◇天使の休日
第七話 疾風のサラ


一、


 海原の中にぽっかりと浮かぶ、小さな島々。数えてみても、十個ほどしかない。
 大きい物でも四方が百メートルもないだろう。
 乱馬はモーターボートをゆっくりと、その中でも一際、尖がった島へと近づけた。座礁しないように注意を払いながら、岸辺へと近づける。
 島はどれも、岩肌がゴツゴツしていて、植物の陰一つすら見当たらない。ただ、ミズゴケがこびりついているだけの、殺風景な島だった。

 乱馬はボートを岩場の割れ目へ、ロープへと繋ぎとめた。波も穏やかなので、しっかりと結び付けておけば、解けることも無かろう。丁度、エララ星の中心街からは裏側になっているようで、小さな星ではあるが、水平線の先には、建物の影は見えない。ただ、夕闇が迫り、光を失いかけている太陽が、殆ど真上に二つあるのが、不思議な光景だった。

「この星の人工太陽は、二つあってよ。一つはこの場から動かずに、こっち側をずっと照らしている。もう一つは移動型で、東側からゆっくりと動いて、ここで消灯されるんだ。丁度この地点で消灯すると、セントラルタワーからは西側に沈んだように見えるってんだな…。で、また、朝の時間になると、こっから向こうへと動けば、丁度、東から日が昇ったように見えるんだ。結構、滑稽だろう?」
 乱馬は笑いながら説明してくれた。
 人間の活動区域の陸は、セントラルタワーを中心にあるので、人工太陽をそういうふうに動かしているという。

「さてと、トラップを仕込んだら、行くぜ。」
 乱馬は手馴れた手つきでさくさくと、持って来たトラップセンサーを仕込んでいく。人が来れば、センサーが反応して、わかる仕組みになっていた。侵入者が居れば、センサーにひっかかるのだ。勿論、相手に悟られぬように、慎重に複数設置した。
 それが終わると、乱馬は先頭を切って歩き出した。
「できるだけ、人工太陽さんの消灯までに、下へ辿り着いておきたいんでな。急げよ。」
 と促すことを忘れずにだ。
「下?」
 あかねはナミと顔を見合わせながら、問い返した。
「ああ。星石は、この岩島の下にあるんだ。付いて来い。」
 乱馬はリストバンドにつけた懐中電灯のスイッチをひねると、ぽっかりと開いていた洞穴へと足を踏み入れた。
「危険な海洋生物は、この星には居ねえけど、足場はあんまり良くないから、あかね、てめえ、注意して、ナミに付き添えよ。海水が染み込んで、足元も滑りやすくなってるしな。」
「う、うん。」
 あかねはひしっとしがみ付いてくるナミを庇いながら、乱馬の後を追って洞穴へ入った。

「人工的に作られたって感じじゃないわね。」
 あかねは岩肌を辿りながら、ポツンと言った。
「ああ、どうやら、この星の小さな山脈の一部が、ここは地球人が作った人工の海水に沈まなかった部分みたいだな。だから、人工的な島じゃねえ。この星の原初のままの世界なんだ。」
 乱馬はゆっくりと下る洞穴を、丁寧に踏み外さないように降りながら言った。
「原初のままの大地…。」
 あかねは、そろりそろりと横に張り付きながらも、懸命に付いてくる、ナミを見ながら、反芻した。
「ここは人の手が入って居ない…。この星を人工的な世界に変えた人間たちは、無い荒れ果てた大地に何も見出そうとしなかった。だから、人の目に触れずに来た世界が、ここにあるんだ。」

 乱馬は洞窟の出口へと、あかねたちを誘った。
 そこに現れたのは、海水が満ちた空洞。見上げると、岩の上に、宇宙(そら)がぽっかりと見えた。人工太陽の光はすっかりと輝きを失い、そろそろ日没。闇が降り始めている。

「ここは…。」
 洞穴を通り抜けたあかねとナミの歩みが止った。
 目の前に開いた空洞に海水が溜まっている。
「そこの水溜りを覗いて見な。」
 乱馬は二人を促した。
 四つの瞳は、そっと身を乗り出して、水溜りを覗き込む。
 水溜りの底には、ぎっしりと碧玉が敷き詰めらているのが見えた。
「これが、星石だよ。お嬢さん方。」
 乱馬はにっと笑って言った。
「これ全部、星石?」
 あかねが丸く目を開きながら、問いかけた。
「ああ、当然。」
 得意げに乱馬が言った。
「尤も、手に取らなきゃ、星型の石とは、わかんねえだろうけどな…。だから、誰も、群集場所ってわからなかったんだと思うけど。」
 乱馬はそう言うと、上着を取り去ると、すいっと水へ飛び込んだ。予めウエットスーツを着こんでいたらしい。

「乱馬?」
 あかねは突然飛び込んだ彼に、声をかけた。

「取ってきてやらあ。おめえ、水の中、あんまり得意じゃねえだろ?」
 そう言うと、みるみる、水の中へと潜って行った。

 そうだ。あかねは水の中が苦手であった。エージェントとして、厳しい訓練を受けて来た中で、唯一苦手なのが「水泳」だった。勿論、泳げないことは致命的にもなるので、それなりに体得したつもりだが、あまり、水の中へ潜りたくないのも事実だ。
 彼女の目の前で、乱馬は水面を消えて行った。




 海底で、目を見張りながら、どの星石を持って上がるか、物色する。
 幾重にも重なった星石。どれもこれも、天体の星の光を微かに感じて、美しき光を放っている。だが、なかなか、気に入った形のものは見つからない。殆どの石は丸く、角が取れていた。
(昔もこんな感じだったなあ…。)
 古い記憶を辿りながら、乱馬は石を手に取ってみた。
 子供の頃、この海に潜った記憶。今となっては顔も思い出せない少女と遊びながら採取した星石。彼女もまた、乱馬が持ってあがった石に、目を輝かせていたことが、ぼんやりと思い出された。
 古い記憶なので、顔はすっかり忘れている。
 と、少し先で一等美しい光を放つ星石を見つけた。
 淡い七つの虹色を順番に放つ美しい石だった。形も悪くない。
 まるで、私を選んでと言わんばかりに、美しく光り輝いていた。
「あれにするか。」
 乱馬は体を巡らせて、その石を掴み取る。そして、少しずつ水面へと上がって行った。



「ほらよっ!」

 海面から顔を出した乱馬は、そう言いながら、一つの小さな石を、あかねに手渡した。
 掌にすっぽり入る大きさの金平糖のような石が、そこに握られた。

「これ?」
 あかねとナミは興味心身に覗き込む。お互い顔を突き合わせて、微笑んだ。
 彼女たちの好奇心をあおる如き白い巨大な金平糖石。
「あたし、星石って、てっきり、でっかい五角形を基本とした星型をしているって思ってたわ。」
 とあかねがまず、感想を漏らした。
「五角形の星だあ?」
「うん…。ヒトデみたいなのを想像してた。」
 あかねがコクンと頷く。
「おめえなあ…。古いクリスマスツリーの天辺に、必ず飾ってた「ダビデの星」じゃあるめえし…。」
 乱馬が呆れたように吐き出した。と、あかねの袖を、ナミがくいっと引っ張った。
「何だ?」
 乱馬はナミを見下ろす。
「ナミちゃんによるとね、ダビデの星って雪の結晶をあらわすらしいから、「六芒星が基本」なんだって。五角形の、五芒星の形じゃないんだってさ。だから、その、乱馬の言い方は違うって…。」
「だあ…。んな、細かいことは良いだろがっ!…たく、これが星石のもともとの原石なんだよ。完全な形をした星石って、結構少ないんだ。人工波の浸食なんかで、角っこは剥がれ落ちるからな。海水の鮮度を保つため、結構人工波って作用する力が強いんだよ。」
 乱馬は水から上がると、バスタオルを身体に巻きつけながら言った。
 ウエットスーツから、人工の海水がポタポタと滴り落ちる。
「でも、本当、でっかい金平糖みたいなんだ…。」
 あかねはまだ感心している。
「これが星の僅かな光に反応すると、光るんだぜ…。」
 乱馬が天空を指しながら言った。
 彼の指差すところに、小さな隙間が覗き込む。そこにはぽっかりと空に向かって穴が開いていた。
「そろそろ夜の時間帯が近いから、もうちょっとしたら、星石の輝きが拝めると思うぜ。」
 乱馬はにっと笑って見せた。

 確かに彼のいうとおりだった。
 人工太陽の消灯が完全に消され、満天の星がエララ星を照らし出した途端、海の中がぼんやりと光始めた。

「ほら、始まった。星石の囁きが。」
 乱馬が海面を指差した。

「わあ…すごい…。」
 あかねの言葉と共に、ナミの瞳も輝いた。

 二人固唾を飲んで、暫し見惚れた。
 白や緑、赤や青、黄色といった輝きが、海面から漏れてきたからだ。様々な淡い色が、ゆっくりと点滅するように海面の下で輝き始める。

「きれいだろ…。星石は、それぞれ光源を己の中に取り込んで、思い思いの色に輝くんだ。」
 乱馬も満足げに彼女たちと星石の囁きを見詰める。
 あかねが持っていた白い星石も、星の僅かな光を受けて、ぼんやりと輝き始める。虹色の美しい光を点滅させてだ。
「こりゃ、すげえ…。こんなきれいな光を放つ星石は始めて見るぜ。」
 乱馬ですら、歓声をあげたほどだ。
 と、傍らで星石に魅入っていた、ナミが乱馬の傍にすっと立った。それから、彼の手に己の掌を合わせた。
『ありがとう…。乱馬。』

「え?」

 ナミが乱馬に対して、直接語りかけたのは始めてだった。
 どこかで聴いた事がある声。乱馬にはそう思えたのだ。
 人見知りの激しい年頃なのか、あかね以外にこうやって直接話しかけることはなかった。が、彼女から積極的に乱馬に話し掛けた。
 乱馬も戸惑ったが、ふっと頬を緩めた。そして、くしゃっとナミの頭を撫でる。
「おめえ、ちゃんと礼の仕方、わかってんじゃねえか。」
 そう言いながらにっと親指を突き立てて笑った。

 だが、その時だ。
 乱馬の仕掛けたトラップがカランと音をたてた。

「ちぇっ!誰か警戒テリトリー内に入ってきやがったな。」
 途端、乱馬の顔が険しくなった。緊張が走る。
「大丈夫…。俺が守ってやるからな。」
 乱馬はウエットスーツからバトルスーツへと転じるボタンを押した。あかねもすぐにバトルスーツへと転じ、二人、臨戦態勢へと入る。


 どこからともなく、弾が飛んでくる。
「隠れろっ!」
 乱馬はあかねとナミを庇って、動いた。
 狭い岩場なので、崩落を恐れて、敵は銃火器での激しい攻撃はしてこないだろう。乱馬の睨んだとおり、彼らは小物で攻撃を仕掛けてくる。
「奴らの狙いは、恐らくナミだ。あかねっ!」
「わかってる、守りきるわ。」
 二人コクンと頷きあう。
「あっちに一人、それから、こっちにもか…。」
 乱馬は相手の気配を探ると、さっと、腰につけていた銃を抜く。そして、ダダダンと弾を発し、奴らを倒していく。

「うわああ…。」
 乱馬に打ち抜かれて、負傷した賊どもが倒れこんでいく。その物音を聞き分けながら、乱馬は更に全身の神経を研ぎ澄ます。
 目の前で岩が弾け飛んでも動揺しない。
「あかねっ!救援を呼べっ!」
「わかったわ。」
 あかねは通信機をもぎ取ると、応援部隊を呼ぼうとした。
「ダメよ!妨害電波が出てて、繋がらないわっ!」
「ちっ!用意周到なこった。」
 孤立無援ということになる。が、さすがに場数だけは踏んでいる乱馬だ。落ち着いて、敵を一人一人確実に倒していく。
 だが、敵も手をこまねいて、乱馬にやられっぱなしとはいかないらしい。
 唐突に煙幕弾が投げ込まれた。

「ちぇっ!そう来るかよっ!」
 乱馬は舌打ちを投げかける。
 もうもうと煙があたりに立ち込めてくる。毒ガス、神経ガスを含んでいるかもしれない。乱馬は咄嗟にバトルスーツの空気正常装置を入れた。己の周りに薄い空気シールドを貼って、毒ガス類をシャットアウトする。あかねも同じく対処したが、生憎、ナミはバトルスーツを着用させていない。そのまま、崩れるように、足元から崩れた。

「ナミちゃん!」
 あかねがその気配を察し、駆け寄ろうとした時だ。バンッとすぐ後ろで砲弾が弾けた。
 砲弾は乱馬の目の前ではじけた。
「くっ!」
 咄嗟に彼は弾を避けて、岩場に身を隠した。だが、微かに弾がかすったらしく、左の上腕部のバトルスーツに亀裂が走る。

「さすがに、連邦の敏腕エージェントは違うわね。装備も動きも、ピカイチだわ。」
 煙の向こう側で声がした。

「だ、誰だ?」
 乱馬は声の主に向かって吐きつける。左腕を押さえ、ぎっとそちらを睨みつける。
 と、人影が一つ、目の前に立った。

「て、てめえは…。」
 乱馬は銃器を構えながら、言い放つ。
「アリサさん…。」
 見覚えのあるその姿に、あかねの口が象った名前。

「いや、違うかもしれねえぞ!」
 乱馬は彼女を睨み付けた。

「ふふふ…。何故違うと思うのかしら?」
 不気味に笑いながら、侵入者が笑った。

「へっ!アリサさんの怪我はけっこうなもんだった。一日や二日で治るようなもんじゃねえ。でも、おめえはピンピンしてる、それくらい、素人の俺でもわかるってんだ…。」
 乱馬は銃を身構えながら言った。

「それはどうかしらねっ!」
 アリサはさっと手を挙げた。

 ダダダダッと仕掛けられる攻撃。彼女の後ろ側に、武装した兵士たちがずらりと並んでいた。見るからに荒くれ者という風体の、マスクをした集団ばかりだ。だが、中には、この星の警察官のスーツを着こんで居る者が居る。ただの荒くれ集団ではないらしい。統率された動きの中に、それは確かに見え隠れしていた。

「なっ!」
 乱馬は横へと飛び退いた。

「ナミ様はこちらに寄越してもらうわ!」
 アリサはそう言いながら、手に持っていた手榴弾のようなものを、乱馬目掛けて投げつける。
 シュンと音がして、投げつけられた弾から煙が溢れ出る。

「しまった!神経系のガスか?」
 ゴホゴホと咳き込みながら乱馬が叫ぶ。さっきの銃弾で裂けたシールドから、煙が浸透していく。どうやら、神経系の麻痺剤のようだった。
「てめえ…どういうつもりで…。」
 動きが鈍った身体を、侵入者たちへと手向けた。

「ちょっとね…。ナミ様に用があるの。ナミ様を地球に連れて行くわけにはいかないのよ。」
 アリサは勝ち誇ったように笑った。

「てめえ…。はじめっから、ナミを連れ去る目的で、俺たちから離れたのか?」
 乱馬が怒鳴りつける。
「何で?あなたは連邦政府の人間ではないの?」
 あかねがナミを庇いながら、差し向けた。

「表向きはね…。」

「へっ!その様子だと、そっちの兵士は「蒼い惑星(ブループラネット)」の荒くれ者、てめえも、連邦を裏切った「ブループラネター」だろう?違うか?」
 乱馬ははきつけた。

「そうよ。だったらどうだって言うの?」
 だっとアリサは身構えた。

「ブループラネター?」
 あかねが怪訝に問いかける。
「ああ、蒼い惑星の戦士たちは、自らの事を「ブループラネター」って言うんだ。てめえ、はなっから、ナミを奪取することを目論んでたんだなっ!」

「ええ、そうよ。ナミ様は私たちがいただくの。これ以上、連邦に地球を好き勝手にさせないためにね…ふふふ。」

 アリサはそう言い放つと、いきなりあかね目掛けて銃をぶっ放した。先にあかねを倒そうとしたのだろう。

「あかねっ!」
 乱馬は残った力を振り絞ると、銃弾の前に飛び出していた。
「乱馬っ!」
 あかねの悲鳴と共に、乱馬の肉体から鮮血がはじけ飛ぶ。右胸を撃ち抜かれていたのだ。
 一瞬、あかねが怯んだ隙に、アリサは背後からナミを奪取していた。

「ふふふ…。ナミ様はいただいたわ。」
 彼女の腕には、ナミが抱きかかえられていた。気絶していたようだが、手にはしっかりと、乱馬が潜って見つけた星石を抱えている。

「畜生!てめえっ!」
 乱馬は痛みを堪えながら吐きつける。
「ナミ様さえ、私の手に入れば、おまえたちには用は無いの!」
 にたっと笑いながら、リモコンのスイッチを入れた。

「くそっ!」
 乱馬は足掻こうとしたが、傷が痛んで反撃できない。
「くっ!」
 あかねも銃を取って応戦しようとしたが、アリサの動きの方が一瞬速かった。

 ドオン!

 アリサが持っていたのは、起爆装置だったようで、乱馬とあかねの足元で大きな爆裂音が響き渡った。 立っていた足元からいきなり岩場が崩れた。
 そして、下の海面へと岩場ごと飲み込まれる。元々神経ガスでやられ、体の動きも鈍っていた乱馬。そこへ突然の爆破崩落だ。さすがの彼も対処する術がなかった。

「うわあああっ!」

 まっ逆さまに星石が光る海面へと飲み込まれて落ちていく。

「乱馬あっ!」
 あかねが身を乗り出して、落ちた乱馬へ手を伸ばす。そのまま、乱馬を抱きかかえるように一緒に、二人、海面へと落ちて行く。

「バアイ、坊やたち。ここがあんたたち二人の墓場よ。この人工海の底で永遠の眠りに付きなさい。」
 上からそんな声が響いてきた。
 バッシャと水面へ突き刺さる石と一緒に、海面へとたたきつけられる。
 ガボガボと水飛沫と共に、海の中へと投げ出される。

 乱馬の体から血飛沫が一緒に飛んだ。みるみる海面を赤い色に染めていく。激しい痛みと共に、乱馬の意識が遠ざかる。
「あかね…。」
 必死で覆い被さるあかねへ、心で問い掛けながら、ホワイトアウトしていく。

(乱馬!死なせはしない!)
 あかねは、乱馬の身体を抱きかかえると、ぎゅうっと抱きしめた。
(絶対、あたしが助けるわ!)
 そう念じて、目を閉じた。
 
 ぎゅううっとあかねが乱馬を抱きしめて、目を閉じた時だ。
 水中から光の輪がせり上がってくるのを感じた。
 それは、星石の群集から伸び上がってくる。

『あっちへ…。』
 どこからともなく、あかねの脳裏に声が聞えてきた。
(ナミちゃん?)
 声の主にあかねは思わず問いかけた。
『いいから、光の方へ意識気を集中させて、早くっ!』
 あかねは、呼びかけられるままに、導く光へと意識を飛ばした。

(見えたっ!)

 乱馬を抱きかかえたあかねを、光が包んでいった。そして、ふわりと、二人の姿が、海面から消えた。まるで光に吸い込まれるように、消えて行った。




二、





『乱馬…。あの石を選んでくれたのね。
 あなたなら、きっと見つけて選んでくれると思っていたわ。』

 脳裏で女の子の声が響いたような気がした。

(石?石って星石の事か?)
 巡らぬ頭で、そう問い返していた。

『ふふふ。あなたが見つけてくれた虹色の星石…。思い出さない?』
 少女の声がくすっと笑いながら再び響く。

 脳裏に薄っすらと、浮かび上がるイメージ。何故か幼き日に、エララ星で出会った少女が、瞼の裏でナミと重なった。

(ナミ?おまえはナミなのか?)
 思わす問いかけた。
 

『うふふ、あの石の超力で、もうすぐあなたと会える。
 楽しみにしていて…。乱馬。』

 遠ざかる声。その向こう側でひたひたと水滴の音が響き始める。

 ひたり、ひたり。音は耳元に伝わってくる。
 ふっと意識が浮き上がった。
 ブウン、ブウン。
 どこからか、低い機械音が響いてくる。宇宙船のエンジン音のような音だ。
 その音に、はっと目が開く。
「こ、ここは…。」
 はっと目覚めた乱馬は、辺りを見回してドキッとした。
 人口壁が張り巡らされた小さな部屋。配管がむき出すようにあちこちに渡っている様子が見えた。

「あら…。もう目覚めちゃったの?さすがに連邦のエージェントね。傷に対する耐性訓練がちゃんとなされてるわ…。」
 背後で声がした。

「そうだ、アリサに陥れられて俺は…。」
 星石の海へ突き落とされてそのまま沈んだ意識。
 ガバッと起き上がりかけて、顔をしかめた。
「うっ!」
 右胸の辺りに、激痛が走ったのだ。

「もうちょっと大人しくしとかないと、傷口が完全に塞がらないわよ。」
 背後で声がした。ハスキーな低い女性の声だ。

「だ、誰だっ!」
 胸の痛みを堪えながら、振り返る。が、胸の痛さに、脂汗が滲み出す。

「ほら、だから、動いたらダメだって言ってるでしょう?大丈夫、あんたの敵じゃないわ。むしろ、味方よ、エンジェルボーイ。」
 声の主は、ひょっこりと乱馬の前に顔を出した。
 古いコードネームを知っている、見覚えのある顔だった。赤いルージュを引いた口紅が印象的だった。

「おめえは…。サラ…。サラ・ウインズ。まだ、ここら辺をうろついてやがったのか…。」
 乱馬はじろりと彼女を見上げた。

「ほらほら…。そんな怖い顔しなくっても良いわよ。いいから、もうちょっと、休んでなさい。治療中なんだから。」
 にこっとサラが笑った。
 見上げると、確かに医療装置らしきコードがたくさん乱馬に繋がれている。確かに仰向けに寝転がっていると、身体がホカホカして気持ちが良かった。
「おめえが、何でこんなところで俺を…。そうだ、あかねは?」
 乱馬は見上げながら尋ねた。

「あかねさんなら大丈夫よ。超力(ちから)を使い切って、疲れて眠っているけど。」
 そう言いながら、乱馬の向こう側へと視線を送った。すぐ傍のソファーの上に、あかねが倒れこむように眠っているのが見えた。

「超力だって?」

「ええ超力よ…。凄いわね、彼女。海中から、あんたを抱えて、ここまで翔(と)んで来たんですもの。」
「翔ぶ?まさか、瞬間移動を…。」
「まあ、そういうことになるわね…。彼女も眠っているし、傷を癒しながら、少し説明してあげるわ。」
 サラが乱馬を見下ろして、乱馬に繋いである機械を調整しながら言った。

「実はね…。あんたが洞穴の周りに仕掛けたトラップ、私がこの手で解除させてもらったわ。」
 それは唐突な発言だった。
「なっ!」
 乱馬の表情がみるみる険しくなる。
「てめえが解除してただとおっ?だから、奴らが潜入してことに気がつかず、この体たらくかよっ!畜生、てめえ、一体、何のつもりで…。ててっ、いてててて。」
「うふっ…。そんなに興奮しないの。傷口がまた開くわよ。」
 サラは乱馬を見ながら、楽しそうに言った。
「あんたもトラップだけに頼るからダメなんでしょ?どんな危機にも迅速に対応する、一つ方法に頼らない、これって特務官の基本中の基本中じゃなかったかしら。」
 痛いところを突かれた彼は、ぐうの音も出ない。
「でも、俺には聞く権利、おめえにはきっちり話す義務、っつうのはあると思うがな…。」
 乱馬は恨めしそうにサラを見上げた。
「だから、説明してあげるって最初から言ってるじゃない。相変わらずせっかちな坊やね。」
 サラは笑った。彼女にかかれば、乱馬は子供なのだ。だから「坊や」という言い方になるのだろう。
 坊やと呼びかけられて、少しムッとした。

 サラ・ウインズ。「疾風のサラ」という異名を取った、イーストエデンのエージェントだった女性だ。同じイースト所属だったこともあり、何度か任務の中で行きあった。
 大人な女性の色香が、漂う彼女。最初に出会ったのは、もう十年以上前の話だから、少なく見積もっても、彼女は三十半ば以上だろう。女性に年齢を訊くのは失礼なので、避けていた。ガキの頃は「オバサン」を連呼して、良く怒鳴られたものだ。その折の仕返しで「坊や」とでも呼んでいるのだろうか。

「まずは、何で、トラップを外したんだ?」
 乱馬は尋問を始めた。
「簡単なこと。彼女たちの行動を見極めるためよ。」
 サラは言った。
「彼女たち?」
「あんたを陥れた「アリサ」の行動を監視していたの。それが、私のお仕事の一つだったから。」
「お仕事ねえ…。おめえ、いつから任務の事、お仕事って言うようになったんだ?」
 また、「お仕事」という揶揄的な言葉を使ったサラに、乱馬は思わず吐き出していた。通常、エージェントは「任務」と言い習わす。それを指摘した。
「ふふふ…。その辺りは、鋭いのね、坊やは…。そうよ、今の私は連邦の特務官じゃないの。そう、エージェントを辞めたのよ。だから任務じゃなくて「お仕事」、ビジネスということになるかな…。」
 とサラは言った。
「うっそ…。いつ辞めたんだ?全然知らなかったぜ。俺は…。」
「別に…こういうことは、特に知らせるべき事じゃないしね…。それに、あんたも早乙女玄馬准将とコンビを解消して久しいから、知らなかっただけでしょうし…。准将なら私が任官を離れたことは御存知だと思うけど…。」
「へっ!こんなところで、あのハゲ親父の名前引っ張ってくんな!ゲンが悪い!」
 思わず乱馬は吐き付けた。
「あら…。准将パパの事、嫌いだったっけ?エンジェルボーイは…。」
 くすっとサラは笑った。
「うるせー!いろいろ複雑な事情があって、俺はあいつとコンビネーション解消したんだ!それより、とっとと話せよ。時間が勿体ねーだろっ!」
 乱馬は口をツンと尖らせた。
「とにかく、私はエージェントから足を洗ったの。そう、もう二年くらいになるかしらね…。」
「何で辞めたんだ?普通、特務官はそれ相応の事情がねえと、辞められねえ仕組みになってたんじゃなかったっけ?……っと、これは人それぞれ事情があるよな。表沙汰に出来ねえこともあるわけだし…。今の質問はなしでいいや。」
 自分で尋ねて自分で解除した。
「ふふふ。さすがに長けてるわね、坊やは。そうよね…。何で辞めたかなんて、私の口から語る事でもないしね。まあ、その辺は想像に任せるわ。多分、自ずとわかってくると思うけど…。」
 少し物憂げな表情を浮かべたサラ。
 その表情にハッとした。
 サラの相棒だった、「ロイ」が居ないのも、もしかしたら、エージェントを辞めたことと密接な関係があるかもしれない。
(やっぱ、これ以上問い質すのは辞めたほうが良いな。)
 乱馬の直感がそう指し示した。男女の仲はとかく、「情」がからむ。任務に情は要らないとはいえ、人間の成すことだ。複雑な事情があるのだろう。だから、この話題に関しては、これ以上は問いかけることはしなかった。

「で?アリサを探るのと俺の張ったトラップを解除したことと、どういう関係があるんだ?そっちはしっかりと、説明してもらうぜ。」
 問題の本質へと質問内容を転換した。
「アリサが「蒼い惑星」と繋がってるんじゃないかって情報が前から囁かれていてね、それを確かめるのが、今回の仕事だったのよ。これでも元エージェントだからね。連邦も、子飼いのエージェントだけから情報を取ってるわけでもないわ…。」
「なるほどな…。従軍していちゃあ、連邦軍法や軍規などに縛られるから、調べにくいこともあるが、退官してたら、何でもありだもんな…。」
「ま、そういうことにしておきましょうか…。」
 意味深にサラは笑った。
「で、アリサは…。」
 己もゼナ担当の特務官なので、この情報はくれても良いだろう?というような表情を手向けた。
「テロ集団、蒼い惑星と繋がっていた。何より、ナミ嬢をさらって行ったのが良い証拠よ。」
「おめえなあ。ナミをさらわせて確かめるのが目的にしちゃあ、どうしてそんなに冷静で居られるんだ?」
「ふふふ…。泳がせてあげてるのよ。あのナミって子の先には、もっと大きな陰謀が待っているかもしれないわ。せっかちはダメよ、エンジェル坊や。」
「どうせ、俺たちが奴らから取り戻すってタカをくくってんじゃねえのか?」
「当たり前よ。このまま引き下がるつもりもねいんでしょ?坊やは。」
 クククと笑ったサラ。確信的な笑みに満ちている。
「やっぱり、俺たちを利用しようってかあ…。」
 乱馬の表情がやれやれと言わんばかりに緩む。
「じゃあ、訊くが、その、ナミって言うのは一体全体、何者なんだ?普通の令嬢じゃねえよな。あの聡明さ、それから言葉を発っさないところといい。それに、連邦のお付が付いてるって点も…。」
 その質問を受けて、サラが少し考える素振りを見せた。彼女の抱えるシークレットに関わる部分があるのだろう。
「良いわ、超シークレットなんだけど…。昔のよしみだし…。特別に坊やには話しておきましょうか…。この先、協力してもらわないといけないし。」
 言葉を選んで話し始めた。

「超シークレット?最高機密ってことかよ。」

「そう言うこと。これから言う事は勿論、他言無用よ。あの子にもね…。」
 眠っているあかねの方向にも視線を手向けた。
「下手すれば、あんたの首もちょん切れるかもしれないからね。、あ、勿論、冗談じゃなくって。」
 サラの瞳は真剣だった。恐らく、彼女の脅しは本当のことなのだろう。
「わかった…。他言はしねえ。面倒ごとに巻き込まれるのも、巻き込むのも嫌だからな…。…で?この場所は大丈夫なのか?」
 と暗に、盗聴がないかと尋ねた。
「ふふふ、ここはエララ星の海底よ。星石群生棚の下ってわけ。それに、私のアジトだから、誰も潜んでは来ないわ。」
「星石群生棚の下のアジトだって?」
 乱馬の素っ頓狂な声を押し戻しながら、サラは事情を話し始めた。



三、

「ナミ・英(はなぶさ)。それが彼女の名前よ。」
「はなぶさ…。どっかで訊いたことがある名前だな。」
 乱馬が小首を傾げた。と、途端にぱあっと目が見開いた。
「そういや、政府高官の孫娘とか言ってたな。お、おい!まさか、ナミってって、英(はなぶさ)総帥閣下の血縁者か?地球連邦軍最高指令も兼ねている…。」
「そうよ。英総帥閣下の家系の娘。…対外的にはそう言うことになってるわね。」
 と、アリサが笑った。
「対外的にはそう言うことだって?」
「ええ、英総帥の一族として育てられた…というのが正解かしらね。」
「何だ?その含んだ言い方は。おい、ってことは…。」
「遺伝子的には総帥閣下と何の繋がりもない。つまり、血族関係はないわ。正確に言うと、「英総帥の一族」として養育された…。ということになるわね。」
「それって、もしかして「養女」ってことか?どっかからか引き取られて、総帥一族が育ててるとか…。英家って言ったら、連邦の極東エリアの内閣府に昔からたくさん名前を連ねる名家だぜ?そんなところの養女って言ったって、そう簡単になれる筈ねえじゃんか!」
 乱馬は疑問を更にぶつけた。
「ナミはね、「霊女(ヒメ)」に選ばれた子なの。」
 とポツンと言った。
「霊女(ヒメ)…って、もしかして、あの霊女(ヒメ)か?お、おい!霊女(ヒメ)っつーたら、その、連邦の中枢に関わる人間じゃねえか。」
 乱馬の瞳が見開かれる。
「さすがねえ…。霊女(ヒメ)って言葉だけでピンと来るのね。あんたも。」
 サラはくすっと笑った。
「霊女(ヒメ)…。連邦の中枢、巨大制御コンピューターマザーIを繋ぐ「核(コア)」、言い換えれば、電脳システム運営と管理のための「人柱」の事だろ?」
「そうよ、巨大な電脳ネットワークを円滑に運用するために選ばれた柱の人間。マザーIの電脳神経に直接、繋がれ、生きながらにしてネットワークの核となる人間の事。それが「霊女」。だからこそ、連邦の最高機密の子として、英総統閣下の目の届くところで、養育されてきたってことよ。」
 サラの瞳が妖しく光った。
「連邦を支えている、スーパーコンピューターの中枢部に関わる、霊女。それが、あんな幼い子供なのかよ!?」
 乱馬は思わずはきつけていた。
「そうよ…。最高機密だから、誰もその霊女の素顔は知らないけれどね。勿論、私も詳細はわからないんだけど…。ただ、あの、ナミって子は、次世代の霊女となる重要人物なの。それだけは確かよ。」
「なっ…。次世代の霊女だって?」
 乱馬は口を閉じる事すら忘れてしまった。
 まさか、そんな子供に連邦の重要なコアが勤まるとは、想像だにしていなかったからだ。勿論、人柱「霊女(ヒメ)」の存在は知っていたものの、もっと大人の崇高な超能力者だと思っていたので、どう評したら良いのか、言葉を失ってしまったのだ。
「あら…。子供が核(コア)になるだなんてそんなに意外だったかしら?」
「あ、ああ…。まさか、子供だなんて…。それも、まだ幼年学校へだって行ってねえ年齢だぜ?」
「そうよね…。普通、年端もいかない子供が霊女になるなんて、思わないでしょうね。どういうシステムになってるのかは、私も良く知らないんだけど…。」
 そう前置きして、サラは話し始めた。
「その、激務から、繋がれた幼い霊女は、十代後半でその生涯を閉じると言われているの。持っても二十年そこそこってところらしいわ。今の霊女も、そろそろ交代させないとならない時期に来ているそうよ。」
「交代?」
「ええ、霊女はだいたい、十五年ごとくらいに交代するそうよ…。そのために予め、生み出され培養されるクローン生命体。それが霊女らしいわ。」
「クローン生命体?まさか、禁忌を犯して…。」
「事、連邦の中枢機密、いえ、連邦のシステムそのものに関わる機密だもの。たとえ倫理に反していたって、そんな事、問い質されるものではない…。それが連邦府の見解なんでしょうよ…。」
「…これ以上はやばそうだな…。ま、いいや。で?」
「核となる霊女は勿論、複数培養されている。様々な適正を調べ、最終的には数人に絞られる。彼女は次世代の霊女として、一番上の格にいる逸材なのよ。」
「連邦にとって、必要な娘だってことか。マザーIの能力を最大限に生かしているコアが人間だということを知ってるのはごく一部だ…。俺だって、詳しい事は知らねえ…。ただの噂の域だとも思っていたが…。
 その機密情報が何かの拍子に「蒼い惑星」の知るところになり、ナミを狙った…。さしずめ、そんなところか。」
「いいえ、そこまで深くは考えていないと思うわよ。」
 アリサが言った。
「あん?」
「アリサたちが、ナミが霊女ってことは、理解できていないと思うわ。ただの連邦最高幹部の一族の娘としか、知らないはず。ナミが霊女ってことを知っているのは…。」
「ごく限られた一部だけ、ってことか。」
 コクンと揺れる、サラの頭。
「これに関しては、相当な秘密情報として扱われているのよ。」
「でも、おめえは知ってるってのが、気に食わないな…。」
 乱馬は穿った瞳をサラに手向けた。
「ふふふ、それは一重に私の情報網が確かってことよ…。まあ、それは置くとして、アリサに関しては、前々から内通が囁かれていたからね。彼女には「「連邦最高幹部の一族の娘」としか、情報をリークさせてないわ。」
「そんな奴を、わざと護衛にしたのか?もしかして…。」
「これも、さる方からの指令でね。炙(あぶ)り出すために、あえて危険を冒して…。ね。」
 これ以上は秘密よと言わんばかりに、サラは軽くウインクをして見せた。

(それで、俺たちに護衛任務を押し付けやがったってわけか。ダークエンジェルの超力をあてにしやがったな、あのイーストエデンのタヌキ司令官めっ!)
 ぎゅっと乱馬は拳を握った。さすがに、声には出さなかった。
 「ダークエンジェルの超力」も、連邦の最高機密に準じる。エージェントの一部で噂は広がっているようだったが、それも憶測の域を出ていない。勿論、目の前のサラに、自分たちがその超力に絡んでいる事を知られるわけにはいかないからだ。

「ナミの素性はわかったとして…。で?何でトラップを切ったんだ?ここから先は、よくわかるように説明してもらおうじゃねえか。」
 じっとサラを見上げた。
「アリサたち「蒼い惑星」の「ブループラネター」一味を炙り出し、始末をつけるため。一つはそれね。」
「ひょっとして、疑いはあれど確信は持てず、だったってことか?」
「そう言うことね。引っ張るにしても証拠がなければ始まらないわ。確信が欲しかったの。」
「で、俺やあかねを出し抜いて、餌(えさ)にしたってわけか…。てめえ…。」
 ジロリと視線を流す。
「まあ、そう言うことね。悪いとは思ったんだけど…。あ、だから、あかねさんを誘導して、あんたを助けてあげたのよ。それだけは忘れないでね。」
 と、恩を売ることも忘れない。

「あ、あったり前だ!てめえのせいで俺は、アリサに射抜かれたし、あかねも危険に晒されてんだぞっ!って、いてててて…。」

「ほら、そんなに興奮したら、傷口が治らないわよ。最新鋭の電脳医療機械で治してあげてるんだから。」

「やっぱり出し抜いたから、悪いって気持ちは働いてるんだな。」
 乱馬はサラに尋ねた。
「まあね…。あんたに死なれては困るからね…。依頼人に、絶対に死なせるなって念を押されたし。」

「なっ、依頼人だと?」
 乱馬は目を見開いた。
「誰だ?そいつは…。」

「それは言えないわ。依頼人の名前を語る、仕事人なんて、何処にも居ないでしょ?依頼人は、あんたにはナミ様の素性の裏まで、洗いざらい告げてもかまわないっておっしゃっていたからね。じゃないと、ナミ様が「霊女」だなんて、あんたには明かさないわよ。」
 サラは笑って断った。
「ちぇっ!きな臭えなあ…。」
 そう言って、乱馬は口をつぐんだ。
 いずれにしても、依頼人がサラに「仕事」を頼んでいるということだ。

「畜生…。しかし、俺としたことが油断したぜ。たく…。神経系ガスにやられなかったら、あいつらにやられることもなかったんだがな…。正直、痺れ薬のせいで、翔べることも忘れてたぜ。」
「へえ…。翔べるの?乱馬…。」
「ああ、コンディションによっちゃあ、かなりの距離、俺も瞬間移動できるんだけどな…。」
 乱馬は吐き出した。
「だけど…。その超力すら使う隙がなかった。ぬかったぜ!俺としたことが…。で、こいつに余計な超力使わせちまったって訳か…。」
 と吐き出した。
「あかねさんも翔べたじゃないの。」
「ああ、翔べることは翔べるけど、まだその超力は安定してねえからな。こいつは…。」
「だから、超力尽きて、眠ってしまったのね。」
 サラは笑った。

「ねえ、乱馬。この仕事が終わるまで、私と組まない?」
 にっとサラが笑った。

「あん?おめえと組むだあ?」
 思わず素っ頓狂な声を張り上げた。
「ええ…。たまには私も若い坊やと組んでみたいもの…。私はアリサの裏切り行為の尻尾をつかみたいし、あんただって、ナミ嬢を取り返さなきゃならないでしょう?」
「ちぇっ!最初からそのつもりだったんじゃねえのか?だから、俺たちを利用したんじゃあ…。
 乱馬は苦笑いした。
「予め契約を成立させておかないとね…。私にはそれがビジネスなんだから。」
 サラは笑った。
「後で、有能な情報をあんたにあげるわよ。」
 と交換条件まで出してきた。

 実は、サラとは、昔同じ任務に就かされて、共に張り合ったような関係だ。
 互いの任務の功を競い合った仲だ。
 サラにはロイという相棒が居て、それと実に息がピタリとあっていた。子供だったから気にも留めなかったが、彼の父親の玄馬に言わせると、サラとロイはいずれ結婚するだろうと言っていた。いわば「許婚」のような間柄だったようだ。だが、エージェントとして活躍していたという事は、引退を許されなかったのだろう。そのくらい、二人とも優秀で敏腕を買われていた。

「有能な情報ねえ…。」
「上質な情報よ。多分、あなたたちにとってはね。」
 と思わせぶりだ。暫く、黙って考えた後、乱馬は重い口を開いた。
「わっかったよ…。まあ、いいや…。旅は道連れ世は情け、ってな…。てめえの補佐があれば、俺たちもやり易いだろうし…。」
「じゃあ、契約成立ね。」
「あ、ああ。」

 そう言いながら、乱馬は頷いた。

「で?具体的にはどうすんだ?」
「作戦は私に任せて。まずは今は少しでも早く、傷を治しなさい。あんたの超力を利用すれば、結構早く、傷口は塞がると思うけど…。」
「俺の超力?」
「ええ、ミューの潜在能力よ。具体的には治癒能力っていうのかしら。細胞を活性化させて、瞬く間に傷を治す超力。」
「そんなもん、俺は持ってねえぞ!第一、そういうタイプの超力を持つのは稀だって聞いてるぜ。」
「そうかしら?」
 サラは笑った。
「あなたが気付いてないだけのようだけど。」

「あん?」

「ふふふ、試しに治癒細胞を活性させてあげるわ。」
 そう言い終えるや否や、サラは手元にあったボタンを押した。と、キュインと音がして、乱馬の手と足、四本の肢体をしっかりと固定する枷(かせ)が伸びてきた。
「お、おいっ!」
 いきなり動きを封じ込められた乱馬が、焦りながら、サラを見上げた。

「大丈夫よ…。ちょっと、坊やの潜在能力を試してみるだけだから。」
 サラはにっと笑うと、更に機械の操作スイッチをひねった。

 ガゴン。
 と機械が唸る音がする。と、乱馬を繋いでいた機器類のメーター針がグインと動いた。

「うわあああっ!」
 いきなり、繋がれたコードから流れ込んで来る電流。
 溜まらず、乱馬が叫んだ。

「て、てめえ、何しやがる!」
 ぐぬぬっとそいつを振り払おうとするが、身体は固定されていて、全く動かない。
 流れてくる電流のようなものに、翻弄され始めた。

「大丈夫、抵抗しないで、その電流に我が身を任せなさい。そうすれば楽になるわよ。」
 サラはさらっと言って退けた。

「身を任せろって、おめえ…。うわあああああっ!」
 乱馬の壮絶な悲鳴が部屋いっぱいにとどろき渡った。



つづく



 原作のあかねは、カナヅチですが、本作のあかねは、一応、人並みに泳げて、潜ることができます。でないと、エージェントを勤めるのは無理かと…。但し、水は苦手ということには変わりありませんので、あまり、自分から潜ろうとはしないようです。ということでご理解くださいませ。(必殺、原作歪め…。)



 サラ・ウインズ
 疾風のサラと言われたイーストエデンの元敏腕エージェント。
 歳の頃は三十半ば。
 相棒の名は、ロイ・ウイリアム。
 謎を含んだまま、この項は終わり。(物凄く邪悪)


 英総帥閣下(スグル・英)
 ナミの戸籍上の兄。彼の素性も追々見えてくると思います。




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