気たっぷりに、関西弁で話しかけてきた。

「わー。可愛い…手作りの小物ね。」
 あかねがふと陳列物に目を留めた。元々、こういった小物は好きな方だ。
 ゴザの上には色とりどりの勾玉をあしらった、ストラップや首飾りの小物類が並べられている。値段も安い。
「ほんまや、かわいい。」
 右京も目を輝かせて足を留めた。
「これ、何の形あるか?」
 珊璞が興味深げに、勾玉を手に取った。中国娘の彼女には、なじみのない形だったのだろう。
「これは、勾玉(まがたま)よ。」
 なびきも一緒に加わってきた。
「勾玉?」
「古代日本の装飾品に良く使われた宝玉よ。魔除けとか祭事とかに使われたみたいだけど。」
 なびきが説明した。
「ふーん…、可愛いあるな。」
「どう?乱馬君、あたしたちに買ってくれない?」
 なびきの言動に、それ来たと乱馬は思った。
「何で俺が買うんだ?」
 と猜疑の瞳をなびきへと手向けた。
「いーじゃない。ケチケチしないのっ。」
 となびきはすっかり乱馬に買わせる算段に入っていた。
「だから、何で、てめーらに買う義理があるってんだ?」
 と反論しかけたが、
「わー、乱ちゃんに買うて貰うんやったら、ウチはこれかなあ…いや、あっちの方がええかな…。」
「どれにするあるか…迷うあるな。」
 右京と珊璞は既に選び始めている。

「おいっ…俺はまだ、買うなんて一言も言ってねーぞ。」
 と言ってる後ろ側で、
「まあ、可愛らしいわ…。私はこれにしようかしら。」
 かすみまですっかりその気だ。
 
「えっと、お嬢さんたちはかいらしー(注・可愛らしいの関西方言風物言い)から、百円引きで二百円にしといたろ。どや?」
 と青年は商売人スマイルで微笑みかけた。鍛え上げているのか、結構、筋肉の付きも良い。年の頃なら二十代半ばだろうか。
「それはお得やわ。ひとつ三百円のが二百円ってことやろ?」
 右京が言った。
「勾玉は呪具だからね。魔除けとか良縁とか…いろいろ効用があるかもしれへんでー。」
 と青年は口上手く盛り上げていく。なかなかの商売人だった。
 どれにしようかと、一同が迷っていると、
「そんなに迷っとったら、日が暮れてしまうで。各々、気に入った玉を御自分で選んだらええやん。ここにある勾玉は、それぞれの御主人に手に取って貰えるのを、じっと待ってるんやで。直感でこれがええと思ったのを持ったらええわ。」
 売り子の若者が傍でそうあおりたてるものだから、あかね以外の女性たちはすっかりその気になっていた。

 右京は琥珀のような緑色、なびきは黄金に見立てた黄色、かすみは薄桃色、そして珊璞は紫色の勾玉をそれぞれ手に持った。

「あかねは?まだ選んでないじゃないの。」
 となびきが後ろでモジモジしているあかねに声をかけた。

「だってさー。」
 チラッと乱馬を振り返る。乱馬に無理やり買わすのは、喧嘩していた手前、少し戸惑っていたのだ。

「決まんないなら、これにしとけ!」
 眼の前にあった、夕陽のように赤い勾玉を手に取って、あかねに差し出した。

「茜色の玉。お嬢さんにお似合いやな。」
 若者はにっこりとほほ笑んだ。
「あかね色…あんたの名前と同じ色の玉ね。それが良いんじゃない?」
 なびきがポツンと言った。
「名前と同じ色の玉。そりゃあ、ええ。御利益まんさいやわ。」
 売り子は、にっこりとほほ笑んだ。
「じゃあ、これにするわ。」
 あかねもその気になって、茜色の玉に決めた。

「じゃ、これ。勾玉五つ分。」
 乱馬は千円札を青年に手渡した。
「たく…たとえ、千円でも、居候の身にはきつい散財なんだぜ…。」
 とブツクサ言いながら、青年へと渡す。
「あれ?おさげの嬢ちゃんはいらんのか?」
 青年は、きょとんと乱馬を見た。
「ああ…。別に自分のは要らねーよ。」
 余計なことは言うなという雰囲気で乱馬は答えた。男の己は別に金を出してまで買う必要などない代物だと思ったからだ。

「自分は買わんのに、人の分のお金を払ってんのかいな。けったいな(=変な)子やなあ…。」
「ほっとけ!」

 と青年は微笑みかけた。そして、改めて乱馬に言った

「よっしゃ、ええわ。ほれ、大サービスや!どれでも、好きなのを一つ、持って行き。」
 と売り子の若者は、ポンと乱馬の背中を叩いた。
「んなこと言われてもなー。」
 乱馬は迷った。男の己には興味のない品物だ。
「乱ちゃんも選べば、皆でお揃いやで。ちょっとした旅行の記念になるやん。タダやし。」
「良かったじゃん、乱馬君。タダってことは丸儲けよ。」
 右京となびきが笑いながら口を挟んだ。
「おめーらは、タダって言葉が大好きなんだな?」
 チラリとなびきを流し見ながら乱馬は言った。
「迷ってんなら、これなんかどう?」
 あかねが指差した先に、その真黒な勾玉があった。男の乱馬には、鮮やかな勾玉よりも、黒色が良いのではないかと直感的に思ったからだ。
「じゃ、これで良いや。」
 乱馬は黒い勾玉を手に握ると、ポケットへと無造作に突っ込んだ。

「おおきにな!じゃあ、良い旅をなあー。」
 手を振りながら、若者は一行を送り出す。そして、ふっと口元を緩めた。
「ちゃんと、印となり得る勾玉、渡したで…。」
 そうつぶやいた途端だった。青年の姿は、忽然とその場から掻き消えた。
 もちろん、露店も何もかもだ。
 すっと消えたが、その場に居る者は誰一人、その不可思議な現象に気付く素振りも見せなかった。まるで、何事も無かったかのように、辺りは静まり返っていた。

 ヒラヒラと、青年が立って居た辺りに、手のひら大の白い紙きれで作られた「人形(ひとがた)」が一枚、舞い落ちて来た。夏越の払いの折に息を吹きかけて、災厄を祓う紙人形と同じような「人形」だった。何やら墨で書かれた解読不明の文字が浮かび上がる、不可思議な「人形」。
 人形は地面に落ちると、ボスンと、これまた跡形もなく消え失せた。




 天道家一行様はレンタル駐輪場へ自転車を返した後、バスに乗り、宿屋へと戻ってきた。
 早雲の友人が経営している、明日香村の外れにある民宿だった。
 大和造りと言われる、独特な屋根の木造家屋を改造してある。辺り一面の田んぼの中に建つ広い一軒家。

 宿代は一切無用という好意に甘えての宿泊だったが、さすがに、大人数で押しかけた手前、何かしら手伝いはしようということで、かすみとなびき、それから珊璞と右京は女将さんと共に台所を手伝い始めた。
 早雲と玄馬と乱馬、あかね、そして早雲の友人のここのご主人は裏へ回り、今では珍しくなった竈(かまど)へくべる薪(まき)と格闘中だった。

「何であたしは台所へ入らせてもらえないのよ!」
 あかねは憤慨していた。
「そりゃー、おまえを台所へ立たせたら、明日の太陽が拝めないからに決まってるだろが。」
 乱馬が言った。
「どういう意味よ、それっ!」
 あかねは乱馬の答えに、ジロリと瞳を打ち返した。
「てめーの味音痴は死人すら出しかねねーほど凄いってことだよっ。」
 いつも先陣切って被害に遭う乱馬は、露骨に苦言を申し立てる。
「何ですって?」
 また、雲行きが妖しくなったのを、早雲が必死で取り押さえた。
「まーまー、あかね。右京君はお好み焼き店主、珊璞は中華料理の店で働いているだろう?共に料理においてはプロ中のプロだ。それにかすみは天道家の主婦だ。適材適所って言葉もある…。薪割りも大切な仕事だよ!三泊もさせてもらうんだ。せめてものお礼に、ここにある在庫の薪を全部、きれいに割ってあげたいじゃないか。武道のたしなみがあるおまえや乱馬君はこっちに回るのが妥当なんだよ。」
 と必死で不機嫌な娘をなだめすかす。
「気を遣わせちゃって悪いねー。僕もそんなに若くないし、いつも薪割りには苦労してたんだ。慣れてる人にやってもらえると、とってもありがたいよ。一年分くらい頼めるとありがたい…。ご飯の煮炊きだけは、竈を使って商売するつもりやからね。」
 と主人は嬉しそうだった。
「だとー。今日中にあれ、全部割っちまおうぜ…。」
 と背後の薪に瞳を巡らせる。
「だったら、右京や珊璞もこっちへ連れてくれば良いじゃない?」
 あかねの指摘は鋭い。
「だからー、おめーの料理はマニアックすぎて、一般受けしねーっつってるだろっ!」
 乱馬がピシャリと言った。
「ははは、あかねくん、とっとと始めないと、今日中には終わらないよ。修行にもなるし、晩御飯前の腹ごなしにもなるし、一石二鳥じゃないか。」
 玄馬も声をかけた。
「わかったわよ!やれば良いんでしょ?やれば。」
「そー、そー。やれば良いんだよっ!あ、何なら勝負するか?誰がたくさん素手で割れるか。」
 乱馬が軽く提案した。居並ぶのは無差別格闘流の達人ばかり。
「面白そうだな…。どうだい?天道君。夕食の一皿をかけて、勝負といかないかね?身体を動かしておかないと、鈍(なまくら)になってしまうしな。修行に持ってこいだよ。空手割りは。」
「乗った!その勝負っ!」
「じゃ、いくぜっ!」

 乱馬の掛け声を合図に、一同は蒔を石の台に乗せると、早雲、玄馬、乱馬の三人は、たったかと素手で割り始めた。

「へええ…さすが道場の経営者だけあるなあ…。天道君。凄い、凄いや!」
 主人が声を張り上げた。

「あたしも、行くわよっ!」
 熱くなりやすい性分のあかねも、一同が真剣に勝負を始めたとなると、ムキになった。

「でやったったったった!」
 みるみるうちに、丸太は丁度良い薪へと割られていく。その辺り、さすがに武道家一家。
 乱馬も早雲も玄馬も、そしてもちろんあかねの前も、割り木で積み上がり始める。

 馬鹿力の持ち主のあかねは、勢い余って、薪割り台にしていた石を割ってしまった。

 みしっ!

 元々、もろかったのだろうか。石に大きなヒビが入ったのだ。

「あっ!」
 と思ったが遅かった。

 みしみしみしみしっ!
 連続音が石から流れ出た。

「ヒビがはいっちゃった!」
 と素っ頓狂な声を張り上げる。
「あちゃー!たく…。力、入れすぎなんだよ!加減しろよ!加減!」
 隣で見ていた乱馬が声を飛ばす。
「うひょー、石を割るだなんて…凄い力だねー、あかね君。」
 玄馬が眼鏡を持ちながら、感心して割れた石を見つめた。
「まさか…大事な庭石だったってことは…ないだろうね?」
 早雲はひきつり笑いをしながら、主人を見つめた。
「ああ、ご心配なく!ただの置き石やから…。いつの頃からかは知らんけど、そこにあった、ただの石やから。そんな大事な石やったら、裏庭には置かんわ。」
 主人は笑いながら、その問いかけに答えた。
「ふうう…良かった。」
 割った張本人のあかねは、ホッと安堵の表情を浮かべた。
「本当におまえは、馬鹿力だな…。ってか、加減できなかったのか?」
 乱馬が怒った口調であかねを牽制した。
「加減なんて考えてなかったわよ。まさか割れるなんて思ってなかったもん!」
 口を尖らせるあかね。
「…にしても…まん丸い形の石だな、これ…。」
 乱馬は割れた石をまざまざと見つめた。
「そうねえ…上から見たら、まん丸だわね…。」
 あかねもそれに同調した。まん丸い石が、ミシミシと見事にひび割れている。
「あー、そういや、その石、亡くなったワシの婆様は、鏡石って呼んどったわ。」
 主人は汗を拭きながら言った。
「鏡石かあ…やっぱ、何か言われでもあった大切な石だったんじゃないのか?」
 乱馬は主人に尋ねる。
「いや、特に何も聞かされてはいなかったが…。」
 主人は考え込んだ。
「そーいや、この辺りにあった池の底石やったって、婆さんが言うとったなあ。」
 主人が言った。
「池の底石?」
 乱馬はきびすを返した。
「んー、池の底にまじないで放りこまれた、「まじない石」の名残とか言うとったわ。」
「まじないの石…ですか?」
 あかねが尋ねた。
「大昔、荒れ狂った龍神様をなだめるために、丸い石を池の底に沈めたとかいう言い伝えがあったとか、婆様が言っとったわ。」
「龍神様ねえ…。池の栓とかじゃねーだろうな?これを引っこ抜いたから池が干上がったとか…。」
 乱馬はあかねが割った石をしげしげ眺めながら言った。
「バカね、そんな底石なんかあるわけないじゃない。でも、おじさん、その池、いつ頃、干上がっちゃったんですか?」
「どのくらい前に干上がったかは、爺さんも婆さんも知らんって言うてはったなあ…。まあ、もっとも、そう伝えられとるだけで、実際、池の底やったかどうかは、わからんのやけどな。」
 主人は笑いながら言った。
「大和は昔から池が多かったんや。大きな川があるわけやなかったから、水を確保するために、すすんで池を作ったらしいわ。人工的に作られた池は涸(か)れることも多かったやろうし…。中には古墳の陪池(ばいいけ=古墳を盛り上げるために掘った土に水がたまったもの。)を溜池(ためいけ)として利用することもあったんや。
 飛鳥には大きな川は流れてへんやろ?せやから飛鳥から平城京へ京(みやこ)が遷っていったんも、人口増加に伴う水確保が難しかったっていう説もあるくらいなんやから。」
「へええ…。」
「ここの他にも、現存しない涸(か)れた池の代表格には「磐余池(いわれのいけ)」っていうのがあるんや。
 もっともこれはこの辺りやのうて、三輪山の麓の方にあった池やけど…。磐余池は、大津皇子の館があって、歌にも詠まれているし、清少納言が「枕草子」にも書かれているほどの名刹(めいさつ)やったらしいわ。でも、今はどこにあったかすらわかってない、幻の池なんやで。」
「幻の池…そんな池があるんですか。」
 あかねが問いかける。
「確か…この辺りにあったのは、埴安池(はにやすのいけ)って言うてたかな…。」
「埴安池…ですか。」
「古い文献にはあっても、今は消えてなくなった池は、飛鳥にはたくさんあったからなあ…。」
 主人が教えてくれた。

「池ねえ…。別にこの石とは関係なさげだな…。」
 乱馬がポツンと言った。

 薪割りを終え、日が完全に沈んだ頃、母屋で宴会が始まった。
 結局、薪割り勝負は、あかねの石割の件によって、決着がつかずに済んだ。もっとも、料理組、薪割り組、双方頑張ったことにして、賑やかに御馳走に箸をつつく、一同であった。

 父、早雲の友人宅を改造した宿の一室では、賑やかな宴会となった。大人たちは杯片手に、酔っ払いモード。
 珊璞や右京は乱馬に執拗に絡みついていた。とにかく、あかねと乱馬を同じ空間におくまいという、彼女たちの意地が見え隠れしていた。
 乱馬とあかねは、お互いの意思など確かめ合うこともしないで、曖昧な許婚関係を貫いているプラトニックカップル。
 旅行中という開放的な気分も手伝ってか、珊璞も右京も、いつもより果敢に乱馬の奪い合いにかかる。
 なびきはひたすら箸を動かし、かすみはニコニコとお酌や飯盛りの世話。
 あかねは、複雑な表情で、乱馬を巡る駆け引きに燃え上がる、右京と珊璞を見つめていた。
 父親たちは酒が入り、そのお気楽、脳天気ぶりに拍車がかかり、この宿の主人、早雲の旧友も交えて、ドンチャン騒ぎへと化するのに、時間はかからなかった。

 ドンチャン騒ぎの後、一同はそのまま眠りに就いた。しかも、大広間で、雪崩れ込み式の雑魚寝である。
 それでも、宿屋のおかみさんたちは一通り、片付け、雑魚寝用のふとんを和室の続き間に敷き詰めてくれていた。旅の疲れもあり、一同、思い思いのまま、蒲団にもぐり込み睡眠を貪る。



 そんな夜更け。日付はとっくに変わっていたろう。
 夜中にあかねは、雪隠(せっちん=トイレのこと)を求めて、縁側へと出た。
 足元にはたくさんふとんが敷き詰められ、一同がゴロ寝しているのが目に入った。
 乱馬は大の字になっていて、その良脇から、珊璞と右京が抱きついたまま眠っているのが見えた。

「はああ…。ほんと、はっきりしないんだから…。」
 あかねは、愚痴のような独り言を、ポツンと一つ吐き出すと、障子を開いて、静かに和室から出た。
 縁側からはもやがかった月が見えた。おぼろげな月光は、今のあかねの心情をそれとなく表わしているような気がした。

「えっと…おトイレは確か、あっちだったわね。」
 縁側をでつっかけを履くと、薪割りをしていた裏庭へと出た。こういう田舎家にはたいがい母屋と離れて、裏側に雪隠がある。
 引き戸を開けて中へ入り、用を足す。簡易水洗だった。
 家主によれば、民宿を本格的に開業する夏までには、宿坊へもトイレを付ける予定だというが、まだ、そこまで工事が完了していないとのことだった。
 手を洗い外へ出ると、薪割り小屋の上に、ぼんやりと人影が見えた。悠長な笛の音が、そこから聞こえて来る。聞いたことのないメロディーが笛から奏でられている。どことなく哀しげな音色だった。
 この家の人かと思い、あかねは声をかけた。
「良い音ですね…その笛の音。」

 ハッと驚いたように、笛の音が止んだ。

 じっと見ると、髪の長い女性だった。良く見ると、紙は白髪が半分。その感じから、四十代後半から五十代前半といった感じがうかがえた。
「そなた…わらわが見えるのか?」
 不思議そうにあかねを見つめ返しながら、答えが返ってきた。

「は、はい…。見えてますけど…?」
 あかねは恐る恐る声をかけた。
 もしかして…お化け…かと思った。
 中年女性に関わらず、年齢を感じられないほど透き通る美しい肌をしているし、少しばかり光っているようにも見えたからだ。

 女性は巫女のような衣装を身にまとっていた。上は着物衿、下は紅い裳袴。清涼とした感じに見えた。

「あの…もしかして、この世の方じゃないんでしょうか?」
 あかねは問いかけてみた。不思議と恐怖心は無かった。何故だか、悪い霊とは思えなかったのだ。おどろおどろしい霊魂というよりは、神々しさを感じた。

 あかねの問いかけに、女性はクスッと笑いながら言った。
「わらわが見える…そうか、ふふふ、では、そなたじゃな…わらわを目覚めさせたのは。」
「はい?」
 あかねはキョトンと巫女を見つめた。
 変なのに夜中に絡まれた…どうしよう…そんな事を思いながら、ドキドキしているあかねに巫女はさらに問いかけた。
「あの石を割ったのはそなたであろう?」
 夕刻、薪割りの時に、あかねが割った石を巫女は指さした。鏡石とか呼ばれていたらしい石だ。
「あ…その石…。」
 あかねはハッとして石を見詰めた。
「確かに…あ…あたしが割りました…。」
 恥ずかしそうにうつむいた。
「そうか…割ったのは、そなたか…。」
「割っちゃって…何か、まずかったでしょうか?」
 あかねはおそるおそる巫女に問いかけた。何か祟りでも起こるか、それとも封印を解いてしまったか…不安にかられたからだ。

「そうさなあ……。おぬし、ちと、付き合え。」
 そう言いながら、女性はクイッと手を上にあげた。
 と、念力だったのか、あかねの体がふわっと小屋の上に引き寄せられるように浮かび上がった。
「え?」
 抵抗する間もなく、気付くと、あかねは薪割り小屋のトタン屋根の上に乗っかっていた。

「あの…。あなたは…。」
 戸惑いながら、あかねが問いかけると、女性はにっこりと微笑みながら言った。
「そのとおり、わらわはこの世の者では無い。躯体はとうの昔に朽ち果てた古(いにしえ)の巫(かむろみ)じゃ。」
 少し憂いを帯びた微笑みで答えた。
「かむろみ?」
 聞き慣れぬ言葉だった。
「神に仕えるのが、巫(かむろみ)じゃ。」
「神に仕える…巫女(みこ)さん?」
「巫女…。ああ。そなたたちの世ではそう呼ぶのであったな…。」
 巫女は静かに答えた。
「巫女さんが何故、こんなところで眠っておられたのです?私があの石を割ったせいで…目覚めてしまわれたんでしたよね…。」

「まあ、そんなに気に病むな。目覚めの時が来たからこそ、その石は割れたまでのこと。それはそうと…。」
 巫女はあかねの右腰辺りを指さしながら言った。
「久々の現(うつつ)じゃ。ちと、わらわの酌に付き合ってもらおうかのう…。」
 そう言いながら、どこから出したか、巫女は土色の湯のみを出した。いや、焼き物の湯のみというより、土器だ。それを月に翳すと、ふっと水が土器の中に湧きだした。
「朧月見酒じゃ。」
 そう言いながら、巫女は笑った口には、歯が少なかった。ボロボロとまではいかなかったが、黄ばんで見えた。

「そなたも一献どうじゃ?」
 鼻先に土器を差し出されたが、あかねはブンブンと首を横に振った。
「いえ…。あたし…未成年ですから…お酒は…。」
「そうか…酒は飲まぬか…。なら、これはどうじゃ?」
 そう言いながら次に差し出したのは、紐状の物体。
「これ…何です?」
 恐る恐る尋ねると、巫女は言った。
「イカをあぶって干したものじゃ。」
「イカをあぶって干したって…スルメ…。」
「どうじゃ?つまむか?」
「あ…いえ、お構いなく…。あたしはいいです。」
 あかねは手を横に振って丁重に断った。得体の知れない物を口にすることに抵抗があったからだ。
「ま、気が向けばいつでも食せ。」
 そう言いながら、巫女はクイッと一杯、酒を飲みほした。

「ぷはーっ!久し振りの美酒じゃ…。旨い!」
「あの…。巫女さんってお酒を飲んでも大丈夫なんですか?」
 恐る恐る問いかけた。あまり巫女に酒は似つかわしくないと思ったからだ。
「飲むも何も、我ら巫女のおかげで酒は飲めるのじゃぞ。」
 巫女は言った。
「はあ?」
「おぬし、酒の作り方を知らぬのか?」
「お米を発酵させて作るんですよね?」
「発酵させるために、炊いた米を口で噛むのは古来より巫女の役割じゃった。」
「口で噛むんですか?」
「そうじゃ、我ら巫女の唾液に触れ、旨い酒に仕上がるのじゃ。」
 うげっとあかねは思った。
 そう言えば、発酵を促すために、古代は人間の口で噛んで吐き出したものを使った…という話をどこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。発酵を促すために、葡萄酒は足で葡萄を踏み砕いたとも聞いたような…。

「酒は神が人間に与えた神聖な飲み物。神に仕える我ら巫女が醸し息吹を与え酒を造る。神にささげる特別な酒は、巫女が口で噛んで発酵させるものじゃ。」
「じゃあ…そのお酒も…。」
「無論、神に捧げるため、わらわ自ら、この口で噛みくだし、醸し出した酒じゃ。」

(やっぱり…飲めない…。)
 あかねは強く思った。

「あの…。で…。巫女さんが眠りについてから、何年くらい経ってるんです?」
 変なものを呼び覚ましてしまったのも、元はと言えば、鏡石を割った自分にある。眠気もすっかり吹っ飛んでいたし、仕方がない、付き合うか…という気分になっていた。

「わらわが眠りに就いてから、ざっと、千有余年ほどの年月が流れたかのう…。」
 巫女は辺りを見回しながら言った。
「千有余年…ですか?」
 あかねは驚いた。衣装の雰囲気から、近い時代ではないと思ったが、千年以上前とは思わなかったからだ。とはいえ、千有余年という言い方は、曖昧な響きではある。千年前後なのか、それとも、もっと前なのか、この言葉からは推し量れない。

「ああ…。おぬしが割った鏡石が言うには、千三百年ほどは経ってしまったらしいぞ。」
「は、はあ…。」
 あかねは、思考を停止させ、深く考えることを止めた。
 頭がこんがらがるので、話半分に聞き流そうと、思ったのだ。これ以上、思考を巡らせると、目の前に古の巫女(みこ)だと名乗る変な霊が居るだけでも、頭が変になりそうだったからだ。
 不思議と恐怖感は無かった。何故だかわからないが、彼女の話を聞かないといけないという訳のわからない使命感のようなものに支配されていた。でなければ、このような場面では、普通、逃げ出すだろう。


「わらわは、番をしながら眠りに就いておったのじゃよ。…。」

「番…ですか?」

「ああ…。わらわが目覚めたということは、時空の扉が開いたということじゃからな…。」

「はあ?」
 あかねには、巫女の心意がさっぱりわからない。

 と、巫女は右手に持っていた杯からグイッと酒を飲み干した。
 ふうっと息を大きく吐き出すと、朧月へ向かって土器をかざす。と、なみなみと酒水で土器は満たされる。
 当然、酒は酔いを促すもの。青白い巫女の頬が少しばかり紅色に染まりつつあるように見えた。

 困惑するのは、そんな古代の巫オバサンの相手をさせられているあかね、当人だった。いきなり、力を託す者を待っていたと言われても、何が何だかさっぱりわからなかったからだ。
 困惑するあかねを前に、巫オバサンは、徐々に酒に染まっていく。

「あー久々の酒じゃあ…。こんな旨い物を飲まぬとは…。もったいないのう…。そなた、本当に飲まぬのか?」
 チラリと巫女はあかねを見やった。
「す…すいません。まだ、その…成人年齢に達してないんで…お酒は法律で禁止されているんです…。」
 脂汗を浮かべながら、あかねが言った。法律違反云々はさておき、口で発酵させた得体の知れない物は、絶対に口にしたくはない。
「ほう…未成年とな?そなた、幾つじゃ?」
「十六ですけど…。」
「十六なら十分成人年齢に達しておろう?」
「あ…今の時代は二十歳にならないとお酒は飲めないんですよ…。」
「二十歳とな?…そんなに年増にならねば飲めぬのか?」
 気の毒そうに巫女があかねを見返した。
「え…ええ。今は二十歳じゃないと大人って認められないんです…。」
「まあ、酒は大人の飲物じゃからのう…。神聖なる神からの捧げ物じゃからのう…。大人でないなら、無理強いはできぬか…。」
 そう言いながら、美味しそうに、巫は杯がすすむ。そんな急ピッチで飲んでも大丈夫なのかと、あかねが心配するくらいにハイペースだった。

「のう…おぬし、十六ということは、結婚しておるか?」
 と唐突に問いかけてきた。どうやら、酔っ払って来ている様子だった。
「いえ、まだ、結婚は…。」
「十六なら、男性経験も…。」
「ありません!」
 あかねはきっぱりと答えた。
「ということは、生乙女(きおとめ)かえ?」
「生乙女?」
「その、何じゃ、男に抱かれたことはないのかと問うておる。」
「当然です。」
「その年でも、生乙女とは…まさか…おぬしも、巫女?」
「違います!あたしの時代は、結婚適齢期が遅いんです。」
「ほう…女子(おなご)は幾つくらいで結婚するのかえ?」
「三十歳になるかならないかくらい…ですね。多分。」
「それは…晩婚じゃなあ…。まあ、わらわも、巫から任を解かれて、婚姻した時は、既に三十を回りかけておったから、批判はできぬがな。」
 と身の上を少し話し始めた。
「たく…巫を務めるのも、楽ではないのだぞ。」
 愚痴まで言い始める。
「しかも、後妻(あとめ)に入った故に、子も成せなんだ…。三十過ぎて婚姻したら、子など産めぬのではないのかえ?」
「まあ、昔に比べると、どんどん女性の結婚は晩婚化してますが、医療は発達していますから、三十代なら楽に子は産めますよ。」
「とはいえ、そんなに晩婚なら、子供もたくさんは産めまいに…。」
「というか、昔みたいに、ポンポン生みませんから。せいぜい、三人くらいまでかな…。赤ん坊も昔みたいに死にませんからね…。」
「よくわからぬが…。そうか…おぬしは、巫ではないのか…。」
 少し残念そうに、巫女は吐き出した。
「ならば、好きな男(おのこ)はおるのか?」
「あ…まあ、それなりに…。はい。」
 どう受け答えしてよいものやら、ドキドキしながらあかねは答えた。
「その相手、どうじゃ?周りに女は多いか?」
 その問いかけに、ついこぼれる本音。
「多いも何も…。たく…あんな無頓着な優柔不断男のどこに惹かれるのか…。」
 乱馬のことを考えると、自然に柳眉がつりあがる。
「女が群がるということは、良き男の証拠じゃ…。良き男ほど、子種の争奪も激しくなるからのう…。」
「ただの優柔不断な鈍い男です!あいつはっ!」
 つい、声を荒げた。

「あの…話をそろそろ元に戻してほしいんですが…。えっと…。どうして、あなたはここで千年以上も眠っておられたんです?」
 夜も更けて、肌寒くなってきたので、そろそろ潮時だと思ったあかねは、結論を巫女から聞きだそうと、問いかけた。

 酒がかなり回ったのか、巫女は酒臭い臭気を吐き出しながら言った。
「そうそう、そうじゃったな…。わらわが目覚めたということは、時の扉が開いたということじゃ。」
 酒による堂々巡りが始まったと、あかねは溜め息を吐きだした。このままでは埒があくまい。巫女の吐く息も酒臭くなってきていた。
「時の扉?」
 刺激せぬように、あかねは問いかけた。いい加減、酔っ払いの堂々巡りから、解放されて、寝床へ戻りたいと思っていたのだ。
「ああ、時の扉じゃ。…誰かが亀石を動かして扉をこじ開けたということじゃ。」
「亀石…ですって?」
 あかねはハッとした。
(そうだ。昼間、乱馬と良牙君の戦いのせいで、亀石が動いたんだっけ。)
 昼間の出来事が、脳裏に甦った。きっと、目の前の巫女は、そのことを言っているのだろう。

「どうやら、おぬし、心当たりがあるようじゃな…。」
 巫女の問いかけに、あかねはコクンと頷いた。
「え…ええ。まあ…。」
 あかねは昼間の乱馬と良牙のやり取りを思い出していた。二人の爆砕点穴の撃ち合いのせいで、亀石が向きを変えたのだ。元に戻してはいるが、動いた事実は変えられない。
「やはり、亀石は…動いたか。」
 巫女はふっとあかねを流し見た。
「ええ…。動かそうとして動かしたんじゃなくって、喧嘩の弾みで動いてしまったというか、何と言うか…。」
「おぬしが動かしたのか?鏡石も壊せたくらいの力を持っておるようじゃから…。」
「ま、まさか!いくらあたしでも、あんな重い岩、動かせる訳ないです!動かしたのは、知り合いの男の子二人です!」
 巫女の素っ頓狂な問いかけに、あかねは両手を振りながら否定した。
「ほう…。男が二人がかりで動かしたのか。」
「正確には、道端で格闘勝負しているうちに、亀石が動いてしまったというか…。だから事故なんです。」
 あかねは困惑下に弁解した。
「道端で格闘勝負とな?酔狂な…。」
「酔狂というより、ただの迷惑行為です…。ほんとに、あの二人ってば、会えば勝負ばかりして…。」

「で?その二人、今はどうしている?」
「一人はあっちの母屋で眠りこけてますけど…。」
「もう一人は?一緒に行動しているのではないのかえ?」

 その問いかけに、あかねは「あれ?」っと思った。そう言えば、その後、良牙はどうしたのか。
(そういえば…。良牙君…どうしたんだろ…?あのまま、置いてきちゃったわ…。)
 もっとも、一緒に行動していたとしても、ここまで辿り着けたかどうかは疑わしい。それほど、良牙は方向音痴だった。
(迷子になって、飛鳥を彷徨い歩いているのかしら…。いえ、もう、この辺りには居ないかもしれないわね…。まあ、仕方ないか…。)
 そんなことを心の中で吐きだすと、おもむろに巫女の方へと向き直って問いかけた。
「あの…あなたが目覚めたことは、亀石が動いたことと、何か関わりがあるんですか?」
 あかねにしてみれば、当然の疑問の投げかけだった。
「無論じゃ。亀石が動いたということは、時の扉が動かせる状態になったということじゃ。」
「時の扉?」
「ああ、時空の門じゃよ。現にそこを誰かが通って行ったのじゃ。だから、わらわが目覚めた…。」
 あかねには、何のことやら、さっぱりとわからない。が、巫女だけは、道理がわかっているようすだった。
 酒の入った土器を傍らに置くと、巫女は急に身を乗り出してきた。

「時に、そなた…服の中に…印となり得る石を持っておろう?」

「はい?」
 あかねはキョトンと巫女を見上げた。

「それ、そこの右の腰元にあるもの…取り出してわらわに見せてみられよ。」
 命令口調で、巫女はあかねに促してきた。
「スカートの右ポケット…えっと…勾玉のことしら?」
 あかねは右ポケットをまさぐって、明日香資料館の露天で乱馬に買ってもらった勾玉を取り出した。
「もう一つ、無いか?」
「もう一つ…ですか?…あ、そう言えば、もう一つ、持っていたっけ…。」
 あかねは巫女に言われるままに、もう一つ、良牙から貰い受けた、黄色い丸い石を取りだした。
「紅い玉と黄色い玉か…。なるほどのう…。共に、違う気配が立っておる。」
「気配?」
 いぶかるあかねを横に、巫女はじっと紅い方の勾玉へと視線を投げかけた。そして、数秒間、微動だにせず、あかねの勾玉を見つめた。巫女はふっと顔を上げて、あかねを見据えた。
「この勾玉を預けたのは誰じゃ?」
 黄色い石を指差しながら、尋ねて来た巫女に、あかねは答えた。
「良牙君ですけど…。」
「男かの?」
「ええ、まあ…。」
「ということは、将来を誓った男かえ?」
「ま、まさか。良牙君にはあかりちゃんっていう彼女が居るし…。ただのお友達ですけど。」
 と良牙が聞いたら涙ぐみそうな言葉を、さらっと返した。
「本当に、そうかえ?」
 酔っぱらった勢いか、巫女はしつこく尋ねて来た。
「あたしには、ちゃんと別に許婚が居ますから。」
 咄嗟にあかねは答えていた。もちろん、乱馬のことを指したのだ。
「ほう…。そなたには許婚が居るのか。」
「ええ…。親が決めた許婚ですけどね…。」
 ふうっと溜め息を吐きながら答えた。
「では、こちらの玉は誰から貰った?」
「貰ったんじゃなくって、買ってもらったんですけど…。」
 困惑げにあかねは答えた。
「誰に買ってもらったのじゃ?」
「あの…。その、あたしの許婚に…ですけど。」
 あかねは口ごもりながら言った。
「ほう…。許婚に買ってもらったものなのか。」
 少しにやりと笑いながら巫女が言った。
「あ、そんなたいしたものじゃないですからね。あたしだけじゃなくって、お姉ちゃんたちも買ってもらってたし…。」
 言い訳めいた言葉を、あかねは口にした。
「その許婚は、これを誰から買うたのじゃ?」
「普通の露天商のお兄さんです。」
 あかねはいぶかりながら答えた。
「そやつ、この世の人間ではないな。」
 と、巫女は突拍子もないことを言った。
「はあ?はい?ちゃんと、二足ありましたけど…」
 キョトンと見つめ返すあかねに、巫女は言った。
「二足あってもわらわのように、この世の人間でない者もおるぞ。」
「まあ、そう言われれば、そうではありますけど…。人間じゃなかったら、何なんです?物の怪…ですか?」
 首をかしげるあかねに、巫女は頷いた。
「この勾玉からたつ気配…多分、式じゃな。」
「式?」
 巫女にはわかっているようだが、あかねにはわからない言葉が羅列される。

「既に、奴らは動きだしておるのか…。まあ、細かいことは良かろう…。時に、そなた、名は何と申す?親に与えてもらった諱(いみな)は?」
「天道あかね…です。」
 戸惑いながらも、即答した。諱(いみな)という言葉は知らなかったが、親から与えてもらった名前なら、本名のことだと思ったのだ。名を問われて、本名を名乗るのは、現代人には当り前の行動だった。

「天道あかね…良き名じゃ。じゃが、そう素直に問われて諱(いみな)を明かしてはならぬぞ…。諱(いみな)は咒法の素となる。悪用されたらどうする?」
 そう言いながら巫女はにやりと笑った。
 ますますもって、あかねは困惑した。
「問いかけて来たの、そっちじゃないですか…。それに、諱(いみな)って何です?」
 と口をとがらせる。が、巫女はあかねの問いかけなど、お構いなしに、マイペースに自分のしたいことをおっ始めた。

「天道あかね…。天道あかね…。天道あかね…。」
 巫女は目を閉じ、噛み砕くようにゆっくりと三回、繰り返す。そして、ゆっくりと目を開き、あかねをまっすぐ見据えながら言った。
「わが諱(いみな)は依羅(よさみ)。そなたにわらわの力を授けておこう……。」
「はい?」
 疑問符がたくさんついたあかねの問いかけに応じることなく、巫女は己の手を真正面でギュっと組み合わせた。と、指と指を合わせたところから、神々しい光が満ち溢れる。
「え?」
 光に飲み込まれるように、あかねの周りが輝き始めた。
「そなたに託した光…必ずそなたを導いてくれる。そなたがここへ来たのも、そなたがその二つの玉を持っているのも…そなたがわらわと出遭うたのも、この土地の産土神(うぶすな)が結んだ縁(えにし)じゃ。この産土神がおまえさんを、隠(いなば)を守る巫(かむろみ)として、選んだということ…。
 汝、天道あかね。
 そなた、いずれ我が主様とあいまみえることがあろう。その時、そなたに光の力を与えられよう…。
 じゃが、時が来るまで、今、わらわと邂逅したこと、…記憶の底へと沈めておかれよ…。
 わらわが目覚めたということは、倭国が危機に瀕している証拠ぞ…。
 …天道あかね…。
 時の狭間を超えて、この国を守ってくれ…。この国に連綿と流れて来た時の流れを変えることなく…。頼んだぞ。」

 声と共に、急に気が遠くなった。

「あ…れ?あたし…。」
 次に気がついた時は、目の前にいた巫女の姿は消え失せていた。
 そればかりではなく、巫女と交わした言葉のことも、すっかり忘れ去っていた。

「あかねっ!おいっ!こらっ!あかねっ!」
 背後で怒鳴る声がした。振り返ると、乱馬が怒った表情をあかねに手向けていた。
「真夜中に、こんなところで何やってんだ?おいっ!」
「何って…あ、トイレしに来たんだっけ!」
 あかねはポンと手を叩いた。
「ボケるのも大概にしろよー。トイレは向こうだろうが。」
 厠の方向を指でさしながら、乱馬はますます不審な眼をあかねに手向ける。
「そ…そうよね…。んー、あたし、ここで何してたんだろ…。」
「あのなあ…。寝ぼけるのもいい加減にしろよな!」
 だああっと脱力しながら、乱馬はあかねを見返した。
「何か悪いもんにでも憑りつかれたんじゃねーだろーなー?」
「憑りつかれる…?あれ…誰かと会ってたような気もしないでないわ…。」
「誰かって誰だよ?誰も居ないぜ。」
 乱馬は、キョロキョロと辺りを見回してみたが、当然、誰の気配も感じなかった。
 考え込むあかねに、乱馬はしびれを切らせて言った。
「ほれ…とっととトイレすませて、部屋へ戻れっ!目を覚ましたらおまえが居なかったから、焦ったじゃねーか、バカッ!」
 どうやら乱馬は、部屋に居なかったあかねを、探しにここまで出て来た様子だった。
「ここで待っててやるから、とっとと用足して来いっ!」
 そう告げると、くるりと背を向ける。
 実は、乱馬は、目覚めてあかねが居ないことを知り、少しばかり慌てていたのだ。トイレにしては、なかなか帰って来る気配がない。心配して、部屋を出て来たのだが、あかねに悟られるのは、照れくさかった。

「わかった…。すぐ行って来るから待っててね…。」
 乱馬の本音が垣間見えたのか、あかねはふっとほおを緩めると、トイレへと駆け込んでいった。

「たく…。ちょっと眼を放したらこれだ…。」
 乱馬はその背中を追いながら、長いため息を吐き出した。
「危なかしくって、一人にしておけねーんだよ…おまえは…。」
 白い息が、乱馬の言葉と共に、春の夜の四十万(しじま)に溶け出して行った。




四、藤原宮跡の怪

 翌日もよく晴れていた。
 穏やかな絶好の観光日和だった。
 朝から自転車を借りて、藤原京方から飛鳥を巡ることにした。

「うへー、何もねえ、ただの野っぱらじゃん。」
 乱馬は、自転車を止めて、感嘆の声をあげた。
「ここって、本当に、都があった場所なのかあ?」
 確認するように後ろから走ってきたあかねに問いかけた。
「ええ、ほら、あの掘立柱みたいな赤いのが見えるところ…あれは建物跡ね。それから、あのこんもりとした築山(つきやま)辺りに大極殿(だいごくでん)があったらしいわ。」
 地図片手にあかねが答えた。
「大極殿(だいごくでん)?」
 聞き慣れぬ言葉に、乱馬がきびすを返した。
「お城の天守閣みたいなものよ。宮廷の中央になる建物のことよ。」
 なびきが後ろから声をかけてきた。
「何つったっけ?ここにあった都の名前。」
「たく、日本史で習ったでしょ?」
 あかねが呆れたと言わんばかりに、話しかける。
「覚えてねー。」
「藤原京よ。そのくらい覚えなさいっ!」
「で、いつ頃、都だったんだ?」
「えっと…。パンフレットによると、六四九年から平城京へ遷都された七一〇年まで持統、文武、元明の三代の天皇にわたって使用された我が国はじめての計画的都市の遺跡ですって。」
「計画的都市の遺跡…。にしては、本当に何もないあるな…。中国の都とは大きな違いあるね。やっぱり日本は東の蕃国(ばんこく)あるな。」
 珊璞が乱馬の自転車の荷台から身を乗り出して、話しかけてきた。
「そりゃ、中国とは、国土の大きさも、歴史の長さが違うもの、しょうがないじゃないの。」
 とあかねが怒った口調でそれに応じた。
 
「本当に何もねーな…。昨日の明日香村といい、ここといい、本当に都だった土地なのか、疑わしくなるほど、田舎だな…。」
 辺りを見回して、乱馬は溜息をふううっと一つ吐き出した。
 
「何も無いことが、かえって売りになったりするんじゃないの?」
 なびきがペット飲料のフタを開きながら吐き出した。
「でも、空気はとってもおいしいわ。」
 にこにことかすみがそれに応じた。
「にしても…オヤジたち、遅いな…。」

 まっすぐ、都跡を突っ切るように東西に延びる対面道路。その遥か向こうに、自転車を漕ぐ、中年男性の姿をとらえた。
「おーい、待ってくれーっ!」
 と早雲がしきりにがなっているのが聞こえてきた。

「ちぇっ!最近、修業を怠けてっから、すぐ、ネをあげるんだ。」
 そう舌打ちすると、乱馬は再び辺りの景色を眺め渡した。

 ここは奈良県橿原市にある藤原宮跡。千三百年ほど前に、日本の中心機構があったところだ。しかし、乱馬が感嘆するように、本当に何もない、広いただの整備された草原であった。
 発掘調査で見つかった建物の礎石跡が、かつての都の面影をかろうじて伝えているとはいえ、物の無常を思わせるほどの閑散ぶりだった。歴史に興味が無い者には、ただのだだっ広い、野っ原だった。


「ここに都があったって言われてもなー。ピンとこねーなあ…。」
 傍らにある案内板には、確かに「藤原宮跡」の文字が踊っている。
「でも、のどかで良い景色だわよ。」
 と、かすみがにこにこしながら言った。
「日向ぼっこが似合うわよね。」
 あかねも同調した。
「ねえねえ、大和三山(やまとさんざん)ってどれかしら?」
 かすみがにこにこしながら問いかけた。
「大和三山?」
 珊璞がきびすを返すと、なびきが答えた。
「畝傍(うねび)山と耳成(みみなし)山と天の香具(かぐ)山の三つよ。ねー乱馬君。」
「俺に振るな、俺に…。知るかよ!」
 と不機嫌に吐き捨てる乱馬。
「乱馬に尋ねても無駄よ!」
 とあかねが嘲るように言った。

「畝傍山は西のあの山ね。きっと…。」
 なびきが西側にある、なで肩の山を指さした。三山の中では、一番大きい。東の麓(ふもと)に、橿原神宮(かしはらじんぐう)がある。
「耳成山はたぶん、あれよ。」
 あかねが地図を片手に北側の小さな三角山を指さした。
「じゃあ、香具山はどいつだ?」
「うーん…。」
 乱馬に問いかけられ、あかねは黙りこんでしまった。
「多分、あの小山だと思うんだけど…。」
 と、自信なさげに東側にある小山を指さした。

「多分じゃなくって、あれね。地図から推測する位置関係からみると…天の香具山はあの小山で間違いないでしょうね。」
 となびきが答えた。

「天の香具山って持統天皇の和歌にも出てくる有名な山やろ?それにしては…低くて小さいなあ。パっとせんただの小山やん。」
 右京が反応した。
「持統天皇の和歌?」
 乱馬が問いかけると。
「春過ぎて、夏にけらし、しろたえの、衣ほすちょう、天の香具山…よ。百人一首にもあるでしょ?」
 あかねがさらりと答えてのけた。
「んな和歌、知らねーや。」
 と、また無知ぶりを吐き出す乱馬。
「習うたやん、この前。」
 右京がたしなめると、あかねが続けた。
「たく…。あんたは、日本史だけじゃなく、古文の時間も夢の中だものねー…。この前の期末の古文も、欠点で追試喰らってたし…。」
「るせー!」
「ただの貧相な小山あるな…香具山は。あれは山じゃないある。丘にもなれないあるよ…中国では。」
 珊璞が馬鹿にしきった口調でそう述べた。
「そう言われてみればそーだな。あれが香具山なら、貧相だな…。」
 それを受けた乱馬に、あかねが喧嘩腰に言った。
「そんなこと言ったら、バチが当たるわよ!天の香具山は神奈備山として名高い山なんだから…。わざわざ頭に「天の」って冠がつくくらいだし…。」
「でも…貧相なものは貧相だぜ…。おめーの胸みてーに!」
「バカっ!」
 思わず、右足で乱馬の左すねを蹴りあげた。
「痛えじゃねーか、この貧乳っ!」
 まともにあかねの蹴りが入ったので、乱馬が怒ってそれに対する。
「もう一発食らいたい?」
 握りこぶしを作るあかね。

「乱馬君、あかねちゃん、二人とも、喧嘩は駄目ですよー。」
 かすみが穏やかな口調で、それを制した。

 その時だ。一陣の風がゴオオッと音をたてて、藤原宮跡を吹き抜けた。
 何もない野っぱらでは、遮蔽物もなく、風も容赦なくうなりを上げて吹き抜けて行く。

 と、乱馬は、ピタリと動きを止めた。
(な…何だ?この気配!)
 じっと、地面を見つめ、全身の感覚を研ぎ澄ませる。
 何かの気配が、風と共に、己の下を通って行ったような気がしたのだ。得体の知れない不気味な大きな気配。ゆっくりとどこかへ向かって、流れ去っていった。
 ぞくっと背中に鳥肌があわぶく。

「乱馬?どうかしたの?」
 突然止まった乱馬の動きに、あかねが怪訝に彼を眺めた。

「気が…。」
 そう言いかけて声を止めた。
「気?」
「あ…いや、別に何でもねー。」
 と息を吐き出した。周りを見渡したが、珊璞も右京も親父たちも、もちろん、あかねも、誰ひとり、その気配に気づいた者はいなかったようだ。
(ま…良いか。ただ、流れて行っただけだもんな…。)
 もう、どこか遠くへ流れて行ってしまったようで、いくら探っても、見つけ出すことはできなかった。
 気のせいということで、乱馬も済ませようと思った。

「次は明日香村埋蔵文化財資料室へ行くわよ。」
 なびきが先導し始めた。仕切るのが上手い彼女に、観光の一切は任せてある。
「埋蔵文化財資料室ねえ…。また、昨日の飛鳥資料館みてーに退屈なんだろーな…。」
 ぽそっと乱馬が吐き出した。

 自転車にまたがり、再び、勢い良く漕ぎ始めた。



五、水落遺跡の怪

「おい…。」
 自転車から降り立って、乱馬はなびきを振り返った。
「埋蔵文化財資料室って、ここのことか?」
「ええ、ここよ。」
 涼しい顔でなびきが言った。
「本当に、ここか?」
 とまだ念を押す乱馬。それもそのはず…。埋蔵文化財資料室という名称を疑いたくなるような外観の建物が目の前に建っていたからだ。隣には「楽座」と書かれた農産物を扱った公営の店がこじんまりと店開きしている。
 入口は天道家よりも年季の入ったボロボロの木造校舎風の建物に、運動場のような土の駐車場。道路傍には、校門を思わせる大きな柱まである。

「おい、何だか小学校の廃校舎の再利用を思わせねーか?ここ…。」
 乱馬が唸った。
「小学校の跡地だろうと、ここは埋蔵文化財資料室だわよ。ほら看板にもそう書いてあるでしょう?」
 なびきが看板を指さした。
「天道道場とどっちがオンボロだ?」
「失礼なこと言わないで!」
 ポカッとあかねが乱馬を小突いた。
「えっと、この施設は飛鳥小学校と幼稚園の建物を再利用してありますって書いてるわねえ。」
 入口にある看板をのほほんとかすみが読んだ。
「しかも…。呼び鈴を押してお入りくださいだあ?家じゃあるめーし。」
 入口に、押せと言わんばかりに呼び鈴のブザーがあって、御用の方は押して中へお入りくださいと紙に書いて貼ってあった。
「押してみましょうか…。」
 恐る恐る押すと、中から、エプロン姿の女性が現れて、どうぞと中へ誘ってくれた。

「エコもここまで行くと徹底してるなあ…。」
 右京が感心しながら、足を踏み入れた。
「廃校舎利用の文化財資料室…。何か…貧乏くさいな…。」
 乱馬が脱力しながら吐き出した。
「だから、思ったまんまを口にするなってーの!」
 また、あかねが乱馬を小突く。その横を、ここの女性がにこやかに笑っていた。
「つい先ごろまで、あちら側に、廃校舎が建っていたんですけど、さすがに危ないからと倒しました。」
 とにべもなく言い切る。
「うーん…恐るべし、飛鳥。奥が深いぜ…。」

 展示室の中も本当に校舎そのままだった。床板はフローリング材に張り替えられていたが、壁板はそのまま木造校舎を思わせる。その部屋の真ん中に、井戸が組み上げられていた。しかも、どうぞ触ってくださいと言わんばかりに、ドンと自己主張している。

「壊さないようにしてもらえれば、触ってくださってもかまいませんからね。」
 中から招き入れてくれた女性が、明るく気さくに声をかけてきた。
「え?触れるんですか?」
 かすみが思わず、声をあげた。
「どーせ、レプリカか何かなんだろ?」
 乱馬は渇いた口調で吐きつけた。
「いいえ、地中から掘り出された本物の井戸の発掘物ですよ。特殊な液体に浸して数年かけて処理しなおした。正真正銘の千三百年以上前の井戸の遺構ですよ。」
 とガイドしてくれる女性は自信たっぷりに言い放った。
「千三百年以上前の井戸…。」
 ざわっと周りが浮足立つ。さもありなん、目の前にある古井戸が、千三百年以上前に使われていた遺構だというのだ。しかも、触れるという。
「日本中どこを探しても、千三百年前の井戸板に触れる場所はここだけですからねー。それだけでも価値がありますよ。」
 女性の言葉に、珍し物好きな天道家の面々は、それぞれ好奇心旺盛な眼差しで、井戸板へと手を伸ばす。
「結構、大きい井戸だな…。でも、なあ…。玉砂利がそこにまいてあるだけってーのは…。」
 井戸板は数枚組みあげただけで、勿論、底に水などない。すぐ手に届く底には小石が申し訳程度に入れられてあった。これでは井戸というより、玉砂利置場だ。
「手作り感満載の展示の仕方だな…。」
 思わず乱馬の顔から苦笑いが零れる。
「へええ…。当時の井戸って大きかったんだ。大人三人くらい入れるよねえ。」
 なびきが言い放つと、
「井戸っていうより湯船だわ。」
 あかねが続ける。
「いや、ビニールプールみたいだよ。子供の水遊び用の…。」
 玄馬が眼鏡を触りながら言った。
「井戸に入ると、タイムワープとかしそうあるね?」
 珊璞が問いかけると右京が答える。
「犬夜叉の骨喰いの井戸やあるまいし!」
「幽霊とは時代が違うよなあ…。」
 早雲が唸ると、なびきが答える。
「違うでしょう。第一、古代に幽霊なんて概念あったっけ?」
 がやがやと、思い思いに感想を述べあう。

「幽霊はさすがに関係ないですねー。怨霊思想が出てきたのは、平安時代以降と言われていますが、実は、平城京から出土した井戸などには、土器の欠片や呪いの札や呪具が一緒に出土しているんですよ。井戸の中に投げ入れて、人に呪いをかけたりしていたんですね。」
 ガイドは真顔で一同に説明した。
「……呪いの札ねえ…。何か、思いっきりキナ臭いよな。」
 その言葉に思わず、乱馬から苦笑いがこぼれる。
「古代の人もいろいろ妬(ねた)み嫉(そね)みがあって、大変だったのねー。」
 あかねも変に関心していた。
「飲み水の確保以外にも、井戸の使い道があったんやなあ…。」
 右京も感嘆しながら、井戸をさすっていた。

「ええ、古代人は人に呪いをかけられたりしないように、本名は人に明かさないようにしていたんですよ。」
 ガイドは丁寧に説明を続ける。
「人に本名を知られること、これ、即ち、人に命を握られるのと同じことだと、古代の人々は思っていたんです。だから、ごく限られた人以外に、親から与えられた自分の本当の名前を打ち明けることは無かったそうです。
 特に女性の場合は、本名を名乗らないことは、男性よりももっと顕著で、時代が下った平安時代ですら、本名が明らかになっている女性は殆ど居ないんですよ。
 例えば、日本文学に多大な影響を与えた、「源氏物語」の作者、紫式部も、「枕草子」の作者、清少納言も本名ではなく、あくまで通称です。今のところ、二人とも、本名は解明されていません。歴史に名前を遺した女性でもこんな具合ですからね。」

「へええ…。そーなんや。」
 右京は感心する。

「古代にしろ中古にしろ、求婚してくる男性に、女性が本名を明かせば、それは、結婚を承諾したことにもなったんです。実際、万葉集や古事記なんかにも、名前を明かしてくれと女性に迫る男性の描写があったりするんですよ。」
 ガイドの解説に、一同は、ほおおっとため息混じりに感心した。
「水といえば、この校舎の向こう側に、水落遺跡がありますから、そっちも是非、見学してくださいね。それから、ここの北側には石神遺跡もあります。今はただの田んぼですが、この辺り、斉明女帝時代は外国の使者をもてなすための施設だったそうですよ。」
 と付け加えた。

「みずおち遺跡?それって、水に落っことすための池か何かですか?」
 あかねがガイドに問いかけた。
「乱馬君を落っことして女に変身させるための遺跡だとか。」
 なびきの言葉に、一同からあははと笑い声が響く。
「るせー!俺は好きで女に変身するわけじゃねーっつーのっ!」
 勿論、乱馬の怒声も響き渡る。

「斉明朝時代に作られた我が国最初の水時計の跡です。国立飛鳥資料館に模型がありますよ。」
 そう言ったガイドの言葉に、
「ああ、昨日の資料館に、確かにあったわ。水落遺跡の再現とかいう展示物。」
 あかねがポンと手を叩いた。
「あったかあ?んなの。」
 乱馬がきびすを返した。
「あったわよ。箱形が組んであって、酌を持った人形が立ってる模型があったじゃない。」
「覚えてねーな…。」
「ほんと。あんたっていい加減にしか物事を見ないのねえ…。」
「うるせー!興味無いから仕方ねーだろ?」
 こういう史跡に興味のある高校生は、そうやたら居まい。一般教養の一部分でしかなく、見たからといって、どうのこうのとかいう感慨には、縁遠い乱馬であった。

 この埋蔵文化財資料室の周り、実は、遺跡、史跡の宝庫である。隣接して、水落遺跡、それから、縄文時代の遺跡もあるし、斉明朝の迎賓館だったと言われる石神遺跡も隣接している。また、推古天皇の小治田宮(おはりだのみや)と思われる史跡や、飛鳥寺も近い。飛鳥川に沿って連綿と続いているのである。飛鳥川の対岸は、豊浦宮の跡、それから蘇我蝦夷・入鹿父子の館があったとされる甘樫丘(あまかしのおか)へと続く。
 今でこそ、人の往来も少ない土地であるが、このあたりは、紛れもなく、今から約千四百年前の古代日本の中心でもあったのだ。
 特に、水落遺跡は、漏刻(ろうこく)と呼ばれる水の落ちる速度を利用して時を計る、日本最初の時計施設として名高い。葛城皇子(通称・中大兄皇子、のちの天智天皇)が母親の斉明の在世に作らせたと日本書紀に記載がある施設だと考えられている。当然、時計の技術など無に等しかった古代には、この水時計は最先端の技術であり、その技術を手に入れたことで、名実、天皇家は時をも支配する強大な力を手に入れたことを意味する。正確に時を計り、暦を作ることは、今からは想像がつかないほど、大きな国家事業だったのである。
 暦によって、日食や月食など様々な天体異変をさも予告したかのように民に伝える。それが天皇の一つの役割のようにもなっていた。科学の恩恵など受けない古代の民にとって、暦を用いた天皇の天気や天体に関する予言は驚異の対象ともなり得たのである。実際、暦を運用したのは、唐に式を学んだ五行博士(ごぎょうはかせ)たちだった。後に彼らは「陰陽師(おんみょうじ)」と呼ばれるようになった。特に五行に詳しかった、大海人皇子(天武天皇)は、自ら「遁甲(とんこう)」と呼ばれる陰陽術を、積極的に取り入れ、操ったような記述が『日本書紀』にある。

 古代の天皇家は、漏刻を作り、暦を整備することによって、時を支配し、より強固な権力を握ろうとしたのである。

 もちろん、乱馬たちは、知る由もないし、興味もなかった。



 トイレ休憩も兼ねて、しばらくここで休憩を取ることになった。自転車で走りっぱなしというのは、父親たちには予想以上にきついようで、休憩を強要されたのだった。
 
 水落遺跡も、それが何を意味するか知らなければ、ただの「苑池の跡」にしか過ぎない。大がかりな装置までは再現されていないため、掘り起こされたまま池の遺構があるだけの閑散とした土地だった。石が敷き詰められた、何の変哲もない建物址にしか見えなかった。
 建物の柱があった場所には、丸太が据えられていて、ちょっとした腰掛ベンチに見える。
 水落遺跡、石神遺跡、埋蔵文化財展示室、それから石神遺跡。いずれも、古代史を学ぶ者にとっては、そこそこの名の通った史跡だ。だが、興味のない者にとっては、退屈な場所にしか過ぎない。
 しかも、周りは田舎家と田畑が連綿と続く、ただの静かでのどかな田舎町だ。遺跡というより、田んぼの真ん中に突っ立っている。

「何が楽しゅうて、こんな田舎を見学してんだ?」
 乱馬はぎゅっと拳を握りしめる。こんな遺跡を楽しめるほど、人生、達観もしていない。
 目の前にある「石神遺跡」を示した案内板。それは、ごろごろと音をたてて流れる田んぼへの用水路のど真ん中に設えられた碑文だった。
 何の気なしに振りあげた手が、傍を通っていたなびきへとぶち当たった。

「おっとっと…。」
 なびきの足元がばらつき、ふわっと何かが落ちた。名刺大の紙切れだった。
「何か落っこちたぜ。」
 そう言いながら乱馬は、落下物を拾い上げる。と、一枚のカードだった。栗色の髪の若い巫女姿の女性の姿が写っていて、携帯サイトのアドレスが印刷されている。なびきの持ち物だとは、思えないカードだった。怪しげな巫女喫茶の名刺か何かと思えるような、変なカードだった。
「何だ?これは…。」
 乱馬が怪訝な顔をなびきへと手向けると、
「あ、それは、会員証よ。」
 なびきが言った。
「会員証だあ?怪しいクラブか何かのか?」
 驚いてなびきを見返すと
「ルナさんの株式占いネットの会員カードよ。それがあると、株で損しないって曰くつきの会員証なの。」
「ふーん…。で?これがその、ルナさんとか言う奴か?」
 乱馬が興味深げに眺めると、なびきが頷いた。
「ええ…。けっこう、美人でしょ?その容姿に魅せられて、会員になるおっちゃんとかも居るらしいわよ…。」
「そうかあ?耳から口にかけて布で覆ってるから、顔なんて、全然んわかんねーぞ…。」
 乱馬は写真の装束を見ながら、溜め息を吐きだした。アラビアンナイト風というおうか、白い布で目から舌をきれいに隠しているため、殆ど、表情がわからなかった。が、目は二重でぱっちりしており、美人であろうことは、おぼろげに想像できる。

「まあ、彼女には、マネージャーとして腕をふるっているお兄さんが、顔を出さないようにと心がけているみたいよ。顔が露わになると、霊力が半減するとか言ってさあ…。」
「ふーん、兄さんがねえ…。」
「ええ。このお兄さんもイケメンって噂だけはあるのよねえ…。」
「同じように顔を隠してるのか?」
「んー、まあ、常はサングラスをかけて帽子もかぶっているらしいわ。ほら。」
 そう言いながらなびきはラミネートしてある名刺大の写真を出した。そこには、確かにサングラスをかけた、ちょっといなせな若い男の姿が写っていた。
「グラサンに目なし帽ねえ…。」
「ええ。確か、名前は、マドカさんとか言ってたなあ…。」
「マドカねえ…女みたいな名前だな。」
「さあね。名前自体が本名かどうかもわかんないじゃないの。こういう占いに関係している人って、あんまり本名は名乗らないんじゃないの?」
「そういうものかねえ…。で?何で、おまえが、マドカ兄さんの写真なんか持ってるんだよ…。芸能人じゃあるめーし。」
「会員証と一緒にお兄さんの写真を持ってると、御利益(ごりやく)あるらしいのよ。」
「どんな御利益があるんだよ…。」
「運気が上がるってね。」
「運気ねえ…。」

「乱ちゃん!」
 と、背後で右京の声がした。トンと背中を叩かれ、我に返る。
「何、見てるん?」
 右京は缶飲料を片手に傍らに座り込んできた。
「別に何でもねえよ。」
 と写真を後ろに隠しながらぶっきらぼうに答えた。男の写真を見る男というのも、いただけない感じがしたからだ。
「それより、ほら、うちのおごりや!」
 右京はそう言いながら、缶コーヒーを乱馬の目の前に差し出した。彼女は会員証には目もくれなかった。お目当ては乱馬だったからだ。
「お…おう。」
 生返事を返しながら、乱馬は右京から缶を受け取った。
「あらら、あたしはお邪魔かしらねえ…。」
 なびきが笑うと、右京は微笑みかけた。
「なびき姉ちゃんの分もあるさかい。」
 そう言いながら、もう一つ、缶コーヒーをちらつかせた。
「遠慮なく貰っとくわ。」
 そう言いながら、なびきは缶コーヒーを受け取ると、乱馬たちの前から立ち去った。

「っと…写真…。」
 と言いかけたが、なびきは立ち去った後だった。
「ま、いいか。後で返せば…。」
 仕方なく、返しそびれた男の写真を、赤色のチャイナ上着のポケットへと仕舞った。

 と、あかねがやってくるのが見えた。彼女の手にも缶コーヒーが二本、握りしめられていたが、乱馬が缶コーヒーを持っているのを見て、少しばかり、顔を曇らせた。どうやら、あかねも乱馬に気を利かせて、一本、自販機で買ってきたのだった。
「乱馬、これ飲む?」
 と差し出すと、
「あ、別に要らねーよ。ウっちゃんに貰ったばっかだから。」
 と愛想なく返答が返って来た。この鈍感男、女性の扱い方を、本当に知らないようだった。
「あっそー!それは失礼いたしました!」
 あかねはちょっと怒った口調で、吐き出した。
 乱馬の脇に、ちょこんと座った右京は、勝ち誇った顔をあかねに手向けてきた。してやったりと言わんばかりに、笑みを浮かべてあかねに投げ返してくる。
 乱馬は乱馬で、ぶっきらぼうだ。この鈍感男は、右京とあかねの雲行きが怪しいことなど、当然、気にする素振りもなかった。

 空ではひばりが囀りながら、飛び交っている。
「ひばりが、金返せって空でさえずっているねえ…早乙女君。」
「はははは…それは、ワシに対する、痛烈な嫌みかい?天道君。」
 英国人にはひばりの鳴き声が「金返せ」と聞こえたようで、マザーグースにはそう表現されている。早雲はそれをもじったようだ。

「ほんま、ええ天気やなあ…。」
 右京はあかねの後姿を、にんまりと笑いながら見送ると、缶をプッシュして開けた。
「良い天気過ぎて、かえってむなしくなるぜ…。こんな、何もないところ…。」
 ぶすっと乱馬が言葉を吐きつける。
「まあ、ええやん。たまには、こんな何もないところで、まったりと芳しい春風を肌で感じながら過ごすのも。」
 右京はご機嫌だった。あかねを出し抜いてやったという、満足感。一緒に暖かい乱馬と缶飲料を啜る幸せ。

 一方、缶飲料対戦に破れたあかねは、ふううっと長い溜息を吐き出した。宙に浮いた缶コーヒーが一本。どうしようかと考えあぐねた。と、そこへ珊璞が前から歩いてくるのが目に入った。
「珊璞。ちょうど良かったわ、これ、あげるわ。」
 と宙に浮いた缶コーヒーを珊璞へと手渡した。
「あかねが私にくれるあるか…?」
 珊璞は不思議そうにあかねを見返した。
「要らないなら返してくれても良いけど…。」
「くれるものは貰うある。それが女傑族の在り方。」
 珊璞はあかねから缶コーヒーを受け取った。そして、やおら、ちゃっかりと乱馬の傍へと割り込んだ。右京と反対側だ。

 乱馬は右京と珊璞に挟まれて突っ立っている形になった。座るベンチすら無いあぜ道のど真ん中。

 その情景に、あかねは少しムッとした。あからさまに仲間外れにされたような気分だった。そして、腹いせに、力いっぱい、プルトップを引き上げてしまった。
 ブッシュッ!
 と、缶コーヒーが上に勢い良く飛び出した。結果、中身がドバッと半分ほど地面へ飛び散った。
「あらあら…あかねちゃん…。」
 かすみが慌てて、ハンカチをあかねに差し出した。

「何やってんだよー!たくう。そんな、力任せに開けると、中身が飛び出すことくらい、わかってんだろー?バカか?おめーは!」
 乱馬が機関銃の如く、座ったままで、あかねの軽躁をまくし立てた。
「うっさいわねー!あたしだって、軽率だと思ってるわよ!」
 あかねの方も、こう、あからさまに攻め立てられると、つい、過大反応してしまう。
「もうちょっと考えろ、浅はか女!」
「あーもう、いちいちグチグチとうるさい!変態男っ!」
「はん!馬鹿力の寸胴女!」

 また始まったかと言わんばかりに、右京と珊璞が溜息を吐き出した。
 この二人、口喧嘩し始めると、止まらないのだ。

「乱馬のバカーッ!」
 あかねは思わず、乱馬の背中を、傍の水路の遺構に向かって蹴りあげていた。あまり水は溜まっていなかったが、全く水が無かった訳ではない。
 急に蹴りあげられた勢いで、足を取られ、水溜りに尻から突っ込んでしまった。

「この野郎!何しやがるっ!」
 女化して、あかねに向かって怒鳴りかけたその背後で、不気味な気配を感じた。
「何だ…この感じ…。」
 乱馬はその場で身構えた。藤原京の下で感じた気配に似ていたからだ。


『へええ…。僕の気配が読めるんだ。おもしろい。』
 どこかで、若い男の声がした。

「誰だ?」
 そう言いながら振り向いて、ギョッとした。
 猿面をかぶった変な人間が立っていたからだ。背は高からず、低からず。だが、身体から発する気は、只者ではない気配を巻き散らかせていた。

 すうっと一息吸い込むと、乱馬は果敢にもその猿面男へ向かって、先制攻撃をしかける。鋭い回し蹴りを、男の胴体へ向かって繰り出したのだ。
『ダメだよ…。女の子はもう少しおしとやかでなくっちゃ…。』

 猿面男は、空へスーッと浮かび上がった。人間の技ではない。
「物の怪?」
 乱馬はじっと青年を睨み据えた。

『さてと…。やっと見つけたよ…。お嬢さん。…さあ、一緒に来てもらおうかな…。』
 上空から、猿面男は乱馬に向かって問いかけた。

「何言ってやがる?」
 乱馬は思わず、吐きつけていた。そして、猿面男を睨みあげる。

『嫌なんて言わせない…。君に選択の余地はないんだよ。』
 猿面男は不気味に言い放った。





つづく




ちょこっと解説


依羅(よさみ)
 設定はオリジナルですが、とある方の名前をそのまんま、引っ張ってきています。佐留とセットでピンときたかたは相当な古代史通ですね。

甘樫丘

 甘樫丘は、大化の改新で滅ぼされた蘇我本宗家ゆかりの地でもあります。近年、甘樫丘の東側で焼け焦げた邸宅跡が発見され、蘇我氏の邸宅ではないかと話題になりました。極悪人イメージが付きまとっている蘇我蝦夷、入鹿父子も実は伝えられているほど悪い一族じゃなかったという説も最近では取り上げられるようになりました。歴史は勝者によって敗者は著しくけなされる傾向にありますから、記紀の記述が全て正しいとも限らないわけで…。だからこそ、楽しい妄想創作の余地があるわけでして。


倭国

 ヤマトという音の漢字表記には様々あります。
 「大和」や「倭」「日本」「山常」「山跡」「倭道」「八間跡」「夜麻登(万葉仮名)」…「萬葉集」に使われている原文だけでも、このように、実はたくさんの漢字表記が使われています。
 「萬葉集」の読み下しも、第二次世界大戦後、「大和」と統一して表記されることが標準化してしまっているのが現状です しかし、「大和」と統一して読み下してしまうと、間違った概念を植え付けてしまうと、危惧を抱く研究者も少なくありません。
 ヤマトの他にも、「蜻蛉島(あきづしま)」「葦原中津国(あしはらのなかつくに)」「芙蓉国(ふようこく)」「敷島(しきしま)」など、様々な呼び方もあります。
 ヤマトという言葉自体、「山が急に開ける平地」という意味の「山門」が元になっているとも言われていますが、固有の地名から発生したのか、それとも、地形から発生したのか、未だに、明らかになっていません。
 天武天皇の時代か持統天皇の時代に、一文字の地名はあまりよろしくないという中国的思想に基づき、一文字地名が二文字地名へと書き換えられた折、倭(わ)も同じ読みの「和」へ書き換えられ、ついでに「大」をくっつけて、「ワ」と呼んだという説もあります。「ワ」が何故、「ヤマト」に変わったかは、良く分かりませんが…。
 国の漢字表記一つにも、様々な思想が反映していて、調べると面白いです。

 本作は、「倭国」で統一して表記します。読み方も、これで「やまと」と読み下してください。



藤原京
 我が国はじめての本格的な条里制にのっとった都。創建当時は飛鳥宮に対して、「新益京(あらましのみやこ)」と呼ばれていました。
 現在の藤原京跡は見事に何もないただの原っぱです。大極殿があったとされる辺りに、朱色の柱が数本、建てられていますが、そのほかには本当に何もありません。秋口に行くと、コスモスが咲き乱れていて、美しいです。
 平城京も壮大な原っぱですが、朱雀門と大極殿の再現されています。遷都祭のせいで、かなり観光化されてきて、観光客も飛躍的に増えました。が、まだ何もないに等しい草原です。
 平城宮跡のど真ん中に近鉄奈良線がゆるいカーブを描きながら走っていますから、鉄属性の方には写真ポイントとして好まれています。私も旦那の撮影に付合わされ、良く出向きます。
 藤原京は名前から藤原氏の都と勘違いされ易いですが、古代は「淵原」と呼ばれる湿地帯だったそうです。
 何故、十数年で平城京へあっさりと遷都されてしまったか、不明な部分が多いですが、水はけが悪すぎて都市として機能しなかったことに最大の要因ではなかったかと言われています。

本当に何もないただの草むら



明日香村埋蔵文化財資料室
 旧・飛鳥小学校の廃校の再利用の建物の中、古代の井戸が展示されています。展示室の内容は、私の実体験を元に書き連ねています。
 そんな貴重な井戸の遺構を、造作なくドンと床に置いたままで大丈夫なん?と思いました。
 一昨年、2008年秋に見学したときは、展示室と反対側の水落遺跡の真後ろに、朽ちかけた小学校の校舎が建っていました。2010年6月のかかりに友人とドライブした時は、綺麗に整備されていました。さすがに危ないので倒したようでした。
 そこの学芸員さんによると、地下から掘り出された井戸板は数カ月かけて特殊な液体で処理され、元の姿に復元されたそうです。実際に手で触れることもでき、貴重な体験ができました。犬夜叉の骨喰いの井戸も真っ青な大きな木製の四角い井戸でした。一昨年には、床に、井戸の余った遺構の木材が無造作に床面に積み重ねて転がされていました。梱包材にはくるまれていたものの、「そんな貴重な遺構の木材を、ええのん?」と見学しながら焦ったほどでした。
 さすがに今はきれいさっぱり、木材は除かれていましたが…。床を張り替えた様子もうかがえたのでその時にしまいこまれたのでしょう。でも、展示されている井戸はまだ触ることができます。
 この資料室は土日は休館です。行くならば、平日に!
 また、水落遺跡は埋蔵文化財資料室の真横にあります。 
 水落遺跡は、時をも支配しようとした斉明天皇が実際に使って時を計っていたそうで…。漏刻のことは、不知火でもちこっとだけ触れたようなふれなかったような…。日本書紀の斉明六年(六六〇年)に記載があります。漏刻の模型は、飛鳥資料館に展示してあります。
 他にも石神遺跡という斉明朝時代の迎賓館の遺跡も隣接していて、ちょっとした古代スポットです。第一話で登場させた須弥山石や石人像が出土した遺跡としても有名です。また、先年、石神遺跡から斉明朝以前の寺院跡と思われる遺構も発見され、記紀に記述が無い幻の寺院遺跡として注目されています。

 なお、2011年春に行った時、プールは埋めたてられてしまっておりましたので、その辺り記述は削りました。日々戯言内に掲載していたお試しで読まれた方はあれっと思ったかも…。


井戸の遺構展示物…すいません、写真が雑で




水落遺跡
柱の部分に木が埋め込まれています。
後ろの茂みは「甘樫丘」に続きます。





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