◇星河夜話

第三話 職業選択の理由

一、

 だんだん夜は更けていく。
 まだ、船内にあった人の気配が、もうすっかりと途切れている。開店休業状態になっている天道ステーション。船内で働く、船のメンテナンス隊員も夜の眠りに就いたようで、物音一つ渡ってこない。響いているのは、エアコンの微々たる音だけだった。
 すっかり、ほろ酔い加減になった、乱馬、なびき、東風の三人は、七夕祭り用の飾りを作る手も止まって久しい。だが、思い出したように、おぼつかない手つきで、折り紙と戯れる。

「僕の話は終わったからね…。次は、どっちが話すんだい?」
 東風が目を細めながら、七夕の飾りを再び作り始めた。
「俺、なびきの話を訊きてえなあ…。おめえも、恋の一つや二つはこなしてきてんだろ?」
 乱馬がランランと目を輝かせて、なびきを見返した。
 それを鼻先で、フンと軽く笑って、なびきが答える。
「あたしの話なんか訊いても面白くも可笑しくもないわよ。」
「んなことねえぞ!ほら、任務で良く一緒になる、えっと、九能とかいう連邦中央の諜報員(やつ)とは、そこそこのロマンスがあったんじゃねえのか?」
 と、カマをかけた。
「あーら、九能ちゃんはただの、同期生よ。士官学校のね。」
 顔色一つ変えずに、さらっと受け流す。
「今までの様子からじゃあ、とても、ただの同期生とも思えねえんだけどなあ…。」
 少し意地悪く、突っ込んでみる。酒が入っている分、いつもよりもしつこかった。
「まあまあまあ…。話したいことを話せばよいと思うよ…。言いたくない事を無理にってのはどうも…。」
「東風先生って、平和主義なんだな。」
 乱馬はワインを胃に流し込みながら言った。

「ま、あたしの口からはロマンスなんて、ガラじゃないし、恋なんて、そんな、高尚な経験はしてないに等しいから、ここは天道家(うち)のことでも話してあげましょうか。」
 なびきは上手い具合に話しを横道へとそらせた。

「天道家の話ねえ…。」
 乱馬は気のない返事をした。だが、少しばかり興味があった。
 ここ、天道ステーションへ来て、そろそろ四年という月日が経とうとしているが、実のところ、天道家はかなり謎のベールに包まれている。己の婚家となるにもかかわらずだ。あかねもあまり過去の事は話したがらないし、己も過去には拘(こだわ)らない性分だから、各人の生い立ちことは触れずに来た。
 過去に対する乱馬の口が堅かったのと同等に、あかねの口も決して滑らかではなかった。だから、このステーションへくるまでの天道家のことは、殆ど未知と言っても良い。

「そりゃあ、ちょっと、訊いてみたいような気もするなあ…。」
 どうやら、東風も同じように思っていたらしく、キラリと眼鏡が光った。彼は彼でかすみさんの生い立ちなど、興味を引く部分があったのだろう。

「んじゃ、あたしたち一家のことを、酒の肴代わりに少し話してみようかしらねえ…。」
 なびきはワイングラスをトンと横に置くと、頬杖をついて、ゆっくりと話し始めた。




「こう見えても、「天道家」は、連邦軍族の中にあって、なかなかの名家だったのよ。今は、落ちぶれたように、こんな小惑星群の外れにひっそりと基地を構えてはいるけれどね…。もし、お父さんの選択が別な物になっていれば、今頃は地球連邦軍の本部、地球で過ごしていたかもしれないわ。」

 そう、この時代にあって、地球に住むことは一つのステータスに近かった。宇宙人口が増えるにつれ、母星、地球へ根を下ろすことは難しくなっていた。地球に暮らしているのは、一部の特権階級のみ。そうしなければ、地球の生態系そのものが変化を来たす上、資源も枯れ果ててしまうと、マザーIが計算したことによる。
 そうだ。人類は最早、自由に母星へ住めなくなっていたのである。いや、それどころか、蒼い惑星やゼナなどの不埒な集団が勢力を伸ばすにつれ、ますます、その傾向は強まり、今や、地球に入星することすら、難しくなってきている。
 乱馬も、まだ、地球の土は踏んだことはなかった。
 地球に過ごせると言う事は、特権階級なのである。
 万民平等とは言うものの、地球居住に関してだけは、別次元であった。

 なびきは、ゆっくりと話を進めた。


「天道家はねえ、古くは「日の本の国」の「サムライ」の家系だったらしいわ。ちゃんと系図も残っていて、室町末期の戦国時代にまで遡れる一族。侍の謳歌していた時代には、勿論、帯刀(たいとう)してチョンマゲを結って甲冑を着て、荒野を駆け巡っていたんですってよ。この家に生まれたら、女児も馬にまたがり剣を振り回す、それくらい気概に溢れた、武家一族だったらしいわ。
 そんな血が、私たち姉妹をも連邦軍という組織へと駆り立てたのかもしれない。
 私たちの母は、これまた古風ゆかしい、純血ジャパニーズの一族の出でね、社会に出て活動することなく、お父さんと結婚したそうよ…。それも、十六という年齢で、お父さんの元へ嫁いだって。
 え?エージェントって結婚に関する規定なんかもうるさいから、そんな若い年齢の奥さんがもらえるのかって?
 ふふふ、そりゃあ、乱馬君みたいな現役バリバリのエージェントだったらいざ知らず、若い頃のお父さんはエージェントじゃなかったのよ。そう、イーストエデン所属じゃなくて、セントラル、中央艦隊に所属する宇宙船(ふね)の艦長だったの。」


 乱馬と東風は互いに顔を見合わせた。
 なびきが言うように、「中央艦隊所属の宇宙船艦長」ということは、生え抜きのエリートである。若輩でその軍務だったとすると、本当に名門の出だということになるのだ。
 サラブレッドがある程度の速度で出世するのは、地球連邦軍に於いても似たようなものだった。素性がわかっている軍属ほど、若輩の出世は早い。


「ふふふ。驚いた?
 今の天道司令(お父さん)からは考えられないかもしれないわね。
 地球出身の若手艦長。若い頃は随分、ブイブイ言わしていたらしいわ。
 お母さんとの結婚も、双方の親同士が望んだものだったそうよ。母も名門の家柄だったらしいから、予め結婚に関してもレールが敷かれていたのね。お父さんは親の意向に沿う形で母と結婚したらしいけれど、それはそれで、母を愛していたわ。今も、女っ気無しで再婚もせずに暮らしているのは、母に対する愛情が冷えていない証拠よ。
 まあ、それは置いておいて。
 お父さんに愛されたお母さんは、十七歳でかすみお姉ちゃんを、十九歳であたしをこの世に出生させてくれたわ。母は若くして結婚し、社会に出ることもなかった。人生の荒波に放り出されなくても良い階級の、温室育ちだったから、何の苦労もしてこなかった。あたしが生まれた頃までは、月でそれ相応な豊かな暮らしをしていたらしいわ。」
「月かあ…。一つのステータスシンボルみてえな星だかんな…。あそこは。」
 乱馬がポツンと言った。


 月は地球に次いで、連邦中央部に近い人々が暮らしている星だった。
 地球に住めないまでも、月に住めることは、一つのステータスと考えれられていたのだ。
 月の住人は、軍関係のエリートはもとより、宇宙規模の大企業の経営者や重役、政府高官の末裔などが居を構えて、青く光り輝く地球を仰ぎ見ながら生活していた。
 なびきの話は更に続く。


「でもね、そんなあたしたち一家の豊かな暮らしも、母があかねを身篭ってから、一変したのよ。
 あんたたちも知ってのとおり、現代(いまの)社会じゃあ、自然分娩で子供を作り産み落とす出生は殆ど有り得ない。連邦政府が管理する試験管の中でそれぞれの卵子と精子を元手に受精させ受胎させる。それを人工子宮で培養し世の中へと産み落とす。それが、当たり前になっているでしょう?末端社会までそうなってしまって久しいから、特権階級女性が身篭ったりしてしまったら…。
 いえ、むしろ、人工授精以外で子供を持つことは連邦政府への反逆意志ともとられかねない。世間体にも関わるって訳。
 乱馬君やあかねだって、共に子供を作ることだけには細心の注意を払わされているはずよ。ねえ。」


 そう言いながらなびきは乱馬をちらりと見上げた。
 『うるせーよ!そんな事、改めて訊くな!』と言わんばかりに、乱馬は無言でむすっとやり返す。彼らの場合、連邦管理局に正式な婚姻を認められた訳ではないので、尚更「妊娠」には注意しなければならないのだった。
 そんな乱馬には気も留めず、なびきは続けた。


「母体に与える出産のリスクも世の女性には嫌がられているから、楽な人工分娩を選択するのも、時代の流れよね…。
 だからこそ、自然分娩で子供を作るのは、辺境の開発星か、狂信的な蒼い惑星みたいな連邦政府嫌悪活動家カップルくらいしか有り得ない…。
 で、そんな風潮の中、軍属の妻が身篭った場合、どうなるか…。結果は火を見るよりも明らかなはずよ。
 故に、母は長い間、あかねを身篭っていることを周りに隠し通したらしいわ。この世に生を受けた以上、堕胎させることなく、産みたいという己の母性に従ったんでしょうね。
 命を賭した選択。
 あかねを身篭っていることが明るみに出た時も、連邦政府側からは「中絶」を当然の如く強いられた筈よ。父も母も何も教えてくれなかったけれど、今の状況を見るに、そういう選択を迫られた筈。
 でも、結果、二人とも中絶、堕胎を拒否し、あかねを産むことを選んだのよ。」


 一気にそこまで話すと、なびきは、空っぽになったワインボトルをトンと傍に置いた。それから、おもむろに、もう一本、サイドボードのワインホルダーからボトルを取り出した。ワインボトルのおかわりだ。
 少々重い話になったので、もう少しお酒の後押しが、なびきには必要だったのかもしれない。直情的なあかねとは違って、どこか醒めた雰囲気があるなびきには、珍しい光景だったろう。
 乱馬は無言で、なびきが取った新しいワインボトルを手に取ると、慣れた手つきでコルク栓を抜き去った。ここで、なびきの話を止めてしまうのも、彼なり気が引けたのだろう。もう少しあかねの出生について、詳しく訊いておきたい、パートナーとしてそう思ったようだ。
 乱馬の手によって、ポンと勢い良く音がして、コルクが外れる。それから、そいつを持ち上げると、空になっている、各々のワイングラスへと、注ぎ始める。
 トクトクと音をたてて、ワインが注ぎ入れられた。
 芳醇な香りが。再び目の前に広がった。
 すっかり出来上がった顔つきで、三人、テーブルを囲んで、夜話に興じる。
 時計の針は日付変更線に近づいていった。



二、


「あかねが生まれてからは、我が家の風景は一変したそうよ。あたしは赤ん坊に毛が生えたほどの幼子だったから、月での記憶は殆どないのだけれど、かすみお姉ちゃんに言わせると、あかねが生まれて、ぱったりと、お友だちが家に遊びに来なくなったそうよ。そればかりか、誘われもしなくなったそうよ。自然分娩をした母親とその子供は月社会からは弾き出される。そんな感じだったらしいわ。
 軍属の集団は縦社会がきっちりしているからね。問題を起した家族とは付き合いたくないと思って当然でしょう。
 そして、日を置かないうちに、あたしたち一家は、月からも追い出されたわ。名目上は「所属配置換え」という理由をつけられてね。あ、それは人事記録に残ってるのよ。軍に職を得てから、あたしがこそっと調べ上げたことだから、想像ではないわ。

 お父さんは中央艦隊を出たわ。それだけじゃなくて、名門の名折れだと言って、天道一族からも外されてしまったらしいわ。名前を取り上げることはできないけれど、一族から外れたのは明白の事。親兄弟も数多いたらしいけれど、トンと音信一つないのが良い証拠よ。
 それに、それまで暮らしていた月からも出ることになったわ。月から木星星域の辺境の星へ。まだ開発途中の未開の軍施設を点々としたの。木星衛星はそれこそ、最先端から僻地まで格差があるからね。その中でも、僻地へ僻地へと追い遣られていたんだと思うわ。
 父さんがどんな任務に就いて、どんな苦労をしたかは、想像を絶するでしょうね。母さんはあかねを産んで後、すっかり体調を崩し、身体が弱くなっていたわ。それでも気丈に、あたしたち三人に愛情を注ぎ、懸命に育ててくれた。
 お父さんはやがてイーストエデンへ志願して、特務官訓練を受け、エージェントの資格を取ったわ。この世界、長い乱馬君にはわかると思うけれど、数多ある軍属の中で、家柄や名声に縛られない弱肉強食の世界。手腕のある者は生き残り、それでなければ待ち受けるのは死。厳しい世界よ。
 母の医療費は、その頃の父さんの給料では、かなりの高額になっていたらしいわ。それを穴埋めし、尚且つ、私たち姉妹を養っていく上でも、ある程度の収入が保証される「特務官」になることを選んだの。
 多分、乱馬君とのお父さんと出会ったのも、特務官志願してからなんでしょうね。…まあ、父さんに聞いても何も言おうとしないから、これは憶測の範囲を出ないんだけど。」

 ちらりと、なびきは乱馬を見返した。

「親父が、どうしておまえらの父親、天道司令を知っていたのか、詳しい事は俺もわからねー。訊いたって、あのクソ親父が真面目に取り合う訳もねえしなっ!まあ、親父もこの世界じゃあ、変に顔が利くからなあ…。どっかの任務で直接会って、意気投合したんだと思うけどよ…。」
 乱馬がそれに反応して答えた。
「それよか…。天道司令が特務官になった経緯はわかったけど、おめえら姉妹まで、何でこの世界へ飛び込んだんだ?まあ、おめえは志願理由がわかるような気もするけどよ、不器用なあかねや、大人しい性格のかすみさんも…ってのが、ちょっとねえ。
 あかねはともかく、かすみさんはこの世界へ飛び込むのには、相当な決意というか意志が必要だったと思うけど…。」
 乱馬は、なびきに向かって声をかけた。

「その、あたしの志願理由はわかるってのは、どういう意味よ?」
 なびきが笑いながら乱馬を見返した。
「おめえの場合は「お給料が良い」ってのが、魅力だったんだろ?腕さえあれば、相当稼げるからな、この世界は。」
 何を今更と言わんばかりに乱馬は答えた。その傍らでは、東風が、まあまあまという人畜無害な顔を差し向ける。
「失礼しちゃうわねえ…。ま、いいわ。そこまで話すつもりだったし…。」

 なびきはトンと飲みかけのワイングラスを乱馬の前に置いた。

「この世界に入ると、家族を持っているということは、ある意味、手かせ足かせにもなるわ。何しろ、不定形な危険な任務がわんさかと降って湧いて来るんですもの。だから、父さんは「単身赴任」のような形で家を出ていたの。
 母も、己の病気にお金がかかるということは薄々感じ取っていたから、何も言わずに父に従ったわ。木星の場末の小さな衛星、ヒマリア。度重なる放浪の末、あたしたち家族は、そこを住処と定めていたわ。」

「ヒマリア…。ってもしかして、あのヒマリア事件のか?」
 乱馬が割り込んだのを、意識もしないで、なびきは続けた。
 ヒマリアは木星の衛星の一つだ。ガリレオ四衛星よりも外の軌道にあり、大きさも二百キロ弱周囲と小さい。それだけに、平和なのどかな田舎の星だった。
 だが、この星でも、反連邦組織が絡む、大きな事件が、過去に起こっていた。乱馬はそれを言おうとしたのだ。

「ヒマリアは小さな衛星都市星。決して大きくは無かったけれど、中産階級が肩を並べて暮らしていた衛星だったわ。他の木星星域の衛星都市ほどの繁栄はなかったけれど、のんびりと暮らしたいと思う人たちにとっては、楽園都市だった。
 星の規模も小さかったから、治安も衛生状態も良好だった。
 この衛星都市は、私たちのような特務官の関係家族がひっそりと暮らすのにも適していたのよ。教育熱もほどほどだったし、スラム街もない。東風先生が居たキュアほどではなかったにせよ、病院施設も充実していたわ。何より、母が療養しながら子育てするのに、とても良い環境だったわね。
 この衛星では、あかねのような「自然分娩児」に対する露骨な差別はなかったわ。地球母星に近い月では、住んでいる人間もエリートや特権意識が高いから、何かにつけ、異端は排除の方向へ牙を向けられるそうだけれど、ヒマリアでは一切そう言う空気はなかったわ。
 あたしたち姉妹はこのヒマリア星で初等教育期を母と四人、安穏と過ごしたの。
 父は滅多に帰っては来なかったけれど、それでも、それなりに幸せな生活だったわ。勿論、影では見えない苦労を、両親たちはそれぞれしていたんだと思うけれど、おくびにもそんなところは見せなかった。
 毎年、この時期、七夕の星祭が近づく頃になると、母さんは楽しそうに寄り添いながら、あたしやあかね、かすみお姉ちゃんと一緒に、「星祭り」の飾りを作らせるのよ。母さんが育った地球の地上に生えている「笹」という植物に、色とりどりの飾りをつけるという話を毎年、嬉しそうにしてくれるの。勿論、太古の東洋の伝説も語りながら…ね…。
 宇宙じゃあ生の笹は手に入らないから、勿論、造花ですませてはいたけれど…。小さな家なのに、毎年、丁寧に飾りを作るの。一回きりしか使わないのにね…。
 母さんの話す、七夕の織姫や彦星の悲恋はちょっと可愛そうな気もしたけれど…。今思うと、母さんは自分を織姫に、父さんを彦星になぞらえていたのかもしれないんだけれどね。でも、年に一度、天の川で逢瀬を果たす七夕の星たちのように、母さんも父さんとの逢瀬を待ち焦がれていたのよね…。
 父さんにはたまにしか会えなかったけれど、決して不幸な少女時代ではなかったわ。
 あたしも姉も妹も、母と積み重ねるささやかな幸せが、未来永劫に続くと思っていた。あの日までは…。

 でも、残酷な事件があたしたち家族を襲ったのよ。
 俗に言う、「ヒマリア事件。」
 記録上にはそう綴られたあの事件がね。」

「やっぱり、あの事件…。ヒマリアに居たんだったら、もしかしてと思ったけど。」
 乱馬が口を挟んだ。

「小さな衛星都市だもの。犠牲者に名前を連ねる可能性は、比較的高かったわ。
 ただ、何故、あんな小さな星をテロリストが標的にしたのかはわからない…。軍の大きな施設も無かったし、大企業だって本部を持って居ない。商業地でもなかったし、ターミナルからも外れていたわ。小さな田舎の星。
 そこへ、ある日、宇宙(そら)からテロ集団が軍船を組んで、武器弾薬を持って乗り込んできた。
 軍施設が殆どなかったから、あっという間に占拠され、住民たちは恐怖に陥れられたわ。あたしたち子供は何が起こったのか、訳もわからずに、大人の陰に隠れて、家の中で怯えていた。
 占拠されて三日目だったかしら。
 家で飼っていた「犬」が窮屈な家の中におさまり切れずに、外へと飛び出してしまったの。人間は抑制できるけれど、動物は違うわ。
 ホンの一瞬の隙をついて、彼は外へと飛び出したわ。
 その彼を追って、あかねが今度は飛び出したの。彼を連れ戻そうと、幼心に強く思ったんでしょうね。

 あかねは、恐怖心があたしたちよりは多少薄かったのかもしれない。いえ、それ以上に、飼い犬を連れ戻さなければならないという使命感や正義感が強かったのかもしれないわね。
 勿論、あたしも姉も、何とかしなきゃと、思ったけれど、外に飛び出す勇気はなかったわ。だって、外にはうじゃうじゃとテロリストたちが銃器を持って徘徊しているんだもの。
 元々、男勝りな性格でもあったあかねは、真っ先に飛び出してしまったのよ。犬の名前を呼びながら…ね。
 あかねが表へ飛び出したことを知ると、母さんは慌てたわ。そりゃあ、そうよね。
 街を占拠しているテロリストたちは、言わば「アウトロー」。名のある司令官クラスはいざ知らず、末端は「はみ出し者」「寄せ集め」。
 野に放たれた猛獣よりも性質(たち)が悪い。
 案の定、迷い出た犬やあかねを、銃の標的にしようとするクズも居たのよ。
 一発の銃声が街中に響き渡った時、母さんはあかねの前に飛び出していたの。
 あかねの目の前で母さんは足を撃ち抜かれた。
 家の中からその光景を覗いていたあたしやかすみお姉ちゃんは息を飲んだわ。このままじゃあ、あかねも母さんも、テロリストたちに殺されてしまうってね。でも、足がすくんだわ。悔しいけれど、何も出来なかった。
 ただ、真っ青になって、その光景を見ていただけ。

 もう駄目だ!
 って思ったときだった。銃口をあかねに向けていたテロリストたちの上空を、小型戦闘機が隊列を組んで飛び込んできた。
 連邦政府の遊撃隊がようやく、ヒマリアに到達したのよ。その遥か上空には、空母戦艦が轟音をたてて、飛び仕切っていた。
 その後はお決まりのとおりの、テロ集団一掃作戦。
 方々で爆撃が起こり、辺りは焔に包まれる。その中を逃げ惑う人々。誰も倒れた母を助けあげてくれる余裕などあろう筈無く。
 あたしと姉とあかねは、母を、倒れた場所から物影へと運ぶのが精一杯だった。
 数時間が経過し、医療班が降り立って、ようやく母が収容された頃には、既に手遅れの状態になっていたの。元々身体を壊して、医療機関の世話になっていた母だったから、あかねを庇った時に受けた傷が致命傷になったのね。
 程なくして、母は、ヒマリアの病院で息を引き取ったわ。」

 なびきがいつもになく、神妙な顔で言葉を止めた。

 乱馬も東風も、ただ、黙って、各々の手元のワイングラスの液体を眺める。
 重い話だった。
 人の死を語る話は、どんな話でも、空気が重くなる。それが見知らぬ女性の話でもそうだ。互いに愛する女性の母でもある人の話であるから、余計だった。
 

「あの事件以来、あたしたち姉妹は別々にだけれど、軍属になることを決心したのよ。ちゃんと訊いた事がないから、それぞれの心の内はわからないけれど、恐らく、かすみお姉ちゃんもあかねも、あたしと同じ心情から、それを目指したのだと思うわ。」

「二度と、テロリストたちに尊い命を失わせないために…かい?」
 東風がそれに尋ねた。

「確かに、それもあるだろうけれどね…。でも、それだけなら、何も軍属、にはならなかったわよ。命を助けるならば、軍人になるよりは、先生みたいに医療関係者になった方が効率的じゃない。軍人は敵の命を奪う事もありえるんだから。違うかしら?」
 自嘲気味になびきが吐き出した。

「そりゃ、そうだ…。人の命を助けたい人間は、普通、軍属にはならねえよな。」
 乱馬が相槌を打った。
「ってことは敵討ちかい?」
 東風が切り返した。

「まあ、それも無いとは言わないわ。
 他の姉妹たちは知らないけれど、あたしは欲張りだからね。
 敵討ちもできて、人の命を救うこともできる、そして、何より、母が望郷していたあたしたち人類の母なる星、地球に降り立つ可能性が少しでもある職業。それを得ることを選んだのよ。」
 なびきはそう言いながら、ふっと微笑んだ。

「何より、一番の理由は…。あの急襲作戦が、もう少し早く決断され、実行されていたら、或いは、母は死なずにすんだかもしれないってね…。
 もしかして、連邦の特務官は、本当は無能な連中ばっかじゃないかってね。そう思ったのよ。」
「お、おいおい!今度は、無能呼ばわりかよう…。おめえも特務官だろうがっ!」
 乱馬が吐き出す。
「だから、軍属に入り、迷うことなく特務官志願した…のよ、あたしは!」
 なびきが高く笑った。
「なっ!」
「あたしが、特務官ならば、もっと早くあの星げ駆けつける作戦を実行できたかもしれないってね…。子供心にそう思ったのよ。それが職業選択の始まり。
 何も言わないけれど、かすみお姉ちゃんもあかねも同じ理由で、この世界を選んだのかもしれないわ。もっとも、かすみお姉ちゃんの場合は、母さんを失った父さんを一緒に支えられる、状況によっては家族で動けるっていうところにも魅力を感じたんだと思うけれど…。」
「なるほどね…。他の軍属はなかなか家族間で同じ勤務っていうのはまかりならないけれど、特務官の場合は、民間の隠れ蓑を着て司令部を構える事もできる…。かすみさんらしい、選択だぜ。」
「あーら、あたしはそういう選択好まないってのかしらん?」
「あ、いや、別に…。それはおめえのガラじゃねえじゃん!」
 なびきはふうっとアルコール臭い吐息を吐きながら、ふふふっと笑った。
 
「頭ではわかってるのよ、ヒマリア事件の、あの日のあの状況じゃあ、お母さんは助からなかったって事くらいはね…。でも、頭で理解できても、感情は違うの。どうしても「IF」、「もしも」って考えてしまうのよ。
 尤も、この世界に入ってから、あの日の作戦資料を読んだ事もあったわ。誰が立てたのか記名されないのが常のこの世界の記録記事。完璧な計算の元行われた作戦だったわよ…。それだけに、余計に、無念さが残ってる…。多分、かすみお姉ちゃんもあかねも同じ気持ちだと思うわ…。だって、あたしたちは姉妹なんですもの。」

「あんまり、おめえとあかね、かすみさんの血が繋がってるとは思いたかねーけどな…。」
 乱馬が横から茶々を入れた。
「それ、どういう意味よ!」
 なびきがじろりと乱馬を見詰め返した。

「まんま、だよ、まんま。」
 乱馬は笑った。切ない話だっただけに、こうやって茶々を入れないと、自身、やりきれないような気がしたのだ。
 あかねは黙して何も己に語ろうともしなかった。その気持ちが何となく理解できる。大きなカセを背負って生きてきた、この姉妹たちの気持ちもだ。

「でもね…。これは直接あたしが聞いた話ではないんだけれど…。」
 なびきは嘯くように、そう前置きして、話し始めた。
「母があかねを身篭ったのは、あながち「偶然」ではなかったらしいのよね…。」
「あん?偶然じゃあねえ?」
 なびきの言おうとしている意味が飲み込めず、東風と共に、覗き込んだ。
「仕組まれた事だったとか、故意だったとか言うのかよ?」
 なびきは何かに憑かれたように話を始めた。深酒ゆえに、珍しく、制御心が働いていなかったのかもしれない。
「かすみお姉ちゃんが前に、ポツンと言っていたんだけれど…。お母さんが天道家に嫁いだ時、存命だった曾祖母に言われたらしいわ。
 『ここへ嫁いだ以上、一人で良いから、母体から赤子を産み落としなさい。』ってね。」
「はあ?じゃあ、何か?その曾婆さんってのが、連邦の意志に背いた子作りをしろって、あかねの母ちゃんをけしかけたってことになるじゃんかよう!何だそりゃあ?」
 乱暴な話だと言わんばかりに、問いかける。
「直接母から訊いたのは、子供の頃のかすみお姉ちゃんだから、あたしに真相がわかるわけないわ。お姉ちゃんも、幼い日の記憶だから心許ないって言ってたし…。…でもね、気になってあたしもいろいろ調べてみたんだ…。
 そしたらね、面白い事がわかったのよ。」
「面白い事?」
 乱馬と東風が顔を見合わせた。
「どうやら、母さんも父さんも、試験管から生まれたんじゃないらしいのよ。地球に暮らしていたクセにね…。」
「お、おいっ!それって…。」
 それ以上突っ込んで良いのかわからずに、乱馬は言葉を止めた。東風も、案の定、小難しい顔をしている。
「どちらの家も毛並みは確かだからね…。パッと見の表記は問題なしって感じだったんだけど、あたしなりにいろいろ奥を探ってみたのよね…。そしたら、、記録を改ざんした痕跡があったの。」
「お、おめえ…。連邦府の戸籍端末まで浸入して調べ上げたのかよ…。そんな、事…。」
 呆れたと言わんばかりに、乱馬はなびきを見上げる。さすがに、諜報活動ではかなりの手腕の持ち主、天道なびきらしい大胆さだ。浸入が見つかれば、いくら、諜報活動特務官でも軍法裁判にかけられかねない際どさだ。
「あーら、見くびらないで。あたしの手腕からは、そこまで辿るのはチョロいものだったわよ…。誰から明らかに謄本(とうほん)の記入を書き換えた痕跡があったわ。素人じゃない、プロの腕前だった。」
「誰が、何のためにそんな大胆なこと…。」
「さあね。さすがに、それ以上は怖くて調べなかったんだけど…。改ざんしたのは、父さんや母さんの一族の誰かなんでしょうけど…。」
「でも、そんな奴が居たんなら、あかねの事は、隠せなかった…のか?」
 乱馬の問い掛けに、なびきはふふっと笑いながら答えた。
「さあね…。父さんや母さんたちが生まれた時代よりも、格段に技術は進んでいるからね…。難しかったんじゃないかしら…。それに、あかねが生まれた頃には既にその改ざんした人物が存命じゃなかった可能性もあるし…。結果論として、あかねの記録は改ざんの痕はなかったわ。ダークエンジェルの記録のことを除いてはね…。」
「あは…。あれは最高機密の一つだからな…。普通は書かないだろう、台帳にはよう…。」
 乱馬が苦笑いした。
「あ…。今のは極秘事項だから…。他の人たちにはナイショよ。じゃないと、あたしの首が飛ぶかもわからないし…。良い事?」
 となびきが声を落とした。
「ああ…。」
「言うわけないよ。そんな事、知ったって知れたら僕らだって危ないじゃないか。」
 東風が付け加えた。

「んじゃあ、そういうことで…、あたしの身の上話はここでお終いっと…。今度は乱馬クンね。」
 そう言いながら、ワインをまた一本、氷の中から取り出した。
 まだ飲むのかよう、と一瞬、乱馬は顔を強張らせたが、結局のところ、自分もさっとグラスを前に差し出していた。
 酒豪というわけではなかったが、あかねもかすみさんも居ない静かなステーションの夜。アルコールが互いの制御にかけたボタンを外していたのかもしれない。

「じゃあ、俺は、この変身体質の話を背負う事になった話でもすっかな…。」
 乱馬はおもむろに話し始めた。
「ダーメッ!そんなの面白くも何ともないわよおっ!」
 横から、なびきが声を張り上げた。
「あん?」
 いきなり出鼻をくじかれた乱馬は、彼女をじろりと見返した。
 己の重い話をし終えて気が緩んだのか、それとも、体内に溜まっていく酒のせいなのか、なびきはぐいっとグラスを持ったまま、乱馬の横へと座り直した。

「あたし、乱馬君の女性遍歴を訊きたいわっ!」
 
「あのなあ…。女性遍歴って…。俺にはそんなものねえよっ!」
 乱馬は大慌てで否定に走る。

「いやあ、そりゃあ、面白そうだ。是非、僕も伺ってみたいものだねえ、はっはっは。」
 あろう事か、東風までそんな事を言い出した。そして、彼もまた、乱馬の席の隣りへと、座り込む。手には封を切ったばかりのワインボトルを持っている。
 丁度、二人に挟まれるような形で、乱馬は両脇から口撃(こうげき)を受けた。

「だからあ…。俺にはそんな女性遍歴なんて…ある訳…。」

「無いとは言わせないわようっ!あんた、この世界長いんだから、ここへ来る前に、いろいろあったでしょうが…。うりうり…。」
「あかねちゃんにはナイショにしておいてあげるから、この際、白状したまえ、白状をっ!!」
 と両脇から突っ込まれる事態だ。

「だからあっ!俺にゃあ、女性遍歴なんて、ねえっ!っつってんのっ!!」
 思わず、唾が飛んだ。
 だが、それくらいで緩むような、なびきと東風では無い。酒が更に勢いに拍車をかけていた。

「きゃはっは、じゃあ、あかねが初恋なんだっ!」
「なっ!」
 痛いところを突かれて、思わず赤面する。
「真っ赤になっちゃって、こんのおっ!」
「やっぱ、あかねちゃんが初恋ってことかい?乱馬君!」
 普段の二人からは考えられないほど、しつこく、かつ、うるさかった。いやはや、酒の威力は絶大だ。すっかり回ってしまった、好奇心の塊二つ相手に、乱馬は、ほおおっと、長くて大きな溜息を一つ、吐き出した。



つづく




一之瀬的戯言
 ヒマリア 木星衛星の一つ。全周約190キロ。
 だんだんに賑やかになってきた、天道ステーションの夜中の食堂。
 次はいよいよ、乱馬の身の上話編に突入します。無事に話し遂せるや否や。
 皆さん、一杯気分ですからね…。このまますむわけが無い?
 頑張れ!乱馬君!
 
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