◇闇の狩人 再臨編


第四話  禁断の休息



一、

 ぐんぐんとエレベーターは上に向かって上昇し始める。
 玄馬は押し黙ったまま、あかねを見た。

「やはり、何かを感じたのかね?あかね君は…。」
 小さな声であかねを見下ろした。
「やはりって?」
 あかねが不思議そうに玄馬を見た。
「動物は、人間のより分けられぬ、音や電波、磁気を読み取れる能力があるからのう…。」
 玄馬は意味深に腕組みしながら答えた。
「ってことは…。てめえも感じた、っつーのかよ?親父。」
 乱馬は玄馬を流し見た。
 コクンと揺れる玄馬の頭。
「乱子ちゃんのお父さんって、そんな微妙なものを感じる能力を持ってるの?」
 思わずあかねが訊いていた。
「ああ…。こいつも呪泉の呪い水に浸ってるからな…。」
 乱馬がにっと笑って言った。
「いかにも…。ワシは動物変化する超力を所持しておるからな…。」
「で、親父も何か感じたのか?」
 乱馬は真顔になって玄馬を見上げた。
「ああ…。あかね君と同じものを感じたかどうかはわからぬがな…。何か陰気な気配を電極の向こう側に感じた。」
「陰気な気配?」
「ああ、そうだ。言葉では表現できぬが、何か邪悪な物の気配とでも言うのかのう…。」
「邪悪な物の気配…。あたしが感じたものと、同じものかもしれないわ…。」
 あかねも真顔になっていた。
「ふーん…。動物変化する親父はともかく、あかねが感じたのなら…。」

「ま、転送装置が回復すれば、自ずとわかるだろうさ。藪から蛇が出るか、宝が出るか…。たく、あのウエストの連中ときたら、そんなことはお構い無しで、転送装置を復旧させよってからに…。」
「って、転送装置を利用したらと最初に言ったのは親父じゃなかったっけか?ええ。」
 乱馬がぐぐっと詰め寄った。
 そこで扉がガタンと開いた。
 エントランスフロアに辿り着いたのだ。

「さて…。宇宙船へと戻るかのう…。」
 目の前に広がる、宇宙ステーション。真っ直ぐにワンダーホース号の方へと歩き出す。
「こら、誤魔化すな、親父っ!!」
 もうすっかり高く上った人工太陽の光が燦々と照らしつけてくる。
 玄馬はワンダーホース号へと、電動廊下を渡って行った。

 ワンダーホース号の扉が、玄馬の右腕のリモコン装置に反応してすうっと開いた。見たところ、「ダークホース号」と似ているところがある。
 船体の色や細部は違うが、同じような形をしているのだ。
 あかねもこの指令に赴いて、初めて遭遇したワンダーホース号であるが、どことなく懐かしさに囚われるのは、形が似た船だからかもしれなかった。
 入口も似たようなところに設置されていた。後方部分の下方部。まあ、何処の船も、入口は船倉に近い下方の後方部分にあるのであるが。

「あかね君はここで待っていてくれたまえ…。ほら、馬鹿息子、行くぞっ!!」
 ワンダーホース号の前に止まると、玄馬は入口の中へ滑り込むと、あかねにそう言って退避を命じた。
「え…。でも、あたしも…。」
 あかねは玄馬の言葉に、己も付き合うと言おうとしたが、それを横から乱馬が制した。
「やめとけ。無駄な体力を使うことはねえ。」
 小難しい顔が目の前で揺れた。
「無駄な体力?」
 乱馬が何を言わんとしたのか、度し難く、あかねはきびすを返していた。すると、玄馬が横から笑いながら言った。
「あ、いや、ここから先の格納庫は我々親子しか足を踏み入れぬようにセッティングされておるんでな…。」
「そういうことだ。こっから先は、俺たちの砦みてえなところだからな。トラップなんかも目いっぱい仕掛けてあるんだ。」
 乱馬が顔を巡らせた。
「トラップですって?」
 驚くあかねに乱馬は付け加えた。
「当然だろ?そうやって生き抜いて来たんだ…。俺も親父も。」
「ま、そう言うわけだ。我々は昔から、機密機械類や書類なんかを極秘に運ぶ任務が多かったのでな。船倉部の重要倉庫の周りにはトラップを至る所に仕込んであるというわけなんじゃよ。」
 玄馬はさらっと言って退けた。
「いちいち解除するのも面倒だってのもあるんだがな…。親父(こいつ)が解除方法を忘れたってのも影響していてよ…。たく、このタコは肝心な部分が髪の毛と同じように抜け落ちてやがんだ。」
 乱馬が親指をぐいっと玄馬に手向けながら言った。
「髪の毛のことは余計じゃわいっ!!」
 玄馬は少し気分を害したのか、乱馬を睨みつけながら言った。

 現況の玄馬は、頭をすっぽりと宇宙服のぴたっとしたフード部分をすっぽりと頭にかぶっていた。その見事な頭の形から、中身はスキンヘッドであろうということは、容易に察することが出来る。
 そして、フード部分から耳だけが迫り出している。両耳には時代遅れの丸い眼鏡を引っ掛けていた。見ようによっては「愛嬌」がある「個性的」な形であった。

「なあに、そんなに手間は取らせぬさ。まあ、こいつの腕が鈍ってなければのことだがな。」 
 玄馬は挑戦的な言葉を乱馬へと吐きつけた。
「へっ!俺は平気だぜ。」
 乱馬はジャキっと娘には似合わない力こぶを腕に作って見せた。
「あかねくんは、ここで退避していてくれれば良い。退屈しのぎに、ゲーム機だってあるぞ。」
「え、まあ…。それは別に良いんですけど…。」
 ちらっと乱馬を見やった。
「ま、俺たちが仕掛けたトラップだ。やられるってことはねえよ。それより、おまえ、今のうちに休んで、少しでも疲れ取っておけよ。」
 にっと笑って見せた。
「ああ、それが良かろうぞ。」
 玄馬も休息を勧めた。

「親父、とっとと取りに行こうぜ。」
「おう、遅れるなよっ!」
「それはこっちの台詞でいっ!!」半時間ほどで戻れると思うから…。とにかくゆっくりしておけ。」
 乱馬はあかねを見返しながら言った。

 よーい、どん、よろしく、早乙女親子は扉の向こうへと消えて行った。
 遠ざかる彼らの先に、何があるのか。
 あかねには想像だにつかなかったが、据えつけられたソファーに深々と腰をかけると、ふうっと大きな溜息を吐き出した。
「乱馬の乗っていた船かあ…。」
 辺りを一瞥した。
 確かに内装も作りもダークホース号のそれと似ている。こっちの方が少し古びて見えるので、ワンダーホース号の方が旧式なのだろう。
 もしかして、ワンダーホース号もダークホース号も同じ設計士によって作られた船なのではないかと、あかねは思った。
「ま、元々、ダークホース号は乱馬に所属する宇宙船だから…。似ていても不思議ではないけどね…。」
 彼が天道運送会社のある、木星の小惑星へとやってきた日の記憶がすうっと脳裏を巡った。真新しい宇宙船、ダークホース号に乗って、彼はやってきたのだ。表向きは新入社員。その実は同じく、イーストエデンのエージェント。
 その宇宙船に乗ってやって来たのが、己の許婚ということだったから、当初は何かにつけぶち当たった。
「このアンナケでダークエンジェルの超力を得なければ、あたしたち…。こんな関係を築き上げることもなかったのかもしれないわね…。」
 ふうっと溜息がまた漏れた。

 この闇の超力を手に入れてから、互いの足りない部分を求め合うように、二人、契りを結んだ。まるでそうなることが始めから決まっていたかのように、気付くと深い関係になっていた。
 勿論、家族は誰も反対しなかった。元々、「許婚」として巡り合わされた縁でもある。ただ、エージェントという特殊な立場から、「結婚」という形態をとることは連邦政府から拒まれた。恐らく「ダークエンジェル」の未知なる超力のせいだろう。今しばらく、婚姻という形態を取るのは待てと言われたのだ。
 エージェントの二人にとって、上部組織の命令は絶対である。
 早雲は婚姻という形態をとることを望んでいたが、渋々、連邦政府の決定に従った。彼もまた、エージェントの一人なのである。
 乱馬とあかね、当人たちは、婚姻と言う形にはこだわらなかった。危険が背中合わせの任務を履行しようとも、共に生きられれば良いとさばけていた。
 まだ、婚姻という形態は取れないので、あかねは錠剤タイプの避妊薬を常飲していた。一種の妊娠回避薬である。これを飲むことで受胎はしない。そのせいもあるのだろうか、乱馬があかねを求める時は、激しかった。
 最初の頃は、それこそ、己が壊れてしまうのではないかと思うくらい、強い繋がりを求められ、当惑した。当人曰く、それでも、かなり我慢していたらしい。あれで我慢していたというのなら、かなりなものだと、後でぞくっとしたほどである。
 しかし、若いということは素晴らしいことだ。だんだんに乱馬の激しさに、惹かれていく己が居た。彼は直情的なのである。己の感情に押し出されるまま、想いの有りっ丈をあかねにぶつけて来た。
 乱馬と肌を合わせながら抱かれている時、一番「生きている」という実感を持つ自分が居る。己の蜜と彼の蜜をかき混ぜながら、激しく求め合った後、彼の胸に顔を埋め、眠りに落ちる時、無類の安らぎと幸福を覚えるのだ。
 愛されているという安心感。そして、自分も、愛していた。

 他の何にも代え難い極上の時間に思いをめぐらせているうちに、ゆっくりと眠気が降りてきた。

 柔らかいソファーへと身体を沈め、いつの間にか、寝息をたて始めた。緊張の糸が、ここでふつっと切れたのだろう。
 今は休んでおきなさい…。体内からそんな声が漏れ聞こえて来るような気がした。
 それに抗わず、あかねは束の間の休眠へと堕ちていった。



二、

 数あるトラップを潜り抜けながら、早乙女親子は格納庫の奥へと足を進めた。この船の主とは言え、格納庫へ辿り着くにはいくつかのトラップは自力ですり抜けなければならないのだ。
 それだけ、大事な船倉である。
「思い出すぜ…。親父と組んでた頃、こうやって、毎日、船の中でも修行と称して鍛えこまれたもんな…。ガキの頃からよう。」
 飛んでくる矢を避けながら、乱馬が叫んだ。
「当たり前じゃ!修練を怠れば、それこそ目の前には「死」だ。おまえ、許婚の元へ行ったから身体の感が鈍ったかとも思ったが…。」
「けっ!馬鹿にするなっ!確かに俺の船(ダークホース号)にはここまでの装置はねえが、日々の精進は怠ってはいねえぜ。まだ、死にたくはねえしな…。」
「ふふふ…。そうよな。己の身のみならいざ知らず、是が非でも守らねばならぬ存在が、今のおまえにはあるからのう…。」
「守るべき存在…か。確かにな…。」
「心底彼女に惚れとる…か。わっはっは。」
「う、うるせえっ!うわたっ!」
 横からいきなり鉄の棒が飛んできて、乱馬の頬を掠めた。
「ほれ、油断してると、粉々に砕けるぞっ!」
「でえっ!たく…。これ見よがしにトラップ増やしてやがるな?」
「わかったか?わっはっは。」
 玄馬は楽しそうにトラップを避けて走り抜けて行く。互いに慣れたものだ。

「次で最後だったなっ!でやああっ!」
 乱馬は思いっきり前に競りあがると、横から飛んでくる金属片を見事に避けた。そして、ドアの前に着地する。
「タイムもそこそこか…。まあ、及第点をやろう。」
 玄馬が言った。
「この向こう側に、その小型調査装置があるのか?」
 乱馬が問い質した。少し息は乱れていたが、いたって平静に装う。
「ああ…。帰り道はトラップをオフにしておいたから、担ぎ上げて、出口まで行かなければならんがな。ああ、オフにすると言っても全部じゃないから気を抜くなよ。」
「たく、全解除の方法忘れやがって…。ちぇっ!人使いの荒れえ!」

 玄馬は格納庫のダイヤルを回しながら乱馬に話しかけた。

「守るべき存在ができると、男は強くなる。…。この指令、一筋縄ではいかぬぞ。乱馬よ。」
「けっ!俺たちに指令が飛んで、しかも女然(おんなぜん)させられたときから、きな臭さは感じてらあ…。」
「あかね君を守れるのはおまえだけだぞ。」
「いつもになく、真面目に絡んでくるじゃねえか…。親父。」
 乱馬は真摯な目を玄馬へと手向け返した。
「ワシの第六感が激しく警鐘を鳴らしよるのでな…。」
 玄馬はにいいっと笑って乱馬を見た。
「けっ!てめえの第六感ってのは、あの獣感(けものかん)かよう!」
 じろりと見返す彼に玄馬は続けた。
「ふん!ワシの超力を見くびるなよ…。予知能力とまでは行かぬが、外したことはないぞ!」
「たく…。てめえは動物泉(どうぶつせん)に落っこちたからな。」
「何を言う。動物は自然界の厳しい世界で培われた「予知能力」が人よりも高かろうが!」
「今の地球のどのくらいに、動物がのうのうと暮らせる原野や密林が残ってるってんだ?」
「確かに…。じゃが、この第六感が全くあてにならんと言いきれるものではないことは、おまえが一番知っておろうが…。」
「うぐ…。」
 乱馬は言葉に詰まった。この父親の第六感が時に物凄い効力を示すことは、彼とコンビネーションを組んでいた頃から体感している。侮れない能力であるのだ。
 玄馬も水の呪いで地球上で絶滅しかけた動物に変化する。勿論、彼も抗リングを用いて、常日頃は変身しないようにしていたが、呪い水に落ちて以来、人間然しているときでも、第六感が働くように、出来上がってしまったらしいのだ。
「あかね君に危険が迫っておる。彼女が最下層で感じたのは恐らく、その予兆と呼ぶべく悪しき影じゃろう。」
 玄馬は真顔で乱馬に言った。
「悪しき影…。って、まさか、あの女神が俺たちに…。」
「いや、その超力とは違うな。品質的に根本が違っておるわっ!」
 玄馬は首を横に振った。
「えらくはっきりとぬかすじゃねえか…。てめえ、女神と接触したことあるのかよう?」
「馬鹿者、良く考えていればわかるじゃろうがっ!女神の超力はおまえたちを守る方へと働くだろう?…。ワシが言っている悪しき影は、逆方向じゃ。ワシでも識別可能な闇の超力だよ。」
「ってことは…。」
「そうだ。」
「ゼナの闇…。」
「奴らの手があかねくんに伸び始めておるのは確かなようだぞ。」
「ってことは、ダークエンジェルの秘密が…。漏れてる…。」
「はがれ始めておるのやもしれぬな。…連邦宇宙局の動きも慌しくなっておるし。」
「まさか、今回の遺跡調査も…。連邦宇宙局の奴らが功を焦って。」
「充分考えられるな…。色んな奴が出張ってきておる…。」
「超きな臭え匂いが漂ってきてるってわけか…。」
「心してかかれよ…。闇はゼナだけではない。」
「ふっ!てめえも連邦宇宙局の諜報部員ってことは免れえぬ事実じゃねえのか?連邦政府へ不利になるような発言、たとえ息子でも俺にして良いのか?…。」
 と、玄馬の眼鏡が怪しく光った。
「連邦宇宙局の諜報部員ってのはおまえとも同じ立場じゃからな…。それに、そんな肩書きの前に、ワシはおまえの父親でもあるからな。」
「へっ!これ見よがしに父親風を吹かせやがる気かよう…。」
 乱馬はにいっと笑い返した。
「馬鹿め!あかね君がおまえの希望の星ならば、我が早乙女家にとっても、守らねばならぬ大切な「女性(ひと)」じゃろうが。人間の大事な職務に「子孫を伝える」ということがあるのを忘れるわけにはいくまい?あかね君は我らが遺伝子を後へ伝える大切な女性でもあるのだからな…。おまえが惚れた以上は。」
 玄馬も乱馬を笑って見返した。
「けっ!あかねはてめえが俺に押し付けた許婚だろうが…。でも…。絶対、俺が守り通してやる。どんな環境が待っていても…な。」
「ああ、男は惚れた女を命に代えても守り抜かねばならぬからな。」
「ぬかせ!このスチャラカ親父っ!」
 玄馬は空を見上げた。
「さて…行くか、馬鹿息子よ。」
「ああ、クソ親父っ!!」



三、

 乱馬と玄馬を待つ間に、あかねはうたた寝をしていた。
 適度な気温に保たれた、宇宙船の中は、惰眠を貪るのに丁度良い。しかも、ふかふかのソファーがそこにある。
 ワンダーホース号という、許婚の乱馬の父所有の宇宙艇。ずっと緊張の中に過ごさねばならない、外の世界とは様子が違う。
 つい、気持ちがふっと緩んだのだ。

 

『あかね…。』

 ふと意識の下で自分の名前を呼ばれたような気がした。

『あかね…。』

「誰…。あたしを呼ぶのは…。」
 
 心でそう問い返す。


『私はあなたの中に眠る、もう一人のあなた…。』

「あたしの中に眠る、もう一人のあたし?」

 気配はゆっくりとあかねに降りてくる。

『ええ、そうよ…。あたしはあなたの中に居るわ。いつもね…。』

「あたしの中に居る、もう一人のあたし?それってどういう意味?」

『いずれ本当にあなたが覚醒したときに、会えるわ。』

「覚醒?」

『いずれあなたには強大な超力に目覚める。そういう運命の元に生まれた選ばれし人間なのだから…。』

「そんな事言われても…。何の事かあたしには…。」

『あかね。この先、あなたの前には険しい道が続くわ。でも、自分自身の超力を信じなさい…。たとえ、修羅がこの先に待ち受けていても…。いい?わかりましたね…。』

 そう告げると、慌しく声はあかねの傍を通り抜けて行ってしまった。

「待って…。ねえ…。待ってよ…。もう一人のあたし…。」
 
 思わず追いすがってみたが答えはない。それどころか、辺りは急に閉ざされた暗闇。

「待ってっ!!」


 そう心が叫んだ時、意識が浮き上がった。

「おい…。どうした?」
 耳馴染んだ声が傍で聞こえた。
 女乱馬の声だ。

「あ…。」
 あかねはがばっと起き上がると、辺りを見回した。
 ぽおっと灯る、ルームライト。その手前に、乱馬が不思議そうな瞳を浮かべて、己を覗き込むが見えた。

「闇の夢にでも苛まれちまったか?」
 乱馬が微かに微笑みかけてきた。

「う…うううん。」
 あかねは頭を横に振って答えた。

「たく…。まだゼナの闇がおまえを虜にしてるのか?こんな昼間から眠っちまって…。」
 乱馬はしょうがないなあと言う顔をあかねに手向けた。
「そんなことないわっ!!闇はもうあたしの中にない!あんたが浄化してくれたんじゃない!!」
 少し膨れっ面だ。
「まあ、張り詰めていた緊張が、船の中で緩んじまったんだろうな…。」
 あかねは黙って俯いた。
「四六時中張り詰めていたら肝心な時に緊張感が解ける事だってあるからな…。ま、いいさ。」
 乱馬はふっとあかねに微笑みかけた。
「俺さあ、この任務が終わったら、半月くれえ、休暇貰うつもりだ…。」
「え?」
 あかねはきょとんと乱馬を見上げた。
「ここのところ、ナオム(ガキ)の世話とかで気疲れすることも多かったろう?そんくらい貰ってもバチはあたらねえだろうしさ…。」
 悪戯な顔があかねを見詰めた。
「勿論…。おまえも一緒にな…。寝たおすもよし、どっか行ってたまには旅行気分を味わうもよし…。あ、勿論、俺は男に戻ってだぜ。」
「ちょっと…。乱馬。あんたこそ、緊張感のないこと言っちゃって…。」
「バーカ。これからの任務がきつそうだから言ってるんだよ…。」
 そこで乱馬の顔が険しくなった。
「乱馬?」

「おめえも感じてるんだろ?きな臭い空気が、常に俺たちの上を流れてるってな…。セントラルタワーの下層部で感じた闇も…。もしかするとゼナかもしれねえ。」
「うん。」
 あかねはぎゅっと拳を握った。
「そんな顔すんなって…。大丈夫…。どんなことが起ころうとも、俺が傍に居る…。どんな状況下に居ても、頼れるのは己とパートナーの俺だ。あかね…。」
 乱馬は握られたあかねの拳へ、己の手をそっと重ねる。
「だから…。信じろ!…俺を…。」
「乱馬…。」
 こくんと揺れる、小さな頭。
「それから…。この任務の後の、束の間の休息もな…。苦しみの後に来る、楽しみ…これも信じろよな。」
 ふっと緩む乱馬の口元。ぐいっとあかねの身体を己の方へと引き寄せた。
「ちょっと…。乱馬。今はあんた、女の子なのよ…。乱馬ったら…。」
「はんっ!身体は変身してても、心は男だぜ。健全な二十代の…な。」
 そう言いながらあかねの唇を指でなぞる。明らかに目は「接吻」を望んでいる。
「これのどこが健全なのよ…。女同士よ、今のあたしたちは…。」
 下からそう問いかけた。
「キスしてもらうときは、目を閉じるのが礼儀ってもんだろ?」
「な、何言ってるのよ…。乱馬。」
 思わず身体に力を入れて、跳ね除けようとしたが、女の形をしていても乱馬は強い。いや、抵抗できないように目であかねを縛り付ける。
「だから…。目を閉じろって…。女になっていても、魂までもが女性化するわけじゃねえ…。俺は俺だ。」
「健全な男の?」
「そういうこと…。」
 乱馬の言わんとしている事にやっと納得できたのか、あかねは身体の力を全て抜いた。いや、それだけではない。ゆっくりと漆黒の揺れる目を閉じた。
 入れ違いに下りて来る、濡れた唇。最初は少し咥え、それから、深く重ねられる唇。
 流れてくる吐息も、触れる感触も、全ては「乱馬」の物だった。
 閉じたまぶたの向こう側には、女ではない、男の乱馬がそこに居る。
 不安も、心細さも乱馬の唇によって消えていく。そんな気がした。

 いつまでも離れようとしない、一組の青年カップル。



「たく…。乱馬め。ちょっと目を離すとこれか…。」
 玄馬がふっと顔を緩めた。
「ま、良いか…。この先、暫くは緊張が続くだろうし…。男としての決意を固める上でも、必要不可欠な時間はある…。」
 心でそっと吐き出し、壁を背に腕組みしながら佇んだ。
「しかし…。やつめ、本当にあの許婚を愛し始めたか…。ふっ!抗えぬ血…か。仕組んだ身としては後ろめたい部分もあるがな…。」
 そう言いながら、玄馬は二人から目を反らせた。



つづく




一之瀬的戯言
 どこでも、どんな状況でも本能に忠実な男、それが、ダークエンジェル乱馬です。実際、こんな奴の相手する、あかねちゃんは、大変かと…。
 容姿は問題じゃない、キスするのは男の俺…というような台詞を、一回、女乱馬に吐かせてみたかった私も私ですが…。

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