天使の休日
第三話 危険な誘惑


一、

「ねえ、さっきからどうしたの?」
 あかねが乱馬に問いかけた。

 ビーチサイドから帰って来てから、ずっとこの調子だ。
 何か考え込んでいる。

「もう、乱馬ったらっ!」
 あかねがぷくっと膨れてみせる。
(ジブラー・バイス…反連邦組織「ブループラネット(蒼い惑星)」の一級テロリストか。)
 じっと天井をやぶ睨みしながら、己の考えの分析に当たる。
 実際に、遭遇したのは始めてであったが、ジブラーの悪名は、そこそこ巷で溢れていた。尤も、彼にとって、今回、乱馬と遭遇してしまったのは「偶然」のようなものだったに違いないが。
 爆弾を使いこなす、凶悪犯で、己の思想を守るためなら、殺人も厭わない、そんなタイプの人間である。
 「ブループラネット(蒼い惑星)」は、反政府組織過激派の一つで、事あるごとに連邦と対立しているシンパの一つだ。反政府組織にはいろいろあり、五、六百は活動し続けていると言われているが、その中では中堅どころになるだろう。
 彼らの理想は「復古主義」だ。完全に管理下に置かれて、人間を管理している、現連邦政府に対し反発をしている。
 人口が爆発的に増えすぎて、現在の連邦では、地球に居住できる人間は、ごく限られている。環境破壊が進み、殆ど、自然がなくなった今の母星には、人間は百害あって一理もない存在に成り下がりつつある。従って、一部の特権階級しか住むことの出来ない「桃源郷」のような存在になりつつあった。
「何故、母星に自由に行き来できないのか。」
 彼ら組織の反発は、そこから始まっていると言われている。概ねの反政府組織は、連邦政府高官たちに対する「特権的なものに対する憎悪」から来ているので、ある意味、ゼナたちよりもわかり易いだろう。




 事件後、すぐさま、連邦警察の事務所へ出向いてきた。
 さっさと報告書を作って、また休暇に戻るためだ。
 一応、テロリストの一掃に役立ったのだし、休暇中とはいえ、連邦エージェントの身の上。事情聴衆も兼ねて、その星の捜査部へと足を運ぶ。
 そこの警察署長の「でぶっちょ」は、手柄一切を乱馬に横取られた形になったので、機嫌が悪かったようだ。だが、乱馬としては、当然の役目を果たしただけであり、あまり歓迎ムードではなかったものの、渋々報告書は承諾された。
「連邦宇宙諜報部の方ですか。」
 ちらっと乱馬を見る視線は、「この若造め!」と言わんばかりの好戦的な態度だ。
「ああ、たまたま休暇でエララへ来てたんで、行きがけの駄賃みてえなものだけどな。」
 勿論、そういう扱いには慣れきっている乱馬にしてみれば、無能ほど良く吼えると言わんばかりに、こちらも至極、事務的だ。特にいきがるつもりもなかったが、片田舎の警察機構では、かえってそんな態度が嫌味に見えたかもしれない。
「後は、こちらで手続きして置きますから…。えっと、あの窓口で報告書を規定どおりに書いておいてください。」
 と適当にあしらわれる。
「報告書だけで良いんですね。」
 と乱馬は念を押した。
「ええ、それで結構です。では、私は用事があるので、これで…。」
 そそくさと、逃げるように署長は奥へ下がる。

「感じ悪いなあ…。休暇中を返上して、仕事してあげたのに…。」
 あかねも目を丸くしながらその背中を見送る。
「仕方ねえよ。あっちにしてみれば、俺が「手柄」を横取りしたと思ってるだろうからな。」
「だって…。あそこまで大物捕り物しかけておいて、あの体たらくよ!こっちだって、好きで任務に協力したわけじゃないじゃない。あのままほっておいたら、確実に逃走されたわよ。」
「ま、いいさ。これで、また、ボーナスの支給額が鼠の涙ほどでも上がるんだし。ここで遊ぶ小遣いくれえにはなるぜ。」
「あんたも、意外にあっさりしてるわねえ。あんな応対されたのに。」
「かまわねえよ。あんなこと、どこでもしょっちゅうだし。能有る鷹は得てして嫌われるもんだからな。」

 受付で応対してくれた、事務のお姉さんにしても、署長とそう態度は変わらなかった。
「たく…。地球連邦も、任務なら任務ときっちりと割り当てて、諜報部員を派遣してくれれば良いものを…。表向きにはこうやって、「休暇申請」で大挙として観光客に紛れさせてるんだから。手柄持って行かれるこっちには、溜まりませんよ。」
 手続き書類に目を通しながら、乱馬に聞こえるように「嫌味」らしきものを言う。
「あん?俺は、任務じゃなくって、丸々休暇で来てんだぜ。」
 と言葉を返す。
「わざわざ「この時期」にですか?誰も信用しやしませんわ、そんなこと言われても。」
 と素っ気無い答えがお姉さんの口元から返ってくる。
「この時期?」
 と怪訝な顔を手向ける。
「すっとぼけたって、私たちにはわかるんですから。」
「それと、署長が忙しいのは何か関係があるのかよ。」
「関係あるもないも…。ロード署長もてんてこまいなんです。この星に降り立って何か感じませんでした?」
「そういや、やたら、同類たちの視線を感じたな。」
 ぼそっと乱馬が言った。

「ま、そういうことですよ。あ、書類はこっちで処理しておきますから。ここにサインだけください。えっと…。乱馬・早乙女さんでしたっけ?」
「ああ…。」
 乱馬はペンを貰うと、さらさらっとサインをした。
「どうも…。じゃあ、残りの休暇、思い切り楽しんで行ってくださいな。」
 お姉さんは、皮肉っぽい笑顔を手向けると、ぺこんと頭を下げた。


「ホント、何だか、揃って、嫌味な態度よねえ…。エララ(ここ)の役所連中って。」
 へそを曲げたのか、あかねが、ぷんすかと言葉を投げた。
「だから、仕方ねえって…。ここの連中にしてみれば、余所者に手柄持っていかれたんだから。彼らが素っ気ねえのも仕方ねえさ。」
 乱馬はふっと吐き出した。
「ホント、あんたって、さばさばしてるのねえ。」
「こういうのに、慣れてるだけだよ。いちいち目くじら立てて、張り合ってみても、こっちが気分を害するだけだからな。ああいうもんだと割り切っておけば、下手なストレスもたまらないさ。って…おめえって案外、直情的なんだな。あっはっは。」
 と笑った。
「んもう!気にしないあんたが変なだけよ!」
 自動ドアを抜けて、外へ出る。
 そろそろ夕方だ。位置が変わらない人工太陽の光が、徐々に弱くなっている。人工的な夕焼けが、海面を包み始めた。
 この星は七割近くが水面。残りの三割程度が陸地。それも、一所に偏って作られている。従って、四方を海に囲まれているような感じだ。そして、海洋の方向に夕焼けを作り出す装置が据えてあるようだ。
 あと、数分もすれば、人工太陽の光は完全に消灯され、夜空一面、本物の星空が続き始めるだろう。

「腹減ったな。やっぱ、飯だな。」
 そう言って笑う乱馬。
「もう、すぐ、食い気に走るんだから。あんたは。」
 あかねがくすっと笑った。
「でも…。警察署でもそうだったけど、やたら、警察や軍関係の奴らが目に入るな。」
 乱馬は、道の傍らに視線を回しながら、ふっと呟いた。
「そう?」
 あかねもいつられてキョロキョロと眺める。
「ああ…。やたら、私服のそれっぽいのが多いぜ。例えば、あの隅っこの二人とか。カップル装ってるけど、多分、男同士だぜ。」
 目線で乱馬はそれとなく流した。
「まさか…。男同士?」
「女同士かもしれねえけど…。不自然過ぎらあ。」
「そっかな…。」
「それに、腕、見てみな。」
「あ…。」
「通信機って丸わかりだぜ。…たく、殆ど素人だな。ちゃんと訓練してやりゃあ良いだろうに。それから、やたら、検問も目に付く。」
 と、流し見る方向に、赤のパトライトが点滅している。空港へ向かう道には車列があって、何かチェックしているようだ。
「連邦政府関係のお偉いさんでも、休暇取りに来るのかもな。」
 乱馬はふっと吐き出した。
「だとしたら、迷惑な話よね…。」
「まあな…。「蒼い惑星」が動いているのも気が食わねえが…。ま、いいや、仕事の話は止しておこう。向こうから、また舞い込んできたら、せっかくの休暇気分がパアだぜ。」
 そんなことを話ながら、日暮れ近いダウンタウンを歩いていた。


「やあ、君たち。」

 と、ライトアップを始めた、街角で呼びとめられる。
 聞き覚えのある嫌味なテナーだ。

「てめえら…。」
 乱馬の顔が、みるみる曇る。というよりは、あからさまに嫌な顔となる。
 前に立っていたのは、クレメンティー兄妹。
 何のようだ…と言おうとする前に、兄はあかねの傍らに、妹は乱馬の傍らにすっと立った。いや、それだけではない。各々、至近距離に立つ。

「さっきは邪魔者が入りましたからね。」
 と、兄のライン・クレメンティーが笑う。
「な、何のつもりだ?」
 乱馬が言い返すと、二人とも勝手な事を言い始めた。
「いや、ここで会ったのも、何かの縁ですからね。僕はあかねさんと、ローザは乱馬さんと今宵、夕食を過ごしたいと思って…。」
 この手合いは、相当、強引に話を進め始める。

「何、同じ店にブッキング(予約)を入れておきましたから。ささ、時間が勿体無い。あかねさんは僕の横に、乱馬さんはローザの横にお座りなさい。」
 いつの間にチャーターしたのか、スポーツタイプのオープンエアカーが一台。派手な赤色だ。

「ちょ、ちょっと、そんなこと言われても、困ります。」
 あかねがシドロモドロに返答したが、この手合いは「聴く耳」も持たない。
「さ、行きましょう。」
 ローザがくいっと乱馬の手を引っ張って、後部座席に座らせた。勿論、ちゃっかりと自分が隣りに乗り込む。
「お、おい…。」
 乱馬も慌てたが、有無も無く、ローザの隣りに引っ張り込まれた。
「ら、乱馬っ!」
 ちょっと怒った顔をあかねが差し向けかけたが、これもまた、ラインの強引なエスコートにつかまり、助手席へと乗り込まされる。
 二人で、別々のカップルとして強引に引っ張り込まれた。

 すいいっとエアカーが動き出す。
 殆ど、エンジン音もしない、スポーツタイプのロードエアカー。滑るように、海岸線を走り始めた。

 その勇姿を直ぐ脇の椰子の木陰から、サングラス越しに見守る金髪のショートボブの女性が一人。上背があり、すらりとした容姿。その割りには、決して細くは無いしなやかな腕の筋肉。濃い赤のルージュ。腕には、黒い小型鞄を持っている。見るからに「素人」ではない風体だ。
 口元には、細めの煙草をくわえ、くゆらせている。
「ふっ…。さっきの大捕り物。やっぱりあんただったのね、「エンジェルボーイ」。」
 にっと白い歯を見せながら、女が笑った。
「ベビーフェイスの少年も、いい男になったこと…。すっかり見違えたわ。大人になったわね、エンジェルボーイ。」
 乱馬と旧知らしく、昔のコードネームを吐き出した。
「ふふっ。エンジェルボーイか…。久々に、楽しくなりそうだわ…。」
 そう言いながら、煙草の火を足元でもみ消すと、ふっと闇の中へと消えていった。




二、

 強引な、クレメンティー兄妹に連れ込まれた二人。
 そのまま、ラインが運転するエアカーは、この星の中心街の方へと真っ直ぐに進む。セントラルタワーは地上数十階。それ以外に高い建物はなかったので、否が応でも目立つ。そこの地下へと車は飲み込まれて行く。それから、所定のパーキングへと止めると、エンジンを切った。
「さて、着きましたよ。僕らのゲストさん。」
 そう言って、ラインはすっと車を降りる。それから、直ぐに反対側に周り、あかねと、妹と順番にエスコートして降ろした。

「おい…。てめえ、何なんだ?こんなところに連れて来て。」
 乱馬がきっとラインを見据えた。
「だから、ディナーへご招待だって言ってるでしょう?」
 そう言いながら、あかねの腕を引いて、さっさと歩き始めるライン。
「だから、てめえ、そのあかねの腕を放せ…。」
 と言いかけた乱馬の左腕に、今度はローザが自分の腕を絡めてくる。
「お、おい!」
 明らかに狼狽し始める乱馬。
 あかねに対しては、リードしたがる彼でも、他の女の子との、こういうシチュエーションは、どうも慣れては居ないらしい。思わず、真っ赤に熟れさせた乱馬の顔を、端から覗き込んで、あかねの顔が曇る。
「さ、行きましょう。」
 乱馬とあかねのことなど、気にもしていないらしく、ラインが、すっとあかねの肩に手を回し、くいっと押し出すように歩き始めた。
 そのラインを見て、今度は乱馬が顔をしかめる。
 エレベーターホールから、中に乗り込む。勿論、ラインはあかねの肩をずっと抱いていたし、ローザは乱馬の左腕にしっかりと自分の腕を絡ませて、それぞれ「密着状態」。そこそこ、エレベータの利用者があったから余計だ。
 エレベーターの中の変な緊張感。どんどんと上に競り上がるように登っていく。人々は囁くことも忘れたように、押し黙ったまま、エレベーターが目的地へ到着するのをじっと待つ。
 何度か途中の階でドアが開いたが、彼らの目的地は、最上階のラウンジ。

 エレベーターが開くと、ウエイターが数名立っていて、それぞれ、客の予約を確認している。

「せっかくですからね、楽しんで夕食していってくださいね。じゃ…。」
 何故か、反対側の方へと進むクレメンティ兄妹。

「お、おい。てめえら…。何処へ?」
 慌てて、反対側に向いたラインとあかねペアに乱馬が声をかける。
「僕らはこっちです…。君たちはあっちだ。」
 ラインはにっと笑った。

「ちょ、ちょっと、困ります!ラインさん。」
 あかねも慌てて言葉をかける。

「たまには、ペアを変えて夕食ってのも良いでしょう?何か不味いことでも…。」
 ラインは、あかねの慌てる様など、気にせずに引っ張る。

「さ、あたしたちはこちらよ。乱馬さん。」
 ローザも乱馬をくっと引っ張った。

「お客様。ご用意ができました。こちらへ。」
 先に、ローザの方のウエイターが二人を先導し始めた。
「じゃ、お兄様…。」
「ああ。」
 二人は含み笑いを浮かべた。

「お、おい…。」
「いやだとわ言わせませんわ。乱馬さん。」
 ローザはこれ見よがしに、乱馬に絡めた腕を引っ張って行く。
 その様子を見て、むっとするあかね。
「さあ、あかねさんはこっちです。せっかくだから、今夜は楽しみましょう。」 そう言うとラインはあかねをエスコートし始めた。

 こうやって、同じ店の別の部屋へと渡っていく二人。

(もう、何よ、乱馬の奴!嫌なら断りなさいよ!男らしくないんだからっ!)

(あかね!てめえ、嬉しそうに別の男に引っ張られやがって!)

 互いの優柔不断を棚に上げ、二人揃って、「ムッ!」とした。

 それぞれの横には、それぞれ「下心」一杯の兄妹。




 そうだ、このペア兄妹の二人は、昼間の乱馬の大活躍を見て、今夜のこの強引なディナーを決行することを、さっさと決めてしまったのだ。

「ねえ、お兄様…。あかねのパートナーの乱馬って、どう思います?」
「どうって?…かなりやり手なエージェントだな。東(イーストエデン)にもあんな優秀な奴が居たんだな。」
「それだけですの?」
「ああん?」
「じゃあ、訊きますけど、お兄様、あかねのことはどうお思いになりまして?」
「あかねさんか?そうだな…。可愛らしい女性だな。どっちかというと、好みかな。」
 少し助平そうに笑った兄。それを見ていた妹の目が光る。
「でも、彼女は乱馬の許婚だって事でしたけれど…。」
「その絆の間に入って、引き裂いてやるのも面白いかもしれないね。」
 ふっとラインの頬が緩んだ。
「ほら、また、悪い癖が。お兄様。」
 ローザが笑った。
「あんな見事な技を見せつけられたらね…。嫉妬ってのも湧いてくるさ。あんな可愛い子を許婚に持つ野郎エージェントが東に居るなんて、気に食わない…。」
「お兄様らしいわ。」
「だったら、ローザはどう思ったんだ?」
「あら、あの味噌っかすの「あかね」には過ぎた相手よ。あの乱馬とかいう男。あかねと結婚して子孫を残すには、勿体無さすぎよ。」
「ふーん…。男には手厳しいおまえが、そこまで褒めるとはねえ。」
「どうせだから、あかねから奪ってやりたくなったわ…。ああいう、優秀な遺伝子は優秀な女が貰うべきね。例えば、私のような…。」
 ふっとローザが微笑んだ。
「おまえ、友人の許婚を横取りするのか?ひゅう!怖い女だな。」
「あかねが友人だって思ったことはないわ。それに、何ならお兄様があかねを奪えばいいわ。気に入ったんでしょ?」
「そうだね…。優秀な許婚野郎が居る女の子を口説くのも悪くはないな…。」
「決まりね。退屈な任務中の「暇つぶし」にはなるわ。」
「どうせなら…賭けないか?ローザ。」
「賭ける?」
「ああ。どっちが先にターゲットを口説き落とすか。そうだな。このダブルデート費用をどっちが持つかってことで…。」
 兄は妹にとんでもない提案を持ちかけた。
「良いわね。それ。面白そう…。」
 にっと笑う妹も妹だ。
「じゃあ、今夜から攻撃あるのみ…。」
「ふふふ。楽しみね。どっちが先に、ターゲットを口説き落とせるか。」


 実は、こんな「ふざけた姦計」を兄と妹で企んでいようとは。勿論、乱馬とあかねは知る由もない。



 方や、勝気な純粋娘に対して遊び慣れた色男。そして、方や女とは全く縁がなかった野生児と積極的なセクシー女。
 危険な接近である。
 そして、何よりも、この兄と妹。それぞれに「やり手」であったことだろう。
 異性経験が自分の相手以外に無かったという、乱馬とあかねとは、こなした場数も違い過ぎた。そいつらに「狙われる」ことに相成ってしまったのだ。
 彼らがこの手の「駆け引き」に慣れていることは、このセントラルタワーのレストランを利用した事にあろう。
 逆方向に部屋を取ったとはいえ、良く見れば、相手の部屋が窓越しに見えるのである。それも、丸々見えるというわけではなく、曇り硝子越しにという「見えそうで見えない」という尤も気になる代物。互いの「気になる」を最大限に利用して、「猜疑心」や「嫉妬」を煽り、そこへ己たちを滑り込ませる。まずは、そういう作戦に出た。
 別々の部屋に通ると、これまた、水を得た魚のように、二人は、別々に、乱馬とあかねに対して、甘い罠を投げかけ始めた。
 互いに、背面に座ることによって、相手がうっすらと見えることを意識させる。それから、必要以上に、親密をそれぞれが装う。
 何とも計算されつくした「嫌がらせ」のような「計略」。

 案の定、乱馬は、すぐさま、向かい側の部屋にあかねが居ることを察知した。
 これみよがしに、ちらちらと見える人影。ふざけた野郎とあかねのシルエットだと、直ぐに気がついたのだ。
 ローザは、ほくそえみながらも、乱馬にワインを勧める。
 くすんだ赤ワインの色と同じ口紅が、妖艶さを際立たせる。
 食事は肉。血の滴るようなレアな分厚いのだ。この辺境の宇宙へも、元の地球の素材は定期便でもたらされる。出荷元は農園の多い、「エウロバ」辺りだろう。
 とにかく、どうやってローザを振り切ってあかねを野郎から奪還するか。乱馬は、ローザとの会話に生返事しながら、黙々とナイフとフォークを動かし続ける。いや、この期に及んで、食欲だけは旺盛なようだ。
 時間が経つにつれ、彼の視線がだんだんに、険しくなるのを、楽しむようにローザは、己も食事を摂っていた。
 そうだ。乱馬は対面硝子に映る、あかねとラインの影を見ながら、憮然としている。
(ふふふ…。せいぜい、ヤキモチを妬きなさいな。乱馬さん。妬けば妬くほど、心はあかねを離れるわ。その逞しい腕、絶対、私が物にしてみせる。)
 そんな微笑を浮かべて、ローザは兄、ラインがあかねに近づくのを楽しみにしていた。


 対するあかね。
 彼らの目論み違いと言えば、あかねは「相当鈍い」ということだったろう。
 そう。すぐさま、向かい側のすり硝子に、あかねとラインが映っていることを悟った乱馬と違って、あかねはそれに気がつかなかった。注意良く観察すれば、すぐさまわかる乱馬とローザの影が、あかねには全く目に入らなかったのである。
 そのくらい、実はラインの半ば強引なやり口に、困惑しきっていたのだ。気もそぞろに、いろいろ話しかけてくるラインの相手をしていた。
(硝子に気がつかない、か…。鈍いんだな。この娘。)
 ラインはそんなあかねを観察しながら思った。
(この手の娘は、早めに酔わせてしまうに限るな…。酔わせて、介抱すると見せかけて、そのまま物にすれば良い…か。)
 ラインは、あかねが酒に弱そうなことも見抜いていた。
 真面目であろうあかねは、妹ほど酒を嗜みそうにないし、慣れて居ない分、酔わせて「前後不覚」に近くしてやればよいと踏んでいた。
 そうと決まると、あかねに酒を勧め始めた。
「あかねさん、まずはシャンパンで乾杯と行きませんか?」
「え?…あ、あの、あたし、アルコールはあんまり…。」
 と断りを入れる。
 強引にすすめると、かえって「猜疑心」を持つ。その呼吸も、ラインは理解していた。それだけに「もっと厄介」な奴だったかもしれない。
「何、度数はそんなにないですよ。少しだけアルコール分がある「ジュース」と同じ事です。ね、君。どのくらいのアルコール度数だい?」
「二パーセントもないですね。ビールよりもずっと薄いです。」
 ウエイターはグラスにシャンペンを注ぎながら答えた。ラインの目論見どおりの模範解答だ。
「ね?だから、気にせず乾杯しましょう。一杯だけでも、あかねさん。」
 シャワシャワと涼やかな音を点てながら泡立つ透明の液体。
「じゃ、一杯だけ。」
「君と僕の素敵な夜に乾杯。」
 チンとグラスを重ねたライン。
 そう言ってくっと飲む。加減の知らないあかねのことだから、思ったとおり、一気に胃へと流し込む。
「後はミネラルウオーターでいいですよね…。」
「え、ええ。そうしてください。」
 少しのアルコールでも、ポッと頬を染めるあかね。
 思ったとおり、アルコールには弱そうだ。
 前菜と共に運び込まれたミネラルウオーター。前菜を説明しているウエイターに気を取られているあかねに悟られないよう、グラスに粉薬を注いだ。
(ふふふ…。体内摂取したアルコールを、より強力にしてくれる即効性の粉薬だよ…。あかねさん。)


 乱馬はそんな、あかねとラインの影にヤキモキしていた。
 グラスを重ねたのを、動作から感じ取ったのだ。
 持っていたナイフに、つい力が入る。
 くすっとローザはその様子に声もなく、心で笑った。
(ヤキモチに火が灯ったかしら…。)
「ああ、私、酔っ払っちゃったわ…。」
 本当は対して酔ってもいないのに、乱馬に思わせぶりに猛攻をかけはじめるローザ。彼女としてみれば、あかねに「仲睦ましいところ」を見せ付けるためにした芝居だ。目論見からすれば、あかねがこの様子を見て、ヤキモチを妬くだろう。二人の間に亀裂を入れ、その間に掠め取る。良くある手段である。
 だが、生憎、あかねは、乱馬たちの影には、全く気がついていなかった。それどころか、ラインに「アルコール増幅剤」なるものを、ミネラルウオーターに混ぜられ、飲まされてしまったものだから、溜まらない。

「あれ?」
 くらっときた。
 案の定、目が回り始めた。
 普段飲みつけないアルコール分。それを増幅させられたのだから、あかねとしては溜まらないだろう。身体が悲鳴を上げ始めたのだ。
「あかねさん?」
 しめたと思ったことを、おくびにも出さず、ラインは介抱へと転じる。
「あ…。ごめんなさい…。ちょっと、足元がふらついて…。」
 あかねは定まらぬ潤んだ視点でラインを見る。
「だ、大丈夫です?」
「た、多分…。」
 本人は至って大丈夫のつもりだが、かなりきていた。
「ちょっと休んだ方が良いですね…。このセントラルタワーに僕はチェックインしていますから、そこで休みますかね?」
 と、予定通りに語りかける。
「い、いえ…そ、そんなことは…。」
 ふうっと意識が沈みそうになるのを堪えつつも、答えたが、心臓はバクバク。体中に熱い血流が雪崩れ込んで行くようだ。
「駄目ですよ…。そんなんじゃ。大丈夫、僕が連れてってあげますから。」
 そう言われた時点で、あかねはすっかり潰れていた。足には力が入らない。 
 と、乱馬では無い、別の手がすっと伸びてきて、ふっと身体が軽くなったような気がした。

「へえ…。案外華奢(きゃしゃ)なんだ。君って…。」
 薄れる意識の向こう側から、くすっという笑い声と甘い声。
 ぐったりと、身体をラインに預ける。

 ゆらゆら揺れながら、何処かの空間を行く。
 そんな感覚を覚えながらも、身体は言う事をきかない。

 数歩、歩かれたところで、ふっと、抱えている人間の足が止った。

「おいっ!」
 耳元で響く、きつい声。凛と響き渡る、聞き慣れた青年の声色。
 とうとう、対岸の乱馬が切れたのだ。
「御免、ちょっと、トイレ。」
 これまた当たり障りのない言い訳をローザに投げつけると、その場へと出て来たのだ。
 それはそうだ。すり硝子越しに、のっぴきならない許婚の様子を見てしまったら、誰だって焦るというもの。

「これは、乱馬さん…。何か。」
 にっと、微笑みながらラインが答えた。彼の方が余裕がある。

「何かじゃねえだろ…。あかねを、どうするつもりだ?」
 そう言いながら凄んだ。

「どうするって…。少しお酒がきつかったようですからね…。寝かせてあげられる場所へ移して差上げようと思っただけですよ。」
 ふふっと、意味深な笑みを浮かべながら、ラインは真面目に答えた。

「それはご苦労だったな…。」
 それだけを投げつけるように言うと、無理矢理、ラインの腕からあかねを引き剥がそうとする。
 あかねの身体が、二人の男の腕の間で、激しく揺れた。

「乱暴はどうかと思いますがね…。」
 ラインが放すまいと、手に力を入れたが、乱馬は本気である。
「あかねは、俺の許婚だ。だから、この先は俺が面倒見る。てめえは手を引けっ!」
 ガンと睨み返す、漆黒の瞳。
 その向こう側でラインが不敵な笑みを浮かべた。
「許婚ねえ…。ま、良いでしょう。今回はその言葉に免じて。」
 そう言うと、すっとあかねを抱えていた腕を乱馬へと預けた。

「じゃあな。ウエストエデンの白薔薇ペア。」
 そう吐き捨てると、乱馬は幹線道路に向かって歩き出した。あかねを抱えたまま。


三、

「ふふ、わかりやすいわよね、あの二人って。」
 乱馬とあかねを見送った後で、ローザがふっと笑った。
「ああ…。だからこそ、面白い。ライバルの強すぎる絆を断ち切る。これくらい、愉快なことはないって、おまえだって思ってるだろう?」
 ラインがそれに答えて笑った。
「あら、あたしは、あかねなんて、ライバルだとも思った事なんかなくってよ。」
 ローザは少し膨れっ面を見せた。
「そうか?昔から、腹の中に何か一物、持ってたんじゃないのか?彼女には、おまえにない「輝き」みたいなものがあるよ。男の僕から見れば、充分に魅力的だ。」
「……。だからこそ、気に食わないのよ。味噌っかすは味噌っかすらしく、目立たない存在であるべきなのにね。」
「ま、次の行動に移るとするか、ローザ。」
「ふふふ…。明日の夜明けは、お兄様じゃなくって、乱馬と一緒に眺めてみたいわね。」
「ぬかりはないつもりだよ…。さっき、彼女が倒れる前に、もう二つほど、罠を仕掛けておいたから。」
 ラインはにっと笑った。
「あら…。アルコール増幅剤を使っただけじゃないの?お兄様。」
 ローザがきょとんと訊き返した。
「ああ…。それだけだと、効果がないかもしれないからね…。増幅剤を飲ませたついでに、「精神高揚剤」も一緒に。」
 ラインの口元が上に緩んだ。
「精神高揚剤ですって?」
「ああ、一種の興奮剤だな。無意味に激高したり、感情のコントロールが鈍る薬さ…。端的に言えばね。」
「まあ、悪い人ね…。それじゃあ、乱馬さんと喧嘩なさいって、仕向けるようなものじゃない。」
 ローザもその意味がわかったのか、にっと笑い返した。
「ふふふ。それに、その高揚剤には、思わぬ副作用もあるんだローザ。」
「まあ…。本当に、癖が悪いわね。お兄様って。」
「おまえと同じ血が流れてるからな。…さてと、そろそろ、奴らの泊まってる場所へ、様子と結果を見に行こうか。」
「そうね…。お兄様の計算どおりになってくれてると良いわね…。」
「十っ中、八九は、僕の思うとおりになるさ。あの二人の性格ならばね。」

 ふふっと互いに微笑を浮かべたクレメンティー兄妹の上に、すうっと人工の月が照り始めた。半分の月。それが、海面を、ゆらゆらと照らし始めた。



 ロッジに帰って、やっと、あかねは「正気」に戻ったようだ。
 乱馬は、ラインからあかねを奪うように、剥ぎ取ると、そのまま、エアタクシーを拾い、滞在中のロッジへと帰った。
 ライン・クレメンティーに「妖しげな液体」を飲まされて、必要以上に酔いつぶれた彼女は、目が覚めると、ロッジに帰り着いていたことに、素直に驚いた。

「あ、頭、痛っ…。」
 額に手をやりながら、眩しそうに灯りを見上げる。
「たく…。良いザマだぜ。注意力が散漫になってっから、あのふざけた野郎にやられるんだよ。」
 グラスに並々とミネラルウオーターを注ぎ入れながら、乱馬が憮然と答えた。
「あのふざけた野郎って…。ラインさんがどうかしたの?」
 グラスを受け取りながら、あかねは、乱馬を見返した。
「おめえ、あいつにはめられたんだよっ!ったく、そんなことも気がついてねえのか?」
 呆れたように乱馬が見返してくる。
「はめられたって何よ…。」
 その答えに、乱馬は、はああっと思いっきり溜息を吐き出して見せた。
「これだから、おめえは…。鈍いっつうか、警戒心がなさすぎるっつうか、バカというか…。おめえ、アルコール飲まされたろう?」
「うん、シャンパン一杯くらい。それもごく弱いの…。」
「それだけで、そこまで「前後不覚」になると思うか?」
「…普通ならないわね。」
「そら見ろっ!大方、あいつに「アルコール増幅剤みてえなのを飲まされたんだよ。バカッ!」
「え?そんな薬なんか、飲んだ覚えないわよ。」
「だから、水だのジュースだのに混ぜて、知らずに口に放り込まれたんだ。たく…。そんなこともわからなかったのか?」
「気がつかなかったなあ…。でも、何で、ラインさんがそんなこと。」

「アホッ!男がそういう行動に出るときは、一つに決まってるだろがっ!」
「何よ…。」
「あわよくば、おめえを抱こうと思ってたに違いねーっ!そんなこともわからずに、この女はっ!のこのこと、二人きりになって、酒まで飲ませられやがって…。バカッ!」

 乱馬は、まだ怒りが収まらないらしい。
 ラインに向くべき「矛先」が、見事にあかねに向かう。

「バカとかアホとか、さっきから何よっ!」
 乱馬の言葉の節に、カチンと来たらしい。
「バカにバカッっつうて、何が悪いんだよっ!」
「なっ、何ですってえっ!」

 遂にあかねが切れる。
 実はこれも、ラインが処方した「薬」のせいだったのだが、勿論、そんなことは、知る由もない二人。
 もともとの勝気な性格も手伝って、あかねは、かなり「苛立ち」、そして、「激高」していた。
 
「何興奮してんだよっ!」
 乱馬は、あかねのいつも以上の剣幕に、押されていた。

「興奮なんかしてないわよっ!」
 それに対しても、攻撃的な返し方をする。

「とにかく、おめえが悪い!」
「何よ!あんただって、ローザと二人で、鼻の下、伸ばしてたんじゃないのっ?」
 あかねは、鼻息荒く、乱馬に更に突っかかる。
「バッ、いい加減にしろっ!」
 つい、ムカッとなった乱馬は、あかねの両手首を、押さえ込むように握っていた。
 そのまま、雪崩れ込む、ベッドの上。
 どさっと鈍い音と、柔らかいクッション。ベッドの上に、身体が沈む。

「ん…。」
 あかねを押さえつけたまま、乱馬は、乱暴にも唇を奪った。
 抵抗しようとするあかねが、腹の下で蠢いたような気もする。だが、力では、乱馬に敵うまい。

 いつもなら、強引に出る事で、すっかり度を抜かれて、喧嘩を吹っかけたあかねの方が大人しくなる。それが、パターンであった。
 いつもなら、強引に唇を奪い、そのまま、心ごと、あかねの身体にしゃぶりつく。そして、彼女が喧嘩する気力を奪うほどに、ベッドサイドで激しく求め、愛し合うのだ。
 そのうち、彼女の喧嘩したい心は何処かへ吹き飛んでしまう。それだけではなく、彼女が乱馬のあまりの激しい求愛に、悲鳴を上げ、許しを乞うこともあるくらいだ。
 だが、今日は様子が違っていた。
 あかねに食らいついても、彼女自体が乗ってこなかったのである。それどころか、かえって、あかねの心の別の部分に火をともしてしまったようだ。

 熱い唇を、振り切るように、自分から引き離した。

「あかね?」
 怪訝に覗き込む乱馬に、激しい言葉の応酬。

「何でも、身体で言う事をきかせようとするなんて…。乱馬のバカっ!最低っ!」
 バチンと頬にまともに飛ぶ、ビンタ。いや、それだけではない。大粒の涙が、目から流れ落ちる。
 さすがに、あかねの涙に、はっとなり、それ以上の行動に、及べなかった。
 いつもなら、勝気さを顕に食って掛かってきても、ナーバスになって、涙を流すことなどないあかねなのに、今夜は違っていたのだ。
「ご、ごめん…。」
 思わず、ばつ悪く、あやまってしまった。
「乱馬のバカッ!」
 あかねは、乱馬の身体を押し退けると、そのまま、勢い良くドアを開けて外へ飛び出していた。

「ちぇっ!勝手にしろっ!」
 己も、勝気さに置いては負けていない乱馬。彼は、飛び出したあかねを、すぐさま追うことはせず、そのまま、背中であかねを見送った。





つづく






 脳内にあったイメージはこの原稿を書いている当時好きで良く聴いていた「mirage in blue」(CHEMISTRY)だった筈なんですが、だんだん離れております…。
 かの歌のプロモーションビデオにある、異国情緒溢れるあのリゾートな感じが目標だったんですが…。
 修正なるかな、無理だな…。
 痴話喧嘩が激しいのも、元の乱馬とあかねのようで、私には心地良いんですが。


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