◇天使の休日

第一話 正しい休日の過ごし方


「ねえ、乱馬。必ずここへもう一度来て。
 私もあなたに会いに来るわ。
 時を越え、星を越えて、また、ここで、会いましょう。
 約束よ。乱馬。」

 幼い女の子の声が脳裏に響く。
「うん…。」
 その呼び声にふと目覚める。
 カタカタと小さな操舵音が、耳に響いてくるだけだった。
 傍に感じる暖かな肌。
 それを確認すると、ふっと微笑みかける。
 
 


第一話 正しい休暇の過ごし方


一、


 誰かが、ふっと頬に触れた。
 どこか遠くでエンジンの操舵音がきこえる。暗い宇宙を真っ直ぐに飛んでいる、そんな感覚が全身を覆う。
 ライトは落とされているのだろう。眩くはない。
 自分の吐息とは違う動きの、心音が、微かだが、すぐ傍から聞こえてくる。温かい人肌の温もりと柔らかい吐息。すっぽりと包まれて、心地良い。

「うん…。」
 誰かが触れた感触で、目が覚めた。寝返りをうとうとしたが、身体が動かなかった。
「よっ!やっと目覚めたか?」
 そいつは、そう問いかけると、すぐ傍でにっと笑った。

「ら…。乱馬?」
 寝ぼけた眼が、彼を捉える。だんだんに、大きく見開かれていく、丸い瞳。
 それ一杯に、目に入ったのは、悪戯な瞳の輝き。
 ぐいっと抱き寄せられて、息が詰まった。
 いや、柔らかな濡れた唇が、自分の口を塞いだのだ。

「ん…。」
 いきなりのキス攻撃。

 そのまま窒息してしまうのではないかと、思ったほどだ。

 心音が一気に跳ね上がったとき、ようやく、塞いでいた唇が遠のいた。
 少し荒い息を吐きつけながら、キッと正面を見向く。
 まだ、物足りないのか、そいつは、腹上からじっと乞うような瞳を手向けてくる。

「ちょっと、乱馬…。いきなり何よ…。」
 ドキドキしながら見上げる瞳。頬に、彼の指先がすっと触れた。

「おはようのキス…。」
 そう言って、悪戯な瞳が降りてくる。
「お、おはようって…な、何なのよ。」
 完全にペースを乱馬に握られて、焦るあかね。
「だって、やっと、俺の眠り姫が目覚めたんだぜ?キスくらい、してやりてえじゃん。」
 と、くすっと笑う。
「だから…。何でおはようのキスなの…。」
 彼を押し退けようとして、はっとした。

「ちょ、ちょっと…。ここ何処よ。」
 驚いた瞳が、周りを巡る。

「何処って、決まってらあ、宇宙船。」
 目の前の乱馬は、あかねをからかうのが楽しいのか、くくっと笑う。
「宇宙船って…。ダークホース号じゃないわよ。ここっ!」
 がばっと起き上がったあかね。辺りを見回して、更に驚いた表情を見せる。てっきり、ダークホース号の中だと思っていたのに、違っていたからだ。
 しかし、ここも見覚えのある宇宙船の中だということに気がついた。
「ちょっと、ここ、ミルキーホース号じゃないのっ!」
 と吐きつける。

 ミルキーホース号。
 それは、あかね名義の宇宙艇だ。ダークホース号とは比べ物にならないほど、小型の宇宙艇。

「ねえ、あたしって、アンナケからの帰り、ダークホース号の中で眠ってたんじゃないの?何で、ミルキーホース号の中に居るのよっ!」
 まだ、腑に落ちないらしく、あかねは、問い質す。
 真っ直ぐ見詰めてくる乱馬を、渾身で払い除けようと足掻きながら、答えを求めた。
「ああ、アンナケからずっと、今まで眠ってたんだからな…。おめえは。」
 そう言って、笑う。
「ずっとって…。」
「一端、宇宙ステーション基地へ帰ったんだぜ…。気がつかなかったっ?」
「し、知らないわよっ!そんなことっ!」
「ま、カプセルの中でずっとコールド睡眠に入ってたからな…。おめえは。」
 そう言いながら、ぐいっと手を伸ばして、あかねの身体を捕まえた。
「きゃっ!」
 小さな悲鳴を上げ、そのまま、乱馬の胸の中へと倒れこむ。そのまま、分厚い胸板に顔を押し付けられた。抵抗を試みようとしたが、所詮、男の彼の力には敵わない。
「あー、やっぱ、男のまんまで居る、あかねの傍が一番だっ!」
 そう言いながら、ぎゅっと抱きしめてくる腕。
「もおっ!いきなり何なのよっ!」
 胸に沈められながら、目を丸くする。
「欲求不満溜まってるの?乱馬ったらあっ!」
 ジタバタしながら、抱き込まれる。
「ああ、溜まってる。ずっとアンナケでの任務中、「女」のまんま、おめえを見てたからな。もう、バリバリに溜まりまくってる。」
 これ見よがしに、巻き付く逞しい腕。
「放しなさいよっ!もうっ!」
「ダーメっ。放してやんねえよっ!この宇宙艇には俺たちしかいねえし、楽しい休暇は始まったばかりなんだから。」

「休暇?」
 へっと見上げるあかねに、こくんと揺れる頭。
「言ったろ?任務が終わったら一緒に休暇取るって。」
「そんなこと言ってたっけ…。」
「忘れたか?なら、思い出させてやろうか?」

「ん、もうっ!乱馬の馬鹿っ!」
 あかねの抵抗の声も、乱馬の強引なキスにかき消されていった。









 火星と木星の間に広がる小惑星群の中を遊泳しながら、浮かぶ、一つの宇宙ステーション。それが、乱馬たちの根城であった。
 目立たないように、小惑星の多くと同じ「灰色」に塗られ、小惑星の一片にしか見えない。だが、一度中に入れば、最新鋭の機材で包まれた「イーストエデン」の要塞であった。
 その中で生活する者、五十名ほど。
 隊長の天道早雲と、その娘たち三人。パイロットの早乙女乱馬、そして医療技師の小乃東風。六名のエージェントの他、四十名ほどは、宇宙艇の整備技師やエンジニアである。

「ねえ、本当に、休暇なんか取るの?」
 アンナケから帰り着くや否や、なびきが乱馬に念を押して尋ねた。
「ああ、だから、言ったろ?連邦宇宙局の休暇管理部へ申請して許可が降りた、ってよ。」
 乱馬は、ダークホース号の主要装置を点検しながら、面倒臭そうに答える。
「で、本当に半月も休んじゃうわけ?」
「おう!特別休暇申請だ。これでも足りねえくらいなんだからよっ!」
 懐中電灯を照らしつけて、器具を丹念に見ながら乱馬が答えた。
「そんなに休暇貰ったところで、ごろ寝するくらいが関の山なんじゃないの?あんたも、あかねもさあ…。」
 一通り、目視で点検を終えると、乱馬は、そのままなびきに吐き付けた。
「誰が、このステーション内で休暇過ごすなんって、言ったよ。」

「え?」
 その言葉に、軽く言葉を返す。

「だから、何が楽しくて、職場直結の場所で、てめえらの顔を見ながら休暇を過ごすって言ったよってんだ。」
 フンっと鼻先で笑い飛ばす。

「って、もしかして…。どっか行くの?」
 なびきは、怪訝な顔を向けてきた。

「あったりめえだっ!久々の長期休暇なんだ。ずっと、ステーションでごろ寝なんて、勿体無くってできるかってんだっ!休暇旅行に行かせて貰います!」
 ふんぞりかえりながら、乱馬が言った。

「ちょっと!もし、非番の間に大事件が起こったらどうするつもりなのよ!」
 なびきが驚いて言葉を巡らせた。
「別に…。決まった休暇の間は、任務なんて、関係ねえもん!」
 ふんとばかりに冷たく答え返してくる。
「あんたねっ!一応はトップクラスのエージェント任務でしょうがっ!」
「エージェントっつーても、生身の人間。それに、軍規にだって、休暇のこと、書いてあるだろ?」
「あのね。軍規は臨機応変なの!急場の事態が起これば、それなりに…。」
「対応しろってね…。わかってますよ、そんくらいは。」
「だったら、何で休暇旅行なんか…。」
「行ってる暇はねえってか…。お生憎様。もう、かれこれ、半年前から計画して、宿も手配してんだ、俺。」
 と、悪魔の微笑み。
「連邦宇宙局の休暇管理部お墨付きでお休み出来るの!わかる?なびき姉ちゃん。」

「なっ!…知らなかったわ。そんなに前から願い出てたなんて…。」
「そりゃそうさ。言ったら、おめえ、妨害に入っただろ?」
 くるんと向き直って勝ち誇った微笑みを手向ける乱馬。

「ってことで、急に言い出したことでもなければ、前から願い出て許可は出てるし…。もう、予約も入れちまってっからよ。明日から、休暇旅行に出るからな。俺とあかねは。」

 なびきは、はああっと溜息を吐き出した。

「で、何処へ行くの?」
「内緒だよ。」
「内緒って、休暇中でもエージェントは…。」
「己の居所をはっきりさせておけって言うんだろ?ちゃんと、申請書に書いて、休暇管理部へ送ってます。必要があれば、そっちへアクセスして聴いてくれっと…。」
「もう、身内のあたしにまで秘密にしたいわけ?」

「あったりめえだっ!邪魔されたくねーもんな。せっかく、あかねと初めて休暇旅行できんだし…。それも、十日間も。」
 にっと笑う乱馬。
「もう、夫婦水入らずの旅行みたいに、鼻の下伸ばしちゃって…。」
「新婚旅行に匹敵するかもな…。へへ。」
「婚前旅行じゃない!あんたたちの場合。」
「何とでも言えっ!とにかく、よっぽどの事がなかったら、連絡もしてくんなよ!任務なんか忘れて楽しむんだからよっ!」

「わかったわよ!あたしの負けね、勝手になさいっ!」

 そう言い切ったところで、ブンッとモニターが立ち上がって、通信が入った。

『なびきさん。情報交換室に地球連邦から呼び出しが入ってますよ。至急、戻って受信してください…。』
 交換手の女性が、呼び出しにかかる。

「わかった、すぐ行くわよっ!切らないで待ってて頂戴っ!」
 そういうと、なびきはどすどすとダークホース号を後にした。
 その背中に、思いっきり「あかんべえ」を投げかける乱馬。
「今回の、休暇は気合入ってるんだ。絶対、邪魔立てはさせねえかんなっ!」
 と、憎まれ口を叩く。



二、

 アンナケでの任務は、思った以上に疲れた。
 「ダークエンジェル」の忌まわしい超力の発動元となった、「時の女神」と再会し、彼女から新たな「事実」を告げられた。
 光と闇の後継者としての己とあかねの姿だ。
 何だか、大事変が起こりそうな気配を含んでいる。とんでもない運命を、担わされてしまったようだ。
 しかも、暗示されたそれが、何の意味を持つのか、そこまでは明かされず、半ば、中途半端に星の海へと投げ出された格好になってしまった。ただ、わかることは、あかねをゼナの魔手から守らなければならないという事だけ。それ以外は、一切が不詳なのだ。
 
「ま、くさくさ考えてても、わかんねえもんはわかんねーし…。それより、明日からの休暇だな。」

 さすがに、一級のエージェントらしく、見事に気分転換のスイッチを入れられる乱馬である。
 ストレスの過多は、エージェントに禁物だ。自己コントロールの一環として、出切るだけ、訳の分からない物事は探求しないように、気持ちを切り替えて、精神を制御できるのである。

「報告書を適当に書いて、それから、旅行の準備だな。今回は任務じゃねえし…、あかねの「ミルキーホース号」で行くかな。」

 それはそれで、ご機嫌な乱馬であった。

 ダークホース号の点検を一通り終えると、今度は、直ぐ横の格納庫へ行って、あかねの小型宇宙艇「ミルキーホース号」へと足を踏み入れた。
 ダークホース号と違って、かなり小型の宇宙艇だ。
 昨今では、自家用型の宇宙艇も、ほいほいと宇宙(そら)を飛んでいる。その一台といったような外見だ。だが、小型とはいえ、エージェントが搭乗するので、それなりの装備は備えている。
 短期旅行に出るには、うってつけの小型艇だった。
 乱馬はつなぎの服に着替えると、ホイホイと点検を開始する。
 パイロットとして優秀な彼は、同時に、整備士としての腕も超級である。宇宙艇の故障は生死にも繋がるから、それなりに真剣に整備する。
 ハードな任務の後で、かなり疲れているはずだが、それでも、明日からの休暇の事を思えば、そんなもの、微塵も感じないのである。

「熱心だね。」
 ひょいっと上から、一人の青年が話しかけてきた。

「あ、東風先生。」
 乱馬が油にまみれた顔を覗き返す。

「医療チェック、まだだろう?」
 そう言いながら早雲が笑ってる。
「ここが終われば、ちゃんと行きますよ。」
 乱馬はスパナーを手に、熱心に手を動かしながら受け答える。
「ま、強靭な身体の持ち主の君の事だから、特に、健康面でも問題はないんだろうけど…。」
 東風は苦笑している。
「あかねの奴、どうでした?」
 と、返す言葉で尋ねてみた。
「まあ、故障箇所は認められなかったけど…。かなりストレスは溜まってるみたいだね。」
 東風は少し顔をしかめた。その表情から、かなりなストレス過多に襲われていることは容易に判断できた。
「やっぱりね…。アンナケの任務は、あいつには相当きつかったんだな。精神的に相当ダメージ与えてたか…。」
 つい、あかねのことになると、手が止まる。
「また、超力(ちから)を使って、闇を浄化したのかい?」
 端的に、東風は訊いてきた。
 正直に答えるか否か、どうしようかと一瞬戸惑ったが、医者の彼の目は誤魔化せない。そう思って、乱馬は、肯定した。
「ええ…。超力を解放させました。」
 と小さく答える。
「また、怒級の闇だったみたいだね。」
「まあ、そういうことになるかもしれませんね。」

 暗にアンナ・バレルのことを意味しているのだろう。だが、アンナ・バレルが精神憑依して生きていた事を説明するとなると、ややこしい事がだらけだ。それに、アンナケの「時の女神」とのやり取りに関しては、今回は、身内といえども、打ち明けたくない。そう思った乱馬は、咄嗟に歪曲した事を話した。

「ユルリナ・メイズっていう、探索責任者の女性博士がゼナの手先だったんすよ。…そいつが、マスタークラスだったもんで、その闇に、恐らく、あかねは、まだ、苛まれてるんでしょう。」
 と。
 報告書にも、そう書き込むつもりだった。
 秘密を保守するためには、真正直にアンナ・バレルが生きていたとは言えまい。乱馬は咄嗟に判断していた。

「なるほどね…。マスタークラスの闇と遭遇したのか…。」

「で、東風先生、わざわざここまで何で?」

「あ、いや…。君たち、明日から休暇に入るんだって?」
 眼鏡を拭きながら、東風は訊いてきた。
「あ、はい。たまには、休暇でも取って、思いっきり任務なんか忘れて、ゆっくり休養したくって…。」
 なびきが、もう話したのだろう。ポリポリと頭を掻いた。
「ま、それが一番良いね…。ゆっくり、休暇を取れば、あかねちゃんもすぐに回復するだろうし…。」
「ミルキーホース号(こいつ)で旅行へ行くんですけど…。今のあかねに負担じゃないっすよね?東風先生…。」
 乱馬は、それが一番心配だった。あかねの身体に支障をきたすようなストレスであれば、旅行はフイになる。
「ま、強行スケジュールな観光旅行じゃなかったら、大丈夫だと僕は思うんだけど…。」

「それは大丈夫です。行き先はリゾート地ですから…。」
 にこっと乱馬は答えた。

「リゾート地ねえ…。」
「ええ、同じロッジに泊まって、ずっと十日間、ぼけっとしてきます。」
「ぼけっとするなら、わざわざお金使って他所に出かけなくっても、ここでもいいじゃん…って、誰かさん辺りなら言いそうだけど…。」
「じ、冗談じゃないっすよ!ここだと、色んな目を気にしなきゃならねえし。任務が入れば、楽しい休暇もパアっすからね。」
「なるほど、君は君で、気を遣ってるって訳か。」
「遣いたくもなりますよ。何しろ、ステーション(ここ)じゃあ、俺「入り婿」みてえな感じになってますから。」
 そう言いながら、乱馬は笑った。

「で、そのリゾート地ってのは…。温泉地かどこかかな?」
「いえ、もうちょい刺激的かもしれねーっすね。温泉で湯治(とうじ)なんてーのは、まだ若い俺たちには年寄り臭いでしょ?」
「っとことは、海や山のリゾート地か…。」
「ま、そんなところです。前からあかねと一緒に行きてえと思ってたんで、この際、一発奮起して…ってところです。」
「なるほどねえ…。」
「だって、俺、この仕事に就いてからこの方、あんまり休暇らしい休暇なんか貰ったことねえし、若いうちに、どっか、仕事関係なしで行きてえなってね…。東風先生は、若い頃、そんなこと考えた事ありません?」
「若いって、今でも充分、僕は若いって思ってるけどね…。」
 苦笑いしながら東風が答えた。
「でも、あかねちゃんの体調のことを考えたら「湯治リゾート」が最高だと思うんだけど…。」
「そっかもしれねえけど、もう、決めて予約も入れてありますし…。湯治には、もうちょっと年食ってから行きますよ。東風先生。」
 乱馬はそう言って笑った。

「んじゃ、これ、持って行きなさい。」
 東風は、ごそっと後ろ手に持っていた箱を乱馬に差し出した。赤十字が眩い、白い薬箱だ。
「これ…。」
 両手で受け取りながら、乱馬は東風を見返した。
「ま、常備薬って言うのかな。疲れが取れないと、大変なこともあるかもしれないから。」
「大変なことねえ…。」
「あは、あはは。リゾートに慣れてないと、若くても疲れる事があるんだよ。」
 と、意味深な言葉を口走る。
「栄養タップリのサプリメントを配合して入れてあるから…。ま、なんかの足しにはなるんじゃないかな…。あと、栄養ドリンクや宇宙滋養食も積んでおきたまえ。あとで、まわしておいてあげるから。」

「ど、どうも、ありがとうございます。」
 ペコンと頭を下げた乱馬に、
「じゃ、まあ、楽しめるかどうかは別として、元気で行っておいで。」
 東風は、それだけを言い含めると、すっと去って行った。

「何なんだ?わざわざ、東風先生…。」
 少し怪訝な顔をして、彼の白衣姿を見送りながら、乱馬は、薬箱を脇に置くと、また点検作業を始めた。

 一通り、点検作業が終わり、医療区で、健康チェックを受けると、すいっとあかねの眠っている、医療区の病室へと足を踏み入れた。
 眠り姫は、ずっと、カプセルに横たわったまま、夢を見続けている。
 カプセルはダークホース号から、そのまま降ろして、ここまで運んだ。
 アンナケの出来事は、衝撃過ぎただろう。
 いや、あかねには事の仔細が飲み込めてはいないだろうが、それでも、闇と対峙した。その上、過去の亡霊とも対峙した。己の予想を遥かに超えて、アンナケの闇が、か細いあかねの神経を痛め続けている結果かもしれない。

「このまま、出発まで、寝かせてやっとくのが上策だろうな。こいつが目覚めたら、また、なびきやおじさん辺りが、休暇変更しろとかうるさくこいつに迫るかもしれねえし…。ま、宇宙船の中でお目覚めってのが、一番理想かもな。」
 乱馬はすっとカプセルを閉じた。
 低温に設定してある装置。軽い冬眠状態にし、細胞の活性化を止めて休養を与える。そんなシステムである。
 下手に起すよりも、このまま、眠らせておく方が良いと判断したのだ。

「さてと…。出発まであんまり時間もねえからな…。せっかく行くんだから、目一杯楽しまねえと…。準備、準備っと。」

 乱馬は自分の居住区に帰ると、いそいそと荷物を作り始める。あかねの分と二人分だ。あかねの部屋に入ると、彼女の持ち物から、必要な物をチョイスしていく。勿論、下着から化粧道具まで。
「はは…。勝手に荷造りしたって知れたら、後で大目玉食らいそうだな…。」
 そんなことを思いながら、休暇に思いを馳せる。



三、

 出発前、乱馬は早雲に呼ばれた。

 昨夜、殆ど寝ずに、大急ぎで作成した、アンナケの報告書。提出したての、それへ目を通しながら、早雲は言った。

「本日から、休暇を取るということだそうだが…。」

 そら来た!
 そう思ったが、おくびにも出さない。

「ええ、久々に、任務から離れて、リフレッシュしてこようかと思って…。」
「あかねも同行かね?」
 わかりきっていることだが、敢えて訊いて来る。
「はい、いけませんか?」
 乱馬は真っ直ぐに問いかける。
「あ、いや…。あかねと一緒でも、別に、文句はないよ。私は…。」
 コホンと咳払いを一発。
 あかねと一緒に休暇を取って、旅行へ出るという意味は、勿論、早雲にもわかっている。結婚もしていないのに不謹慎と言うのが、娘の父親の世の常であろうが、乱馬とあかねは「許婚」。それも、事実上、「夫婦」に近い。
 彼らが仲良くすることは、早雲にとっては、願ってもない事である。
 まだ、正式に結婚許可は下りてはいないが、いずれは、夫婦として、きちんとした契約を交わすに相違ない存在である。
 だから、それについて咎めるつもぢはないだろう。

「それより…。リゾート任務ってのが、イーストエデンの本部から入ってきたんだが…。」
 言い辛そうに早雲が切り出す。
「あの…。お言葉ですけど、俺の休暇許可願いは、既に連邦宇宙局の休暇管理部に受理されてるんですけど。」
 と、少し憮然と言葉を投げる。
「ああ、それも承知の上なのだが…。」
 早雲は、脇に目を移した。
 そこにはなびきが憮然とした表情で立っていた。
「なびき…。」
 はたっと視線が合って、乱馬はぐっと彼女を睨みつける。

(あくまで、俺の休暇を潰したいってか?てめえは。)
 そんな言葉を視線で投げかける。

「あら、休暇はそのまま取っててくれて良いのよ…。ただ、ちょっと、休暇先で特別任務に当たって欲しいだけなんだから。これだと、公費でリゾート地へいけるわよ。リゾートついで仕事なんだから、悪い話じゃないと思うわ。お小遣いだって支給して貰えるし。」
 そんな言葉を、いけしゃあしゃあと言う。

「ってことは、行き先を変更しろってことか?おいっ!」
 乱馬は、はっしとなびきを見返した。

「まあ、そういうことになるわね。…行き先は温泉地。木星星域でも有名な湯治スポットよ。衛星カルメ。どう?」
 とにんまり笑う。
 カルメ星は木星の衛星の一つだ。木星の衛星はたくさんあるが、その中でも、小さな衛星は、観光開発されて、それぞれ、様々なリゾート地になって浮かんでいた。
 先頃、砕け散ったアンナケ星も、元はそんなリゾート星として開発されたものの一つだというわけだ。
 カルメ星は活発な地殻活動で温泉が湧き出し、それを観光源に開発が進んだ小さな星だ。質の良い源泉を求めて、各星域から湯治客が集ってくる。

(ははあ…昨日の東風先生、そのことを暗に、俺に言いに来たのか。)
 昨日のやりとりを思い出して、何となく、納得した。
 何の脈絡もなく、突然、帰還した乱馬を東風の方から尋ねてくることは、まずない。そう思ったからだ。

「嫌だね。今更行き先変更なんてできねえよ。」
 と乱馬は憮然と答えた。

「これだけ頼み込んでも駄目かしら?」
「ああ、聞く耳持たねえ。」
 なびきの問い掛けに、乱馬ははっきりと言ってのけた。
「エララなら、また別の機会に行けると思うけど…。」

 ちっ!と乱馬は舌打ちした。
 いつの間に、連邦宇宙局の休暇管理部へ問い合わせたのか、ちゃんと、乱馬の行き先をしっかりと押さえている。

「俺は、予定通り、エララで休暇を過ごす。」
「どうあっても?」
「ああ、悪いが、カルメは、別のエージェントクルーに頼むか、てめえで行ってくれっ!」
 と乱馬は吐き付けた。

「だってさ…。聞いた通りよ、お父さん。乱馬君がここまで言って断るなら、仕方がないんじゃないの?」
 と早雲を振り返った。
「じゃあ、エララに行くんだね?」
 念を押すように早雲が言った。
「はい…。帰還は十日後です。」
「わかった…。連邦宇宙局の休暇管理部が許可しているし、君が望むんなら…。」

「ってことだ、なびき。」
 勝った、と乱馬は思った。

「はいはい、せいぜい、気をつけて二人で楽しんでらっしゃいな。…お土産、忘れないでね。」
「ああ…。たっくさん買ってくらあっ!」
 にっと白い歯がこぼれる。

 それから、あかねの眠るカプセルを、ミルキーホース号に乗せると、意気揚々と、エララ星へと旅立って行った。



「はあ…。しっかし…。おまえは、とんでもない策士だな。」
 ミルキーホース号の白い船影が、星影に消えていくのを見送りながら、早雲が溜息を吐き出した。
「本当だ…。なびきちゃんだけは、敵に回したくない気分だよ。」
 ひょいっと東風も顔を出す。
「あら、そんなことはないわよ。」
 なびきは、にっと笑ってそれに答えた。
「元々、乱馬君が休暇願いだして、予約していたリゾート星に、任務があるなんていうのは、偶然の賜物なんだし。あたしが設定したわけでも、何でもないわ。それに、指令が来たのも、昨日だったんだし…。」
 と済ました顔で答えた。
「しっかし、彼が、エララに予約を入れていた事を調べ上げて…。」
 早雲の言葉を途中で区切って、なびきは続ける。
「まーね。でも、たまたま、任務の起こった星に予約入れてた乱馬君の運が悪いのよ。それに、あたしは、「エララ辞めて、カルメへ行ったら?」って進言してあげたのよ。それを断ってエララに固執したのも彼なんだし…。」
 と、にっと笑う。

 その返事の仕方に、早雲ははああっと大きな溜息を吐き出した。

「進言だって?ありゃ、予定通りエララへ行くように仕向けたようにしか、ワシには思えなかったんだけど…。」
「僕もですよ…。なびき君。ああいう、言い方をされれば、誰だって行き先を変更しないよ。ねえ、隊長…。」
 こくんと揺れる、早雲と東風の頭。

「ま、最終的には、乱馬君、自らの意志でエララへ飛び立ったってことで良いんじゃないの?」

「後で、知ったら…乱馬君…。」
「可愛そうに…。」
 早雲と東風が顔を見合わせて、溜息を吐く。

「ふっ!世の中はそんなに甘くはないってことよ。彼もエージェントになったときに、その辺りは腹もくくれてるでしょう。ま、無事に帰還することを願っておけば良いんじゃないの?」

「で…。つかぬ事を伺うが…。さっき、予約入れたカルメ星へは誰が…。」

「あら、あたしとかすみお姉ちゃんに決まってるじゃない。エース二人がエララに飛んでくれたんだし、当分、任務も来ないでしょうから、今のうち、羽伸ばしてくるわ。あたしやお姉ちゃんだって、休暇を貰う権利もあるわけで…。さっき、連邦宇宙局の休暇管理部へ休暇申請したら、通ったもの。」

「な…。」
 開いた口が塞がらないとは、この事を言うのだろう。

「じゃ、お父さん、東風先生。お留守番、ヨロシク。」
 そう言うと、なびきは、さっさと司令官室を後にした。







 乱馬とあかねを乗せた、小型宇宙艇「ミルキーホース号」は、真っ直ぐに「エララ」へと進路を向ける。
 休暇が惜しいから、勿論、光速トンネルを使った、フルスピードの高速飛行だ。
 この分だと、一日もあれば、エララへ到着するだろう。






「ん…。」
 押し付けられていた、乱馬の唇が、ふっとあかねから離れた。
 もっと執拗に、キスをねだってくるのかと、身構えていたあかねは、彼の抱擁が、急に緩くなったのを不思議に思った。

「乱馬?」
 思わず声をかける。

 と、離れた唇から、規則的な吐息が漏れ聞こえ始めた。
 スースーと気持ちの良さそうな吐息だ。

「乱馬?」
 恐る恐る、顔を見上げてみると、目を閉じたままの乱馬がそこに居た。
 どうやら、疲れ切っているようだ。
 あかねは知らないが、アンナケから帰還して、ミルキーホース号の整備やら、旅行の準備やら、報告書の作成やらで、徹夜していた乱馬だ。さすがに「眠気」には勝てなかったらしい。
 あかねにキスしたまま、眠りに落ちてしまったという訳だ。

「もう…。」
 ふうっと溜息があかねから漏れた。彼女は、アンナケからこちら、ずっとコールドスリープに入っていたので、起されてしまえば、眠気はない。
 それに、乱馬が、こうあっさりと眠ってしまうとは思ってなど居ない。
 てっきり、甘く情熱的な口付けを何度も交わされ、そのまま、ベッドシーンへともつれ込まれることを予想していたのだが…。
 大きな見当違いだった。
 キスをねだってきた、大きな子供は、そのまま、眠りに落ちてしまった。
 それも、満足げに「微笑み」まで浮かべている。
 力はすっかり緩んではいたが、それでも、あかねの身体から手を放そうとは思わないらしい。
 柔らかくあかねを包み込むように抱き、そのまま眠を貪っている。彼の捕縛から抜け出ることは容易ではなさそうだ。

「はあ…。イーストエデン、一、二位を争う優秀な若手エージェントも、眠ってしまえば、ただの青年よね…。」
 くすっとあかねは笑った。
 乱馬が、ここまで無垢な笑顔で眠る顔を、あかねに晒すなど、珍しい事に違いなかった。愛し合った後も、共に心地良い眠りに落ちるので、彼が眠る顔は殆ど見られない。決まって、翌日、目覚めると、彼が微笑みながら、自分の寝顔を見つめて起きるのを待っている。
 別の部屋で眠っていても、大概、彼の方が先に起きて来て、己の傍で寝顔を鑑賞している。あかねが叩き起こす方が、実は珍しいのである。

 昔、乱馬とあかねの祖先、ジャパニーズたちは「婦女子は寝顔を夫に見られるな」と、言われていたらしいが、とんでもない。この青年は、先に起き出して、彼女の無垢な寝顔を鑑賞するのが、とっても好きらしいのだ。
 その視線を感じて、あかねが目を覚ますと決まって「キス」を求めてくる。
 特に闇に苛まれた後は、必ず、傍でじっと見守るように見詰める顔に最初に出会う。まるで、ずっと傍に居たよ、と告げんばかりにだ。
 その視線に出会うと、愛されているのだと思う。

「たまには、こうやって、乱馬の寝顔を眺めるのも良いわよね…。」

 そう思いながら、寝入ってしまった乱馬の顔を見詰めていた。だが、あかねも、まだ完全に疲れが取れたわけでもないようだ。
 ふわあっと欠伸がこぼれる。
 乱馬の身体から伝わってくる、心地良い鼓動と、柔らかで温かい彼の身体に、また、引き込まれて行く、睡魔。


 やっぱり、彼の腕の中が、一番落ち着ける場所だ。


 二人の鼓動が、重なり合って、宇宙の光と同化する、そんな感じを抱きながら、目を閉じる。
 淡い、休暇への期待を、心に描き、ミルキーホース号は、宇宙(そら)を飛ぶ。その、先に、木星の大きな影。その前方に、目的地、エララ星が瞬いて見えた。
 とんでもない休暇の始まりは、とても「平和」そのものだった。





『ねえ、乱馬。必ずここへもう一度来て。
 私もあなたに会いに来るわ。
 時を越え、星を越えて、また、ここで、会いましょう。
 約束よ。乱馬。』

 幼い女の子の声が、眠りに落ちた乱馬の脳裏に響いた。

 ああ。俺はそこへ行く。おまえに会いに。
 約束どおりに。

 混濁した、深い意識の底で、乱馬はその問い掛けに答えていた。夢の先では、見知らぬ少女がふっとその答えに、微笑みかけてくれた。



つづく




 すいません…。
 本作の乱馬は、とっても本能的で助平です。その結果、いきなり、あかねちゃんを襲って唇を奪っています。
 最初っから飛ばして、どうするんでしょうね…この男は。
 R指定ではないので、これ以上突っ込めないのがとっても残念ではありますが(こらこら)、また楽しんで書かせてもらいます。
 しかし…。なびき姉って、本当に怖いです。
 さて、二人の前途には、どんな「厄介ごと」が待ち受けているのでしょうか?

 また、濃いキャラが続々と出て来る予定の、濃厚リゾート星編。とくとお楽しみあれ。


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