◇例えば一つの愛の形

一、
 
 その日は朝から雨が降っていた。
 秋の終わりの冷たい雨。

 久しぶりの、東京だ。
 到着ロビーの雑踏をかき分けて、待ち合わせ場所へと向かう。
 さっきから、何となく、辺りから視線を感じる。俺に気付いた連中が居るようだ。
 サングラスをかけていたが、トレードマークのおさげ髪。さすがにチャイナ服はやめたが、均整のとれた肉体は、今時のブルゾンに包み込んでも、透かされちまう。

 まあ、どこから見ても、好青年。目立って当り前かもな…。

「ごめん、遅くなった。関税のチェックに、結構時間かかっちまってさあ…。」
 とまずは一言謝る。

「まあ、仕方ないわねえ…。飛行機の着陸も予定より少し遅れてたみたいだし…。」
 俺の待ち人は、なびきだ。

 そう、現在の俺は二十二才。この街に初めてやって来た十六の頃から数えて、約六年。風林館高校を出て、俺はバリバリの武道家を目指すため、この八十島の国を出た。世界中を股にかけ、修業三昧。
 その甲斐あって、若手武道家として、結構有名になってきた。
 この前も「無差別武道チャンピオンシップ」なるものへ出場して来た。開催国はアメリカだった。
 勿論ぶっち切りで優勝。その褒賞金を分捕った。
 
 なびきは大学に通って居た頃から、九能先輩と組んで、エンターテイメントビジネスの世界へ身を投じた。その商才を余すところなく生かして、豊富な九能家の資金をバックに、好き放題稼いでいる。俺の見たところ、年商はゆうに一千万単位ではないかと思う。
 彼女もバリバリの若手企業家として名を馳せ始めている。
 もちろん、俺もマネージメントの一切を、彼女の会社に任せている。
 で、今日はなびき自らお出迎えという訳だ。
 
 彼女の駆るスポーツカーで都内へ戻る。

「あんたも大変よねえ…。まあ、この前、喧嘩別れしたまま大会へ旅立ったから、ちょっと会うのが気不味いんでしょ?」
「まーな…。あいつの勝気さは、相変わらずだしな。」
 と俺も苦笑いを返す。
「で?関係は修復したの?」
「んな、時間あるわけねーだろ?あのままだよ、あのまま。」
 と言葉を放り投げる。

 この大会の前、日本からの去り際に、俺はあかねと大喧嘩やらかして、そのまま、飛び出したってわけ。
 喧嘩の原因は、些細なこと…だ。多分…。俺の優柔不断とあいつのヤキモチが、いい具合に混ざっちまって、旅立つ前に思いっきりやらかしたわけだ。

「呆れた…やっぱり、あのままだったのねえ…。ほんと、あんたたちって、高校生の頃から、全く進歩してないんだから…。」
「仕方ねーだろ?そういう、付き合い方しか、できねーんだから…お互いによー。」
 とブウたれる。

「それとも、何か?俺の居ねえ間、あかねの奴、気に病んでたとか?」
「あの勝ち気な子が、そんなそぶり、あたしたちに見せる訳ないでしょ?まあ、テレビに映し出されるあんたの勝負を見ながら、溜め息は吐いてたけどね…。」
「溜め息ねえ…。」
「今回は、前より溜め息の数が多かったことだけは、確かね…。でも、いい加減に仲直りしないと…そのうち、愛想つかされるわよ。」
「そんな、ヤワな間柄じゃねーよ…。俺とあかねの関係は…。」
 と、吐き出して見せる。
「はいはい、御馳走様…。」
 
 あかね。俺の許婚。
 まだ、どこかに幼さを残す童顔の彼女。年よりも若く見えるかもしれない。化粧っ気は殆どなく、清廉さは変わらない。
 髪を今風に染めることもしない。化粧も薄くルージュを引くくらいでほぼ素顔に近い。香水も使わない。ジャラジャラとアクセサリーも身に纏(まと)わない。今時の高校生などに比べて、余程若く見えるかもしれない。
 
 俺はそれが気に入っていた。
 けばい化粧は嫌いだ。いくら彼女が可愛いからと言って、男に媚びるような女にはなって欲しくない。
 別に俺の好みに合わせたわけでもないのだろうが、あかねは少し大人っぽくなったくらいで殆ど高校生の頃とは変わらなかった。

 なびきは玄関先に車をつけると、俺を下ろした。

「じゃ、あたしはまだ仕事があるから、このまま行くわよ。仲直りできるように…せいぜい祈っておくわ…。」
 そう言ってウィンクして立ち去る。

 ちぇっ!簡単に仲直りできるくれーなら、苦労なんてしねーっつのっ!てめーの妹だからわかってんだろ?あの跳ねっ返り…。

 ふうっと溜息を吐きだして、
 天道道場の、矍鑠(かくしゃく)たる門構え。その横の勝手口から、呼び鈴なしで中へと入る。
 
「あら、乱馬。帰って来たの?」
 背後で声がした。
「あ、オフクロ…。ただいま…。」
 俺は優しいその声に答えた。
「帰って来るならそう言ってくれればいいものを…。」
 非難めいた言葉を柔らかく言い含めてくる。
「仕方ねーだろ?いつ帰国できるか、俺もわかんなかったんだから。」
 と言いながら、スーツケースを脇へ置く。
 まだ、俺たち早乙女一家は、天道家に軒下を借りている。あ、もちろん、なびきを通じて、ちゃんと、間借り賃として、幾許かのお金は毎月入れている。だから、正確には「居候」ではないが、それでも、いわんやである。
 ただ、あの頃と違うのは、かすみさんが、東風先生と結婚して家を出てしまっていた。今の天道家の家事一切は、俺のおふくろが面倒を見ている。
 俺もまだ、天道家の同居人ではあるが、試合に臨むときは、あえて、ここ(天道道場)を出て、何カ月も留守をしていることがある。
 今回の大会もそうだった。大きなタイトルの大会だったから、試合準備のために、ひと月は悠に要した。そして、試合国へと出かけて行ったのだ。
 天道家を出た時は、まだ夏だったっけかな…。
 かなり久しぶりにオフクロと顔を合わせたというわけだ。

「それより、この前の大会も優勝したんですって?」
 そう言ってにっこりと微笑む。
「ああ…。まあな。」
 俺は照れ隠しに頭をボリボリと掻いてみる。
「今回はゆっくりできそうなの?」
 オフクロはゆっくりと問い掛けた。
「来週にはまた立たなきゃいけねえんだ。中規模の大会だが、招待選手にされちまったからな。」
「そう…。あなたも大変ね。まあ、若いのだからいろいろな大会にチャレンジしなさい。それで、あかねちゃんには?」
「まだ会ってないよ…。」
 俺はボソッと答える。
「なら、丁度今日はお父さんたちが出稽古に出る日だから、たまにはここの後継者として、あなたも一緒に行けば良いわ。
 ねえ、あなた、早雲さん…。乱馬も一緒に連れてらしてくださいな。」
 オフクロは一人で仕切ると、奥に向って声を掛けた。
 本当は厄介事は嫌なのだけれど、このオフクロも言い出したら訊きそうにない。下手に断わって気分を害されるのも嫌なので、俺はオフクロの提案に従って親父たちの出稽古に付き合うことにした。
 出稽古先には、あかねも居る筈だから…。オフクロはそう気を回したんだろう。恐らく、前回の喧嘩の仲直りをしていないことを気にしているのだろう。


二、

 天道家を出る頃も、まだ、雨は降り続いていた。

 傍らにはでっかいパンダと天道家の当主の早雲おじさんが肩を並べている。
 相変らず仲が良いこの二人の親父たち。
 俺は呪泉郷へ行って、既に変身体質を解除しているが、親父はまだ変身体質を解消できずに居る。呪泉郷へ行く機会を得ずにいたからだ…というより、親父は人間に戻るつもりはないらしい。結構、パンダが気に入っているようだ。
 こうもり傘をさしながら、上機嫌でパンダが歩いて行く様を、道行く人々は、仰天しながら見送る。
 
 たく…お茶らけたパンダ親父だぜ…。トトロにでもなったつもりかあ?

 俺たちは雨の中、路地を抜けて、町外れに向かう。
 小さな門を潜り、紅い三角屋根の可愛らしい建物へと足を進める。
 周りからは小さな子供たちの歓声が聞こえてくる。
 そう、ここは幼稚園だ。
 俺は親父たちの後に付いて中へと入る。くすぐったくなるような周りの雰囲気。
「天道先生!パンダ先生!こんにちはーっ!」
 すぐさま子供らの山が出来る。
「あれ?今日はおさげのおじちゃんも一緒なの?」
 そんな人懐っこい声も飛んでくる。
「おじちゃんじゃなくてお兄さんだよ。」
 俺は苦笑しながら言い含める。
「何ムキになっとるのかね?君だってこの子たちから見たら十分おじさんだよ。わっはっはっは。」
 早雲おじさんが愉快そうに笑った。
 
 そう、親父たちはここの幼稚園に定期的に出向いて、武道を教えているのだ。

「あら、いらっしゃい。天道さん、早乙女さん。あら、今日はもう一人お弟子さんがいらっしゃるのね?」
 子供らの人垣の後ろから品のいい声がして俺たちを迎えてくれた。
「園長先生っ!」
 子供らが一斉に色めき立つ。そう、ここの園長先生。親父たちより少し年上のご婦人だ。
「これはこれは、園長先生。いつもお世話になっています。」
 早雲おじさんは愛想好く答える。
『こりゃ、おまえも挨拶せんかいっ!』
 ぱこんと親父に看板で頭を殴られた。
「いちいち殴るなよ…。わかってら!」
 俺はパンダを睨みかえしてから、園長先生にぺこんと頭を垂れた。

「早乙女乱馬です。今日は親父たちの補佐に一緒に付いて来ました。宜しくお願いします。」

「あら、あなたが乱馬さんなの。まあまあ、これは。噂に違わず立派な体つきをしていらっしゃるのね。あなたのお話はいつも天道先生から伺ってますわよ。」
 園長先生はそう言って笑った。俺のことを聞いているって?どんなことを話しているんだろう、あかねの奴。

 あかねは現在、ここの幼稚園の先生をやっている。
 あかねは短大へ進学し、そこで幼稚園教諭の免許を取得した。そしてこの幼稚園に天道道場ヘ格闘指導の依頼があり、彼女が子供たちの相手をしに教えに来ていた。
 たまたまここの先生の一人が、産休に入るということで、あかねが幼稚園教諭の資格を持っているということがわかると、園長先生が短期間だけでもいいから手伝いに来ないかと言って誘ったのだ。
 あかねも特に決まった勤めを持たずに家で修業をしたり、カルチャースクールで武道を教えているくらいのものだったから、オフクロがやって御覧なさいと勧めたらしい。
 そう、だから現在はこうやって園児たちの先生をやっているわけだ。
 少子化の中少しでも生き残りをかける幼稚園の経営のために、天道道場が一役をかっているのである。身体を鍛えるのに武道は最近、親御さんたちにも人気があるらしいのだ。この中にも幼稚園だけでは飽き足らず、天道道場へ通ってくる幼い弟子もいる。


「さあ、子供たちが待ちかねていますわ。どうぞ…。」
 そう言って奥へと通された。
 三角屋根の建物は小さな体育館のようなホ講堂になっていて、ここで園児たちがお遊戯をしたり、体操をしたできるようになっている。ボールやマット、跳び箱なども置いてある。俺たちはそこへと誘(いざな)われた。
 持って来た道着に着替えると、俺は親父たちの後ろにドンと座った。先に入って遊んでいた園児たちが好奇の目を向けて、見慣れない俺を観察しているのが見えた。
 みんなおそろいの体操着を着用している。

「まずは年中さんからね。」
 そう言って園長先生はポンと手を叩いた。
 都会の真ん中の幼稚園は、少子化の波に押されて、だんだん就園児の数が減ってきているらしい。ここも例外ではなく、年少一クラス、年中、年長それぞれ二クラスのこじんまりとした幼稚園だ。だから全園児がこの講堂へ集まっても、そう狭くはなかった。
 それぞれ若い先生たちが子供らを束ねている。その中にあかねがいた。
 あかねは俺が講堂へと入ると、「嘘?」というような表情をこちらへ向けた。
(何であんたがここにいるわけ?)
 そんな言葉が心から聞こえてきそうな風に、丸い瞳をこちらへとじっと向けてくる。
 俺は軽い笑みを浮かべてそんな彼女へと視線を流す。あかねは俺の凝視に耐えかねたのか、すいっと視線を外しやがった。少し俯いたところが可愛い。そんなあかねを俺はゆったりと観察して楽しんでいた。



「今日はいつもの早雲先生とパンダ先生の他にも、お兄さん先生に来て貰いました。天道道場の早乙女乱馬先生です。」
 園長先生がニコニコと俺を紹介する。
「早乙女乱馬です。よろしくな。」
 俺は少しはにかみながら、ちょこんとお辞儀をした。じっと見詰める幼い瞳の数々に、俺なりに圧倒されていたのだ。

 その光の中に、鋭い視線があった。さっきからビンビンに感じるその強い視線。
 俺を見据える四つの瞳。
 良く似た顔がじっと俺を見据えてきやがる。
 あかねが昨年副担任として指導しているクラスの双子だろう。最近、天道道場の弟子になったらしい。
 こいつらがまた、大変な悪ガキらしい。二人とも、感情のコントロールが上手くいかない腕白らしく、競うように物は壊すわ、同級生に絡むわ、引っ切り無しにあれこれやってくれるものだから、幼稚園側や親たち、いや子供たちを戦々恐々とさせていたらしいのだ。
 二人の家庭はちと複雑らしく、訊くところによると、両親が離婚して今は母方の祖父母のところへ預けられていると言う。
 そんな家庭の事情も相まってか、二人とも精神的に不安定、そして歯止めが利かなくなっていき、「超問題児」のレッテルを見事に貼られてしまった。
 腕白には大概、何か理由が潜んでいるものだ。
 彼らのクラスの副担任になったあかねは、或る日、園長先生に頼んで、勝負させて貰ったらしい。
 あいつのことだ。目くら滅法に飛び掛る腕白たちをあっというまにのし上げてしまったのだろう。勿論、幼いなりに一瞬であかねに負けたことは、奴らのプライドをずたずたに傷つけたに違いあるまい。
 その次の日から熱心に道場へと通い始めたらしい。
 始めはあかねを倒すことだけに集中していた奴らも、あかねと対峙するうちに、本当の強さと言うものが幼心にわかってきたのだろう。あかねと打ち解けてゆく程に、少しずつ変化が見え始めたという。
 あかねが嬉しそうに俺に話して聞かせてくれた。
『武道は幼い心でも成長させるものなのね。あんなに乱暴だった健斗くんと優斗くんを少しずつでも変えているんですもの。あの子たち、強くなるわよ。』
 と。

(へええ…。なかなかいい面構えしてやがる…。)
 と、双子たちの刺すような視線を肌で受けとめながら、にんまりとする俺。
 大方、ライバル心でも燃やしてやがるんだろうな。

 勿論、俺は留守がちだから、こいつらとは今、初めて面(つら)を合わせた。
 一応、天道道場の筆頭は、この俺だ。
 天道道場にずらっと壁に並んでかけてある俺の名札は、当然、あかねの上位へと掲げられてある。奴らの師匠のあかねより上位にだ。
 殆ど道場に姿を見せない俺の名札に、奴らは誰のものだと不可思議に思っているに違いねえ。国内外遠征に忙しい、天道道場のぶっちぎりの筆頭の俺のことは、親父たちもあかねもきっと、奴らに言って聞かせているだろう。
 俺を見詰めて来る瞳は、幼子の発する光とは思い難いような鋭さを持っていた。
 俺はゆっくりとそいつらを見詰め返した。俺の眼光に負けじと、決して逸らそうとはしないガキども。二人ともなかなか図太い神経してやがる。俺はふっと口元をほころばせた。 
 遠い記憶の中の己と重なる部分があったからだ。
 俺もきっとこんなガキだったと思う。いや、きっとそうだったに違いない。

 物心がついたときからずっと親父と二人で全国を放浪しながら格闘家への道をまい進してきた。
『強くなれ、乱馬。おまえは強くならなければならぬ。無差別格闘の誉れを手に入れるために。最強の男漢(オトコ)になるのだ、乱馬よ!』
 父は寝ても覚めてもその言葉だけを繰り返してきた。母親と引き離され、そのぬくもりを知らずに育った。
 幼心にそんな荒んだ生活は、俺の心の中にも、暗い影を落としていたろうと思う。あのスチャラカ親父だ。食うものにも事欠くことがある放浪の生活だった。強くなることだけが真理だと思い続けてきたのだから。我武者羅に攻めて、攻めて、攻めまくる。それが勝利への近道だと、信じて止まなかった。

 あいつに出会うまでは…。 

 闘いが攻めだけではないことを知ったのは、あかねに出会ってからだ。
 あかねは、俺以上に攻め一辺倒だった。あいつと初めて対峙した時、その気の強さと攻めの鋭さに度肝を抜かれた。当然、女の子をのしあげるわけにもいかなかったので、俺は、すっと引いて勝って見せたのだが…。正直、あかねの勝気さには面喰った。
 俺も、あの当時は、どう女の子に接して良いものやら…全く未知だったから、かなり態度もでかかったと思う。
 未だに口では散々かわいくねえと言いまくっているが、本心は…勿論、そうじゃねえ…。あかねはかわいい。かわいげがねえくらいにかわいい。…矛盾してっけど。

 実際、あかねに出会ってから、確実に俺の武道は変わった。
 「攻めること」それ一貫だった俺は、「守ること」を覚えたのだ。
 全身全霊を賭して守らねばならない存在。それがあかねだった。
 結果的に、あかねの存在が、俺の格闘の幅を広げてくれたのだった。
『乱馬の動き、変わったね…。』
 ライバルでもあり、また守るべき存在でもあるあかねがそんなことを俺に言ったのは、一年くらい前に手合わせした時だったっけ。
『優しさと厳しさが一緒にあるような動きをするようになったわね…。ただ攻めるだけでなく、必要ならすっと引く…その駆け引きが上手くなったわ…。以前はグングン押して相手を飲みこむのが、あんたのモットーみたいなところがあったのに…。』
 と。
 この天下一の鈍ちんは、俺が変わったのが、己(あかね)の存在のせいにあることを、全くわかっていないらしい。



 俺は園長先生に促されるまま、いや、親父たちに手ほどかれるまま、園児たちの相手を始めた。
 これがまた結構大変だった。
 相手が同じくらいの背の高さや大きさの相手ならまだしも、相手は年端もいかない幼児たちとなると勝手が違った。少しでも力を入れすぎると、途端、子供たちには強すぎて、下手をすると怪我をさせたり、恐怖心を植付け兼ねない。さっきの双子の兄弟たちのように、自ら望んで武道を目指そうとしている園児ならばともかく、殆ど全員がど素人の幼児軍団。かと言って、束になれば無茶もする。歯止めが利かない。そう、幼い子供らは好奇心の塊。怖いもの知らずの奔放さもある。これもまた、相手をするのにとても面倒なことではある。
 親父たちは手慣れたもので、ニコニコしながら園児たち相手に組み手をしている。親父はパンダになりきっているので、楽しそうに園児たちがジャレつく。子供らも、パンダ相手にじゃれるのが楽しくて、キャッキャ、キャッキャと、おおはしゃぎ。
 俺は軽く園児たちをいなすと、ふうっと息を吐いた。
「とてもお強いんですってね。」
「この前の優勝戦、テレビで拝見しましたよ。」
 俺たちと同世代くらいの先生たちがふっと横で囁くように言った。
「あ…それは、どうも…。」
 俺は照れながら頭を掻く。
「あたしも武道やってみようかしら…。」
「手ほどきしてくださいますか?」
 俺を囲んだ若い先生たちは姦しい。。
「え、あ、まあ…。その気があるのでしたらいつでも手ほどきくらいはしますが…。」
 俺はどもり気味に答えた。

 この年になっても俺は女の相手は苦手だ。初対面だと必要以上にあがってしまう。

 と、物凄く厳しい視線がいくつか、俺の上に注がれるのを感じた。
 あかねのヤキモチ的視線だけではなく、他にも俺へと注がれる憎悪に近い視点。例の双子の瞳だった。

「あら、健斗くん、優斗くん、お兄さんと手合わせしてみたいって顔をしているわね。」
 園長先生がそう言って笑った。
 それには答えないで奴らは薮睨みでじっと俺を睨んでやがった。まるで喧嘩腰。
「そっか…。二人とも、うちの門下だけど…乱馬と手合わせしたことなかったものね。やってみる?」
 あかねが横から口を挟んだ。
 奴らの目が一瞬光ったのは言うまでもない。どうやら、それを望んでいたようだ。

「じゃあ、乱馬、お願いね。一応、プロの格闘家らしいところを子供たちに見せてあげてよね。天道道場の筆頭らしく。」
 あかねが無愛想に投げて来る。
 明らかに彼女は不機嫌だった。

 たく…可愛くねえ…。もっと、言い方があるだろうに…。何だ?その、喧嘩腰な言い方は…。
 やっぱ、女性たちに持てる俺にヤキモチ妬いてやがんな…。しょうがねー奴だぜ…。

 双子たちは中央へ進むと、俺が先だと云わんばかりに二人揃って身構えた。
「健斗君、優斗君。順番よ。どっちから相手してもらうのかしら。」
 園長先生が二人に声を掛けた。


「オレだっ!」
「いや、オレが先だっ!」
 兄弟で争ってやがる。

「いいぜ…二人で掛かって来な!」
 俺は黒帯をぎゅっと締めなおすと、すっくと立ち上がった。
「そのくらい、ハンディがあって、丁度いいんじゃねーか?」

 ハンディという言葉が奴らを更に刺激したかもな。二人とも、壮絶なほど睨んできやがる。

「そうね。二人で生意気な早乙女先生をギャフンと言わせてあげなさい。」
 あかねがにっこりと二人へ微笑んだ。何、幼子にたきつけてやがんでー。
 コクンと揺れる二つの頭。

「でも、その前に二人とも、礼をなさいね。」
 あかねに促されて、二人は、真一文字に唇を結んだまま、ちょこんとお辞儀をした。

 一礼するのは、手合わせを始めるまえの礼儀だ。一応、あかねや親父たちはその辺からきっちりと仕込んでいるようだった。
 俺も敬意を表して礼をする。そして軽く息を吐きだすと、身構えた。

「やあっ!」「だあっ!!」
 二人同時に動いた。それも左右分かれて突いてきやがった。
 俺はダンと飛んで二人の後ろへ回る。二人はその動きを察していたのだろう。身軽にくるりと翻った。そして俺目掛けて真っ直ぐな蹴りと拳を当ててきた。
(へええ。なかなか、鋭いじゃん。)
 俺はそれを下半身で軽く避けながら流してゆく。多目的ホールの真ん中で勝負は縦横無尽に展開する。奴らは、必死で、俺に食らいついてきやがる。が、そう簡単に捕まってたまるかよ。
 外野席は、やんや、やんやと拍手喝さい。それ行け、やれ行けと園児たちもはやしたてる。

(そろそろ良いかな…。)

 俺は丹田に力を篭めると前に軽く握り拳を作った。そして俺は息をゆっくりと吸い込むと勢い良く吐き出した。

「はっ!!」

 俺の発した気合と共に、周りに爆風が立つ。
「うわっ!」「ひゃっ!」
 悲鳴のような小さな声が周りで起こると奴らは床へと尻餅をついていた。そう、俺は二人を気だけで吹き飛ばしたのだ。
「勝負あった!」
 早雲おじさんが手を挙げた。
 二人は身体を床から起こしながら悔しそうに俺を睨んでいた。

 そう、そうやって睨めばいい。己より強いものと出逢った時は、決して臆してはならない。たとえ負けたとしても俯いてはいけない。

 彼らは歯を食いしばって更に俺を睨みつけてきやがった。

「たく…。早乙女先生は、手加減というものを知らないんだから。」
 あかねが後ろで二人を見守る。幼稚園の先生の目ではなく、彼らの師匠の目をしていた。そう、武道家の目へとあかねも転じていたのだ。
(おめーに手加減云々言われたかねーよ。)
 と心の中で、吐き出す。

「一度、早乙女先生とあかね先生と手合わせして、模範演技を見せてもらいたいものね。」
 園長先生がその様子を見ながらにっこりと笑った。
「いつも子供たちの相手ばかりじゃ、あかね先生も面白くないでしょう?」
「でも…。」 
 と、ちらりと俺を見ながらあかねが言った。困惑顔だ。
「そうね…。みなさんも本格的な対戦を見てみたいわよね。」
 少し年配の先生が同調した。
「僕見たい。」「あたしも。」
 わかっているのかわからないのか、一斉にあちこちから園児たちの声があがった。
「でも、あたし、今日は道着持ってませんから…。」
 ジャージ姿のあかねがそう言った。確かに体操服の彼女と遣りあうのはちょっとなあ…。
「道着なら持っとるぞ。」
 後ろから早雲おじさんの声がした。
「え?」
 あかねはきょとんと後ろを振り返った。
「こういうこともあろうかとあかねの道着も持って来た。」
 そう言いながらにこにこと笑うおじさんだった。

 おじさん…そりゃあ、やたら用意周到過ぎねえか?最初から狙ってたんじゃねーのか?

「ちょっと、何で道着なんか、わざわざ…。」
 あかねも焦って声を張り上げた。
「いやあ、今日は、模範演技を皆に披露してもらおうと思っていたんだよ。ほら、最近乱馬くんも忙しくて殆ど二人で手合わせしておらんおだろ?
 折角だから、ここの園児たちにも、無差別格闘がどんなものかを、見せてやりたくてな…。ははははは。」
 と道着をあかねの前にぶらつかせた。
 恐らく、おじさんは、俺があかねが喧嘩別れしたまま、海外大会へ出たことを、それなり父親として気にしているに違いなかった。

「わあ、あかね先生も道着を着るの?」
「ねえねえ、お兄ちゃん先生とどっちが強いの?」
「いいなあ…。」
 園児たちは一斉に色めき立つ。

「折角だからあかね先生、乱馬先生、模範演技をお願いします。」
 園長先生が丁寧に頭を下げたのだ。無視はできまい。
 あかねは、はあっと溜息を吐いて、渋々その申し入れに同意した。
「わかったわ。じゃあ、着替えてくるわ。」
 あかねは軽くそう言って出ていった。



三、

「私、あかね先生の演技を見るのは初めてなんですよね。」
「っていうか、早乙女乱馬さんの雄姿が生で見られるなんて、感激です。」
 脇でさっきの若い先生たちが俺に耳打ちしてきた。
「あかね先生もけっこう強いって園長先生は言ってらしたけど…。そうなんですか?」
 と口々に尋ねてくる。

「あかねですか?そりゃあ、勿論、強いですよ。」
 俺は嬉しそうに、すぐさま答えた。

 彼女は強い。そう、強くて美しい女流格闘家だ。
 身体に似合わない程の剛腕を持っている。華奢そうに見えて、実は豪快な闘争本能を持っている。
 溢れだす、勝気さ。

 喧嘩別れしたままにも関わらず、あかねと対戦できる嬉しさで俺の頭は一杯だった。心から湧き上がってくる衝動を俺は抑え切れなかった。

 俺たちにとって組み手はデートにも勝る大切な時間だった。いわば、大事な対話の場でもある。言葉をかわさなくとも、組み合っただけで様々な事が、お互いに手に取るようにわかるからだ。
 
 俺たち二人は、喧嘩したままだ。まだ、氷解してねえ。あかねが、どんな身体の対話を仕掛けてきやがるか、興味を引くじゃねーか。攻めか、守りか、詫びか…それとも喧嘩腰か。

 …まあ、だいたい、想像がつくがな…。

 あかねが道着に着替えて来るのを待つ間に、親父たちは、ギャラリーの園児や先生たちを、うんと後ろへ下がらせた。
 俺たちの組み手は激しいから、観客席が近いと危険が及ぶかもしれないからだ。

 ホールの長いほうの二隅へと別れて、みんなは膝を組んで座らされる。いわゆる「体操座り」という座り方だ。
「この線から前に出ちゃダメだよ。」
 と縄を引っ張りながら、おじさんが園児たちに注意喚起する。立ち入り禁止の結界のようだ。


 あかねは入口から、すくっと現れた。
 凛々しい道着姿。俺と同じく黒帯を締め、凛と見詰めてくる視線は美しくも情熱的だった。帯を締めたとき、きっと、気合いも入れてきたのだろう。

 俺は待ってましたとばかり、にっと笑ってゆっくりと立ち上がる。

 対するあかねは笑わない。にこりともしない。兄弟たちよりも激しい気迫で俺をやぶ睨みして来やがる。

 と、話し声が止んだ。

 そう、勝負は対峙する前から既に始まっていた。俺とあかねは互いの激しい気合を、組み合う前からぶつけ始めていたのだ。互いの気迫に飲まれまじと、気焔を吐き付ける。

 本能的に園児たちは、俺たち二人の只ならぬ気合に圧倒されたようだった。
 水を打ったように、辺りは静まり返った。

 早雲おじさんが立会人役を務める。
「両者、礼っ!」
 その声を合図に、二人向き合って…いや、睨みあって、一礼する。
 そして高らかに勝負の始まりを宣言が下された。

「では…始めっ!」

 その言葉を聞き終わるや否や…のタイミングで、いきなり、あかねは俺めがけて突進してきた。

「でやあああっ!」
 最初の一撃は、蹴りから来た。
 無論、俺は、ギリギリの間合いでひょいっと避けた。

 バシッ!と板の間が弾ける音。

 うへえ…相変わらず、おっかねえ…。幼稚園の講堂をブッ壊す気か?こいつは…。

 と、返す間もなく、あかねは俺へと、攻撃を立て続けに仕掛けてきた。

「おっと!」
 俺は、あかねの拳を、左手で軽く受け流す。

 たく…相変わらず、勝ち気でやんの。というより、喧嘩腰だな…。
 やっぱ、この前の喧嘩別れのこと、相当根に持ってやがるな…。

 あかねの、激しい気迫の攻撃に、園児たちが興奮し始める。
 人間の闘争本能というものに、火を灯したのだろうか。しかも、果敢に攻めるのが、いつも、自分たちを優しく見守ってくれる先生だから、余計に、応援に熱が入る。

「あかねせんせー、がんばれーっ!」
「行け行けーっ!」
「お兄ちゃん先生なんか、たおしちゃえーっ!」

 多目的ホールは、お祭り騒ぎ。
 
 俺は俺で、全く動じす、仕掛けられて来る攻撃を、すべて、紙一重でかわして見せる。余裕綽綽の俺の表情が、余計に彼女の琴線に触れるのだろう。

(何よっ!あんたなんかっ!)
(かわいくねーな、相変わらず!)
(かわいくなくて、悪かったわねっ!)
(悪いなんて、一言も言ってねーだろ?)
(そうよ、悪いのはあんたの方なんだから!)
(ったく…、ヤキモチ妬きも大概にしろよ…。困ったもんだぜ…ったく。)
(誰があんたにヤキモチ妬いたってーのよっ!自惚れないでっ!)


 喧嘩腰の拳の会話。
 恋人同士の会話じゃねーな…。
 でも、それが俺たちの流儀だから仕方が無え。

 この前喧嘩別れしてから、こいつ、本気で俺から一本取るつもりで、相当量の修行を積みやがったな。拳の鋭さや蹴りの激しさが短期間で相当増してやがる。
 息もまだ途切れねえ。ってことは持久力も相当つけたということだ。
 こりゃ、侮れねえぜ…。下手に手を抜くと、こっちがやられかねねえ。

(ぜーったいにあんたから一本取ってやるんだからっ!)
 勝気な瞳がそう言いながらギラギラと輝いている。
 ほんと、かわいくないぜ…。
 ま、俺も今更「可愛げ」をあかねに求める気なんてさらさらねーけどよ。
 俺に煽られるままに、拳や蹴りを打ちこんできやがる。単純な奴だぜ…。
 だが、さっきからあかねが不敵に微笑むのを俺は見逃さなかった。
 俺は世界を股にかける格闘家だ。あかねが何となく何かを仕掛けようとしていることに、すぐさま気がついた。

(もしかして…こいつ…。)
 その予感が現実になるまで、時間はかからなかった。
 そう、あかねは己の気を利き腕の右手に集め始めていることに気がついたのだ。彼女の気の流れが変わった。

 気技をかけるつもりかよっ!

 半年ほど前から、あかねも小さいながら気弾を少し打てるようになっていた。勿論、俺から見れば取るに足らない小さな気弾だ。犬ころを倒すのがやっとなくらいの破壊力しかねえ。
 でも、真面目に修錬していたとしたら…。
 
 ゴクンと俺は唾を飲み込んだ。

 気技のコントロールは難しい。下手に打つと周りを巻き込んじまう。
 そんな危ないもん、ここでぶっ放す気か?このじゃじゃ馬は…。

 俺は慌てた。
 だが、目の前のじゃじゃ馬はそんな俺の危惧などてんで気にしていない様子で、一気に己の気を高めて行く。

「でやあああーっ!」
 そう気焔を吐きだすと、バッと身構え、床を蹴って空へと舞い上がる。

「ば、馬鹿っ!こんなところで気弾を打つなーっ!」
 俺は叫んだ。が、そんなことで止めるような奴じゃねえ。向こう見ずは相変わらずだ。
 あかねはこれ見よがしに俺目掛けて気弾を打ち下ろして来る。それも、相当量の気弾だ。

「くっ!」
 俺は下からはっしと睨みあげると、瞬時に高めた己の気をあかねの放った気目掛けてぶちかました。

 ドオンッ!

 爆裂音がして、互いの気がぶつかって消えた。爆裂音だけが鳴り響き、気の炸裂は無かった。
 園児たちは叫び声をあげることも忘れて、勝負の行方に見入っている。

 強すぎてもいけねえ、弱すぎてもいけねえ。あかねの放った気と同等量の気技で打ち返さなければ相殺できねえ。
 普通の格闘家の腕ならそんな芸当はできねえだろうが、気技のスペシャリストとしての自負がある。それを瞬時にやってのけてみせた。
 無論それだけでは終わらねえ。ここで気を抜くと、負けだ。確実に勝利をとりにいってやる!
 返す手で俺は、電光石火、攻撃に打って出た。
 無論、園児たちの手前、手荒な真似はできねえから、軽くフワッと、一発、気弾をあかねへと解き放った。
 こういう場合、あかねの敵愾心を根こそぎ奪ってしまわねーと、危なっかしくって厄介だからな…。

「きゃっ!」
 小さな悲鳴と共に、あかねの身体が舞い上がる。
 俺はすかさず手を差し伸べて、余裕で彼女の身体を受け止める。

 ドサッとあかねの身体が腕の中へとすっぽり収まる。そう、空へ舞ったあかねを、お姫様だっこしてやったのだ。これみよがしに…。

 シンと静まるギャラリー。

 身体を固くしたまま、そっと目を開く、勝気なお姫様。その、不安げな瞳と俺のいたずらな瞳が混じり合う。

「すごい、お兄ちゃん先生、あかね先生を抱っこしちゃったー。」
「王子様とお姫様みたいだーっ!」
 こういうことは女の子の方が、ませている。
 きゃあきゃあとはしゃぎ始めた。

 あかねは…というと、俺の腕の中で、固まっていた。案の定、俺の急襲に、どうリアクションを取って良いのか、全く我を見失っている。

「勝負あったな…。」
 俺はニッと笑って腕の中のあかねを見た。
「まだ負けてないわよ…。」
 あかねは一言そう投げた。顔が少し赤らんでいる。


「ま、この場合、乱馬君の勝ちだね。」
 審判の早雲おじさんが、俺の勝利を宣言した。

「どうして?」
 まだ、納得がいかないのか、あかねが食ってかかろうとする。
「だって、乱馬君はあかねの気を相殺した上、まだ攻める余裕がある…。が、あかねはあの気弾が精一杯なんだろ?
 ここは、園児たちの手前、素直に負けを認めなさい。」

「へへ…審判がそう言ってるんだから…俺の勝ちだ。素直に認めな…。」
 と耳元で囁く。
「わかったわよ。」
 渋々そう言って、俺の腕の中からするりと抜け去った。


 対戦直後から園児たちの俺を見る目が少し変わった。
 気技を軽々と打って見せたのだ。しかも、園内で一番強いだろうあかね先生を、いとも簡単に打ち負かしてしまった。ある意味、センセーショナルな出来事だったに違いねえ。

 双子の悪ガキも、俺の気技には仰天した様子だった。無差別格闘流の門戸を叩き、あかねの強さを間近で見ている奴らだ。双子の師でもあるあかねに勝ったのだ。しかも、ぶっちぎりの圧勝だ。
 あかねの強さは、園児たちの中では奴らが一番知っているだろうし、少しでも無差別格闘流に入門して、武道をかじった彼らなら、気技がどのくれえ難しいか、幼いながらも理解しているに違いねえ。

 少しは憧憬の瞳を傾けるようになったかな…。
 これが、無差別格闘流天道道場、筆頭の、いや、無差別格闘技世界ナンバーワンの俺の実力だ。

「皆、凄かったわねえ…。あかね先生も頑張りました。でも、負けちゃったね。」
 園長先生がそう言いながら、園児たちへと語りかける。
「この早乙女先生は、無差別格闘技の世界チャンピオンなんですよ。これからも皆で応援してあげてくださいね。」
 少し照れながらも、俺はペコンと園児たちの前で頭を下げた。
 その後は、園児たちに囲まれて、いろいろ質問攻めだ。

 どうやったら、さっきの技が打てるのかとか、強くなるにはどうしたら良いのか…とか。あかね先生が好きなのか…とか結婚するのか…なんて、突っ込んで来るおませさんも居て、返答に困ることもしきりだった。ま、子供の好奇心は底を知らねーしな。
 親父たち共々、園児たちが帰る時間まで、ゆっくりと園内で子供たちと遊んだ。お迎えに来た、徒歩組のお母さんたちも、目敏く俺を見つけては、みんな記念にと写メっていった。
 一応、格闘技の世界じゃあ、名前と顔が売れている俺だ。
 一種のサービス精神、大盤振る舞いだな。
 無差別格闘の人気をこういうところからあげて行くのも、俺の大事な仕事のうちさ。



 帰り道。
 あかねと一緒になった。あかねが仕事を終えるまで、結局は園内にとどまっていたのだ。
 親父たちは気を利かせたのか、俺たちを二人きりにして、さっさと行ってしまった。
 
 あかねはというと、全く口を開こうとしない。への字に結んだまま、すっかり日暮れた道を、肩を並べたまま黙って歩いて行く。
 雨はすっかり上がっていた。が、水たまりが所々に出来ていた。

 たく…、相変わらず可愛くねえな…。

「まだ、ヘソを曲げてやがんのかよ…。」
 仕方がねーから、俺の方から声をかける。
「別に…ヘソなんか曲げてないわよ…。」
「じゃ、何でむっつりを決め込んでやがんだ?久しぶりだってーのによ…。」
 つい、愚痴っぽくなる。
「どうせ…可愛くないって思ってるんでしょ?」
 と突っ返して来やがった。
「おまえだって思ってるだろ?乱馬の馬鹿って。」
「だったらどうなのよ。」
「だから、おあいこでいっ!」
 そう言って、人差指でチョコンと額を突っついた。
「もう、何すんのよっ!」
 と、ふくれっ面。
「へへっ!油断してるおめーが悪いっ!」
 そう囃したてる。


 互いに天邪鬼なところは、昔と変わっていない。
 愛の語らいが、喧嘩腰になっちまうところなんかは…特にだ。

 そうさ…それが、俺たち二人の、愛の形だ。

「でも…。別に俺は、おめーに可愛らしさなんて求めてねーからな…。期待したところで…だから。」
「何よ、それ。」
「文字通りだよ。可愛げのねえ女と馬鹿な男…。それで良いんじゃねーのか?」
「乱馬って、馬鹿なの?」
 と大真面目に聞き返してきやがった。
「ああ…可愛げのねえ女にベタ惚れなんだから、大馬鹿なんだろーぜ、きっと…。」
 そう言って、やおら握った手。
 ふっと触れる、柔らかな唇。軽いキスをあかねからもらった。
 あかねは、そのキス一つで、穏やかな表情になった。もちろん、かわいい。
 
 この手は離さねえ…。
 これからもずっと…喧嘩しながら、不器用な愛を育んでいこうぜ…二人一緒に…。
 キスに込めたささやかな願い。

 二人肩を並べる川べりの道。
 いつの間にか、暗くなった空から、お月さまが笑いながら、俺たち二人を見下ろしていた。







一之瀬的戯言
数年前の作文プロットからの転用完成品。
久しぶりに、乱馬がぐだぐだ言ってる一人称作文を一本、書いてみたかったので…。
この双子が絡む騒動記を書きたいと思って何年過ぎたっけ…。


(c)Copyright 2000-2013 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。