◇第十九話 明かされた謎

五十四、円の正体

「ふふふ…。やっと時が満ちるわ。どれだけこの瞬間を待ちわびたことか…。」
 円はニヤリと笑った。

 目の前には黒い空間に浮かび上がる夜見の桜。その枝葉が見事なまでに所狭しと花をたわわに携えていた。それは幽玄を通り越し、不気味にさえ見えた。
 
「この空間へ分け入ることは漢王がこの国へ使わせた文忌寸氏一族の悲願…。それをやっと成し遂げてあげられるわ…。」
 円は満足そうにほほ笑んだ。
 円は文忌寸氏の一族だ。彼の身体の中に脈打つ血には、遥か昔、不老不死の法を求めて蓬莱島へと旅立った祖先たちの執念とも言うべき血が沸々と湧き上がっている筈だ。

「何故てめえはそんなにも情熱を燃やす…?不老不死なんてただの戯言にしか過ぎねえのに…。」
 ふつっと傍らから乱馬が円へと声をかけた。
「あら…まだ口を利けるくらいの気力が残ってたの?乱馬ちゃん。」
 円はニヤリと笑った。
「ああ…生憎様…俺は鍛え方が違うからな。」
 息を切らせつつ、乱馬ははっしと円を見上げた。
「見上げた根性ねえ…。さすがに亀石を動かしただけの腕前はあるわね。」
 フンと鼻息を飛ばしながら円はそれに応じた。
「やっぱり…俺をここへ召喚したのは…亀石を動かしたことに端を発するのか…。」
 乱馬は首だけを幹から出して、円へと問いかけた。
 身体はしっかりと固定されて、桜の木と同化している。抜けだす糸口は見つからなかった。
「そうよ…あなたたちが亀石を動かさなければ…こんなことまでしなくても良かったのよ……乱馬ちゃん…。そして、私もこんなふうに変化しなくて良かったのに…。」
 円の瞳に一瞬、哀愁を帯びた表情が宿った。
「それは一体、どういう意味だ?」
 乱馬は瞬きもしないで、円を見上げる。
「知ってどうするつもり?」
 円はゆっくりと乱馬へと瞳を投げ返した。そこには憂いの表情は消え、冷たい光が宿されていた。

「おめえは…一体何者だ?」
「文忌寸円(ふみのいみきのつぶら)…。」
 そう冷たい声が返された。

「嘘だ…。おめえの諱は円じゃねーだろ?…おまえは…平成から来た占い師、ルナの兄、マドカ…そうなんだろ?」
 乱馬はそう言葉を投げた。
 なびきが占いの会員証と共に持っていたその兄のプロマイド写真。そこに写り込んでいたサングラスの男、マドカ。それがおまえなのだろうと、鎌をかけたのだ。
「あら…乱馬ちゃん…。あなたも平成の御世じゃ、あの占いの会員だったのかしらねえ…嬉しいわ。」
 クスッと自嘲気味に円は笑った。
「馬鹿言うなっ!俺は会員じゃねえ。でも…会員だった奴が近くに居てよう…。たまたまおめーの写り込んだ写真を見たんだよ…。俺の目はごまかせねえぞ…マドカっ!」
「ふふふ…。なるほどね…。でも、お生憎さま。私はマドカではないわ。」
「う…嘘だ。おめーはあのプロマイドの男じゃねーだと?」
 乱馬は目を見開いた。この宦官の青年は、マドカであることを真っ向から否定したのだ。

「マドカはもう…居ないわ…。彼の魂は佐留の手によって…別の次元へと飛ばされてしまったから…。」
 再び憂いを帯びた瞳を明後日の方向へと差し向ける円。彼にはあまりにも謎めいたことが多すぎた。
 
「魂が別の次元に飛ばされただと?どういう意味だ?一体おめーは誰なんだ?」
 次々と湧きおこる疑問に、乱馬は矢継ぎ早に問いかける。

「ふふふ…わからないのも当然ね…。今の私は別人の姿にやつしているもの…。」
「一体何を言ってやがる…?」
「私はね…乱馬ちゃん…私の字(あざな)はルナと言うのよ。」
「ルナ…だと?ってことは…。マドカと一緒に居た女?」
「そうよ、平成の御世では…占い師ルナ…そう呼ばれていたわ。」
 
「でも、てめえは…マドカにそっくりじゃねーか。ルナの写真も見たけど、明らかにてめーとは違うぞっ!」

「これは仮の姿よ。マドカの身体を借りているに過ぎないの。」
 ふふんと円は鼻先で笑って見せた。
「マドカの身体を借りているだって?どういうことだ?」
「ま、桜が開き切るまでもうちょっと時間があるから話してあげるわ。あなたもこのままじゃあ、納得できないって顔をしているし…。」
 円は瞳を巡らせて、乱馬へと手向けた。妖艶な男とも女とも得体が知れない顔が乱馬へと迫る。動けない乱馬のアゴ先をしなやかな手でそっと抱えながら、目の前で笑った。
 乱馬のアゴに触れた手はとても人間のものとは思えない程、冷たかった。思わず、ゾクッと鳥肌が立った。

「ルナというのは諱では無いわ。勿論、仮の名前…。それも、平成の御世での名前よ…。
 親が名付けた諱(本当の名前)はもう忘れてしまって久しいわ。
 私の本性は、阿射加国の巫(かむろみ)、名はナルミ…。周りの人々は私をこう呼んでいた…。ナルヒメってね…。」
「阿射加国だって?あの滅んだっていう…。」
 乱馬は驚きの声を挙げた。確か昔話として阿射加の話を佐留やおじじ様から聞かされていたからだ。とっくに滅んだ国の巫だと言う。勿論、俄かに信じられなかった。
「少しは古い伝承について知っているみたいね。真神の長や石上麻呂から聞きかじったのね、乱馬ちゃん…。」
 迫りながら、円はニッと笑った。
「ああ…。」
「でも、彼らが知っているのは、あくまでも伝承。だから全てを正しい話を物語る訳ではないのよ…。そうでしょ?」

 妖艶な笑みを浮かべながら、円は話し始めた。

「阿射加国には数多の巫女(ふじょ)が居たわ。
 その筆頭は私の双子の姉、カヤだった。光り輝く太陽の巫女カヤヒメ…、それが姉だった。対して私は、夜空に輝く月や星を読むのが得意な巫女だった。夜空を読み暦を解くことに夢中だった私を見て、阿射加の民は私のことを「日陰の巫女」とか「夜見の巫女」とか言い表したわ。
 そんなことはどうでも良かった。兄王シロヒコ様の傍で、暗い夜空を読み、月や星の暦を辿る…そして、そこから読み解ける様々なことをシロヒコ王に伝えるのが私の役割だった。それはそれで満ち足りた生活だったわ…。
 でも、そんな至福は長くは続かなかった。
 ある日、西から奴らが来たの。日向国の軍勢がね。太陽が力を失う、日蝕と重なる日を計算して奴らは阿射加の前に現われたのよ…。そして阿射加の民を脅したわ。滅びか服従か、好きな方を選べってね…。
 シロヒコ王は服従には反対だった。
 その日、太陽が欠けたの。日蝕…その日を選んで奴らは押し寄せて来た。
 姉や私にはその天体現象が何たるかは熟知していた。勿論、シロヒコ王もね…。でも民たちは知らない。次第に光を失う太陽を目の当たりにし、周りからは日向国の軍勢が押し寄せる…。混乱するなという方が難しいかもしれない。実際、冷静な考えが出来る家臣や民などいないに等しかった…。
 阿射加国が混乱に陥った時、シロヒコ王は決意したの。
 太陽が力を失う時…即ちそれは「隠(いなば)」に居る龍神が力を増すことを、シロヒコ王だけは知っていたから…。
 兄は混乱し続ける民を見て、隠(いなば)の扉を開ける決意をしたの。我が一族に伝わる秘儀で兄だけが扉を開く術を持っていたの…。隠(いなば)の奥つ城へ入り、滅びゆく阿射加国の再臨を願う…。でも、同時にそれは両刃の剣。再臨を願うこと、即ちそれは古きを一掃して新しきを起こすこと…。一度、全てを御破算にしなければ先には進めない。つまり…破壊と再生を願うことになるの…。
 付き従っていた姉はそれを良しとはしなかった。
 シロヒコ王が龍神へと同化した刹那、そのわずかな隙を伺い姉カヤヒメは自ら隠へと身を投じ中から扉を閉ざしてしまったの。
 太陽が再び光を取り戻し、日蝕が終わった時、シロヒコ王の姿もカヤヒメの姿も忽然と消えてしまったわ。  王を失った阿射加の民は戦意を失い簡単に日向国に服従してしまった…。
 馬鹿な姉よ。あの時、扉を閉ざさなければ、阿射加国は未来永劫栄え続けていたものを…。
 日向国の王は、阿射加の民も土地も文化も奪い去った。従順する者に対しては寛容だったけれど、抵抗する者は容赦無く殺した。
 私?私は阿射加を滅ぼした国が栄えるなど我慢できなかった。それを許した姉も阿射加の民も許せなかった。
 私は自分の手で再び隠(いなば)を開き、シロヒコ王の願いを叶える…そう決意したの。この八十島を一掃し、新たな阿射加を創るっていうね…。そのためならこの手を汚してもかまわない。
 姉カヤヒメの施した強固な結界を崩すのは並大抵ではない。でも、楽しいじゃない…。そのほころびを一つ一つ解きほぐすように結界を解いていくのは…。」

 そこまで言うと、円の身体が少しずつ光り始めた。まるで、乱馬を取り込んだ夜見の桜の花枝とシンクロするかのように、素肌が透け、輝きを増す。
 乱馬の頬へ添えられた右手が、ますます冷気を放っていくように思えた。

「私は結界を壊すため、身も心も夜見の神に捧げたの…。闇を統べる神霊に全てを差し出した。そして、強大な陰の力を手に入れたわ。
 ただ壊すだけなら面白くもなんともない。
 阿射加を滅亡に追いやるきっかけを作った、漢の一族の末裔者に秋津島を破滅させること…それを思いついたのよ。ふふ、愉しいでしょう?
 隠(いなば)へ至るためには、私一人ではかなわないの。女の身一つでは扉は開けられない。必ず、男の能力者が必要なのよ…。つまり、最高のペアでなければ扉の中には至れない…。
 私は手に入れた夜見の力を使って、目ぼしい男を探しまわったわ。でも、なかなか目に叶う者は居なかった。この時代がダメなら次の時代へと、私はこの身一つで時間を越えたの…。
 幾度目かに私は相当な力を振り絞って千年の時を飛んだの…。そう…あなたたちの時代へ…。そこで出逢ったのが、文忌寸氏の末裔、マドカだった。
 飛び過ぎて呪力を使い果たしかけていた私は、暫く彼と共にその時代に身を置いた。
 未来へ渡るのは比較的簡単だけれど、過去へ遡るのはかなりの呪力を要するのよ。呪力が尽きかけていた私は暫しそこへ留まるしかなかったわ。
 千有余年の月日は少し人間の性質を変えたのか、それとも彼の本来の性質がそうさせたのか…。このマドカには驚かされることばかりだったわ。
 彼も元々咒法には長けた一族の末裔だけあって、素晴らしい才能を持っていたわ。
 彼の記憶を操作して、私は妹となりすまし、近寄った。そして、傍に侍り、彼の術師としての才能を開花させてあげたの…。みるみる彼は成長したわ。この私を凌駕するくらいね。
 そして、占い業を始めたのよ…。
 最初は占いで二人稼ぐことが愉しかった。でも、得心の行く依頼者ばかりではなかった。政治家や実業者はハイエナの如く、私たちの占いに群がり、その力で私利私欲を欲しいままにしたの…。その占いが名声を高めていくにつれ、繊細なマドカは孤独感を強くしていった…。
 この国を作り変えたい…彼がそう思うようになったのも、自明の理だった。
 そんな彼に私は自分の本来の姿をさらけ出した。
 彼は言ったわ…。恨は何も生み出さない。どうせなら二人の力を合わせ、この国を作り変えよう…。全てを壊してまた一から歴史をってね。
 彼と共に隠(いなば)へ至り、不老不死の法を手に入れ、再び秋津島を作り変える…。それが私の望みへと変わったわ。ただ、皮肉な事に、平成の御世には、扉が開く場所は既に存在していなかった。埴安池も泣沢の泉も枯れ果て、その場所すら明確には出来なかった…。
 隠への扉を開くため、私たちは時を遡ることにしたのよ。そして、二人、占い業をたたみ、明日香へと旅だった。亀石を動かし、隠への扉を開くため、聖なる扉が確固として存在する時代へ遡るために…。」

 だんだんに謎が解き明かされて行く。謎が一つ、また一つ…円の口から語られる。

「そうか…やっぱり、あの亀石の前に居たのは…おまえたちだったんだな…。でも、マドカはどうした。何故ここに居ねえ…。そして、何故おめえがマドカの姿をしてやがる…ナルヒメ。」
 乱馬は睨みあげながら問い質す。

「それはね…あなたたちが先に亀石を動かしてしまったからよ…。乱馬ちゃん…。」
 ギュッとアゴを掴む手に、円は力を入れた。そのまま首を引きちぎらんばかりの強い力だった。強い憎しみの表情を円は乱馬へと投げつける。

「俺と良牙のことだな…。確かに、小競り合いで俺と良牙のどちらかが、亀石を西へ向けちまった…。」
 乱馬はそれに答えた。
 と、円は掴んでいた手をパッと、乱馬の顔から引き離す。

「ええ…。それは見事に亀石を西へ手向けてくれたわ。すぐに戻したようだけれど、一度動いた物は再び同じ場所へと戻らない…。あなたたちに、先を越されてしまったのよ。
 でもね…マドカにはそんなことはどうでも良かったみたいだったわ。計略に困難はつきものだって笑っていた。むしろ、予測していなかった出来事を愉しむように彼は愉しげだったわ。
 最初の計画を変更することを余儀なくされたけれど、それはそれで良かったのよ。
 あなたたちが立ち去った時、まだ目の前を彷徨っていた青年…良牙とか言ったわね。まず、彼を拉致したわ。そして、呪具を使い、岐へと辿った。
 岐までは少し術の知識があれば誰でも辿れるのよ。でも、隠(いなば)へ至る扉は、亀石を動かした者でなければ辿れない…。
 あなたか良牙か…どちらが亀石を動かしたのか…それを知るには岐(ちまた=境界のこと)まで連れ込む必要があった…。だから、まず、目の前を彷徨っていた良牙を連れ込んだの。
 そして、あの場所で亀石に問うたわ。連れて来た良牙って子が動かしたか否か…。亀石は言ったわ。動かしたのは良牙ではないと…。ということは、動かしたのは…あなた…乱馬ちゃんってことになるのよ…。」

 ギュッと何かに身体を掴まれたような気がした。
 夜見の桜にめり込んだ身体が強い力で圧迫されたような感覚に襲われたのだ。ドクンと波打ったように思えた。

「ほら…夜見の桜も、亀石を動かしたのはあなただって言っている…。」

「うっ!」
 乱馬は圧迫されて思わず呻き声をあげた。

「けっ!じゃあ、亀石をもしおめえらが動かしていたら、ここに埋まってるのは俺じゃなかったってことか?」
 乱馬は吐き出した。
「そうよ…。マドカが亀石を動かしていたら、あなたがこれからする役割は私が果たしていた…。でも、マドカは…あいつに滅ぼされたのよ…。」
 そう言いながら、円はすっくと立ち上がる。強い憎しみを籠めた瞳を虚空へと投げつける。

「あいつ?」
 乱馬は問いかけた。

「そう…。マドカは明晰な人でね…先を越された時点で、式神を放ち、あなたもこちらへ呼び寄せる算段をしたのよ。
 真っ先に、あの良牙って子を時空の狭間へ連れ込み古代へ遡ろうとしたその時、邪魔が入ったのよ…。あいつが…柿本佐留…が襲って来たのよ…。」

「佐留…。」
 その名を聞いて、ハッとした。

「佐留の奴が待ち構えていたの。時空の狭間の古代側の空間でね…。
 私の先見の占いでも、佐留のことは察知出来なかったわ。何故なら佐留もやり手の術者だったから…。
 どうやって私たちのことを知ったかは知らないけど、あいつは息を潜めて時空の狭間で待っていたの…。
 私たちは時空の狭間で壮絶な闘いを繰り広げたわ。
 佐留は、満を持して己の呪力を全て投じて、私たちを滅そうとしたわ。その刹那…佐留が放った術からマドカは咄嗟に私をかばったの。そして、佐留の術の餌食になった…。全力で相殺するかのように佐留の身体も弾き飛ばして…。その修羅場の中で、私は、無我夢中で彼の魂だけをこの手に手繰り寄せた…。」

「魂…?肉体じゃなくて、魂だと?」

「マドカの肉体は佐留の術をまともに受けて、消滅したのよ…その刹那、魂だけを掴むことができたのよ…。
 魂には様々な情報が籠められているの…。だから私は彼の魂をこの身体へと取り込み…それを核として己の身体を彼とそっくりに移し替えた。つまり変身したのよ…。
 ただ、悪いことに佐留の乱入は、私をあなたたちが来る少し前の時間へと導いてしまった。そうね…五年ほどの誤差が生じてしまったの…。
 あの時の私は佐留にその呪力の殆どを失っていた。だから、すぐにこの時代へ飛べるほど力は無かったわ。力を回復させる必要があったのよ。マドカが乱馬ちゃんを召喚したのは西暦七一四年前後の明日香だと言っていたから、時空を越えなくても遭遇できる。五年ほど時間をかければ、私の呪力も完全に戻る…。だから、私はこの時代に身を置いて、あなたが飛ばされて来るのを待つことにしたのよ…。
 そこで私はマドカの魂へと己の身体を同化させたの…。そして、文忌寸氏の中へ紛れ込み文忌寸円と名乗ったの…。元々マドカは文氏の末裔だったからね。迷うことなく文忌寸氏を利用させてもらったの…。
 それに、いずれあなたが、マドカが放った式神の導きを受けて、この時代へ召喚されてくるのがわかっていたから、じっと息を潜め、力を蓄えながらその時を待ったのよ…。マドカの姿に身をやつしてね…。」

「なるほど…だからてめーはマドカの姿をしているって訳か…。」
 乱馬ははっしと円を睨みあげた。

「そうよ…。ただ、一部分を除いてね…。」
 怪しげに揺れる円の瞳。

「一部分…。」
「そう、私は腐っても巫女…故に、そこだけは身体が受け入れなかった…。」
「女の部分…。そうか…男としては完成しなかった…ってことか。」
「周りは宦官、宦官ってうるさかったけどね…。でも、幸運だったわ…。亀石を動かしたあなたも…ある意味私と同義の身体だったから…。」

「なっ!」
 乱馬は真っ赤になった。
「てめーと一緒にすんなっ!俺は…。」
「男だって言いたいんでしょう?でも、今のあなたは女の体でしょ?呪泉に溺れた不完全な男…。」

 不完全と言われて、乱馬の表情が険しくなる。確かに呪泉の呪いのせいで、水を浴びると女に変身するが、だからと言って自分が女だと思ったことは一度も無かった。

「だからこそ、成し得る術式もあるっていうことよ…乱馬ちゃん。」
 そう言って円は笑った。

「な…何たくらんでやがる…。」
 その笑顔に恐れを成した乱馬は、思わず吐きだしていた。

「ふふふ…もうじき開く隠(いなば)へは、男と女で入らなければならないの。だから、あなたが女に、そして私が男に完全に転化しなければならないのよ。だから、この夜見の桜へとあなたを埋めたの。わかる?」
「わかるかーっ!んなのっ!第一、そんな非科学的なこと…。」
「出来っこないって、そう言いたいんでしょうけれど…。私の術式をもってすればできちゃうのよねえ…それが。」
「なっ!」
 円は笑いながら乱馬へと顔を手向けた。そして、ぺろりと舌なめずりをする。まるで獲物を捕えた獣のような瞳を手向けながら。

「この口で、あなたの雄(オス)の部分を余すところなく吸い上げてあげるの…。」
「なっ、何だとっ?」
 乱馬は焦った。当り前である。このままでは男の危機だ。
「あなたの男の気を全部吸い上げれば、私の未完成な部分が完全になるっていう算段なのよ…私が男に、あなたが女として完成するのよ…素敵でしょ?」
「す…素敵なもんかーっ!このど変態っ!」
 思わず叫んでいた。
「そういう術式なの…諦めてちょうだいね…。」
 にっこりと円は微笑んだ。
「諦められるかーっ!俺の唇にくらいついたら、噛みつくぞっ!」
 そう言いながら顔を真っ赤にして怒鳴る。
「まあ…凶暴な子ね…。ならば、こうするまでよ。」
 円は徐(おもむろ)に呪札を懐から取り出すと、夜見の桜の幹にペタリと貼り付けた。

 ドクンという音と共に、乱馬の身体を固定していたゼリーの部分が、ザワザワと波打ち始めた。
 まるでそれは、乱馬の全身を舐めまわすように、ぬめぬめとまとわりつく。それだけならまだしも、乳首や下腹部をなぞるように這いまわり始めた。

「くっ…!」
 その刺激に、乱馬の身体が敏感に反応する。
 囚われた身体が一斉に泡立ち始める。

「ほら…。気持ち好いでしょう?身体は正直よ…すぐに快楽に包まれるわ…。そうしたら、抵抗できるかしらねえ…。」
 クスッと円は愉快げに笑った。

「ンッ…。」
 張り上げそうになる声を必死で抑え込む。一度声をあげてしまうと、際限なく乱れそうな、そんな狂おしいほどの快楽が、呪縛された身体から浸みわたって来る。

「我慢しなくても良いのよ…。それとも、もっと痴れさせてあげましょうか…。」
 また札を一枚取り出して、円は夜見の桜へと貼り付ける。

 ドクン、ドクン…。

 夜見の桜は、一瞬、大きく揺らめいて光を発した。まるで、呪符に反応するかのように、乱馬への干渉を強めた。
 止めようとすれば止めようとするほどに、突き上げて来る刺激は魅惑的に感じる。己が男だという事実を忘れそうになるほど、夜見の桜は乱馬の女体を責めあげてくる。

「ね…。抵抗など無駄だとわかったでしょ?さあ、完全な女にしてあげるわ…乱馬ちゃん…。あなたの男のエキスを全部私に差し出しなさい…。そして、私は男になるの…。」

 ともすれば、平常心がぶっ飛びそうになるほど、夜見の桜は乱馬を責め上がって来る。胸を揉みしだき、背中をさすりあげ、隠部を舐めまわす。
 手足はしっかり捕われて、動かすこともままならないのだ。

「はうっ!や…やめろっ!」
 抗いの声を張り上げるが、それもだんだんに途切れて来る。
「やめろって言われてやめられないわ…。諦めの悪い子ね…。でも、従順な子よりいじめがいがあるけれどね…。」

 囁くような悪魔の声。その声に遠のく意識。
(クソ…このままじゃ、集中できねえ…。気を解放することも…できねえ…。か…身体が言う事をきかねえ…。ダメだ…力が…抜けて行く…。)

 万事休す。
 乱馬の瞳から、スッと光が消えた。睨みあげる眼力もない。拳を握っていた手はだらんと垂れさがり、夜見の桜のなすがままに蹂躙される身体。
 その有様を見て、ニッと円は笑った。

「もうそろそろ良いわね…。乱馬ちゃん…。私のこの舌先で、あなたの男気を余すところなく、吸ってあげるわ…。そうすれば、あの扉の向こう側へ行ける…。」
 円はガシッと乱馬のアゴ先を両手で掴んだ。
 そして、乱馬から気を吸い上げようと、口を宛がおうとした。


「開脚流星蹴り―――ッ!」

 轟く怒号と共に、物凄い勢いで円目掛けて飛び込んで来た娘が一人。
 バキッと音がして、夜見の桜の枝が折れた。

「円っ!これ以上、あんたの好きにさせないわっ!」
 そう言いながら、乱馬の前に立ちはだかった勇敢な姿。
 あかねであった。



五十五、隠の攻防

「たく…。これからっていうときに、お邪魔虫が一匹、降ってきたわ…。」
 円は口をぬぐいながら睨みつけた。
 かろうじて、あかねの攻撃を避け、後ろへと飛び退いていた。その辺りはさすがとも言うべきか。
 一筋縄で倒せる相手ではないことを示唆している。
 あかねは降り立つや否や、身構える。油断するとこっちがやられる。そういう危惧を抱いたのだ。
 この円という人間、得体の知れない不気味さが漂っている。
 もちろんあかねは円の正体を知らない。だから余計に警戒した。


「あかねっ!てめー、何で帰らなかったんだっ!」
 女化した乱馬の甲高い怒鳴り声が響き渡る。

「あんた一人を放り出して、帰れる訳ないでしょっ!」
 あかねは円から視線を外さないまま、怒鳴りつける。
「それに、簡単に帰れる筈もなかったのよっ!あの後、色々あったんだからっ!」
 と文句を吐きだすことも忘れない。こんなところでも喧嘩腰だ。

「へええ…ここまで来ちゃった…。っていうことは、稚媛はしくじったのね。」
 憎々しげに円は吐き出した。
「お生憎様…。あたしだってそう簡単にやられないわよ…。円っ!」
 はっしとあかねは円を睨み据える。眼の飛ばし合いだ。視線を外した方が気を飲まれる。そんな激しさを秘めて、二人は対峙した。

「稚媛がどうしたって?」
 事情を知らない乱馬が問い質す。

「こいつが稚媛をけしかけて、大量の生気を奪ったのよっ!あたしも良牙君も麻呂爺さんも襲われたわっ!」
 あかねはそれに対して返答を投げつける。

「この娘の生気も貰ったと思っていたのに…。まあ、いいわ…。ここであなたを倒せば、良いだけだから…。」
 ニッと円は笑った。
「そう簡単にやられないわよ…。」
 あかねも身構える。
「へええ…。少しは歯ごたえがありそうね。」
 円は笑った。

「あかねっ!」
 乱馬が吐きつける。すっぽりと桜の幹にはまりこんで、身体は微動だにしない。

「大丈夫…。乱馬、あたしは負けないっ!無差別格闘天道流の名にかけて、この状況を打破してみせるわっ!」
 あかねは気炎を吐きだした。強い意志の言葉だった。はっしと瞳は円を睨みつける。

 勿論、乱馬は気が気では無かった。円の正体はナルヒメという古代巫女だ。それも得体の知れない力を秘めている。一筋縄ではいくまい。
 あかねに代わって、己が闘いたい…。そう思った。 
 が、誰かの囁きかけに従って、集めていた気も、さっきの円の妖艶な攻撃ですっかり離散してしまっていた。気弾を撃ち込めるほど集めるには、今しばらくの時間を要するだろう。しかも、夜見の桜にそれを悟られては元も子もないのだ。
 桜の束縛は、さっきよりも強固になったように感じる。あかねの出現に、乱馬を逃すまいとまとわりついているようにも感じる。
 が、動けぬ乱馬には、諦めずに、一から気を手繰り寄せるしか術が無かった。
(短時間で再び、俺の元へと気が集まってくれるかどうか……。)
 はやる気持ちを抑えながら、全身全霊で気を探る。夜見の桜の中に眠る、生きながら魂を吸われた者たちの抗いの気は微々たるものだ。一つ、また、一つ…それをまさぐりあてながら、右手へと手繰り寄せる。


「ふふふ…。乱馬ちゃんの目の前で打ち砕いてやるわっ!小娘っ!」
 円が先に動いた。

「させるもんですかっ!」
 対するあかねも必死だ。円の放った拳を、見切り、寸でのところで避ける。シュッと円の拳があかねの頬を掠めた。その拳圧に、髪の毛が少しちぎれた。
 やはり、円も相当の使い手のようだった。
 上背がある分、円の方に分がある。それは、乱馬から見ても明らかだった。が、あかねとて、すぐさまやられるほど弱くも無かった。
「へええ…結構やるわね。小娘っ!」
 円は攻撃を加えながら、笑った。
「あたしを甘く見ないで欲しいわっ!」
 あかねは気炎を吐きだした。気技は使えなくても、拳や蹴りには破壊力がある。それに、同じ歳の男どもを次々になぎ倒すスタミナも持ち合わせている。乱馬に水を開けられた感は拭えないにしても、女性格闘家としては逸材である。
 実際、あかねは円の攻撃を良く見極め、避けて行く。また、気を見て己の攻撃を加えることも忘れなかった。

 そんな彼女たちを見ながら、必死で手繰り寄せる小さな気。だが、はやる気持ちとは裏腹に、なかなか集まって来ない。大っぴらにも集められない。そんな焦りを感じつつ、乱馬はそれでも集め続けた。

 
 目の前を過ぎる、二つの肢体。

 と、円の足元が一瞬揺らいだ。何かの弾みにバランスを崩したようだ。その刹那を逃すあかねでは無い。
「でやあああっ!」
 円目掛けて、強靭な蹴りを入れるため、思い切り地面を蹴った。
 上空を飛び、流星蹴りを食らわせる。咄嗟に判断したのだ。

 だが、その様子を見て、ニッと円が笑った。
「引っかかったわね、小娘っ!」
 円はバッと胸をはだけそいつをあかねへと晒し出した。
 それは、胸から携えられた鏡だった。二十センチほどの直系の銅鏡だ。
 鏡面がゆらゆら揺れながら、パアッと輝いた。

「あかねーっ!」
「きゃあああっ!」
 乱馬の叫び声と共に、あかねの悲鳴が轟き渡る。
 鏡から飛んだ光が、真っ直ぐにあかねへと射しこめていく。

 ドクンッ!

 あかねへと閃光が走ったと同時に、乱馬を捕えていた夜見の桜が大きく戦慄いた。

「いやあああああっ!」
 あかねの悲鳴が轟き渡る。
 と、あかねの身体から気が溢れ出す。背中や腕、足や頭…全身から真っ白い煙が噴き上がる。

「ふふふ…。さあ、小娘っ!あんたの生気をこの鏡で全部吸ってあげるわ。そして、夜見の桜に食らわせてあげる。」
 勝ち誇ったように、円が笑った。手には鏡を携えている。

「あかねーっ!」
 動けぬ身体で拳を握りしめた乱馬。
 と、胸の辺りが熱くなるのを感じた。にふわっと力が湧き上がってくるのを感じ取った。
 ハッとして胸元を見やる。幹の中が淡く光り始めている。ふとその熱のこもった光を手に取って見る。
 と、手に当たったものがあった。それは、乱馬を埋める時に使った「黒い勾玉」だった。すぐ傍に刺さったままだったらしい。
「こいつは…勾玉…。」
 漆黒の勾玉の色がその熱で赤く光っていた。と、力を振り絞ってその勾玉を掴んでみた。その光を通して、身体に気が満ちてくる。

…これは…あかねの気…。

 満ちて来る気。それは、紛れもなく上空で捕えられたあかねの気だった。
 円が掲げた鏡から吸い上げ垂れたあかねの気は、そのまま夜見の桜の中へと取り込まれている。が、皮肉な事に、その気は桜の幹を通して、乱馬の勾玉へと流れ込んでいるではないか。
「しめたっ!このくらい、力が戻れば、抜け出られるぜっ!」
 ふんぬっと乱馬は全身の力を籠めた。

「あああああっ!」
 上空で揺れるあかね。ガクリと手から力が抜け落ちる。かなりの気を放出してしまったのだろう。そのまま、崩れ落ちるように落下する。

「あかねーっ!」
 その身体へ向かって乱馬は真っ直ぐに飛び出していった。
 
 無我夢中だった。あかねによって与えられた気で全力を振り絞り、桜の拘束から抜け出たのである。

「乱馬…。」
 あかねは崩れ落ちるように女乱馬の腕に枝垂れかかった。
「バカ…無理ばっかりしやがって…。」
 フッと微笑みかける乱馬。
「バカはお互いさまよ…。」
 その言葉に微笑み返してくる瞳。
「自分ばっかり格好をつけて…。あたしを置き去りにして…。約束したじゃないっ!」
 あかねは厳しい瞳を乱馬へと手向けながら吐きつけた。
「約束?」
「ええ…約束よ。二人で元の世界へ帰ろうって言った約束…破るつもりだったの?」

 乱馬は真神で身体を引き寄せながら、指切りした光景を思い出す。

「忘れた訳じゃねえっ!」
「でも、あたしを置き去りにしたじゃないっ!」
「そ…それは、おめーを危険に巻き込みたく無かっただけだっ!」
「あたし…あんたの居ない世界へなんか、帰りたくないわっ!わかってるクセに…あんたは一人で戦いに赴いた。だからあたしは…。」
「ここまで追って来たのか?…たく、無茶ばかりしやがって…。」
 そう言ってフッと頬を緩めた。
 こうなることを予測していたからこそ、あかねを置いて来たのだ。だが、あかねはそれを良しとはしなかった。そして、結果的に己の危機を救ってくれたのだ。
 これまで幾度、あかねの向こう見ずな行動で、己は助けられて来たのだろう。
 飛竜昇天破を会得した時もそうだった。流幻沢でヤマタノオロチと対峙した時もそうだった。呪泉洞の戦いの時も…。数多の戦いの渦中に、彼女は寄り添って来たのだ。
 それを思い出していた。

「悪かったな…。置き去りにして…。でも、おめえを危険に晒したく無かった俺の心情も少しは汲んでくれよ…。」
 そう声をかけていた。
「何よ…格好つけちゃって…。」
 言葉を継ぎかけたあかねを乱馬は制した。

「まだ、この闘いは終わっちゃいねえ…。いや、むしろ、ここからが正念場だ。だから…ここから先は、俺に任せろっ!あかね!」
 乱馬はそう言ってあかねを傍に置いた。

 その真摯な瞳を見て、あかねはフッと笑みを浮かべた。この天邪鬼の心情を一番知っているのは己だ。
 それに、一度こうだと決めたら、頑として耳を貸さないだろう。一緒に闘うと申し出ても、足手まといになるだけだと言い張るに違いない。
 事実、今の円の攻撃を前に、あかねの身体から殆どの気が抜け出てしまっている。乱馬の言うように、戦いから一歩下がって見守るのが良いだろう。

「わかったわ…。その前に…これ…。」
 そう言ってあかねは懐から竹筒を取り出した。そして、天辺に突き立てられている竹の栓をクイッと引き抜くと、徐に乱馬の頭から、中味を降り注いだ。
「こらっ!何しやがんでいっ!つめてーじゃねーかっ!」
 水に濡れながら乱馬が怒鳴った。

「泣沢の聖水よ…。これは。」
 あかねがそう言った矢先に、乱馬は、己の身体に浮かび上がった異変を、瞬時に理解していた。
「お…男の身体に戻った…。」
 福与かに揺れていた胸板は固くなり、手も足も伸びあがる。丸みを帯びていた身体も強固な筋肉質な肉体へと変化した。
 おまけに、全身に力がみなぎってくる。夜見の桜に吸われて無くした気も元通りに戻っているではないか。
 「女のまま闘うのは不利でしょ?だから…泣沢の聖水で、男に戻してあげたんだから、文句言わないでよね…。」
 そう言いながら、あかねは笑った。

 目の前の円は、全力で戦いに挑まなければならない相手だ。女の姿のままだと、それだけでハンディになる。乱馬もそのことは良く分かっていた。


「大丈夫…俺は負けねえ…。」

 そう言いながら、はっしと円を睨みつけた。


「あらあら…。藪蛇だったわね…。幹から抜け出ちゃうなんて、計算外だったわ。それに、泣沢の聖水か…。たく…泣沢の巫女の仕業ね…。ホント、余計なことしてくれちゃって…。」
 円は余裕綽々で乱馬とあかねを見詰めていた。背後で夜見の桜が妖艶に揺れている。
「ま、この際仕方が無いわね…。折角、私の口で、直接あなたの男気を吸い上げてあげようと思ったけど…そんな回りくどいことをするのはやめにしたわ。」
 円はあかねに翳した鏡をすっと前に差し出した。

「乱馬…あの鏡…。」
 あかねが乱馬を顧みた。心配げな瞳が揺れている。

「大丈夫だ…。あの鏡のことは俺も知っている…。」
「え?」
「一度、稚媛が翳した鏡に生気を吸い上げられそうになったことがあるんだ。」
「稚媛の?」
「ああ…。麻呂爺さんと紀寺へ行った日にな…。」
 あかねは咄嗟に思いだしていた。麻呂爺さんと出掛けた翌日、乱馬は気力をすっかり削がれて戻って来たことがある。
「あの時…。」
「そうだ…。あの時一度、体験してるからな…。でも、あの鏡を日蝕えの巫女でもないあいつが扱えるなんて…。流石に腐りきっているとはいえ、阿射加国の日陰の巫女と称されただけのことはあるぜ。」
 キッと円を見上げた。

「阿射加国の日陰の巫女?円さんが?」
 あかねがきびすを返した。

「ああ…あいつの正体は、阿射加国の巫女、ナルヒメらしいぜ…。しかも陰の気を扱うのが得意なんだそうだ…。だから、生気を吸い尽くすその鏡も扱える…。そうだろ?」
 乱馬は円へと声を張り上げた。

「当然よ…。しかもこの鏡は特別でね…。チンケな倭国の鏡とは違ってね…女の気も男の気も両方吸えるのよ…。だから…あなたの男気をまずは吸いあげて、私が喰らってあげるわ。そして私は男となって、女になったあなたと隠へ行く…。」
 ニッと円が笑った。

「御託はいい。勝負だっ!ナルヒメッ!」
 乱馬は身構えた。

「こちらも行くわよっ!」
 円も鏡を前に身構える。

 乱馬は真正面から瞬時に飛び込んで行った。
 下手な細工は返って不利になる。それは過去の体験からも身に浸みていた。ならば、正面突破あるのみ。
 多少の気を持って行かれるのは承知の上。
 渾身の英気を籠めて、狙いを定める。
 狙うは乱馬へと向けられた鏡面。
 迷いは無かった。渾身の気合いを籠めて、打ち出す右の人差指。

「爆砕点穴っ!」

 それは良牙の得意技、爆砕点穴だった。女傑族のコロン婆さんが良牙へと授けた岩などの固い物を打ち砕く土木技だ。まがいなりにも、乱馬はそれを打った。並はずれた格闘センスを持った彼だからこそ、打ち込めた技だ。
 乱馬が打ちだした人差指は、魔鏡の爆砕点を見事に打ち砕いた。

 パリン…。

 粉砕音と共に砕け散る鏡面。

「火中天津甘栗拳変形、火中天津粉砕拳っ!」
 間髪入れずに得意の拳で更に追い打ちをかける。焔の中の栗を拾い上げる如く、飛び散った鏡の破片を余すところなく粉砕していく。鏡が刺さって指から血が滴り落ちることなど気にも留めず、ひたすらに打ち続けた。

 パラパラと地面に吸い込まれるように落ちて行く鏡の砂塵。

「しまった…鏡が…。」
 焦った円に、乱馬はとどめの拳を差し出す。
「このままでは終わらせねえ…、このままぶっ飛びやがれーっ、猛虎高飛車ーっ!」
 ドオンという爆裂音と共に、乱馬の放った気弾と共に、円の身体が弧を描いて吹き飛んで行く。
 そして、夜見の桜へと勢い良く叩きつけられた。丁度、乱馬が捕えられていた凹み辺りへと背中ごと打ち付けられたのである。

 ノオオオオオ―ッ!

 乱馬の気弾を受けて、夜見の桜が雄たけびを上げた。乱馬が放った気を、喜ぶようにわが身へと取り込んだ。
 勿論それだけでは無かった。
「わああああっ!」
 夜見の桜に触れた途端、円の身体が大きくしなった。
 そう、夜見の桜はわが身に打ち付けられた円の身体へも触手を伸ばしたのである。乱馬を捕えていた触手が一斉に円目掛けて這い上がった。
「来るなっ!我はナルヒメなるぞっ!阿射加の巫女なるぞっ!」
 そう雄たけびをあげたが、樹木に通じる訳もない。
 ずぶりと飲み込むように、夜見の桜は円の身体を吸いこんで行く。
「やめろーっ!やめてくれええっ!」
 轟き渡る、円の怒号。
 乱馬もあかねも思わず、視線を外した。凝視できなかったのである。

「夢にまで描いた、隠(いなば)の扉が開くというのに…。この秋津島を滅ぼせると思ったのに…くそっ…くそおぉぉぉっー!」
 その怒声はやがてふっつりと消えてしまった。
 完全に夜見の桜へと取り込まれてしまったようだ。強大に成長した夜見の桜は、乱馬という生贄を失った途端、飛ばされて来た円に牙を剥いたのだろう。

 ウオオオオオッ―!

 円を余すところなく呑み込んでしまうと、夜見の桜は一声、雄たけびを張り上げた。
 と、コロンと音をたてて、小石ほどの何かが転がり落ちて来た。

 その音に呼応するように、ザワザワと枝葉が揺れ始めた。まだ開き切って居なかった蕾も一斉に花開く。たわわに開いた花が、まるで、電飾の花のように、闇の中を美しく光り始めた。

 
 円が持っていた物なのか、はたまた円が変化したものなのか…。そいつは、コトリと弾けるように桜の幹から吐き出されると、そのまま、乱馬とあかねの前に転がって来た。

「これは…。」
「勾玉だわ…。」
 あかねが後ろから覗きこんだ。
 それは桜色をしていた。

 あかねはその勾玉へと手を伸ばし、拾い上げた。

 と、その刹那。

 ゴオオッという地鳴りと共に、風が吹き抜けた。
 そして、拾った勾玉ごと、あかねを高く吹きあげた。

「きゃああああっ!」
 あかねの悲鳴が轟き渡る。

「あかねっ!」
 真下から乱馬があかねへと飛び上った。が、風の威力が強すぎて、あかねへ掴みかかることが出来なかった。



五十六、二重の陰謀

 みるみる高く飛ばされたあかねは、そのまま、空を飛んだ。
 そのまま数十メートル上空へと飛ばされると、ハタと動きが止まった。
 
 カカッと閃光がきらめいたかと思うと、シャボン玉のような大きな透明の球体の中に、すっぽりとあかねは捕えられてしまった。
 閉じ込められたあかねは、球体を割ろうと、力を籠めて拳を振り上げたが、無論、簡単に割れる物では無かった。そればかりではない。
 外の音が一切、聞こえて来ないのだ。小さな異空間に捕われてしまったように感じた。


「あかねーっ。」
 乱馬は下から声を張り上げたが、あかねを飲みこんだ玉は遥か上空を漂っている。悲しいかな空を飛ぶ術を持たぬ乱馬は、あかねのところには辿りつけない。


「無駄だよ。彼女はスサノオの放った巫女玉(みこたま)の中へと取り込まれてしまったからね…。」
 どこからともなく、男の声が響き渡る。少し高めの落ちついた青年の声だった。
 聞き覚えのある声だった。
 その声の主の方へ、乱馬はキッと振り返る。

「円(つぶら)っ!てめー、まだ生きてやがったのかっ!」

 そう、紛れもなく、文忌寸円(ふみのいみきつぶら)の声だった。
 つい今しがた、桜の木に飲まれて消えた円が、復活したのかと思ったのだ。
 乱馬の視線の先にそいつは居た。夜見の桜の木の高みの枝に腰掛けてこちらを見下ろしていた。
 だが、さっき乱馬と戦った円とは少し様子が違っていた。着ている物が全く違ったのだ。
 さっき乱馬が戦った円は古代の武人らしい麻の白っぽい衣を着ていたのに対し、目の前の円は白いカッターシャツと黒っぽいスラックスという現代風ないでたちだったからだ。しかもその身体は桜の花びらと同じ薄ピンク色に、暗がりの空間に浮き上がって見えたのだ。
 その姿を認めると、乱馬はすぐさま切り返した。

「てめー…円じゃねえ…。同じ顔をしているが…発する気が全く違う…。少なくとも、さっきまでそこに居た円とは別人だ…。」
 そうだ。彼から発する気は、さっき拳を合わせた円とは全く違うことを咄嗟に感じ取っていた。
 顔は同じでも発する気は全く違う。これが意味すること…乱馬は瞬時に悟っていた。
「おまえは…マドカ…。平成の御世の占い師ルカの兄、兼、マネージャーの…。そうだろ?」
 はっしと睨みあげながら、問い質した。

「ああ、君の察するとおりさ…。僕の名はマドカ…、文忌寸氏の末裔…文乃円(ふみのまどか)さ…。円(つぶら)と同じ漢字をマドカと読ませている…。」
 マドカはそう言いながら軽く微笑んだ。

「てめえ…時の空間で佐留の爺さんと戦って、どこかへ消滅したんじゃなかったのか?何故ここに居る…。今頃のこのこと出て来やがったっ!」
 乱馬は下から見上げながら怒鳴った。
 そうだ。戦いに臨む前、円(つぶら)は己の正体が古代阿射加国の巫女、ナルヒメだと明かした。マドカが消滅する前に、魂だけを掴み取り、それを核にマドカの姿に変身したと、そんなことを言っていた。
 だが、佐留と戦い、消滅した筈のマドカがそこに立っている。


「その理由はただ一つ…。僕は佐留との時空の闘いで、消滅しなかったからさ…。はなから僕は消滅なんてしてない…。消滅したのは佐留だけだった。僕は消滅したと見せかけて、ナルヒメに術式で作った偽の魂を握らせたんだ…。」
 そう言ってマドカはふふふと笑った。冷たい笑いだった。

「ってことは…ナルヒメをまんまとダマしたってことか…。」
 乱馬は睨みあげながら言った。

「御明察…。彼女にも暗示をかけておいた。僕の魂をつかんだ後、藤原時代へ辿り、隠(いなば)の扉を
開ける為の根回しをするようにね…。
 そして、僕は自らここへ、この場所へ飛んだんだよ…。この、隠(いなば)の扉の前に佇む、夜見の桜の傍にね…。」

「何のためにそんなことを…した?」
 乱馬は睨みあげながら問い質す。

「そんなの…決まってる…。君を待っていたんだよ…。」
 そう言い放つと、マドカは乱馬目掛けてクナイのような武器を投げつけてきた。

「くっ!」
 咄嗟に乱馬はそれを避けた。
 だが、避け切れず、そのうちの一本が乱馬の衣服を突き破って行った。血こそ出なかったが、桂に借りた古代の衣装の右腕のところが少し破けた。
 
 ピシュッ、ピシュッ、ピシュッと音を発てて、乱馬のすぐ傍の地面に乱馬が避けた武器が突き刺さる。

「へええ…。結構、やり手だね…。流石にあの亀石を動かしただけのことはある。」
 座ったまま微動だにせず、マドカは乱馬へと言葉を投げつけた。

「随分な歓迎じゃねーか…。俺を待っていたという割にはよう…。」
 乱馬ははっしとマドカを睨みあげた。
 このままで済む訳ではなさそうだ。ただ、単に話をするだけに乱馬を待っていた訳ではないことだけは一目瞭然だ。
 マドカの気は鋭く、闘気に満ちていた。

「君が僕たちより先に亀石を動かすからいけないんだ…。君が亀石を動かしてさえいなければ、もっと事は簡単にすんだだろうし、僕だって無駄な殺生はしなくてすんだ…。
 予定通りなら、僕の横にはナルヒメが居て、彼女が先導となって岐(ちまた)を開き、隠(いなば)の中へと至れたものを…。」
 そう言いながら、憎々しげに乱馬を見下ろしていた。

「どういう意味だ?…。てめえの手でナルヒメを惑わして、消滅させておいて…。」
 乱馬は叫びながら問い質した。

「頭の悪そうな君のために、少しは話しておいてやろうか…。」
 マドカはバカにしたように言い放った。

「頭が悪いは余計だっ!」
 ムカッとした顔を思わずマドカへと手向けた。当り前である。よく知らない奴にバカ呼ばわりされるほど不愉快なことはない。
 だが、マドカは乱馬を無視して、勝手に語り始めた。

「ナルヒメも言っていたろうが…。僕は文忌寸氏の末裔だ。
 古代連綿、ふつふつと術者としての血も流れていた。だからかもしれないが、ある日、実家の書庫に籠って、古い書物を読んでいたら、突然目の前が光って、僕の前に古代の巫女と自分を名乗る、ナルヒメという少女が現れた。
 誰かと尋ねたら、古代から千有余年の年月を越えてここまで飛んで来たという…。
 最初は信じられなかったさ…。でも、彼女の巫女の力は僕の想像を越えたものだった。
 すぐさま、彼女の虜になった。これも、ナルヒメの力の及ぶところだったかもしれないが…。彼女に促されて、僕も古代阿射加の呪術を習い始めた。これが、習うと面白い。
 それに、先祖伝来の書物も数多く残されていたからね。それを一つ一つヒモ解きながら、様々なことを知ったんだ。
 隠(いなば)という龍穴の存在、そこで永遠の命を得る方法…そして、覇王にもなれることをね…。
 僕は彼女にすすめられて占い師をやってみた。己の占いがどこまで当たるのか、興味もあったからね。人の人生や金の動きを的確に占うのは術者としての修行にも効力があるという。
 それに、生活して行くにはある程度の糧も必要だからね…。
 だが、占い師として世を渡っていくうちに、人間の様々な欲望や穢れた部分が目に入り、幻滅することが多くなった。欲に駆られた人間ばかりが僕たちに群がり、甘い予言の汁を吸う。
 すっかり嫌気がさしていた僕に、ナルヒメは囁いた…。一緒に時を渡り、古代へ行って、そこからもう一度、この八十島を作り直しましょうとね…。

 君にも彼女は言っていたろう?
 阿射加国という倭国の前の国のこと…。日向という倭国の母体となった国に滅ぼされ併合されてしまった、元飛鳥の古の国。彼女はその国を新たに作りあげたいという願望を持っていたんだよ。一度、全てを滅ぼしてね。
 そのためには、隠(いなば)に眠る荒神スサノオの力を借りなければならない。そのためには、扉を開かねならない…。
 生憎(あいにく)、僕らの世界には、隠(いなば)へ至る道は存在していなかった。泣沢の泉も、埴安池も石上の苑池も須弥山も、歴史の流れの中できれいさっぱり消え失せていた。
 僕らは扉を求めて、過去へと渡る方法を選んだ…。ナルヒメは時を越えていく術を身につけていた。
 ただ、時を越えるだけでは隠へは至れない。隠へ行くためにはその資格を得なければならないと彼女は言った。
 その資格とは、亀石を動かすことだったのさ…。亀石へ至って、その資格を得るために明日香まで足を運んだんだ。
 でも…君ともう一人の少年が亀石を動かしてしまったんだよ…。僕らの目の前でね…。
 亀石を動かせる人間、即ちそれは非凡さを意味する。どんな形にせよ、術式や素手で亀石を動かさねばならないんだ。どう動かすか思案していた僕らの前で君はいとも簡単に動かしてしまった…。即ち、亀石を動かした時点で、君は扉の前に立つべく、ふさわしい人間として認められたんだよ。
 そう…亀石は最初の試練なんだよ…隠へ渡るためのね…。
 ただ、僕は、亀石を先に動かされたからといって、大人しく指を咥えているつもりはなかったさ…。
 僕の血の中には、遥か昔、大陸から不老不死の法を求めて渡って来た文忌寸氏の祖先の願いがとうとうと流れているからね。諦めるつもりはさらさらなかった。
 だから、僕はすぐさま、己の術を発動させたんだ。バンダナの良牙とかいう少年を召喚させた。
 実は僕は予感していたのさ…。
 途方もない術者が僕らの行く手を阻むってね…そう…柿本佐留だよ。僕は得意の占いで、彼の出現も予め予想していた。いずれ遠からず必ず、腕のある術者が僕たちに妨害をしかけてくるってね…。
 だから、予め、僕の魂を含ませた偽の魂を作っておいたんだ。佐留も相当の使い手、一癖も二癖もある…。奴の裏の裏をかいて、更に僕は策略を巡らせたのさ…。
 己の手を使わずとも、君はここへ召喚される…。」

「どう言う意味だ?俺を召喚したのは…てめーじゃねえのか?」

「君が召喚されたのはいわば必然。その助けを少しばかりしたのは確かに僕だが、時の渦を開き、正確に古代へ導き、そしてここへ至らせるのは、とても僕だけの力で賄い切れるものじゃない。」
「どういう意味だ?」
「本来、隠(いなば)を開こうとする者は、自分で道を開くものだが、君は陰陽術など使えないだろう?だから、そのきっかけを僕が与えてあげたに過ぎない。
 つまり、僕はこの飛鳥時代の終焉期に来るように式神を使って、その先導の力を籠めた勾玉を渡し、式神を使って時空の道を開いただけなのさ。
 実際に時空を操り、君を手繰り寄せたのは、別の力の作用だよ。

「別の力?」

「ああ…亀石を動かした時から、君はここへ、この扉の前へ引きずり込まれる運命だった…。君をここへ導いたのは、僕や佐留の力じゃない……龍神スサノオ自身の力さ…。」

「龍神…スサノオ…だと?」

「ああ…。この扉の奥に眠る巨大なエネルギーの塊の名だよ…。それを龍神スサノオと阿射加では呼びならわしてきた。そして、龍神スサノオは君を招いただけではなく、その少女をも導いてしまった。」

「何で、あかねも一緒に導いたんだ?」

「そうか、君は知らないんだ…。隠へ至るには、猛き男王そして清き巫女のペアでなければならないことを…。」
「どういうことだ?」
「スサノオの使いがその少女(あかね)を連れて来たということは、時が凍りついた時、その少女(あかね)が君の傍で動けたということを意味している。時のタガが外れた瞬間…一番先端を動いていた時間は凍りついて止まったんだ。地上の生きとし生ける物全ての時がね…。」
「だから…皆が止まって見えた…ってーのか?」
 水落遺跡で佇んでいた時の、あの瞬間を思い出しなが乱馬は問うた。
「でも、君の傍に居た彼女だけは動けた…違うかい?」
 あかねを指差しながら、今度はマドカが問うた。

「ああ…。あの時、あかねは飛び出して来た。猿面男に拉致されかけた俺を助けるために…。」

 水落遺跡の水たまりで、いきなり空間が歪み、そして、猿面の男が現れた時、あかねは無我夢中、乱馬へと飛び込んで来た。そう、あの中であかねは動けたのである。

「凍った時の中に居て、動けるということは…彼女は君にとって、強い縁(えにし)で結ばれた特別な存在だということの現れだ…。
 つまり、扉を開くための鍵となる乙女…龍神の巫女に成り得る乙女なんだよ…彼女は。」

 マドカに言われるまでもなく、あかねは乱馬にとって特別な存在である。許婚として愛して止まない少女だ。

「俺が…あかねを巻き込んじまったって言うのかよ…。」
 乱馬はあかねを見上げた。
 あかねは玉に捕えられて、一緒に上空に浮いていた。
 中から、玉壁を叩きながら必死で何かを叫んでいるが、何も聞こえて来ない。



「結果的にはそういうことになる…。もっとも、僕は、君が亀石を動かした時点で、計画が狂ってしまったから、修正をかけなければいけなくなった。
 最初は僕が動かして、ナルヒメと一緒にすぐさまここまで飛ぶ予定だったんだ…。だが、修正を余儀なくされた。
 乱馬…君は僕が手を下さなくても、スサノオがここまで連れて来る…それがわかっていたからね。
 で、あの時はまだ、僕たちは君が女だと思っていたし、あの少女が一緒に召喚されたことも知らなかったから…だから、良牙という青年だけを拉致したんだ。
 良牙が亀石を動かしたのなら、僕らも一緒にスサノオは召喚してくれる。でも、岐(ちまた)に至れてもそれ以上は辿れなかった。スサノオは良牙を導かなかったんだ。
 だから岐(ちまた)に居る亀石に尋ねてみたんだ。亀を動かしたのは、少年か少女かどちらかって。そうしたら、少女の形をしている少年だと教えてくれた。そこで初めて、君の正体がわかったのさ。呪泉郷で溺れた人間だってね…。そして、本当は男だっていうことも。ならば、きっともう一人、龍人の巫女になり得る乙女も飛ばされてくる…僕はその時点で確信していたんだ…。
 僕とルナは秀逸な術師だからね…。この門の前までは、自分たちの力で渡って来られる…。でも、この先へ行こうと思うなら、本来、至るべき君をここで倒さなければならない。君を倒すということは、王を倒すことと同義だ。君を斃せば龍神スサノオは僕を王と認め、巫女と共にあの扉の奥へ進めるっていう算段さ。
 だから僕は、佐留の隙を見て、ここへ渡り、この夜見の桜を育てながら、君たちを待っていたんだ…。」

 マドカはニッと笑った。

「もっとも、僕の巫女媛になる予定だった、ナルヒメはもう居ない…。君の手で斃されてしまった…。となると…。」

「あかねだけってことか?」
 乱馬はキッとマドカを睨みかえした。

「そういうことだ。巫女玉は既に彼女を巫女と認め、取り込んでしまった。後は亀石を動かした君を斃し、王の印となるその勾玉を奪うだけだ…。そうすれば、積年の僕の一族の夢が叶うことになる…。そして、僕は永遠の命を手に、神となって降臨し、八十島の国をもう一度、初めから創成できる…。」

「けっ!そんなこと、させやしねえ…。あかねは絶対にてめえなんかに渡しやしねえ…。俺の許婚だからな…。この命にかえても守って見せるぜ!」
 乱馬ははっしとマドカを睨み据えた。

「ふふふ…さあ、戦いを始めようじゃないか…。僕が勝つか…君が勝つか…。」


 ノオオオオオッ…

 と辺り一面の空間がざわつき始めた。
 夜見の桜も妖しく輝きを放つ。
 それに反応するかのようにあかねを取り込んだ巫女玉も美しく光り輝き始めた。


 ズズズズズズズ…。
 何かがせり上がる音が俄かに響き渡った。
 と、対峙する二人の若者の前に、大きな白い門が出現した。
 天高くそびえる白き大鳥居だった、固く扉は閉ざされたまま、靄の中に妖しく浮かび上がる。


「ほら…隠(いなば)の大門も出現した…。さあ、いざ、勝負だっ!」
「それが宿命なら…受けて立ってやるぜっ!来いっ!」

 二人は門の前で、互いに身構えた。

 雌雄を決する最期の戦いの幕が、切って落とされた。



つづく





一之瀬的戯言
次回…最終話…長かった…本当に長かった(溜息)


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