◇星河夜話


第七話 真実


一、

 用を足して戻ってみると、なびきはその場に沈んでいた。
 傍のソファに突っ伏して、そのまま、健やかな寝息をたてて眠っている。東風は、テーブルに伏したまま、これまた幸せそうに微笑んで眠り続ける。

「ちぇっ!やっと寝がやったか…。」
 
 持って来た日本酒をトンと脇に置く。一升瓶ではなく、ハーフサイズの瓶だ。「本醸造」と仰々しくラベルに書かれている。この時代には珍しくなった、手造り酒だ。
 彼が日本酒を取るのは珍しいかもしれない。決して嫌いなわけではなかったが、五臓六腑に染み渡るこの米の酒には、特別な日にしか、手が伸びなかった。いや、杜氏(とうじ)そのものが珍しくなったこの時代、本格的な日本酒を口にする機会は滅多になかった。それだけに貴重な酒かもしれなかった。
 この前のエララ星騒動。あの星をそそくさと離れる前に、みやげ物店で見つけた代物だ。この時代も商魂はたくましく、観光星には免税店が立ち並び、それを目当てに客が集ってくる。そんな中にポツンとショウウインドウにあったのを手に取ったのだ。短い時間に、天道ステーションへの土産物を漁るあかねを尻目に、己のために数本、酒を購入したが、その中にこいつはあった。
 
 ワインをしこたま飲んだ後だが、己の身の上語りですっかり咽喉が渇いていた。
 辛口の透明な酒は、まったりと口の中に広がる。
 日本酒はサムライの酒だ。彼もあかねもアジアン・ジャパニーズ。他のどの酒よりも、日本酒が一番、口に合うような気がしてくるから不思議だ。盃と呼ばれる専用の小さな漆器。漆黒の瞳を透明な甘露に映し出しながら、ゆっくりと口に運ぶ酒。
 こうやって、静かに飲む酒は、ストレスで強張った心を少しずつ溶かしてくれる。あかねが傍に居ない隙間を、酒は埋めてくれるような気がした。

「全く…。なびきの奴、しち面倒臭いもん、仕込みやがって…。」
 テーブルの上に、七夕飾りに紛れて転がっている「嘘発見器」を見ながら、ふつっと言葉が漏れた。
「にしても…。やっぱ、飲んでやがったか。こいつ…。」
 ごそごそっとなびきの袂から、薬のビンを探り出した。「抗酒剤」。そんな妖しげな言葉が見える。
 アルコールを瞬時に分解して血液を正常に戻す薬。そういったところか。
 こいつを飲めば、酔いにくくなる。また、その分、潰れにくくもなる。乱馬やなびきたちのような「エージェント」には、任務を遂行する上で欠かせない薬の一つである。勿論、乱用すれば、少なからず生体に影響が出るだろうから、そう使用頻度は高くない。
「やっぱ、処方してもらったんだろうな…。東風先生に。」
 傍らで眠り込む二人を見比べながら、乱馬はまた一口、芳醇な酒を口元へ運ぶ。
「でも…。俺と飲み勝負しようだなんて…。無謀も良いところだぜ。てめえらとは渡って来た修羅場の数が違うからな…。」
 そう言いながら笑った。
 一番年下であるにも拘らず、この二人には想像だにできないほどの経験を積み上げてきた。その余裕の微笑みが浮かび上がる。
「しっかし…。こいつには難儀したぜ。」
 そう言いながら、己に繋がれていた機械を取った。「嘘発見器」。なびきはそんな事を言っていた。心の動きに対して起こる血圧や体温、発汗具合、そんな身体の微妙な変化を察知して、是非を問う、そんな機械なのだろう。
「ったく、俺が一流のエージェントだってことを忘れてるよな…。」
 と、また、にんまりと微笑む。
 そうだ。数々の修羅場を潜り抜けてきた乱馬にとっては、己の体調の微妙な変化を整えることなど、造作も無いことだった。一種の「自己催眠」をかけて、心の微妙な変化すら、コントロールしてしまう。そんな「超力」を持っていたのである。
「へへへっ。こっちもアルコールでかなり満たされてたからなあ…。こいつのクセをつかんでセーブできるようになるまで、思わず時間がかかっちまったけどよ…。」
 なびきの持っていた鍵を手に、機械を取り外した。カチッと音がして、腕から離れ落ちる。

「ま、今まで話して来たことが、全部嘘ってわけじゃねえけどな…。俺の過去なんざ、生臭い話ばかりだから、酒のあてにもなんねー…。
 それに、俺とあかねの大切な思い出は、他人に吐露するには、勿体無えんでな…。悪く思うなよ。」
 ふうっとまた、溜息を吐く。
 さすがに、しこたま飲んだ。そのせいで、アルコールに対して相当な耐性を身に付けていた己でも、ほろ酔い気分だ。

「それに、あの後、本当の修羅場が待ち受けてたんだ…。レースは中断になったがよ…。
 第一、おめえのあの妹が、そう簡単に引き下がると思ったら大違いなんだぜ…。おめえと同じ、熱い天道家の血が流れてやがんだから…。」
 ふふっと乱馬は、笑った。

「あかね…。」

 今、傍に居ない彼女の名前を呼びながら、すっと、窓ガラス越し、暗い宇宙空間を眺めた。
 数多流れる小惑星群。その向こうに広がる、無限の大宇宙。
 酒のせいだろう。らしくなく、あの時の真実の記憶が巡り始める。


 忘れ得ないあの日の記憶。
 それが、酒に混じって、脳裏へ蘇る。

 そうだ。
 キース・アンダーソンは、右京の子飼い、つばさと小夏に小惑星爆破を指示すると共に、Dポイントアルファ108星を離脱したのである。
 さっき、なびきに話したように、己と共にあって、あかねと右京の勝負を、最後まで見学していたのではなかった。右京の敗北が濃厚になると、逃げたのだ。

『けっ!つばさと小夏をけしかけといて、てめえはトンズラかよ。』
 乱馬はキースへときつい言葉を投げかけた。
『ああ…。さすがに、この小惑星群と心中するつもりはないんでね。』
 そう言いながらキースは再び、重装備宇宙服へと身を固める。
『最後まで見物していかねえのか?根性がねえ奴だな。』
 乱馬は動かぬ身体を差し向けながら、忌々しげに言った。
『僕の肩の上にはウエスト・エデンのエージェントたち数百名の浮沈がかかってるんでね。それに、見物は離れたところからでもできるだろう?』
『フン!己は危険から回避するってのか。やっぱ、ウエストの幹部ともなると、ずる賢くなるんだな。』
『君がウエストへ来ると言うのなら、一緒に退散させてあげるんだが…。どうだね?まだ、その気にはならないかね?』
『この状況でイエスと言えるほど、臆病者じゃねえんだ。俺は。』
 乱馬は苦虫を潰したような顔で、キースを省みた。幾分、キースに対する軽蔑の眼差しが含まれている。
『そうか。残念だな。…君のような優秀な連邦エージェントを葬るのは気が引けるのだが…。これも成り行き上、仕方あるまい。恨まないでくれよ。』
『だな…。てめえに、責任追及の波が押し寄せねえように…。きれいさっぱり、俺ばかりでなく、あかねや右京、それから状況によっちゃ、つばさや小夏まで闇に葬る気なんだろ?』
 それに対する即答は無かった。どうやら、図星なのだろう。
 この際、この勝負そのものへの、キース・アンダーソンの介入を無き事にしようと、彼は判断したらしい。いや、元々は、エンジェルボーイと呼ばれた早乙女乱馬を葬り去るつもりで、この「レース」を仕組んだのかもしれなかった。イースト・エデンで敏腕をふるう、早乙女乱馬。彼がウエストへ靡かぬ以上、邪魔者として消し去る、そう、決していたのかもしれない。

『また、この宇宙のどこかで会おうじゃないか。もっとも…。君の命運が尽きていなければ…という条件が付くがね。エンジェルボーイ。』
 キースは後ろ手に、ちゃっと手を振ると、そのまま、傍のハッチを開けた。そして、退避させてあった、一人乗りの簡易宇宙艇へと身を潜り込ませる。どうやら、小型艇では人目に付くので、この近くの星域に留め置いて、簡易宇宙艇で出張ってきていたのだろう。それだけに、いざ、脱出となると、つばさや小夏が行動を起す前でなければ、難しくなる。だからこそ、今、この時点で退散を決めたらしい。

『けっ!今度出会ったときは、この借りを倍にして返させて貰うからな…。キース・アンダーソン。』

 乱馬の声はキースには聞こえなかったろう。
 キースは簡易宇宙艇へ乗り込むと、すぐにハッチを閉め、宇宙空間の闇の中へと飛び出して行った。
 みるみる宇宙艇は見えなくなる。黒塗りの宇宙艇だ。勿論、光源ひとつこぼれない。まるで、筒型の棺おけが飛び出すかのように見える。母船に先導されて動いているのだろう。動力源が無くても、動くようだった。

『畜生!野郎…。最初っから俺を葬るつもりで、こんな手の込んだ事、仕掛けやがって…。』
 動ければ、少しは何とかなったろうが、己の身体はすっぽりと壁に飲み込まれるように埋まっている。渾身の力を込めて、気を放って見るが、残念ながら、びくともしないのである。

 キースの簡易宇宙艇が去って、あまり間を置かぬうちに、第一波の衝撃波がこの宇宙基地内に走ったのである。電源を入れたままにしてある、前方のスクリーン画面に、閃光が走った。つばさと小夏が、近場の小惑星を破壊したようだ。それに連動するように起こる、爆裂。その度に、足元が、ゴオッと振動と共に大きく揺れ動く。
 それでも、目の前に映し出される、ダークホース号の船影を目で追いながら、己の無事よりもあかねの無事を祈った。
『あかねっ!』
 映し出されるダークホース号は、発生した磁気嵐によって、ふらつくが、それでも、必死で飛ぼうとしている。完全にコントロールを失った、右京の小型艇とは一線を画している。
『へっ!やっぱ、ダークホース号は凄えや。』
 と、言葉が口を吐いて出た。
 また、あかねが、コントロールを失った右京をそのまま、放っておけない事も知っていた。彼女は果敢にも、右京の小型艇へダークホース号をドッキングさせると、そのまま、磁場嵐の影響が無い空間へ引っ張っていく。
 途中、小夏やつばさの船も右京を気遣って、姿を現した。さすがに、キースに命じられた爆破が、ここまで酷い状況を作るとは、彼らも予想だにしていなかったのだろう。

『よっし…。それで良い…。あかね、おめえにしちゃあ、上出来だ。』
 影響下から抜け出た、ダークホース号を見て、乱馬からほうっと溜息が漏れた。
 後は、この磁気嵐が収まってくれれば、何とかなる。その間、荒れ狂う爆発小惑星の欠片が、このアルファ108星を避けてくれさえすれば、己の生存率も上がるだろう。あとは、命運を天に任せるのみ。

 だが、乱馬の予想に反して、磁気嵐は一向に収まる気配はなかった。いや、それどころか、ますます、磁気嵐は強くなっているように感じられた。
 つばさと小夏が爆破した小惑星のエネルギーは、永久電池の如く、あたり一面の宇宙空間を乱している。収まるどころか、返って、勢いを増して来る。それどころか、小惑星の破片が大挙として、乱馬を捕らえているアルファ108星の方向に向かって、竜巻のように、磁気嵐を撒き散らしながら突進してくるではないか。辺りにあった、小惑星を巻き込みながら、確実にこちらへ近づいてくる。

『ちっ!ちょっと厄介だぜ…。こいつは。』
 さすがの乱馬も、修羅場に入った事を認めた。手足の自由は効かない。このままでいけば、小惑星の欠片が磁気嵐に乗って、ここまで達するのに、そう時間はかかるまい。あんなものに巻き込まれれば、チンケな古い宇宙基地など、こっぱ微塵だ。
『こいつは…覚悟しねえといけねえかもな。』
 冴え渡った頭で、乱馬は己の最期か近いことを自覚した。今度ばかりは助かる見込みは限りなくゼロに近い。己の人生はいつも死と隣り合わせにあったから、怖いとか嫌だとかいう意識は無かった。
 今の己は俎上の鯉だ。包丁を振り下ろされても良いような、そんな覚悟をせねばなるまい。
『宗教信者だったら、ここいらで最期の祈りを捧げるんだろうがな…。』
 自嘲気味に、そんな事を思った時だった。

『乱馬!応答して!乱馬っ!』

 どこからともなく、あかねの声が響いてきた。

『あかね?』
 ハッとして、顔を上げる。と、前方のスクリーンに、ダークホース号が映し出された。磁場嵐の外ではなく、明らかに、内側。彼女は勇猛果敢にも、こちらに向けて飛んでいるではないか。ダークエンジェル号をアルファ108星へ向けて、全力疾走させてくる。


『馬鹿っ!何で戻ってきたんだっ?』
 思わず、そう叫んでいた。

『当たり前でしょ?そこにはあんたが居るんだから!乱馬っ!動けないんですって?』
 あかねは、声を振り絞って問いかけてくる。通信線など通っている筈がないのに、すぐ傍であかねの声が聞こえるのだ。どうやって交信しているというのだろう。

『おめえ…。誰にそれを!』
『つばささんと小夏さんよ。あんたを捕らえて動けなくしてあるって…。』
『だからって戻って来るか?普通…。おめえ、この状況がわかってんのかっ!?無謀を通り越して馬鹿だぜっ!』
『うるっさいわねっ!あたしはあたしがやりたいようにやるのよっ!あんたには、聞きたい事が山ほどあるし!』
 叫んだあかねのすぐ傍を、小惑星の欠片が、猛スピードでぶつかってくる。
 間一髪、それに気付いたあかねは、分子破壊砲でそいつを打ち砕く。見えないはずなのに、あかねの奮闘振りが、すぐ傍で繰り広げられているように感じられる。不思議な感覚だった。
 何故と問いかける前に、怒鳴っていた。
『操縦に集中しろっ!そらっ!右後方からもでっかい破片が来るぜっ!』

『わかってるわよっ!』
 あかねは乱馬の忠告どおり、右後方の破片を打ち砕く。

(見える…。何でかは、わからねえが、あかねの周りが見える…。いや、それだけじゃねえ…。聴こえる。あいつの一声一声が…。そして、俺の声があいつへと飛んでる!)

 それが、テレパシーだと気付くまで、そう、時間はかからなかった。

 ミューの中にはテレパシー能力を飛ばせる人間が居るという。己の心の声をそのまま、相手に飛ばす超力だ。
 今、まさに、その超力が開花したらしい。何故、今、この時点でそんな能力が芽生えたのか、さすがに考察する余裕はなかった。

『今度は、左前方だ!四十五度の位置を打てっ!』
『くっ!』
 操縦桿と分子破壊砲のスイッチを同時に握りながら、あかねは、乱馬のナビゲーションを元に、次々と襲い来る、小惑星の破片を打ち落としていく。
 もう、乱馬は来るなとは、言い出せなかった。いや、今更、後ろへ戻るのも難しかろう。
 突進あるのみ。

『乱馬!あたし行くから!必ず、行くから!』

『ああ、来い!生きてここまで辿り着いて見ろっ!』

 後は、本当に命運を天に任せるのみだった。
 動けない乱馬には、アルファ108星に降り注ぐ、小惑星の欠片の火の粉は振り払えない。一つでも大きいのが衝突すると、「ジ・エンド」だ。石つぶてほどの小さな欠片は、常時ぶつかるらしく、その度に、ゴオオッと大きな音と共に、身体は揺れる。
 肝っ玉が小さいと、それだけで生きた心地がしないだろうが、その点は、修羅場を数こなしてきただけは或る。肝は座っていた。

 やがて、あかねの駆使するダークエンジェル号は、アルファ108星へと辿り着いた。船影が目の前に見え、ドッキングする音。乱馬が乗ってきた、ミルキーホース号の袂へと止まった。

『着いたわ!乱馬っ!どこ?』
 ハッチが開いて、あかねがこちらに向かって呼びかける。
『俺も、己の位置が良くわからねえが、この古基地の奥、奈落の底の方だ!』
 と返事をする。
『わかった…。待っててね!』
 あかねは、駆け出した。
『暗いから気をつけて来いよ!あ、それから、傍にミルキーホース号があるから、回収スイッチを入れとけ。自動回収されるはずだ。』
『勿論!』
 あかねは答えた。ミルキーホース号は元々、あかねの曳船だった。乱馬とコンビネーションを組む前は、この船が彼女の任務船だった。それだけに、ここへ放置したままにしておくのは、忍びない。乱馬なりにそう結論付けたのだろう。

『おめえ…今の装備はどうなってる?』
『大丈夫、フル装備よ。任せてっ!』
 フル装備。任務官の軍服として、必要な装備はなされている。そういう意味だ。真空へも飛び出せる装備をも兼ねているのだ。
『よっしゃ!油断すんなよっ!』

 手元に非常等を照らしながら、あかねは乱馬を探し求めて、基地内を徘徊して回る。中々彼を見つけ出す事はできない。焦りにも似た気持ちが、共に出始める。
 だが、キースが蘇らせたこの基地の駆動が、不意に動き始めた。
 乱馬を絡め取った「あれ」だ。

 グオンッ

 不気味な音がして、セキュリティーは侵入者、あかねの捕獲にかかる。
 あかねを感じると、壁に伝わせたてぐす越しにそいつは這い上がって来た。
 もぞもぞと機械の触手が幾重にも重なりながら、侵入者の駆除にかかる。
『何これっ!気持ち悪い!』
 あかねも異変に気付いたらしく、思わず声を荒げていた。
『どうした?あかねっ!』
 彼女の異変に気付いた乱馬が、声をかける。
『何か、植毛のような機械が、あたし目掛けて寄って来るわ!』
『ちっ!セキュリティースイッチはまだ、生きてやがるのか…。』
 己が捕獲されたときのことを思い出し、乱馬は、舌打ちした。そいつは、己をがんじがらめに捕獲すると、ここへこうやって固定してしまったのだ。あかねもこのままでは同じ目に合う。となると、二人仲良く壁際へ、という最悪な事態を招くだろう。

『畜生!セキュリティを切るスイッチがあれば…。』
 見回したが、たとえ見つけたとしても、動けない己がスイッチをひねる事は不可能だ。

『くそっ!』
 と、その時、セキュリティーの稼動条件をふと思い出したのだ。確か、人の体温を察知して寄っていく。キースはそんな事を言っていた。それを思い出したのだ。

『あかねっ!フル装備で来たって言ってたなっ!ヘルメットもかぶれ!それから、肌の露出をゼロにしろっ!』
 と叫んでいた。
『えっ?』
『そいつは体温を察知して、寄ってく仕組みなんだ。早くっ!』

 乱馬に促されて、あかねは防護服のスイッチをひねった。いろいろな用途に応じて、バトルスーツに転じたり、真空空間作業服に転じたり。乱馬の指示通り、肌の露出を抑え、外部と遮断した。
 と、あかねに差し迫っていた、セキュリティーの不気味な植毛は、相手を見失い、ヒタリと動きを止めた。再び、壁と同化し、無人の居城へと戻る。
『本当だ!凄いっ!』
 感動しているあかねの足元がぐらつく。また、大き目の破片が、この星に当たったのだろう。
『感心してる場合じゃねえぞ!あかねっ!そこからちょっと先に、吹きぬけた奈落がねえか?』
『奈落?』
 あかねは辺りを見回しながら、先を急ぐ。
 と、あった。すぐ目の前の扉の向こう側。そこが筒状の吹き抜けになっている。数メートルの円形の吹き抜けだが、暗くて底が見えない奈落がある。
『恐らく、俺はそこの最下層の部屋に居る。』
 乱馬はあかねに呼びかけた。
『最下層の部屋…。』
 思わず、ゴクンと唾を飲む。辺りを伺うが、エレベーターや階段などは見当たらない。
『フル装備だったら、ジェットエアも搭載してるよな?』
『え、ええ…。』
『なら、飛び降りろ!』
 乱馬が怒鳴った。

『飛び降りろって簡単に言ってくれるけどね…。』
 さすがに、この高さでは躊躇してしまう。いくら頼みの綱、ジェットエアを搭載しているとしても、底は真っ暗だ。不気味な風すら吹き抜けて来る。いや、何より、心細かったのは、この装備のジェットエアを使った経験が殆どないという不安的要素が、ネックになっていたろう。

『おめえ…。もしかして、怖いとか?』
 嘲笑するような声が響く。
『んな訳、ないじゃないっ!』
 その言い草に、思わず、ムッとして答える。

『だったら、思いっきり飛べ!どうやら、俺たちに残された時間はあまりねえ…。』
『え?』
『でっかい小惑星の破片がこっちへ向けて飛んで来てやがる。今しがたモニターで確認した。』
『…あんた、そんなこと、いとも平然と…。』
 経験の深い乱馬と、浅いあかねの相違。いや、男と女の差が出ているのかもしれない。
『躊躇ってる暇はねえ!生きたければ飛べっ!もしくは、とっとと引き返すんだな…。俺なんかにかまわねえで!』

『わかったわよっ!飛べば良いんでしょ!飛べばっ!』
 引き返せと言われ、さすがに、自尊心が燃え上がった。

 吹き抜けを見下ろしながら、あかねはダンッと床を蹴った。
 なせば成る。と、一歩を、暗い空間へと踏み出したのだ。

 引力装置が働いているこの基地内。下方へ向かって、落下する。目標物も見えない闇の底へ向け、落ちて行く。

『バカッ!エアのスイッチを入れろっ!激突するぞっ!』
 思わず、乱馬は叫んでいた。
 無我夢中過ぎて、あかねが忘れていたからだ。勿論、このままだと、底へ叩きつけられる。
『あ…。』
 言われて初めて、冷静に立ち戻り、あかねは右手にあるスイッチをひねった。
 バッと両側に翼のように開く羽。そして、そこから漏れるエア気流。奈落の底へと引っ張られていた力が、ふいに止まった。ふわっと体が宙に浮く。
『来いっ!こっちだ!』
 乱馬は声であかねを誘導した。あかねも夢中でその声に従う。
 道案内など要らなかった。ただ、流れてくる乱馬の気。そいつを辿れば良かった。
 暗い奈落の底を飛びながら、一つの動力源を認めた。明るい光が、そこからだけ漏れている。身体を反転させ、その部屋に滑り込んだ。


二、

『乱馬…。』
 壁の向こう側に滑り込むと、あかねは息を飲んだ。

 機械配線が溢れる部屋の壁際に、レリーフのように埋め込まれた乱馬が、こちらを見ていた。何と形容してよいのか、戸惑うようなシチュエーションだった。

『よう…。』
 悪びれずに、乱馬はあかねに声をかける。
 
『なっ…。乱馬、なんて格好で…。』

『うるせーっ!ちょっと油断してたら、こうなっちまってたんだよっ!馬鹿ッ!』
 あかねのリアクションに、さすがに恥ずかしくなったのだろう。乱馬が怒鳴る。
『良いから、何とかここから出してくれねえか?何の材質で出来てるのか、俺の超力じゃあ、びくともしねえ!』
 壁に埋もれたままの手足や胴体を持て余して、あかねに問いかける。

『待って…。材質調べてみるわ。』
 あかねは、冷静に立ち戻って、乱馬の傍に寄った。
『材質?わかるのか?おめえに…。』
『馬鹿にしないでよね…。これでも、化学だけはそこそこ優秀な成績収めてたんだから。』
 あかねは持っていた装備の中から、化学分析装置を稼動させる。
『へえ…。おめえ、そんなの携行してんだ。』
『ええ…。まあね。』
 あかねはそれを取り出すと、乱馬を包囲している壁へと差し向ける。
 ピピピッと音がして分析が始まる。幾つかのデーターがあかねの凝視するモニターへと流れ込む。
『なるほど…。トリニビロンか…。』
『あん?』
 聞きなれぬ名前に、乱馬はきびすを返す。
『ええ…新化剤の一つよ。一種のトリモチね。物体と物体をくっるける強力な接着剤ってところかしら。』
『へえ…。』
 あかねに化学的知識が豊富な事は、初めて知った。勿論、それ以上のことを詮索する猶予はない。『ここを設計した人って天才科学者だったんでしょうね…。じゃないと、トリビロンなんか使わない…。』
 そう言いながら、あかねは周りを探し始めた。
『こら!何まったりしてんだよ!時間がねえんだぞ。』
『わかってる。だから、探してるんじゃないの!』
『探すって何を?』
『中和剤よ、決まってるでしょ?』
『中和剤?』
『ええ…。これだけ完璧な施設を作る技術者ですもの…。中和剤を近くに置いてる筈よ。』

 そんな、会話を交わす間にも、振動は激しくなり、揺さぶってくる。そして、軌道を変えることなく、破片がこちらを目指して飛んでくる。

『あった!』
 中和剤を見つけたのだろう。あかねはにっと笑った。
『ここにあるわ。そのトリニビロンを溶かす溶剤が。でも…ホースを引っ張ってきて差し込む時間も無い…。』
 一瞬戸惑いを見せるあかね。
『ごめん!乱馬。このまんま、ぶかっけるわ。』
 あかねはそう言い置くと、持っていた手榴弾の信管を引き抜いた。

『わたっ!おめえ、そんな物騒な物、こんなところでぶっ放したら!』
 焦ったが、手も足も出ない。

『行くわよ!せえのっ!』
 あかねは大きく振りかぶって、手榴弾を半対面の壁に向かって投げかけた。それらしい、パイプラインが走っているところだ。そこを思い切りぶっ飛ばしにかかった。

 ドオンという爆裂音と共に、吹き上げる薬剤。もうもうと上がる火薬の煙。
 あかねはバトルスーツで頭から足元まで固めてあるから、衝撃には平気だったろう。

『ぶわっ!』
 破壊されたパイプの破片がバラバラと落ちるその前に、真正面からそいつの直撃を受けた。
 あかねが破壊したパイプから、水のような透明な液体が噴き出したのだ。
 そいつは、あかねが言ったとおり、乱馬を束縛していた固形物をみるみる溶かしていくではないか。その結果、引力に引っ張られるよう、壁から迫り出した。足元はおぼつかず、そのまま、絡みつくように床へと投げ出される。

『わたっ!』
 受身を取ろうとした瞬間、目の前にあかねを見た。抜け出せたとはいえ、まだ、絡みつく薬剤に、思うように動けない。あかねは、そのまま、乱馬を押しとどめるように、両手を前に突き出した。
 ゆっくりと放物線を描くように、あかねへと飛び込む。だが、思ったよりも勢いが余ってしまい、乱馬はそのまま、押し倒すようにあかねの上へと被さった。その時、あかねのバトルスーツの防護モードを解除してしまったらしく、ヘルメットがコロンと、床へ転がり落ちた。途端、視線が合わさった。

 ドサッと鈍い音がして、柔らかなあかねの感触が手に伝わる。柔らかい人肌の温もり。

 トクン…。

 その柔肌に触れ、心音が一つ、唸りを上げる。

『たく…。他に劇薬のパイプラインがなかったから良かったものの…。怪我したらどうするつもりだったんでいっ!』
 助けて貰った感謝よりも、苦言が先に口を吐いた。
 だが、それに対する返答はなかった。
『あかね?…。』
 微かだが、彼女の肩が震えているのがわかった。ここまで突っ走ってきた緊張が、ふっと途切れたのだろう。
『良かった…。』
 たった、一言、咽喉を吐いて出た。半べそをかいているあかねが、そのまま、乱馬の腕の中に雪崩れ込んできた。
『あかね…。』
 ぐっと押し迫ってくる感情。映画では、ここいらで、窮地を脱したヒーローがヒロインを抱きしめるところだろうが、そう言うわけにはいかなかった。
 何故なら、二人とも、まだ、窮地の真っ只中に居たからだ。
 ゴゴゴゴッと大きな音が近づいてくる。それが耳に入った。

『やべっ!このままじゃあ、二人、ここでお釈迦になっちまうぜ!』

 大きな星の破片がこちらへ向かって飛んでくることを思い出したのだ。

『行くぜ!あかねっ!』
 乱馬は、目の前で腰をぬかしているあかねをひょいっと抱き上げると、そのまま、彼女のバトルスーツにについているスイッチをひねった。ジェットエアのスイッチだった。ふわっと二人、宙へと浮き上がった。
『このまま、とにかく、ダークホース号へ!』
 あかねが落ちてきた上に向かって競りあがる。

 だが、ここに、問題が一つ。
 セキュリティーシステムが、再び稼動したのだ。
 人間の体温を察知した触手が、ぞわぞわっと二人を絡めようと、上側から迫ってくる。

『ちぇっ!面倒臭い奴らだぜ!』
 乱馬は忌々しげに言い放つ。そして、抱きかかえていたあかねに言った。
『あかね、俺はお前を抱えてっから武器が使えねえ。おめえ、代わりに、熱手榴弾をぶっつけろ!』
『熱手榴弾?』
『ああ。奴らは熱源に反応する。だから、熱手榴弾を炸裂させて、かく乱させるんだ。』
『わかったわ。』
 あかねはキビッと上を眺めると、胸のポケットをまさぐった。そして、手榴弾を取り出す。口にくわえて信管を抜き、上方目掛けて、投げつけた。

 ドオン!

 すぐ頭上で炸裂する熱爆弾。もうもうと上がる煙の中を、乱馬はあかねを抱えたまま、一気に上昇する。その脇を、熱でやられた触手たちが、チリチリと焦げながら、下方へと滑り落ちていくのが見える。

『そら、もう一発!』
『えいっ!』
 持てるだけの熱爆弾を、そいつらに投げつけていく。
 炸裂した機械や壁の破片が、バラバラと落ちてくるが、それを避ける余裕はない。ひたすら、上に向かって突き進むだけ。
 いつしか、諦めたのか、それともセキュリティーが熱爆裂によって狂ったのか、触手は乱馬たちを追わなくなった。

『あかねっ!俺の胸元のポケットにある「リモートコントローラー」を出せっ!』
『リモートコントローラー?』
『ああ。そうだ。ダークホース号を呼ぶ。』
 真っ直ぐ上に向かいながら、乱馬はあかねに言った。
『ダークホース号を呼ぶの?』
『このままじゃあ、間に合わねえ!だから…。』
『わかったわ。ダークホース号を呼ぶわ。』

 無敵の艦船、ダークホース号。こいつには様々な装備があるが、その一つがリモートコントローラーだろう。こいつで自由自在に船を操れる。離れたところから船を引き寄せる事も可能だった。

 あかねは言われたとおり、乱馬の胸元をまさぐると、リモートコントローラーを見つけた。掌大の小さな機械だ。

『呼べ!俺たちの船、ダークホース号を!』
 コクンと頷くと、あかねはコントローラーのスイッチを入れた。

 ガガガガガッとすぐ上方で音が唸る。どうやら、ダークボース号のエンジンが動き出したようだ。


『後は、ダークホース号へ乗り込む。そうしたら、ここを脱出だ。』
『ええ…。』
 乱馬はあかねを抱いたまま、コクンと頷いた。

『こっちだ!』
 ダークホース号が突っ込んでくる方向を定めると、乱馬はあかねを抱えたまま、そちらへと競り上がった。
 と、同時に、上方の壁がメリメリッと音をたてて、盛り上がる。そして、そこを突き破るように、ダークホース号の船影が現れた。
 ダークホース号の船体は、大概の物質は貫くくらいの強度を誇る、オリハルコンと呼ばれる金属で出来ていた。人類が地球を離れて初めて手にした、土星星系の衛星で取れる、特殊鉱物を加工したものだ。「オリハルコン」とは深海の大陸「アトランティス」にあったと伝えられた伝説の金属。その名前を貰った金属だった。並外れた強度や性質から超金属と呼ばれ、宇宙船を作るのに重宝されている金属だった。
 そんな金属をふんだんに使って造船された宇宙艇。ダークホース号は多少の衝撃では、びくともしなかった。
 乱馬はそのまま、ダークホース号の船底を開き、そこから船へと飛び上がった。
『急げ!すぐ、出発だ!』
 あかねを下ろして、叫ぶと、そのまま、コクピットに座る。そして、操縦桿を握り締めた。あかねはいつもの如く、ナビゲーションを取るために、彼の傍に座る。彼女は計器類のスイッチを、片っ端から入れ始めた。
 暗かったコクピットに電源が入り、すぐに、船が起動した。

『ゴー!』
 乱馬は、そのまま、強引にダークエンジェル号を発進させる。

 ダークホース号は危機迫るアルファー108星から、すぐさま飛び上がる。すぐ傍に乱馬が乗って来たミルキーホース号の船影も見える。ダークホース号はミルキーホース号を牽引していた。幸い、あかねがダークホース号を乗りつけたすぐ傍にミルキーホース号は停泊していた。スイッチ一つで自動制御されるダークホース号は、ミルキーホース号を回収に成功していたようだった。

 エンジン音が唸り、ダークホース号が動き始めた。何かにぶち当たるような金属音。丁寧な運行などしている余裕はなかった。

 ゴンッと音がして、ダークホース号は宇宙空間へと出た。
 磁気嵐はまだ、そこいらじゅうを吹き荒れている。
 その中を、ダークホース号は耐えて、動き始めた。

 ふうっとあかねの口から、安堵の溜息が漏れる。
 が、傍らで操縦桿を握る乱馬の瞳は険しかった。
 真正面に、大きな小惑星の欠片を見据えていたからだ。
『あんまり、楽観できる状況じゃあねえな…。いや、むしろ、危機的状況かも…。』
 嘯くように言い放った。
『どうして?』
 あかねの問い掛けに、答えることなく、乱馬ははっしとナビゲーションシステムを見続けていた。
 それから、ブンと通信システムを立ち上げる。
 誰と通信を高じるというのだろうか。先にあかねが圏外へ出した右京たちか、それとも、天道ステーションか。
 いや、乱馬が問いかけたのは、いずれでもなかった。

『キース・アンダーソン!てめえが近くの小惑星の破片の影に潜んでるのは、わかってんだ!出て来いっ!』

 再び、ブンと音がして、通信画面に、キース・アンダーソンの顔がでかでかと映し出された。

『やあ…。やっぱりばれていたか。』
 彼は、悪びれる風でもなく、にっと笑って、乱馬たちを見詰めていた。




つづく




一之瀬的戯言

 うーん、うーん…。
 実は二通りの展開を考えていたのですが…。やっぱり、こっちへ引っ張ってしまった。
 最終局面はどうなりますやら?

 
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