本気(マジ)



「手合わせしてやっから、道着に着替えて道場へ来い!すぐだぞっ!」


 長い間、修行と称して、天道家(うち)を出ていた乱馬が、半年振りくらいに帰って来た。そして、あたしの顔を見るなり、いきなりの命令口調で、そう言い放った。


……ん、もう!帰るなり、何て態度なの!


「手合わせって、何よっ!」
 少し頭に血が上ったあたしは、思わず、切り返す。
「馬鹿っ!手合わせっつーたら、組み手のことに決まってんだろっ!久しぶりだから、もうろくしたか?どんくらい、てめえが真面目にやってたか、見てやるっつーてんだっ!さっさと準備して来いっ!」
 と、ポンポンと言葉が返ってくる。


……何て、横柄な口の利き方なのよっ!半年もの長い間、人の事、ほったらかしにして。連絡が無いから、どれだけ、あんたのこと、心配してたかわかってんの?このとうへんぼくっ!

 心で吐き出しながら、あたしは、道着を取りに、自室へと向かう。
 慣れた手つきで、白い道着に手を通し、黒帯をギュッと締める。
 それから、彼が言うように、道場へと、渡って行く。


「手加減しねえからなっ、本気で来いよっ!じゃねえと、怪我するぜっ!」

 開口一番そう吐き出してきた。

「わかってるわよっ!手なんか抜かないわっ!」

 あたしも負けじと睨み返す。

「たく、久々だっつーのに、可愛げがねえなあ…。相変わらず!」

 そう、切り替えしてきた、彼の言葉に、思わずムッとした。


……あんたさあ、今更、あたしに、可愛くなれ!なんて言いたい訳?これから、組み手組もうっていう相手なのよ、あたしは!可愛らしく、なよっと組み手なんか、出来るわけないでしょうがっ!!

 瞳を凝らして、散々、心で吐き付けてやったわ。

「こらこら、最初は一礼だろ?…ったく、武道は礼に始まり、礼に終わる。ガキだって知ってることだぜ。」
 と、にやけながら指摘してくる。

 ムッとした表情のまま、気をつけ。それから、これでいいでしょとばかり、深々と一礼。
 ふうっと一空気、お腹から吐き出して、一歩、右足を引き、身構える。


……ぜーったい、一本、取ってやるんだからっ!後で、吼えずらかかないでよっ!

 目で睨みをきかす。
 あたしだって、乱馬が居ない間、ぼけっとしていた訳では無いもの。これでも、日々の精進は怠らなかったし、身体が鈍らないように、お父さんたちに相手してもらいながら、鍛えていたもの。見くびられては溜まらない。

「本気で行くぜっ!」
 彼はにっと笑った。
 余裕の微笑み、そんな物が感じられる。
 いや、実際、身構えた彼に、思わず、心臓がドクンと一つ、大きく波打った。

……また、強くなった…?。

 格闘家の嗅覚で、容易くわかった。
 彼の背中から発せられる気が、一際、大きくなった。いや、それだけじゃない。半年前より確実、一回り以上大きくなった身体。体重だって増えてるように感じる。何より、道着から見える、厚い胸板、それから、見え隠れする腕や脚の筋肉が、前よりも一回りもふた回りも膨らんで、しかも固く引き締まって見える。
 真面目に野外で修行していたのだろう。肌も小麦色に焼けているから、余計に強く見えた。


……これは、本気にならないと、本当に怪我するかもしれないわね。


 生半可に技を仕掛けると、こちらがやられてしまうだろう。
 ゴクンと生唾を飲み込む。
 でも、決して、「負けた」とは言わない。
 相手が乱馬だから、負けたくなかった。力で敵わなくても、こちらから、負けたとだけは、言いたくない。
 それは、彼が、あたしの許婚だからということに、物凄く関係していた。

『正真正銘、本気で行くからな!覚悟しとけよっ!』
 真っ直ぐに身構えながら、貫き通してくる彼の目がそう言っていた。

 人間というものは、本能の前では「本気」になれる生き物らしい。
 強い者と闘いたいという、格闘家の本能。
 あたしは、己にも宿る、その本能を全開にして、本気になる。



 「本気」。真面目な心、真剣な気持ち。手にした辞書を引けば、こんな言葉が並ぶ。さしずめ、「陰陽」の「陽」、「晴(ハレ)と褻(ケ)」の「晴」に当たるのが、本気モードなのかもしれない。
 年がら年中、「本気」を貫けば、緊張感が張り詰めすぎて、ストレスが溜まって、溜まりまくって、精神状態も薄弱になりかねない。四六時中、「本気」を貫くことは、神様にだって無理じゃないのかと思う。
 「本気」とそうじゃない時の度合いは、人によってさまざまあるのだと思うけれど、凡そ、生きている時間の数パーセントしか「本気」の時間は、案外、持てないものかもしれない。
 「本気」とは縁遠い生活をしている、と思われる、代表格が、我が家に居候している「早乙女父子」だったろう。
 初めて、家に来た時からして、「不真面目」だった。いや、彼らは大真面目だったのかもしれないが、水を浴びると「少女になる少年」、「ジャイアントパンダになるオジサン」。どこから見ても、「真面目」には捕らえられない。
 おまけに、父親や姉やたちから、「許婚」となることを強いられてしまった、貧乏くじ。

(不真面目千万。冗談じゃない!何で、あんな「変態」と許婚にならなきゃならないのよ!)

 そう思い始めて、早、数年が過ぎていた。
 現在、二人とも二十二歳。



 はあっと気を丹田に溜めて、それから、技を繰り出す、「瞬間(とき)」を探る。一瞬の気の隙を、伺うのだ。
 だが、彼に、あたしが付け入る隙など、有ろう筈もない。
 満ち溢れた自信は、一体、どこから来るのだろう。
 長い修行の間に、すっかり「野性的」になった彼の気。それは、強さだけではない。獣のような逞しさも備わっている。
 顎や口元には、黒々とした無精ひげ。元々毛深い方では無いから、ゴマのように点々と伸び上がっている。少し長くなったおさげ。

 このままでは埒が明かない。
 ある所で、踏ん切りをつけて、突っ込まなければ、勝負は終わらない。
 別に投槍になった訳では無いが、あたしは、溜めた気を、武器に、一歩前へ踏み出した。握った拳を一気に彼に向かって打ちつけると当時に、床板を思いっきり蹴り上げる。

 ダンッ!

 利き脚で蹴った床板がしなる音がする。
 それから、飛び込みざまに、気の玉を掌から解き放った。
 最近になって、少しだけ打てるようになった気の技を、フルに活用して、乱馬に挑みかかったのだ。
 ボールを投げつけるように、右手を突き出し、乱馬目掛けて、拳ではなく、気弾を撃ち込む。

「でやあああっ!」

 渾身の力を振り絞って、気を一気に増大させ、掌かた撃ち出した。
 乱馬の顔が、一瞬、驚いたように見えた。

「ぐっ!」
 くぐもった声を吐き出し、彼は避けることなく、真正面から、あたしの気を受け止めた。

……え?嘘ぉっ!普通だったら、身体ごと後ろに吹っ飛ぶくらいの、衝撃はある筈よ!

「たあく、驚いたっ!あかね、てめえ、気が撃てるようになってたのか。」
 にっと、傍で笑った。

「くっ!」
 あたしは、さっと、後ろに飛びのいて、彼から離れた。
 攻撃をかわされた以上、今度は彼から仕掛けてくると思ったのだ。だから、彼の間合いに居ては不味い。格好の餌食とされるのがオチだ。

「へへっ!気弾かあ…。楽しませてくれるじゃねえか。あかね。」
 乱馬は、にやにや笑っている。
 その態度に、再び、あたしはムッとする。そして、闘争心へと火が灯る。

「そうよっ!あたしだって、気の一つや二つくらい。修行したから撃てるようになったわよっ!」
 そう言いながら、近寄ってくる乱馬目掛けて、再び、気を撃ち込んだ。
 今度は外さない。幾ら乱馬だって、この至近距離からじゃあ、避ける暇だってない筈だもの。

 ぽっと掌から上がる、赤い気柱。
 さすがに、連打は苦しいけれど、踏ん張った。さっきのよりも大きい気を、目いっぱい、渾身から彼目掛けて撃ちつけていた。

「でやあっ!!」

 バンッと飛ぶ、気弾。
 あたしの気が、彼のすぐ目の前で弾けたと思った。
 やった、と思った。
 この至近距離から放った気弾、多少なりとも、乱馬にだってダメージは与えられた筈…。まあ、怪我させるほどではないだろうけれど。
 そう思った時だ。

「え?」

 気を打ち込んだままの手を思いっきり前に差し出した体勢で、固まってしまったあたし。
 いや、違う。
 そのまま彼に抱きすくめられてしまったのだ。
 彼は、あたしの気を受けても、全然何ともないらしく、何事もなかったように、立って笑っていた。

「捕まえた…。」
 くすっと耳元で囁き声。子憎たらしい、悪戯坊主の囁き。

「ちょっ、ちょっと乱馬?乱馬ったらっ!!」
 あたしは、そのまま、空で手足をバタバタさせた。

「ダーメッ!逃がさないぜっ。」

「ちょっと、真面目にやんなさいよっ!!こらあっ!」
 あたしはジタバタ。

「俺、本気(マジ)だけどぉ。あかね。」
 すいっと降りてくる、瞳、一瞬、傍で、輝いたように見えた。

……うっ、なっ、何?この輝き…。

「これの、何処が本気(マジ)なのよっ!!」
 一瞬、その瞳の妖しい輝きに飲まれそうになりながら、あたしは、更に、怒鳴りつけようとした。
 でも、言葉には出来なかった。

「ん…。」

 突然、身体がふわっと浮き上がる。
 それから、降りてきた、彼の唇が、そのまま、あたしの言葉を飲み込んでしまった。




 男と女とを半分ずつ、引き摺っていた乱馬。
 「本気」とか「真面目」からは、程遠い奴だった。
 特に、高校時代は、彼の変身体質から呼びこんだ、様々な人間関係に奔放され、「本気」の欠片も見出せずに過ごした日々。
 互いに、恋愛には奥手だったこともあり、事、男女の関係としては、最低最悪に近かった。
 事あるごとに、真正面から衝突し、激しい、罵り合い、口喧嘩の日々。そんな感じで、「恋に本気」になれることなど、有ろう筈が無い。浪漫の欠片など、どこかへ無くしてしまったような関係。
 優柔不断で、最低男で、それでいて女の子からもてて、必要以上に追い回されることもあって。しかも、あたしよりも、ずっと強いときているから、悔しくて仕様がなかった部分もある。
 とにかく、子供の頃から「男の子だけには負けたくない!」と、武道に打ち込んできた、あたしだから、余計に勝気さが前面に出た。
 彼の方も、こんな女は願い下げだったと思う。

 それでも、今日まで、形だけでも「許婚」という立場を貫いてきたのは、互いに「気になる存在」であったことに尽きるだろう。
 あの頃から互いの気持ちに奥手で、素直じゃなくて、ただ、その日その日をだらだらと「許婚」という立場に甘んじて暮らし続けていた。
 だからこそ、凡そ、「本気」とは縁遠い奴だと思っていた。事、恋に関しては。


 一気に数年分の想いが、頭の中を駆け巡った。



 今まで、真面目の微塵も感じなかった二人に起こった、突然の変化。




 あまりに突然な出来事だったので、目を閉じることも忘れてしまっていた。
 いや、開いていたのだろうが、何も見えなくなっていた。
 そればかりか、身体の震えが止らない。
 唐突過ぎて、心臓も、バコバコと波打ってるのがわかる。
 顔は火が噴出しそうなくらい、赤く上気していく。

「ら、乱馬あっ!」
 唇が離れた時、思わず、怒鳴っていた。

「あ…あんた、いきなり、何てことっ!」
 奮えと共に、湧き上がる怒りと恥ずかしいという複雑な感情。それが一気に噴き出した。
 バタバタバタと手足を懸命に動かす。こうでもしなければ、己を保つことが不可能なくらい、あたしは狼狽していた。
「ど、道場は神聖な場所なんだからっ!真面目にやらなきゃ、駄目でしょうがあっ!!」
 まだ、納得いかずに、あたしはバタバタ。

「だから、ここって決めてたんだから…。一世一代のプロポーズッ!」
 相変わらず、ぎゅうっと締め付けるように、抱っこしたままの乱馬は、そう言いながら楽しげに笑ってる。

「だからって、何てプロポーズをするのよっ!この、すっとこどっこいっ!!」

 そう言い放ってから、止った。

……え?ぷろぽおず…って…。何?

 固まった瞳で、すぐ上の乱馬を見上げた。

 狐につままれたような顔。
 すっかり怒気を抜かれて、ポカンと大口を開けていたような気がする。
「ちょっと、あんたさあ…。修行中に何か悪い物にでもとり憑かれた?」
 ふっと正気に戻ったあたしは、冷静なふりをして、そんなことを問いかけた。

「アホ…。んな訳ねーだろっ!前から決めてたんだっ!女、治したらおまえと、結婚しようって…。」

「ってことは…。女治ったわけ?」

「言わずもがな。後で水、かけてみな…。水滴ってもいい男のまんまだぜ。だから、許婚から一歩、踏み出したって事。俺は本気なんだから、今更、断るなんてなしだぜ…。あかね。」


……女が治った途端、何でそんなに、強気に出られるわけ?

 そう思って、まだジタバタしようと足掻いたが、がしっと逞しい両腕で、抱え込まれていて、無駄だった。

「あかね…。結婚しよう。」
 今まで見たことも無いような、柔らかな優しい表情があたしを見据えてくる。


……駄目、そんな本気な瞳、手向けないで。
   ああん、もう!駄目だったらあっ!!


 居た堪れなくなったあたし。そのまま、すうっと目を閉じる。
 乱馬の本気に圧し負かされてしまった瞬間なのかもしれない。
 恋の駆け引きに負けたあたし。

 もし、誰かに恋の勝敗を訊かれたら、あたしは、迷わず答えるだろう。

「乱馬の本気に完敗。」と。


 そして、あの、奥手の恥ずかしがり屋の乱馬は、その日を境に、あたしの前から消滅した。






 完







 で、格闘家、早乙女乱馬さんにいろいろ伺ってみました。

「本気になるときってどんな時?」

「当然、格闘モードに入ってる時。真剣だぜ。」

「ふむふむ。で、その後あかねちゃんとは本気になることはあるんですか?」

「そりゃあ、ベッドサイドでは、いつも本気だぜ…。愛しき人と睦み合うときは、誰だってそうだろう?」

 はいはい、ご馳走さまでした。って、良いのか?ここでそんな事言って。想像しそうだ…。そのまま、Rサイトへ妄想持って行って書いたろかい(やめいっ!

 なお、脳内イメージは半官半民さんの描く、乱馬とあかねで、BGMは早乙女乱馬さん歌う「かわいくねえ!色気がねえ!」でした。お粗末様。(全速力逃走)


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