◇星河夜話

第二話 哀しき初恋


一、

「あれは…。まだ僕が医師養成学校を出たばかりの、まだ駆け出しの頃の事だよ…。研修医とそう変わりない、ペエペエの頃のことだった。」

 東風は、前にトンと空になったワイングラスを置いた。
 少しばかり飲むペースが早かったようで、乱馬やなびきたちより、先にじんわりと身体にお酒が回り始めていたようだ。だが、決して乱れる訳ではなく、普段はあまり回らない口を、滑らかに話し始めた。

「木星の衛星・キュア…。それが僕の最初の赴任星だった。」
「キュア…。って、あの「キュアの悲劇」の舞台のか?」
 また乱馬が口を挟みかけたが、なびきが横からそれを制した。
「折角、気持ちよく喋ろうとしてるんだから、もっと聴き上手に徹しなさいよ、あんたはあ…。」
 と小声で囁く。
「わかったよ。」
 乱馬はすごすご引き下がる。

「ああ、キュアの悲劇…。あの舞台になった星の医療研究施設に、最初に赴任したんだよ。僕はね…。」
 持っていた折り紙を、手でしごきながら、遠い瞳を過去へと巡らせる。



 キュア。
 宇宙時代以前から、木星には次々に衛星が発見されていたが、その中でも、比較的遅くに発見された衛星である。
 「キュア」は先端の医療施設が揃った治療衛星であった。星自体は円周数十キロという規模の小さいクズ星。管理しやすい規模であったため、木星星域の最高の医療現場として機能していた。
 最新の医療設備があるこの衛星で医者としての第一歩を踏み出せることは、医療関係者にとっては光栄なことでもあったのだ。
 東風も、そう思っていた一人であった。
 木星が目の前に美しく輝く「癒しの星・キュア」。
 だが、その星の名は、後に起こった「キュアの悲劇」と呼ばれる大惨劇から、人々の脳裏に深く刻まれることになった、星である。


 酒のほろ酔い加減に、気を良くしたのか、珍しく東風は饒舌だった。


「僕が連邦医学養成学校をそこそこの成績で卒業して、最初に踏みしめたキュアの土は、ざらついた感じがした。どこの星でも、原生の土は月の大地のようにゴツゴツしたものと相場が決まっているけれど、その星は違っていた。乾燥した白い砂質の土だった。
 天空を照らし続けている人工太陽の温度も、温帯の気候十八度前後でコントロール制御され、過ごしやすい感じがした。療養のための医療衛星だから、過ごしやすく設定管理されているのが当たり前だから、過ごしやすくて当然だったんだけどね…。
 区画整理された病棟が、小さな星の大地に整然と建てられて、清潔感溢れる空間に見えた。科学が発達した現在でも、たくさんの難病がある。
 それぞれの病棟は患者さんたちの病気の種類や病状などによって整理され、治療が続けられていた。勿論、難病指定された病気で命を落とす人々を看取るための終末病棟もあった。
 僕が宛がわれたのは、そんな終末病棟の一つだった。
 君たちも知ってのとおり、宇宙感染症は宇宙時代を迎え。宇宙空間へ出た地上ウイスルたちの進化した激ウイルスが体内で繁殖し、様々な症状を起す、厄介な病の羅列。軽い物はただの風邪症候群だけで終息へ向かうが、中には自己免疫機能がすべて奪われ、命を失う患者も多数いた。その症状は千差万別。
 宇宙感染症を自己研究課題に据えて来た僕は、そこの宇宙感染症病棟に居た。僕が居たところは、重症の患者を相手にしていたところだったよ。殆どの患者がそこで終末を迎える。そんな場所だった。
 でも、今際の時を静かに迎えることができる…。そんな人間は幸せかもしれない。だって、そうだろう?特務官みたいな最前線で任官する者は、死と隣り合わせに生きている。過ぎ行く時間を惜しみながら、身罷ることができるというのは、人間としては理想的なのかもしれない…。
 だから、一般に考えられているほど、病棟内に悲壮感は漂っていなかった。
 ここで穏やかに今際と向き合い、残りの命の焔を燃やしきる。そんな場所だったんだ。

 その病棟に彼女が居た。先輩医師だったんだ。
 名を「フローラ・ミスト」と言った。僕より、そうだな、五つ年上だった。長い金色の髪をかすみさんのように、ふわっとリボンで後ろに束ね、微笑みを欠かさない素敵な女性だった。物腰も柔らかく、手先も器用で、医療仲間だけではなく、患者さんからも親しまれていたよ。

 どんな世界でも、新人はとかく、上から叩かれやすい存在になる。
 医療の世界も同じ。人の命を預かる重責もあり、軍隊と同じように規律の厳しい世界だ。そいつは、ともすれば、大きなストレスを生み出す。
 人間とは愚かしい生き物で、どうしても、そのストレスのはけ口は「弱い者」へと立ち向かうものだ。
 患者はある意味、僕ら医者にとっては「お客様」であり「最高のデスプレイ商品」でもあるから、そちらへストレスの矛先を向けるわけにはいかない。となると、どうしても新しい世界に飛び込んできた「新米医」へと向かうことになる。

 え?いじめられてたのかって?

 個々の技量が優先される世界では、特に人の心へ沈む「悪意」は陰湿になる。僕が特別優秀でなくても、矛先は容易に向いてきた。良くわからない新人なのに、そこの慣習やら規則を教えてもらえなくて幾度と無く失敗させられた。グズ呼ばわりされて、邪見にされたことだって一度や二度じゃない。
 そんな針のムシロの上に居た僕を、何気にかばいだてして、先輩医師や看護士たちの「いびり」から守ってくれたのも、彼女だったんだ。

 どんな女性(ひと)だったって?

 さっきも言ったとおり、かすみさんをヨーロピアンにしたような風貌と雰囲気を持つ、落ち着いた可愛らしい人だったよ。
 それでいて、医療に対してだけは厳しい人だった。決して己に妥協しない芯の強さ。それをしっかりと持ち合わせていた。
 かすみさんがそうだろう?
 分野は違うけれど、決して手は抜かないし、柔らかな物腰でいて、強い芯を持っている。
 そんな人だったから、新人医に対する理不尽な「いびり」を許す事はできなかったのだと思う。
 何かとヤッカミで仕掛けてくる周りの先輩医師や看護士に対してさりげなく横槍を入れて、僕をフォローしてくれた。
 そんな女性に、好感を持たない訳、ないじゃないか。

 あはは…。そういう僕も、まだ若かったんだね。

 そんな、彼女だったから、自然、職場の中で、一番良く話す存在になっていたよ。

 あ…。勿論、仕事上の付き合いしか無かったよ。決して、男と女の関係は持ち合わせなかったし、プライベイトは互いに殆ど知らない。
 でも、多分、僕が彼女に好感を持っていることは、何となくわかっていたんじゃないかな。相手は若造の僕よりも年上だ。彼女はとても優しい女性だったから、僕だけではなく、好意を持つ者も数多居た。医療仲間だけではなく患者さんからもね。」



 東風は何故か、かすみのことを口走る時は、楽しそうだっだ。
 乱馬もなびきも、お酒を含んでいるから、容赦は無い。
 だがしかし、話が核心へと迫るにつれて、だんだん、かすみの事は置き去りになる。自然、微笑みは少なくなった。シビアな話へと移行するのだろう。
 重い話に移行する前に、東風は、一気に残りのグラスを飲み干した。




「キュアへ赴任して半年過ぎた頃のこと。
 あの日、あの子がキュア星へ来なければ、或いは、僕は、天道基地(ここ)へ来ていたかどうか…。あの日だよ、あの、忌まわしい医療事故が起こった日。
 キュアの悲劇。そう呼ばれた事件だよ。

 あの日、僕は非番だったんだ。それも、珍しく、院外に出ていた。年がら年中、院内で従事すると言っても、僕も一介の市民。日用品の買出しなどに、キュアタウンへ繰り出すこともあったさ…。
 その日はフローラさんと中央シティで過ごしていたんだ。
 たまたま非番が一緒の日だということで、買い物に誘われたんだ。無味乾燥な一人の休日なんてつまらないから、話し相手になってくれないか、とか何とか軽い気持ちでフローラさんの方から誘って来た。
 だからって、彼女とは特別な関係だったわけじゃない。気易い仕事仲間の一人として声をかけてきたんだと思う。というか、僕の場合、「男」として見られていなかったように思うよ。寂しいけどね…。
 だって、彼女には、当時、既に恋人が居たんだから。そりゃあ、あんな良い女、誰もほっときゃしないって。とある医師仲間に訊いた話によると、彼女のコレは現役バリバリの遠方軍人だったそうだ。
 滅多に逢瀬を楽しむ事もなかったらしいが、一度だけキュアに来た事があったらしく、街中で一緒に居るところを、医療仲間が目撃したらしい。
 僕は彼女からは、ただの、気心が知れた、地味な人畜無害の後輩医師としか見られていなかったんだろうさ…。だからこそ、気さくに誘ってくれたんだと思う。
 勿論、健康的な休日だったさ。昼の日中、ショッピングセンターでお買い物ってね。映画の一つにでも行けば良かったんだが、僕も若すぎて、そこまで神経が回らなかった。恋人ではなかったものの、フローラさんと休日を過ごせるというだけで、かなり有頂天だったさ。
 キュア星は医療関係者及び医療企業関係者、そして医療を受ける患者とその家族。それから彼らを相手する少数の商人たちで構成された星だ。
 キュアタウンはそんなに広い街じゃない。太陽系規模の大手企業チェーンショッピングセンターが中央にドンとあって、そこを中心に商店街がある。そんな簡単なダウンタウンだ。自ずと、ショッピングセンターに買い物客が集中する。

 僕は、キュアタウンで久しぶりの有意義な休日に満足していたよ。

 多分、医療システムについてや、学会の研究動向など、職場から抜け切らない話ばかりしていたろう。まだ青二才の若手医師同士だったから、自分の理想論やら、学会の動向やら、そんな当たり障りの無い話で盛り上がっていたさ。
 昼にはオープンテラスのカフェで軽食をとりながら、他愛の無い専門話に興じる。そんな僕たちの上を、ひっきりなしに医療救急船が飛んでくる。キュアは木星星域では一、二位を競う医療機関だったから、木星星域のそこいら中から、緊急医療宇宙船で患者が運ばれてくるんだ。腕の良い医者もたくさん従事していたからね。
 だが、この日の、入船はいつもよりも、明らかに多かった。

『今日も、たくさんの緊急医療船が入ってくるわね。どこか近くの星で、大きな事故とかテロ事件があったのかもしれないわね…。人員が足らなくて、緊急呼び出しが入ってくるかもしれないわ…。』
 食後に運ばれてきたモカを飲みながら、彼女は上空を見上げた。
 僕らの仕事も拘束時間があってないようなものだったからね。いくら非番でも人員が足らなければ呼び出される。そんな具合だったから、そんな言葉が出たんだろう。

 「キュアの悲劇」。後にそう呼び習わされることになった「事案」の全ての根は、その日、宇宙から搬送されて来た、一人の子供の患者からだった。
 記録上に残る名は「リラ・ミソノ」。何処にでもいる普通の幼い少女だったそうだ。彼女はまだ幼年学校へ上がるか上がらないか…。五歳六歳の幼子。彼女が母親に伴われて、緊急に入院してきた。
 診立ては「宇宙感染症B型」。
 知ってのとおり、宇宙感染症にはA、B、C、D、Eと五つの階級に分かれている。A型は比較的軽症で感染力も低い。B型は軽症感染力強化型。C型は中規模で、なおかつ感染力が低い型、D型が感染力が強く重症になり易い型。そして、C型やD型よりも更に劇症型へと変化する確率が高い厄介な、E型。
 感染力は強いが、管理された院内ではごく普通に扱えるB型。簡易検査結果がそうだったから、誰しもそれを疑わなかったそうだ。
 無菌カプセルに乗せられて入港し、病棟へ搬入。
 「宇宙感染症」だったから、勿論、直接対面はない。
 多分、それがいけなかった。子供である上に、感染症患者。だから、チェックが甘くなっていた。彼女の乗せられていた無菌カプセルに、そいつは仕込まれていたんだと思う。」



二、


 そこまで一気に話して、東風は、ふうっと深く息を吐いた。
 
 この先、何が話されるかは、乱馬やなびきには、何となく予想がついた。
 エージェントの彼らには常識と言って良い有名なある事件。その顛末。東風が語ろうとしているのはその話だと思った。自分の身上話など、東風の口から聞いたのは初めてな上、彼の身上を調べた事も無かったので、まさか彼がその有名な事件の中心近くに居た事は、今回初めて知ったのだ。
 エージェントたちには、通り一遍等の事例だけが知識情報として紹介されるに留まる。重要な事件ならば、尚更だ。一切の感情も介入しない。事件のあらましだけが伝達される。各々の事件の、奥深いところまでは、詳しく調べなければ掘り下げる事もない。ましてや、関わった者のコメントなど、よほどでない限りは耳にする機会などないだろう。
 そのチャンスが巡ってきたのだ。これを聞き逃す手は無い。なびきも乱馬同様、聴く事に集中していた。

 情報収集能力に長けている分、なびきは調べ上手であると同等に、かなりの聴き上手でもある。
 何か意図しているのか、東風のグラスに、トクトクとワインを注ぎ入れた。

「この際だから、今夜は、とことんやりましょうか。明日も非番みたいなものだし…。今夜の宿直当番は天道司令(お父さん)だし…。ね。」
 そんな言葉を柔らかくかけた。

「なかなか上等のワインだねえ…。するすると咽喉に入っていくよ。」
 東風は、潤んだ目を手向けながら、ワイングラスを傾ける。
 彼が深酒をするのは、珍しい事だったと思われる。それもこれも、先日の長期に引き続いて、かすみとあかねという二人のエージェントがここを離れ、開店休業状態に陥っている天道ステーションの状況にも関係があるだろう。

 ワインで口を湿らせながら、再び、話し始めた。



「リラ・ミソノ。彼女を運び入れた、無菌カプセル。
 その傍らに、魔の時限装置が仕掛けられていた。何者かが、悪意を持って、キュアに攻撃を企てたんだ。
 公式記録では、未だ、犯人は明らかにされていないが、僕が思うに、「蒼い惑星」の連中、もしくは「ゼナ」の連中、その二つのうちのいずれかだと思われる。勿論、地球連邦政府に、造反を企てる輩はもっと多くいただろうが、あれだけの病原体を所持できる力を持っていたのは、いずれかだろう。
 リラ・ミソノ。彼女がそのいずれかに絡んでいたか否かは、今となっては、確かめようが無い。絡んでいたとしても子供だ。何処まで理解していたかは疑問だよ。
 丁度、彼女が病院内に収容された頃合を見計らって、そいつは爆裂したんだ。

 ドッカン!とね。

 それは、非番の午後のひと時を、楽しんでいた僕たちのところまで聞えてきた。
 何が起こったのか。爆弾テロなのか。
 勿論、周りは騒然となった。でも、煙も火柱も上がらなかった。爆発物ではなかった事は確かだった。
 炸裂したのが、化学兵器だったことがわかったのは、もう少し時間が経ってからのことだったからだ。
 
 暫くして、ピピピッと手元の通信機からコールが入った。

 緊急呼び出し。
 すぐに病院へ来い。そういう内容だった。
 非番の僕らも呼び出しを呼び出す事態だ。何が起きたのかと慌て気味の僕に、フローラさんは落ち着くように言った。
『私たちが慌ててしまって、平常心を失えば、助けられる命も殺してしまう事になるわ。東風。』
 そう、厳しく言った。先輩医師として、若輩の僕へ注意したんだろう。

 僕らはそのまま、とるものもとりあえず、中央病院へと駆けつけた。そこでは、慌しく人々が動いていた。医療関係者に混じって、警官やら軍関係者までが入り乱れていた。何が起こったのか状況がわからず、右往左往して、辺りは騒然としていた。
 何が起こったのか、すぐさま理解するには至らなかった。だが、何か重大な事変が起こっていることだけは確かだった。
 
 と、いきなりだった。
 突然、目の前で、「遮断シールド」が降りたんだ。そう、病棟が封鎖されたんだよ。医療関係者が中へ入る前にね…。
 僕らの勤務していたのは感染病棟だ。その性格上、感染病棟は、何か事変が起こると、病棟ごと遮断され、閉鎖される仕組みになっていた。そう、病人の持つ、細菌やウイルスを他の場所へばらまかないためにね。
 まさに、僕らが病棟の前に到達した時、その隔離遮断シールドが稼動したんだ。
 遮断シールドが作動すると、何人たりとも、外から中へは入れない。中からロックされてしまうんだ。

『シールドが降りたぞ!何が起こったんだ?』
 僕はすぐ傍にいた、軍関係者へとせっついた。
『異常事態が発生したんだよ。誰かが細菌爆弾を病棟内で炸裂させやがったんだ!』
 忌々しげに軍人は答えた。
『細菌爆弾が炸裂したという根拠は何ですの?』
 背後からフローラさんも問いかけていた。厳しい声だった。
『あんたたちは?』
 いきなり駆け込んできた僕らの質問に、そのまま答えてよいのかどうか、迷ったように軍人は見上げた。
『申し遅れました。私たちは、ここの病棟の担当医です。今日はたまたま非番でしたから、普段着ですけれど…。これが身分証です。』
 フローラさんは落ち着き払ってハンドバックから身分証を取り出した。そして、僕にも出すように目で合図を送ってきた。慌てて、僕もそれに従って、懐から身分証を出して、かざして見せた。
『ここの医療関係者でありますか。ならば、説明いたしましょう…。』
 軍人は眉を潜め、声を落として話し出した。
『緊急入院した患者の搬入カプセルにどうやら、その細菌爆弾が仕込んであったようなのです…。院内で炸裂し、病棟内は一気に汚染されました。』
『で?』
『どうやら、宇宙感染症か何かの即発型細菌だったらしく、モニターを見ていた警備班からの情報によると、見る見るうちに入院中の病人がバタバタと倒れだしたということです。』
『毒薬か何かをまかれたんじゃないのか?それが細菌やウイルスの仕業だと何故判別できた?』
 僕は当然の疑問を投げつけた。
『一部、感染していない人たちを確認したからです。』
 軍人は端的に言った。
『毒薬ならば、一様に皆、その場に倒れ伏すはず。でも、倒れないで平気な人間が居たということは、明らかに何か細菌の攻撃を受けたということになるわね。』
 フローラさんはすぐさま、理解したらしかった。
『そうか…。倒れない人間とは、予防接種を受けたか、または、その細菌に対する、免疫などの耐性が備わっているということになるのか…。』
 僕もそれに同調した。
『他にも、根拠としては、宇宙感染症を識別する空気正常認識装置が、一気に数百倍に反応したことが、あげられるでしょう…。』
 軍人は更に説明してくれた。
『なっ!数百倍だって?』
 有り得ない答えに僕は思わず声を張り上げていた。
『それだけ、強烈な細菌爆弾が炸裂したっていうことよ!』
 フローラの顔も緊張に包まれた。
 彼女が言うように、相当強い細菌爆弾が投げ込まれ、一気に病棟内が汚染されたに違いなかった。
『で、今後の動きは?』
『中に居る、サーベル教授と連絡を取り合いながら、細菌消毒を行います。』
『サーベル教授はご無事なのね?』
 フローラさんの瞳が見開いた。
『ええ…。何とか、耐性があったようで、ご無事のようです。まだ、完全に通信手段が復帰したわけではなくて、断片的にしか情報は伝わってこないんですが…。』
 軍人は答えた。
 サーベル教授。木星中央医療大学の教授で、宇宙感染症の先端研究者の一人だよ。分野が違う君たちエージェントにはあまり馴染みのない名前かもしれないが、僕ら、感染症医療関係者には「神様」みたいな研究者だった。
 彼は、時々、僕らの病棟へ時々、データーを収集に出かけて来られるんだ。キュアの病院は太陽系内でも大きい方だから、データー収集には持って来いの施設だったからね。たまたま、訪問中に罹災したらしかった。そう、中に入ったままだったらしいんだ。
 
 外に居る、関係者が見守る中、通信網が使用できる状況になったのは、半時間も過ぎた頃だったろうか。僕もフローラさんも病院の中央制御センターで待機しながら、軍関係者と教授の通信のやり取りを聞いていた。

『中は、次々と人が斃れて力尽きていく。まさに、地獄絵だよ。』
 教授はマイクに向かって怒鳴っていたのか、かなり興奮した話し振りだった。
『教授はご無事なんですか?』
 フローラさんがマイクを握り締めていた。
『ああ…。今のところは無反応だ。僕の他にも医療関係者は無症状の者が多い。恐らく、僕ら医療関係者がうつ、予防接種に免疫効果がある型の病原体なんだろう。』
 教授はそんな事を言っていた。
 僕ら医療関係者は、その性格上、君らエージェント並みに「薬」や「病原菌」に対する耐性が要求される。だから、様々な予防接種を体内にうちこんでいるんだ。宇宙感染症も殆どの型の元となる免疫注射は打ち込んでいる。宇宙感染症の病原菌と言っても、既成の型から作られた亜種ならば、予防接種は有効だ。
『それよりも君たち。医療関係者のよしみで頼みがある。』
 教授は急に改まって、話しをしだした。
『中央センターの僕の机の上に、感染症に効く融和アンプルが幾つかある筈なんだ。まだ、実験段階の新薬だから、実際に患者に投入するのは躊躇されたんで、薬剤企業から預かりうけてそのままになってる代物なんだが…。』
 教授はこの病院の客員研究員でもあったから、自分のデスクを中央センターへ持っていた。そこのことを言っていたらしいんだ。
『教授、それをそちらへ届けろと?』
 フローラさんは畳み掛けた。
『ああ。効くかどうかはわからないが、何もしないで手をこまねいているのもシャクじゃないか。足掻いてみる価値はあるだろう?』
『そういうことなら、私たちにお任せください。』
『よろしく頼むよ!』
 通信は一端そこで途切れた。
 フローラさんは僕やたまたま外に出ていた、担当医者たちに指示して、中央センターから教授が言っていた、試作アンプルを持ってこさせた。試作アンプルと言っても、きちんと箱詰めされた製品と何ら変わりはなかったよ、臨床試験が終わると、そのまま使える…そんな感じで箱に収められていた。勿論、「試薬品」という赤い文字の印刷ラベルが貼られていたけどね。
 ゆうに、数十人分はあったと思う。説明書には、劇的に効く新薬だと表記してあった。劇症がどこまで押さえられるか、わからなかったが、死に瀕している患者を見殺しには出来ない。医者魂が、僕やフローラさんに芽生えていた事は確かだった。

 ただ、問題だったのは、既に病棟ごと、遮断シールドで閉鎖されていた事だ。
 細菌が逆進入しないための措置。コレはコレで有効だったと思う。じゃないと、キュア全体に感染症状は拡大していたことは間違いない。
 中へ行くのは、自決覚悟だ。
 もし、己の身体にその病原菌に対する耐性、免疫が無かったら、体内で細菌は一気に増殖し、患者たちと同じように劇症に苛まれることは確実だ。軍関係者が見守る中、僕ら医療チームは顔を突き合わせ、誰がシールドを越えて中へ入るか、話し合った。
 そんな修羅場へ飛び込む勇気は並大抵じゃない。医者としての使命感に燃えていたとしても、己の後ろ側に家族が居る。ある意味、軍人よりも厳しい命の選択を迫られていた。
 率先して中へ入ることを志願したのは僕とフローラさんの二人だけだった。

 僕もフローラさんも、まだ若かったからね。未婚だったし、何より、使命感に溢れていたんだ。目の前で苦しむ患者が居れば、放ってはおけない。恐怖心よりも使命感が先走っていた。
 すぐさま、僕ら二人が中へ入ることで決着がついたさ。
 僕らはアンプルを背負い、そして、中へ入る準備を入念に始めた。
 軍関係者に付き添われて、シールドの前に立つ。
 中は二重の扉になっていて、こちら側から中間の部屋へ入り、そこから更にもう一つの扉を開いて中へ入る。そんな仕組みになっていた。
 フローラさんと僕は、共に、第一シールドを抜け中へ入った。
 だが、僕は、それ以上奥への進入は出来なかった。
 一緒に臨もうと、第一シールドを抜けたその瞬間だった。
 フローラさんの持っていた銃が一緒に入ろうと後ろについた僕を強襲したんだ。
 余りに唐突なフローラさんの行為に、防御する事もできず、僕はそのままその場へと倒れ伏したんだ。

『何で?…フローラ…さん。』
 銃弾は即効性の麻酔銃だった。僕を傷つけて倒す意図のものではなかった。撃たれた即時、それはわかったよ。だって、血一つ伝わらなかったし、代わりに体中の力が即座に抜けたんだ。
 その場に沈みながら、僕は、フローラさんを見上げた。薄れいく意識の向こう側で、彼女は僕が背負っていたアンプルのリュックを引き剥がしたんだ。

『ごめんなさい、東風…。中へ入るのは私一人で充分よ。あなたはここまでで良いわ。』
 そう憂いを帯びた瞳が目の前で笑った。
『中は修羅場なんだろ?だったら、一人でも多くの医者が必要なのじゃないのか…。』
 遠のく意識と戦いながら、僕は恨みを込めて彼女へとたたみかけた。
『かもしれないわね…。でも、この向こう側にあるのは戦場。それも、再び帰って来る可能性はゼロに近い…。あなたが優秀な医者の卵だということはわかっている。だからこそ、あなたはここから引き返すべきよ…。貴方が救わなければならない人々は、まだ宇宙の向こう側にたくさん居るわ。だから、ここでお終いにしてはいけない。』

『でも、それは、フローラさんだって同じじゃないですかっ!』
 渾身の声で僕はそう抗した。
 でも、それに対する返答はなかった。
 ただ、薄っぺらな笑いを残して、彼女は向こう側へと消えたんだ。第二扉の向こう側へ。
 力尽きた僕は、そのまま、その場へと沈み込んだ。


 次に目が開いた時は、中央センターに近い、とある病室のベッドの上だった。
 身体を起こした時、見覚えのある看護士が一人、僕を覗き込んでいた。彼女は無言で、無表情だった。

『フローラさんはっ!感染病棟は!』
 開け放たれた窓の向こう側に広がる風景に、一瞬、己の目を疑ったよ。
 中央センターの向こう側に建っていた筈の、僕らの職場、第十病棟、感染症の患者専用の病棟が無い。いや、無いどころか、辺り一面、黒コゲになっている。まるで、業火で焼かれてしまったような痕だった。コンクリート片もガラス片も跡形も無く、片付けられたあと。そんな感じがしたよ。
 ただ、ドーム型の遮断シールドだけは、そのまま置かれていた。透明なシールドが、人工太陽の光を真上から受けて、キラキラと輝いていた。

『あなたはあれから一週間も眠り続けていたのよ…。小乃医師。』
 看護士はそう言いながら、力なく笑った。
『一週間…。そんなに僕は眠っていたのか…。』
 フローラさんは、強い睡眠麻酔弾で僕を眠らせたんだ。
『あなたを道連れにしたくなかったのね…。フローラ女史は。だから、強い薬であなたを眠らせたんだわ。…連邦政府が出した命令を察していたのかもしれない。』
『連邦政府が出した命令…。』
 跡形もなくなった、第十病棟跡地を見て、その言葉の意味、あれから何があったのかを、瞬時に理解したよ。
 僕が夢も見ずに眠っていた間にあった「悲劇」をね…。

 そう…。連邦政府は第十病棟を封鎖し、淘汰したんだ。
 感染症の拡大を防ぐ…という名目でね。
 フローラさんや中に居たサーベル教授諸共、患者たちを抹殺したんだよ…。多分、中の様子は、僕らの想像以上に凄まじいことになっていたんだと思う。それに、免疫がたとえついていたとしても、その感染症の症状が出ないともわからない、未知のウイルス。
 …いや、案外、手とリストたちが投入したそのウイルスの正体を連邦政府は知っていたのかもしれない…。だからこそ、非業と知りつつ、病棟ごと焼き尽くし、跡形も無く消し去った…。
 僕は、フローラさんの通信によって、倒れていた場所から担ぎ出され、中央病棟へと収監されたんだそうだ。彼はこのまま置いていくとだけ、言い残して院内へと入っていったんだそうだ。
 患者たちの末期を少しでも楽にするために従事したのか、それともアンプルで最後まで望みを捨てなかったのか…。第十病棟の最後の場に立ち会えなかった僕には、何もわからない。案外、フローラさんは教授辺りから詳細を聞かされて、連邦政府の意向を知ったからこそ、僕を強力な睡眠弾で眠らせたのかもしれない。」



 そこまで話すと、東風はホッと一つ、深い溜息を吐き出した。
 フローラさんのことを思い出したのだろう。すっと、胸元に忍ばせていた、ペンダントの鎖を差し出す。普段は、衣服の下へと携行しているらしく、見たことも無いペンダントだった。胸元には真っ青なペンダントトップが釣り下がっている。


「これは、フローラさんが最後に僕に残したものなんだ。これを持って僕は倒れていたんだそうだ…。勿論、自分で握り締めた記憶はないよ…。多分、意識が途切れた僕に彼女が託したものだと思う…。」
 そう言いながら、目の前に出して見せた。

「見たところ、金目の物になりそうな宝石じゃないみたいだけど…。」
 なびきらしいコメントがすぐさま返って来る。
「おまえなあ…。この場合、そういうコメントするのは、どうかと思うぜ…。」
 半ば呆れながら、乱馬はなびきを見返す。
 二人のやり取りに、苦笑いしながら、東風が言った。
「このペンダントの中には、フローラさんがまとめていた「感染症に対する私見」の情報チップが収められてるんだよ。こいつには、フローラさんの僕よりも長い五年分の経験知識の情報が詰まってるんだ…。彼女はその世界ではかなり有望な女医でね…。これのおかげで、あかね君の病気も完治させる事が、できたんだよ。」
 東風は笑った。

「そうねえ…。あかね(あの子)も宇宙感染症でかなり長い間苦しんだ口だものね。」
「ああ…。僕があれから、己を見失わずに、医師でやってこれたのも、これのおかげだったかもしれない…。尤も、宇宙感染症の最先端からはとっくに外れて、一介の軍医に成り下がってはいるけれどね。」
 そう言いながら東風は笑った。

「先生、あらあら、そんなに謙遜しなくても…。あかねを担当して治した腕を見込まれて、天道ステーション(うち)へ来ることになったんでしょう?」
 東風がここへ来た一部始終を知っているらしく、なびきが突付きながら笑った。

「さてと、キリが良いところで、僕の思い出話はここで終わりだよ…。あと、付け加えておくならば、あの忌まわしい事件が起こったのは、七夕祭の日だった…ってね。」

 そう言いながら、東風は自分のグラスに、ワインを注ぎ入れた。赤いワインが、彼の手元でゆらりと揺れていた。





つづく




一之瀬的戯言
 東風の身上話はここでお終いです。
 次はなびき姉さんが語ります。多分…。
 なお、キュアは癒すという英語からいただきました。もちろん、そのような衛星は木星にはありませんので、ご了承くださいませ。



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