◇星河夜話

第一話 三人寄らば…


一、

 漆黒の宇宙空間に出ると、星は輝かない。
 星河が瞬(またた)き輝いて見えるのは、厚い空気の層を通して見るからだ。
 真空の暗い闇から見れば、星などただ灯る豆粒の明かりの羅列だ。それ故、しごく無味乾燥に見える。
 宇宙空間で放浪生活を送っていた彼にとっては、星に輝きはない。それが当たり前だと、子供の頃から思っていた。星は己を乗せて動く、鋼鉄合金の壁の向こうにある、ただの景色の背景に過ぎなかった。
 星が輝くということを知ったのはいつだったか。
 父親に連れられて行った、どこかの惑星の小さな衛星から見上げた空。その満天に輝く星の光に声も出ぬほど感嘆した。空気の底の地面から見上げると、星は煌めくばかりに美しく光り輝く。初めてそれを知った時の驚きようは、幼心に強烈な印象を残した。
 そんなことを、つらつらと思い起こしながら、宇宙ステーションの窓の外とぼんやりと見上げる。
 ふうっ、と大きな溜息が、独りでに出た。

 遅い食事だったので、他に人の気配はない。セルフサービスでレンジを使い、パレット上に組まれた食事を温めて食べる。
 いつもは傍にある笑顔が無い。それだけで、味気がない食事が輪をかけてそう思える。
 こんな日は軽くお酒でも含んで寝るに限る。そう思って、貯蔵庫へ入ろうかと立ちかけた。そんな時だった。
「あーら、一人でお食事?」
 不意に後ろから声をかけられた。
「なびきか…。」
 何だと言わんばかりに、むすっと視線を流しただけに留まった。語尾は飲み込んだが、『あかねが居ねえから一人なんだよ!』という心の声が響いてきたように思う。
「もうっ、そんなに邪険にしなくったって良いでしょうが。」
 にやっと笑いながら、彼女は声をかけると、持っていたグラスをトンッと食卓へ置いて、彼の横に座った。
「飲む?」
 差し出した右手には、揺れる紅い色の液体。葡萄酒だ。
「金、取らないだろうな?」
 そんな言葉が咽喉から出た。
「あのねえ、いくらあたしでも、そんなに、いつでもお金を要求するんじゃなくってよ。このくらいはおごってあげるわよ。」
 鼻先でふふふと笑い飛ばされた。
「だって、おめえはよう…「タダ」で何かを奉仕する…っていう高尚な行動は殆ど取らねえじゃねえか。何か下心があるとかよう…。あとで領収書を回してくるとかよう、給料から天引きするとかよう…。」
 グラスを取ると、乱馬はなびきを見上げた。すぐ傍にワイン入りのカゴ。どうやら、彼女も飲み相手を探していたのだろう。
「たく…。あかねが居ないからって、そんな不機嫌にならなくっても良いでしょうが。仕様のない人ねえ。」
 また、にっと笑い返される。
「あかねの事は関係ねーだろっ!」
 そう言いながら、グラスを一回しし、含んだ口。すっと鼻に向けて、芳醇な香りが立つ。安普請の一杯かと思ったが、気品が感じられる。咽喉越しも良い。なびきにしては上等の一杯を持って来たなと思った。
「まあ、あれから天道ステーション(ここ)へ急遽、帰還させられて、不機嫌なのもわかるけど…。」
 なびきはワイングラスをゆっくりと回しながら乱馬を見た。その手元を見ながら、ふいっと横を向いた。あまり、この義姉に、顔の細やかな表情は見られたくないと思った。このカンの良いなびきには、どうも、表情ごと内に秘めた心まで見透かされてしまうような気がして、正面切って向き合うのは避けたいと思うのだ。
「別に、何も不機嫌なんかじゃねえよ!」
 と、またワインを口に含む。
「そうかしらねえ…。この暇さ加減じゃあ、時間を持て余して、余計にあかねの居ないウップンが溜まりに溜まって来てるんじゃないの?
 その慰みにはお酒が良く効くわ。どう?たまには私と飲むのも悪くないんじゃなくって。相手があかねじゃなくって、不満かもしれないけれどさあ…。」
 なびきは乱馬を見てにっと笑った。
「ま、いいか。たまにはおめえと酒食らうのも…。どうせ、部屋へ戻ってもやることもねえし。」
 投槍に言うと、彼女と飲むことに同意した。


 滞在先のエララ星から、休暇半ばで呼び戻されてはや、十日が過ぎた。
 残っていた休日、五日ほどを無理矢理、返上させられた。
 たった、五日。されど五日。
 殆ど連続休暇を取れない身の上では、貴重な日数である。
 ただでさえ、休暇の殆どは「緊急任務」で飛んでしまったのだ。連邦宇宙局の要請で少女ナミを護衛する任務に当てられてしまった。おまけに、また、ゼナの闇を返すため、ダークエンジェルの超力を解放するわ、一緒になった旧知の元エージェント、サラによって、訳のわからない異世界にも飛ばされるわ、散々だったのだ。
 あの任務の肉体的及び精神的ダメージが、まだ、身体のどこかで燻っているような気がする。それを癒すためにも、休暇の残り日数五日は貴重だったはずなのである。なのに、あかねの昇進試験云々で見事に粉砕され、呼び戻されてしまったのだった。
 大溜息の一つもつきたくなるのも当然だった。

 帰還早々、あかねは火星へ向かって飛び立ってしまった。学園都市ラグロス。そこにある、連邦軍の訓練施設で、階級昇進のための特別講習会を受ける。それが彼女に課せられた次の任務であった。
 連邦宇宙局の規定では、特務官エージェントは少尉以上の階級の者が行うという規定がある。それまでは特例で少尉に満たない、一歩手前の准尉でも任官できたが、今度その規定が変わることになり、少尉以上の階級に居ないとお払い箱になるというのだ。
 あかねはまだ、准尉だった。「特別認可」を受けて、乱馬の相棒を務めていたのである。言わば、仮免許で路上に出ているようなものであった。
 そんなこんなで、今回、急に呼び出しを食らったらしい。
 少尉昇進に向けて講習会と昇進試験に臨むことになったのである。


「たく、休暇途中の急な呼び出しなんて、迷惑なだけだぜ!」
 つい、苦言が乱馬の口から漏れる。ワインの芳醇な香りと涼やかな咽喉越しとは、正反対の物言いだ。
「あら、仕方が無いじゃないの。…ヒヨッ子の頃、宇宙感染症にかかって、二年ほど棒に振ってるんだから、そのしわ寄せであの子は昇進が遅れてたんだし…。」
 なびきがそれに答えて言った。
「服務規程を変えるなら、もうちょっとタイミングを後にずらして欲しかったぜ!まだ、五日もエララ星滞在期間が残ってたんたんだぞ!俺たちには。」
「あら、ちゃんとキャンセルして何パーセントかの解約金も戻ってきたし、ボーナスが休暇中の任務で出たじゃない。これ以上、何を望むってのよ。」
 となびきは笑った。
「あのなっ!金の問題じゃねえーっつーのっ!金が入ってきたところで貴重な休暇がパーになっちまったんだぜっ!あかねとの極上の休暇がパーなんだぜ、パーっ!」
 掌を上に向けて、突き上げて吠えた。余程、途中で呼び戻されたのが気に食わないと見える。いや、そろそろ、アルコールが身体中を巡り始めたのかもしれない。

「ま、良いじゃない。休暇中だっていうことで、天道ステーション(ここ)へ戻ってきても、あんたには激務は無くて、留守番任務にしか就いてないんだから。」
「あのなあ、パートナーなしでどうやってバリバリの任務こなせって言うんだよっ!」
「あら、あたしだって、一応、特務官資格を持ってるんですからね…。その気になれば一緒に組んで…。」
 と、乱馬の横でなびきがにやっと笑って見せた。
「へん、おめえじゃ、俺の相棒は務まらねえよ…。」
 またぶすっと言葉が漏れた。
「あー、はいはい。私じゃあ、あかねのピンチヒッターにもならないんでしょうよ。」
 なびきは笑いながら言った。


「そうとも思わないけどね…。なびきちゃんもかなりやり手の特務官だよ。」
 背後から、またもう一つの声。
「と、東風先生…。」
 その声の主に、思わず言葉をかける。
「珍しいですね、こっちの食堂まで出てくるなんて…。」
 と、乱馬の口から続けて言葉が出た。


 東風は滅多に医療区以外で食事はしない。毎度の食事は医療区内で済ませている。彼がなかなか医療区を出ようとしないのには、ちょっとした訳がある。
 特定の人間に対してのみ、極度の上がり症なのだ。
 あかねとなびきの姉、ここの生活班長でもある、天道かすみ。彼女の前に出ると、平常心を失い、うっかりしてしまう事が多いのだ。冷静沈着な東風からは、考えられないような、滑稽な失敗を重ねてしまうのである。それも、どういうわけか、己のテリトリーである医療区を出ると極端に失敗の頻度やレベルが上がるのである。
 どうも、精神的なものが大きく作用しているのだと思われる。
 ここへ赴任したての頃などは、そんな彼の性癖を知らず、目を丸くしたものだ。東風の変貌ぶりは、どうやら「かすみに対する思い入れ」成せる技であるということに気付くまで、そう時間はかからなかった。東風はかすみを愛しているのである。その愛情が極度の上がり症を発症させる原因なのである。一種の恋煩いである。
 そんな東風が珍しく己の医療区(テリトリー)を出て来たのも、恐らく、かすみがあかねと共にラグロスへ飛び立って行ってしまったからだ。かすみは、今回の講習の補佐講師を務める任務に当たることになったのだ。
 かすみさえ居なければ、医療区内の東風と同じ好青年で居られる。そんなわけで、久しぶりに医療区から出て来たのかもしれない。

「ちょっと、君たちにこれの手伝いを頼もうかと思ってね…。どうも一人じゃあ、先に進まなくってさあ…。」
 人懐っこい白衣の眼鏡顔が笑った。手に何かを携えている。見たところ、大きな箱だった。
「手伝いだあ?」
 乱馬は怪訝に見返した。
「ああ、それ。」
 なびきは東風の言う「手伝い」の正体がわかったのか、コクンと相槌を打つ。
「たまには、パートナーを違えて任務をやってみるのも、面白い発見があって、良いと思うけどねえ、僕は。」
 とにっこりと微笑みながら、荷物を紐解いていく。
「冗談、きついっすよ。東風先生。あかね以外の人間と組むのも確かに面白いかもしれねえけど、こいつ(なびき)とは、御免こうむりたいですね!」
「どういう意味よ、それ。」
 なびきがじろりと睨みながら乱馬の言葉に対した。
「普段のてめえの行状から推測しろよ…。おめえと組んだら、金ばっかりせびり取られそうなんでなっ。ぜーったい御免だよ!」
 と吐きつけた。実際、なびきからは事あるごとに「情報提供料」だの「協力費」だのを要求されるのである。この天道ステーションの会計業務も彼女が握っているものだから、良いようにあしらわれて、給料から毎度の如く、何某天引きされているのだ。

「失礼しちゃうわね!あたしだって、あんたと組むなんて、真っ平よ。あんたの相棒はあかね以外には務まんないわ。危険任務ばかりだし、割りに合わないもの。」
 と、笑いながら返された。
「まあまあまあ…。コンビ云々は良いからさあ、これを手伝ってよ。二人とも。。」
 そう言いながら東風は持って来た箱を開けた。
 中から色とりどりの色紙や画用紙が覗いた。粘着テープや接着剤、はさみやカッターといった「簡易工作道具」もある。

「それは…。」
 何がおっ始まるのだと、乱馬が目を丸くした。
「こういう内職も悪くはないだろう?童心に戻れてさ。」
「そうか…。今年もそんな時期なのね。」
 なびきが目を細めた。
「そんな時期って?」
「今は何月?」
「八月…。あっそうか。「星祭り」。」
 乱馬もようやく思い当たったらしく、ポンと手を打つ。
「そうだ、星祭りだよ。」
 東風先生が嬉しそうに笑った。

 星祭り。「七夕祭」の事だ。
 旧暦七月七日。星を眺めて織姫と彦星の一年に一度の逢瀬を祝う祭。そんな古代東洋のお祭が、宇宙時代に至り、宇宙往来の安全を願う祭として、宇宙業務に勤しむ者たちの間で「星祭り」として、広がり、親しまれていた。
 この宇宙時代に非科学的な事と思われるかもしれないが、いくつか宗教は残っているし、それに付随する行事も耐えることなく継承されている。科学が人類の生活を支配しているとはいえ、並行して精神世界も無視は出来ない。こういった古き行事や伝統を重んずる風俗慣習も、まだ、残っているのである。
 お祭と言っても、「星祭り」は静かな祭だ。彦星と織姫の年に一度の逢瀬を祝う飾り物を手作りし、願い事を書き記した短冊を、竹へと飾りつける。ただそれだけの風習であるが、この天道ステーションの人々は、天道家の四人を中心に、バックヤードも一緒に、毎年、八月の声を聴くと、飾り物をせっせと手作りし、用意した大きな竹に飾り付ける。
 乱馬もここへ赴任して四度目の星祭りとなる。

「なるほどねえ…。かすみさんがあかねを連れて戻ってくるのは星祭り当日だもんなあ…。」
 乱馬はウンウンと頷いた。
「そうね…。お姉ちゃんが先頭に立たなきゃ、誰も飾り物なんて作ろうなんて言わないから…。」
 なびきもにんまりと笑う。
「だから、先生がかすみさんの代わりに、飾りを作ろうとしてるのか。」
「そうだよ。星祭りの飾りが無かったら、疲れて帰還するかすみさんやあかねちゃんが寂しいだろう?それに、ここの基地で働く人やその家族たちだって、それぞれ短冊に願い事を書き入れるのを、楽しみになってるだろうし。」
 と、東風はちまちまと手先を動かし始めた。
「楽しみになってるかどうかは、不明だけどよ…。ま、いいか。毎年やってるのに今年は無いってのも、ゲンが悪いしな。」
 乱馬もすいっと手を伸ばす。
 迷信を信じるわけではないが、こういう危ない仕事をしていると、妙にゲンを担いでしまう部分もある。
 特に他にやるべきこともなかったので、東風を手伝うことにした。
「かすみお姉ちゃんがいれば、夜食なと簡単に作ってくれるんでしょうけどね。」
 と、なびき。参入した東風にもワイングラスを取ってきて、注いでいく。
「ま、別にツマミはその辺の物、何だって良いんじゃないか?」
 乱馬は立ち上がると、冷蔵庫の中をごそごそとやり始めた。食事は決まったプレートのものをレンジで温めなおす「給食弁当のようなメニュー」で摂ったが、酒、それも飛び切りの美酒を飲むとなると、肴(あて)が欲しくなるのも人情だ。
 乱馬は冷蔵庫からチーズを取り出すと、ぺティーナイフでざっくりと切った。これで、ちびちびやるのも悪くない。
 良い大人が三人。食堂のテーブルに陣取って、ワイングラス片手に色紙工作をやり始めた。



二、
 
「でもよ…、何だって今頃昇進試験なんだよ…。」
 まだ、今回の件に納得していないのか、乱馬はむっつりと吐き出した。
「さあね…。上層部の考えは、私たち一般隊員には計り知れないところがあるから…。ま、あかねもそろそろ、昇進時期に差し掛かっていたのは確かだけれどね。」
「はあっ、帰ってくるまであと一週間かあ…。」
 トンとマグカップをテーブルへと落とし置いた。
 考えてみれば、ここへ赴任して以来、あかねと半月以上離れる事は初めてかもしれなかった。パートナーとして任務の殆どはペア行動であったし、別行動を取っても単発的で、離れても二、三日であった。それが半月位離れるのだ。大袈裟かもしれないが、何だか身体の半分がもぎ取られたような感じがしていた。
「一週間は長いかい?」
 東風が横から顔を覗かせた。
「あかねちゃんなら大丈夫よ。かすみさんが同行してるんだから。ね?」
 東風がなだめるように続けた。手元は止めず、さっきから折り紙を綺麗に切りそろえ、それを輪っかにしながら、長い飾りを作っている。
「あんたも随分、過保護ねえ…。乱馬君。」
 となびきが、くすっと笑った。
「かすみさんが同行だからそんなに心配はしてねえけどな……。おめえが同行するより安心で、ありがたいからよ…。」
 なびきを見返しながら、また、憎まれ口を叩く。
「東風先生はどうなんだよ…。かすみさんが居ないってのは、寂しい事じゃねーのか?」
 乱馬は続けて問いかけた。
「別に…。僕の場合は、君たちが任務に就いている間は、常に基地(ここ)で留守番ってのが、常の仕事だからね。」
 と眼鏡が笑った。
「帰還して、クルーがまた、元気に飛び立っていけるようにメディカル面をバックアップする…。東風先生が居るから、あたしたちも安心してこの宇宙(そら)を飛べるんだものね。それに、良いじゃない。たまにはゆったりと、ここで留守番任務っていうのも。こんな工作、平和じゃないとやってられないわよう。」
 と、なびきは笑った。
「留守番任務の工作ねえ…。」
 留守番という言葉に、また、ムッと反応する。どうも、一所にじっと待機するという任務は乱馬には苦手だった。物心がついてから今まで、止まる事無き任務の連続だった。一所に落ち着くなどということは殆どないような放浪生活を続けていた彼にとって、天道基地そのものが安住の地のようにも思えたが、それとて、任務で飛び回っているのが「基本」だったのだ。

「まあ、あんたが天道ステーション(ここ)へ来てからというもの、私たちは忙しくなったからねえ…。あんたの機動力に期待が集中するのか、太陽系の小惑星群の場末にも係わらず色んな任務が回ってくるようになったし…。たまには、ゆっくりとした任務もしたくなるわよ。」
 なびきがちらっと乱馬を覗きこみながら言った。
「何だよ、そりゃあ!俺は激務を持ってくる疫病神か何かみてえじゃん!」
「そんなようなもんじゃん、あんた…。」
 ふふふとなびきが笑った。
「実際、かなり際どい任務が増えたわよ。あんたが来てからは…。それに、おまけのように目覚めた、あんたたちの「超力」のことだってあるでしょう?そんなんで、慢性人手不足状態の多忙基地になっちゃったからね…。連邦宇宙局も、あかねを長年、准尉に留めたままだったのも、昇進試験に呼びたくても、任務が途切れないから呼べなかった…っていうのが真相なのかもね…。」
 と尤もなことを言う。
「確かに、この星域が著しく人手不足だっていうのは認めるがな。」
 乱馬も吐き出した。
「尤も、あんたが連邦宇宙局にあの子の休暇申請なんかしたから、この際、呼び戻して昇進試験を受けさせるってなことになったのかもよ…。ね、東風先生。」
「いやあ…。僕は人事はわからないから…。医者だからねえ。」
 と受け流す。
「くっそ!人事担当してるカレリア准将のオッサンだな。俺が休暇申請できるなら、あかねを、この際昇進試験に呼んじまえって、姑息な事、考えやがったのは…。」
「はあ?」
 東風となびきが同時に乱馬を見返した。
「あ、いや、こっちのことだよ。」
 乱馬は再びカップを口に含んだ。
 現在、イーストエデンのエージェント人事を握っているのが「カレリア准将」だという事を、乱馬は良く知っていたのだ。彼は、父親の早乙女玄馬とも懇意である。
「ま、昇進したらあかねのお給料も、微々たる額だけど、上がるんだしさあ…。良いんじゃないの?」
 なびきらしい切り口だ。
「あいつの実入りが増えても、俺には関係ねえぞ!第一、俺なんか、天道ステーション(ここ)へ来て、パタリと昇進止まっちまってるしよっ!」
「あんたの場合は、年齢からは考えられない破格の階級章だもの、昇進遅くて当たり前でしょうがっ。」
 なびきが呆れ顔をして見せた。
「そうだねえ…。少なくとも、その若さで「少佐」っていうのは、確かに早い昇進だものね。軍属の上の方の子息ですら、そんなに早くは昇進しないよ。
 やっぱり、相当優秀なんだね。乱馬君は。」
 東風もなびきの意見に同調した。
「んなこたあねえよ。第一、俺たちの任務は階級章がどうのってんでやり切れるような事じゃねえ。いくら軍属の階級が上でも使えねえ奴は使えねえさ。階級章なんて後から付いて来るもんだろうが。」
「ホント…まだ、若いわよねえ。あんたは。階級章にかじりつきたがる、デスクワークの軍属に聞かせたら、目をひん剥くかもよ…。」
 なびきはふふっと含み笑いを浮かべながら続けた。
「ま、確かに私たち特務官は、他の部署と違って特殊任務だから、階級云々でやるようなもんでもないけどね…。」
「ああ。そうだよ。じゃねえと、おめえだって俺と対等に物言えねえだろうが。階級が二つも違うんだぜ?通常なら命令と服従の関係しか、存在しねえぞ?違うか?」
 そう言いながらにっと笑って見せた。
「そうね…。あんたみたいな年下の若造にへつらうのも何だか釈然としないものがあるものねえ…。」
「若造ったって、なびきちゃんと乱馬君は一つしか違ってないじゃないか。」
 東風が笑い転げる。
「一つは結構重要な年齢差よ。東風先生。」
 なびきが口を尖らて見せる。
「もっとも、俺の場合、物心がついた途端に、過酷な任務に入ってたようなもんだからなあ…。本当に、階級なんて後からくっ付いてきたようなもんだし…。昇進早いのも頷けるってものだぜ。」
「ひょっとして、昇進のための試験なんか…。」
「受けたことねーよ。手柄だの何だのたてたからって、気がついたら「少佐」って肩書きがまとわりついてただけだ。」

「ははは…。かなり過酷な任務を幾つもすり抜けて来たんだね…。試験なしでバンバン昇進してきたってことは。」
 東風も感心したように笑った。
「ああ…。今ここで安穏としている俺からは、想像だにできねーだろうがな…。」
 とさらりと言う。
「ってことは、天道ステーション(うち)に来てからは、かなり楽してるんだ。乱馬君。」
 なびきがにやりと笑った。
「んなこたあねえぞ!ここに来るまでは相棒が親父だったからな。あれで腕だけは良いから、俺としては引っ張ってもらえて楽だったけど、今の相棒はあかねだぜ…。それも、着任した頃は「ど素人」に毛が生えたくらいの腕しかなかったんだぜ。それを、一から鍛えなおして育てたのは俺なんだからよ!」
 とにべも無い。
「ほらほら、乱馬君、そこ、はさみを入れる位置が逆だよ。」
「あ…。」
 つい、喋る事に気が行くと、手元が疎かになる。慣れない手つきで七夕工作。

「まあ、文句ばっかり言っていても仕方がないし…。折角だからさあ…。四方山話(よもやまばなし)などしてみない?」
 なびきが薄い微笑みを浮かべながら、東風と乱馬に持ちかけた。
「四方山話?」
「何だそりゃ…。」
 東風も乱馬も、きょとんと提案者を見返す。
「あたしたち、この基地で四六時中一緒に居るにも拘らず、あんまり互いのこと知らないじゃない。いろいろ聴きたい話とか気になる事とか、ほら、あるんじゃないの?例えば、東風先生の恋愛遍歴とかさあ。」
 ぶっと、口に含んだワインを東風は吐き出しそうになった。
「恋愛遍歴?…そんな色気のあるもの、僕にはないよ。なびきちゃん。」
 と苦笑いする。
「そうかしらん?東風先生の年くらいになると、一つや二つ、恋愛遍歴はあるでしょう?」
 なびきは視線で突っつくように見上げる。
「それ、訊いてみたいような気がするなあ…。先生の初恋とかさあ。」
 と乱馬も同調する。

「初恋ねえ…。」
 目を空へと向ける。そろそろ、お酒が適量に達したのか、目がトロンと泳ぎ始める。それを見越してか、なびきが、ごく自然にワインを東風のグラスに注ぎ入れる。
「私も聴きたいなあ…。東風先生の初恋話。まさか、かすみお姉ちゃんが初恋って訳でもないんでしょう?」
「っとっとっと…。なびきちゃん。かすみさんの事はさあ、勘弁してよ!」
 かすみの名前を聴いただけで、狼狽し始める。案外、ウブなのだ。
「古い話だったら、別に良いんじゃねえの?東風先生くらいの年なら、誰にだって一つや二つは浮名があるだろうしさ。」
 乱馬もさりげなく煽りたてた。あかねが居なくて退屈しきっていたのだ。丁度良い暇つぶしになる、そう思ったのだ。
「そりゃあ、僕だって、いろいろあったけどさあ…。初恋と言えるかどうかはわからないけれど、最初に想いを寄せた女性の事なら良いかなあ…。」
「是非、話してよ、先生。」
「どんな女性に惹かれたの?」
 乱馬となびきが目を輝かせながら、ねだった。

「あれはまだ、僕がまだ、医師養成学校を出たての、インターンに毛が生えたくらいの駆け出しだった頃だから、かれこれ十年くらい前の話かなあ…。新人医を指導する側の中に彼女は居たんだ。」
「どんな人?」
「そうだね、丁度、かすみさんのように物腰も落ち着いた感じだったなあ。」
「へえ、初恋の人は、かすみさんに似てるの?」
 乱馬が好奇心に満ちた瞳を巡らせる。
「容姿はかすみさんをヨーロピアン人種にした感じの人だね…。金色の髪は長く後ろに束ね、穏やかな笑みをいつも絶やさない、そんな落ち着いた女性だったね…。年も僕より五つばかり上だった。」
「年上かあ…。先生、昔は年上趣味があったんだ。」
「いやあ、別にそう言うわけじゃないよ。だから、初恋というよりは、憧れみたいなものかなあ…。若い頃なら、良くあるだろう?身近に居る大人な異性に、ちょっとした憧れを抱くって事がさあ。」
「ふーん…。ヨーロピアンなかすみさん的な女性かあ…。」
 乱馬の脳裏にイメージが一人歩きし始めたようだ。
「ちょっと、あんたは黙ってなさいな。東風先生の話が主体なんだからさあ…。」
 なびきが乱馬を制しながら言った。

「あれは、最初に赴任した星での話だよ…。」

 東風は観念したのか、それとも適度に酒が舌を滑らかにさせたのか、ワイングラスに注がれた、極上の葡萄酒で咽喉元を湿らせながら、少しずつ話し始めた。



つづく




一之瀬的戯言
 色々、書き方を考えるうちに、昔話を三人で語り継ぐ、そんな形式でこの項を進めてみることにしました。実験的書き方だな…。こりゃ。
 ここいらでブレイクタイム…。という感じもあるかもしれませんが、しっかり伏線を引いておこうかとも、後ろ側で思っております。(もっとも、それが伏線になるか否かは今後の進行如何、私の気分によるんですが…。)

 まずは東風先生の過去譚。勿論、原作にもアニメにも彼の詳しいプロフィールはなかったですし、年齢も三十前後のニュアンスしか伝わって来ませんでした。原作をねじ曲げて、殆どオリジナル展開にちかいような形で進めている本作で、東風先生は三十代半ばという設定でお届けしています。

 また、それぞれの階級についても少しばかり補足をば。
 乱馬は少佐です。これは二十一歳の彼には破格の昇進。この作品での乱馬は成年ですから、お酒はOKです。
 あかねは准尉。
 なびきとかすみは共に中尉。これでも昇進は早い方と思ってください。九能も中尉…だと思います。
 早雲司令は大佐。
 東風は医者ですので特に指定はしていません。軍医にも階級があるのでしょうが、この時代はなかった…ということでご理解を。
 また、乱馬の父、玄馬は准将です。

 軍関係に詳しい方が読めば「こんなに早い昇進あるわけねーじゃんか!」と突っ込まれそうですが、この作品は未来です、で、フィクションです。ってことで大目に見てやってくださいまっせ。



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