◇天使の休日
第十話 思い出の少女



一、


「もう、遅いぜ…。何人(なんぴと)たりとも、俺たちの超力を止められねえ…。おめえたち二人を、闇へと帰するまではな。」

 ダークエンジェルの超力を解放した乱馬とあかね。
 二人は、それぞれの前に居る「獲物」たちに向かって、冷たい瞳を巡らせた。

「おまえたち…。まさか、闇の天使、ダークエンジェル…。」
 
 やっと、その正体に気が付いたアリサ。ガタガタと震え始めている。
 連邦のエージェントの中に、ダークエンジェルという闇の天使が存在している事は、次第にゼナにも伝わり始めていた。
 その超力が何に由来しているのか、誰が発動しているのか。憶測は憶測を呼んでいた。
 アリサもジブラー・バイスも恐怖の表情へと変わっていく。
 今の今まで「餌」にしようと牙を剥いた二人が、実は自分たちを滅ぼすものだと、予想だにできなかった。形勢は一気に逆転していたのだ。

 半開きになったあかねの瞳の冷たさが、背中越しにも伝わってくる。
 アリサは初めて恐怖というものを、覚えたような気がした。
 触れてはならぬ禁忌。それに触れ、解放してしまったことを、今更ながらに後悔する。哀れ、捉えられた獲物は、無駄とは知りつつも逃れようと、足掻き始める。自ら、あかねがつかんでいた触手を引き千切り、果敢にも逃亡を試みる。

「無駄だ…。もう、俺たちからは逃れられねえぜ…。」
 真正面から、乱馬が彼女を見やった。
 冷淡な輝きの瞳だった。
 その恐怖の光に、手足はすくんだ。
「己の闇と向き合え。そして、帰るんだ。生まれる前に居た闇の世界へ…。それ以外に、道はねえ。」
 乱馬は低い声で囁きかける。


 あかねは右手の掌を下に、人差し指だけをすっと真っ直ぐにすぐ傍で震えるアリサの背中に指し当てた。
「ひっ!」
 アリサの口から、小さな悲鳴がこぼれる。
 あかねの背中には黒い翼、乱馬の背中には白い翼が同時に広がっていくように見える。闇に浮かび上がる、二人の天使。

 あかねは、静かに囁き始めた。

「暗黒より生まれいでしゼナの妖精よ…、汝ら、我の超力で闇に帰れ。」
 静かだが、凄みのある透き通った声だった。
 それを受けて、乱馬も囁き始める。
「汝ら、我らが腕に抱かれ、静かに眠りにつけ…。永遠の闇の中で…。」

「嫌だ、帰りたくない!まだ生きたい!」
 アリサがそう叫んだと同時だった。
 すっと伸ばされて、アリサの背中にくっ付いていたあかねの右の人差し指。そこから、強い光がほとばしった。一瞬真っ白に発光し、やがて、そこから、真っ黒な闇が広がり始めた。
 そして、瞬時にアリサを飲み込んでいった。
 いや、アリサだけではなく、真正面に対していたジブラー・バイスをも、一緒に飲み込んでいったのだ。

「うわあああっ!」
「きゃあああっ!」

 二人の悲鳴が同時に闇の中から響き渡る。
 やがてその声は、闇に包まれると、小さく消えていく。二人を包んだ闇は、収縮し始め、小さな玉の塊(かたまり)へと変化していった。
 その玉を乱馬は、気の超力であかねの元へと飛ばした。
 あかねはその玉を、己の胸元で受け止めると、開いた両手で、掌へと押し込めて行く。まるで手を合わせるように、二つの玉を同時に、両脇から押さえつける。ふわりと、あかねの髪の毛が、後ろ側へと逆立った。
 二つの玉は、鈍く光りあい、交差し、いつか一つに溶け合いながら、あかねの掌の中へと、消えていく。
 はあっと深い溜息を一つ、吐き出すと、あかねは全身から力を抜いた。持てる超力を全て出し切ったのだ。
 バランスを失った彼女は、浮力を失い、倒れかけてくる。
 乱馬は、それを待っていたかのように、だっと前へと身体を投げ出し、倒れてくるあかねを、真正面から抱きかかえた。あかねの背中には、アリサに開けられた傷口が開き、少し血が滲み出している。
 乱馬はあかねを深く抱き閉めると、背中に手を翳した。覚醒したばかりの新しい超力「治癒の能力」。それを使うべく、あかねの背中に掌を差し当てて気を集中させた。柔らかで暖かな光が乱馬の掌からほとばしり、傷ついたあかねを癒し始めた。
 みるみる、あかねの傷口が塞がり始める。

「乱馬…。」
 もたれかかった、胸の中で、あかねはその存在を確かめるかのように、小さく言葉をかけた。
 今の闇の払拭で、超力を使い果たしたあかねは、朦朧とした瞳を彼へと巡らせた。

「大丈夫…。あとは、いつものように、ゆっくりと俺の元で休めば良い。」
 赤子を癒すように、優しく語り掛ける乱馬。あかねは一度だけにっこりと微笑みかけると、そのまま安心しきったように瞳を閉じる。
「終わったよ…。俺たちの仕事はな…。」
 遠くで乱馬の声を聴きながら、あかねは乱馬の胸の中に、すっぽりと身体を沈めた。
 柔らかく抱き留めたときだ。どこからともなく張りのある声が響き渡った。

「終わってなんか、いないわよ!まだ、何もねっ!」

 聞き覚えのある女の声だった。

「サラ?サラか?」
 乱馬が驚いて、反応するよりも早く、眩いばかりの光線が、真正面から飛んできた。
 その光は、乱馬が抱え込んでいた、あかねを背中から強襲する。
 その光を受けて、あかねが一瞬、目を見開いた。
「乱馬…。」
 小さく助けを呼ぶように吐き出すと、そのまま光を失った瞳。ガクリとうな垂れて、乱馬の胸の中に沈む。

「あかねっ!しっかりしろっ!あかねっ!」
 事態の急変に、乱馬は思わず叫んだ。
「てめえ、サラ!どういうつもりだ?」
 明らかに、怒りがこみ上げている。

「大丈夫よ。眠らせただけよ。危害を加えた訳じゃないわ。乱馬。」

 闇の向こう側から、銃を携えたサラが、笑い駆けていた。

「眠らせただけだとおっ?」
 乱馬は激しく吐きつける。

「私を攻撃する前に、あかねさんを見なさい。」
 サラが不敵に笑った。

 トクン、トクン…。
 耳を澄ませば響いて来るあかねの鼓動。確かに規則正しく動いている心臓。いや、それだけではない。微かだが寝息のような吐息が漏れてくる。憑き物が落ちたように眠るあかねが、そこに居た。彼女の顔には苦痛はない。
 眠らせただけ。どうやら、サラの言ったことは本当のことのようだ。
 だが、乱馬の怒りが、すぐさま収まるわけではない。すぐさま、攻撃態勢へと身構える。

「てめえ、サラ!どういうつもりで、こんな事を!」
 銃口の代わりに、右手を前に突き出した。気を溜めて、身構える。

「そんなに、構えなくっても大丈夫よ。坊や。何もあなたたちを傷つけようだなんて、これっぽっちも思っていないんだから。」
 サラはくすくすと笑っている。確かに「殺気」は微塵も感じられない。だが、乱馬は警戒していた。

「そもそもてめえは、ジブラー・バイスに撃たれたんじゃねえのか?」
 乱馬は強い語気で話し掛けた。

「撃たれる瞬間にテレポートしたのよ。」

「テレポート?瞬間移動か?」
 乱馬は目を見開いた。
「ふふふ、あんたやこの娘にだって、テレポーション能力があるって、言ってたじゃないの。ジブラーが撃った瞬間に移動して、直撃を逃れ、再びテレポートして倒れたふりをしていたのよ。まばたきするくらいの間にね。」
「何だって?あの瞬間にそんな芸当をこなしていたっていうのかよ。」
 乱馬は舌をまいた。
「ちゃんと血袋も用意して血を流したように演出もしてあげたから、まんまと引っかかったようだけどね。」
 サラは懐から破れた小道具、血袋を取り出して、得意げに見せた。
「そこまで演じたってわけか…。」
 正直驚いた。乱馬すら、サラの芸当を見抜くことはできなかった。凝視していれば少しは悟ったかもしれないが、とても、サラの芸当に気付くだけの余裕はなかったのである。それだけ、サラの演技が完璧だった事になる。
「けっ!タヌキ芝居してやがったのかよ!じゃあ、訊くが、何のために、そんな芝居をしたんだ?」

「それは、仕事のために決まってるわ。」
 ふっと頬を緩めた。
「仕事のためだって?」
 乱馬は大きな瞳を巡らせてサラを見た。
「ええ。そうよ。あなたとこうやって、向き合うこと。それが狙いだったの。」
 サラは笑った。
「今まで立って、何度か、てめえと二人になるチャンスはあったぜ?何も今更…。」
「私は依頼人のために動いているのよ。乱馬。それを忘れちゃいけないわ。」
 サラはそう言いながら笑った。
「依頼人だって?おめえの依頼ってのは、アリサの造反についての尻尾をつかむ事にあったんじゃねえのか?だったら、さっきので終わった筈だぜ?連邦の中枢部に関わる人間が依頼人だったら、俺たちの超力のことも知ってるだろうし。洗いざらいを報告すればすむことだろ?これ以上、俺を陥れる必要なんていうのは無いんじゃねえのか?」
 乱馬の問い掛けに、くすっとサラは笑った。
「ふふふ、蒼いわねえ。まだまだ、坊やは。」
「何だと?」
 馬鹿にされたと思った乱馬は、思わず反抗的な瞳を投げかけた。
「何も依頼人は一人とは限らないのよ。同じ修羅場を受け持つ事になったとしてもね。」
 と、すいっと乱馬の前に、身を乗り出してきた。

「おっと。これ以上近寄るなよ。気弾を一発、ぶっ放すぜ。おめえも、俺と心中する気はねえだろう?」
 乱馬は、気を撃つ体勢で身構えた。
「どんな態勢でも己の上位を確保しようとする…。いい度胸してるわね。坊やは。」
 にっとサラは笑った。
「なるほど…。依頼人は複数居たってわけか。」
 そう畳み掛けた乱馬に、サラは答えた。
「ええ、そうよ。もう一人居るの。あなたに差しで話をしたいと懇願する、依頼人がね。」
 そう言いながら、すっと、サラは腕を伸ばしてきた。
 身構えていた乱馬は、差し出されたサラの腕を見てハッと息を飲んだ。

「おめえ…。その腕。」
 そう言ったまま、視線がサラの腕の上で止まった。
 サラのしながかな長い腕。そこから皮膚がふっと消えて、機械仕掛けの腕が出現したのだ。
 透明になった腕は、これ見よがしに、人工的な配線や機械の管が通っている。
 サラの腕は見事な機械だった。右手だと思っていたものは、精密な機械の塊だったのだ。
 生身の腕と思っていたのが、実は機械の腕だったのである。
 血の通わない機械仕掛けの右腕。それが、己に向かって伸び上がってきたのだ。いや、それだけではない。腕に繋がる肢体も、機械のようだった。

「そうよ、坊や。驚いた?…私の身体の大部分は、こんな機械の配線で埋め尽くされているわ。この顔も身体も、殆どは作り物。脳細胞の一部と心臓以外は人工物で繕われたサイボーグ。」
「サイボーグ…。」
 その言葉が虚しく乱馬の胸に響いた。
「とある任務中の事故で、こんな不毛の身体に成り下がったのよ。この声だって、本物を再生した機械的なもの…。」
 サラは驚く乱馬に、自嘲気味に笑いかけた。
 こんな身体になったのには、複雑な事情があるのだろう。

 様々な義体や機械を知り尽くしたとはいえ、身近に突きつけられた人工的な身体に、思わず、足がすくんだ。
 どう、二の句を継げば良いのか、「乱馬らしくなく」一瞬躊躇ったのだ。
 サラは、そんな乱馬の「一瞬の迷い」から生じた「間合い」を逃さなかった。
 差し出されたサラの右腕に組み込まれた配線が、弾けるように人工皮膚から飛び出してきた。それらは、乱馬の右手に、みるみる巻き付いていく。

「しまった!」
 サラの動きを予想できなかった乱馬は、その、呪縛から逃れる機会を失っていた。撃とうと身構えていた「気」も、サラの伸ばしてきた触手のような配線に吸い上げられ、不発に終わる。、サラの腕から伸び上がった枝葉の配線は、乱馬の手首から上腕にかけてを、みるみる包みこんでしまった。その勢いは留まる事を知らず、乱馬の咽喉元にまで達していく。
 左手は空いていたが、あかねをしっかりと抱えている以上、無闇に動かす事もできない。

「大人しくしていてくれないと、このまま、あなたの首を絞めても良いわよ。いえ、あなただけじゃなくて、あかねさんにも危害を加えるわ。」
 目の前でサラが笑った。冷たい機械の笑いに見えた。恐らく、乱馬が抵抗すれば、容赦なく言動どおり実行するだろう。

「てめえ、何のつもりだ?」
 乱馬は睨み上げながら唸った。
「私のこの身体は、殆どがこんな機械部品で形成されているの。自在に形も変化させられる。この筋肉も腕も血管も全ては見せかけの義体。それに、中を流れる血流は、私の細胞じゃないのよ。」
「おめえの細胞じゃない?どういうことだ?」
「私の身体を流れる血は「ロイ」のもの。」
 サラはふっと頬を緩めた。
「ロイだって?おめえの相棒だったあの「ロイ・ウイリアム」か?」
 大きな瞳を乱馬はサラへと巡らせた。
 乱馬の腕に絡まった蒼や赤のカラフルな配線のような物体。そいつは、乱馬の皮膚の上を這うようにまだ広がろうとしている。まるで生きた機械のように動いていた。
「これで、「交信(コンタクト)可能」となったわ。」
 すぐ鼻先でサラが笑った。
「コンタクトだって?」
「私のもう一人の依頼人は、あなたと話したがっているの。だから、こうやって、私は中継ぎをさせてもらうわけ。」
 サラが笑いながら説明した。
「中継ぎだと?どういうことだ?」
「こうやって、中継ぎの媒体として、私の機械的な身体が役に立つとでも言うのかしらね。そうじゃないと、あなたは依頼人と直接話せない。ただそれだけのことよ。」
「くそう!」
 乱馬は、右手に力を入れかけた。

「あら、無闇に外そうとすると、あかねさんに危害を加えるわよ。彼女の身体にも私の手の配線が伸びてるってこと忘れちゃ駄目よ。良いのかなあ?彼女を巻き込んで。」
 サラはふっと笑った。あかねの事を言われれば、
「おまえまさか…。あかねをカヤの外にはじき出すため、わざと、眠らせたのか?」
 やっと、サラの意図としていることが飲み込めたのか、乱馬は更に畳み掛けた。
「ええ、そうよ。ここから先、彼女には、遠慮してもらおうと思って、眠らせたの。やっとわかってくれたようね、坊や。」
 サラは、乱馬の左腕にしっかりと抱きとめられて、胸に眠るあかねに向けて再び、何かを解き放った。淡い光があかねの身体を瞬時に包み込んでいく。
「光学バリアー…か?」
 乱馬はサラを睨み付けた。
「ええ、この娘もかなりの能力者のようだからね。あなたや私、それから依頼人の声が、脳の中に流れ込まないように、遮断バリアーを張らせてもらったわ。眠っていても超力は働く事はあるからね。」
 ふっとサラは言葉を紡いだ。
「けっ!よっぽど、秘密にしたい話でもあるみてえだな。俺の相棒にすら、聞かせられねえくらいの…。」

「当然よ。彼女は、この話からは「部外者」ですもの。排除させていただくわ。」
 サラは冷たく言い切った。
 今は顔すらも透き通ってしまい、半透明になっていた。

「さっきから依頼人が、待ち構えているわ。
 アリサ一味を退散させた時、地球連邦警察の救援部隊も呼んであるから、そろそろ機影が木星方向から現れてくるでしょうし…。ナミが彼らに回収される前にこの依頼にケリをつけなきゃならないの。」
 サラは乱馬に向き直った。

「俺とコンタクトしたがっている、おめえの依頼人のご登場ってわけか。」
 乱馬ははっしとサラを睨み上げた。

「そんな怖い目で見なくても大丈夫よ。何もあなたに危害を加えるような依頼人じゃないわ。ほら。」
 サラは笑いながら、余裕がない乱馬を見た。
 サラが押した機械に反応して、さっき、ロード署長が仕込んだバリアーが開く。そう離れていない場所に、置かれたカプセルの中、ナミがゆらゆらと培養液に浸って浮き沈みしているのが見えた。身体は淡い碧に光っている。その胸元には、抱え込まれた星石が、七色に妖しく光り始めていた。
 と、サラはおもむろに、カプセルから出ているコード線を手に取った。

「おい、まさか、その依頼人って言うのは…。」
 サラの行動を注意深く見詰めていた乱馬が、思わず声をかけた。

「さっきから、彼女の中で待ちかねていると思うわ。このまま、坊やを意識体へ変換して、依頼人の傍に飛ばすわよ。」
 サラは笑った。

「意識体…?どういう意味だ?」

「行けばわかるわ。こういうことよ!」
 サラは思い切り、持っていたコードを両側から差し込んだ。その接触部から火花がショートして放たれたような気がした。
 と、乱馬の身体に、電撃が走り抜けた。

「うわあああっ!」

 あまりの衝撃に、叫び声が漏れる。

「畜生!何なんだ?この衝撃波はっ!」
 ぐっと耐えたが、所詮は無駄な足掻きだった。一方向へ意識ごと吸い込まれるように、引き寄せられた。そして、パアッと目の前が光、身体がはじけたような気がした。


二、

「ここは…どこだ?」

 すぐに、意識が浮き上がった。 目の前はナミの手の中で輝く星石から発せられる光にも似た、美しい七色に光り輝いていた。

『やっと会えたわね、乱馬。』
 耳元で少女の声が響く。
「誰だ?俺に話しかけてくるのは。」
 声のした方へと顔を上げる。と、すぐ傍に、少女が立っていた。目は硬く閉ざされ、口も閉じている。眩いばかりの光が、その少女を包んでいる。しっかりと腕には星石を抱きしめている。

「おまえは…。ナミ…。」
 乱馬は、瞳を巡らせながら、少女へと呼びかけた。

 乱馬の声に反応して、閉じていた少女の目が、ゆっくりと開いた。じっと、畳み掛けるように乱馬を見詰めてくる瞳の輝き。その真っ暗な瞳の中に、「気配」を感じ取っていた。

「違う…。おめえは、ナミじゃねえ…。似ているけど違う…。」
 乱馬はじっと瞳を少女へと巡らせた。
「誰だ?おめえは、一体…。」
「ふふふ…。思い出せないかしら?あたしのこと…。」
 と、彼の脳裏の中を、一片の記憶が通り過ぎた。幼き日に、星石を求めて、一緒にエララ星の海原へ出た少女の顔が浮かび上がったのだ。
「ナギ…。おめえ、ナギか?なあ、そうだろう?」
 
 その言葉を聞いて、少女はにっこりと乱馬に微笑みかけた。

『やっと、思い出してくれたのね。その名前を。乱馬…。』
 乱馬が「ナギ」という名前を口にした途端、再び脳裏に広がる「記憶」の洪水。




 …あの頃。
 まだ俺が五歳だか六歳だかだったガキの頃…。
 俺は、エララ星で「ナギ」という少女に出会ったんだ…。

 乱馬の記憶が巡り始める。
 目の前で微笑むナミに、その昔出逢った少女、ナギの顔が重なった。


 …物心ついたときから、ずっと特務官だった親父にくっ付いて、太陽系を巡っていた俺。親父、玄馬の任務が終わるまで、良く一人、任地の星に放り出されていたんだ。その中で、リゾート星エララに降り立った時、たまたま、俺と同じくらいの年頃の女の子に出会ったんだ。




 ぼんやりと、リゾート地の海を眺めながら、父親の帰りを待っていた幼き日の乱馬。
 そこへ、忽然と現れた、一人の少女。
 綺麗な洋服を着込んでいて、どことなく上品さが漂う。親とはぐれたのか、一人で人工海の砂浜に佇んでいた。
 どんないきさつがあって、話し掛けたのか、詳細は覚えていない。だが、幼い者同士、打ち解けるのに、そう時間はかからなかったことだけは、記憶している。
 どちらからともなく、話しかけ、すぐに仲良しになった。そんな少女。
 遠浅の海辺で、彼女は何かを探している様子だった。

「何か落し物でもしたのか?」
 乱馬は好奇心にかられ、少女に問いかけたのだ。
「落し物じゃなくって、「星石」を探しに来たの。」
 少女は言った。
「星石?」
「願い事がかなう綺麗な石よ。この星に太古からあるの。この海のどこかにある岩場近くに沈んでいるんだって。」
 キラキラと目を輝かせながら少女は言った。
「一緒に探してやろうか?」

 我ながらませたガキだったと思う。
 いや、親父を待つ間の暇つぶしに持って来いと思ったのだ。
 怖いもの知らずの年齢。一度こうだと思ったら、そのまま何も考えずに突っ走る年齢。彼女の素性や親のことなど、微塵にも気にしなかった。勿論、己はいつも親父に置いてけぼり。

 海に沈んでいると訊いただけで、浜辺からモーターボートを失敬して、沖に出た。五歳やそこらであったが、乱馬は既に、宇宙船だって操れる能力を持ち合わせていた。それに比べたらモーターボートの操縦など、お茶の子さいさいだった。勿論、免許など持ち合わせていなかったが、そんなものは後から付いてきた。彼の父親も、彼が宇宙船を操縦することを黙認していた。『ワシの子ならそのくらいできて当たり前じゃ。じゃなければ、この宇宙では生き残れんわい!』と笑い飛ばしたほどだ。
 人影も少なく、誰も、子供の彼らが沖合いに出て行くのをとがめだてもしなかった。
 ボートの上で、互いの身の上を話し出す。
 少女は火星から来たと言った。名前はナギ。

 海の真ん中に来ると、彼女が言ったとおり小さな岩場があった。
 良く見ると、洞窟まである。ちょっとした秘密基地のような場所だった。

「ここらで潜って探してやろうか?」
 乱馬はボートを岩場に寄せながら問いかける。
「うん。」
 ナギは微笑んだ。
「私が透視するから、乱馬は潜ってくれる?」
 とはしゃぐ。
「透視?」
 きょとんと言葉を投げつけると、
「私の超力なの。遠く離れた場所でも、物を見つけられる超力。」
「へえ、便利な超力だな。」
 感心してみせる。それが、ミュータント能力だとは露とも知らぬ無邪気さだった。疑う事も深く考える事もせず、乱馬はナギの指示に従って、海底へと潜る。まだ、息もそう長くは続かないから、何度も何度も海面へと上がり、息を吐きながら、再び潜る。そんな行為を何度か繰り返した後、やっと、一つの綺麗な石を海底から採取したのだ。乳白色のただの石だった。
「なあ?これが星石なのか?」
 光も何も放たない石を持ちながら、乱馬が問いかける。
「ええ…。そうよ。これが星石。間違いないわ。」
「へえ…。でも、何でこんなものを欲しがるんだ?」
 乱馬は全くわからないと言わんばかりに、ナギを見詰め返した。
「ふふふ、星石って言えば、女の子は誰だって欲しがるわ。星の光を受けると美しく光るという宝石の原石ですもの。」
「星の光を受けると光るだあ?」
「ええ…。銀河の星の発する微々たる光を察知して光るの。」
「ふーん…。じゃあ、これも夜になると光るのか?」
「ええ、光るわ。」
 ナギはにっこりと笑った。
「変なものを欲しがるんだな…。女って。」
 と乱馬は吐き出した。
「でも、私には実を飾る以外に、別の使い方があるの…。そのために探しに来たのよ。」
「あん?」
 何か特別な事情があるのか、ナギは突然乱馬に語りかけてきた。
「ねえ、乱馬…手を出して。」
 ナギは唐突に言った。
「へ?」
 怪訝な顔をして見返す乱馬に、ナギは更に付け加えるように言った。
「この石に掌をくっつけてみて。」
「こ、こうか?」
 乱馬はひたりと右掌を石にくっ付けた。
「え…?」
 不思議な事に、星石が俄かに光り始めた。最初はぼんやりと、だが、だんだんはっきりと七色の輝きを放ち始める。
「な、何だ?この石。光りだした…。」
 乱馬は思わず声を上げた。
「凄い…。凄いわ乱馬…。やっぱり、あなた、計り知れない光の潜在能力を秘めているのね…。ずっと、探していたの。あなたのような人を。乱馬。」
 とにっこりと微笑む。
「あん?」
 何が言いたかったのか良くわからず、乱馬はナギを振り返った。
「あなたになら、私の中に眠る「超力の鍵」を伝えられるかもしれないわ。」
 と、そんな言葉を言いながら、ナギはにっこりと笑った。
「何だ?それ…。」
 彼女が言った言葉の真意を測りかねて、乱馬は目を見開いて尋ねる。
「私の身体の中には、「光のものが継承する超力の源になる鍵」が眠っているの。それを眠ったまま伝えるのが「私に与えられた使命」なの。」
「一体、何だよ、それ。」
 幼すぎて、ナギが云わんとしていることが全く理解できなかった。いや、理解しようとも思わなかった。
「ねえ、乱馬。「超力の鍵」をあなたに解放するから、全て、受け取ってくれる?」
 と真摯に尋ねた。
「くれるものなら、貰っても良いけど…。」
 短絡的にしか理解できなかった乱馬は、そんな返答を返していた。彼女が言う「超力の鍵」というものが一体何なのか、理解を超えていたからだ。
「本当?良かった…。」
 再びナギが笑った時だった。

 バラバラと天空から音がして、ヘリコプターがこちらへ向かってやって来るのが見えた。真っ直ぐに蒼い空を縦断してやってくる。
 それを見つけた途端、ナギの顔が曇った。

「駄目…。迎えがもう、来てしまった。」
 ナギは、機影を確認すると、そんなことをポツンと言った。明らかに落胆した声だった。
「迎えだって?」
 一緒に空を見上げようとした乱馬。と、その身体をナギは思いっきり岩の裂け目へと押した。
「わあ、何するんだようっ!」
 バランスを失って、乱馬はぽっかりと開いた傍の穴倉へと滑り落ちる。咄嗟に受身の態勢を取ったので、怪我はしなかったが、少しばかり腕や足の皮膚が擦れて血が滲み出す。
「ごめんなさい、乱馬。私、もう行かなきゃならないの…。残念だけど、今、あなたに「鍵」を渡す事は不可能になったわ。でも、いつか、私の中に眠り続ける「鍵」をあなたに必ず渡すわ…。」

「だからって、何で俺をこんな風に…。」

「お願い、今、あなたをあの人たちの前にさらすことはできないの。あなたの存在そのものを知られるわけにはいかないの。……あなたは、地球の未来の希望となるかもしれないから…。」
 ナギはふっと笑うと、抱えていた星石を乱馬に向かって投げ下ろした。
 彼女の手を離れた星石は、乱馬の上へと浮かんだまま止まった。
『お、おいっ!』
 立ち上がろうとした乱馬だが、強大な超力に抑制されて、身体の動きが止まった。いや、そればかりか、声も出せない。動力を奪われた人形のように、岩の裂け目の底で、固まってしまった。




『またいつか、逢いましょう。私が逢えなければ次の世代の私が。約束よ、何十年、何百年かかっても、必ず、鍵を渡すわ。その日まで、私のことを、覚えていて、乱馬…。』


 遠ざかる声。
 ヘリコプターの轟音と共に、消えていく意識。
 それっきりだった。



三、

 その後、玄馬が乱馬を探しに来た。
 迷子札よろしく、乱馬に発信機をつけていたので、探し出すのは簡単だったようだ。

「たく…。どこをほっつき回っていると思えば、こんな砂浜で眠っているとは…。いくら、暖かいリゾート星とはいえ、人工太陽が落ちると冷えて、風邪をひくぞ。」
 呆れ顔で乱馬を迎えに来た。
「砂浜だって?」
 はっとして、周りを見渡して驚いた。確かにナギと沖合いの島に出ていたはずなのに、自分が横たわっているのは「遠浅の人工浜」だった。どのくらい意識を失っていたかはわからないが、持っていた星石も、いつの間にかなくなってしまっている。
「何で?俺は沖合いに居た筈なのに。」
 次の瞬間、だっと駆け出した。そして、砂浜に繋いであったモーターボートへと飛び乗る。

「おいっ!こらっ!乱馬よ、どこへ行く?こんな夜更けになって。」
 玄馬が後ろで呼び止める言葉など聞えなかった。
 そのまま、エンジンをふかして、真っ暗な海へと出る。無謀な行為だったが、そんな事はお構いなしだった。
 何故、自分はナギに放り出されたのか。あの時、彼女は自分に何かしたのか、確かめたかったのだ。
(テレポートさせられたんだ!俺。)
 子供心にも、自分の身の上に起きた事を、分析していた。
 とにかく、人工海のど真ん中の岩場へ戻る。その一心で、ボートを沖合いへ急がせたのだ。
 幸い、ボートにはサーチライトがあった。方位磁石も持っていたので、だいたいの場所へ辿るのは、簡単だった。
 やがて、ボートはあの少女と星石を見つけた岩場へと到達する。乱馬は岩場にボートを停留させると、たっと降り立つ。そして、少女と別れた岩の裂け目を見つけた。
「あ…。」
 覗きこんで驚いた。
 岩の裂け目の下には、大きな水溜りがあった。そして、そこは、昼間とは違い、美しく光り輝いているのが見えたからだ。
「星石の海…。」
 気が付くと玄馬が背後に立っていた。息子の行動が気になり、すぐさま、後を追ってきたようだ。
「親父…。知ってるのか?この石の事。」
 乱馬はせっついた。
「ああ。このエララ星が開発される前から、この星にあった、不思議な石じゃよ。開発中に乱獲され、殆ど彫り尽されてしまったと思っておったが…。」
 玄馬の話に寄ると、星石は銀河の星の光を察知して、独りでに光るという。不思議な石だったので、貴重な宝石の原石として重宝がられているというのだ。
「地球のダイヤモンドに匹敵するくらいに、一部の金持ちたちに重宝がれ、猫も杓子も飛びついて採掘したからのう…。もう、無いと思っておったが…。これは見事な。こんな人知れぬ岩場の下にあったからこそ、残ったんじゃなあ。」
 玄馬は眼鏡の奥の目を細めた。
「おまえ、どうやって星石の群集地を見つけたんだ?」
 じろりと乱馬を見やる。
「いや、昼間ここいらまで漕ぎ出して、遊んでたんだ。この辺り、昔は星石の群生地だったって言うんで、親父を待つ間、探してたんだ。でも、全然見つけられなくって…諦めて浜へ帰ったんだ。ホテルのフロントのババアが星石は夜になると光るから、夜探すもんだって言ってたのを思い出してさあ…。」
 咄嗟に口から出任せを言った。本能的に「ナギ」の事は玄馬には秘密にした。
「ほお…。おまえが星石の事を知っていたとは意外じゃがなあ…。」
 玄馬はちらりと息子の顔色を伺う。「乱馬の嘘」を彼なりに察知したかもしれないが、あえてそれ以上は尋ねてこなかった。
「これだけ、星石があれば、一生遊んで暮らせるなあ…。」
 と嬉しそうに笑う。
 確かに、これだけ星石があれば、かなりの金に換金できるだろう。
「勿体無い気もするが、この星の元々の姿を残す、貴重な群集地だ。これ以上荒らす事もあるまい。ここは、見つけなかった事にするかなあ…。」
 そう言うと、玄馬はくるりと後ろを向いた。
「親父?」
 乱馬は目を見張った。強欲な親父が、金目の星石を採石しようとしなかったのが意外だったのだ。
「これだけの星石があれば、確かに一生遊んでくらせるだろうが、そんな人生は面白みに欠けるわい。おまえの成長もここで止まってしまうからのう…。」
 と、うそぶいた。
「金持ちになる事は性分に合わん!ほれ、帰るぞ。」
 と、きょとんと見詰める乱馬を促した。
「あ、ああ…。そうだな…。」
 乱馬も星石そのものには未練などなかったから、素直にそれに従った。
 美しき原始の姿を残す星石の群生地。
 誰にも見つけられないように、乱馬は覚えたばかりの気弾で、ぽっかりと開いていた空洞を小さくした。彼も、玄馬が言うとおり、このままこの場所を封印してしまうことに了承した。

 やがて、忙殺される特務官の日々は、星石のことも、少女と会ったことも忘れ去らせてしまった。

 それほどに、エージェントの父親と共に、任地を巡りながら太陽系を放浪するのは辛いことの連続だったのだ。その日その日を生き抜く事が、幼き乱馬には大変だったのだ。数々の修羅場を駆け抜けるうち、遠い過去の小さな思い出と化してしまっていたのだ。
 ごく最近、あかねと休暇を過ごそうと、己の中で計画を立てたときも、この星石の郡集地を、思い出したわけでもなかった。特に特別視もしていなかったのだ。ただ、エララ星という有名なリゾート星でゆっくりと休暇を楽しみたいと思っただけだ。
 第一、カビの生えかけた子供の頃の記憶だ。あの当時は、この星が「エララ」という名前だということも意識していなかった。ただ、玄馬との航海記録に「エララ星」という名前があったから、おぼろげに記憶に残っていた、そのくらいの認識だったのだ。
 
 ナミに憑依したナギと接触した途端に、洪水のように古い記憶が溢れ出した。忘却の彼方に入っていた些細な事まで、事細かに思い出される。


「ナギ…。」
 乱馬は正面から少女をとらえた。
「おめえ、「あの時の約束」を果たしに、俺の前に現れたとでも言うのかようっ!」
 厳しい表情を差し向ける。

『ええ、そうよ。星の囁きかけで、あなたが木星星域で活動している事を知ったわ。』
「星の囁きかけだって?」
『電脳世界と繋がっている「霊女」の私にだけ感知できる特殊な超力よ。』
「霊女…。」

 その言葉に、乱馬の眉間が険しくなった。

「霊女だって?…ナギ、てめえはあれから、地球へ行って霊女にされたのか?」

 その問い掛けに、ナギはふっと微笑んだ。

『そうよ、私は霊女。電脳界と人界の闇の狭間で人柱として生きる、霊女。それが、私。』

 ぐんと迫る、ナギの影。
 彼女の背後に、得体の知れない暗黒の闇が広がっているのだろうか。
 その闇が己の身に降りかかろうとしている。そんな戦慄の予感に、乱馬の瞳は一層、暗い漆黒の輝きを増していった。



つづく




 だんだんに重くなる話。
 いずれ物語の根幹部に深く関わる話ですので、もう暫く我慢して、辛気臭い話にお付き合いくださいませ。

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