◇天使の休日
第六話 星石の海


一、


 結局、拾った丸い石が星石だと言い張る乱馬は、その石をロッジへと持ち帰った。
 夕食を済ませると、乱馬はその石を、ガラスの皿の上に並べて、ウッドデッキへと持ち出した。人工太陽の光が衰え始め、そろそろ、辺りが薄暗くなり始める。南国風のリゾート星ということで、エララの人工太陽は、照り付けている時間が、結構長い。夜は八時間くらいしか、自動設定されていないのだ。だから、いくつか空に浮かぶ人工太陽の光が消されるのは、地球標準時で午後八時くらいである。
 勿論、エララ星は円周が数十キロにも満たない小さな星なので、時差など設定されてはいない。一斉に朝を迎え、夜になる。そんな風に設定されていた。
 乱馬はあかねとナミが見守る中、ウッドデッキの上にある、ウッドテーブルの上に、ガラスごと星石を置いた。
 一体何が始まるというのだろうか。

「まあ、見ておきなって…。」
 手にした石が「星石」だと主張して止まない乱馬は、悪戯坊主のような瞳で二人を外へと誘った。
 あかねもナミも怪訝に、彼の行動を見守っていた。

 人工太陽の光は、大気を制御するコンピューターで、きちんと管理統制されている。地球上での日没を見事に再現するのだ。ただ、太陽の位置は、この星の中央にある「セントラルタワーホテル」を中心に動いている。かのホテルの最上階、スイートルームから見て、美しい夕焼けが映えるように設計されている。
 セントラルタワーから少し離れた、このビーチでは、若干、夕焼けがずれて見えるが、それでも、地球上の夕焼けを見たことがない人々にとっては、美しいショーだ。

 その夕焼けが、一日の終わりを萌え上がると、次に、来たるのは「夜の帳」。人工太陽の光が消えてしまうと、その上の天に、星々が輝き始める。
 一つ、また、一つ。天上に銀河の中の星が瞬き始める。

「あ…。」
 あかねは、ガラスの器に置かれた、星石を見て、思わず声を上げていた。傍で興味深げに覗きこんでいる、ナミの目も、輝き始める。
「す、凄い…。きれい。」
 それ以上、言葉を継げぬほどに、あかねとナミの瞳が、じっと、ガラスの器に惹きつけられる。
 器の中では、丸い石が、ぼんやりと淡い碧色に輝いていた。人工的な光の中では、決して見られないような輝き。

「ほら、見ろ。これが星石の姿だよ。」
 乱馬は、得意げに、二人を見返していた。
「こいつは、夜の闇の中に光る、星の僅かな輝きを察知して、共鳴するように輝くと言われてるんだ。だから、「星石」っていう名前がついてるらしい…。」
 そんなことを乱馬が説明してくれた。
「星型をしている星石は、これの数倍も美しく輝くんだぜ。それが群集してみろ。ちょっとしたロマンチックな雰囲気を味わえるってもんだ。」
 
 乱馬の説明を聞くと、ナミの手があかねの腕をぎゅっとつかんだ。

「ナミちゃんがさあ…。是非、一斉に輝く星石たちを見てみたいってさ。」
 あかねの心にナミの言葉が流れ込んできたのだろう。そんなことを乱馬に告げた。
「そうだろうな…。見てえだろうな…。よっし。明日、連れてってやるよ。星石が連綿と広がる秘密の場所へ。」
 と、乱馬が言った。

「ちょっと、あんた。もしかして、星石が群集してる場所を知ってるの?」
 あかねが不思議そうに尋ねた。
「ああ、ガキの頃に見つけたポイントがあるんだ。昼間、ちろっと確かめたけど、開発の手が入った感じじゃなかった。多分、この星の連中も知らない場所だと思うぜ。」
 とにっこり微笑む。
「何でそんな、場所を、あんたが知ってるのよ。」
 あかねはさらにたたみかけた。
「だから、ガキの頃に見つけたって言ったろう?前にこの星に来た時に、ちょっとな。」
 と、乱馬は笑った。
「そんな、カビの生えた記憶で大丈夫なの?」
 少し小ばかにした調子であかねが見詰め返す。
「てめえ、俺を誰だと思ってやがる。へっ。いくらガキの頃の記憶だっていったってよ。ちゃんと、当たりはあるんだ。任せとけって。」
 と頼もしい返答。
「ま、他に当てもないし…。あんたの記憶に頼るしかないけど…。」
 あかねは不安げだ。
「ナミちゃん…ってな訳だ。明日はちゃんと、完全な形の星石をゲットしに、お兄さんが連れて行ってやるからよ、今夜は、良い子ちゃんで、早く休めよな。」
 と乱馬は、ナミに白い歯を見せながら、微笑みかける。
 コクンと揺れるナミの瞳は、星のように輝いていた。



「だからって、何も、あかねにくっ付いて寝ることはねえだろうが…。くっついて…。」
 乱馬はベッドの上に手枕で寝そべりながら、はああっと大きな溜息を吐き出した。
「仕方ないじゃないの。ナミちゃん。まだ、何のかんのって言ったって、まだ幼い子供なんだから…。」
 ナミの向こう側で、くすくすとあかねが笑った。
「ちぇっ!」
 そう吐きつけると、乱馬はどっかとベッドのマットの上に、背中を沈める。

「こら、乱馬っ!せっかく、ナミちゃんが寝付けたところなんだから、振動させないで!起きちゃったらどうするのよ!」
 と、あかねがぷくっと頬を膨らませた。
 ナミの閉じられていた口がすっと開き、ふううっと息が漏れる。
 しまった、起きたか、と思って、乱馬はナミの寝顔を覗き込む。
 だが、閉じられたナミの瞳は、見開かれることはなかった。少し、口元が動いただけで、あかねの方向へと向き直って、彼女の胸に、頭をくっつけるようにしてもぐりこむ。まるで、幼児が甘えて、母親の胸に擦り寄るような、そんな感じに見えた。

「ちっ!こいつめ。そこは、俺の場所なのにようっ!」
 乱馬は眠ったままのナミに向かって吐き出す。
「何、馬鹿なこと言ってるのよ。乱馬ったら。」
 あかねがくすくすと乱馬を見上げた。
「だってよ、そんなにあかねにくっつかれたら、何もできねえじゃんか!」
「何もできねえって何よ、それ。」
 あかねがじろっと乱馬を振り返った。
「せっかくの休暇中だったんだぜ。俺たちは!本来だったら、今頃、おめえと、そのいんぐりもんぐり…。」
 少し不満げな乱馬の瞳が、媚びるようにあかねを見詰める。
「もう!助平な瞳で見ないでよ!仕方がないじゃない。これは「任務」でもあるんだから。諦めなさい!」
 あかねは、くくくと笑った。
「おめえは、その…。欲求不満とか溜まらねえのか?」
 乱馬はぽそっと訊いてきた。
「あんたと一緒にしないでよ!」
「ちぇっ!素直じゃねえなあ…。俺なんか、据え膳目の前にあるのに、食えねえで、ムラムラ、ビンビンだってえのによっ!」
「な、何よ、その、ムラムラ、ビンビンっていうのはっ!」
 半ば呆れた瞳が返されてくる。
「なあ、こいつが寝たら、良いよって言ってたじゃん。あかねちゃん。」
 少し猫なで声を出してみる。ごろにゃん、というような手つきをあかねに手向けた。
「あんたね…。この状況じゃあ、何もできないでしょうが!」
 跳ねのけるようにあかねが言った。
「だからあ…。こいつも寝ちまったしよう、こそっと抜けてあっちのソファの上とか…。」
 こうなれば、乱馬はただの駄々っ子だ。

「ダーメッ!」
 あかねは思いっきりアカンベエを返してきた。
「何でだよっ!」
 むすっと頬が膨らむ。
「あのねえ。あたしたちの任務は、ナミちゃんのガードなの。ガードって言ったら、片時も傍を離れない。それが基本でしょうが。第一、ちょっと目を放してる隙に、何か事が起こればどうするつもりなのよ。」
「同じ部屋の中なら良いじゃん!」
「良くないっ!」
 頑としてあかねは拒む。任務に忠実であろうとする、生真面目さは乱馬以上だ。
「ちぇっ!」
 再び、乱馬は仰向けに転がった。どうやらすねたようだ。
「ふふふ、でもさあ、こうやってみると、ナミちゃんも、まだほんの子供よねえ…。」
 あかねは、自分の身体にぴったりと擦り寄っているナミを見ながら、ふっと微笑んだ。ちらっと流し見た乱馬は、ドキッと心音が鳴ったように思えた。
 その笑顔の神々しさ。子供を慈しむ母親の慈愛の微笑みに見えたのだ。何故か、乱馬は顔が一瞬熱くなる。不覚にも「可愛い」と思ってしまったのだ。彼女と付き合い始めて、かれこれ数年経つが、今まで見たことも無いような種類の微笑みだった。あかねの中の母性が、ふっと浮き上がってきたのだろう。

 自分との間に子を成せば、こんな微笑を返すのだろうかと、あらぬ事をふっと考えてしまった。人間の子孫を残すという、本能の部分が、任務を離れて、乱馬を刺激したのだろうか。
 己の未来の縮図。淡い願望が脳裏をかすめた。

「ま、仕方ねえか。」
 諦めたように、こそっと吐き出す。
 それから、ナミ越しに手を伸ばして、あかねの白い腕をつかんだ。
「ちょっと、乱馬ってば。」
 この期に及んで、まだこの甘えん坊は、自分を抱き寄せたいのかと、あかねは声をあげかけた。
 乱馬はナミを刺激しないように、身体を横たえると、にっとあかねを見詰めて笑った。ナミを挟んで、真正面に向かい合う。あかねをつかんだ手は、そのまま、眠るナミの右腕の上に添えて置いた。ナミの身体の温もりと、あかねの柔らかな手の感触が、心地良く刺激を与えてくれる。
「乱馬?」
 あかねは再び呟くように呼びかけてきた。
「いいさ、今夜は川の字で。」
 そう言うと、きゅっとつないだ手へ力を入れた。
「川の字ねえ…。真上から見たら、逆川の字だと思うんだけど…。」
 そう言いながら、くすっとあかねが笑った。
「バーカ。変な理屈こねてんじゃねえよ。子供(ガキ)が真ん中だから、川の字で良いの!」
 そう言いながら、直ぐ上のベッドの傍のライトの灯を消した。



二、

 翌日、朝食を済ませると、乱馬は、早速、星石探索の準備にかかった。
 まずは、レンタル屋に電話をかけ、小型艇を借りる。小さなエンジンがついた、モーターボートだ。
 それから、スーパーで携帯食料や燃料、テントを買い込んだ。ちょっとした、野外キャンプへ出かけるような感じだ。
 ナミもあかねにちょこんとくっついて、一緒に、買出しに協力。恐らく、世間離れした生活をずっとしていたのだろう。彼女の瞳は好奇心に溢れ、生き生きと輝いて見えた。
 乱馬たちと最初に対峙した頃は、殆ど笑うこともなかった彼女だったが、次第に「子供らしい明るい笑顔」を差し向けるようになっていた。

「たく、もうちょっと、加減してショッピングしろよ!おめえらはっ!」
 先を足軽に行く、二人の背中を追いながら、乱馬が溜息混じりに言葉を吐き出した。両手いっぱいに、買出しの荷物。手だけでは足りないので、背中にまでも背負っている。
「こら!あかね。てめえも少しは荷物を持ったらどうなんだよっ!」
 と怒鳴りたくもなる。乱馬だけが荷物まみれ。
「あら、レディーに荷物を持たせる気なの?ねえ、ナミちゃん。」
 あかねは笑いながら答える。
「てめえ、俺より腕力があるくせに、何なんだよっ!」
 ボルテージが上がる乱馬。
「文句言わないのっ!」
 ナミは相変わらず言葉を発しないが、ニコニコ笑いながら、あかねと手を繋ぐ。最初は硬かった笑顔も、時を経ると共に、わざとらしいものではなくなりつつあった。
 遠巻きに彼らをガードする、連邦軍関係者たちの気配を感じたが、道行く普通の人々には、どこから見ても、仲良し親子連れにしか見えないだろう。
 ナミが居るので、あかねと、必要以上にいちゃつくことは出来ないものの、それも仕方がないかと、乱馬も思い始めていた。ただ、ショップの店員たちに、「若いお父さんは大変ですねえ。」とくすっと笑われるのには閉口した。
(ちぇっ!こんなガキが、本当に居る年恰好に思われてるのはシャクだぜ!)と心の中で吐き出すことも忘れない。あかねはまんざらでもないのか、「お母さん」とか「ママさん」よ呼ばれても、ニコニコとやり返している。彼女の中の母性が、一際輝いて見えるのも、それはそれで心が和んだ。

「何だか、いっぱい買っちゃったわね。」
 ロッジへ帰って来たとき、買い物袋を眺めながら、楽しそうにあかねが言った。
「こおんなに、買い込んじゃって、お金の方大丈夫なの?」
「けっ!必要経費で落とせるから平気だよ。ちゃんと領収書はなびきを通じて連邦司令部へ送りつけてやらあっ!第一、本来なら休暇中だったんだぜ!俺たちは。」
 と、半ば吐き捨てる乱馬。その顔をナミが心配げに覗き込む。
「あ、別に、おめえが邪魔だとか、そんなんじゃないぜ。誤解すんなよ!任務は何事においても最優先だからな…。」
 そう言うと、コホンと一つ咳払いして続けた。
「でも、おめえだってわかるだろ?せっかくの予定がオジャンになるんだったら、それはそれで、目いっぱい楽しませてもらわないと…な?おめえも、この先、地球へ行けば、なかなか、こんな休暇にも恵まれねえかもしれねえし…。どうせなら、お兄ちゃんたちと楽しくやろうぜ。」
 と笑って見せた。
 その言葉に、安心したのか、コクンとナミの頭が揺れた。
「あんたさあ…。ずっと、お兄ちゃんってのをことさら強調してるけど…。どう見たって、ナミちゃんの父親よ。お兄さんってガラじゃないわ。」
 あかねが包装を解きながら、笑った。
「うっるせえっ!てめえだって、すっかり母親然しやがって。」
「まあ、早ければ子供が居たって、別におかしくない年齢なんだから…。」
「ほお…。あかね。てめえの年でナミくれえの子を持とうと思ったら、少なくとも十四か十五で結婚してねえとダメなんじゃねえのか?」
「まあね…。ちょっと、子供としては大きいかな…。でも、連邦法典では女性は十六で結婚は認められてるわ。現にあたしの母だって、十六で結婚して十七で母親になったわけだし…。」
「えっ!?おめえの母ちゃんって、そんなに若くして、天道司令官(おやっさん)と結婚したのかよっ?」
 乱馬は少し声を荒げた。
「ええそうよ。十七でかすみお姉ちゃんを産んでるわ。」
「うへっ、十七歳!若っけえ母ちゃんだな…。で、かすみさんとおめえって四ないし五歳しか年変わらないよな…。ってことは、二十二歳で既におめえら姉妹の子育てしてたってことになるじゃん!ある意味、犯罪だな。そりゃ。」
「ちょ、ちょっと、その「犯罪だな。」ってのは何よ。」
 あかねはじろっと乱馬を見返した。
「だって、おめえの父ちゃんって、そんなに若くはねえだろ?いくらなんでも十代でかすみさんを儲けたようには見えねえぞ。そんな若い嫁さん貰うなんて、ある意味犯罪行為じゃねえのかよ!」
「まあ、十以上年が離れてた事も認めるけど…。」
「十の年の差として、二十六で結婚か。まあ、妥当っちゃあ妥当な年齢ではあるんだろうがな…。しかし、良く、軍部が許したな。その年齢の嫁を貰う結婚を…。」
「お母さんは、軍部関係に繋がりを持つ人間じゃなかったしね…。」
「ふうん…。」
「それに、十七で子供を持つって言ったって、試験管の中での話だもの。自分でお腹を痛めて産んだんじゃないし…。かすみお姉ちゃんとなびきお姉ちゃんはね。」
「まあ、今は殆ど、自然分娩はしねえし、っていうか、連邦政府がさせねえだろうけどな…。」
「まあね…。そう言う意味じゃあ、あたしなんか、完全にはみ出した異端児ってことにもなるんだろうけどさ。」
 あかねは、少し自嘲気味に笑った。

「お、おい…。おめえさあ、ひょっとして、自然分娩で生まれて来たのか?」
 乱馬ははじめて囁かれたあかねの生誕話に興味を示していた。

「うん…。そう訊いてる。三人姉妹の中で、あたしだけは自然分娩で、母さんから直接生まれたって。」
「そっか…。おめえも自然分娩だったのか…。」
 乱馬は少しトーンダウンしてそれに答えた。

 彼らの時代では、自然分娩そのものが、廃れていた。勿論、人間の営みなので、完全に自然分娩がなくなるわけではなかったが、殆ど、完全管理下に置かれて、人間は産み落とされる。そう、殆どの人間の生命は、母の胎内を介して生れ落ちることは、珍しいケースになってしまっていたのだ。
 自然分娩は、母体に与えるリスクが高いことも、理由付けされていたが、人口を有る程度操作することや、劣勢な遺伝子を受け継ぐ子供が生まれるのを抑制しようとした事も絡んでいたらしい。
 そう、人類は最早、自然分娩では生を受けない。試験管で管理されながら生まれてくる命が当然の時代に突入していたのである。
 開発途中の地球から離れた惑星の衛星ならば、自然分娩はまだ、主流とも言えたが、地球星域生まれ、ましてや軍部関係者の子孫となると、自然分娩は限りなくゼロに近いと言われていた。

「でも、あたしを自然分娩で産んだせいで、母は病弱になってしまったらしいけどね…。新しい命を吹き込む母体にとって、分娩時のトラブルって、ある意味、大きなリスクを持つものらしいわ。でも、母さんはあたしを自分の力で生んだ事を誇りとしていたって、父や姉たちが言ってた。」
 少し、母のことを思い出したのだろう。あかねの言葉が震えた。
「おめえ、ガキの頃、月に居たって言ってたよな…。あそこは地球星域だから、生い立ちが自然分娩なら、結構、それなり苦労したんじゃねえのか?」
「まあね…。でも、お父さんたちの苦労なんかに比べたら…。あたしは、家族に守られて育てられてきたし…。」
 あかねはすうっと窓を見上げた。人工太陽が、人工の雲に、すうっと覆われて、暫し光を失う。
「ま、湿っぽくなっちまうからな、昔の話はここいらで、おくとして…。」
 乱馬はすいっと立ち上がった。
「俺、レンタルしてきた、ボートの整備してくらあ…。ちゃんと整備しとかねえと、何かあったとき大変だからな。おめえは、買い込んで来た食料品や携行品の整理と準備、ナミちゃんと、ちゃんとやっとけよ。」
 そう言って、乱馬はロッジを出て行った。

『あかねは乱馬と夫婦じゃないの?』
 乱馬が出て行ってしまうと、ナミがこそっと訊いてきた。
「あっはっは、まだ夫婦じゃないわ。あたしも乱馬もまだ、連邦軍には正式な結婚を許されてはいないの。」
 あかねはごそごそと買い込んだものを、リュックに詰めながら言った。
『正式な結婚?』
 ナミには大人の事情はわからなかったのだろう。また、知らないことへの好奇心がむっくりと頭をもたげてきたようだ。
「ええ。あたしも乱馬も連邦軍の特務官だからね。普通の一般市民は女は十六、男は十八で申請すれば、大概は結婚が認められるけど、従軍者には、それぞれ、いろんな細かい規則があってね、一緒に生活はできても、婚姻届は受理されないの。つまり、子孫を作れないから、夫婦じゃないってことになるのよ。」
 あかねはゆっくりとナミに説明した。
『ふうん…。私は、てっきり、夫婦だと思ってたわ。だって、仲が良いんだもの。』
「ふふふ。そう見えたのはとっても嬉しいけどね…。あたしたちは二人とも特務官だから、連邦司令上層部の結婚許可が要るのよ。上層部がウンって言ってくれないと、婚姻届は出せないの。一応、結婚許可願いは申請してあるんだけど…。なかなか許可が下りてこないの。尤も、まだ二人ともエージェントとしては駆け出しのペエペエって年齢だから仕方がないんだけどね。あと、七、八年かかるかもね。三十手前、そのくらいまで働いて、手柄立てて、丁度良いくらいかなあ…。」
『ふうん。結構大変なんだ。特務官さんのお仕事って。』
「特殊任務だからね…。あたしと乱馬の婚姻届が受理されて結婚が認められるまで、暫くは「許婚」のまんまね。」
『いいなずけ?』
「そう。許婚。婚約者同士っていう意味よ。古い、ジャパニーズの言葉なんだけどね。結構、この言い方が気に入ってるの。」
『婚約者…ってこと?』
「まあね。フィアンセという言い方もあるそうだけど、あたしは「許婚」って呼び方が一番あたしたちに相応しいって思ってるのよ。」
 あかねはにっこりと微笑んだ。
『あかねは乱馬が好きなのね…。』
「まあね…。彼はあたしの半分だから。」
『半分?』
「そうよ。ベターハーフって言葉があってね、男と女はそれぞれ、足りないところを補い合って、それで一つの形を作るんだって。乱馬は、あたしのもう片方なの。」
『良くわからないな…。』
「ふふふ、当たり前よ。ナミちゃんにも恋をする年頃になればわかるわ。」
『恋をする年頃って?』
「早ければ数年後…ってところかしら。」

『数年後の未来…。私は私でなくなってるかもしれないけど…。』
 ナミはふっと翳りのある言葉を吐き出した。
 だが、その言葉は、あかねの心には送り込まれなかった。そう。心の音声には乗せなかったのだ。

「え?」
 何か、ナミが言ったような感覚がした、あかねは、ちらっとナミの方を振り返ったが、彼女は、それ以上何も言わず、再び、止めていた手を動かし始めた。



三、

 人工太陽が、天上からだんだんに水平線へと落ち始めた頃、乱馬たちは、ボートに乗って出かけた。
 ロッジを戸締りして、それから、必要機材や道具、食料をたんまりとボートの後ろ側に乗せて、颯爽とエンジンをかける。
 古めかしい音がして、ボートのエンジンがかかる。そして、目の前のビーチを離れた。
 白い水飛沫を上げながら、波を越えて小さな海に出る。
 周囲が数十キロ程度の小さな星なので、海と言っても、海原を成すまでの広さはない。海というよりは、湖と言った方がすっきりくるだろう。だが、地球の海と同じ成分で作られている海水は、程よく辛いし、潮の匂いも漂ってくる。
 水深は数十メートルだという。工場廃水などないので、美しい透明な水が真下には広がっている。
 人工的に作られた産物とはいえ、地球の海に住む海洋動物や魚たちが、海水を我が者顔で泳いでいるのが見えた。リゾート地らしく、フィッシングやクルーズを楽しむ観光客も大勢居た。

「で、どこまで行こうって言うの?」
 あかねは、エンジン音でかき消されそうになる中、乱馬へと問いかけた。
「この先の沖にさあ、小さな人工島が幾つかあるんだよ。その一つさ。」
 乱馬はハンドルを握りながら、それに答えた。
 アロハ風のシャツとGパン。そして、黒いサングラス。おさげを後ろになびかせながら進む。ボートは水飛沫を上げながら、乱馬に導かれるままに、快調に進む。
 あかねの脇には、ナミがぴったりとくっついている。彼女から離れれば、吹き飛ばされるのではないかと思うくらい、正面から風が通り抜けていく。しかし、怖いというよりは、好奇心の塊で、飛ばされるように流れていく水面の景色を眺めて居た。
「あんまり、近くの水面ばっか見てると、酔っちまうからな。できるだけ、遠くの景色を眺めとけよ。ナミっ。」
 乱馬は笑いながら、ナミに語りかける。

「本当に、海原の真ん中に、星石が群集してるポイントがあるんでしょうね?」
 あかねは、まだ半信半疑のようだ。
「たく、しつけえぞ!俺があるって言ったらあるんだよ。あの当時、まだ、ほんの子供だったけどよ、ちゃんとこの目で見たんだから。」
「子供の頃の記憶なんか、あてになるのかしらねえ…。」
「エージェントの親父に付き合ってたって言ったって、親父の任務中、実際は、一人、ほったらかされてたんだけどよ。この星で知り合った同じ歳くれえの女の子と、そこらじゅう探索してまわっててよ、で、こうやって、大人の目を盗んで、沖合いへボートを出したことがあったんだよ。」
 乱馬は懐かしそうに言った。
「子供の頃って幾つくらいの話よ。」
「さあ…。五、六歳ってところかなあ…。」
「なっ!そんな子供がボートなんか操縦できたの?」
 あかねは驚いたと言わんばかりの表情を乱馬に手向けた。
「けっ!物心ついた頃から、宇宙船だって操縦してからな、俺は。ガキっつうてもこんなボートくれえ、操るのは朝飯前だったんだよ。」
「でもさあ、ラインセンスは、どんなに早くても幼年学校卒業しないと貰えないじゃない。ってことは、無免許運転?」
「ああ、そういうことになるかな。乗り物を動かすのにラインセンスが必要だなんて知ったのは、十歳でいろんなのを申請して交付してもらってからだったしな。親父も当然の如く、俺に、いろんな乗り物の操縦桿を握らせてくれたし、それが当然って生活してたからな。」
「呆れた…。」
「じゃねえと、ガキがエージェントの親父と生き抜いてなんかいけなかったしよう。」

 あかねは、乱馬が年端もいかないのに、超一級の宇宙船操縦術を持っているパイロットでもあることが、納得できるような気がした。理論などは後からついてきたという口なのだろう。エージェントの父と共に宇宙を生き抜くには、幼児にとっても、宇宙船の操縦の一つくらいこなせなければならない世界だということもわかる。

「でもさあ…。不用意に陸から離れて来ても良かったの?あたしたちを見守ってる護衛官の人たち、結構慌ててたみたいだけど。」
 あかねはチラッと後ろを見ながら言った。
 かなり離れたところで、それらしい船影が揺れているのがかすかにわかる。
「その辺は、ちゃんとこの星の軍司令部に連絡してあるよ。こっちだって、結構な数、修羅場を潜り抜けてるしな。現在位置だってきちんと知らせるから、有る程度、距離とって遠巻きに見守ってろってな。具体的には五百メートル四方には入るなって指示もしてあるさ。不用意にその間合いに突っ込んできたら、不審者と見なして、バズーカで攻撃するからそう思えってな。」
 にやっと乱馬は笑った。
「あんたさあ…。それってかなり無茶な注文じゃないの?ナミちゃんを狙ってくるテロリストたちは、間合いなんか関係なく、突っ込んでくるかもしれないし。その時、護衛官たちが、かなり後方だったら話にも何にもならないんじゃあ…。」
 あかねは呆れたと言わんばかりに乱馬を見た。
「大丈夫だよ。ちゃんと、セキュリティートラップをはる。準備も整えてきてんだよ。」
 乱馬は余裕しゃくしゃくであった。
「セキュリティートラップねえ…。」
「ああ、センサーに反応して、俺たちの間合いへ入ろうとしたら、警戒できるってシステムだって、用意してらあ。だって、星石の輝くところ、無粋な護衛連中に邪魔されず、拝みたいだろう?ナミだってよう。」
 そう言いながら、にいっと笑った。
 ナミの頭もコクンと揺れた。
「たく…。融通の利く護衛官ばかりだと良いけど…。クレメンティー兄妹だって居るのよ。」
 あかねはちろっと乱馬を見返した。
「へっへっへ。白薔薇ペアなら、心配ないぜ。」
「ええ?」
「あいつらなら、とっくの昔に、この星を離れたさ。」
 乱馬はにっと、ほくそえむ。
「この星を離れたですってえ?どういうことよ、それ。」
 驚いたあかねは、乱馬へとたたみかけた。
「何、簡単なことさ。あいつらには、ウエストエデンから別の指令が飛んだってこと。あまり、目の周りにブンブンと飛び回られるのも嫌だし、連邦司令部上層部に掛け合って、適当に任務作って退散してもらった。」
「なっ!連邦上層部に直接掛け合ったって…。」
 あかねの瞳は驚きのあまり、大きく見開かれる。
「あいつらも、俺たちがいちゃついてるところ見るのが忍びなかったんだろうさ。指令受けて、とっととエララ星(ここ)から出ていっちまったぜ。」
 くくくっと楽しそうに乱馬は笑った。
 あかねにしてみれば、乱馬の行動力には、頭が下がった。いや、何より、連邦上層部と直接掛け合ったというところに、驚きを感じていた。連邦上層部といえば、父の早雲ですら、掛け合うのがやっとという、雲の上の組織だ。勿論、あかねくらいの階級だと、上層部の人間と話すことすら、不可能に近い。それを、この相棒は、簡単にやってのけたというのだ。
 出会ってコンビを組んで、まだ四年弱だが、勿論、彼の口から、上層部と直接掛け合ったなどという言葉を聞いたのはこれが初めてだ。何故、彼が上層部と直接掛け合う権利を持っているのか。訊いてみたいような気もしたが、空恐ろしくなって辞めた。

(やっぱり、乱馬って、得体の知れないところがあるのよねえ…。)
 あかねはふうっと吐き出した。
 「エンジェルボーイ」というコードネームを持っていたという乱馬。あかねも、星の噂で耳にした事がある。「エンジェルボーイ」という凄腕の年端行かぬエージェントが、太陽系の果てで活躍していたという噂を。それが、彼だったという事実を知った時も、かなり衝撃的なものであった。
 エンジェルボーイの話を訊こうとしても、『過去なんか、関係ねえよ。俺は今を生きてるんだ。だから、忘れたさ。』とあっさり跳ねのけた。
 そんな曖昧な言葉ではぐらかされていたような気がする。
(乱馬、あたしに言ってない「何か」を、たくさん秘めてるんだわ…。きっと…。)

「ほら、見えてきた。あの島の一つに、星石の群集地があるんだ。」
 乱馬は目の前に島影を認めると、だんだんにボートのスピードを落としていった。



つづく




 八話くらいで軽く書き上げるつもりでしたが、無理…。膨らんじまったいっ!
 謎が謎を呼ぶ展開が…骨子が勝手に膨らんでいっております。(どうするよ!)
 乱馬の「エンジェルボーイ時代」の話も、余力があれば、一度、じっくり書いてみたいです。でも、乱馬と知り合ってないから、乱あにはならないので、本編で折に触れたときに挿入していければ…なんて、また馬鹿なことを思っております。いつかは、珊璞も出すつもりでいるので、その時にでも触れられたら良いな(意味深)
 この話で設定した、あかねちゃんの母さんのお話も、創作ですから信じないでください。幼な妻的あかねちゃんの母。脳内に浮かぶ顔は何故か、髪の毛が長いあかねちゃんだったりする(笑
 自然分娩云々の話も、実は、後の伏線だったりして…。ということで、頭の隅っこにでも入れておいていただけると宜しいかと。



(c)Copyright 2000-2005 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。