◇天使の休日

第二話 危ないビーチサイド



一、


 小型宇宙艇「ミルキーホース号」。
 その白い船体は、真っ直ぐに、前方に開けてきた、小さな衛星へと吸い込まれていく。

 木星の衛星「エララ」。半径四十キロメートルの小型の星だ。
 木星の軌道には、大小六十個以上の衛星が回っているが、その中でも、半径が数十キロの小型衛星は、古くから、「観光星」として、開発されてきた。
 このエララ星は、開発時に、人工海水製造制御置が立案されたことも合間って、その装置を使い、表面に実験的に海面が作られた。その結果、「水の衛星」として、大掛かりなリゾート地として、定着したのだ。
 水の衛星を包む海水は、勿論、地球の標準的な海水と同じ要素に調整され、程よく管理されている。「リトル・テラ」という呼び方もされる、一級のリゾート星となっているのだ。

 乱馬たちを乗せた、ミルキーホース号は、空港ポイントへと近づいて行く。
 ポンと音声がして、管制から指令があった。

『こちら、エララ管制塔。認識番号TMF0201ミルキーホース号、応答願います。』
 
「こちら、TMF0201、ミルキーホース号、操縦士、早乙女乱馬です。これから、そちらの管制空港への着陸許可を願います。」

『了解…。但し、こちらの空港はA型認定のため、A級ライセンス保持者にしか着陸許可は与えられません。ライセンス認識コードの入力をお願いします。』

「了解…。打電します。」
 慣れた手つきで、己のライセンスコードを打ち込む乱馬。
 
 ややあって、向こうから着陸許可が出た。

『超級ライセンス、確認いたしました。手動に切り替え、五番ゲートへ着水してください。なお、こちらの空港は水進型ですので、ご了承願います。』

「了解。」

 着陸の瞬間は、慣れたパイロットでも、緊張の瞬間であろう。
 乱馬は管制から送られてくる、データをすぐさま分析し、それに合わせて、ミルキームーン号の装置を調整していく。あかねはレーダーを見ながら、乱馬の動作を黙って見ている。
 いつもながら、鮮やかな手つきだ。
 乱馬はレーダーとモニターのデーターを睨みながら、慎重に操縦桿を握った。
 大気圏をすっと突き抜け、ぐるっと小さな衛星を一巡りすると、吸い込まれるように着水ポイントへと、目指していく。
 さしたる衝撃も何もなく、やがて船影は、水へ滑り込み、その動きをピタリと止めた。

『ひゅうっ!見事な操縦桿さばき!着水確認!ブラボーッ!さすがですね、連邦の一級パイロットライセンスは。』
 思わず、担当の管制官が、声を上げたほど、それは見事な着水テクニックだった。
 恐らく、地球連邦軍のパイロットでも、手動でここまで見事な着陸をやってのける人間は、そう、数居まい。

「さてと、行くか。あかね。」
 乱馬はあかねを促すと、とっとと、入星管理局にて手続きを済ませた。

 彼らの後ろ側には、大きなスーツケースを幾つも乗せた、ロボット型の搬送車が着き従う。台車にロボットがくっついているような、そんな愛嬌のあるロボットである。一応、知的頭脳も搭載してあるので、自分で突起物を回避しながら、荷物を運んでくれる、便利な道具である。無論、口はないので、喋りはしないが。

「何か、荷物がたくさんあるわね。」
 後ろを振り返りながら、あかねが尋ねた。
「ああ、まあな。十日間、ここで過ごすんだから、それなりの準備はだなあ…。へへっ。」
 あかねは、帰還以来、ずっとカプセルで眠りこけていたのだ。乱馬がどんな物を持ち込んだのかは、一切知らされていない。

 入星管理局で、書類にサインをし、荷物を点検に出す。危険物がないかどうかのチェックもここで成される。
 一応、二人とも、イーストエデンのエージェントなので、その辺りからの携行品は先に申請してある。どんなトラブルにでも対応できるように、最低限の装備を持ち込む事は許されている。いや、持ち込まなければならないだろう。
 まさか、イーストの特務官だということは明かせないので、一応、軍の諜報部所属という扱いになっている。で、装備品もフリーパスとなる。

「任務で来星ですか?ご苦労様であります。」
 入星管理局の担当者は、そう言って、若い二人に敬礼する。

「あ、いや、別に任務って訳じゃねえんだけど…。」
 その対応に、思わず苦笑いする乱馬。

 そうだ。これは完全にプライベートだと、彼自身は思っている。なびきが、後ろで糸を引いて、結局は「任務扱い」になっていることなど、まだ、知るよしもない。

 思っていたよりも簡単に手続きは終了した。
 連邦の諜報部所属ということが、効いているのだろう。まあ、何にしても、猜疑が向けられない事は、ありがたいには違いない。

 入星管理局を抜けて、空港の外へ出ると、そこら中にリゾートな人々が溢れていた。

「ん?」
 乱馬はふっと、到着ロビーの真ん中で立ち止まった。
「どうしたの?」
 急に立ち止まった乱馬に、あかねは怪訝な顔を向けた。
 彼は、眉間へ皺を寄せながら、何かの感覚を探ろうと、全身系を研ぎ澄ませている。あかねも、彼に同調して、全身を研ぎ澄ませた。エージェントの感が乱馬に何か「危険事項」でも突きつけたのかもしれないからだ。いつでも対応できるように、同じく身構える。
 自分たちの背後を歩いていた、観光客たちが、怪訝な顔をして、立ち止まった二人を避けて通り抜けていく。
 数秒間、そうした後、乱馬は、警戒を解除した。
「気のせいか…。」
 ふうっと息を吐き出すと、あかねを振り返った。
「どうしちゃったの?」
 当然の疑問をあかねはぶつけた。
「いや、殺気を感じたんだ。」
「殺気?テロリストか誰かの?」
「ん…。そういう邪悪なものじゃなくって、俺たちと同類の…。」
「同類って?」
「連邦エージェントだよ。ま、連邦だけじゃなくて、同じ類の連中が、何かをまさぐっているような、そんな「気」とぶつかったんだ。あかねは感じなかったか?」
「ううん。全然。」
「ま、そうだな。おめえは鈍いもんな。」
「あのねえ…。」
 少しぷくっと膨れてみせるあかね。
「で、危険は回避できたの?」
「いや…。俺たちを狙ってる感じじゃなかった。じっと見ている奴も居たようだけど…。俺もこの世界長いからな。そこら中で敵愾心を持ってるエージェント仲間や敵がいるしよう…。」
「ってことは、一人じゃなくて、数人の気配を感じたってこと?」
「まあな…。何人か空港に詰めてる、そんな感じだったな。もしかして、連邦政府の高官とかが、バカンスに来るのかもしれねえし…。見張ってたのはSPってことも考えられるから。ま、少なくとも、俺には関係ねえさ。任務で来てるんじゃねえし…。」
「何か、あんたって、一部の間じゃあ、相当顔が売れてるの?…あんまりあんたの旧知とか他のエージェントと競り合うことって、あたしはなかったから…。」
「へっ!おめえが知らないだけだよ。昔は「エンジェルボーイ」って俗名で、ぶいぶいいわしてたんだぜ。土星圏や天皇星圏の最前線辺りじゃな…。」
「ふーん…。遠宇宙の方が、名前とか顔とか売れてるんだ。乱馬って…。」
「僻地専門って言いたいのかよ。」
「別に…。そう言うわけじゃないけど…。」
「ま、別に良いやな。今は、目先の休暇だ。」
 そう言いながら、くいっと肩をつかんだ。
「もう、乱馬ったら。」


 エアカー型のタクシーを拾うと、そのまま、滞在するロッジへと目指す。
 心地良いエンジン音を唸らせながら、真っ直ぐに続く海岸通を、エアカーは走り抜ける。オープンに広げられた上側からは、人工太陽の光と、それから潮風が、注ぎ込む。
 数十分も走り抜けると、宿泊施設が見えてきた。

 美しい海岸沿いに、幾つものロッジが立ち並ぶ。丸太で作られた外見と違って、案内された中は、快適なホテル空間。長期滞在者が多いのだろう。ベッドルームと小さなキッチン、それから水周りがある、清潔感溢れたロッジだ。
 自分たちで料理を作ることもできるようで、ちゃんと冷蔵庫も設えてあった。

「ほれ!」
 中へ入って荷物を置くや否や、そう言って、乱馬はカプセルをあかねに手渡す。
「何?これ…。」
「何って、見たらわかるだろ?着替えだよ、着替え。」
 そう言ってにっと笑う。
「だって、この宇宙服の、まんまうろつくわけにもいかねーじゃん。ここは、リゾート地なんだしよう。」
「ええ、まあ、そうだけど…。」
 辺りを見回すと、確かに、開放的な衣装を身に付けた人々が多い。
 ここは、南国風のリゾート地でもある。
 露出度の少ない宇宙服では、見るからに場違いだ。
「ま、あんまり人ごみの中で、着替えるのも、アレだかんな。ここまでは来たけど。」
 木陰と言っても、南国風の椰子の木やソテツが道路端にある。
 ギンギンと人工太陽の光が、太陽光線に負けないくらい、照らしつけている表。窓越しに乱反射する水面が美しく見えた。
 体感温度は確かに高いが、湿度は少ないのだろう。むっとした蒸し暑さや不快感はない。
「ま、いつまでも宇宙服でうろつくのも、確かにダサいわよね。」
 そう言いながら、あかねはカプセルのスイッチを入れた。

 この時代、着替えも、こうやって自動装着装置に入れて携帯できるようになっていた。いちいち、着替え部屋へ入らなくても、良くなっているので、こうやって、簡単にスイッチ一つで着替えが敢行できる。
 特に、バトルスーツなどは、常に、身体に備え付け、いつでも、着替えられるようにしてある。

 ポンッと軽く音がして、カプセルが弾けた。

「きゃっ!何よこれえっ!」
 思わず、あかねが叫んだ。
 
 ビキニよろしく上はブラジャーのような純白の布着れ一枚。中央部分がばっくり開いていて、胸の谷間がここぞとばかりに、ちらりと覗く。見えそうで見えない胸が、かえって、野獣どもの視線を引きそうだ。
 勿論、お腹は露出でおへそが見える。おまけに、スリットの入ったジーンズ風ミニスカート。かなり短いミニなので、ヒップのチラリズム。おまけに右側の裾がばっくりと割れていて、太股まで丸見えだ。一応下には白い水着をはいているものの、刺激は強め。
 素足には透明なゴム素材の白いヒール風サンダル。白い足元の銀のリングが、さらされと揺れて、何となくセクシーだ。
 露出度、テンション、共にかなり高めのコスチューム。

「へへ、結構似合ってるじゃん。補正型だから、胸もありそうに見えるし…。」
 傍で乱馬がくすっと笑った。

「乱馬あっ!あんたいつの間に…。あたし、こんな露出度の高い服、持ってないわよっ!」
 とじろっと睨んでくる。
「あはは…。おめえに似合うかなあって思って、今日のために買っておいた。俺からのプレゼントだからな。」
 にやにやと笑いながら、その視線をかわし、楽しそうに笑う。
「じゃ、俺も…着替えっと。」
 そして、自分もカプセルを手に持って、スイッチを入れる。

 ポンッと音がして、今度は乱馬が変身する。
 短いジーンズに、真っ白の袖なしシャツ。胸ははだけて、分厚い胸板が、ここぞとばかりに露出する。いや、胸だけではなく、逞しき二の腕も、まんま露出だ。
 胸元に煌めく、銀のネックレスは、あかねのリングとおそろい。
 はっと見上げたほど、彼もまた、セクシーだった。

「あかね…。」
 柔らかい視線が降りてくる。
 見惚れていた顔へ、彼の手が、すっと伸びてくる。そのまま引き寄せられて、抱きしめられた。
 露出度が高い分、肌と肌の密着度も高い。
「ちょ、ちょっと乱馬…。乱馬ったらあ…。」
 驚いて、象った彼女の唇に、己の唇を宛がう。
 んっ、と小さな声が漏れたように思う。
 まわされた腕に、ぎゅっと力が入ったような気がした。ゴクンと飲み込む唾。それをすくい上げるように、彼の濡れた舌先が溶け込んでくる。

 身体が燃えそうなくらい熱い…。

 空調は効いている筈なのに、彼の身体も、己の身体も火照っているような気がした。
 おそらく、この部屋で、夜毎繰り広げられそうな、熱いシーンに、淡い期待を寄せながら、ドキドキしている。ここには、自分たちを遮る者は居ない。
(ハネムーンってこんな風なのかなあ…。)
 溶けていく心でそんなことを思ってみた。


「さてと…。せっかく着替えたんだから、ビーチへ行ってみようぜ。」

 予想に反して、乱馬は、あっさりと、あかねを放した。求める時も突然だが、引き離す時もまた唐突。

「え?」
 驚いたのはあかねのほうだった。
 いつもなら、この後に、絶対に来るだろう「次の展開」が、そこで途切れたからだ。
「もう良いの?」
 思わず、訊き返してしまったほどだ。
「バーカ…。休暇は始まったばかりだぜ?最初っから飛ばしてたら、まだ、疲れが残ってるおめえを、壊してしまいかねねーだろが…。」
 悪戯な瞳が笑いながら、あかねを見返す。
「疲れた身体と心、癒しにここまで来たってえのに、壊してたんじゃ、元も子もねえだろが。って、とっとと行こうぜっ!」
 そう言いながらあかねを誘う。

「うん。そうよね…。」

 何がそうなのか良くわからないが、軽く返事すると、素直に乱馬に従った。



二、

 ビーチサイドは、それなりに賑やかだった。
 木星のリゾート星としては、かなり有名でポイントも高いエララ星だったので、木星内外から、癒しを求めて、老若男女が集ってくる。
 本家では廃れてしまっただろう「南国風」なリゾート地。地球ではもう、味わえなくなった、本格的なリゾートを楽しむために、遠くは天皇星星域辺りからも、人が集ってくるという。
 団体客、ハネムーン、ガキの海水浴。形態は様々だ。

 すれ違う人々は、乱馬とあかねを、舐めるように流し見る。
 
 あかねはあかねで、刺激的な格好。乱馬は事あるごとに「寸胴」とからかうが、スタイルだって良い方だ。特に、すれ違う若い男が、熱い瞳であかねを見て通り過ぎる。
 対する乱馬。こちらはこちらで、その逞しい野性的な肉体美を備えている。何しろ、地球連邦でも、席次を争う敏腕えーじぇんとの彼だ。鍛え抜かれた肉体は、そこら辺にあるものとは、一線を画する。すれ違う人々は、溜息を持って、思わず振り返る。女は憧憬を、男は羨望の瞳で彼を見るのだ。
 美男美女。いや、野獣と美女。そう取れなくもない。

 人々の視線が、一斉に注がれていることなど、鈍いあかねには、どうということもないらしい。
 浜辺に腰を下ろすと、胸いっぱいに、潮風を吸い込んだ。
 人工的に作られた、水際空間とはいえ、ここまで見事に、在りし日の地球の一風景を模倣している。まるで、太古から、この海は存在し、ここに居るかのような錯覚を与える。何しろ、乱馬もあかねも「地球」という母星へ赴いたことはない。少なくとも、各々の記憶の中には無いのだ。

「何だか、こんなところに居ると、自分の上に注がれている喧騒が嘘のようだわ…。」
 あかねはしおらしいことを言う。
 乱馬にしてみれば、今、ここで、こうやってのんびりとあかねと海を眺めていることの方が「嘘」のように思えるのだが、あかねの屈託のない笑顔を見るにつけ、多少無理しても、ここまで来て良かったと思った。

「ねえ、乱馬は、どうして、ここ、エララへなんか来ようって思ったの?」
 率直にあかねは尋ねてきた。
 乱馬と海辺リゾート星とが、どう考えても結びつかなかったからだ。
「前に、一度だけ来た事があるんだよ…。」
 と、彼はポツンと答えた。
「え?前に一度来た事があるの?」
 思いもかけない言葉だった。乱馬とこの海洋リゾート星がマッチするとは思わなかったからだ。

「ああ、今から、そうだな。十年以上前のガキの頃にな…。まだ、この仕事の意味が良くわからなかった年頃、エージェントだった親父にくっついて回ってた頃のことさ。」
「親父って、この前会った、あの…。」
「ああ、あのハゲ親父さ。」
 乱馬は少し不快感を示した。あまり、あの父親の事は語りたくない。そんな雰囲気が見て取れる。
「ま、奴は仕事で来たんだろうが、俺は当時、まだガキでさ。親父にほったらかされて、適当にこの星の海岸で遊んでた。親父も、子連れだと、煩わしいこともあったろうけど、結果、仕事はやり易かったと今は思うんだ。子供連れだと、油断してくれるしな。」
「へえ…。あんたにも子供時代があったんだ。」
「あったりめえだっ!俺だって、人並みに、ガキだったんだから…。」
「どんな子供だったのかしらねえ…。」
「ガキって言ったって、親父はあの通り、エージェントだったからな。自分の身は自分で守らなきゃならなかったし、結構ハードだったぜ。通常のエージェントは、訓練学校でノウハウを学ぶんだろうが、俺は、放浪生活、そのものが実地訓練以上だったし…。」

 乱馬が、昔の事を話してくれるとは、意外な気がした。そういえば、乱馬と出会ってこの方、彼の昔のことは殆ど知らない。こうやって聞き出す機会などなかったし、あまり過去の事は話したがらない乱馬だったからだ。
 あかね自身も、記憶を藤原晃に曲げられていたこともあり、幼少期のことはともかく、幾つかおぼろげにしかわからないことがあったし、今があればそれで良いという、彼の考えにも同調できる部分があったから、己の事もあまり話さずに来た。尤も彼の場合は、あかねのことは、かすみやなびき、早雲辺りから、己の知らないところでたくさん訊いて知っているのかもしれなかったが。

「幾つだったっけなあ…。幼年学校にも通うような年齢じゃなかった気もすっから、実際は十五年くれえ前の事だったかもしれねえんだけど…。」
「へえ…。来た事がある星だから、出向いたの?」
「別にそう言うわけでもねえんだが…。ガキの幼心にも綺麗な星だってイメージがあったし、大切な人が出来たら、もう一度来ようなんて、心のどこかで思ってたのも確かだからな。」
「大切な人ねえ…。」

 そこまで話して、乱馬は急に黙ってしまった。

 確かに、遥か昔、この星に一度来た。
 父親の任務にくっついて来た事は確かだが。

(あれ…。あの時、確か…。俺、この地で何か、誰かと、約束みてえなのを、交わした事があったような…。ないような。)
 ふっとそんな記憶が脳裏を過ぎったのだ。
 幼い頃の記憶なので、かなりあやふやだ。

「なあ、あかね。おめえ、この星、初めてだよな。」
 と、ポツンと訊き返していた。
「え?あたし…。初めてよ。」
「五歳くれえの頃に来たなんてことは…。」
「有り得ないわね…。あたし、小さい時は木星星域じゃなくって、月に居たんですもの…。」
「月だって?」
「ええ、そうよ。毎日飽かずに地球を眺めて暮らしていたんだもの。」
「へえ…。それは初耳だな。」
「だから、木星星域に来たのは、ラグロスの訓練校を出てからだもの…。」
「そっか…。あかねじゃねえか。」
「え?」
「あ、いや、何でもねえ…。」
 乱馬は笑って、誤魔化した。

 確かに、誰か、同じ年頃の少女と、この星で出会い、何かを約束した。
 そんな記憶がおぼろげに浮かび上がる。



 と、その時だった。脳裏で声がした。
 どこかで聞き覚えのある声だ。



『乱馬。来てくれたのね。約束どおり。嬉しいわ。』

 女の子の声だ。

(誰だ?俺の中に話しかけてきやがる奴は…。)

 はっとして、辺りを伺ったとき、目の前に野郎(そいつ)は笑っていた。



二、

 光る、水面。打ち寄せる波。
 磯の香が心地良い、午後の海。
 片寄せあって、あかねと座る防波堤。
 
 そこへ現れたのは、一人の青年。
 
 人懐っこい笑顔を、あかねの方に手向けてきたのだ。

「やあ、久しぶりだね…。えっと、確か、君の名前は、あかね・天道さん。違ったかな?」

 見覚えのある、金髪が、潮風に靡いた。
 彼もまた、逞しい肌をこれ見よがしに、露出した、シャツをさり気に羽織っている。ばっくりと割れた、逞しい胸板。そして、鎖骨が、水に濡れたシャツから覗いている。
 水に入った後なのだろうか。サーフボードを抱え、少し日に焼けた赤い肌をしている。にっと笑った口元から覗く歯は、嫌味なくらい白い。

「あら…あなたは、確か…。ローザの。」
 あかねの目が見開いて、青年を捉えた。

「やあ、光栄だなあ…。僕の事、覚えていてくれたんですね。」
 青年はそう言うと、にこりと微笑んだ。

(やな奴の登場か…。)
 乱馬は、彼を見上げると、あからさまに、不快な顔を手向ける。

 そう、目の前に現れたのは、ウエストエデンが誇るエージェント「白薔薇ペア」の片割れ、ライン・クレメンティーだった。彼の妹のローザ・クレメンティーはあかねのハイスクール時代の同窓でもある。
 前のアンナケの任務で、乱馬も彼と面通ししているのであるが、生憎、彼は「乙女乱子」として、女変化のまま接していた。だから、男の彼とはここが初対面になる。

「それより、こんなところで会えるなんて…。ちょっと驚いたなあ…。アンナケではどうも。いろいろあって大変だったね。」
 そいつは、ふっと軽く微笑みかけると、乱馬とあかねの間に、わざわざ陣取って座り込んだ。

(なっ!この野郎!割り込んできやがったな!)
 勿論、ムッとする乱馬。
 そんな彼のことなど、目にも入らないのだろう。己の調子で、あかねにいろいろ話かける。

「正直、あの任務では良い所が全然発揮できなかったからね。ゼナにつかまるなんて、らしくないヘマをやってしまったし…。はからずしも、君の相棒の乱子ちゃんに助けられるなんてね。ま、任務を遂行してたら、いろいろあるさ。互いに気を落とさずに…。」
 あかねに向かって親しげに話し始める。
「は、はあ…。別に気を落としてなんかもないんですけど…。あたし。」
 完全に彼のペースに乗り切れず、あかねは苦笑いする。
「ところで、乱子ちゃんは?一緒じゃないの?」
 と訊いてきた。
「ええ、彼女は今回は来てません…というか、あたしは休暇中なんです。」
 と真正直に答える。
「休暇中?またそれは面妖な…。僕はてっきり、君も、「任務」で来たのかと思ってたんですが…。」
「え?任務…?」
 小さく象る口元。
「あ、互いに、任務の事は秘密事項でしたね。今のは忘れてください。」
 と、意味深に笑った。

「あら、お兄様、落ちこぼれの彼女が任務で、来てるなんてありえないことではありませんの?」

 背後で、もう一つ、声。
 彼の妹、ローザ・クレメンティだった。
 自信に溢れた高慢女らしく、見事なプロポーションを前面に出す、露出度の高いビキニ姿。確かに、背が高い分、あかねよりは発育も良さそうだ。
 彼女も水に入っていたのだろう。少し濡れた肌が、艶っぽい。
 兄妹揃って嫌味な奴らだと、傍らの乱馬は思った。

「ローザ、あんたたちは、任務でここまで来たの?」
 あかねは、彼女に向かって問いかけていた。
「あら、そんなこと、あなたに教える義理なんてないわ。それに、互いの任務は秘密ってね。相手の領分を侵犯はできない。エージェントとしての基本でしょ?」
 と、来た。
「あ、そうね…。余計な事だったわね。」
 さすがのあかねもカチンときたらしい。ムッとして言葉を返した。
「せっかく、ここで会ったのも何かの縁だ…。夕食なんかご一緒にどうです?あかねさん。」
 妹とのやり取りなど、どうでも良いのか、ラインがいきなりあかねへと誘いかける。
「お兄様っ!」
 ローザがその言葉にピクンと反応した。
「おまえだって、さっきから、そこら中の男たちから、声をかけまくられてるじゃないか。その一人と夕食するってさっき、僕に言ってたろ?だったら、僕だって、相手が欲しいじゃないか。」
 と、ラインは笑った。
「で、この味噌っかすのあかねに声をかけるの?物好きも良いところよ、お兄様。」
 と溜息まで吐いてみせる。
「味噌っかすだって?とんでもない!あかねくんだっけ?可愛いじゃないか。」
「可愛い?あかねが?」
 はんと鼻息が漏れる。

(お、おいおい。大概にしろよっ!てめえらっ!)
 だんだんに不快指数を上げる乱馬。
 彼にとってはあかねは可愛い。誰にも手渡したくないくらいにだ。

「おいっ!」
 次に瞬間、彼はずいっと、クレメンティー兄妹とあかねの間に割り込んだ。

「何だい?君は…。」
 そう吐きつける、ラインに
「さっきから、てめえら…。好き勝手言いやがって…。」
 ぐぬぬっと拳骨を握り締めながら乱馬が言った。
「あのなあ…。あかねは俺の許婚なんだっ!俺を無視して、勝手に話しかけるな!」

 クレメンティー兄妹は、その言葉に、驚いたのか、二人とも同時にはきつける。
「許婚えっ?」

「それ、本当なのっ?あかねっ!」
 キッときつい視線をめぐらせるローザに、困惑しながらも、コクンと揺れるあかねの頭。
「へええ…。あんたも物好きねえ。」
 ローザが腰に手を当てて、乱馬をくいっと覗き込んだ。
「それどういう意味よ!」
 あかねがずいっと身を乗り出す。聞き捨てならないと思ったのだろう。
「そのまんまよ。あんたみたいな味噌っかすに許婚ですって?お笑い種だわ。ほっほっほ。」

 とことん馬鹿にしたいのだろう。

「ま、そんなところなんでな。」
 乱馬も、この無礼な妹に、かなり血が上っていた。さっさと、こんな場面からは退散するに限る。そう思ったのだ。
 彼がすいっとその場を離れようとした時だった。

 物凄い勢いで、海岸通りをエアカーが走り抜けた。それに引き続いて、ファンファンとサイレンを鳴らし、突っ込んで切る、ポリスカー。木星領区の警察機構のパトロールカーだった。

「な、何だ?」
 乱馬もあかねも、クレメンティー兄妹も、目を見張った。
 と、その時だ。
 防波堤にエアカーが勢い良く突っ込む。

 バアンッ!
 と大きな音がして、衝突したエアカーが吹っ飛んだ。
 その激しい爆発に、追いかけてきた、ポリスカーが誘爆した。
 エアカーからは、衝突寸前、運転席が空を舞い上がり、ドライバーが脱出したのが見えた。

 ドオン!
 猛炎を上げながら、燃え盛るポリスカー。それに、引き続いて、後続のパトローカーが止って、バタバタと人が駆け下りてくる。
 そして、前に立ちはだかる、男に向かって叫ぶ警官隊。

「ジブラーッ!貴様は包囲された。銃器を捨て、おとなしく降参しろっ!」
 拡声器で唸る警官に、正面の男はにっと白い歯を見せて笑った。

「危ねえっ!あいつ、起爆装置持ってやがるっ!伏せろーッ!」
 乱馬が咄嗟に叫んだ。
 彼のその声を掻き消さんばかりに、轟く、大轟音。
 勿論、乱馬はあかねを庇って、可能な限り後退し、身を地面へと伏せた。
 爆風が通り抜けていく。

「一級テロリストのジブラー・バイスか。面白えっ!」
 あかねを庇った乱馬が、ふっと言葉を吐き付けた。
「あんた、知ってるの?」
「ああ…。宇宙指名手配犯のテロリストだ。」
 そう言うや否や、右腕の装置を弾いた。
 ギュンと音がして、バトルスーツに転換する。
「あかね、てめえはここに居ろっ!」
 そのまま、だっと駆け出した。
「ちょ、ちょっと乱馬っ!何処行くの?」
 あかねが追いすがろうとしたが、すぐさま彼は、警官隊の乗っていたエアパトロールカーを奪取する。
「借りるぜっ!」
 そう言うと、そのままハンドルを握ってアクセルを踏んだ。
「君一人に手柄はあげられない!」
 あかねの直ぐ背後から、ライン・クレメンティーも、バトルスーツに着替えて、飛び出していた。彼もまた、颯爽とエアパトカーへ乗り込むと、乱馬の後を追った。

 前を行くテロリストは、持ちうる爆弾を駆使して、追っ手から逃れようと、逃げ惑った。

「たく…。何でも投げつけりゃいい、ってもんじゃねえだろうがっ!」
 見事なハンドルさばきで、投げつけられる爆発物をかわしながら、逃げるテロリストを追う。
「しかも、後ろには、邪魔者かっ、ったく。」
 キッと覗き込む、バックミラーには、ラインの顔が映りこむ。
 と、耳に轟音が入ってきた。
「おっと…。仲間の到来か。たく、念入りだな。迎えに来たってか…。」
 正面から突っ込んでくる、小型宇宙艇を認め、乱馬はふっと笑った。
「だが…俺から逃げられると思うなよ!」
 見開かれていく野獣の目。

 乱馬はハンドルを握りながら、口で左腕のカプセルを外した。
 幾つか、携帯用の武器をカプセルに詰めて持ち歩いている乱馬だ。手元のスイッチで自動運転に切り替えると、取り出した、バズーカ砲を身構える。
 それをはっしと構えると、正面から突っ込んでくる宇宙艇に向かって、撃ち放った。

 ヒュッと音がして、弾が飛び出す。
 弾道が、真っ直ぐに宇宙艇を捕らえた。
 ただの弾ではない。小型の宇宙艇なら、一発で沈められる、破壊力の砲弾だ。

 ドコオンと大きな音がして、空で宇宙艇が真っ二つになった。

 それを見て、前を行く、テロリストが驚きの目を手向ける。そいつが殺気に変わるまで、そう時間はかからなかった。



「窮鼠猫を噛むという言葉を知らないのか?あいつは。あれじゃあ、死ぬぞっ!」
 乱馬の真後ろで、ラインが呟いた。そう、彼も追いすがってきたが、さすがに、ミサイル弾までは携行していなかった。だが、目の前の奴は、そんなものを、平気で持ち込み、撃ち放って見せたではないか。その手並みも見事にだ。
 そこで追撃を止め、後続隊へ任せるかと思いきや、彼は、果敢にもエアカーを乗り捨てて、また、テロリストを追い始めたではないか。
「猛攻と通り越して、馬鹿だな。あれは…。」
 そう言って嘲笑う。



 テロリストは、持っていた爆弾を、迷わずに、追いすがる乱馬目掛けて投げつける。
 勿論、乱馬もわかっている。ただでやられる彼ではない。
 それを避けながら、身構える。
 奴は、波頭の傍の、灯台もとい、宇宙艇の誘導灯へと登った。追い詰められた彼は、そこで一気に反撃に出るつもりだったのだ。
 乱馬もそれを追った。
 乱馬が足元にまで追いついてきたことを悟ると、テロリストは、一際大きい、爆弾を取ると、思いっきり投げつけた。おそらく、相当量の爆薬が詰まっているのだろう。にっと余裕の微笑を浮かべながら、乱馬へそいつをなげ降ろした。
 いくら、乱馬が強くても、相当量の爆薬には敵うまい。そのまま内蔵諸共こっぱ微塵にと思ったのだろう。

 だが、乱馬はくわっと先を見詰めると、爆弾が到達する前に、右腕をさっと突き上げた。

「破っ!!」
 海から吹き抜けてくる、昼間の生温かい風。そいつを利用して、体内から気を吹き上げた。そう、ダークエンジェルの超力が覚醒してから、乱馬は気の超力を使いこなせるようになっていたのだ。
 その超力で放った気は、テロリストが投げつけた爆弾を、一気に上に押し戻していった。

「馬鹿なっ!爆弾が押し戻される?」
 その声と共に、爆弾は奴の傍をすり抜け、その頭上で轟音と共に炸裂した。

「うわああああっ!」
 一溜まりもなかった。すぐ上で炸裂した爆弾の爆風で、奴は、立っていた場所から、放り出されるように、空へと吹き飛ぶ。
 そして、そのまま、青い海の中へと、吸い込まれるように落下した。
 下には船舶が幾つか出ていて、奴の落下を待ち受けていた。程なくして、彼は、縄につく事になるだろう。

「けっ!俺と対等に張り合おうなんざ、てめえが、どんなに有名なテロリストでも、百年以上早いんだよっ!」

 乱馬は、すっと突き上げた拳を引っ込めた。
 それから、たっと地面へ降り立つ。それから、地面に置いたままの、バズーカ砲を肩にひょいっと担ぐと、ゆっくりと元来た道を歩き出した。




「す、凄いわ…。お兄様でも、あそこまでは成せない。」
 防波堤から、乱馬の様子を遠眼鏡で見ていた、ローザが目を輝かせた。
「ねえ。何者なの?彼もエージェントなの?あかねっ!」
 興味を持ったのだろう。ローザはそう問い質した。

「彼は、早乙女乱馬。…イーストエデンの特務官…。そして、あたしの許婚よ。」
 あかねはそれに答えると、仕事をやり終えて戻ってくる、乱馬を出迎えに、彼に向かってゆっくりと歩き出した。



つづく





 お断り
 コスチュームは、半さんの乱馬とあかねで妄想してください。特にリゾート着は(笑
 乱馬のバトルコスチュームは妄想を広げる事になった、あかね人形付きのバズーカ砲絵でどうぞ。
 ダークエンジェルモードの二人は、原作やアニメ、私の幼絵ではなく、彼の骨っぽいセクシー絵が一番、馴染むんじゃないかと、勝手に思っています。
 が、最近、己の妄想も激しくこみ合い、結局、自作挿絵で「DA編の同人誌」まで作る始末。「First Contact」という「DARK ANGEL」世界の乱馬とあかねの出会い話です。原作を活かし、それなりの出来に仕上がったのではないかと、自己満足の一冊。

 で、前半、かなり際どいところまで、表現を突っ込んでしまいましたが…。彼の暴走を寸止めするのに苦労しました…。あ、でも、まだ先が…。


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