◇闇の狩人 再臨編
第十二話 超力の覚醒
一、
一瞬、その空間が、激しく雷同したように思えた。
アンナケのイーストコートの地下深く。陰謀が張り巡らされた忌まわしい場所。
ウインウインとあかねを入れたカプセルそのものが、雷鳴をし始める。ビリビリと音がして、あかねを浸していた培養液が、明るい緑色に輝き始める。その振動が、あかねにも伝わったようで、カプセルの中、揺らめき方が大きくなったような気がした。
「さあ、始まる。復活の儀式だ。」
リー博士の眼鏡が、妖しく光った。
電撃が走り、培養液に浮いていたあかねが、ビクンと蠢いたように思えた。だが、その衝撃にもあかねは意識を復活させる気配はなく、目は硬く閉ざされたままだ。
コードが淡く光始め、じっと繋がれたままのフィーネの肢体へと何かのエネルギーが突き抜けていくように見えた。
こちらもブワンと衝撃が走ったようで、大きくフィーネの身体が躍動したように見えた。
「ふふふ…。フィーネの細胞のコアに衝撃と膨大なあかねのエネルギーが送り込まれている。思ったとおりだ。このあかねという小娘、美しい高精度のエネルギーを保有している。フィーネの復活に相応しい、良質なエネルギーだ。このまま、僕のフィーネに、エネルギーを与え続けるんだ。そうすれば、フィーネの記憶が戻る。」
高鳴る機会音と共に、リーの様子も高揚していくのがわかるのだ。じっと見守りながら、不気味な笑みを浮かべるリー博士。
あかねの瞳を閉じた顔に、苦痛に似た表情が現われ始めた。
気を失った培養液の中でも、己の生体エネルギーがが剥ぎ取られていくのがわかるのかもしれない。
「おおお。これは、想像以上に素晴らしいエネルギーだ。我が機械がフル稼働して、この小娘の身体からエネルギーを吸い上げているのが判るぞ。」
リー博士は目を見張った。
あかねの浸された培養液が、緑色に微光しているのが、目に見えてわかる。己の身体から、エネルギーを吸い上げられながらも、あかねはただ、目を閉じて、培養液の中に浮き沈みしていた。
「普通の人間ならば、このくらいで、生体エネルギーが空っぽになるだろうに…。この小娘、まだまだその小さな身体にエネルギーを秘めているというのか。ふふふ。ゼナのハルが欲しがるのもわかるな。」
リーはあかねを見上げながら、満足そうに微笑んだ。
「これは、もしかすると、想像以上に良質のエネルギーをフィーネに注入できるぞ。ふふふ、そろそろ、フィーネのコアが融合を起して、遺伝子の活性化が起こるだろうな…。もっとだ、もっとエネルギーをこの小娘から…。」
リーは手元にあった機械の性能を上げようとスイッチをひねった。装置の吸引力が強まったのだろうか。あかねの身体がもっと強く光り始めた。
「このまま、フィーネを一気に目覚めさせる!!」
更にスイッチをひねろうとした時だ。
「そうはさせなくってよ!リー博士!」
背後できつい女の声が轟いた。
「だ、誰だ?」
思わず反応して、声の主に向かってリーが振り向いた。と、そこへ、一本のレーザー光線が、リー目掛けて打ち込まれてきた。
それは一瞬の出来事だった。
シューッと伸びてきた、レーザー光線は、あかねとフィーネを繋いでいたコードを引き千切って破壊したばかりではなく、リーの右腕をも貫いていった。ぱっと飛び散る真っ赤な血の花。
その痛さに、うっとうめくような声を上げた、リー博士。思わず、床へと身体を抱えてへたり込んだ。
厳しい彼の目が捕らえた者。それは、ユルリナ博士の姿であった。
「ユ、ユルリナ博士!」
痛みを堪えながら、リーは人影へと言葉を投げつけた。
「ふふふ、生憎だったわね。リー君。」
ユルリナは銃口をリーへと向けながら、にんまりと笑っていた。
「ユルリナ博士…。貴様、いつの間に。」
うめくような声を吐きつけながら、リーは女を見上げた。
「あのまま、あなたが大人しく、身を引くとは思わなかったからね。大方、今夜にでも、行動を起すだろうと見越して、見張っていたのよ。リー博士。」
ユルリナはゆっくりと銃口を手向けながら、リーへと身体を手向けた。
彼女の背後には、いつの間に集められたのか、研究員たちが一様に銃を身構えてリーを取り囲んでいた。
「く、くそう…。」
咄嗟に動こうとしたリーを狙って、ユルリナの向けていた銃口が再び光線を吹く。
ジュッと音がして、リーの左腕をも打ち貫いた。
「駄目よ。大人しくなさいな。…この裏切り者。」
勝ち誇ったようにユルリナの口が開く。
「裏切り者だ?ふん。僕は貴様らを裏切ったつもりはない。最初から貴様らの仲間になど、なるつもりはなかったからな。」
リーはそう言葉を投げつけた。
「良く言うわよ。自分から、ゼナへと近づいて来たくせに…。」
ユルリナは見下すような目を差し向けた。
「ふん。あの時はそうするしか術がなかった。深い傷を受けた僕が、力を得るには…。だからこそ、おまえの配下に入ったんだ。」
リーは激しく言葉を投げつけた。
「そうね…。あなたは、ハル様の血を飲んだわけじゃないものね…。尤も、あなたのような下級人類に、ハル様の血は勿体無くて、飲ませる気にもならなかったのだけれどね。」
にいっとユルリナは笑って見せた。
「さてと、茶番は終わりね…。」
ゆっくりとユルリナは前に進み出てきた。それから、アゴで研究員たちに、銃を身構えさせた。
「どの道、助けてあげる道理はないんだけど…。もうちょっとだけ、あなたを生かしておいてあげる。裏切り者には、これから始まるショーを存分に楽しませてあげてから、処刑してあげるわ。」
ユルリナは冷たい表情をリーへと手向けた。
「ショーだって?」
リーは傷ついた身体を差し向けながら、ユルリナを振り返る。
「ええ、ショーよ。裏切り者への見せしめに相応しいね…。」
ユルリナはゆっくりと身体を、無表情でロボットの中に納まっているフィーネの木偶の方へと巡らせた。
「汚い手で触るなっ!僕のフィーネにっ!!」
思わず身を乗り出しかけたリーを、傍に立っていたユルリナの配下が足蹴にして、床に叩きつける。うっと小さな声がリーの口から零れ落ちた。
「ふふふ…。何で私が、あなたのような無能な奴を、わざわざこのチームに選んで連れてきてあげたか、わかるかしら?そして、今の今まで見ぬふりをしてきたか、わかるかしら?」
ユルリナはフィーネの身体をなぞりながら言葉を投げかけた。
「私はね…、この子を狙っていたのよ。」
「なっ!!フィーネを狙っていただって?」
リーの顔が険しくなった。
「この子はあなたが作った、恋人のクロノイド。出来損ないの木偶(でく)だけれど、美しいわ。汚れの無い天使のようにね…。」
ユルリナは、半開きの瞳のフィーネの顔をじっと己の方へと差し向ける。それから、フィーネに繋がれていたコードを、己の身体へと巻きつけ始めた。
「やめろっ!!貴様、何をっ!!僕のフィーネに何をするっ!!」
ユルリナの真意がどこにあるか、咄嗟に悟ったのだろう。リーは踏みつけられて押し付けられた床の下から懸命に叫んだ。
「丁度良いのよ…。この、アンナ様の憑依体としては、相応しいくらいに光り輝いた綺麗な若い肉体。そして、感情が抜け落ちたクロノイド。しかも…。あなたが、ハル様が選んだ、あの、あかねという娘の生体エネルギーを奪って注入したおかげで、生気にも満ち溢れているわ。」
ぞっとするような笑みを浮かべながら、ユルリナはフィーネの身体へと手を差し伸べた。それに呼応するかのように、フィーネはすっと、己の細い手をユルリナに差し出した。
「やめろっ!!やめてくれっ!!それは、僕のフィーネだ。おまえのような魔女に穢されてたまるかっ!!」
最後の力を振り絞ろうと、リーは床下から喘いだ。だが、ユルリナの配下は容赦なく、リーを羽交い絞めにして数人で押さえつけている。動けるはずもない。
「おまえの技術でこの子が、成熟するのを待っていたのよ…。だから、今まで見逃してきてあげたの。でも、もう、待つ必要はないわ。」
フィーネの身体へと巻きついていたコードを、ユルリナは思いっきり、己の左腕に差し込んだ。一瞬、その痛みに、苦しげな表情を浮かべたユルリナだが、すぐににっと微笑んだ。
ドクドクとユルリナの腕から流れ落ちる鮮血。
それからユルリナは、満を持したかのように、手元にあった機械のスイッチを捻った。
「やめろおおおっ!!」
高らかにリーの怒声が響きわたったと同時に、一瞬のうちに、ユルリナと繋がれたフィーネの身体が雷同した。
バチバチと電撃がショートするような音が弾けた。もうもうと上がる妖しい白い煙。
「フィーネえっ!!」
リーの叫び声と共に、ゴロンとユルリナの身体が地面へと転がった。
シュウシュウと音がして、目の前には、フィーネの身体が起き上がっていた。瞳は赤く光り輝いていた。無表情だった彼女の顔に、邪気に満ちた笑みが溢れている。
アンナ・バレルの身体が、ユルリナという媒体を捨て去り、フィーネに憑依した瞬間だった。
二、
「たく…。てめえらのやり口には反吐(へど)が出るぜ。」
後ろ側で凛とした声が響いた。
「誰だ?」
フィーネに変化した、アンナ・バレルが声を出した。
毅然として見詰めてくる激しい瞳。少し赤みがかったおさげが背中で揺れている。
女乱馬であった。
「おまえは…。」
放心した表情から、驚きへと転じたリーが言葉を投げた。
「乱子…。」
「へえ…。今頃のこのこと現われてくるなんて。おまえは馬鹿ね。」
アンナがにいっと笑った。
「さあ、それはどうかな…。たく。趣味が悪いぜ。てめえらゼナのやることには虫唾が走る。無抵抗な者をそうやって、散々いたぶって、何が楽しんだ?」
乱馬は腕組みをしながら、佇んでいた。
ジャッと身構える、ゼナの者たちの銃口。
「やめときな。てめえらとじゃあ、格が違いすぎるぜ…。」
乱馬は不敵な笑みを浮かべた。
と同時に、火を噴く、無数の銃口。
電光石火、乱馬は動いた。流れるように早くだ。
飛び交う弾や光線をかわし、あっという間にゼナの兵士たちを薙ぎ倒した。
「だから、やめとけって言ったろう?」
乱馬はにっと笑って見せた。
「き、貴様…。」
アンナ・バレルは険しい表情を投げつけた。だが、すぐに勝気な瞳を乱馬へと手向けた。
「フン!さすがにおまえもイーストエデンのエージェントだけのことはあるね。」
「ああ…。」
乱馬はにっと笑って見せた。
「でも、この私に勝てるとでも…。」
「思ってるさ…。少なくともてめえにはな…。アンナ・バレル!」
乱馬は激しい言葉を投げつけた。
その言葉に、床に叩きつけられていたリーの表情が、一瞬、ピクンと動いた。
「お、おまえ、どうしてその名前を…。」
アンナが、フィーネの顔の下から、驚いたような言葉を投げつけた。大きく見開かれる魔性の目。
「けっ!いくら、別の身体に乗り移ろうとも、てめえの、あの、高慢ちきな顔が影のように、浮かび上がってきやがるぜ。今の俺にははっきりと見えるんだ…。アンナ・バレル。」
「全て見通しているとでも言うのか?気持ちの悪い娘め!」
「ああ、一度闘ったことのある相手は、絶対に見間違えはしねえ…。おまえもそうだろ?アンナ・バレル!」
「一度闘った相手だって?」
「ああ、見忘れたなんて、言わせねえぜ!この俺をよう!!」
目の前で、バシンと何かが弾けた。乱馬は、歯の裏に仕込んであった、「開水壷的湯カプセル」を、舌先で起用に取り出し、頭上でで打ち砕いたのだ。
と、乱馬の身体を湯がざあざあと覆い被さっていく。一緒に上がる湯煙の向こう側に、みるみる、元の姿に変化していく、乱馬の姿。
女の変身が解け、男に戻ったのだ。
「き、貴様…。早乙女乱馬…。あの時の、小僧!!」
アンナの顔が一瞬、険しくなった。
「そうか…。乙女乱子というのは、偽名だったのか。それに、貴様…。呪いの水を浴びていたのか。ふん、道理で、このミッションに、顔を出さなかったわけだ。エンジェルボーイ!」
「そう言うことだ。俺は早乙女乱馬。アンナ・バレルのオバサンよう…。」
乱馬はにっと鼻先で笑った。
「あの時の決着をつけようとでも言うのかい?坊や…。」
「今度こそ、てめえを闇に返してやるぜ…。」
「丁度良い…。私も、おまえを八つ裂きにしてやりたかったんだ…。くくく…。まさか、再びここでおまえと遣りあえるなんてね。今度は容赦はしない。」
はっしと睨みつける乱馬に対し、アンナは不気味な笑みを投げつけた。
「小僧…。本当におまえは馬鹿だよ…。正面切って勝負を挑んでくるなんてね…。」
パチンとアンナの指先が鳴った。
再び、複数の銃口が乱馬へと手向けられた。見れば、周りを、別のゼナの兵士たちが取り囲んで、乱馬へと銃を向けているではないか。いや、銃口は何も、乱馬だけに向けられたものではなかった。幾人かの兵士たちは、乱馬の間の前に居並ぶカプセルへも銃口が向けられていた。なびきや九能、玄馬やナオムたちが入れられたカプセルだ。
「ふん。真っ向勝負は望まねえ…っつーんだな。卑怯者め。」
乱馬は険しい目を手向けた。
「ああ、真正面からやりあったんじゃ、リスクが高かろう?ふふふ。ゼナはね、必ず勝つように戦いを仕向けるんだよ。」
アンナ・バレルは勝ち誇ったように乱馬へと言葉を手向けた。
「必ず勝つか…。」
乱馬は一笑に付した。
「さあ、私に手向けた刃を納めるんだね。さもなくば、ここに居るおまえの仲間は蜂の巣さ。二度と目覚めることはないだろう。」
アンナは冷たい笑いを浮かべながら吐き出した。
だが、乱馬は、アンナの言葉には耳を傾けず、臆することもなく、相対していた。
「聞こえなかったのかい?坊や…。」
アンナはもう一度、乱馬に畳み掛けるように吐き付けた。
「聞こえてるさ…。アンナのオバサン。」
わざとアンナが高揚するような言葉をたき付ける。
「オバサンだと?この私に向かって…。そうか、仲間が蜂の巣にならないと、わからないか。良いだろう、手始めに…。」
アンナ・バレルが手を挙げようとしたときだ。
辺りを、閃光が包み込んだ。一瞬のうちに眩いばかりの閃光に囚われる。
その一瞬の隙を付いて、乱馬が動いた。目も留まらぬ速さ、正確さでだ。あっという間に、周りで銃を構えていたゼナの連中を打ちのめす。
光の輪が解けて、再び辺りが見え始めた時には、床の上に兵士たちが折り重なるように倒れこんでいた。
「おまえ…。その超力…。」
眩さに目を奪われて、動けなかったアンナ・バレルが悔しそうに睨み付けた。
「へっ!体内に気を凝縮させて、一気に解き放ったぜ。手ごたえのない奴等ばっかりだぜ。」
乱馬は鼻を親指でなで上げた。
「フン。それで勝ったつもりだろうが、生憎、私だって、まだ、超力のこれっぽっちも出してないからね…。小僧!!」
アンナ・バレルは乱馬を睨みすえた。それからくるりと手を返すと、パチンと指を鳴らした。
と、一瞬、床に何かの力が駆け抜けて行った。
「なっ!!」
乱馬は己に起こった異変を感じ取っていた。
「足が、動かなねえ?」
そうだった。床にぴったりと張り付いたように、足が吸いつけられていた。
「また、磁場を作って張りやがったな?てめえっ!」
乱馬は睨み付けた。
「ふふふ。油断したね。小僧。この磁場は、強力なものだよ。何しろ、ゼナの科学技術を駆使し、私が己の力で張り巡らせたものだからね。私を倒さない限り、束縛は離れない。尤も、動きを封じ込められたおまえには、足掻くことすらできないだろうがね…。エンジェルボーイ。」
「物凄い力がかかってるんだな…。身体にビンビンと通り抜けていきやがる。」
乱馬は吐き出した。
「そうだよ…。おまえの生体エネルギーだってこちらへ取り込むことが出来るんだ。こんな風にね。」
アンナは再び指を鳴らした。
と、床へ力が加わり、乱馬の身体から気を吸い上げていくではないか。青白い気の焔が乱馬の肉体から浮かび上がった。
「く…。」
乱馬の顔が一瞬歪んだ。
「どうだ?力が抜けていくだろう?ふふふ。このまま、おまえの力が枯れ果てるまで、吸い取ってやる。そして、私の血と肉に化してやるわ。ほほほほ…。」
だが、乱馬は、アンナの言葉にも、焦るどころか、フンと鼻先でせせら笑ったのだ。
「てめえ…。何もわかっちゃいねえようだな…。」
そう、囁きかけた。
「威勢を張るのもいい加減にしたらどうだ?立っているだけでも辛かろう?その床は…。」
アンナは相変わらず、高慢な顔を乱馬に手向ける。
「たく…。おめえ、自分の置かれた状況を、把握してねえみたいだな。」
乱馬は臆することも無く、ずいっとアンナを睨み返した。
「何を戯言を…。」
そう言い掛けた時だ。
パリンと何かが割れる音がした。
「え?」
アンナはその音のした方向へと顔を向けた。
その顔は、驚愕の表情へと変わっていく。いや、驚愕は一気に恐怖へと変わる。
アンナの視線の先には、あかねが虚ろな瞳を手向けながら、薄ら笑いを浮かべて、浮かび上がっていたからだ。今の音は、彼女を捕らえていたカプセルが、何らかの力によって、砕け散った音だったのだ。
辺り一面に散らばった、カプセルのガラスが、キラキラと培養液を弾いて、光り輝いていた。
「何故…。何故、そこから出られた。いや、何故、動ける…。」
アンナ・バレルの顔は、みるみる恐怖に震え始めた。
「何故かって?…てめえがあいつを目覚めさせちまったんだよ…。俺の生体エネルギーを抜こうなんて思うからいけなかったんだ。今の俺と、あいつの気は、連動してるんだよ…。」
乱馬が不敵に笑った。
「だから、目覚めさせちまったんだ…。あかねの中に眠っていた暗黒の超力、ダークエンジェルをな…。」
乱馬の声に呼応するかのように、あかねの瞳が妖しく光り輝いた。金色の光を湛えて。
「く、来るなっ!わ、私に近づくなっ!!」
アンナはそう言いながら、後ずさる。
彼女は理解したのだ。決して目覚めさせてはならない者を呼び覚ましてしまったことに。
「もう遅いよ…。てめえはいずれ、こうなる運命だったんだ。俺たちに出会った時からな…。」
乱馬は冷たく笑った。凍てつくような氷の笑顔だった。
そして、腹の底から叫んだ。
「レリーズ!(解放)」
瞬く間に乱馬のリストバンドが弾け飛んだ。その瞬間、乱馬の身体が、呪縛から解き放たれ自由になった。
「こ、小僧っ!貴様も、来るなっ!わああっ!」
アンナ・バレルは、怯えながら、逃げ出そうとした。
だが、乱馬は素早く、空を移動し、逃げようとした彼女の肩をぐいっと掴んで、引き戻した。
「ひっ!」
ガタガタと震える、アンナ・バレルの肩。乱馬の冷たい手がアンナの頬に当たった。
「逃がしはしねえ…。」
にいっとすぐ後ろで乱馬が笑った。そして、あかねの方へと、アンナの身体を手向けさせた。
乱馬の動作に呼応するようにあかねは無表情な目を称えたまま、すうっと音も無く宙へ浮き上がった。
浮き上がると、アンナの目の前に掌を下に、すっと右手の人差し指を真っ直ぐに獲物へ向かって差し出す。それから静かに囁き始めた。
「暗黒より生まれいでしゼナの妖精よ。汝、我の超力で闇に帰れ。」
冷たい声であった。
恐怖に震えるアンナの瞳いっぱいに、浮かび上がったあかねの姿が映し出された。目を背けることも敵わずに、見開かれる瞳。
あかねに続いて乱馬が低い声で囁き始める。
「汝、我が腕に抱かれ、静かに眠りにつけ…。闇の中で…。」
「嫌だ…。嫌だ…。闇などに帰りたくは無い!ハル様あっ!!」
アンナの発した声と同時に、あかねの差し出した指先から、暗黒の光が解き放たれて行った。
「うわあああ・・・。」
暗黒の光はアンナを包み込む。まるで闇に飲まれてゆくように、アンナの身体は小さく縮み始める。
やがて断末魔の叫びを呑み込みながら、小さな黒い玉になるのだ。
「あかね…。」
乱馬は小さな黒い玉をあかねへと差し出す。
あかねは渡された玉を己の両手で、閉じながら掌で押し潰していく。手を合わせて祈るように、あかねは瞳を閉じていく。
やがて訪れる静寂。
「あかね…。」
乱馬はいつものように、あかねへと静かに手を差し伸べる。
いつもなら、吸引力を失ったあかねが、乱馬の胸板へと吸い込まれるように降りてくるのだが、今日は違った。
あかねは、再び目を見開いたのだ。
「あかね?」
いつもと様子が違う彼女に、乱馬は思わず呼びかけながら、覗き込むように見上げた。
あかねの背中に、暗黒の翼が羽ばたいたように見えた。と、同時に、閉じていたあかねの掌がゆっくりとチューリップの花のように、甲をつけたまま、指が両側に見開かれた。
そこから飛び出した、淡い光。煙のように上にふっと棚引いた。
「え?」
見開いた乱馬の瞳に、確かに映った人影。
美しき片腕の女性。
「アンナ・バレル?…いや違う…。君は…。」
そう問いかけた乱馬に、後ろから声が飛んだ。
「フィーネッ!!」
それはリー博士の声だった。
「フィーネ?フィーネ・リブロックのことか?」
乱馬は思わず、女性へと声をかけた。
女性は話せないのか、こくんと一つ頷くと、あかねの掌をすり抜けて、ふわりとリーの方へ舞い降りた。
そして、リーの袂へ来ると、その腕の中に顔を埋めた。
「フィーネ…。君は…。確かにフィーネだ。」
リーは彼女の幻影を抱きしめた。実体が無い煙のような存在は、その腕の中に抱きしめられると、満足そうに微笑んでいるのが見えた。
「そうか…。アンナ・バレルが乗っ取ったクロノイドの中に、微かに彼女の記憶が残っていて、闇に帰したときに、ここへと舞い戻ったのか…。」
乱馬はその様子を見ながら、ふっと安堵の溜息を吐き出した。
それは、奇跡だったのかもしれない。
悠久の時を越えて、再びめぐり合う、愛し合う者たち。だが、それは、同時に切なすぎる恋の終焉でもあった。
「フィーネ…。」
彼の腕に抱かれて、満足したのか、その幻影は光を次第に薄めていった。そして、やがてすうっと、リーの胸に吸い込まれるように消えていってしまった。
「フィーネ…。最期に僕に別れを言いに来てくれたのか…。フィーネ…。」
リーは涙に暮れながら、淡く消えてしまった影を、いつまでも胸に抱きしめていた。
乱馬もあかねも、ただ、言葉をなく、ただ、じっとその姿を見守っていた。
つづく
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