◇天使の休日

第十二話 さよならエララ、また来て休日


一、

 目の前でガクリとうな垂れている青年。乱馬だ。
 息はあるようだが、ピクリとも動かない。時を止めてしまった人形のように、傍の美女、サラから延びた配線に身を預けてじっとしている。
 乱馬の足元に、気を失ったあかねが倒れこんでいた。エンジェルの超力を使い果たし、気力諸共失われたのか、彼女もまた動かない。その咽喉元に突きつけられるように伸びる配線。サラの機械仕掛けの手先から伸びている配線だった。
 彼らを見守るように、サラもまた、じっと動きを止めていた。ただ、違うのは瞳が見開き、何かを考え込んでいるように佇んでいた。彼女の傍には、小さなディスプレイが起動され、じっとその画面を覗き込む。まるで、画面を番しているかのように、ただ、無言で覗き込む。
 映し出されているのは、虹色の光が輝く画面。
 モニュメントのように、すっかり時を止めてしまった彼ら。それと向き合うように、カプセルが置かれ、中に髪の長い少女が浮き沈みしていた。彼女の瞳もまた、閉じられていて静かだ。その胸は怪しげに、サラが覗き込むディスプレイと同じ七色に光り続けている。

 乱馬が異世界へ飛ばしてどののくらいの時間が流れたろうか。

 ザワザワっと辺りが一瞬、ざわめいたように思った。

「え…?」
 その気配に感づいたサラが、目を見張る。
「闇…の超力?」
 ハッとして、傍らに倒れこんでいたあかねへと目を落とした。
 彼女を包み込むように張られていた光学バリアーが一瞬揺らめいた。その向こう側、あかねの身体がピクリと動き出したように見えた。
 いや、確かに、闇色の瞳がこちらを見詰めている。

「馬鹿な…。あの娘は動けない筈よ!」
 サラの背中に冷や汗がたらりと流れ落ちる。

「ら、らん…ま…乱馬を…離せ…。」
 あかねの唇がそう象った。
 ぞっとするほどに冷たい声だった。
 と、あかねの身体の周りを、黒い糸状の閃光が走り始める。バチッ、バチッと小さな電撃が繰り返される。
 
「勘違いしないで!何も悪意があて、坊やを、乱馬を束縛しているわけじゃないわ!」
 サラは自嘲気味に弁明を始めた。だが、
「…って、説明してみても、この状況じゃあ、誤解されても仕方ないわね。」
と、すぐに悲観的になった。
 今の状況をそのまま見れば、サラが乱馬を拘束していることには変わりない。繋がれた電極が、乱馬をしっかりと固定しているからだ。どんな言葉をかけてみても、事情を知る由もないあかねの目には、サラは「敵」としか映たないだろう。
 この場を回避するには、乱馬への拘束を解くのが一番良い。
(不味いわ!今、ぼうやを離せば、彼自身が電脳界(あちら)から還って来られなくなる。)
 だらだらと汗がこぼれて来る。
 と、あかねの指先から、黒い光が解き放たれた。それは、乱馬を束縛しているサラの顔のすぐ脇をすり抜けて飛んだ。
 バリン、と後ろの壁が崩壊する。

「次は外さない…。」
 あかねの顔に、クククと不気味な笑顔が浮かんだ。
 乱馬を離さなければ、このままサラの身体を打ち抜く。暗にそんな意味が込められている。

「待って!あかねさん。今、乱馬を離すわけにはいかないわっ!」
 サラはもう一度、弁明をしようと語りかけた。

「問答無用!このまま沈みなさい!」
 あかねの冷たい声が真正面に響き渡った。
「仕方ないわ!あかねさん、悪いけど、あなたを攻撃する!今、乱馬の拘束を解くわけにはいかないから…。」
 乱馬を抑えていた左手を、すっとあかねに手向ける。
 あかねとサラ。互いに真正面から向き合い、気の砲弾を手に溜めはじめる。それに呼応するかのように、ゴゴゴと辺りの空気が振動した。このまま打ち合えば、どちらにも大きなダメージが生ずるだろう。或いは、互いに相殺されるか。
 
「やああっ!」
「はああっ!」

 互いに腹の底から声をにじり出し、気を解き放とうと、身構えた。その瞬間、ナミを収容したカプセルの方から、強い光が差し込まれた。

「な、何?この光!」
 
 あまりにも強い閃光に、サラもあかねも立ち眩んだ。確かに解き放った気のエネルギーが、放たれてきた光の中に融和される。そんな感覚に襲われた。
「気の無効化?」
 シュウシュウと気が光の中に飲み込まれて行く。
 それはサラの気だけではなく、あかねの気も一緒に飲み込んだ。
 同時にあたり一面、虹色のような様々な色の光が一筋になって差し込め、瞬いた。それは、サラの目の前を通り抜け、あかねの方へゆっくりと飛んだ。
 バシュッ!と音がして、あかねを真横から打ち抜いたのだ。

「いやあああああっ!」
 あかねの身体が上に、跳ね上がるように浮かび上がった。目も口も、大きく見開かれ、仰向けになる。そして、天井近くまで浮かび上がった。
 あかねは自分にかかってきた大きな超力に抵抗しようともがいたが、敵わない。
 背中から叩きつけられるように床へと落下する。

「あかねっ!」
 サラが抱え込んでいた乱馬の口が開いた。
 そうだ。電脳界へ飛んでいた意識が、肉体へと戻った瞬間だった。
「あかねーっ!」
 グンと強い超力で、サラが伸ばしていた電線を引き千切りながら、落ちてくるあかねへ向けて、ダイビングした。バチバチとショートするような音をあげながら、サラの電線が千切れ飛ぶ。
 無我夢中。まさに後先顧みず、飛び出して行ったのだった。
 その甲斐あって、間一髪。あかねが床に叩きつけられる寸前に、抱き留めた。

「乱馬…。良かった…。無事で。」
 乱馬の腕に抱き留められ、あかねの顔に笑顔が浮かび上がる。殺気は消え、いつものあかねの顔付きに戻っていた。
「たく…。このじゃじゃ馬。」
 思わずこぼれた憎まれ口。だが、その声が届く前に、再びあかねの意識は遠のいた。さっきの二発の気砲で、持てる超力を使い果たしたのだろう。ダークエンジェルの超力を使って間もない疲労困憊しきった状態のあかね。彼女の限界だったのだろう。
 そのまま、ガクリと乱馬の腕の中にもたれ掛かった。瞳は閉じられ、規則的な吐息が漏れ始めた。

「悪いな…サラ。咄嗟だったもんで、少々手荒くやっちまって…。」
 乱馬はあかねを抱きかかえながら、後ろのサラへと声をかけた。

「私なら大丈夫よ、坊や。あなたを拘束していた金属線が何本か引き千切られたけれど、それは形状記憶型なの。それに、私には自動修復装置も備わっているわ。」
 そう言いながら、左手で右肩辺りを触った。と、周りに飛び散っていた欠片が、サラの右肩からだらんと伸びていた電線へと繋がり始める。そしてみる見る間に、サラの右手が修復され、何事も無かったかのように、人間の身体へと立ち戻っていった。

「へえ…。便利なもんだな。」
 乱馬が目を見張った。

「ある程度、最新型を導入しておかないと、危険な仕事はこなせないからね…。」
 サラは、にっと笑い返した。
「にしても…。凄いわね…。この娘。あたしの能力を跳ね返して、意識を戻すなんて…。」
 そう言いながらあかねを見下ろす。
 だが、乱馬はそれには答えないで、全くあさっての方向へと左手を上げた。
 バシュンと音がして、乱馬の左掌から、気弾が飛ぶ。その気弾で壁際の柱がえぐられ、バラバラと破片が零れ落ちた。
「なあ…。いつまでそこで「見物人」を決め込むつもりだ?おまえ。」
 乱馬は再び、気を掌へと集めながら、凄みのある声で「そいつ」に話し掛けた。

「え?」
 サラはぎょっとして、乱馬が撃った方向へと目を流した。

「ちぇっ!わかってしもうたか。」
 ひょいっと一人の少年が、砕けた柱の影から姿を現した。髪の毛は柔らかな金色で、女のように長い。宇宙服ではなく、キラキラと光沢のある薄絹の衣をまとっている。いや、光り輝いているのは衣装や金髪だけではなかった。彼の肌もまた、キラキラと光沢を発しながら光り輝いていたのだ。
「だ、誰?あなた…。」
 サラが銃を身構えた。

「へえ…。そっちの姉ちゃんも、ワイが見えるんや。並の人間にはワイの姿は見えない筈なんだけどな…。ってことは姉ちゃんもそれ相応の超力があるーっつうことか。」
 少年は不思議な言葉を投げつけた。そして、ひょいっと柱から身を翻し、床へと音も無く着地してみせる。

「おめえ…。何の用だ?何であそこから、俺たちを見ていた?」
 乱馬はあかねを抱きたまま、振り向いて、少年と対峙した。
「もしかして…。アリサが言っていた、ゼナの使者…か?」
 乱馬は声を張り上げた。

「中々カンが良いね…兄ちゃんは…。」
 少年はにやっと笑った。

「ビンゴ…か。」
 乱馬がすっと身構えた。

「やめとき!やめとき!ワイは、今、ここであんたらと争う気は全然あらへん。じゃなかったら、あんたが目を覚ます前に、姉ちゃんごと襲っとるで。」
 少年は両手を差し出して、乱馬を制しにかかった。確かに、その言葉には信憑性があった。少年が乱馬たちを攻撃する意志があれば、目を覚ます前に迷わず動き出していただろう。
「じゃあ、何でここに居る?」
 乱馬は厳しい声で、少年に対した。
「確かに、ワイはアリサに要請されて、ここまで迎えに来てやったんやけどな…。」
「アリサに言われて来ただとおっ?」
「ああ、そっちのカプセルの中のお嬢さんをお出迎えに来いっ、ちゅうてたんでな。」
 その言葉に再び、表情が険しくなる乱馬。だが、少年は臆することなく続けた。
「あ、でも、もうええんや。アリサが見当たらんところみたら、あんさんらにやられたみたいやし…。そこまであいつに義理立てする必要も、ワイにはあらへんし…。」
 キョロキョロと辺りを伺うが、倒れているのはエララ星の警察署長だけだった。
「そのカプセルの中のお嬢さんも、連れて行くのはやめとくわ。」
 と、言い切った。
「なっ!?」
 その、あっけらかんとした言葉に、乱馬の方が驚いたくらいだ。
「その子、物凄(すご)う「物騒な物(もん)」持っとるみたいやしな…。」
 と、ナミを見据えながら言い切った。
「物騒な物?…星石か?」
 彼女が大事そうに抱えている物、それは星石しかない。
 だが、少年は乱馬の問い掛けには答えなかった。そして、ただ、マイペースで自分の言いたいことを続けた。
「今、ここであんたらと、真正面からやり合うと、その子の持ってる超力石が黙ってへんやろ?それが証拠に、そのあかねとかいう姉ちゃんの闇の超力、一瞬で浄化しちまったやんか。さっき。」
「な…。」
 乱馬は思わず、ナミへと目を手向けた。彼女の腕の中、星石が静かに七色の光を解き放っていた。
「そうか…。あかねを撃ったのは、あの星石。」
 乱馬はぼそっと声を出した。

「それに、そこのちょっと年上の姉ちゃん…。」
 少年はサラへと目を転じ、言葉を続ける。
「姉ちゃんが持ってる端末機から連邦政府の人間に、下手な情報を与えてしまう事にもなりかねへん。そんな事したら、ワイらの計画に大きな支障が出てまうしな。だから、やめとく。触らぬ神に祟りなしや。」
 と、サラの傍で起動し、揺らめいている小型空間ディスプレイを指差した。確かに、そこには、小さな空間ディスプレイが起動しており、チラチラと光がこぼれている。もしかしたら、乱馬を電脳世界へと通じる「媒体」として稼動していたのかもしれない。少年はその端末機のことを言っているのだろう。

「それに…。ワイにも思わん情報も手に入ったし…。」
「思わねえ情報だと?」
 乱馬は怪訝に言い返した。
「…ああ。闇のお姫さんと共に、光の騎士も覚醒したって、確かな情報がな…。ま、闇と光は相対するものとは言いながらも、連動するもんやから、どこか近くに居るとは思っとったけどな…。」
 にっと笑って乱馬を見据えた。恐らく彼が言う「光の騎士」とは乱馬のことを指し示しているのだろう。
「その事がわかっただけで、今回は良しとするわ。」
 そう言い放つと、少年の身体が俄かに激しく光り始めた。
「ま、いずれ、あんたとは、どこかでやりあう事になるわ。それは間違いない。そん時は本気でいったるさかい、せいぜい、楽しみにしとってえや。乱馬はん!」
 少年はふっと不敵な笑みを浮かべ、乱馬を見た。

「くっ!」
 サラが身を翻し、手にした銃口を、少年へと手向けた。が、乱馬が横からそれを制した。
「やめとけ…。ここでやり合ったって、無駄だよ。奴は「幻影」だ。「実体」じゃねえ!」
 と銃器を抑えた。
「幻影?」
 サラは目を見張った。
「見ろ。影が映ってねえだろう?」
 乱馬は足元へと目をやった。確かに、そこに出来る筈の影がない。
「幻影なら、撃つだけ無駄ってことね。わかったわ。」
 サラはあっさりと諦め、銃を下に降ろした。

「へへ、ほんまに洞察力も相当鋭い奴やな。ま、そのご褒美と言っちゃあなんやけど、エララ星へ向けて急難信号を出してやったさかい、じきに救援部隊が来るで。」
 少年はさらりと言った。

「それはそれは…。至れり尽くせりだな。」
 思わず、皮肉を言い返す乱馬。それに、にっと笑す、不敵な少年だった。

「じゃ、またな…。そろそろ行くわ。ワイの名は「アイアン」。良かったら、頭の片隅にでも入れて、覚えといたってえなっ!尤も、この先、あんたに命があったら…の話やけどなあ、あっはっは。」
 そう笑い声を残しながら、空間へと飲み込まれるように、姿が消えてしまった。


「アイアン…か。けっ!野郎、なめやがって!」
 乱馬は思わず、苦笑いを浮かべた。
「なめる?」
 サラは乱馬を見返した。
「ああ…。あいつが言ってた事は、恐らく全部、本当だろうよ。たく、べらべらとそれだけ、自分の情報を喋るって事は、俺たちにやられないという自信があったのさ。…それに、見ろよ。」
 そう言いながら、宇宙船の小さな窓の向こう側を指差した。
「あれは…。」
 漆黒の宇宙空間の中に、ポツポツと人工的な光が揺れるのが映し出される。それはこちらへ向かって、猛スピードで動いて来るようだった。
「奴め。本当に救援隊を呼びやがったみてえだな…。どうやって呼んだのかは知らねえが、大した度胸だぜ。俺たちが見ていたのは幻影だろうが、実体もそう遠くはなかった筈だしな。逃げ切れるって最初から自信があったんだぜ、あれはっ、たく…。」
 乱馬は埃を払いながら、忌々しげに言った。敵の救援隊を呼ぶほどだから、捕まらない、いや己を発見されない自信があったのだろう。
「おめえも、やばい物があんなら、今のうちに始末しとけよ。ロイと繋がれる端末機とかよ。」
 と、何の気なしにさらりと言って退ける。
「そうね…。何事も無く、取り繕って…。」
「ああ、こいつに今回の件の責任を何から何まで全てを押し付けることになるだろうがな…。」
 すぐ傍に、のびて倒れ伏している、エララ星警察のロード署長の太い身体を見下ろした。
「ま、仕方ないでしょうね…。アリサもジブラー・バイスも闇に帰ってしまったからね…。それに、ダークエンジェルのことは、ホンの一部の上層部しか知らない事だものね。」
「ああ。こいつがアリサもジブラー・バイスも陥れて始末したって事になるんだろう…。自ずとな。終身刑は免れねえさ。尤も、俺たちと関わった時点で、こいつの悪運は尽きていたんだろうがさ。
 …で、わかってると思うが…。」
「口裏を合わせろ、でしょう?良いわよ。」
「その代わり、ロイの事も心の奥に沈めこんどいてやらあ。」
「ありがと…エンジェルボーイ。」
「たく、いい加減、昔のコードネームを呼ぶのは辞めろっ!」
 同じく、現場を繕いながら、乱馬が笑った。







二、


 間もなくして、エララ星から、常駐の連邦軍部隊が救護にやってきた。
 表向きには、ロード署長が「蒼い惑星」に寝返るために、ジブラー・バイスと組んで連邦高官の娘、ナミ・英を誘拐し、護送船を奪取しエララ離脱を図ったことになった。そして、それと同調しようとしたアリサもジブラー・バイスは乱馬と抗争を繰り広げ、宇宙空間へ投げ出され、行方不明。
 無事、ナミ嬢は救出。事無きを得た。と、そんな風に報告された。
 嘘も方便のようだが、少しは事実であろう。
 ナミは御礼もそこそこに、連邦軍の護衛船に乗せられて、そのまま地球方面へと旅立って行った。表向きには、兄である英総帥の元へ行くということになっているが、実際はマザーIの元へ送り届けられるのだろう。その後は恐らく現行の霊女「ナギ」と交代し、繋がれる。「人柱の少女」となるのだ。そして、地球連邦を裏側から支えるのだ。

『ありがとう乱馬…。全身全霊を傾けて私を守ってくれて。それに、星石も手に入った…。』
 別れ際、ナミは乱馬の手に触れると、心へと話しかけてくれた。カプセルから出されるとすぐに正気を取り戻した。
「行くのか…?地球へ。」
 乱馬はナミに問いかけると、コクンと頭が揺れた。
『私が行かなきゃ、地球を支えられないから…。誰かがやらなきゃならないことなら…それが宿命なら甘んじて受けるわ。ナギのように。』
 五歳やそこらの少女の悲壮なほど純情な決意が、手の指先から伝わってくる。
『また、逢いましょう…。乱馬。待ってるわ…。蒼い母なる星で。』
 電脳界で通じたナギの事を知っているのか知らないのか、それだけでは判断がつかなかったが、ナミは再会の願いを乱馬の心へと口走った。
『ああ…。必ずいつか、おまえに逢いに行く。それが宿命なら、俺も…。』
 声には出さずに、ぎゅっと手を握り締めながら心で答えた。
 それを聴くと、ナミはにっこりと微笑みかけた。濁りの無い澄み切った笑顔。
 あかねは気を失ったままだったので、ナミに別れを告げることはできなかった。ただ、乱馬の腕にしっかりと抱きとめられたまま、少女ナミとの別れを迎えた。
 七色の光はすっかりなりを潜めた星石。乳白色のただの石となったそれを、ナミは大事そうに抱えている。ぬいぐるみを抱いた少女のように。そのまま、船上の人となり、エララ星を去って行った。


「とりあえず、今回の案件は終わったな…。任務、完了だ…。お互いにな。」
 乱馬は、飛び立って行った、ナミの宇宙船を見送りながら、傍らに居るサラに話し掛けた。
「あかねには俺から上手い具合に取り繕って、事の顛末(てんまつ)を説明しとくよ…。じゃねえと、誤解したまんまじゃあ、今度、またどっかでおめえと出会ったとき、やばい事になりそうだしな…。こいつ、こう見えても物すげえやきもち焼きだから。あ、勿論、ロイやナギの件はナイショにしといてやっから安心しな。」
「そうね…。あのままじゃあ、あの子、私と坊やの関係を疑っちゃうかもしれないし…。」
 くすくす笑いながら、サラが受け答える。
「何だ?それは。」
「あら…。私があなたを口説いていたって思ってたらどうするの?恋敵よ、恋敵。」
「はああ?」
 素っ頓狂な声を張り上げる乱馬に、少し意地悪く微笑みかけたサラ。
「坊やは私と良い関係になるのは嫌かしらん?」
「ああ、御免こうむるね。俺には年上女に走る趣味はねえ!」
「失礼しちゃうわねえ…。まあ、良いわ。私もあんたみたいな坊やには興味ないから。」
「言ったな!」
 サラと共に笑いあう。
「でも、おめえも大変だな…。大方、ロイの事があって、連邦軍を抜けたんだろ?奴があんな風になっちまったのを隠すために…。」
 と声を落とす。
「まあね…。彼の存在もまた、連邦にとっては「禁忌(タブー)」ですもの…。誰にも知られちゃあいけないし…。完全に抹殺されたらたまらないものね…。それに、いずれ戻ってくる、そう信じて行動するしか、私には術はないから。」
 真っ直ぐにエララの澄み切った人工空を見上げながら言い切るサラ。どういう経過を取って、今の立場にあるか、詳細は語られなかったが、彼女サラの身体も「事故」の影響を受け、殆どが機械仕掛けとなっている現状からも、大体の察しはつく。
 が、彼女の瞳の強い輝きに、「残酷な現実」と向き合う強さが感じられた。

「あなたも…。あかねさんを守りきりなさいよ。これは私のカンだけど、あのアイアンって子、あかねさんを狙ってくるわ。あかねさん、もしかすると、あの時、彼の何某かの超力に反応して目覚めたのかもしれないわ。上手く誤魔化して、それには触れずに帰って行ったみたいだけど…。」
 と小さな声で付け加えた。
 アリサとジブラー・バイスの闇を葬るのに超力を使い果たしたあかねが、再び目覚め意識を取り戻した理不尽さを、示唆しているのだろう。
「ってことは、闇に繋がる者の可能性があるってことか…。ゼナは。」
 コクンとサラの頭が揺れる。
「まあ、ゼナが一体何者なのか、わからない以上、憶測で考えるしか、しょうがないけれどね…。只者ではない、それだけは事実なんでしょうよ。…宿命の敵なのかもしれないわ。あんたのね。乱馬。」
「ああ…。とうに腹は括ってる。いずれ、奴とは正面切って闘う事になるだろうさ…。それまでに、俺の超力も磨いといてやらあ。」
「そうね…。癒しの超力の他にも、もっと凄い潜在能力が、あんたの中に眠っているかもしれないわね…。」
「癒しの超力…。もしかして、あれはロイに指示されて、おめえが?」
 乱馬はちらっとサラを見返した。彼女の与えたきっかけによって開眼した超力ということを思い出したのだ。
「まあね…。ロイもあっちで遭遇した誰かに言われたのかもしれないけどね…。」
「誰か、が…ねえ。」
(ナギの可能性もあるな。)と思ったが、それは口には出さなかった。
「ロイの力添えがあったからこそ、あなたに「きっかけ」を与えられた…というのが正直なところよ。」
 と付け加えた。
「やっぱり、ディスプレイのモニターか何かを通じて、奴と交信は可能なんだな。」
 そう問いかけた乱馬に、サラはコクンと頭を垂れた。
「折に触れて呼びかけると、返事が来るわ。画面を通して会話もできる。でも、互いの身体に触れることはできない、機械を通しての交信だけれどね。 
それでも、違う世界へ迷い込んだとしても、ロイは生きて私の傍にいる事には変わりは無いわ。」
 寂しげに笑いながら、サラは言い切った。
「そうだな…。奴はおめえの傍に常に居る…。」
 乱馬はふっと、広がる空を見上げた。地球の空に模した薄水色の晴天。
 人工の海を渡ってくる潮風。
 人の手で造られた環境とはいえ、心地良さが広がる。

「で、サラ、これからどうするんだ?」
「どうって、決まってるわ。またどこかで次の依頼を受けて、太陽系内を飛び回るだけよ。」
「依頼かあ…。」
「ええ。あの人の入った端末機と一緒に、宇宙(そら)を駆ける。それが私の生甲斐だから。」
 ふっとサラは微笑んだ。
「あんたはどうするの?エンジェルボーイ。」
「俺か?…もうちょっとだけ休暇が残ってるからな。こいつとゆっくりしてから、任地へ帰還し任務に戻るさ。そしたら、地獄の任務の日々がまた始まるがな…。」
 まだ眠り続けるあかねを腕に、ふっとなずんだように微笑んだ。
「束の間の休日…って訳ね。こんな可愛い子と一緒ならそれも楽しいわね…。せいぜい休暇中だけでも羽を伸ばしなさいね。」
「言われるまでもねえよ。」

「じゃあね。またいつか、この宇宙(そら)のどこかで会いましょう。」
 サラはさらっと明るく言い放つと、くるりと後ろを向いた。長くて美しい金髪が流れるように風に靡いた。


「さてと…。俺たちも残りの休日を楽しむかな…。」
 乱馬は少し嬉しそうに微笑むと、あかねを抱いたまま、借り上げた浜辺のロッジへと戻った。
 今夜はロッジでゆっくりとくつろいで、また、あかねが目覚めたところで、残りの休日を楽しもう、そう思ったのだ。
 ナミと共に三人で過ごしたままに、部屋は残されていた。
 パチンと電気を灯すと、あかねを傍らのベッドへと降ろした。成すがままに、あかねはベッドのマットクッションの中に沈みこむ。
「う…ん…。」
 少し色っぽい声がこぼれる。すっとあかねの白い頬に手を伸ばした。眠ったままの彼女の唇へ、己の濡れた口を当てる。ひんやりとした感触が懐かしかった。
 あかねの反応は殆どないが、それでも良かった。今夜一晩、彼女の傍で過ごせば、明朝に少しは回復するだろう。そうすれば、また、楽しい休暇を一緒に過ごせる。
 何もしなくて良い。ただ、傍に居て、ぼんやりと二人、エララの休日を過ごせれば、それで満足だ。
「あかね…。」
 小さく名前を呼びながら、そっと、傍らに寝そべり、抱き寄せようと腰へ手を伸ばした。


 と、手元の通信機にスイッチが入った。手首のリストバンドに仕込んだ装置が作動し、ブンとすぐ目の前の空間に起動したのだ。
 そして、ぶわっと、これ見よがしに、目の前に小さな十センチ四方の角張った空間ディスプレイ画面が現れる。

『ハロー!乱馬君。休暇は楽しめたかしらん?』
 見覚えのある笑顔がこちらを向いて話しかけてくる。

「でえ…。なびき…。」
 嫌な声を張り上げて、画面を見詰める。
「こらっ。俺たちゃあ、まだ、休暇中だぜ!ただでさえ、急な任務で、何日かを無駄にされたんだ。必要ないのに連絡なんて寄越してくんな!馬鹿。」
 思わず苦言が流れ落ちる。
 当たり前だろう。休眠を貪ろうと、あかねへ手を伸ばしたところだった。なびきはそんな乱馬の様子を、舐めるように見渡してくる。

『あーら、お楽しみ中だったかしらん?』
 にやっとなびきの瞳が笑った。
「悪いか!俺たちは、休暇中だ。お守り任務も終わったんだ!これからは、何をしようと自由だろうがっ!」
 思わず強く怒鳴っていた。

『でもねえ…。気の毒だけど、あんたたちの休暇旅行はここで終了なのよ。』

「あん?」
 唐突な言葉に、きょとんとなびきを見返す瞳。
「おい、まだ、あと四、五日くらいはこっちで過ごすだけ休暇は残ってる筈だぜ!ここで終了っていうのは、どういう了見だ?」
 と、怪訝な表情を作って見せた。休暇の途中は任務に邪魔されたが、それが終われば、再び休暇中に戻れる。そう主張したかったのだ。
 だが、なびきは、悪戯っぽく笑いながら残酷な事項を告げてきた。

『あーら、早急に戻って来ないと、あんたも、とおっても困る事になるわよ。それでも良いのかしらん?』
 と投げてきたのだ。

「何が困るんだよ!何が!困るのは俺じゃなくって、おめえじゃねえのか?あん?」

『実はね…。あかねに宇宙管理局人事部から緊急呼び出しが来たのよねえ…。それで戻って来て欲しいんだけど…。』

「宇宙管理局人事部から緊急呼び出しだあ?何だ?そりゃ!」

『昇進試験受験の案内状よ。』
「はあ?昇進試験だあ?」
『あんたじゃないわよ。少尉の認定講習を受けに来いって命令が下ったのよ。あかねにね。』
 唐突な話だった。
 連邦軍の管轄下に置かれている、イーストエデン諜報部。勿論、軍部だから階級章を持っている。エージェント任務は特殊だから、そう階級にこだわる職種ではなかったが、それでも、給料の支給や命令体型云々に多少の影響はある。
『あんたも知ってのとおり、本来、エージェントは少尉以上の任官になるんだけど、この子、まだ、准尉なのよねえ…。』
「あん?」
 話が見えて来ない乱馬は、思わず、聞き返していた。
『ほら、若い頃大病を患ってるでしょう?それで通常より、昇進が遅れてるのよ。本当ならラグロスの士官学校を出て、一定の期間、従軍して試験にパスすれば、少尉階級を与えられる事になっていたんだけど…。』
「何だよ…。こいつが宇宙感染症を患って、二年ほどリタイアしてたって話とその昇進試験講習会とどんな繋がりがあるってんだ?第一、特例であかねは俺と組んでエージェント特務官として任務できるんじゃなかったんじゃねえのか?」
 思わず、食って掛かる乱馬に、なびきは容赦なく畳み掛ける。
『だからあ、今秋からは、エージェントは少尉以上の階級じゃないと任官できないって諜報局の軍務規定が強化されるって言ってるのよ!わかんない子ねえ!』
「あのなあ、だから、あかねは特別認定受けてるんじゃないのかって、おいっ!」
 と、また繰り返してたてついた。
「今までは、諜報部そのものも人手不足だから「特別認定」を受けて、少尉じゃなくてもエージェント任官できたんだけど…。生憎、今秋期から連邦軍の服務規程が変わるらしくって、少尉以上でないと任官できなくなったんですってよ。つまり、特別認定は破棄になるってこと。』
「破棄だあ?」
『そうよ、破棄。だから、あかねには是が非でも、ここで少尉になってもらわなきゃならないの。で、呼び出しが来たの。わかる?』
「ぬっ、ぬわんだってえっ?」
 乱馬は思わず、声を張り上げていた。
 なびきは「他人事」のような、淡々とした口ぶりで話し始めた。
『で、あかねに呼び出しがあったのよ。その昇進試験を兼ねた講習会が、すぐにも始まるの。まあ、あかねは実務は並み以上の活躍して実績もあるから、今回は講習会を受けて規定の学科試験を受けるだけで、昇進させてもらえるそうなんだけどね…。
 そんな訳で、この認定講習会に欠席させるわけにはいかないのよ。うちも慢性的な人手不足だからね、ここであかねに抜けられるわけにはいかないのよ。
 それに、もし、あかねが今回の昇進話をふいにして、エージェントの地位を返上させられたら…。次の昇進試験は半年後の春先だから、その間、あんたのパートナーは、あたしかかすみお姉ちゃんにスイッチすることになるんだけど…。それでも良いかしらん?』

「良いわけねえーだろっ!バカッ!」
 思わず画面に向けて、唾を飛ばしながら叫んでいた。

『だったら、休暇日程を返上して、すぐにミルキーホース号に乗って、戻って来ないとねえ…。わかった?』
「わかったよ、帰れば良いんだろう?帰ればっ!」
 思わずがなっていた。
『そういうこと。じゃあ、早急に戻ってらっしゃいよっ。講習会の期日に間に合わないと、あかねのエージェント資格認定は取り上げられちゃうわよお、知らないわよお…。おほほほほ…。』
 からかい気味に響く笑い声。乱馬がムッとしたとき、
『んじゃあ、以上、通信終わり!』
と、ブッツン、通信画面が切れた。
 
「……。……。」
 通信が切れた後、暫く開いた口が塞がらず、放心しきっていた。 
それからおもむろに、ぎゅうっと握り締める拳。我に返るにつれ、フツフツと怒りがこみ上げてくる。
 そして、たまらず、見上げたエララの青空に向かって、叫び上げた。

「ちくちょうーっ!返せ!俺の、俺たちの楽しい、休暇を返せーっ!こんの野郎!!うおおおおっ!」

 やる瀬無い怒声が、静寂を打ち破る如く、響き渡る。
 だが、乱馬のその雄叫びは、ちょうどエララ星へ入ってきた大型定期連絡船らしき轟音に、尽くかき消された。
 すぐ傍からあかねの柔らかい吐息が、くすぐるように零れ落ちてくる。
 それをしっかりと抱き締めながら、乱馬はがっくりと、頭を落とした。



 呆気ない、休日の幕切れであった。



 完


 DARK ANGEL 7  星河夜話 へ続く




 「天使の休日」いかがでしたでしょうか?
 最後は休暇を返上させられて、ちょっと可愛そうな乱馬君でありました。
 実は、十一話辺りを何度も書いては消し、書き換えては戻し…。何も考えずにたったか書き連ねる私にしては珍しいほど、苦しんだ末の内容になっております。
 ナギとナミ、彼女たち霊女の正体をもう少し書きたかったのですが、事後作に引き伸ばすことを選びました。終盤、かなりテンポがのろい、読み辛い項目もあったかと思います。
 サラとロイ。この二人も、またどこかで絡んで来ると思います。多分…多分ね。
 また、このシリーズ作、出会いから一貫して、なびき嬢に良いようにあしらわれている乱馬君。今回もまた、彼女に全てを牛耳られていたような…。恐るべし「小姑」。
 で、次の話は再び過去譚へ巡る予定です。ちょっと変わった書き方をしてみようかと…。まだ最終話を悩み中でありまして、完結していないのですが、年明けごろから掲載できれば良いなあと思っております。
 
 では、また次回話にて…。

(c)Copyright 2000-2005 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。