◇除夜の鐘


 我輩は化け猫である。名前は「猫魔鈴(マオモーリン)」。

 我輩、嫁を求めて幾年月。海を越えて中国から日本という国へ来た。そこで出会った好みの娘「シャンプーちゃん」に何度か求愛したにゃが、「早乙女乱馬」とか言う不逞(ふてい)の輩(やから)に阻止された。
 憎き男は早乙女乱馬。
 こやつ、相当な極悪非道人間。あまつさえ、可愛い「あかねちゃん」という許婚がありながら、何人もの婦女子を毒牙にかける「女垂らし」。
 ヒュウヒュウと木枯らし吹く、クリスマスの街、何人ものカワイ子ちゃんに追いかけられて、「やめてくれ!」などと言う。
 何たる不埒。何たる贅沢。
 我輩なんか、一人も女の子が寄って来ないというのに。

 と、言うわけで、我輩、この男に「復讐」をする事にしたにゃ。
 絶対に、復讐してやるにゃ!ついでに、あかねちゃんを貰ってやるにゃ!

 激しい闘志に燃え、我輩は行動を起した。




一、


「今年は暖冬だって言ってたのに、急に寒くなったわねえ…。」
 あかねは隣りの乱馬に声をかけた。
「けっ!こんなんで寒いなんって言ってたら、雪国じゃあ過ごせねえぜ。」
「別に、雪国で過ごしたいなんて思わないわよ…。それより、買い忘れもうないかしら?」
 メモを片手に、暮れの街を歩く。そこここの商店街で大売出しの声がかかる。最近、元旦から営業する小売店も珍しくないが、それでも暮れの街は、来る年を恙無く迎えようと、最後の買い物をする客たちでごった返している。
 今朝からおせち料理を仕込むのに大忙しのかすみ。ドタバタ動き回る天道家の主婦の長姉に頼まれて、買い物に出て来た。
 ようやく大掃除も終わり、後は大晦日を過ごすのみ。
 始めはあかねとの同行を渋っていた乱馬だが、一緒に天道家に居候している両親に、「あかねちゃんだけに荷物を持たせる気か?荷物持ちに一緒に行ってこい。」となじられ、送り出されたのである。

「この前までクリスマス一色だったのにねえ…。」
 すっかり新年の準備が終わって「松飾り」「紅白飾り」が増えた商店街を、あかねがキョロキョロと見渡した。
「クリスマスも正月も対して変わらないじゃねえぜ。赤だの緑だの色も一緒じゃねえか。」
 そんな他愛の無いことを喋りながら、買い物を進めていく。
 まだ、この辺りは、古き良き時代の年の瀬風情がある。
 が、商店街のはずれに来て、乱馬が急に立ち止まった。

「どうしたの?」
 急に止まった彼を、不思議に思ったあかねが、声をかけた。
「あれ…。」
 そう言いながら固まる乱馬。明らかに様子が変だ。
「あれって?」
 彼が視線で指した方向へ目を転じ、ふっと頬が緩んだ。
 そこには猫が数匹、タムロしていたからだ。黒いの茶色いの白いのブチなの、五六匹居たろうか。
「そっか…。乱馬って猫、苦手だものね。」
 あかねは気に留めることもなく、すっと脇を通り過ぎようとする。その、手の裾を引っ張って、乱馬が怯えながら通る。
「来るなよ…。こっち、来るなよ…。」
 明らかにいつもと表情が変わる。
「たく…。何で猫が怖いのかしらねえ…。」
 くすくす笑うあかねを脇に、必死の様相の乱馬。猫は立ち去ろうともせず、じっと乱馬とあかねが通り過ぎるのを、舐めるように見上げていた。

「にゃあ。」
 一匹が、乱馬が通った先に、声をあげる。

「ひっ!」
 乱馬はあかねの後ろに隠れた。
「ちょっと、乱馬。落ち着きなさいって。猫は犬と違うから、襲い掛かって来ないわよ。乱馬ったら。」
 あかねのとりなす声など聞えないのか、乱馬は逃げ腰だ。
「もお…。情けないんだから。」
 思わず苦笑いがこみ上げる。
 だが、猫が見えなくなると、途端、元気になる。
「あんた、本当に猫が苦手なのねえ。」
 あかねがげらげらと笑ったが、
「誰だって苦手の一つや二つ、あらあっ!」
 と仏頂面。
「もう…。いい加減にしてよね。買い物、忘れちゃいそうだわ…。えっと、最後はお蕎麦っと。年越し蕎麦ね。」
 メモを見ながら頷く。

「お姉さん。」
 店を出た途端、呼びとめられた。
「ひっ!」
 その姿を見て乱馬が固まる。猫嫌いの彼の瞳に映ったのは巨大な化け猫。
「あら、あんた、確か、化け猫、猫魔鈴じゃない?こんなところで何やってるの?」
「年末アルバイトにゃ。ここのところ不況で、化け猫のワシも生きていくのが大変なんだにゃ。」
「大変なら、とっととどっかへ行ってくれ!」
 乱馬はあかねの後ろに隠れながら答える。
「まあ、そう言わずにこれにゃ。」
 そう言いながら猫魔鈴は何か紙袋のような物を差し出した。
「何?これ…。」
「試供品にゃ。これを配るのがワシの仕事にゃ。」
 とにいっと笑った。
「試供品?」
「香水の試供品にゃ!なかなかええ匂いがするにゃよ。ほら、ワシがふりかけてあげるにゃ。」
 そう言うと、ビリビリッと袋を破いた。
 ぶわっと白い粉があかねにふりかかる。
「な、何よ…これ。凄い甘ったるい匂い!」
 クンクンと匂いをかぎながらあかねが苦笑いした。悪い匂いではなかったが、結構強烈だった。
「そうかにゃ?世の男性をくすぐる、なかなかいい香りだと思うがにゃ。」
 にいいっと猫魔鈴は笑った。
「体中に甘ったるい匂いが染み付きそうだけど…ま、いいわ。…こうしちゃいられないわ。帰るわね。」
 それから怯えている乱馬を促した。
「もう、まだ怖いの?いい加減になさいよね。」
 と笑った。
 

 帰り道。この日はどういうわけか、乱馬の通る道、また道の脇に、猫たちが出てきた。それも、通りがけにのそのそっと顔を出す。

「今日はやけに猫が目に入るわね…。」
 あかねが語りかける。
「たく…。何で、今日に限って、猫ばっかり道端にいやがるんだよっ!猫魔鈴の祟りか何かじゃねえだろうな…。」
 気弱な声で、乱馬が言った。
「あんたさあ、猫嫌い、来年こそ克服しない?」
「ヤダッ!」
 即答だ。
「あ、また、猫。」
「ひえええっ!」
 
 明らかかに動揺している乱馬を脇に、帰り道を急いだ。

 帰り着くと、天道家の門の脇にも、でっぷりとした猫が居た。
 そいつと目が合うと、立ち止まる乱馬。怖がって、門の中へ入ろうとしない。
「ちょっと、乱馬。いい加減になさいって。」
「だってよう、猫が…。」
「もう、良い年の男が、猫が怖いって、いつまでも外に立ってるわけにもいかないでしょうが。」
 あかねが笑った。
「あたしが追っ払ってあげるわ。」
 そう言って、あかねがしっしと追い払う。
「にゃあ!」
 猫は一言捨て台詞のように発すると、すいっと居なくなった。
「ほら、猫が居なくなったから、もう平気でしょう?」
 あかねが笑いながら玄関へと入って行った。


「しめしめ、上手く行きそうだにゃ。」
 あかねと乱馬が入って行った天道家の傍でほくそえむ、でかい猫が一匹。
 猫魔鈴である。
「あ、そこのお兄さん。ちょっと。」
 と言って、そばを通った猫を手招きする。
「にゃ?」
 猫が見上げた。
「面白い香水があるんですにゃが、使ってみませんかにゃ?」
 そう言いながら、こそこそと猫に何かをふりかける。
「な?宜しい香りだっしゃろ?それから、今夜ここへ来なはれ。なかなか面白い催しをしますんやわ。待っとりますで。」
 コクンコクンと野良猫の顔が光った。
 何かを企んでいるのだろう。猫魔鈴は道端を行く猫へと、猫語で何かを語りかけては、香水をふりかけ、また何かを吹き込んでいった。

 

「ご苦労様。」
 かすみがニコニコしながら、買い物袋を広げる。お煮しめの良いにおいが家いっぱいに広がっている。窓ガラスは曇り、コトコトと鍋が噴いている。
「あら?何か匂うわね、あかねちゃん。」
 かすみはポリ袋の底から、見慣れぬ包みがあるのを取り出した。
「あ、それね。商店街のはずれで猫魔鈴がアルバイトしててね。香水の試供品ってのを思いっきりふりかけられちゃったのよ。」
 あかねが笑った。
「へえ…。香水の試供品ねえ。あんまり上品な匂いじゃないわね。それ。」
 一緒に手伝っていたなびきが、クンクンと嗅ぎながら言った。
「俺、要らねえっ!猫がくれためんつゆなんか使って、蕎麦なんか食いたくねえ!」
 乱馬が叫んだ。
「あんたの猫嫌いも相当ね…。たく。」
 あかねが笑った。
 と、外で猫がにゃあと鳴いた。
「ひっ!」
 すぐ傍で乱馬が悲鳴を上げると、大慌てであかねにしがみ付く。
「もう、情けないんだから!」
 はああっと溜息を吐くあかね。

「そういや、さっきからやたら猫の姿が目に付くわね…」
 となびきが言った。
「どういうこと?」
「洗濯物を取り込んだり、庭先を掃除してたりするとね、何匹か庭先をウロウロしてたのよ。」
 かすみが答えた。
 

 始めは気のせいだと思っていたのだが、時が経つにつれ、家の周りを徘徊する猫の数が増えだしたのだ。日が落ちて、そろそろ押し迫ってくる頃、次第に、その数が顕著になってきた。

「ねえ…。何か猫の数、ドンドン増えてない?」
 お茶をすすりながらなびきが家族たちに問いかけた。
「そうねえ…。何となく、家の周りを猫が囲ってしまったような気がするわ。」
 とかすみ。
 早くに雨戸を閉めてしまったので、外の様子はわからない。
 乱馬などは、
「猫が、猫が、集ってくるう…。」
 そう言いながら、コタツに潜り込み、ガチガチと震えていた。時々聞えてくる猫の声に、心底怯えているらしかった。
「こら、乱馬、そんなことでどうする!しゃきっとせいっ!」
 父親の玄馬に怒られる乱馬。



二、

「年越し蕎麦、出来上がりましたよ。」
 にこにこと微笑みながらかすみが入ってきた。
「おおお、これぞ、日本の大晦日。」
 食い意地のはっている玄馬が真っ先に目を輝かせた。
「やっぱり、これがないと、年が暮れた感じがしないものねえ。」
 早雲も笑った。
「冷めないうちにいただきましょう。」
 一緒に台所にこもりっぱなしだった、のどかさんもにっこりと笑う。
「今年も無事に暮れていくねえ…。」
「今年も思いっきり楽しませていただいたわ。乱馬君たちに。」
 なびきが笑った。

 全員、揃ったところで、年越し蕎麦に手が伸びる。

「しかし…。外の猫たち、何とかならんかねえ。」
 玄馬が蕎麦を啜りながら、聞き耳をたてる。
「確かに…。」
 
 蕎麦をすすりおわり、満腹した頃、にゃん、にゃん、みゃおみゃお、外が賑やかしくなり始めた。紅白歌合戦視聴どころの状態ではなくなってきた。
 どうも、たくさんの猫がこの家を囲んでしまったような気配を感じた。重苦しい空気が天道家を渡り始める。

「もう!全然聞えないわ!」
 なびきがテレビの音量を上げる。
「どら…。ちょっと様子を見てみようかねえ。」
 早雲が意を決して、ガラガラっと雨戸の引き戸を開けた。

「げっ!」
「な、何、これ…。」
 あかねもなびきも、声を発した。
「あら、まあ…。」
 いつも冷静沈着なかすみですら、そう言って固まったくらいだ。

 天道家の庭先に猫、また猫。びっしりと埋め尽くしている。
 どうも町中の猫が集ってきているような感があった。

「何で、こんなに猫が家に集って来ちゃったのよ!」
 思わず声を荒げた。
「来年が猫年だったら、縁起が良いんだろうけど…。ちょっと異様よね。」
 となびきも頷く。
「猫年なんてないよ、なびきくん。わっはっは。」
 玄馬は上機嫌だ。

「猫…猫…猫…。」
 蕎麦を食べる事も忘れて、乱馬はひたすらコタツの中。

「ちょっと、あれ、猫魔鈴じゃないの?」
 なびきが、猫たちの群れの中に、一際目立つ、白猫を発見して指差した。
「あ、ホントだ。猫魔鈴。」
「ぎえええ…。冗談じゃねえぞ!こんな時に、またあいつかよう…。」
 それを聴いた乱馬がすっぽりとコタツへともぐりこむ。
 よくよく見れば、猫たちは猫魔鈴に何かを促されて、どんどんと天道家へ入ってくるように見えた。言い換えれば、ドンドン集る猫を、猫魔鈴が整理しているようだ。

「ちょっと、あんた。どういうつもりよ。こんなにたくさん猫を集めて。」
 溜まらず、あかねが声をかけた。

 一斉に猫たちが色めき立つ。
 みゃあおお、と口々にあかねを見て啼いたのだ。
 猫たちに睨みつけられる薄気味悪さ。空寒いものが背中を駆け抜ける。だが、ここで気後れはしない。あかねも武道少女だ。

「いやあ…。これからちいと、イベントが始まるものでねえ。猫整理をしてたんですにゃ。」
 にたりと猫魔鈴が笑った。
「イベント?紅白歌合戦でも、鑑賞しようっていうのかしら?」
 ずいっと身を乗り出すあかね。
「いえ、これから、私の猫魔術を一つ。」
 猫魔鈴はそう言い放つと、チリンと鈴を振った。

「え?」
 ドキッとした。
 あかねの耳が、鈴の音にあわせるように頭の上にピンと立ったからだ。
 
 チリン。また鈴の音が一つ。
「なっ!」
 今度は慌てて抑える手が丸くなり毛が生えた猫の手になった。

 チリン。
「何っ!これっ!」
 今度はヒゲがピンと横に生えた。

 チリン。
「いやんっ!」
 プルンと揺れるお尻にシッポがにょきっと出た。

 チリン。チリン。チリン。
「ややややや。あかねが巨大な猫に。」
「あら、まあ…。」
 暢気な天道家の人々が見守る中、いつしかあかねの身体が、そのまま猫の身体になってしまった。

「な、何なのよ!これはっ!猫になっちゃったわよっ!」
 人語を喋るが、見てくれは「猫」。それも、人間の大きさのまま猫になってしまったものだから、堪らない。大きな猫の着ぐるみを着せられてしまったようだ。



「どうです?中々楽しい猫マジックでっしゃろ?」
 ちょっと妖しげな関西弁を使って、猫魔鈴が笑った。

「た、楽しくなんかないわよっ!元に戻しなさいよっ!」
 あかねは叫んだ。

「いや、元に戻りたかったら、ほれ、そこのコタツで震えてるあんさんの許婚があんさんにキスせんと戻れませんねん。」
 とにたりと笑う。

「な、何ですって?乱馬とキス…。」
 あかねの言葉がそのまま固まる。
 乱馬はというと、猫の大群にすっかり気後れして、コタツに潜ったまま震えている。情けない話だ。

「お楽しみはこれからですにゃ。あんさんとキスしたい猫はたんと居ますんやから。」
 とずらりと並んだ猫の方を見やった。

「あたしとキスしたい猫ですってえ?」
 その言葉に、ますますあかねが高揚する。
「まさか、そこの猫たちって…。」
「皆、この辺りのオス猫にゃ。可愛い猫人間が出現するから、誰が一番早くキスするかで、マタタビ一年分争奪させますねん。称して、「年忘れあかねちゃんのキス争奪戦!」どないだす?面白いにゃが?」

「お、面白いことなんかないわよっ!」
 後ずさりながらあかねが言った。

「まあ、嫌なら、さっさとそこの情けない男にキスしてもらいにゃされ。まあ、尤も、そんな勇気があるようには見えませんがにゃ。っはっは。」

「ちょっと、冗談じゃないわよっ!」

 どこかで除夜の鐘が響き渡った。無常なる鐘の音だ。
 それを合図に、一斉にオス猫たちがあかねを取り囲んだ。
 猫魔鈴が仕組んだ、猫あかね争奪戦が始まったのである。

「いやああっ!」
 あかねは逃げ惑う。

「これは一大事っ!」
 早雲が鎧兜を着こんで、あかねに加勢する。
「ワシも頑張るぞ!」
 玄馬もあかねを守備する側に立つ。
「あらあら…。皆さん元気ねえ…。」
 かすみは驚いているのだろうが、のほほんと縁側から見守る。
「乱馬君…良いの?あかねの貞操が物凄く危ないんだけど…。」
 なびきはコタツに潜り込んで震えている乱馬に声をかけた。
「猫…怖い…。やだ…。出たくない。」
 放心したように震える情けない男。

「あ、言い忘れてたにゃが、除夜の鐘が鳴り終わるまでに、その男とキスしにゃいと、あんさん人間には二度と戻れませんで。」
 猫魔鈴はにたりと笑った。

「それって、どういうことよっ!」
 逃げながらあかねが訊いた。

「文字通りだにゃ。除夜の鐘が鳴り終わると同時に、あかねちゃんはそのまんま固定されるにゃ。それが猫魔術にゃっはっは。」
 とにたりと笑った。
「何が、にゃっはっはよ!」
「まだ、からくりはあるにゃ。…もし、おまえさんが他の猫とキスしたら、そのまま、普通の猫になるにゃ。」
「普通の猫ですってえ?」
「うんにゃ。人間サイズの猫から普通サイズの猫になって固定されるにゃ。そして、一生猫で過ごす事になるにゃ。」
「じ、冗談じゃないわよっ!あたしの人権はどうなるのよ?」
「恨むなら、そこの、情けない男を恨むにゃ。彼がしっかりしてたら、すぐにでも人間に戻れるにゃが。」
 にいいっと猫魔鈴が笑う。
「そんな、薄情な弱虫男には愛想付かせて、どうにゃ?ワシと結婚しないにゃか?大切にしてあげるにゃん、あかねちゃん。」
 と本音を持ちかけた。
 思わずぞおおっと背筋に冷たいものが走る。

 「絶対絶命」。そんな言葉が脳裏を過ぎった。

 天道家の庭を中心に、猫たちとあかねの追いかけっこが続く。

「えいっ!やああっ!」
 武道で鳴らした腕を、あかねは群がってくる猫目掛けて炸裂させる。
 が、にゃごにゃごと蹴られても、投げられても、群がってくる猫たち。こちらも猫魔鈴の猫魔術がかけられているのだろう。怯むどころかしつこさを増していく。
 あかねに加勢する早雲も玄馬も、そろそろ疲れが見え始めた。

「ダメ…。そろそろ息が上がって来たよ、早乙女君。」
「情けないねえ…。ぜえぜえ…。天道君。」
「そう言う早乙女君だって、もう限界じゃないのかね?」
 二人とも、足元をふらつかせながら、一端戦線を離脱した。
「このままじゃ、あかねが危ないわ。」
 なびきが言った。
「でも、肝心な乱馬君があの状態じゃ…どうしましょう?。」
 かすみがのほほんと、父親たちにお茶を淹れながら呟く。
「乱馬っ!しっかりなさいっ!あかねちゃんの危機よ!」
 のどかも日本刀を持ってにじり寄ったが、
「嫌だ…。猫、怖い!猫、いらない!」
 とガタガタ震える始末。
「多分、今の乱馬君には、あかねも「猫」にしか見えてないだろうし…。」
「こうなったら、強硬手段を使うしかないんじゃないかね?早乙女君…。」
「強硬手段かあ…。天道君。」
「強硬手段よねえ…。」
「強硬手段ですか…。」
「やりましょう。」
 すっくと一同は立ち上がった。それから、ウンと頷きあいながら気合を入れた。


三、


「こら、乱馬っ!」
「ひっ!」
 いきなり玄馬が乱馬の首根っこをつかんで、コタツから引きずり出した。
「嫌だああっ!」
 涙目になりながら、必死に抵抗する乱馬。よほど恐いらしい。
「乱馬っ!いい加減になさいっ!」
 後ろで日本刀を抜いたのどかの姿にも、動じず、ただひたすらに逃げようと手足をばたつかせる。
 全く、情けない男だった。
「乱馬君…。あかねを助けるんだよ。ほうれほれ。」
 早雲が薙ぎ払った猫を一匹捕まえて、乱馬の前に差し出した。
「ひえええええっ!」
 逃げようとするが、玄馬に首根っこを押さえ込まれていて、身動きが取れない。それでも、バタバタと抵抗しようと試みる。
「乱馬君、ほら。こっちにも。」
 おほほほと言わんばかりになびきも両手に猫を抱えて、乱馬の頬へとくっ付けた。
「ぎえええええっ!」
 だんだんに乱馬の目が血走っていく。
「乱馬君、まだいるわよ。」
 そう言いながら、今度はかすみがにっこりと微笑み、乱馬の頭に猫を乗せた。
「ぎやあああああっ!」
 白目を剥いてそのまま、悶絶する。

 プッツン

 と乱馬の脳の中で理性の線が切れた。
 ひくつついていた瞳に、鋭い光が差し込め、ぎらぎらと輝き始めた。

「やったか?」
 乱馬にまとわりついていた天道家の人々が、潮がひくようにすっと彼から離れた。

「にゃおん!」
 猫の声で啼き始めた。
 そう、猫への恐怖が、彼を極限に追い込み、猫化させてしまったのである。
「にゃお〜ん、にゃお〜ん。」
 背中に乗っていた猫たちを振り落とした。明らかに野生化したオス猫がそこへ現れた。
 フウウウッと猫が毛を逆立てるように、彼は地面へ四つんばいになる。

 ゴクンと、天道家の人々は唾を飲み込んだ。

「にゃっ!」
 乱馬は庭先の喧騒を睨み付けた。
 それから、助走をつけると、一目散に縁側から庭へと飛び出していった。


「大丈夫かしら…。乱馬君。あかねちゃんを、ちゃんと元に戻せるかしら…。」
 かすみが心配げに彼を見詰めた。
「何、後は運を天に任せるのみ。」
「ワシらは見守るしかないのう…。」
 玄馬も早雲も、頷きあいながら、乱馬を見送った。


 ゴーン、ゴーンと煩悩を振り払う鐘の音が、どこからともなく響き渡ってくる。もうすぐ新年。百八個の煩悩を払うためにつくとも、福を呼びこむためにつくとも言われる「除夜の鐘」。

「あかねちゃん、そろそろ諦めて、ワシとキスするにゃ。まだ、本物の猫よりは猫人間の方がマシじゃないにゃか?」
 猫魔鈴があかねに並走しながら畳み掛ける。
「何勝手なことを言ってるのよ!どっちもごめんよっ!」
 さすがのあかねも疲れはじめていた。
 振り払う腕も、限界が近い。
「鐘の音だって、あと幾つかしか残ってないにゃ。」
「最後まで諦めないのっ!あたしはっ!」
 そう言って、言い寄ってくる、猫魔鈴の顔目掛け、まともにパンチを浴びせかける。
「もう、乱暴にゃんだから。あかねちゃんは…。」
 イタタタタと猫魔鈴が頬を撫でた。

 と、背後で違和感が漂った。

「何にゃ?」
 はっとして、後ろを見て仰天した。
「な、何?あれっ!」
 あかねも一緒に驚きの声を張り上げた。

 あかねに群がろうと追ってくる猫たちに異変が走っていた。猫柱がドドドッと暗闇に舞い上がる。跳ね飛ばされて、猫たちがバタバタと地面に這いつくばるのが見えた。

「ら、乱馬?」
 その中央に乱馬がいるのが見えた。明らかに異常な面持ちだ。
「もしかして…。猫化した?」
 息を飲むあかねの前で、乱馬は次々と群がる猫たちの大群を薙ぎ倒していく。その勢いたるや、間を見張るばかりだった。


「にゃにゃにゃにゃにゃにゃーっ!」
 手を丸く丸め込み、爪を引っかくように、猫たちを払い除けていく。彼の勢いを止める者は最早誰も居ない。

「何にゃ?また、猫化したかにゃ?」
 たじっとなって、猫魔鈴が後ろに下がったが、乱馬の猛攻の前には、成す術もなし。
 乱馬は狙いを猫魔鈴に定めると、勢い良く飛び込んだ。

「乱暴は嫌いにゃあああっ!」
 猫の大群と一緒に、猫魔鈴も宙へと舞い上がった。
 カランとそのまま鈴になって庭先に落ちて来た。

「化け猫、滅んだり!」
 早雲が手を翳した。

 乱馬の勢いはその後も止まる事はなかった。どんどんと猫たちを空へ投げ飛ばし、払い除けていく。
 最後には、あかねだけがそこへ残った。
 だが、今のあかねは、人間の格好をしていない。巨大な猫人間と成り下がっている。

「ねえ、あのままじゃ、不味いんじゃないの?」
 なびきが早雲に言った。
「不味いとは?」
「だって…。今のあかねは、どこからどう見ても猫よ。普段の人間の姿だったら、乱馬君も膝の上に大人しく乗っかって、そのまま静まるかもしれないけど…。」
「そうか…。今のあかね君は猫。彼には猫にしか見えていないとしたら…。」
「あかねも、あのままやられちゃうかもしれないわ。」
 
 乱馬は、じっとあかねを見据えていた。まるで獲物を狙う野獣のように、身構えたのだ。

「不味いっ!あかねっ!逃げろっ!」
 早雲が叫んだのと、乱馬が飛び出したのは、殆ど同時だった。

「きゃああっ!」
 あかねが悲鳴をあげた。逃げる間などなかったのだ。
 乱馬は思いっきり伸び上がると、あかねに向かって突進していった。

「あかねーっ!」
 天道家の人々の悲鳴がとどろきわたる中、乱馬はそのまま、あかねの膝の上に。何のことはない、いつもどおり、あかねの膝の上に、落ち着いたのである。
 一同がゆっくりと、我を取り戻した時、嬉しそうにあかねの膝に乗っかる乱馬をそこに見つけた。ゴロゴロと咽喉を鳴らし、あかねに頬擦りをする。
「乱馬、くすぐったいったらあ。乱馬。」
 そう言いかけたあかね、掛けて乱馬は動いた。前かがみになって、あかねの上にそのまま、重なった。

 ちゅっ!

 と音がする。乱馬の唇があかねの唇に重なったのだ。

 ゴーンとどこかで、一際大きく、除夜の鐘が鳴り響いた。

「おおおお!」
 人々が見守る中、みるみる、あかねの呪縛が解けていく。猫娘から人間のあかねへと戻っていく。
 乱馬の唇はそのまま離れることなく、あかねへとあわせられたまま。いや、そのまま己の重みであかねを地面へと薙ぎ倒した。

「おおおっ!」
 目を丸くして、天道家の人々が、重なり合う二人を見守る。

「にゃ、にゃんと…。このワシに、いちゃいちゃと見せつけつけにゃがってっ!」
 いつの間にか鈴から元の化け猫に戻ったのか、猫魔鈴が、薄っすら涙を浮かべながら、二人を見詰める。

「にゃんにゃんにゃんにゃん。」
 乱馬は落ち着くどころか、ますます激しくあかねに言い寄るように、体中で愛情表現。
「ら、乱馬…。いい加減にしてよっ!」

 またゴーンとどこかで除夜の鐘が鳴り渡った。
「にゃーっ!」
 そのまま乱馬へと、入ったあかねの右ストレート。星のきらめく夜空に乱馬が舞い上がった。

「あらあら…。とうとう炸裂しちゃったわね。」
 なびきが苦笑いした。
「乱馬君ったら、煩悩の固まりなんだから…。」
 とのどかも和服の裾を払って立ち上がる。
「でも、あかねちゃんが元に戻って良かったわね。」
 かすみがのほほんと腰を上げた。
「またこうやって、争乱のうちに年は暮れていく…か。」
「平和だねえ…。早乙女君。」
「また、新しい年が来るねえ…。天道君。」


 庭先では、あかねに殴り上げられてもなお、煩悩をたぎらせて、あかねの膝に乗って幸せそうな乱馬の姿。ゴロゴロとまた、彼女の膝の上で甘えている。
「乱馬の馬鹿…。」
 決まり文句を彼に投げかけながらも、あかねはふうっと頬を緩めた。


 幸せそうな乱馬とあかねの姿を尻目に
「また今年も、一人身で年が明けるにゃあ…。」
 猫魔鈴ががっくりと肩を落とした。
 その向こう側で、年越しの鐘が、ゴーンとまた一つ、鳴った。



 完






一之瀬的戯言
 途中挫折した「煩悩小説」の完成品の一つです。お題小説を延々と書くつもりだったのですが、サイトが飛んだ時に、一緒に、ログも吹き飛んでしまったので、修復もできません。五本くらい書きかけがあるので、そのうち、完成させる気持ちだけは持っています。

当時のコメントから抜粋
しっとりと「除夜の鐘」を聴く乱馬とあかねを想像していたのに、いきなり「物語」が頭に展開してしまいました。
猫魔鈴は何度か原作でもアニメでも出てきますが、彼が絡んだ「シャンプーの除夜の鐘」が頭にこびりついていた結果です。これをあかねに転化させてしまいました。(シャンプーが絡む話はどうしても好きになれないので、あかねに書きなおしたとでも言いましょうか…。)
やっぱり煩悩がたぎってるかなあ…。

2004年12月30日 作品

(c)Copyright 2000-2012 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。