中編
翌朝はよく晴れていた。典型的な秋晴れの一日のはじまりである。
暑くも無く寒くも無し。一年のうちで、一番良い気候のこの季節だった。
ここは、天道家。
ハロウィンパーティーの当日を迎えて、主催者のかすみは、朝から、せわしなげに働いていた。
会場設営は、父親たちや乱馬に任せて、かすみは、台所。
今日は昨週末に行われた、学園祭の代休で、平日だが、高校は休みであった。だから、なびきもあかねも乱馬も家に居たのだ。
浮かない顔つきで、乱馬は朝からムスッとしていた。不機嫌極まりない表情は、寝足りないだけが理由ではなさそうだった。
(あのカボチャ野郎…あいつは、一体、何者なんだ?薄気味悪い顔や、一瞬で姿を隠したところなど、ただの人間じゃねーってことだけはわかるが…。確か…カボチャ大魔王とか言ってたよな…。
あの野郎、逆恨みしやがって…。俺の大事な女子を奪うとか、ふざけたことぬかしてやがったが…。)
うつむき加減で、会場設営の準備をしていると、台所の方から、異様な臭いが漂って来た。
台所では、昨夜から、あかねが籠って、何かを懸命に作っている。この異臭の原因も、恐らく、彼女のクッキングに由来しているだろう。
(たく…あの不器用女も、懲りないぜ。皆に配るお菓子を焼くとか言って、張り切ってたが…。)
臭いの元は異臭とも悪臭とも何とも云い難い、台所から漂う煙だった。お世辞にも美味しそうな臭いではない。むしろ、得体が知れない「不気味臭」だった。
(まあ、パーティーの時は、あいつから少し離れて方が、いろいろ、都合はよさそうだが…。)
乱馬はどうしたものかと、考えながら、庭先にテーブルを並べて行く。
「乱馬くん。」
と後ろから、呼びとめられた。
「あ、なびきか。てめーもこっちを手伝うのか?」
「まーさか、あたしは力仕事なんかやんないわよー。それより、かすみお姉ちゃんからチラッと聞いたんだけど…。あんた、カボチャ大魔王に狙われてるんだって?」
ニヤニヤ笑いながら、乱馬へと会話を投げて来た。
どこでその情報を仕入れたのか、「隠したって全部知ってるわよー」と言わんばかりの笑みだった。
「へっ!それがどーした?」
と、返事を返した。「俺は気にしちゃいねーぞ」という、強がりな返答だ。
恐らく、カボチャ頭より、己の方が腕は立つだろう。が、気になるのは、奴の魔力だ。大魔王と名乗るからには、魔法の一つや二つ、使えそうだ。恐怖心はないが、得体が知れない感はぬぐいきれない。
できれば、あかねを巻き込みたくない。最愛の女があかねだということが知れると、一番厄介だろう。あの手の輩は、小細工をあかね目掛けてやってくるに違いない。
それが、本音だった。
「ふふふ、その魔王さんを回避する、良い方法を教えてあげようかな〜なんて、思ってさあ。」
ちらっと、乱馬を見やりながら、なびきは微笑んだ。
「回避する方法?そんなのあるのか?」
なびきの言葉に、乱馬は食いついた。食いついて、すぐにしまったと思った。なびきの右掌が、己の眼前へと何の躊躇もなく、すっと差し出されたからだ。
「教えて欲しかったら、金一封よ。乱馬君。現ナマがないなら、ツケも可よ。何なら、アルバイトも世話するわよ。」
そう言って、ニヤリと笑った。もちろん、ただでは教えない…そんな光が、眼の中からさしこめて来る。
「あんただって、あかねを巻き込みたくはないんでしょう?」
心情を見透かしたような、言葉を投げつけられた。
押しの一言だ。
「わかったよ。ツケで頼むよ。」
むすっとした表情で、吐き出した。
金銭を要求してくるくらいだから、何か良い方法があるのかもしれない。そう思った。
「じゃあ、教えてあげるわ。耳を貸しなさい。」
そう言って、なびきは、一言二言、乱馬に話しかけた。
「どう?使える手でしょう?」
言い終るや否や、なびきは、どや顔で乱馬を見た。
「まあ、使えるっちゃ、使えるな…。」
「で、支払いの方だけど、あんた、どーせ、現ナマ持ってないでしょうから、仮装ついでに、フォトを何枚か撮らせてくれるかしら?それで、どう?」
「仮装の写真だあ?…おまえ、また、変なこと考えてねーだろーな…。誰かに俺の写真を高く売りつけるとか…。」
ジト目でなびきを見返す。
「写真の著作権はあたしに属すから、何に使っても文句無しよ。それとも、三千円即金で払えるの?」
「三千円だあ?ぼったくる気かよー。」
思わずボルテージが上がる。
「ほほほ、当り前でしょ?」
「高い、まけろっ!」
「びた一文、まけないわ。その代り、衣装とメイク一式はあたしで用意してあげるってのは、どう?」
「おまえが準備だあ?」
「そーよ。あんたは、それを着て写真を撮るだけ。で、その格好のまま、パーティーに参加すれば、良いの。どう?悪い話じゃないと思うけど…。」
チラッと乱馬を見やりながら、なびきが言った。
「わかったよ。衣装の準備だって、今からじゃあ、間に合わないしな…。それで手を打ってやらあ。」
「オッケー。商談成立ってことで。あんたの部屋へ衣装一式準備して、メイクもしてあげるからねー。アデュー。」
そう言いながら、なびきはその場を立ち去って行った。
「ったく…人の足元見やがって…。」
なびきの後ろ姿を見送りながら、恨めしそうに、吐き出した。
☆ ☆ ☆
夕方近くになって、そろそろ準備も佳境へ入る。
かすみは御馳走のラストスパート。そろそろ、気の早い客人が現れる頃だろう。
乱馬は約束通り、なびきの準備した衣装を身につける。
「おい…。何だ…このスケスケの衣装は…。」
「あら、お気に召さない?」
「お気に召さないも何も…。羽までついてやがるぜ!」
とジト目でなびきを見やる。
「フェアリーテイルの衣装ですもの。似合うわよ。」
「フェアリーテイル?」
「お花畑に飛んでる妖精…ってところかしらねえ。」
「何じゃそりゃ…。」
「それから、おさげはカツラで隠しなさいね。」
「何でだ?」
「おさげがあったら、あんたって丸わかりでしょ?カツラの調整もあたしがやってあげるから、ほら、さっさと変身しなさいな。
男のまま、チャイナドレスをそうやって持ってたら、ただの変態よ。」
そう言って、なびきは乱馬の頭上から、コップに入った冷や水をぶっかけた。
「冷たいじゃねーか!」
「さっさとおっぱじめるわよー。あたしだって着替えなきゃならないんだしさあ。」
そう言って、乱馬の衣装を引き剥がした。
「このどスケベ!」
「あたしに、そんな趣味はないから。ほら、さっさとこの見せブラつけなさい!」
「嫌だ!」
「見せブラつけないと、良いの?おっぱい丸見えに透けるけど…。」
「う…。」
スケスケの青い衣装だ。何か身につけないと、本当に裸体が露わになる。
「うふふ、可愛く仕上げてあげるからねー♪」
「何か、妙に楽しげじゃねーか?てめー…。」
「良いから、良いから。」
この場にあかねが居なくて良かったと、心から思った。
なびきに良いようにあしらわれている姿など、男のプライドが許す訳が無い。
いや、ブラジャーの着用を受け入れた段階で、プライドなど消し飛んでしまっているのかも…。
化粧を重ねられるごとに、自棄(やけ)になるっていく。
(…あかねに危険が及ばないなら、甘んじて受け入れるしかねーか…。)
と言い聞かせながら、屈辱に耐えること数十分。
「仕上がったわよ。上々よ。どこから見ても、元のあんたの姿からは遠いと思うけど、どう?」
なびきに促され、姿見を覗いて、のけぞった。
「誰だ?これ…。」
パッと見た感じでは、女乱馬に見えない。
自分ではないような姿が、鏡に映し出されていた。
化粧で完全に己を消されている。
「どう?あたしのメイク技術も捨てたもんじゃないでしょう?これで三千円なら、安いでしょう?オプションもあるんだから。」
「オプションだあ?」
「ええ。」
「何だ?そのオプションつうのは。」
「内緒よ…。」
と寸断される。
「たく、おめー、どこでこんな技術、身に付けたんだ?」
まざまざと自分の顔を見ながら、乱馬は後ろに立っているなびきへと声をかけた。
「ほほほ、あたしに不可能は無いわ。これだけ化ければ、カボチャ魔人さんも、おさげの少年と同一人物だとは夢にも思わないんじゃないの?
後は、お湯には注意しなさいよ。
その姿のまま、男に戻ったら、ただの変態だからね。
じゃ、あたし、他にもメイク頼まれてるから…。」
バイバイと手を振って、なびきは乱馬の部屋を出て行った。
「しかし…。女って恐ろしいものだな…。化粧一つで、こんなに印象、変わるか?」
鏡の向こう側の自分の姿を見ながら、ふうっと溜め息を一つ、吐き出した。
★ ★ ★ ★ ★
「ちょっと、お姉ちゃん…。何で、男の格好なのよー。」
鏡の向こう側で、あかねが、なびきへと言葉をかけた。
「女が女の格好するのは当たり前すぎて、面白くないでしょう?」
くすっとなびきが笑った。
あかねも、姉に衣装一式などを頼んでいた。いや、姉が、何故か昨晩になって、あたしがやってあげると言いだしたのだ。
で、頼めば、何故か、海賊の船長の格好。キャプテンクックか、それとも、ピーターパンのフック船長か、はたまた、パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウか…。
大きな海賊ハット、片目には眼帯。御丁寧に、つけヒゲまでしている。
ちょっとした、変装になっていて、パッと見、あかねとはわからない。
「似合ってるじゃん。」
「もう…。もっと、おとめチックな感じが良かったわ。」
困惑下なあかねに、なびきは言った。
「あら、その格好の方が、クッキー、配り易いんじゃないの?」
「どうして?」
「クッキーを宝箱に入れて、配り歩けば良いじゃない。クッキーか悪戯かって聞いて回ってさあ。大抵、クッキーって答えるわよ。」
「そ…そうかしら。」
「ええ。ぱっと見、あんたってわからないから、皆、クッキーを貰ってくれるわよ。」
「…何よ、その言い草。誰もあたしのクッキーなんて貰ってくれないみたいじゃない。」
「毎回、もれなく貰ってくれるのは、良牙君くらいのものじゃないの?」
「それって、どういう意味?今回のは自信作なんだからあ!」
「じゃ、宝箱趣向の方が、良いんじゃないの?それに、あかねってあからさまにわかるような格好なら、面白くないわよ。そもそも仮装って、誰かわからないから、思いっきり楽しめるじゃん。」
となびきが笑う。
「一理あるか…。良いわ、今夜はキャプテン・クッキーで行くわ。」
「そーしなさい。じゃ、頑張って、クッキー配りまくりなさいね。」
なびきはあかねの部屋を後にした。
「ざっと、こんなもんね。乱馬君もあかねも、あからさまに、正体が判んない方が、敵を欺きやすいでしょうし…。トラブルも少なくて済むってもんよね…。
まあ、トラブルが起こらないとは限らないか…。ま、あとは良いわ…。儲けもがっぽり入ったし…。」
些細なことでも金儲けに繋げてしまう…恐るべし…守銭奴なびき…。
あかねが着替え終わった頃、陽が暮れ始めた。
秋の夕陽は釣瓶落とし。
さっきまで、赤く西の空を輝いていた太陽は、急激に光を失い、ビルや建物の向こう側へと消えてしまう。
今日の東京の日没は午後四十七分頃。
パーティーの始まり時間は、午後五時半。まだ少し時間がある。
あかねは部屋を出て、会場となる庭先へと出て見た。と、前から少女がやってくる。まだ、完全に陽は暮れていないから、顔も姿もそれなりに確認できる。
一見、見たことのない少女だった。
が、あかねには、その正体が手に取るようにわかった。
(あ…。乱馬だわ…。何で、女の子の格好してるのよ…。よっし。このクッキー、最初に食べさせて見せるわっ!)
心でそう念じ、すれ違いざまに、声をかけてみる。
「トリック・オア・トリート?クッキーが良い、それともいたずら?」
ハロウィンの決まり文句だ。正体がばれるのは面白くないので、わざと低い声で言ってみた。
声をかけられた少女は、一瞬黙り込む。そして、手を横に振り、どっちも要りませんと言うジェスチャーで、黙ってすっと、通り過ぎようとした。
「ちょっと待って!乱馬っ!何も、逃げることはないでしょう?クッキー食べなさいって言ってるのよ!さもなくば、酷い目にあわすわよ。」
思わず、素の声が出た。
「やっぱ、あかねか!だろうと思ったんだよ。クッキーだあ?その左手の宝箱に五後生大事に抱えてるのが、そうだってーのか?
バーカッ!んな、得体の知れないもの食ったら、明日の太陽、拝めねーじゃねーか!」
こっちも、また、素に戻る。
「何よっ!変態っ!よりにもよって、女の子の格好してるなんてさあー…呆れるわ。」
とあかねも切り返した。
「うるせー。こっちにも色々、事情ってーのがあるんだ!おめーだって、何だよ。男の格好してるじゃねーか。胸がないから、男の格好もよくお似合いだ!」
乱馬も負けてはいない。
「何ですってえ?」
あかねの表情が怒りへと変わる。
「たく、昨夜から、訳の分かんねーものたくさん作りやがって…。誰が、おまえの作ったクッキーらしき物体なんか、食うかっつーのっ!」
「つべこべ言わずに、男らしく食べなさいってーのっ!」
「嫌だねっ!今夜は女に徹するって決めたんだ。」
「ほんと、男の腐ったのって、あんたのことよねえ…。よりによって、女装だなんて。」
「おめーと違って、俺は俺で色々あるんだよ。だから、この格好してんだ。」
ムスッと返す。そもそも、誰のせいで…と言いかけて、グッと言葉を飲み込んだ。
あかねは、あのカボチャ野郎には会っていない。ここで説明したところで、どうにもなるまい。
「色々って何?」
言葉尻をあかねは追いかけて来た。
「かすみさんのことだから、あっちこっちに招待状を渡してるだろう?俺の周りは、トラブルメーだらけだしな。」
「トラブルメーカー?」
「ああ。珊璞やうっちゃんや小太刀だよ。おまけに、九能もな。あいつらやり過ごそうと思って、女装にしたんだ!文句あっか?」
と吐き出した。
「あたしは、てっきり、女趣味に走ったのかと思ったわ。」
とあかねが言った。
「そういうおめーはどうなんだよ。男の格好なんかしてよー。」
「なびきお姉ちゃんが、仮装させてくれたのよ。」
「なびきが?」
乱馬はハッとして、あかねを見やった。
(もしかして、なびきのオプションってこいつの仮装か?…まあ、女性っぽい格好させられるより、男の格好の方が、敵を欺きやすいか…。)
「とにかく、あんまり皆に配りまくって、迷惑かけんなよ!」
「あんただって、浮かれてたら、本物の女と間違われて、口説かれるわよ。」
共に、あかんべーをして、その場を離れる。
その様子を、二階の部屋から見下ろしている円らな瞳。なびきだった。
「ホント、あの子たち二人の間には、付け焼刃の変装なんか通用しないか…。
どんなに変装しても、ズバッと当てちゃうんだもんねー。
これは、ひと波乱、あるかもしんないわねー…。ま、あたしには関係ないけど。」
薄暗くなってきたので、道場から庭先に設えた会場のランタンや燭台に、ロウソクの火を、親父たちが、入れて回り始めた。人工的な光と違い、ロウソクの火は橙の温かみのある色合いに揺れている。
五時を回ると、だんだんに人が集まり始めていた。
かすみは日頃の御礼にと、近辺そこら中に招待状をまいたようだ。
招待状には、
『天道道場で、ハロウィンのパーティーをします。
それぞれ、料理を一品と、趣向を凝らした仮装をして、お越しください。』
そんなことが書かれていた。
日本ではまだ、ハロウィンの仮装パーティーは定着していない。仮装をしてドンチャン騒ぐのは、一部のテーマパークでくらいしか、繰り広げられていないのが現状だ。が、変身願望というのは、誰にでもあるものだ。子供ばかりではない。むしろ、良い大人の方が、変身願望は強いだろう。
普段とは違う人格になれる。コスプレーヤーでなくても、それは、誰にでもある、ささやかな願望。
スーパーヒーロー、アニメキャラクター、メイド、魔女、妖怪、モンスター、着ぐるみ、お姫様、王子様、おとぎ話の登場人物、動物…訳のわからない物…などなど。
天道家の庭先と、道場の中は、様々な仮装キャラクターでいっぱいになった。
かすみさんは、アーリーアメリカンのドレスに身を包み、持ち込まれた料理を、手早く庭に並べられたテーブルへと広げて行く。なびきは小悪魔の格好をして、かすみさんをサポートしていた。
早雲は頭を出したまま、熊の着ぐるみに入り、水をかぶってパンダになった玄馬と二人、熊コンビとか言って、おどけている。まだ、パーティーは始まったばかりなのに、二人して、完全に出来上がっていた。
対する、招待客たち。
怪しげなおとぎ話の王子様風に仮装してきた九能。
情熱…いや、情念の真っ赤なドレスに身を包んだ、小太刀。手にした真黒な羽の扇子で顔を仰ぎながら高笑いをしている。母親に連れられて来た、近所の幼児たちが、その姿を見ると、次々と後ずさり、泣き出すほどの迫力があった。
右京はアラビアンナイト風な透けた感じのスリットな衣装に身を包んでいた。元々上背のある彼女なので、妙に似合っている。その脇で、つばさと小夏が、それぞれ、ターバンを巻いたアラビア人風に扮し、右京を長ウチワで仰いでいる。
珊璞はうさ耳をつけて、うさ子なメイド。お尻から控え目に突きだした尻尾が、怪しい雰囲気を醸し出す。コロン婆さんはハワイアンドレスに身を包み、しわくちゃな手足を奔放にさらけ出している。沐絲は何故か、長髪を金色に染め、白い羽を後ろに背負い、天使の格好をしていた。
三人娘の主たる目的は、乱馬の奪取。
それぞれ、乱馬を求めて、キョロキョロするが、どうしても見つけられない。というのも、乱馬はなびきのメイクのおかげで、パッと見誰かわからないようにカモフラージュされていたからだ。
「乱ちゃん、どこや?」
「乱馬、居ないあるか?」
「わたくしの乱馬様はいずこ?」
三人三様にキョロキョロしたが、どうしても見つけられない。
妖精に扮した乱馬は、彼女たちのすぐ傍で、堂々と座っていたのだが、スルーされた。
(やっぱ、化粧って怖いよな…。)
と黙ったまま、彼女たちの動向を背中で探る。
「ま、乱馬様が見当たらないなら…。まずは、ライバル撲滅ですわね。」
にっと、小太刀が笑う。
「何や?乱闘やったら、負けへんで。」
右京が小太刀を睨みつける。
「まあ、そんな乱闘だなんて…野蛮なことはいたしませんわ。ここは、休戦ということで、いかがです?わたくしの作った、手作りクッキーなど…。」
「毒、入ってないね?」
珊璞が疑いの瞳を手向ける。
「毒…だなんて…。ほほほほほ。」
「やっぱ、入ってるんとちゃうんか?」
右京がひょいっと小太刀のクッキーを一つつまみあげると、ぽいっと、脇に居たつばさと小夏の口へと投げ入れた。
「きゃん…、右京様…。」
「あ、しびれるう…。」
二人とも、そのままホワイトアウト。
「やっぱり、毒が入ってるやんけ。」
右京が小太刀を睨みかえした。
「まあ、毒じゃありませんわ。痺れ薬です。」
生真面目に、強く、小太刀が言い放った。
「同じことね…。たく、物騒すぎるね…。」
「ほほほほ、皆さん、わたくしの魅力に痺れなさいませ。ほーら、痺れクッキー!」
新体操よろしく、リボンを振り回しながら、小太刀は、持っていたクッキーを、次々と、その場に居た男性への口中へと放り投げる。
(あんなもの食わせられてたまるかよ…。)
思わず、傍で座っていた乱馬は、苦笑いした。
バタバタと若い男性が小太刀の痺れ薬入りクッキーにやられて、地面へと転がって行く。
「迷惑な奴やなあ…。」
「ほんとね。恐ろしい女、九能小太刀。」
右京と珊璞はあきれ顔で、小太刀を見上げる。
「何とでも言いなさい!こうやって、片っ端から倒せば、その中に乱馬様がいらっしゃるかもしれないじゃありませんか。ほーっほっほ。」
そう言いながら、倒れた男子の顔を一つ一つ、確認するように覗きこんでいる。
「乱ちゃんは、そんな痺れ薬を食べさせられるほど、間抜けやないと思うで…。」
右京は呟く。
(だな…。たく。何、考えてんだ?この危ない女は…。)
しずしずと飲み物を飲みながら、乱馬は心で思った。
ふと、目を他の場所へ転じると、そっちも、バタバタと人が倒れこんでいるのが目に映った。
(やれやれ、もう一人、危ない女が居たっけ…。)
視線を流すと、あかねが、宝箱からクッキーを取り出して、そこら中の人々に声をかけて、食すことをすすめまわっているのが目に入った。あかねのクッキーの恐ろしさを知る、クラスメイトたちも、あかねの仮装を見抜けずに、口にした途端、ウッと白目をむいてその場に絶句している。
(あーあ、死人が出なきゃ良いけど…。)
そのざまを見ながら、乱馬ははああっと溜め息を大きく吐きだしていた。
「トリック・オア・トリート…召しませ、クッキー。」
そんな乱馬に、悪魔の声がかかる。クッキー船長に扮したあかねが、目ざとく乱馬を見つけ、すり寄って来た。
「いいえ、私には、どっちも必要ありませんわ。」
そう言うと、乱馬はさっと席を立ちあがった。
「お待ちなさい、妖精さん。そんなに遠慮なさらなくても…。」
「ノーサンキューですわ…。」
珊璞や右京には聞こえないくらい小さな声で、クッキー船長に扮したあかねに返答を返す。
とにかく、己のことがばれないように。細心の注意を払って、その場を離れた。もちろん、あかねは、しつこく追いすがった。
そんな、パーティーの様子を、天道家の屋根の上から眺める、怪しい男が居た。
カボチャ頭の怪人、ジャック三十六世だ。
「ふふふ、お呼ばれどおり、パーティーへやって来たぞ。居るわいるわ、たくさんの仮装ピープル。
この中に吾輩が混じっても、誰も何も思わないな。」
にんまりと、カボチャ頭は笑う。
驚かすのが今夜の目的ではない。昨日コケにされた少年を見つけ出し、彼の一番大事な女性を奪う…それが、今夜のミッションだ。
「昨日の娘っ子三人は、あそこだな…。あの中の誰が、あいつのお気に入りなんだろう…。」
屋根の上から、カボチャ頭は、珊璞、右京、小太刀の三人を見比べる。
「ま、あの、毒入りクッキーを配っている危ない真っ赤ドレスの姉ちゃんじゃないことだけは、確かだろうがな…。いや、待て、それは普通の人間の感性だな…。もしかして、あの少年は、あんなのが良いとか…。」
などと、考えてみる。
「吾輩なら…迷わず、あのウサギ耳っ子にするが…。いや、あのアラビアンナイト姫もなかなか良いバティーしておるなあ…。
いずれの娘っ子も、種を植え付けるには、良い身体つきをしているし…。顔も可愛いし…。うむ…。種床にしては申し分ないから、高得点貰えそうだぞ。」
もわん、と変な妄想でもしたのか、カボチャ頭の大きく開いた口元から、だらだらとヨダレが垂れてくる。
「しかし…。あのおさげ少年はどこに潜んでやがるんだ?一向に、吾輩の目に、奴の姿が飛び込んで来ないぞ…。」
一人一人、仮装した者の顔を、遠眼鏡でなぞっていくが、それらしい人物が見当たらないでいた。
それも、その筈。カボチャ頭は、乱馬が女人化出来ることを知らない。
「このままじゃ、らちが明きそうにないなあ…。さて、どうするべきか…。」
カボチャ頭は、うーんと考え始めた。
おさげ少年をおびき出し、彼の意中の女を選び出す良い方法は無いか。
ピコン!
「妙案が思いついたぞ。奴め、この場のどこかに潜んでいる筈だ。吾輩が見つけられない何かに仮装していると見受けられる…。探しだすのが難しいなら、あぶり出すまでだ…。
ふふふ、こんなこともあろうかと、奴の髪の毛を一本、手に入れておいて、良かったぜ。」
カボチャ頭は、懐から髪の毛を一本、取り出した。おさげから引きぬいたのだろう。男子のものとしては、長い一本だった。
「髪の毛があれば、そいつそっくりに化けられるのさ。あいつに化けて、あの娘っ子たちを誘惑して…焦って出て来た奴になり代わり、意中の女を連れ去り翻弄する…。
我ながら、良い考えだ!さすが、未来のカボチャ大王。わっはっは!」
屋根の上で大きく高笑い。だが、足元は斜面の瓦屋根。つい、足が滑った。おまけに、頭はカボチャで重い。
「わたたたた!」
あっという間に、下へと転げ落ちる。
ドスン。
鈍い音がして、カボチャ頭が庭先へと落下した。
「あら…まあ、カボチャ頭さん、いらっしゃい。」
ちょうど、かすみが給仕をしているところに、お腹からナスカ絵の如く落っこちた。
「あ…お世話になります。御招待受けて来ちゃいました。てへ、てへへへへ。」
めり込んだ地面から、身を起こし、笑いで失敗を誤魔化しながら、カボチャ頭はかすみに対した。
「ゆっくりと楽しんで行ってくださいね。」
「はい、それはもう、存分に楽しませていただきます。」
てへへと笑いながら、カボチャ頭はかすみの傍を離れた。
「良かった、髪の毛は握ったままだったな。何か、あの姉ちゃんのテンポに合わせるのは、疲れるよなあ…。っと、それより、あいつに化けなくちゃ…。」
そう言いながら、カボチャ頭は、手にした乱馬の毛髪を、月へと翳した。
えっと、変身魔法はっと…。
どてカボチャ…ビビリバビデブウ!」
みるみる、マントスーツはそのままに、男乱馬へと変身を遂げた。
「あら、まあ…。カボチャ頭さん…。乱馬君に仮装ですか?」
かすみが、問いかけた。
「ええ、まあ…。仮装と言えば、仮装ですね。じゃ、存分に楽しんで来まーすっ!」
カボチャ頭は、かすみにそう切り返すと、仮装の人垣の中へと消えて行った。
つづく
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