走り梅雨



 五月の空は気まぐれ。
 つい昨日までは抜けるような青空が続いて、夏の到来を思わせる日差しが照りつけていたかと思ったら、明けて今日は雨。それも、しとしと雨ですっきりしない。
 やっぱりお天気は晴れが一番よね。そう思いながら、ふうっと外を眺める。萌える並木の新緑も、今日は重く歪んだ色合い。いつもは体操服で賑わうグラウンドもひっそりと、雨に濡れている。
 どうせ降るなら景気良く、ざあざあと降ってくれば良いものを、思わせぶりな空模様。まるで誰かさんみたいにはっきりしないお天気。
 つい、はああっと溜息を吐き出す。

「あんだよ…。その色気のねえ溜息はよう…。」

 ぼそっと背後から声がした。

 色気のない…は余計よ。

 そう思って、勝気な瞳を手向け返した。
 別にけんか腰ってわけでもないのだが、つい、あいつの言葉の端に反応してしまう自分が哀しい。
 そんな、あたしの瞳の鋭さに、何か感じたのか、あいつも無愛想に短く言った。

「放課後、付き合え。」

 たった、それだけ吐きつけると、ポケットに手を突っ込んだまま、足早にあたしの席から離れた。
 多分、クラスメイトの好奇溢れる視線を牽制したいのだろう。

 まったく、何よ、あの高慢ちきな態度。人に誘いかけるなら、もっと言い方があるでしょうに!

 ちょっと呆れかけたが、ま、いつものことだから良いか、と思い直した。
 乱馬が不器用で乱暴な言い草しか出来ないのは、何も今に始まったことではない。
 とにかく、周りに悟られないように、さり気にここまでやってきて、通りすがりに言葉を投げていったのだろう。あいつらしいやり方だ。

「ね、あかね。放課後、暇?」
 ゆかが入れ違いに問いかけてきた。
「良かったら、さゆりの誕生日のプレゼントの買い物に付き合ってよ。あかねも買うんでしょ?」
「ごめんね、ゆか。あたし今日の放課後は用事があるんだ。」
 そのお誘いに、低調に手を合わせて断った。
「じゃ、仕方ないわよね…。もしかして、用って乱馬君がらみ?」
「ま、まさか、そんなんじゃないわよ。」
「ふーん…あやしいけど、ま、いいわ。それじゃあ明日付き合ってくれる?」
「いいわよ。明日なら全面的に協力するわ。」
 そこは気心通じた女友達同士。実にあっさりとしたやり取りだった。
 承諾も何も、乱馬には返事しなかったけれど、精一杯の誘いかけを反古にするのも申し訳ないし。あいつがあたしを誘うこと自体珍しいことだから…。つきあてやるかな。

 そんなことを思いながらも、心の中は、ほんわかムード。
 うん、やっぱり、ちょっと嬉しい。


 お天気は雨。
 今日は一日、降ったりやんだり。
 雨脚は激しくはないんだけれど、それでも、傘は必需品。朝から降っていたから、傘立てに入ってる筈…。
 そう思って、昇降口へ降りた。

「あれ…?」
 傘置き場を覗いて首を傾げる。
「どうしたの?」
 同級生たちが怪訝な顔を差し向けて来る。
「うーん…。傘がないなあっと思って。」
 がさがさと傘立てを漁ってみるが、見覚えのあるピンクの花柄は見つからない。気に入ってる傘なのに。誰か間違えて持って行ったんだろうか。
 そんな様子を知ってか知らずか、昇降口の影で乱馬がこっちを伺ってるのが見えた。まさか、あいつに相合傘をねだるわけにもいかないだろうし。
 どうしたものか、考えあぐねていたら
「天道あかね!傘がないなら、僕と相合傘にて帰ろう!」
 すっと現れた変態先輩、もとい、九能先輩。
 持っている傘は、時代遅れの唐傘。今時こんな紙の傘、差して歩いてる人も珍しい。それだけじゃない。開いた傘の絵柄を見て、思わず引いてしまった。
 何を勘違いしたか、広げた傘は真っ赤。それに前衛的な唐獅子の絵が全面に描かれている。それも、相当なセンス。
 こんなもの、どこに売ってるの?日本ビイキの外人さんでも買わないわよ。こんな傘。
 たとえ、九能先輩に好意を持っていたとしても、こんな趣味の悪い傘を差し出されたら、誰だって引くだろう。

「あ、いえ…。遠慮しときます。」

 顔がひきつりながら声が漏れた。

「はっはっは…。奥ゆかしいぞ!そんな君が今日はとってもビューチフル!!」

「ご、ごめんなさい。タイプじゃありませんっ!!」
 九能先輩が両腕を広げた時、いつもの如く、あたしは虚空へと蹴り飛ばしていた。暗雲に向かって飛ばされていく九能先輩。


「たく…。世話ばっかかけやがって…。」
 ぶすっとしながら、背後から傘を差しかけてくる人影。
 乱馬だった。
 一瞬、同級生たちの冷やかし的な視線と声が突き刺さってきた。ひょうひょうというはやし立てる男子たちの声。
「仕方ねえだろっ!あかねは傘、持ってねえんだからっ!!」
 顔を真っ赤にしながらも、乱馬は吐きつける。
「ほれ、あいつらは無視して、行くぞっ!!」
 まだ続く冷やかしの声を振り切るように、乱馬はさっさと先に立って歩き出した。
「う、うん…。」
 慌ててあたしも後に続く。
 何だかよそよそしい空気。その中を泳ぎ出すように、あたしは濡れるコンクリートへと足を踏み出した。


 雨はしとしとと空から振り落ちる。
 乱馬の傘は大きな黒いこうもり傘。彼の場合、濡れるとすぐに変身してしまうから、普段から大き目の傘を差している。それでも、雨が激しいと、身体が濡れて、女の子に変身してしまう。
 今日の雨は、幸い、豪雨ではなかったから、ゆっくり気をつければ、何とかこのまま、変身せずに歩けるだろう。露出した肌の上から直接水飛沫がかからなければ、大丈夫なはずだ。
 こんな天気の日には、近所のお邪魔虫たちも近寄らない。
 シャンプーは濡れると彼の嫌いな猫に変身してしまうし、誘いには来ない。右京も女の乱馬とデートする気はないらしく、遠慮するようだ。小太刀もレオタード姿で濡れるのは不本意なのか待ち伏せしていない。彼女たちが大人しい日は、こんな雨の日くらいかもしれない。
 乱馬にとって、しとしと雨の日は、しつこい取り巻きに追い交わされる危険も少ない日でもあった。

 もしかして、それを見越して誘いかけて来たのだろうか?
 ただ、隣りを歩く、この不器用少年に、そこまでの余裕があるかどうかは疑わしい。

「で、何処行くつもり?」

 周りに風林館高校の制服が居ないことを確認すると、乱馬にぼそっと尋ねてみた。

「ま、いいから…。」
 相変わらず無愛想に答える。黙って付いて来いっていう感じ。
 もう、本当に煮え切らないんだから。

 途中で、家路とは逆方向へ転換。
 駅前の商店街の方へと歩いて行く。勿論、肩を抱き寄せるほどの器用さは欠片もない。ただ、黙って二人傘の下。
 雨だから、人影もまばらだ。やっぱり、こんなお天気の日は、主婦だって買い物を控えるものなのだろうか。

 と、乱馬は一軒の店の前に足を止めて、中へと入っていった。

 え?ここって…。最近、評判のパフェのお店じゃない。

「早く来いよ…。」
 相変わらず無愛想だ。
「うん…。」
 あたしは慌てて彼の後を追って店内へと入った。

 中は明るくて、きらびやかな世界。
 どちらかというと少女趣味。圧倒的に女の子をターゲットに絞った明るい感じの雰囲気だった。
 そらだけに、意外な感じがしたのだ。
 雨にも拘らず、店には学校帰りの制服姿や若い女性たちがたくさん居た。
 隅っこの二人席に陣取ると、メニューを広げた。

「ねえ…。何で?」
 あたしは開口一番問いかけた。
「何でって、何がだよ。」
「だから…。何でここに?」
「この前の借りのお返しだよ。」
「この前の借り?」
「宿題。」
「ああ、この前の英語のノート…。」
 こくんと揺れるぶっきら棒な頭。
「ちこっと、なびきのアルバイトに付き合ったから、小遣いもあるし…。ま、たまには俺も甘いもの食いたいと思ったから…。」
 視線を泳がせながら吐きつけるように言った。
 本当、素直じゃないんだから。
「じゃあ、乱馬のおごりなんだ…。」
 メニューを取りながら、にっこりと微笑む。
「だからって、いっぱい食うと腹壊すぜ。」
「わかってます!そんなに意地汚くはありません!」

 たく、子供じゃあるまいし。

 メニューを開いてびっくり。前評判はきいてたけれど、本当、見事にパフェ類の羅列。チョコレートパフェ、ストロベリーパフェといった定番は勿論、色とりどりの見本写真が並ぶ。
「んとじゃあね、これ。」
 丁度水を持って来てくれたウエイトレスさんに指差す。
「お、おい!てめえは…。そんなに食うと腹壊すぜ。いくら頑強な胃袋でも。」
 と乱馬。
「あのねえ…。誰が一人で食べるって言った?」
 少しばかり意地悪な微笑を返す。
「へ?」

「ハートパフェ、お一つですね?トッピングは…。」
「バナナチョコレートでお願いします。」
「暫くお待ちください。」

「あれは二人分なんだよ。乱馬。」
 いそいそと下がっていったウエイトレスさんを見送りながら言った。
「ふーん…。」
 すっかりあたしはご機嫌で、いつもよりは饒舌になっていたかもしれない。
 程なくして運ばれてきた、でっかいパフェ。

「うわあ!」
 思わず歓声。
 乱馬も驚いてた。
「おめえ…。こんなの…。」
 そう言ったきり絶句。

「前から一度、食べてみたいと思ってたんだ。ハートパフェ。じゃ遠慮なくいっただきまーす。」
「お、おう…。」
 
 色とりどりのグミゼリーがアイスの合間に埋もれるようにある。それも、全部、ハートの形。プルンとしてて、可愛いのよね。

「どうしたの?食べないの?」
 少し上目遣いで乱馬を見上げた。
「やっぱり、女の子になって来た方が良かったんじゃない?」
 意地悪な言葉を投げた。
「バカ…。それじゃあ意味がねえ。」
「何の意味がないの?」
 口にアイスを含みながら乱馬を見返す。
「何でもねえよ。」
 少しばかり怒ったように言葉を投げ返す。それから、彼も柄の長いスプーンを持って食べ始めた。
 食べてる間中、乱馬は無口。

 もしかして、照れてるのかな?やっぱり、男の格好だから、恥ずかしいんだろうな。

 何だか、今日はあたしの方が余裕があるみたい。
 時々、乱馬に付き合って、甘いものを食べに行くことがあるんだけれど、大抵は女に変身して出かける。あれだけ嫌がる水を浴びて出かけるのだから、彼の甘い物好きは本物だろう。
「男が甘いものなんて食えるか…。」
 という変なポリシーでもある。彼に言わせれば、女になって良かったと思うのは、人目を気にせずに、大好きな甘いものを堪能している時だけなのだそうだ。
 本当かな…。女風呂に堂々と入れるだの、もっといっぱいあるんじゃないの?と一回訊いてみたけれど、
「アホ!風呂って言ったら湯じゃねえか。そんなのすぐばれるし、女体は己ので見飽きてらあ…。」
 と、ご尤もな模範解答。
 いつもは幸せそうに食べる甘い物なのに、今日はそうは見えないのは、きっと、男のままで居るからだろう。
 しかし、さすがのあたしも、だんだんと、冷たく甘いもったりがきつくなってきた。まだ真夏には遠い上、今日は何となく外気温が低め。太陽の恵みがないせいだと思うが、程なくリタイア。
「どうした?もうお手上げか?」
 止ったあたしを乱馬が見返した。
「そろそろ限界…。あと、乱馬食べられる?」
「ああ…。まだ食える。」
 そうだよね。乱馬、パフェは大好物だものね。特にチョコレートシロップのたっぷりとかかったアイスは。
 人が美味しそうに食べる表情って、見飽きないのは何故だろう。自分が空腹ならば腹も立つのかもしれないけれど、自分も満たされていたら、とっても優しい気持ちに慣れる。きっとこの時のあたし、いつもよりも愛想良く微笑んでいたのだと思う。頬杖をついて、掌に顔を乗せて、じっと見詰める。

「何だよ…。にやにやと…。気持ちの悪い奴だなあ…。」

 ぼそっと乱馬がそんな言葉を投げつけてきたほどだ。いつもなら、けんか腰に聞こえる言葉も、耳に馴染む。
 幸せな気分だから寛大なの。今のあたし。

「ん?何だこりゃ。」
 乱馬は器の底を見ながら声を上げた。
 最後にパフェの器の一番下に数字の書いた小さなコイン状のもの。

「それね…レジで番号を言ったら、おみくじをくれるのよ。」
 にっこりと微笑んで答えた。

「おみくじだあ?」
 怪訝な顔の彼に付け加えた。

「ハートパフェってカップルで食べる、この店の一番人気なんだけど、それは、おみくじが付いてくるからなの。いろんなことが書いてあるんだって。」
 とにっこり。
「ちぇっ!くっだらねー!」
 そら来た。ホント、あんたって浪漫がないんだから。

「で、何て書いてあったんだ?」
 店を出てから、ふつっと言葉が切り返されてきた。
「何って何が?」
 わかってはいたけれど、わざとじらせてみる。
「その…。さっきレジで貰った。」
「あ、あれね。…中吉だったわ。」
「中吉?」
「ええ、ほどほどの吉ってところかしら。急激な進展も期待できないけれど、マイペースで続いて行くってね。」
「そっか…。」
「ねえ、もしかして、気になったの?」
 少し意地悪な微笑みを手向けてみる。
「んなの、気になるわけねえだろ。」
 素っ気無い返事。
「じゃ、どうして、訊いてきたの?」
「べ、別にどうでもいいじゃんかよう!」
 ほら、すねた。
 あたしに「素直じゃない」って、いつも言ってるけど、あんたの方が素直じゃないわよ。
「はい。」
 あたしは小さな紙切れを乱馬に差し出した。
「あんだよ…。」
「さっき、レジで貰ったおみくじ。気になってるんでしょ?」
「別に気にならねえって言ってんだろが…。」
 そう言いながら、じっと眺めてる。ホント、素直じゃないんだから。
 それを無言で返してくる。
「ほどほどだな。」
「ん、ほどほど。」
 良くも無ければ悪くも無い。そんな相性なんだそうだ。
「彼女はもっと素直に…って書いてあったぜ。」
 にっと笑う乱馬。
「あら、彼は優柔不断はやめなさいってあったでしょう?」
 すらっと言い返す。
 そんなとりとめの無い会話が続いた。
 
 商店街の端っこに来ると、道の両サイドにあったアーケードも無くなる。ここから先は傘を差さなきゃならない。
 まだ、空は不機嫌で、雨を空から降らせている。

「梅雨の空のような関係…か。」
 ふっと彼の口から言葉が漏れた。
「あら、まだ、梅雨には早いわよ。」
 とあたし。
「走り梅雨も似たようなもんじゃねえか。」
 たく、屁理屈ばっかりこねるんだから。

 言ってるそばから、雨脚が激しくなり始める。
 肩を寄せ合って、一つ傘の下。水がはね始めると、容赦なく、彼は女へと変身を遂げる。これもいつものパターン。
 彼が持っていた傘とあたしの頭の距離がぐんぐんと近くなる。
 気の抜けた溜息がすぐ横で漏れたような気がする。

「たく、優柔不断なこの不便な体質、いつになったらおさらばできるんだろうなあ…。」
 ぼやくように言い放った。
「あら、いいじゃない。別に今のままでもさあ。」
 そう言ったら、まん丸な瞳がこちらを見詰めてきた。
「あん?」
 何言い出すんだとばかりに。
「あたしは今のままの乱馬でいいよ。ずっと、このままでもね。」

「あのなあ…。四六時中、女と男が入れ替わる体質だったら…。その、子どもとか生まれたらどうする気なんでい?母ちゃんが二人とか言われるかもしれねえんだぞ…。そんでもいいのかよ、おめえは…。」
 突拍子も無い事を言い出した彼。思わず、ぷっと噴出してしまった。
「あら、女に変化したところで、乱馬自身は男なんでしょ?それに…。母ちゃんが二人って…あたしと乱馬のことなの?」
「あ…。」
 ようやく、本音が零れ落ちたことに気がついて立ち止まる乱馬。顔が真っ赤に熟れている。
耳元で
 「い、今のはなしでいっ!」
 と焦ってるけど、駄目よ。

 そう。たとえ、呪泉の呪いが解けなくっても、乱馬は乱馬。
 それだけは覚えていて。
 あたしはありのままの、等身大の乱馬を大切に思い続けるわ。


「お、おめえなあ、第一、子どもが変身体質だったらどうするんだよ!!」
「別にかまわないんじゃないの?」
「あん?正気か、おめえ。」
 まん丸瞳がもっとまん丸になる。
「大丈夫よ。子どもたちにたとえ遺伝しちゃったとしても…。」
「呪泉郷へ行けば良いとか何とか言うんじゃねーだろうな。」
「だから、体質なんか関係なく、ありのままを愛してくれる人が、子どもたちにもきっとできるだろうから…。」




『あたしみたいに…。』


 最後の言葉は飲み込んで、あたしは、小さくなった乱馬の手を、柔らかく握り締めた。








走り梅雨
本格的な梅雨を前にある、ぐずついた天気の日々の総称。
本当は、お誕生日にメールをくださった方や投稿くださった方だけに公開しようと書いていたのですが…。
抱え込んだ雑用に忙殺されて…空模様と同様、自滅(苦笑
で、結局、メールに返事すら満足に書けず、失礼いたしました。すいません!(おき逃げ)


で。彩瀬あいりさまに素敵なイメージ絵を描いていただきました。
こちらです。



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