終の住処



「なあ、これから京都出てこねえか?」
 それは唐突な呼び出し電話。

「今からあ?」
 思わず声が上ずった。

「じゃ、京都駅の新幹線コンコースで待ってるから。あとはなびき姉ちゃんに頼んであるから聴いといてくれよ。」

「ちょ、ちょっと、乱馬っ!」

 全く、いつになっても突然太郎。
 今、彼は格闘の仕事で関西へ遠征中。試合のほうは無事に終わって、後は関西系のテレビやらラジオに引っ張りだこ。
 せっかく関西に行くんだからと、乱馬をマネージメントしているなびきお姉ちゃんが目いっぱい仕事を押し付けたというわけ。


 あたしと乱馬は正式に婚約したところ。
 結婚前のとっても楽しい時期の筈なのに、格闘稼業のために殆どその味わいをすっぽかされてばっかり。同じ屋根の下に暮らしていても、すれ違いの日々。


 今回も東京に居たと思ったら高飛びして関西。
 一応仕事だからあたしはいつも置いてけぼり。
 その罪滅ぼしのつもりなのかしら?
 携帯電話に直接呼出し。
 と程なくして、佐助さんが車を飛ばしてやって来た。


「あかね殿、用意はできているでござるか?早く行かないとせっかく取った指定券の新幹線に遅れるでござるよ。」

 はあ、切符の手配やら、なびきお姉ちゃんに頼んだんだ。手回しがいいんだか、それとも何も考えていないんだか。あとで手数料とか言ってこきつかわれるのわかってるでしょうに。

 佐助さんの安全とは言いがたい運転で、東京駅へ。時間帯によったら、車より電車の方が速いんじゃないかと思うんだけど。さすがに元忍者。佐助さんは訳の分からない裏道を良く知っている。
 数珠繋ぎの渋滞をすり抜けて、裏道をスイスイ走り抜け、何とか行き着く先。東京駅。

 発車ベルを聴きながらバタバタと飛び乗るのぞみ。
 一路彼の待つ京都へ。


 朝飛び乗ったとしても、到着は昼前。だって、電話は七時過ぎていた。せめて昨日の晩にくれていたら、もっと早く、始発にでも飛び乗れたのに。


 ま、いいか。久々に彼と会うんだし。慌てて着替えて化粧してきたから…。こんな服で良かったかなと溜息。
 平日だから新幹線はビジネスマンやウーマンで溢れてる。
 なびきお姉ちゃん奮発してくれてグリーン車両。後が怖いかも。


「遅かったな。」
 すまして待つ彼。
 あのね、新幹線は世界一正確な列車なの。遅いとか早いとかじゃなくって、時間には正確に運行されてるんでしょうが。それに、もっと早く逢いたいなら、やっぱり昨日のうちに電話くらい…。
 文句を心で吐き出しただけでとにかく笑顔。

 黒いスーツに濃いカッターシャツ、黄色がかったネクタイにレイバン。でも、トレードマークのお下げは変わらない。

 ちょっとヤクザっぽいわよ。ポケットに手を突っ込んで歩かないでよ。ねえ、もうちょっとゆっくり歩いてくれないと、あたし、ついて行けないでしょうがっ!!
 たく、このとうへんぼくは、婚約しても女の御し方をわかってないんだからあっ!!


「こら、ちんたら歩いてると迷子になるぞっ!」


 はああ…。思いっきり脱力。
 ひょっとしてあたしだから気を全く遣ってないの?
 さりげなく肩を抱き寄せるとか、手を繋ぐってこと、出来ないのね。相変わらず。
 でも、それが彼なのだから。仕方がないか。



 秋の京都は美しい。
 紅い色彩が一度にこの地に下りてくるようだ。
 ちょうどこの日は絶好の行楽日和。秋の突き抜けた空があたしたちを出迎えてくれた。


「どこ行くの?」
「そうだな…。東山がいいかな。」

 綺麗に整ったコンコースを抜けて、彼はすたすたと歩く。旅人の迷いなど全くない。

「ねえ…。良く知ってるのね。京都駅。」
「そりゃあ、何度も来たら慣れるし、覚えるさ。」
「そっか…。」

 そうなんだ。ずっと東京に張り付いてるあたしとは違って、彼は常に出ずっぱり。あちこちへ行っては格闘試合をしながら広める仕事をしている。京都はも幾度か来ているのだから、知っていても不思議はない。

「でも、観光前に腹ごなしな。」

 観光より食い気が先なのね。この辺りも乱馬らしい。

 駅近くのちょっと奥まった地下街で、腰を落ち着けたのは京料理のお店。お昼時だからちょっと高めのランチ気分で京御膳と銘打たれた物を頼んでみる。
 煮付けや盛り合わせが、漆器や陶器の中を彩る。鮮やかな美は、こんな地下街の末端の店でも、栄えている。この奥深さ。
 味付けは薄い。関東人のあたしには物足りないくらい薄い。
「綺麗だけど…俺にはちょっと足りないかあ…。お上品と言うか。腹がまだ膨れねえや。」
 ま、大食漢の彼に取ったら、この量では足らないのかも。
「腹八分目って言うでしょうに。」
 くすっと笑った。
「あんまり食べてると、どてって太っちゃうわよ。」
「あ、こっちの小鉢貰い。おめえだってあんまり食ってると太っちまってウエディングドレス、ワンサイズ上になるぜ。」
 もう。一言多いわよ。


 お腹を八部目に納めると、行動開始。
 地下鉄で移動するというので八条口へ。
 京都に地下鉄なんて馴染まない気がするなあ。この街、三十年くらい前までは路面電車が碁盤の目の道を走っていたそうな。
 京都方面から来た学生時代の友達が言っていたけれど、この地下鉄、案の定、工事するときは、遺跡だの何だのいろいろ出てきて、発掘調査にかなりの時間を費やしたそうな。へらで地下を掘りながら工事したんじゃないかって言われたって言ってたなあ。
 そりゃあね、一千二百年の都だもの。都大路のど真ん中、何が埋まってるかわからないものね。


 地下鉄を乗り継いで東山まで。途中乗り換えたもう一つの東西線は、可愛い電車だった。コンパクトで、駅の扉が二重になっている。
 もしかして、少しでも範囲が狭く掘り進めるために普通の電車よりも小さくしたのかしら…。


「ほら、次は蹴上(けあげ)だって…。漢字だと誰かさんにぴったりの駅前だなあ。」
 失礼しちゃうっ!そんな軽口叩いてたら、本当に蹴り上げるわよっ!
 蹴上にはレンガ造りの疎水路があって、綺麗だというけれど、今回はパス。
 東山へ降りた。

 地下から上がると、そこはまた青空の空間。自動車が勢い良く走ってる。ついこの前までここの中央には軌道が走っていて大津まで行っていたそうだ。今は地下。風情も何もなくなったって京都人の友人がぼやいていたなあ。
 左手に赤いでっかな鳥居が見えた。
 平安神宮の鳥居だ。今日は岡崎方面には行かないからくぐらない。
 ひたすら東山に沿って南へ。乱馬は相変わらずたったかと一人で先に行く。もう、あたしのこともうちょっと考えて歩いてくれないかしら。さっきから小走りに近い状態になってるんだけど。
「早く来いよ。」
 お下げが目の前で揺れている。
 道行く人は不思議そうにあたしたちを振り返る。乱馬が素人っぽい格好じゃないから余計に目を引くのかな。それとも、悠々歩く彼に必死でくっついていってるあたしが滑稽に映るのかな。
 まさか、格闘家の早乙女乱馬だとは思ってないでしょうけれど。
 今のところは平気。写真誌などで、彼、結構顔売れちゃってるから、グラサンだけど、かえって目立つかもしれない。
 ありがたいことに、この辺りは観光客がわんさとはまだ居ない。まばらだった。だから誰にサインをねだられること無く、彼もすいすい歩いている。
 
 三条通から右へ折れて、軽い坂道を上がり、知恩院へ。
 苔むした石段を上がると、突然開けるお寺の空間。大屋根が幾重にも続いている。その薄墨の世界に圧倒されてしまった。
「でっけえ…。大屋根だなあ…。写真で見たのと大違いだ。」
 乱馬も目を見張ってる。
 百聞は一見にしかずって諺があるけれど、全くその通りね。
 せっかくだからと御影堂に足を踏み入れる。
 薄暗い神聖な空間がそこへ開ける。畳敷きの向こうに、伽藍。天井からは何て言うのかしら、天蓋がつら下がっている。暗闇に浮かび上がる金の鈍い光が見るものを圧倒している。
 ほっとなずむのは、お香がふんと漂ってくるからかしら。
「でっけえ、木魚。」
 乱馬が声を上げた。まるで修学旅行の悪ガキ坊主。
「叩いちゃ駄目よっ!」
 言っとかないと、乱馬ならやりかねない。
「道場みてえだな…。ここで格闘でも何でもできそうだ。」
 こらこら、そんなこと言ってたら仏様のバチが当たるわよ。
 暫くそこへ座してみて、じっと手を合わせてみる。それから、まら、光溢れる世界へと戻った。
 階段の脇に人が溜まっていた。しきりにみんな上を見上げている。


「皆して何眺めてんだ?」
 興味を持った彼は一緒になって上を見上げている。
「あの、何があるんです?」
 こそっと上品そうなご婦人に聞いてみた。
「左甚五郎の忘れ傘があるんですって。」
 なるほど、皆それを探してるわけ。天井はぐんと高くて、目を凝らさないと良くわからない。じっと見てると、やっと傘の柄の部分らしいのを見つけた。
「何だか拳骨みてえな形だなあ…。あれ本当に傘なのかよ。」
 たく、何言ってるんだか。
「で、左甚五郎って誰だ?」
 あのねえ、あんた、日本人ならそのくらい知っておきなさいよ。
「大工よ。」
「あん?」
「だからあ、ここを建立した名工よ。日光の東照宮も建立したって有名な宮大工。」
「ふうん…。」
 わかってんだかどうだか。
「でも、そいつ、そそっかしいのな。忘れ物するなんてよう。…でも、どうやってあんな高いところに置いていったんだろ…。」
「あのねえ…。別にそそっかしくて忘れたわけじゃないと思うんだけど…。一種の魔除けで置いて行ったって言われてるのよ。あんた知らないの?」
「知るわきゃねーだろっ!」

 その物の言い方、高校生の時から全然っ変わってないんだから!

 知恩院を抜けて今度は円山公園に入る。桜の名所だって言われている。せせらぎを抜けて、少し坂を下がって、今度は清水さんの方へ行く道を入った。
「ねねの道」、そんな名前の付いた道。

「ねねの道だってよう…。変わった名だな。」
「ねねって太閤さんの北の方よ。」
「北の方って?」
「北政所(きたのまんどころ)、正妻ってこと!」
 高校のときの日本史の授業、だいたい全て寝てたもんね。言葉自体忘れてるかな。

「でも、この道こんな名前ついてたっけ…。」
 あたしは小首を傾げた。
 その昔、修学旅行で来た時はそんな名前なかったような気がする。あとでわかったことだが、最近の道の改修工事で太閤様の北政所ねねさんが通った道だから「ねねの道」と愛称をつけたそうだ。「高台寺道」それが旧来の呼び方。
 何でもかんでも、最近は整備して、観光客を呼びこみたいらしい。この道も以前に来た時はこんなに綺麗な石畳じゃなかったような気がする。もっと凸凹していたような。
 道端に並ぶ真新しい和風な建物やお土産屋さんの風情が「わざとらしいもの」に見えてしまった。人力車までもが並んでいて、お兄さんが乗っていきませんかと愛想良く声をかけている。京都弁じゃないのが気に食わない。
 何だかなあ…。観光客目当ての商売なのはわかるんだけど…。最近の観光地は何でどこもかしこも人力車並べているんだろう。あたしはこういうの苦手。
 まだ、凸凹の舗装道で、道の両脇にタンポポなんかが咲いていた修学旅行で来た頃の方が愛着があったなあ。詫びれた雰囲気の方が情緒があっていいってこともあるのに。
 あまりに整備されすぎて一気に冷めてしまいかけた。

「なあ、ここって紅葉の名所なんだってな、入ってみっか。」
 乱馬が道脇の階段を上り始めた。きつい傾斜に作られたコンクリートの石段。段差は十センチほどと低いけれど、延々と上がっている。夏場ではないけれど、軽く息が切れそうになった。
「おめえ、最近鈍ってんだろ…。俺が居ねえのいいことに道場稽古さぼってんじゃねえか?」
 あのね、あたしはあんたとちがってパンプスなの。ヒールこそ高くはないけど、結構きついんだよ。裸足ならあたしだって、このくらい軽いわよ。
 ま、こんなこと言っても
『パンプスなんか普段履き付けねえもん履いて来るからだ!』
 そう言われるに決まってる。

 上がってみると結構広い空間。まだ上があるみたい。
「せっかくだから拝観して行くか。」
 彼に連れられて入り口で拝観料を払う。

「わあ…。」

 門をくぐると別世界。さっきまでのわざとらしい空間とは一味違う。ここも作られた庭園ではあるけれど、空気そのものが変わった。そう、数百年という悠久の歴史があたしを違う世界へと誘ってくれた。
 風情など無視して形と色だけ重視して造られた、階段下の世界とは違って、見事に背景の山と造られた人為的な庭や建物が溶け合っている。
「昔の人って偉大よねえ…。山も空間の一つと思ってちゃんと計算して造園してるんだもの…。」
 観光客が途絶えることはないが、静かな空間であることは変わりが無い。鳥が梢をさえずり、風がそよそよと渡っていく。
 やっと落ち着けた。そんな気分になった。

 臥龍池(がりゅういけ)に溶け込むように映る紅葉が美しかった。乱馬ですら神妙な面持ちになるのだから。幽玄の美は人の心を捉えて離さないのだろう。
 案内板に沿って順路を歩く。
 要所要所に学生アルバイトだろうか、黒い半纏(はんてん)を羽織った若い案内人が立っていて、それぞれの建物の由来や文化財について説明してくれる。
 開山堂では、天井の装飾について説明を受ける。
 長い年月の末、色はすっかり褪せているが、往年の美しさをしのばせる天井板の絵。目を右へ転じると金箔の格子天井が眩しい。聴くところに寄ると、金箔の格子部分は秀吉公の持ち船から移されたそうな。
 きっと建てられた頃は金襴豪華な装飾で光輝いていたのだろう。剥げ落ちた塗料は流れた年月の長さを語りかけてくる。
「正面の廊下は臥龍廊(がりゅうろう)と呼ばれ、龍が昇っていく様を表して建立されました。あの向こう側にある建物はねね様の廟(びょう)、霊屋でございます。この臥龍廊を通って上がっていただけますが、残念ながら今では傷みが激しく、臥龍廊は立ち入り禁止となっております。」
 たおやかに娘さんが説明してくれた。
 なるほど、廊は真っ直ぐ北政所、ねねの霊屋に向かって伸びていて、瓦屋根があたかも龍の背中のように見えた。

「臥龍かあ…。眠ってたんじゃなあ…。飛竜昇天破の龍風が立ち上っていくような感じにはならねえな。」

 乱馬はぽつんと吐き出した。飛竜昇天破なんかぶっ放したら、微塵に吹き飛んじゃうわよ。もう…。デリカシーないんだから。

 臥龍池を左手に見ながら、土の道を歩いて霊屋に上る。
 ひっそりと建つ霊屋。中を覗くとねねと太閤秀吉の木造が静かに座してこちらを見ていた。
 中央には須弥壇(しゅみだん)があり漆器の扉があった。
 そこのガイドさんに寄ると、あの漆器の扉の向こうにねねの遺体が安置されているという。
 ここは、ねねの終(つい)の住処(すみか)なのだ。太閤の泡沫の天下、その興隆から終焉までを見守り、ひっそりと眠りに就く北政所、ねね。

「ねえ、秀吉はねねと一緒の墓所には入られなかったのね…。」
 ぽつんと言葉が出た。
「秀吉公はここから南の山麓、女坂の向こう側に豊国廟として安置されています。」
 青年が説明してくれた。
 その安置所の左右に立つねねと秀吉公の坐像がかえって侘しさを物語っていた。
 別れて眠る一対の夫婦。

「ねねは太閤とは一緒に葬られなかったのね…。」
 廟を後にして、ふっと漏れた言葉。
 秀吉にはねねの他に、淀君など、たくさんの側室が居たから、終の住処で一緒に葬ることができなかったのかもしれない。

 北政所、ねね、天下人秀吉の最初の妻。当時としては珍しい恋愛結婚だったと伝えられている。まだ身分が低かった秀吉に、ねねの実家は敷居高い家柄だったからだ。勿論、ねねの両親は秀吉との婚儀に猛反対したという。当時の社会に於いては、生れ落ちた身分は絶対のもので、男性側が低い場合は殆ど結婚は不可能と思ってよいだろう。
 天下人の恋女房。そのねねでさえも、死して夫と共に葬られることはなかった。
 ねねには終生子どもは授からなかった。彼女と秀吉の間ににもし男子が居たならば、或いは天下の動きは変わっていたかもしれない。彼女は秀吉の子どもを産めなかった。
 天下人となった秀吉は、やがて信長の妹、お市の方の娘、淀君を側室として迎え、男子を授かる。その時のねねの気持ちはいかばかりだったろうか。
 だが、秀頼をもうけた淀君は結果的に豊臣家を滅ぼしてしまった。皮肉な史実だ。
 秀吉の死後、ねねは何の未練もなく、淀君が権勢を振るっていた大阪城を出たという。そして二十余年、この地で静かに暮らした。
 ねねの終焉の地、高台寺。


 切なさがこみあげたとき、すっと伸びてきた手。
 ポンと肩の上に置かれた。


「おめえ、また、変なこと気に病んでるだろ…。ねねのこと、自分に置き換えて考えてねえか?」
 真摯な瞳がこちらを捕らえた。
 置き換えて考えたつもりはないけれど、複雑な思いを抱いたのは確かだ。
「たくう…。おまえって奴は。」
 困ったもんだという顔を手向けられた。
「今の世はねねが生きた世とは違うんだからな…。男が何人も側室を侍らせた時代とは違うんだし…。それに、ねねが幸せじゃなかったとは言い切れるものじゃねえだろう?」
 そうだ、彼女の人生は波乱に満ちていただろうが、誰もそれを哀れむことはできないかもしれない。天下人になる夫を影から支え、死してなお、愛し続けた一生。豊臣家から天下をもぎ取った徳川家康でさえ、ねねには一目置いていたという。

「それにほら…。さっきのガイドが言ってたじゃねえか。ここから南に少し向かった山麓に秀吉公の墓があるって。」
 そう言って後ろを振り返る。
「あ…。そっか。」
「そういうことだ。」
 乱馬はふっと微笑んで見せた。
 ねねの廟に設えられた扉と坐像は、真っ直ぐ豊国廟へと向いている。そう、波乱の戦国時代を共に生きた夫へと眼差しは手向けられているのだ。
「一緒の墓所には居ねえけど、心はきっと一つなんだと思うぜ。ずっと、な…。彼女はずっと夫を見続けているんだ。この場所からな。」
 彼はあたしの肩を抱きねねの廟を見上げた。
 ふっと頬に触れた唇がくすぐったい。
 紅葉が真っ赤に染まりながら、揺れていた。




 その後はずっとあたしの肩を抱いて歩いてくれた。切なくなったあたしを気遣うように。ずっと自分は傍に居続けるさとさりげに主張するように。


 高台寺を後にすると、産寧坂。
 石畳を上がりながら、「転ぶなよ…。転んだら三年内に死ぬぞ。」などと茶化しも忘れなかった彼。
 勿論ちゃんと転ばないように脇で支えてくれた。
「まあ、転べばまた三年以内に転び返しに来ればいいだけだけどな。」
 と笑っていた。
 妊婦が転ばないようにという戒めを伝えたのが三年以内に死ぬという俗説を結びつけたという説もあるそうだけれど。
 そう怖がらせて暗示にかけるようなデリカシーのない行為は辞めてくれないかなあ。
 これみよがしにぎゅっと手を握ったら嬉しそうに見えたのは気のせい?
 産寧坂を上り二年坂を下る。
 そろそろ傾きかけた太陽がずっとあたしたちを見下ろしていた。


 産寧坂から清水寺へと抜け、東山五条へ。そこからバスで京都駅に戻り、新幹線で帰路に就く。慌しい一日旅だった。





「で、お土産は?」
 なびきお姉ちゃんが笑って催促。
「うーん…。何だかお土産買う時間も勿体無くって。ごめん。」
 手をすり合わせた。
「久々の共有時間にそんな余裕もなかったって訳ね…ご馳走様。」
「いいじゃんか、おたべ買って来てやったろう?」
「ああ、乱馬君たらお菓子一箱で偉そうに。でも、可愛い、この舞妓さんの箱絵。」

 本当は清水で行った地主神社で買ってもらった可愛い縁結びのお守りがあるんだけど、そんなもの見せたら何言われるかわかったものじゃないからね。小さなお守りの鈴がコロコロとハンドバックの中で揺れている。紅葉色のお守り袋。
 また一つ、二人の思い出ができた、京都。

「明日はお台場のテレビ局の仕事と雑誌の取材入ってるからね。よろしく、乱馬君。」
「げえ、休みなしかよっ!」
「ちゃんと京都であかねと心の洗濯できる時間あげたでしょう?しっかり稼ぎなさいよ。もうすぐ所帯持つんでしょう?弟君。」


「鬼姉っ!」
 なびきお姉ちゃんに吐き出した彼。


 それをくすくすと見ながら、あたしは餡入りの生八橋を楽しむように頬張った。ニッキの味が口いっぱいに広がった。




 完





 2003年11月7日。久々に京都散策へ。ネット友人のHさんを呼び出してむふふと半日行脚。
 京都御所の秋の一般公開へ出かけるのがメインでしたが、昼食後、東山へ。その時行ったコースと感じたことをまんま文章に乗せてみました。
 ただ違うことがあるとすれば、高台寺の北政所廟のガイドのお兄ちゃんは太閤廟のことを教えてくれなかったこと。帰路、バスの中から東山七条の豊国廟案内を見て、あそうだ、太閤さんは女坂の上に葬られてたっけと思い出した奴。清水も時間が無くてパスでしたが、楽しい行脚でした。
 私は学生時代の10年間を京都に通っていたので青春の街でいたるところ色んな思い出が詰まっています。その辺りの記述も見え隠れしています。(こいつめ!)
 この春旦那が京都に転勤して奈良盆地を北上して通ってます。でも遠い!良くあんな遠いところ毎日仕事に通えるなあと思った次第です。また行こう・・・。


 Hさん、また気まぐれ行脚つきあってやってくださいませ。今度は飛鳥だあーっ!




 写真は高台寺の臥龍廊と北政所廟(霊屋)です。撮影は私。


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