◇真夜中の訪問者



 コトン。

 微かに物音。
 さっと走る緊張。

「誰か、下に居るわ。」

 天道家と早乙女家の留守を預かる、この家の主婦、早乙女あかね。彼女はゆっくりと起き上がった。
 夫、早乙女乱馬は、ただ今、海外試合に長期遠征中。年末までには明日の予定。
 傍の蒲団に目を落とすと、そこには、龍馬と未来が仲良く寝息をたてている。その枕元には、でっかい靴下が置かれている。幼稚園の先生に言われて、イブ用に作ったものだ。
 二枚の布を合わせて、布を靴下の形に切り、接着剤でくっつけてマジックでカラフルに彩った彼らの作品。この中にプレゼントを入れてもらうのだと張り切っていた。
 そんな、平和な聖夜を揺るがす、物音。
「おじいちゃんたちじゃあ、ないわよね。」
 と、小首を傾げた。
 プレゼントはワシらに任せておけ、と豪語しながら楽しんでいたのを思い浮かべた。
「でも、プレゼントはまだ入ってないみたいだし…。」
 最近、子供たちはサンタクロースの存在を疑い始めている。幼稚園の友人に、サンタの招待は「父親」や「母親」だと吹き込まれて帰って来たのだ。
 それぞれ、不安げに『サンタさんは居るよねえ?』と口をそろえて、あかねたちに問いかけてきた。まだ夢を持っていて欲しいと思う親としては、『そうねえ…。お母さんもサンタさんに色んなプレゼントを貰ったから、居ると思うわよ。』と誤魔化す。
 今年も早雲と玄馬が、二人の孫にサンタになると張り切っていたのを思い出したからだ。
 情報が錯綜する現代社会。昔のように素朴に何年もサンタクロースの存在を信じさせるのは、難しい事なのかもしれない。それでも、できるだけ長い間、ささやかな夢を持たせたいと思っている母親であった。
 
 コクンと揺れる、黒い頭。
「よしっ!確かめてみよう。」
 気合を入れた。
 そして、ぎゅっと傍にあった竹刀を持つ。
 これでも武道は何でもござれ。少しは手に覚えがあるというもの。
 それから、子供たちを起さないように、採取ンの注意を払いながら、すうっとドアを開く。 ゆっくりと降りる階段。物音を消すために、スリッパは履いていない。勿論、素足だ。
 ツンと冷たい冷気が足元から、じかに伝わってくる。暖冬とは言え、真夜中だ。広い天道家の母屋は底冷えがする。暖房機を切ってしまえば、寒い。
 だが、緊張で寒さなど感じる余裕などない。

 そっと中の気配を察しながら、握り締める竹刀と懐中電灯。この武器だけで、たいがいの暴漢は退けるだけの自信はある。でも、得体の知れない真夜中の訪問者を目の前に、軽い緊張が走った。
 
 果たして中に居るのは、おじいちゃんたちか、それとも暴漢か。
 あかねはすっと息を吸うと、さっと居間の襖を開いた。

「あっ…。」

 懐中電灯を手向けた途端、ガバッと脇から口を押さえられた。獣の大きな腕。
 にっと笑うのは、でっかいジャイアントパンダ。義父の玄馬だ。
「しーっ!」
 目の前で真っ赤な衣装が揺れる。
「お、おじいちゃんたち…。」
 やっぱりそうだったかと、溜息が漏れる。賊では無いことに安堵する。
「何やってるの?こんな時間に…。」
 壁にかかる柱時計は、真夜中の一時をさしている。
「あはははは…。早乙女君がねえ、せっかくだから、雰囲気出してプレゼントを孫たちに持って行こうってね。」
 そう言いながら早雲は、外れかけた付け髭をなおす。
 真っ赤な衣装に身を包み、どこから見てもサンタクロースだ。本物と違うところは、早雲が痩身すぎて、少し貧相に見えたくらいだろう。
「それは良いけど…。そのパンダは?」
 あかねは呆れた表情を玄馬に手向けた。
 パンダに変身した玄馬は、頭に角を乗せている。トナカイの角のつもりなのだろうか。布製の百円均一ショップなどでよく見かけるヘアバンドだ。
「これでも、トナカイのつもりなんだが…。見えないかい?」
 早雲が笑った。
『わしはトナカイ!』
 玄馬は看板を持っておどけている。
「見えないわよ…。そんな白と黒のまだらなトナカイなんか居るわけないじゃない…もう。」
「ま、しゃれだよしゃれ。子供たちが目覚めても、後姿を見て、サンタさんは居たんだって思ってもらえれば良いと思っての変装さ。」
 と屈託無い爺さんたち。
 つい数日前に、サンタの存在を疑ってかかった孫たちの言動が気になったのだろうか。
「さっき、かすみのところへ出張してきたんだが…。あっちは大成功だったからね。」
 と驚きの事を言う。
「かすみお姉ちゃんのところへ、行ってきたの?」
「ああ。」
「その格好で?」
「勿論…。途中、おまわりさんに会ってねえ。結構長い間職務質問されてしまってねよ…わっはっは。」

 そりゃそうだろう、と納得した。
 いくらクリスマスイブでも、こんな格好で真夜中街をうろつかれて、怪しまれない筈はない。

「泥棒か何かかと思われたんだろうねえ。なかなか納得してもらえなくて苦労したよ。」
「当たり前よ、怪しげサンタとパンダのコンビですもの…。そんなのが夜中に街中をうろついていたら、誰だって通報するわよ!普通。」
 思わす苦言が漏れる。
「まあ、事なきを得て、さっき帰宅したところなんだ。だから、これから龍馬と未来のところに行こうと思ってね…。」


 そう言いかけたところで、ガラリと障子が開いた。
 雪崩れ込んできたのは、子供たち。
 円らな瞳が、母や爺さんたちを捕らえた。

「お母さん!」
「あのねえっ!」
 そう言いながら、入ってきた。

「げっ!不味い!」
 早雲も玄馬も咄嗟のことだったので、激しく動揺する。だが、焦れども、その真っ赤なドハデ衣装も、トナカイの角もすぐには隠せない。隠れようにもどこへ入れば良いのか、我を見失って、あたふたと、二人、狼狽するだけ。

「何やってるの?おじいちゃんたち。」
「サンタさんの格好なんかしちゃって。」
 と未来が鋭い指摘をする。
「あはは、いや。これはね。あはははは。」
 こうなったら笑って誤魔化すしかない。
『何でもないよ〜ん!』
 玄馬パンダもおどけている。
(はあ、やっちゃった。とうとう、子供らにサンタの正体がばれちゃったか…。)
 あかねは、はああっと長い溜息を漏らし、額に軽く手を当て、首を横へ振る。
 あからさまにこんな格好をして、真夜中に居間に居れば、「サンタの正体はじいちゃんだちだよ」と指し示しているようなものだ。

 だが、大人たちの狼狽ぶりとは裏腹に、子供たちは、興奮している。

「どうしたの?二人とも。」
 気を取り直して、あかねが母親らしく声をかけた。

「あのね!サンタさん!」
「サンタさんなのよ、お母さん。」
 興奮しているのか、二人とも的を得ないで、拙い言葉を発した。

「なあに?サンタさんがどうしたの?」
 あかねも慣れたもので、子供たちから話を聞き出そうと、それぞれの顔を見比べながら問いかける。」

「あのね、サンタさんが来たの。」
「本物のサンタさんだよ。やっぱりいたんだ!」
 と興奮している。
「サンタさんが?どこから?」
「窓から来たんだよ。すいっと入ってね。」
「窓から来たの?」
「うん、ウチには暖炉なんかないから窓から入るんだって。」
「確かに暖炉はないわね。」
「だからね、窓から入ってきたんだよ。」
 子供たちは一気に話した。

 あかねと爺さんたちは、それぞれ顔を見合わせた。爺さんたちは、身に覚えが無いと言わんばかりに首を横へ振る。

「あのね、それでね、良い子にはクリスマスプレゼントって、これをくれたの。」
「ほら、お母さん。」
 手にあるのは、小さな靴下。その中には金貨のチョコレートお菓子が入っている。
「未来、頭撫でてもらっちゃった。」
「僕もだよ。」
 とニコニコしている。

「まさかと思うけど…。泥棒?」
 あかねは早雲と玄馬を振り返る。
「サンタさんだよ。泥棒じゃないよ!」
「また来年来て欲しかったら、窓から帰るまで目を閉じてなさいって言われたんだよ。」
「で、目を閉じていたらいつの間にか窓から帰っちゃった。」
 二人とも、興奮が収まらないらしく、目がキラキラと輝いている。

「そんな事ってあるのかしら。」
「とにかく、部屋へ行ってみよう。それが賊だったら大変だよ。」
 あかねとじいちゃんずは、トタトタと二階へ駆け上がった。

 部屋は特に乱れた風もなく、確かに窓だけが開かれていて、冷たい風がカーテンを揺らしながら入っている。思わず、身を乗り出して、辺りを見回したが、それらしい人影は見当たらない。

「別に、何も盗られた風はないわね。貴金属だってお財布だってちゃんとあるわ。」
 あかねは身の回りを確かめると、小首を傾げた。
「サンタさんのプレゼントってそれかい?」
 早雲が二人が持っている靴下を見て尋ねる。
「うん!」
「未来は赤いの。」
「龍馬は緑のだよ。」
 と差し出した。
「どこにでもあるような普通の靴下やお菓子よねえ…。ほら、アメリカ製の既製品よねえ。特別仕様じゃないわ。」
 あかねが、目を皿にして確かめる。
「本当にサンタさんだったのかしら…。まさかね…。」
「はて…。」
『?』
 爺さんたちも首を傾げるばかりだった。

 そんな中、興奮したとはいえ、まだ真夜中。朝までは時間がある。
 子供たちは生あくびを投げかけると、蒲団へ潜り込み、再び夢の中へ。

「戸締り、しっかりして休めば良いわね。ちゃんと鍵閉めておこう…。」
 あかねがほっと溜息を吐く。
「今夜はワシらもこの部屋へ泊まろうか?」
「そこまでしなくても大丈夫よ。あたしだって武道家の端くれですもの。」
 あかねが力こぶを作って見せた。
「なら良いが…。」
「もう遅いし、真相は明日の朝、確かめましょうよ。お父さんたち。」
「何かあったら呼ぶんだよ。」
『おやすみ!あかねちゃん!』
 そう言ってお開きにする。


「サンタさんねえ…。誰がこんな手の込んだ事を…。」
 そう吐き出しながら、蒲団へ潜り込む。
「おじいちゃんたちじゃない事ははっきりしてるし…。東風先生だって、そんな暇なんかないだろうし。なびきお姉ちゃんがそんな粋なことするわけないし…。ううん…。」
 枕へ頭を置いて、はっとした。

「え?」
 何かが枕の下にある。そんな感触を覚えたのだ。
 ガバッと起き上がって、枕をひっくり返してみる。

 と、そこには小さな靴下があった。
「あたしにもクリスマスプレゼント?」
 小さな靴下の中に、小さな箱とカード。

『あかねへ』
 そう並んだ筆跡を見て、納得した。
「乱馬…。」
 華やかな微笑みが、あかねを彩る。

 と、部屋の空気が変わったような気がした。
 いや、微かな気をあかねが捕らえてしまったのである。

「ねえ、そこに居るんでしょ?今の今まで気配を消していたんでしょうけど、バレバレよ。」
 と、背後に向かって囁きかけた。

 クローゼットの扉が開いて、サンタクロースが現れる。

「ちぇっ!もうちょっとで、完全に騙せると思ったのになあ…。」
 懐かしき声を掲げながら。

「何て格好してるのよ…。たく。子供たちはともかく、あたしを騙すなら、もっと上手く変装なさいっ。」
 そう言いながら、白いひげを引っ張った。
「あーあ、おめえは鈍いから、わかんねーと、タカをくくってたのにな。」
 現れた彼は、そう言いながら笑った。
「嘘ばっかり。最初から、これ狙ってたでしょう?」
 悪戯な瞳が彼を見上げた。
「もうちょっと、気の利いた、嘘つきなさいよね。子供たち、すっかり信じちゃったわよ。」
「ああ、やっぱ、こいつらもおめえの血が流れてるからな。鈍いから助かったぜ。」
 と白い歯を見せて笑った。
「な、何ですってえ?」
 叫びかけたところで、口元を押さえられた。

「しーっ!今、こいつらに起きられたら、俺の苦労が水の泡だろ?」
 耳元で囁かれる。
「もーっ!何時帰って来たのよ。確か帰国は明日じゃなかったっけ?」
「へっへっへ。一日早いチケットが取れたんだよ。だって、ほら、やっぱりクリスマスイブは、おめえと過ごしたいじゃん。だから…。」
 降りてくる瞳に自分の姿が映りこむ。

「ま…いいか。サンタさん。」
 すっと差し出す腕を、懐へ引き込むと、サンタはあかねにキスをした。

「プレゼント、ありがと…。でも、あたしからのお返しは…。」
「何も要らねえ…。一緒にすごす、イブの幸せだけで充分だよ。何なら、もう一人、子供を作りたいかなあ…。」
「もう!ねだり方がストレートなんだからあっ!」

 ふわっと抱きすくめられて見上げる窓の向こう。チラチラと白い綿雪が舞い始める。
 クリスマスイブは、やっぱり愛すべき家族と共に。





 翌朝。
 すぐ隣りで、眠っていた父親を発見して、子供たちは大騒ぎだったとか。
 「いつ帰って来たの?」
 「どうしてサンタさんのお着物があったの?」
 と散々、好奇心で問い返されても、咄嗟に言葉が出ず、しどろもどろの父親、乱馬であった。
 「サンタさんがお父さんを届けてくれたのかもね。」
 とあかねはケラケラと笑った。
 
 








一之瀬的戯言
 途中挫折した「煩悩小説」の完成品の一つです。お題小説を延々と書くつもりだったのですが、サイトが飛んだ時に、一緒に、ログも吹き飛んでしまったので、修復もできません。五本くらい書きかけがあるので、そのうち、完成させる気持ちだけは持っています。
 
 本来はクリスマス部屋へ収監した方が良いのですが…迷った末、季節短編集へ持ってきました。
 未来編の乱馬とあかねを書くのは楽しいです♪


2004年12月23日 作品

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