DARK ANGEL 8


第一話 学園都市ラグロス


一、

 人工太陽の光を受け、理路整然と立ち並ぶ、中層階の建物群。
 その間を縫って広がる緑の木々の輝き。都会の雑踏とは縁遠いほど、清涼感が溢れる都市だ。
 ここは、火星にある学園都市ラグロス。
 太陽系の星々には、数多の学園都市が点在するが、星域の中にある学都としては、火星のラグロス・シティーの規模は破格だった。

 ラグロス・シティーにはたくさんのハイスクールやユニバーシティーやカレッジの学舎が、所狭しと並んでいる。
 連邦創立の大学や私立の研究機関。軍関係の士官学校もある。また、ハイスクールも大小雑多に巡らされている。
 いわば、地球連邦最大の総合学園都市の規模を誇っていた。
 そんな学園都市も八月に入ると、人の数はグンと減る。
 七月にテスト期間と補習期間があり、それが終わると、一斉に夏休みに入るのである。
 時代が進んでも、学校は学校、そして、学生は学生。この時代、全ての学校は地球暦九月が一年の初めとなっている。地球暦八月は長い夏季休暇中ということになる。
 殆どの学生たちは、寄宿舎で生活しているため、夏休みに入ると、それぞれの故郷へと散っていくのである。
 寄宿舎だけではなく、当然、書く教育機関の施設もガランとしてしまう。

 埃(ほこり)一つないくらいに整備された空気。街の至る所に空気清浄機が置かれ、のべつ間なく浄化し続けている。最先端の研究機関は特に埃を嫌がるからだ。
 かえって息苦しくなるほどの清浄な空気の底では、落ち着かなくなるのは何故だろう。

「ここの空気、清浄なのは良いけど、きれい過ぎるのよね。ちょっと嫌味なくらいよ。」
 抜けそうな青空を見上げながら、愚痴っぽくなる。
 元々、ここ火星には空気は無かったが、他の惑星や衛星と同じように、人工的に大気を作り出し、管理されている。
 昇進のための特別研修に呼び出され、休暇を切り上げて、付き添いの姉共々ここへ来ていた。
 火星星域に来て、今日で丁度、五日目。

「あー、たまんないなあ…。」

 閑散としたとあるカレッジの広い構内を歩きながら、あかねが傍らのかすみに声をかけた。つなぎの薄桃色のパイロットスーツに身を包み、白い皮手袋をした手には真っ赤なヘルメットを持っている。典型的な宇宙パイロット系学生の訓練姿だ。
 かすみは一般女性のカジュアルな洋服。買い物籠を手に携えている。買い物帰りに、あかねと落ち合った。
 あかねが訓練している間、かすみは寝泊まりしている宿舎で主婦業に専念していた。掃除、洗濯、食事の支度。それらをこなし、疲れて帰って来るあかねのフォローをしていた。

「あらあら、珍しく弱気ねえ…。全日程は十日の予定だから、あと半分で帰れるわ。我慢なさい。」
 とかすみが鍋をかき混ぜながら言った。母親のような柔らかい物言いで、妹を嗜める。
「あと半分かあ…。」
 ふうっと長い溜息を吐きだした。

「で?今日のはどうだったの?その様子だと、何か失敗でもしたかしら?」
「ちょっと大きくミスっちゃった。」
 かすみの問いかけに、あかねはそう答えて、ペロンと舌を出した。
「どんなミスをしたのかしら?」
「うん…。迎撃砲を避け損ねて、ミルキーホース号のドテッ腹に傷を作っちゃったわ…。空砲の破片が運悪く、ボコッ…ってね。」
 珍しく神妙にあかねはうなだれて見せる。
「あらあら、じゃあ、大変じゃないの?」
「まー、突き刺さったのは、小さな欠片だったから…。でも、早乙女教官に、『あかね君。これが爆弾だったら、そんな小さなへこみだけではすむまい。』…って突っ込まれたわ。」
 と身振り手振りで話す。
「そうねえ…素粒子爆弾でも喰らったら木っ端微塵ですものね…。」
 かすみが、にっこりと微笑む。
「そーよねえ…。実戦だったら、死んでたわね…。」
 がっくりと頭を垂れる。

「訓練はあかねちゃんにはきついかしら?」
 かすみは尋ねて来た。

「きつくはないわよ…。研修訓練メニューなんて、乱馬のしごきメニューに比べたら、屁じゃないわ。」
 あかねは、即座にその問いかけに答えた。
「そう?昇進に伴う特別研修って、きついって評判だわよ。」
「あれがきつかったら、乱馬のしごきメニューは地獄ね…。乱馬のしごき方って言ったら、あんなに生易しくないわよ。生傷も耐えないし、あいつ、任務中や訓練中は、あたしのこと、絶対に女扱いしないし…。宇宙の塵になりたくなかったら、このくらい耐えろ、ですものねえ…。この研修メニューはきつくないんだけど…。」
「あら、じゃあ、教官はどう?早乙女准将は厳しくないのかしら?」
 とかすみが、興味深げに問いかけた。
「うーん…。ちょっと早乙女准将は乱馬とは違う厳しさとでも言うのかなあ…。厳しいことは厳しいんだけど…。乱馬ほど直情的じゃないっていうか。あ、もちろん、甘やかされてるって感じは全然ないわよ。」
 とあかねは答えた。


 そう。今回のこの研修。あかねを担当している教官は、なんと、早乙女准将であった。つまり、乱馬の父親だ。
 乱馬の弁によると、育てた乱馬を天道ステーションに置き去りにした冷血漢、いや、「スチャラカいい加減クソ親父」。
 ラグロス・シティーに降り立って、研修にあてがわれた教室で、教官として対面した時は、正直、面喰った。
 まさか、乱馬の父が、自分の研修の責任者になるなど、夢にも思っていなかったからだ。

『やあ、久しぶりだね、あかね君にかすみ君。元気にしていたかね?わっはっは!』
 あかねたちの顔を見るや、親しげに話しかけて来た。
『あ…。早乙女准将…。何故ここに?』
 問い返すあかねに、
『君の研修を担当することになった…という以外に、ワシがここに居る理由などないよ。』
 眼鏡の奥で、鋭い瞳が光り輝く。
『あたしの研修ですか?』
『ああ。君が息子の許婚だろうが、親友の娘だろうが、一切、容赦はしないから、十日間、頑張ってくれたまえ。わっはっは。』

 そう。あかねは玄馬の親友、天道早雲の娘にして、己が息子の許婚。
 普通に考えれば、えこひいきという私情が入り易いこのような教官の配備など有り得ないだろう。一体、どういう巡りあわせで、玄馬がこの場に居るのか。
 何かしらの力が働いているのではないかと感じたあかねだが、えこひいきされる理由もないだろうと、瞬時にうち消した。

 乱馬の父が研修の教官…という、妙な緊張感の中、開始した研修は、メニュー自体は、そうきつくなく、乱馬とコンビを組み立ての頃、彼に指導を受けた内容に比べると、楽勝の部類に入っていた。きつい身体能力を高める訓練をするでもなく、飛行術、操作術、ナビゲーション術、戦闘術…。どれを取っても、通り一辺倒の無難な研修メニューであった。
 が、教官の玄馬自身は、決して甘くは無かった。乱馬ほど直情的なきつい言葉は飛んでは来なかったが、遠まわしに、もっと修練をしなければダメだという含みの言葉を、何度かかけられた。


 実戦戦闘訓練で、愛機のミルキーホース号のわき腹に迎撃砲を食らってしまったときだけは、やれやれという顔を向けられてしまい、さすがのあかねも、シュンとなってしまった。

 あかねは、己の失敗シーンを思い出しながら、また、溜め息を吐きだした。




二、


 今日の実習訓練は、前半部の締めくくりということで、ミルキーホース号を使っての宇宙での迎撃訓練であった。
 長丁場の研修。一応、五日目を過ごしたところで、一日の休日があった。

 あかねは、己の任務艦である「ミルキーホース号」でこの学園都市へとやって来ていた。
 大方の任務は、乱馬が天道基地へ持ち込んだ最新鋭機「ダークホース号」でこなす事が多かったが、彼が来る前はこのミルキーホース号を駆って宇宙を駆け巡っていたあかねだ。それなり、この船に愛着もある。
 それに、父親が言っていた。このミルキーホース号は、あかねの母が父と結婚したとき、結納代わりに持って来た船だという。結納に当時最新鋭の宇宙船。それだけ名家の出自だったということだ。
 三姉妹の中で、パイロットコースを選んだのはあかねだけだ。かすみは作戦コーディネイト部。なびきは諜報部。故に、あかねがこのミルキーホース号を受け継ぐ形となった。


 バルルルルル…。ガガガガガ…。ズドドドド…。

 ゴーグル眼鏡の先に、無数の光が点滅する。
 右手に握った銃火器のスイッチを連打しながら、レーダーを右往左往見詰めながら、縦横無尽に撃ち尽くす。
 モニターが、終了宣告の画面を流して来た。
 エンドマークが赤く張り出される。

(ふうう…。)
 あかねはため息を吐き出して、持っていたスイッチから手を離した。

 画面は一転、70パーセントという数字がはじき出された。
 傍で、玄馬の顔が、苦笑いを浮かべていた。
「すいません…。」
 あかねは思わず謝っていた。

 本日のメニューは銃火器を使いながらの飛行訓練。
 シュミレーション訓練ではなく、一応、実地。操縦桿を握りながら、迎撃をかわし、破壊砲弾を駆使して飛び続ける訓練だ。
 一通り、飛んだところで、狙い定めた標的の総合得点は70パーセント。つまり、七割しか破壊出来なかったことになる。

「ふむ…。可も無く不可もないごく普通の命中率じゃなあ…。普通の訓練生なら申し分も無い、及第点なんじゃろーが…。」
 玄馬はあかねへと厳しい言葉を投げつける。
「いかんせん、君は一応、腐っても特務官だからねえ…。せめて八十パーセント代にはのせてもらわんと…。」
「すいません…。」
 そう言いながら、あかねは俯いた。
「今のデーターを分析するに…。連打を要するところのポイントが特に命中率が下がるね…。構えてから打つまでの間のタイムロスが連打が続くと、顕著に長くなっている。ということは、ズバリ…瞬発力はあれど、持続力が弱いということになる。君の欠点だね。」
「はい。」
「一つ狙いを定めて撃破すると、自然に気が抜けて、そこに油断が生じる…そんな傾向があからさまだよ。」
 玄馬の指摘は的を射ている。

『集中力を上げろっ!警戒心を解くなっ!攻撃と攻撃の合間を大事にしろっ!気を抜いて、油断してっと、やられるぜっ!』
 乱馬にも口をすっぱくして言われ続ける言葉だった。

「ま、ちょっと休憩といこうか…。」
 玄馬は、すっと操縦桿を握って、ミルキーホース号を訓練空域から少し離れさせた。

 
「今日の空港は、朝から、結構、賑わいがありますね。」
 フッと息を抜いて、あかねは玄馬へと声をかけた。

 夏季休暇中のラグロス・シティー。学生たちは夏季休暇で出払っている。
 故に、それほどの活気にはあふれていない。
 学生たちは、七月の中頃をピークに、一様に故郷へと帰って行く。
 これがあと、数週間もして、九月の声を聞く頃になると、また新入生ともども、飛び散った学生たちがまた戻ってくるのだが、まだ、その時期には少し早い。
 七月の後半から八月の初旬は、一年で一番、キャンパスが閑散とした時期になるのである。従って、空港周辺もあまり頻繁に宇宙艇の飛来が無い。
 現に、昨日あたりまでは、大型船など見かけなかった。
 なのに、今朝は、やたら、大型船の出入りが多いと思ったのだ。


「ああ…。八月に入ったら、学会シーズンになるでな。」
「学会…ですか。」
「このラグロス・シティーも例外ではないよ。ちらっと耳にした話では、いくつかの大きな学会がここ数日来に開催されるらしいから、研究機関の動きが慌ただしくなっているんじゃろうよ…。」

 あかねが乗船している、ミルキーホース号の脇を、いくつかの宇宙艇がすり抜けて行く。その誘導灯の淡い光を、ぼんやりと眺めながら、緊張をほぐす。
 青や赤、黄色のとりどりの誘導ランプが、船体のそこここに装備されていて、宇宙空間の闇に栄えている。

 視覚に入って来る、大型の宇宙艇の船影。ついつい、それに気を取られて、正直、集中力が途切れていた。さっきから、船体がいくつも集団でラグロス空港へと飛んでくる。ともすれば、気が散ってしまうのだ。

「まだまだ、修行が足らないなあ…。あれに気を取られているようじゃあ…。」
 怒鳴られないにせよ、明らかに苦言を吐きつけられる。相手が乱馬(相棒)の父親であるが故に、ますます、落着きを無くしてしまう。
 自己嫌悪に近いものを感じながら、椅子に深く腰掛ける。

「じゃあ、今度が本日最後の銃火器訓練だ。」
 十分たったところで、玄馬が言った。
「はい…。」
「難易度は、さっきより上げてあるからね。迎撃砲弾が空砲でも、避け損ねたら、船体に傷がつくよ。」
「はい。」
 再び、ゴーグルを装着する。そして、銃火器のスイッチを右手に握りしめた。

「GO!」
 玄馬が声を上げたと同時に、始まる砲撃。

 ナビゲーション画面を見ながら、必死で親指を押し続ける。

 ヒュンヒュンヒュン…ズドドドド…ガガガガガ…。

 光と共に弾け飛ぶ微かな炸裂音。
 次、また、次と、画面に現れる障害物。丁寧かつ迅速に、そいつに狙いを定めて打ち続ける。

 一つの飛行艇がすぐ上を優雅に飛んでくるのが見えた。ミルキーホース号とそう変わらない大きさの小型艇。
 と、ミルキーホース号の操舵音が一瞬、グンと上がったように思えた。
「え?」
 音に気を取られた、一瞬、隙が出来てしまった。

 目の前に青い光の矢が向かってくるのが見えた。。

「っと…回避っ!」
 あかねは咄嗟に操縦桿を左手に握った。
「くっ!」
 歯を食いしばり、右の銃火器のスイッチへと手を伸ばした。

 ズッキューン…。

 あかねの指先によって飛び出した赤い光が、すぐ傍のモニターで弾け飛んぶ。

 ズズーン…。

 次の瞬間、船底辺りから、鳴り響く音。
 明らかに、何かにぶつかった違和感が船体ごとあかねに突き抜けて来た。

「あっちゃー…やっちゃった…。」

「気を抜くなっ!まだ、戦闘は終わっていないぞっ!」
 横から玄馬の喝が飛んだ。
「はいっ!」
 あかねは軽く頷くと、次の攻撃へと転換させた。
 宇宙艇を翻して、襲い来る砲撃の最中へと突っ込んで行く。
「でやああっ!」
 右手を握りしめて、銃火器砲弾を連打する。

 ズドドドドド…ゴゴゴゴゴ…バキュンバキュン…。

 目の前の異物を破壊しながら、ひたすらゴール地点を目指す。

「ランニング・オーバー…。」
 宇宙艇のアナウンスが響く。そして、画面に、エンドマークが点灯する。
 続いて映し出されるアベレージ。八十二パーセントという数字が映し出される。

「今日の空間演習はここまでじゃな…。」
 モニターを見ながら、玄馬が言った。
「はい…。」
「さっきより命中率が上がったとはいうものの…最後になって、一発、迎撃弾を食らうとは…。」
「すいません。」
 あかねは瞳を落とした。
「これが訓練だから良いものを…。迎撃弾が空砲ではなかったら、下手をすれば今の一撃でドッカンだぞ…。」
「はい。」
「いかなる時も、集中力を切らしてはいかんよ…。まだまだ、特務官としては、訓練の余地があるね。相方の乱馬にも申し送りしておくよ。」
「わかりました…。」
「木星星域に帰ったら、奴にそのあたりを猛特訓してもらいたまえ。」
「は…い。」
 その言葉に、思わず、苦笑いが漏れる。

 乱馬の指導は、それはそれはハードなものだった。
 今回の訓練の比ではない。恐らく、彼は、研修報告を読むと、前以上に荒修業的な訓練を強いて来るだろう。容赦は無い。そう思うと、気が重かった。

「では、帰港するか。」
「はい。」
 あかねは、小型艇のドッグへと船首の向きを変える。

「で?今の最後の訓練、何に一瞬気を取られていたのかね?」
 玄馬が返す口で聞いてきた。
「あの船影です。」
 あかねは空港の手前の空域で、着陸指示を待つ小型艇へと視線を移した。
「どら…。」
 玄馬がモニターのスイッチを入れた。
「あの船がどうしたのかね?」
 玄馬があかねへと声をかけた。
「ちょっと…ダークホース号に似ていると思って…一瞬、気を取られたんです…。まさか、乱馬が来たんじゃないかって…。」
 モニターに映し出された船影はクリーム色に輝く。
「ふふふ…奴が心配して、火星まで乗り込んで来るとでも思ったのかね?」
「いえ…別にそういう訳じゃないんですけど…。」
 あかねは真っ赤に顔を熟れさせた。

「クリーミーホース号か…。」
 ふと、玄馬がつぶやいた。
「え?」
 あかねは不思議そうに玄馬を見た。
「あの船をご存知なんですか?」
 と言葉を投げた。
「あ…いや…ダークホース号に似た船影がクリーム色だからそう言ったまでのことじゃよ。色がまるで違うのに、ダークホース号と見紛うたのかね?」
 笑いながら玄馬が言った。
「そ…そうですよね。いくら乱馬でも、船体の色を塗り替えて来るなんて、馬鹿なことはしませんよね。」
 あかねもつられて笑った。


 半日も飛び続けると、もう、神経も体力もヘトヘトになる。

 が、研修は午後も続けられた。
 午後は、メンテナンスの講習だった。
 丁度、ミルキーホース号の土手っぱらに、空砲を受けたところだったので、修理を兼ねて、散々絞られた。
 
 あかねは、名うての不器用娘。いくつか苦手があるが、メンテナンスの実地は、何にも増して、超苦手だったのである。

「ははは…。相当な逆腕(さかうで)だね…。」
 玄馬が唸り声をあげたほどの腕であった。故に、修理どころではなく、道具の基本的な使い方から自習させられてしまったのである。
 当然、ミルキーホース号の土手っぱらの傷まで、手が回らなかった。
「明日は真ん中の休日だから…丁度良い。このテキストをあげるから、これを良く読み込んで来なさい。」
 と要らぬ、宿題まで貰ってしまった。



三、

「なかなか大変そうねえ…。」
 黙り込んだあかねに、かすみが問いかけた。

「まーね…。今日の体たらくに対して、後生にも、休日明けに、特別講師もちゃんと付けて、びっちりと、徹底的にメンテナンスの補講をしてやるってさあ…。」
「あら、良かったじゃないの。基礎から二日間で、みっちり教えてもらえて。」
 にっこりと姉が微笑んだ。
「そりゃあ、そうなんだけど…。」
 あかねは再び、長い溜息を吐き出す。
「それはそれで憂鬱なのよね。あたし、器用なほうじゃないから、船の機械メンテナンスがねえ…。天道基地(うち)じゃあ、専門のドッグ担当に任せっきりだから、基本作業ですら心もとなくって…。学校で習った事すら、忘れかけてるから、ちょとね…。准将が据えてくれる講師に何て言われるか…。それを思うと気が重くってさあ…。」
 はああっとあかねの口元から息が零れ落ちる。
「きっと、早乙女准将はあたしの勤務評定とか、不得意分野の分析とか、資料として持ってるんでしょうねえ…。」
「それはそうでしょう?軍としても、人の得意不得意はちゃんと分析して、適材適所で訓練しているんですもの。それがどうかしたの?」
「んー、何か、わざわざ、苦手な分野に特化して研修されているみたい…。」
 と、あかねは言った。
「あら、当り前でしょう?」
 かすみが驚いて問い返すと、
「何か、あの乱馬のお父さんだから、その傾向が顕著って言うか…。苦手を逃さないっていう意味合いからも、これ見よがしに、不得意分野をねちこく追及されているみたいな気分だわ…。で、二言目には、乱馬に報告しておくから、彼に鍛えて貰えって…。」
「まあ…。そんなことまで言われてるの?」
「うん…。帰ったら帰ったで、乱馬のしごきが待ってるかと思うと…ちょっとね…。」
 あかねは頭を抱え込んだ。

「頑張るしかないわね。恐らく、苦手の克服…それも、今回のプログラムの一つとして設定されているでしょうし…。」
 かすみがおっとりとあかねに対した。
「操舵法やナビシステムに関しては、乱馬がバッチリ目を光らせてるから、全然問題ないんだけど…。後方整備となると、任務で疲れ切っちゃうことが多いから、自分で機械を触ることもあんまりないし…。日頃、メンテをおろそかにしていたツケが回っちゃったわ…。ああ、嫌になっちゃう!」
 と、あかねは頭を抱えてしまった。

「まあ、じゃあ、早々に帰って、お夕飯の支度をしなくっちゃね。待ってて、御馳走作ってあげるから。」
 かすみが憔悴している妹と、宿舎になっている建物へと入って行く。


 宿泊所となっている、小さなカレッジの女子寮。
 あかねはパイロットスーツを脱ぎすてると、渡されたメンテナンスの基本について書かれた本を取り出して、ドサッとソファの背もたれに身体ごと投げ出した。

「天道基地(うち)の整備士がいかに優秀か、良くわかるんじゃないのかしら?」
 かすみが、夕食の準備をしながら、にっこりと微笑みかける。
「涙が出るくらい、ありがたみもわかるわよ。乱馬もあんまりドッグにこもる事はないみたいだし…。」
「あら、乱馬君だってドッグにちゃんと籠って整備しているわよ。」
 出来上がったシチューを皿に盛りつけながら、かすみが言った。
「え?あたしは、あんまりあいつがドッグに潜り込んでるところ、見ないわよ。」
 とあかねが声をあげた。
「そうね、彼自らドッグへ入らなきゃならないほど、船にオーバーワークさせた任務の後って、あかねちゃんはぐったりして、東風先生の医務室のベッドの上に横になってることが多いものね…。乱馬君が念を入れて整備していることを知らなくても、当然だわね。」
 コトンと皿を食卓に置きながら、かすみが答える。
「…じゃあ、もしかして、あいつもドッグに入り込んで、機械いじりしていることがあるの?」
 驚いたように身を乗り出してかすみに問いかける。
 コクンとかすみの頭が何度も揺れた。
「勿論よ。船は己の命を預ける大事な相棒だからって、任務の後は、結構、細かいところまでチェックしているみたいよ。整備士さんたちも乱馬君が入ってくると、ビリビリするくらい、厳しい指示も出して修理してもらってるみたいだし…。」
「へええ…。意外なんだあ。てっきり、乱馬ってそっち方面はやらないって思ってたから…あたし。そう、重い任務の後は、あいつ、ちゃんとダークホース号の世話してたんだ。
 はあ…。何か、そんなこと聞いちゃったら、頑張らないと駄目な気分になってきたわ。」
 ダメ押しのように溜め息を吐き出したあかねに、かすみは柔らかに優しく言った。
「人間。いろいろ得手不得手はあるから、身の丈で精一杯、頑張れば良いと思うわよ。駄目だと思ったら、早めにリタイア出して、補講を受けるのも一つの手でしょ?」
「まあ、そうだけど…。その分、帰還が遅くなるしなあ…。」
「帰還が少々遅くなっても、ちゃんと必要なら補講を受けなさいよ。」
 と姉らしい釘を刺してくる。
「そのつもりだけど…。でも、あたしが良くても、乱馬が我慢できるかしら。あいつ、あたしが居ないと、どうしていることやら…。」
 また、深い溜息があかねの口から零れ落ちる。

 これだけ離れているのだ。きっと帰ったら、途端、擦り寄ってくるだろう。
『あかね!居なかった間の分、清算させてくれよ…な?』
 と甘えてくるのは明らかだ。
 いや、それだけならまだしも、間が開くと、間違いなく、獰猛な獣になるのは目に見えている。若い分、情熱も行為も、すこぶる激しいのである…。相手する身の上とすれば、たまったものではない。


 昼間は、玄馬の報告書に基づいた乱馬の鬼のような訓練に耐え、夜は猛獣と化した彼に迫られる…まさに地獄である。



「それより、お腹、減ったでしょう?」
 にっこりと姉はあかねに微笑みかけた。
 実際、ただでさえ緊張感でどうにかなりそうなくらいドキドキしっぱなしの中、姉のかすみが一緒に来てくれていることは、ありがたかった。立会人という名目で、誰か上官が一人付くことになっていたが、父の司令官がかすみを選んでくれた事を、今更ながらに感謝していた。
 勿論、乱馬が一番付いて来たかったと思うが、彼だと緊張感は吹き飛ぶし、講義や試験に集中できないと、今回は思い切り外された。あかね当人より、乱馬はそれが不服らしく、出掛けまでかなりブウブウとぶう垂れていたが、付き添いが彼でなくて、今回は良かったと思っていた。

(乱馬ってわがままだからねー。こんなところでホイホイ求められたら、昇進なんてできないかもしれないし…。)
 が、居なければ居ないで、寂しいのも事実である。
 ここ数年、彼と離れたことは、数えるほどしかない。幾度か、人数割りの都合で、たまに、彼に置いてけぼりを食らわされたことはあるにはあった。が、一人で彼が出向くのは、彼に言わせると、本当に簡単な任務が多かったので、離れていても三日も経たずに帰還してくる。
 ゆえに、こんなに長い間、パートナーシップから離れていることは珍しい。いや、彼が天道基地へ来て以来、初めてでもあった。

「やっぱり、乱馬君が居ないと調子狂っちゃうかしら?」
 かすみがあかねの顔を覗き込んだ。
「べ、別に…。そうでもないわよ。」
 と慌てて繕う。
「あかねちゃん、乱馬君がうちに来てから、ずっとべったりだったものねえ…。それに、彼とのパートナーシップを続けるために、今回、ここまで来ているんだから、気を引き締めて最後までプログラムをこなしなさいよ。」
 とかすみが笑った。
「うん。頑張るから、明日は、お姉ちゃんの煮物が食べたいわ。この頃じゃあ、基地の台所へ立つ機会も激減してるから…。」
 と甘えん坊の妹の顔に戻る。
「じゃあ、明日は和食を作ってあげるわね。」
 姉の手料理は逸品だった。家族揃って軍属へ下る前は、良く、こうやって食事を作ってくれたものだ。このご時勢、ともすれば、固形物さえ満足に喉元を通らないことが多い。宇宙空間に何日間も任務で放り出されるときは、飲み物とサプリメントだけという無味乾燥な食事ばかりの日も続くことがあった。食への欲は宇宙時代になっても、不変であった。
「昔は、よくこうやって、お姉ちゃんにいろんなリクエストして、食事作って貰ってたなあ…。」
 懐かしげにあかねが呟いた。
「そうね…。最近じゃ、私も忙しくなっちゃったから、作る暇が殆どなくなっちゃったものね…。ごめんなさいね。」
「謝らなくても良いって…。乱馬が家に来て、来る仕事来る任務がかなりハードになったから仕方ないじゃん。」
「いつになったら、任務に就かなくて、家で食事だけを作っている至福な時代が来るのかしら…。」
 家庭的な志向の姉は、本来は軍属になど向かないのはわかっている。それでも、父や妹たちと一緒に居たいからと、任官を望んだ長姉。民間の寂れた惑星間運送会社というのが天道基地の隠れ蓑。しかし、その実体は特務官基地。さすがに、かすみは後方担当であったが、それでも、戦火が訪れれば、進んで武器を持つに違いない。
 特に乱馬がやってきてからは、本当に難しい任務が多くなっていた。
 修羅場を何度も潜り抜けてきた彼によれば、それでもまだまだ甘っちょろい任務ばかりだというが、命を張る緊張感が天道家の上を去来しているのも事実だった。

「食事終わったら、ちょっと、ミルキーホース号のところへ行ってみるわ。やっぱり、補講でも食らって、帰還が遅れたら、乱馬が暴れださないとも限らないし…。ちょっとでも自分でメンテナンスしておくわ。」
「あら…明日の休日にチェックすればよいのに…。」
 かすみが問いかけた。
「休日前だから多少無理できるしね。できたら、今日のことは今日中に解決の糸口を見つけておきたいし…。」
「精が出るわねえ…。はい、食後のコーヒーくらい飲んでいきなさいね。」
 トンとかすみは珈琲カップを机上へと下ろした。




 ミルキーホース号は学園都市の中の工作類関係学問を履修するエリア。そこのドックに格納されていた。
 寄宿舎からは一人乗りのスクーターで数分。歩いても十分ほどの距離だった。

 一応、任務の都合上、軍属というのを表沙汰にできないから、周りには軍属であることは伏せている。普通の聴講生の一人として紛れ込み、学校の一角を借りて、昇進講習に勤しんでいた。
 ゆえに、彼女を教唆し、補習する人間も、軍属ばかりではない。
 恐らく、昼間の玄馬の口ぶりだと、宛がわれる予定の特別講師も、あかねが軍属だという素性は知らされないに違いない。

 繋ぎの薄桃色の作業着に着替えると、ミルキーホース号を曳航してあるドッグへと向かった。片手には「宇宙小型艇整備マニュアル」という冊子を抱えている。
 玄馬に貰った副読本だった。
 ペラペラとめくってみると、確かに、懇切丁寧に素人に毛が生えたくらいのあかねにもわかるように書き記されていた。


 日は既に翳っていて、空は暗くなっていた。
 が、眠らない学園都市は、煌々と電気を煌かせていた。
 研究施設は二十四時間、不夜城の如く、夜空へと浮かび上がる。
 夏季休暇中でも、研究機関は不休だ。
 ミルキーホース号を停泊させているドッグには、彼女の船だけではなく、たくさんの小型艇が停留していた。技術系学生の自前の船もあれば、どこぞの軍から引き上げられてきたオンボロ船まで、様々な形の小型宇宙艇が所狭しと並んで停泊していた。
 あかねは、マニュアル片手に、船をチェックを開始する。
 中型の司令室としてもはめられる型の宇宙艇でもあるミルキーウエイ号。いわゆる、コクピット分離型と称されるタイプの宇宙艇であった。

「やっぱ、かなり、傷がついちゃってるうー。」
 はああっと腹部を見て、あかねが溜息を吐き出した。

 きれいな船倉に似つかわしくないほどの凹みがそこにはあった。昼間の実技訓練時に、誤って小惑星の欠片へとぶつけた傷跡だった。
 迎撃訓練で、木っ端微塵に打ち砕いた筈の小惑星の欠片が、思い切り腹部へとぶちあたったのだ。あっ、と思った時には、既に手遅れ。コツンと嫌な音が腹下を掠めていった。

「駆動系統へ異常はないほどの凹みだから良かったけど…。あー、まだまだ操縦も下手糞だなあ…。あたし。」
 がっくりとうなだれる。

 普通に空を飛ぶときはあかねが操縦することも多々あったが、戦いの際は殆ど乱馬が操縦桿を握っている。スピードと正確性を要求される任務時は、ほぼ、彼が操縦の主導権を握っている。
 乱馬の操縦桿さばきは、横で見ていても目を見張るほど素晴らしい。その集中力と技術力は、地球連邦軍内でも、ピカイチだろう。
 特に、自艇「ダークエンジェル号」を駆る時の彼は、鬼神にも勝る動きであった。 
 細心の注意をして飛ばなければならない小惑星群の中も、彼の手にかかると、ちょろい物だった。プロの宇宙グランプリレーサーさながら、素っ飛ばして平気で飛んで行くのだ。

「まだまだ、乱馬の足元にも及ばないなあ…。」
 ふうっと溜息を吐き出していると、隣で声がした。


「天道さん?…ねえ、あなた、天道さんよね?」

 急に名前を呼ばれて振り返る。

 と、つぶらな女性の瞳が、自分を見据えているのと視線がかち合った。
 途端、脳内はフルスピードで対する女性の情報を求めて、回転を始める。
 
「…もしかして…。リナ?」
 見覚えのある顔に、一つの結論が灯った。

「そう…あたし、リナ…。やっぱりあかねだったんだ。」
 彼女の瞳がにこやかに笑った。

「こんなところで会えるなんて…。」
 あかねも感嘆の声をあげた。
「そーよね…。ハイスクールの中等科編入以来ですものね…。元気だった?」
 共に手を取り合い偶然の再会を祝福しあった。

 この再会が、新たなる禍をもたらすものだとは…あかねにも予測は不可能であった。




つづく




 書き出しを修正すること、数度目…。
 後は乱馬をどのタイミングで登場させるか…実はまだ、悩んでいたりして(汗