◇闇の狩人 再臨編


第二話  痕跡



一、

「やあ、遅れてすまかったね!」

 ちっともすまなさそうな顔をせずに、青年は現われた。
 九能帯刀。なびきの連邦軍高等幹部予備学校の同級生。現在は地球連邦本部で諜報活動部門へ席を置いている。なびきとは「訳あり」の間柄のようだが、詳らかではない。

 彼もまた、連邦宇宙局の諜報部員としてではなく、この任務上は、設備関係の社員といったいでたちをしていた。わざとらしい、設備会社のロゴが入った宇宙船、「ワンダーホース号」。着ている衣服も、その作業員といった風だ。
 ワンダーホース号に乗ってきた二人は、乱馬たちの宇宙船、ダークホース号へとすぐさま、乗務してきた。裏方スタッフの打ち合わせといった具合に。

「結構似合ってるじゃないの。その格好。」
 なびきがにっと笑った。
「いやあ、君ほどじゃないよ。」
 九能は余裕でそれに答えて見せた。
 それから、乱馬とあかねへと目を転じる。
「久しぶりだね。お二人さん。っと言っても、女の君とは初対面だがな…。」
 勿論、九能は乱馬の正体を知っているようだった。連邦軍本部の人間だから、その辺りはぬかりなくチェックしていたのだろう。
「おお、ナオム君は、ここへ実習に来ていたのか。」
 どうやら、見習い小僧のナオムとも顔も知りのようだった。
「実習は楽しいかね。」
 そうにこやかに声をかける。
「はい。ここの人たちは皆、こぞって優秀ですから。」
 とナオムはにっこりと微笑み返した。
 その様子に、乱馬は内心ムッと来た。心からそんな言葉を吐きつけるような奴ではない。通り一遍等のお世辞、社交辞令を言っているのか。それとも、強烈な皮肉を言っているのか。そのどちらかだろう。そんな口ぶりが伺える。

「さてと、この中は外界との接続が遮断されている。いわば、閉鎖空間だから、気兼ねなく何でも話せるわ。今のうちに、溜まった言の葉を吐き出しておきなさいな。問題の露出は早い方が良いものね。」
 なびきはそう言ってにっと笑った。
 暗に、一人、苦虫を噛み潰した表情を、中年親父に手向けている乱馬に言い放ったようだ。

「遠慮なくそうさせてもらうかな…。」
 乱馬がずかずかと進み出た。彼の視線の先に居るのは、一人の中年男だ。

「よお、久しぶりだな…。乱馬よ。」
 そう声をかけてきた男を、乱馬ははっしと睨み付けた。
「クソ親父…。」
 思わずそんな声が乱馬から漏れる。

「親父ってことは、あの人が…。」
 あかねはなびきへと伺うようにこっそりと訊いた。
「そうみたうね…。彼こそが乱馬君の父、早乙女玄馬准将よ。あんまり似てないけどね。容姿は。」
 なびきは事情が飲み込めているらしく、落ち着いた口ぶりで答えた。
 准将という言葉に、あかねはゴクンと唾を飲み込んだ。かなり上の階級となる。あかねたちの父、早雲ですら、大佐だ。それよりも、一つ上の階級である。特務官エージェントとはいえ、元々は軍属である。自然に背筋も伸びるというものだ。
 確かに、乱馬とはあまり似た感じではない。二重まぶたの乱馬に対して、父親は一重であったし、鼻や口元も似ているという感じを受けなかった。

「てめえ…。よくぞまあ、のこのこと俺の前に現われやがったなあ…。」
 乱馬はぐぐぐっと目の前の中年男の作業服の胸元をつかんだ。
 中年の男は慌てることなく、ふっと不敵な笑みを返した。
「ふっ…。元気そうじゃないか。この馬鹿息子。いや、今は馬鹿娘か。」
 玄馬は乱馬の手をさらっと薙ぎ払った。負けじと鋭い瞳が息子を捕らえる。
 それに気圧されそうになるのをぐっと堪えて、乱馬ははっしと父親を見返す。
「親父…。てめえには言いたいことが、山ほどあるっ!任務じゃなかったら、この場で決闘をしかけてえくれえだっ!よもや、己が俺に何をしたか忘れたわけじゃあるめえ?」
 玄馬に気負けしないようにと、乱馬も力をこめて、見詰め返した。
「ふっふっふ…。まだ根に持っておるのか。肝っ玉が小さい奴め。」
「忘れたくても忘れられっかってんだ!!」
「おまえも執念深い奴じゃなあ。」
「ああ…。俺の執念深さは親譲りだからな。」

 久々の親子対面というよりは、仇と出合ったような乱馬の勢いに、あかねは正直困惑していた。

「穏やかじゃないわね…。過去に何かあったってところかしら。あんた、何か訊いてない?」
 なびきはあかねに軽く耳打ちする。
「知らないわよ…。第一、乱馬のお父さんがどんな人なんか、気にしたこともなかったし…。何処に居るなんてことも訊いたことないもの…。」
「あらそう?ベッドサイドの睦言にでも出てこなかったの?」
「く、くるわけないでしょうっ!!」
 思わず叫びかけた。
「ふーん…。許婚なんだから、乱馬君の父親ってことは、あんたには舅(しゅうと)になるんでしょうが。」
「し、知らないわよっ!お姉ちゃんの方が、お父さん辺りに何か訊かされて詳しいんじゃないの?あたしと乱馬の許婚の経緯も何だか知ってるような素振りだったし。」

 影でこそこそとやっていた天道姉妹の方に向かって、玄馬が話しかけた。

「おお、で、どちらの娘さんが、乱馬の許婚のあかね君かね?」
 眼鏡を持ちながら興味深げに眺める。
「こっちですわ。」
 愛想笑いを作りながら、なびきがあかねを紹介した。
「ほお…。君が天道あかね君か。ふふふ、なかなか可愛い娘さんじゃないか、乱馬よ。」
 そう言いながら乱馬をちらりと見やった。
「て、てめえ…。普通、許婚の約束を交わしたんだったら、写真の一枚くれえ、確認するのが筋だろうが…。それを、ほほいのほいっと、手続き一つで所属とパートナー変更して、トンズラこきやがって。あかねの容姿も何も知らなかったのかよう?えええ?」
 ずいっと乱馬が迫り出した。
「そんなもの、知る必要もなかったからのう。天道君の末娘なら間違いはないし、結婚するのはワシではなくおまえだからな。おまえが気に入ればそれで良いのだから。わっはっは。」
「あのなあ…。てめえの、そのいい加減さが俺はたまらねえんだようっ!」
 乱馬はまたはっしと玄馬を睨み返した。そしてぎゅっと拳を前に作って見せた。殴りかかりそうな勢いだ。
「まあ、良いではないか。おまえ、この娘さんをいたく気に入ってるんだろう?ほれ、顔に書いてあるぞ…。器量、容姿、セックス、全てに於いて最良の相手で手放す気はない、とな。まだ入籍してないのに、充実した性生活を送りよって、この、幸せ者めっ!!」
 バンッと一発、乱馬の背中を勢い良く叩いた。

「な゛っ!!」
 度を越えた呆気羅漢な言葉に、あかねあが思わず真っ赤になって俯いてしまったくらいだ。

「ば、馬鹿野郎っ!時と場所わきまえて物を言え、物をっ!!」
 乱馬が怒鳴り散らした。
「わっはっは、照れるな、照れるな!!」
 そう言いながら豪快に笑った。

「凄いわね…。さすがに乱馬君のお父さんとでも言うか…。」
 なびきですら、口が塞がらなかった。

「さてと、感激の親子の対面はこのくらいにして。」
 九能が軽くいなすように口を挟んできた。
「そろそろ、本題に入りたいのでね。」
 そう言いながら中央へと進んだ。

「早乙女乱馬君、あ、今は乙女乱子君か…。三年前の出来事だが…。アンナケの星の地中深くで、赤い玉より、ダークエンジェルの超力を得た。それに間違いはないな。」
「ああ…。事の顛末は、てめえとなびきも一緒に目の当たりにしたろう?アンナ・バレルとの闘いの中で突然、開闢(かいびゃく)した。それまでは、ゼナの闇を浄化する超力なんか、これっぽっちも持ってなかったからな。俺たちは。」
「ああ、今でもはっきりと覚えているぞ。あの戦いで赤い玉から発した翼を持つ「時の女神」がおまえに言った言葉を一言一句な。」
「だったら、今更説明する事もなかろう?」
「あれ以後、貴様たちにはダークエンジェルの超力を操れるようになった…。」
「ああ、そして、ゼナの妖精たちを闇に返してきた。数多(あまた)な…。」
 黙って俯くあかねをちらっと垣間見ながら乱馬は九能の質問に答えていく。
「あの時、貴様は床下に開いた穴からせり上がってきたな。空中に浮かび上がるように。今でもはっきりと覚えているぞ。」
 九能は思いを巡らせながら言った。
「そうだ。アンナケの地中深く、アンナ・バレルに落とされたとき、俺は赤い玉と遭遇したんだ。古代文字の浮かぶ遺跡と共にな。」
「ふむ…。それも報告で聞いた。確かに、間違いなく「遺跡」は存在したのだな?」
「ああ、した。俺は強い気のエネルギーに導かれるように、地下迷宮へと入り込んだんだ。」
「そして、そこで超力の源と出遭った。」
「そうだ…。」
 乱馬は静かに答えた。
 あかねも乱馬の話にじっと耳を傾けていた。ダークエンジェルの超力の開放については、幾度か乱馬に直接聞かされていたので、別段、新しい驚きはなかったが、それでも聞く度に、身体の奥が戦慄くような気がした。
「その場所はわかるか?」
 九能は乱馬へと問い質した。
「地下奥深くってことくれえしかわからねえ…。セントラルタワーの最下部、宇宙船が仕込まれていた場所から、そう遠くはねえと思うが…。とにかく、格闘中に落下した穴の更に奥にあったってことくらいしか、記憶してねえ。」
「あの場所の下に広がる地下巣窟か。」
 九能はピッとモニター画面を立ち上げた。

「これを見ろ。」
 そう言いながら画面を指した。
 一同は九能の開いた画面へと目を転じた。そこには、アンナケのセントラルタワーの断面図が浮き上がる。

「この場所、この辺りで我々は、バレル一味と戦った。」
 九能は噛み砕くようにゆっくりと話し始める。
「あの時、この床下に、穴がぽっかりと開いていたな。」
「ああ…。俺は玉の超力に導かれるままに、地中深くから、穴を抜けてあかねの囚われていた場所へと浮き上がったからな。」
「ということは、遺跡があるとしたら、穴から下へ辿れば良いわけだ。」
「ああ。簡単な話だろうぜ。穴の痕跡さえ見つかればな。」
「だが…。事はそう簡単に運ばんらしいぞ。…遺跡調査に当たって、先に飛ばした無人衛星からのデーター報告によれば、戦った場所に穴などは開いていなかったというのだからな。」

「あん?」

 九能の言葉に乱馬は思わず問い返していた。
「穴がない?そんなはずは…。」
 そう言い返そうとした乱馬を、押し戻して、九能が続けた。
「我々の戦った場所にポッカりと開いていたあの奈落の穴が、跡形もなく消えていたのだよ。」

「何だってえ?どういうことだ?それは…。」
 乱馬は勢い良く九能へと迫り出した。

「さあな…。他にも痕跡がないかと思って、この星にあった建造物の床下や壁、天井をくまなく、無人衛星で調べ上げたが…。おまえの言うような地下遺跡に繋がる通路は、何一つ見出せなかった。」

「う…嘘だろ?そ、そんなこと…。おまえも見たろう?俺がせり上がった、穴を。」
「ああ、見た。確かにこの目でしっかりとな。なびき君も見たよな?」
 九能の問い掛けになびきもコクンと頷いた。

「もう一つ、付け加えておくと、あの事件の直後、被害者の救助と関係者の制裁、それから遺体の収容に連邦宇宙局から何艘かの船が来て、後片付けをしたが、その時は既に、穴など見当たらなかったそうだ。報告書には何も記載はなかったし、誰もそんな穴など見ていないと言うのだよ。」
 九能は難しい顔を乱馬に手向けた。
「馬鹿な…。ってことは、穴が勝手に閉じちまったって言うのかよ…。」
「そういうことになるな。」
 乱馬の問いに九能は即答した。
「床にそんな仕掛けなんかもなかったぜ…。」

「もしかして、あんたたちにダークエンジェルの超力を授けた女神は、己の痕跡を発見されることを望んでいない…。だから、痕跡を全て消し去った…。そう考えられないかしら。」
 なびきがゆっくりと口を開いた。彼女の言うことにも一理あった。

「なあ、そもそも、何で今回、アンナケ(ここ)を調べることになったんだ?三年もほったらかしにしておいたのに…。」
 乱馬は九能へと問いかけた。
「地球連邦軍最高司令官直々の命令だよ。」
「地球連邦軍最高司令官の命令?」
 乱馬は顔をしかめた。そんなお偉いさんが、いきなり、忘れ去られたアンナケという木星の小さな衛星に、どんな興味を抱いたというのだろうか。
「やっぱり、あの海底遺跡と関係があんのか?」
「ああ…。かの方は、地球の海底で発見された遺跡とここの地下に眠る遺跡がゼナとが深い関わりを持っていると思われているらしい。まあ、事実、おまえたちの超力とも関係があるようだからな、この星は。その超力の根源を知る上でも、調べておく必然を感じられたのだろう。これから先、ますますにビルとの戦いは熾烈さを増していくだろうからな。その根源が遺跡と関係があるのかどうか、調べたいと思ったのであろう。」
「ダークエンジェルの超力の根源か。これを調べれば、この超力を俺たち以外の人間でも、手にできるかもしれねえしな…。」
 乱馬はぎゅっと手を握った。
「ああ、そうだ。ゼナの闇を浄化できるその超力を手にすることは、奴らを灰燼へと化することも可能だということ。この戦いに我々が勝利できるのだからな。それも含めて、このアンナケ星に、本当に、貴様が見たという遺跡があるかどうか、確かめておきたいのであろう。表向きには、遺跡調査ではなく、ゼナとの関係が深かったバレル財団の遺構を調べるということになっているのだがな…。」

『地球連邦軍最高司令官の狙いが、ただのゼナ殲滅だけなら良いけどな…。それに、何だって、今頃、遺跡調査を…。きな臭えものが後ろに見え隠れしてるみてえだな…。』
 乱馬は心へ吐き出した。

 強大な力を持つ者だけが知る「苦悩」を、乱馬はこの三年間に味わいつくしていた。この「超力」は間違えれば、人類を破滅へと導きうるほど、恐るべき脅威となることも、薄っすらとだが自覚していた。
 もしも、仮に、強欲にかられた人間がこの超力を手にすれば、大変なことになる。それは間違いが無かった。

『もしかすると、この超力を俺たちに開放した女神は、その存在を隠したくて、痕跡を消したのかもしれねえ…。今のところ、俺たちの超力もゼナの存在も、連邦政府内でも知ってるのはごく一部だ。最高機密扱いになってるからな…。』

「いずれにしても、思ったよりも遺跡の発見は難しくなるかもしれぬな…。」
 乱馬の心情を察したのか、九能は誰に呟くでもなく、そんな言葉を小さく吐き出していた。



二、

 次の日の朝早く、乱馬はセントラルタワーの最下部へと潜ってみた。
 
 昨日、開口一番、九能に言われたことが気になって確かめたかったのだ。
 早朝、調査団が動き始める前に行けば、人と左程会わずにすむだろう。そう思ったからだ。
 ならば、夜中に行けば良いと思われるかもしれないが、人気がなさ過ぎると、返って怪しげな行動に映ってしまう。何気に底まで辿ったと、周りにそう思わせたかったのだ。

 調査団ご一行様が来迎してからは、一度死んだ星の機能も、少し回復していて、辺りは、闇から光の世界に戻り始めていた。
 計算されつくした人工太陽の光が、朝を演出している。
 三年前と同じような感じだ。時計はまだ六時前。大方の人々はまだ、朝の惰眠を貪っている。
 乱馬が寝床を抜け出したのを、あかねも感じ取ったらしく、彼が部屋を出ようとすると声をかけてきた。

「乱子ちゃん…。こんな時間にどこへ行くの?」

「何だ、起きたのか。」
 乱馬はふっと微笑みかけた。
「ちょっと、地下へ潜ってみようと思ってさ…。」
「昨日の九能さんの言ったことが気になるの?」
 あかねは円らな瞳を乱馬へ手向けた。
「あ、ああ…。本当のところ、奴の話、信じられねえんだ。本当に、穴が閉じてしまったのかどうか。俺は、自分のこの二つの目で確かめないと気がすまねえ性分なんでな…。朝早い時間の誰も居ないうちに、散歩がてら行ってみようかと思ってよ…。あ、おめえはいいぜ。疲れてるだろうし…。」
 労わることも忘れない。
「あたしも行くわ…。何の役にも立たないかもしれないけれど…。お姉ちゃんも言ってたでしょ?ペアで動きなさいって。それに…。一人よりも二人だと、朝の散歩の雰囲気も出るでしょうし…。」
「そうだな…。ただ、見てくるだけだからな…。一緒に行くか。」
 乱馬は上着を一つ取ると、羽織った。
 薄いクリーム色のジャケットには「TANDO PLANET TRANSPORT LTD.」と大きく赤い文字で書かれている。天道運送会社の作業ジャケットだ。
 二人とも同じジャケットを羽織る。表向きには天道運送会社の社員として、このアンナケに飛んできたことになっている。帰りの便の他に、非常事態に備えて、とりあえずは退避するという身分を預かっていた。宇宙船の整備の他、アンナケの設備関係も手分けして面倒を見る。そんな建前になっていたのだ。

 二人して、セントラルホテルの部屋を抜け出す。
 いい具合に、結婚式場兼ホテルだったこの娯楽衛星の旧施設をそのまま、宿泊施設として使っている。三年前に結婚ごっこで泊まったのと同じような造りの部屋だ。
 あの時稼動していた監視施設は外されていたのか、それともそのままなのかはわからなかったが、気が抜けたところでボロが出てはならないから、あかねは乱馬のことを登録名の「乙女乱子」として呼びならわし、認識していた。その辺りは、エージェントとして当たり前のことだ。
 あかねは「天道あかね」そのままで登録されていた。
 勿論、三年前の事件ファイルからは連邦政府のデーターごと消去されている筈だ。従って、どこにも二人がこの小衛星に来た事実はない。勿論、なびきや九能のデーターも消去されていたので、それぞれに、この小衛星へ降り立ったのは「昨日が初めて」ということになっているだろう。

 乱馬は初めて接するように、きょろきょろと辺りを見回しながら、迷った振りをして、だんだんと下へと足を運ぶ。
 大きな建物の中、辺りは人気もなく、静まり返っている。かえってそれが不気味であった。
 コツコツと足音を響かせながら、奥へ奥へと進んでいく。
 演技でなくても辺りを真剣に見回したくなる。とにかく、どこもかしこも、三年前の痕跡をそのまま残している。ただ、ずっと放置されていたのがわかるほど、どことなく煤けた感じがあった。床は砂塵をかぶり、光り輝く艶がない。
 が、悪趣味に近い、ごてごてした、ルネッサンス調の彫刻やシャンデリアは、そのまま悠久の時を経たようにそこに建っている。中世ヨーロッパの鎧なども置いてある。さながら、偶像たちの回廊を歩いているような気がした。

「あんまり気持ちの良い世界じゃないわね…。」
 思わずあかねがそう語りかけたほどだ。心細いのだろう。つい、乱馬の身体へと己が身を預ける。女の形をしている彼は、いつもよりも背が低かった。己の目線と同じ高さに顔もあったが、それでも、傍に彼が居るだけで、不思議に安心できた。
 乱馬は中央エレベーターのスイッチを入れる。と、ゴンッと音がして扉が開く。
「ここも通電してるみてえだな…。セントラルタワーの機能は、一応全て回復させやがったか。あのウエストの連中。」
 苦笑いしながら乱馬が中程へと進みだす。認めたくはなかったが、かなり優秀な技術を持ったエージェントということになろう。
 正面に据えられたガラスが、二人の姿をくっきりと浮かび上がらせた。
 乱馬は迷うことなく、最下部のスイッチを押す。
 と、クンッと音がして、扉が閉まった。
 ウインウインとうねり音をあげながら、エレベーターが下へと動き出すのが判った。
 地底どのくらいまで潜るのかわからなかったが、十数階は下ったと思う。と、急にエレベーターの速度が落ち、軽い衝撃と共に扉が再び開いた。

「着いたぜ。最下層だ。」
 乱馬は先に降りた。
 さすがに最下層までは電源が届いていないと思っていたが、意外にも上と変わりなく、電気的な光が煌々と灯されていた。
 壁際には宇宙船のマークがある。
「この先に、連中が逃げようとしていた宇宙船の残骸があるのか…。」
 乱馬は意を決すると、先へと歩き始めた。あかねはそれに遅れまじと小走りに着いて行く。低い天井、どこまでも続く回廊。息が詰まるような気がした。
 途中、ざっくりと壁がえぐれている場所へ差し掛かると、さすがにあかねの表情が強張った。
「もしかして、怖えか?」
 乱馬はにっと意地悪な笑いを彼女へ手向けた。
 ブンブンとあかねが首を大きく振って見せた。怖くないもんと言いたげに。
「だんだんと根幹部へ近づいてるぜ…。何があっても驚くなよ。」
 乱馬は半分チャラけた口調であかねへと言葉をかけた。こくんと揺れる、ダークブラックの短い髪。
 奥へと歩いていくほどに心細くなる。お化け屋敷ではなく、煌々と明りが灯されて入るものの、人気のない白い壁の廊下は不気味だ。
 と、空気の流れがふっと変わったような気がした。
 先に大きな空洞の部屋でもあるのだろう。風がそちらの方から流れてくるのがわかる。
「こっちだ…。」
 乱馬は迷うことなく左へと曲がった。

「あ…。」

 そこに大きな空間が開けた。
 大きな吹き抜けのドーム。天井が高くて見えないほどの空間だった。

 見覚えのある壁や天井。そして床。
 ここまで入ると、灯りはさすがに落ちていた。
 正確には青い非常灯だけが、所々照らしつけている。そのせいで、余計に歪(ひず)んだ空間に見えた。

 と、あかねが、ひしっとつかまってきた。
「どうした?」
 乱馬がすっと彼女を庇った。いつもの癖で、肩へ手を置いた。あかねの肩が少し震えているのが右手越しにわかる。

「乱子ちゃん…。あれ…。」
 あかねが細い指先をすっと前方へ手向けた。

「あれは…。」
 乱馬ですら思わず息を飲んだ。

 そこは黒く色が変色しているように見えた。いや、よく見ると黒ではない。少し赤みがかった黒だ。

「もしかして…。血糊。」
 あかねが思わず顔を背けた。

 床にうずたかく流血した死体でも転がっていたのだろうか。べっとりとそこらじゅう、血の痕が広がっていた。乱馬は思わずあかねの肩をぐっと引き寄せた。
「大丈夫だ…。痕跡だけだ。嫌なら見るな。あかね…。」
 慰めともならぬ言葉を吐き出す。

 乱馬の脳裏に三年前の惨劇が、浮かび上がってきた。
 そう、あかねがダークエンジェルの強大な超力に飲まれた時、戦ったゼナの兵士たちを、余すところなく、打ち砕いたその痕跡だった。赤い玉の超力に翻弄され、我を失ったあかねが、次々に打ち砕き闇雲に無へ帰した兵士たちの赤い血だ。何十人もの兵士たちが闇に飲まれた壮絶な現場。
 あかねの肩が怯えるように震え始めていた。
(思い出したのか…。あの凄惨な光景を…。)
 乱馬は思わずそう吐き出しかけたが、ぐっと喉へと言葉を飲み込んだ。もし、思い出していないのならば、何があったのかとあかねは尋ねてくるだろう。この、一面の血糊の痕が、あかね本人の行状の結果だと、告げることはできない。
 あかねを抱きとめる手に、思わず力が入った。

 記憶になくとも、あかねも何かを感じているのだろう。
 ひしっと乱馬へとしがみつく。

「戻ろうか…。」
 乱馬がそう言いかけたときだ。



「ねえ、人間の血はねえ、消しても消しても浮き上がってくるものなのよ…。不思議なものよねえ…。」


 急に背後で女の声がした。透き通るくらい良く通る声だった。
 あかねの肩がビクッと揺れた。

「だ、誰だ?」

 乱馬は思わず振り返った。
 そこには一人の女性が、じっとこちらを見ながら、立っていた。



つづく




一之瀬的戯言
 乱馬の父、玄馬さんが登場。
 この作品では、幼少時から乱馬は宇宙を父子で彷徨っていたという設定です。
 クレメンティー兄妹といい、ナオムといい、一癖も二癖もある連中にも囲まれて。乱馬とあかねの前途も多難そうです。

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