◇闇の狩人 再臨編


第十一話 生きていた魔女



一、

 重々しい空気に覆われたアンナケ星。
 セントラルタワーを拠点に、いくつか建造物が点在していたが、セントラルタワーから少し左に寄ったイーストコート部分が、俄かに明るさを増していた。
 セントラルタワーに今回の遺跡探索の本部が置かれ、そこを中心に電気も供給されていたのだが、ここへ来て、その拠点をイーストに移した。
 セントラルタワーの最下層部の崩落により、この建物も危険と判断したウイリアム博士以下、ゼナの息がかかった研究チームは、大慌てでその拠点を、セントラルから程遠くないイーストコートへと移行させたのである。
 

「守備はどうかね?メイズ博士。」
 ウイリアムは、温厚そうな口ひげの顔を手向けながら、ユルリナ・メイズに言葉を投げかけた。
 ウイリアム博士はこの調査団の責任者である。
「幸い、今のところ、大きな崩落は見られませんから、イーストコートに本部を移して調査を続行いたしますわ。」
 そう言ってにっこりと微笑みかけた。
「そうか…。で、調査の再開の目途はたっているのかね?」
「ええ、明日にでも連邦から機材の導入がありますから、それが終われば、すぐにでも再開できます。」
「機材かね?」
「はい。急場しのぎの機材よりも、本格的な機材を導入した方が良いということだったので、最寄のステーションから取り寄せましたの。」
「おお、さすがにメイズ君だ。君に任せておけば、スムーズに調査も進むというもの。」
「明日は忙しくなりましてよ、ウイリアム博士。今日は、ゆっくりと休養なさってくださいませな。電源の復旧と共にイーストコートの娯楽施設もいくつか稼動したようですし、今日はそちらでごゆっくりされてみてはいかがですか?」
「お言葉に甘えてそうさせてもらうかな…。たまには気分を変えてリフレッシュもしないと、ストレスだけが溜まる一方だよ。わっはっは。」
「是非そうなさってくださいませ。」
 ユルリナは、赤いルージュを引いた口元をにんまりとさせ、ウイリアムに軽く微笑みかける。
「連邦政府への定期報告は…。」
「あとはお任せくださいませ。」
「うむ。」
 ウイリアム博士は上機嫌でその場を離れた。

「上手いもんやな…。」
 その背後から少年が一人話しかけた。どうみても、思春期真っ只中といえそうな、紅顔の美少年だった。髪の毛は柔らかな金色で、女のように長い。宇宙服ではなく、キラキラと光沢のある薄絹の衣をまとっている。まるでギリシャ彫刻の青年がそのまま飛び出してきたかのような格好だった。何よりも不思議なことに、少年の身体はキラキラと光り輝いていた。
「ふん。あんな老人の一人や二人ちょろいわ…。それより、そんな格好でウロウロしていていいの?アイアン。」
 ユルリナは男に問いかけた。
「ああ、平気や。並の人間にワイは見えへん。さっきからずっとあそこに立っとったけど、ウイリアムとか言ってたおっさんは気にも留めへんかったやろ。」
 そう言いながら人懐っこい顔が笑った。特徴的な喋り口調だった。
「それより、アンナ。で、経過はどやねん?」
「準備だってばっちりよ。明日、機材投入を装ってこの星へ入ってくる輸送船に乗ってしまえば、すぐにでもワープできるわ。あんたの超力でね。それより…。」
 じろっとユルリナはアイアンを流し見て続けた。
「また、あんたは、その名前は使うなって言ってあるでしょう?今の私はユルリナ・メイズ博士なのだから。アンナ・バレルの肉体は消滅したのよ。」
 意外な名前がユルリナの口から飛び出した。
「連邦の連中、びびるやろな。おまえが、アンナ・バレルが、あの喧騒の中で生き残って、こんな容姿に変わってるなんて、誰も思わへんやろ…。くくく。」
「そうね…。あの時、あんたの機転で命からがら脱出できたんですものね。」
 アンナ・バレル。先のアンナケの騒動時に、乱馬とあかねによって倒された、ゼナの女であった。この星、アンナケに一大事業を立ち上げ、それを隠れ蓑にゼナに忠誠を尽くしてきた女であった。
「表向きには、アンナ・バレルは、あのどさくさで憤死したことになっとるからなあ。まさか、おまえが生きとるなんて、連邦の連中には誰も予想してへんやろな…。」
 少年は不敵な笑みを浮かべて言った。
「忌々しいあの小娘に背中から胸へ打ち抜かれた時は、駄目だと思ったわ。さすがの私もここで終わるってね…。」
 ユルリナは思わず右胸の辺りを抑えた。その時の痛みを思い出したのだろうか。
「でも、間一髪。奈落へ堕ちかけたおまえを、ワイが助けてやったんや。」
 にいっとアイアンは笑った。
「アイアン、あんたが転送装置を働かせて、私を身体ごとハントして、境界星域まで飛ばしてくれたんだったかしらね?瀕死の状態だったから、私自身は殆ど覚えていないけれどね。」
「たまたまワイが、アンナケ近くで稼動させていた転送装置がおまえをヒットしたんや。ま、悪運に感謝するんやな。」
「ふふ、そうよね。一度諦めかけた「生」だもの…。」
「あの後、ワイはどさくさに紛れてここからおまいを飛ばしたんや。一番近い衛星にあった、ゼナの拠点へな…。ま、ハル様の力添えがあったよってに、そう、難しくはあらへんかったけどな。」
 アイアンと呼ばれた少年はふっと笑った。
「ハル様の力によって、私は傷を癒し、ユルリナ・メイズの身体を支配してそのまま連邦の研究機関へ潜り込んだわ。アンナケにバレル財団が遺した機密情報を奪還するためにね…。」
「それだけやあらへん。あの闇の女神の遺跡を発見すること。これにも尽力せよと、ハル様からのお達しだ。その機会を得るためにおまえはずっとその姿で研究機関に身を潜め、アンナケの調査が始まるのをずっと待っとった…。」
「待った甲斐もあったってものよ。我々の遺産を奪還できただけじゃなくって、遺跡もちゃんと発見できたわ。おまけに、人材だって捕獲できたんだから…。」
 妖しくユルリナは笑った。
「ほんまに、誰も想像でけんやろな。ゼナの超力で、この女、ユルリナ・メイズの身体を媒体にして、アンナ・バレルが再び蘇ったなんて…。」
 アイアンもつられてにっと笑った。
「それより、そのあかねっていう花嫁候補を観ておきたいからここまで飛んで来たんやけど…。アンナ。」
 ふっとアイアンはねだるような眼差しをアンナに手向けた。
「いいわ。見せてあげる…。連邦の連中を欺くための工作をしてくれたあんただものね…。」

 コツコツコツと部屋を隅まで歩き、ユルリナは傍のスイッチを押した。ゴンゴンと音がして、床に大きな切れ目が出来た。そこへ乗っかると、二人はそのまま下へと吸い込まれるように消えた。
「へえ…。この道(ロード)も稼動したんか。」
「そうよ…。お目出度い連邦の技術者がわざわざ復旧させてくれたわ。転送装置と一緒にね。」
 空間エレベータだ。それも秘密裏に稼動しているイーストコートに作られた巨大な地下施設へと繋がる。
 ウインと音がして、空間エレベーターが止った。
 薄暗い部屋。その向こう側に、いくつかの培養カプセルが、行儀良く並んでいた。その中にはたくさんの機材に繋がれた人間たちがじっと目を閉じて眠るように浮かびながら揺れていた。

「へえ…。こいつらが全て、高レベルのミュー因子保有者か。」
 アイアンが見上げながら言った。
「ふふふ…。しかも、連邦側のエージェントたちよ。アイアン。」
 にっとユルリナが笑った。
 
 そうだ。そのカプセルの中には、あかねの姉、天道なびきをはじめ、九能帯刀やナオム、乱馬の父、玄馬、そしてクレメンティー兄妹までもが浸されていた。

「へえ…。よくもまあ、これだけのミューをあっさりと捕獲できたもんやな。」
 アイアンは一人一人をカプセル越しに眺めながら感心して見せた。そして、くるりと向き直る。
「高レベルな因子保有者だったら、洗脳してマスターにするのが一番やろな…。へへへ、期待できそうな人材ばかりや。」
 アイアンはちろっと赤い舌を出した。
「そうね…。ここにはハル様の血がないから、一度ゼナ本星、セレナへ連れて行かなきゃならないけど…。
「ハル様じきじきに洗脳してもらうのもいいかもしれへんな。ハル様の強靭な超力で洗脳して連邦へ送り返せば、深い部分まで連邦の事を探れるかもしれんしな…。」
「ふふふ、そうね。」
 妖しげに揺れるユルリナの真っ赤な唇。
「で、ハル様の花嫁候補はどこや?」
 興味深げにアイアンは辺りを伺った。
「あの奥にいるわ。」
 ユルリナが見やった方向へ、アイアンは足早に歩み寄る。
 居並ぶカプセル群の一番最奥部に彼女は据えられていた。同じような培養液に浸されてはいたが、淡く蒼い光がカプセルから漏れている。

「ほお…。」
 そう言ったきり、アイアンは立ち止まった。
「さすがに、ハル様へ捧げられる花嫁候補だけはあるやんか。ベッピンや。」
 目を輝かせて見上げた。

「ふん!ハル様へ捧げられる女でなければ、この手で引き裂いてやりたい気分だわ。」
 ユルリナはその言葉に不快の念を込めた。

「ふふふ、ヤキモチやいとんか?このベッピンはんに…。」
 アイアンはからかい半分、言葉を投げつける。
「違うわ!この娘にお父さまと積み上げてきたバレル財団を壊滅されたに等しいからね!お父さまは復活させられなかったし…。」
 憎々しげな瞳があかねを貫く。
「闇の超力を宿した可能性のある娘か…。そんな恐ろしげには見えへん可愛い子やけどなあ…。」
「何処が、可愛いものですか!」
「きつい言葉やな。あんまり息巻くと、皺が増えで。」
「何ですってえ?」
 ぎろりとユルリナの視線がアイアンを睨み返す。
「ま、いずれにしても、ハル様の息がかかっている以上、手出しはできへんのやから。諦めるんやな…、アンナ。」
 にっとアイアンは笑った。
「だからこそ、余計に憎々しいのよね!せめて、エンジェルボーイがここに居れば、そいつを八つ裂きにして、さっぱりするんだけど…。」
 ユルリナは大きく溜息を吐き出した。
「エンジェルボーイはこの任務には就かへんかったんか?」
「ええ、あと、変な女が居たけど、昨日の崩落に巻き込まれて、今頃はお釈迦ね。生きていたら化け物よ。」
「ふうん…。ま、くたばっちまった奴のことは言っても始まらんしな…。」
「後は、明日、連邦から来たと思わせた宇宙艇に、この部屋ごと積み込んで、ワープすれば、終わりよ。連邦の連中にはまだ空間移動制御技術はないから、追跡捜査もできないでしょうしね…。」
「そして、セレナこの娘を連れ帰る…か。」
 目を細めてアイアンはあかねを眺めた。
 ぷかぷかと浮かび上がるあかねは、目を閉じたまま、カプセルの培養液に身を任せていた。ボコボコと緑色の淡い泡が、下から上に向けて浮かんでは消えていく。

「じゃあ、ワイは行くわ…。」
「あら、もういいの?」
 ユルリナがアイアンを見上げた。
「ああ。空間移動の調子とこの娘を見に来ただけやから…。それから…。わかっとるとは思うけど、失敗は許されへんで。アンナ・バレル。」
「わかってるわ。二度も失敗を繰り返すような馬鹿じゃないもの。」
「ならええ。二度目はない。せいぜい注意して、おまえの任務を忠実に履行するんやな。」
「心配性ね。アイアンは。」

 それには答えないで、人懐っこい笑みを残すと、ふうっと少年は消えて居なくなった。まるで消えてしまったかのように、空気へと溶け込んでいったのだ。

「ヘマはしないわ。この任務をやり遂げて、もう一段階上のマスターに上がって見せる。絶対にね。」
 ユルリナは後ろのカプセルを見上げながらそう吐き出した。その中にはあかねが浮かび上がっていた。じっと、流れに身を委ねるように。



二、

 アンナケの夜は静かだ。目の前に浮かぶ、大きな木星。
 木星はその大部分をガスで覆われた惑星だ。渦巻くように見える地平の縞模様。その模様は水素やヘリウム等のガスが渦巻いたものである。勿論、その分厚いガス層の下には岩石や氷の核が存在しているが、とても人が住める環境の星ではない。
 誕生したばかりの木星が、もう少し大きければ、内部で核融合が起こり、太陽のような恒星になったとも言われている。
 いわば「太陽になり損ねたガス星」。それが木星なのであった。
 その周りを、大小あわせて三十ほどの衛星が回っている。エウロバ、ガニメテ、カリスト、イオなどが開発されて有人化している。
 地球から人類が飛び出して数百年。手始めに月、そして、火星、木星、土星と続き、乱馬たちの過ごす、二十四世紀には、天王星辺りまで開発され始めている。

 目の前に浮かぶ木星は、太陽の光を正面に、妖しいほど強く光り輝いていた。その木星の姿を映して、アンナケの人造物が小さな星へと佇んでいる。アンナケ星を照らす人工太陽が、完全にその光を止め、辺りは夜の帳に包まれている。
 セントラルタワーとイーストコートしか、電源が入っていないらしく、後の建物は不気味に廃墟と化していた。
 イーストコートの地下。
 恐らく、ここを造ったバレル財団でも、幹部しかその存在を知らされていない迷宮の奥。
 そこへ集められたカプセル。
 まるで、柩のように居並ぶ人間。あまり、気持ちの良い眺めではないだろう。
 無論、地球からの研究員も、誰一人、このような秘密の拠点があろうということは、予想だにできないであろう。殆どの人間は、ユルリナが企みを持っていることを知らないのだ。知っているのは、ゼナの息がかかった兵士たちだろう。
 ひっそりと、あかねたちを収監した部屋は閉じられ、ゼナからの使いの宇宙船を待っている。そんな状態だったのだ。

 足音を忍ばせながら、一人の男が迷宮へと足を踏み入れた。妖しく光る眼鏡。そして、彼の脇には、静かに侍るロボットの影。
 リー・ヤムソンであった。
 どうやら人目を忍んできたらしく、どこか、そわそわと落ち着きがなかった。
 彼は迷宮の入口に差し掛かると、セキュリティーシステムをオフにした。さすがに、機械に明るい技術者である。セキュリティーを解除することなど、造作もなかった。
 それから彼は辺りを伺いながら、人気が無いのを確認すると、すっと中へと足を踏み入れた。勿論、光源は使わない。
 使わなくても、特殊な加工を施した眼鏡があれば、平気だったのだ。それに、彼の傍には、忠実なる僕のロボットが居る。
 正確にはロボットの隠れ蓑を着た「クロノイド」だ。このアンナケの地で行方知れずになって久しい、彼の婚約者、フィーネ・リブロックと瓜二つの顔をしていた。
 だが、クロノイドとして、一個人の小さな研究室にて急激に作られた名残か、彼女の顔には表情はなかった。目に生気は感じられず、ただ、機械的に無表情でリーの傍に侍っていた。
 リーは暗がりに目を凝らしながら、何か探すように、きょろきょろと辺りを見回した。彼のすぐ上には、なびきや九能たちが、じっと目を閉じたままカプセルの中に浮き沈みしているのが見えた。その、カプセルだけはぼんやりと明りがともし出され、妖艶に見えた。
 時々、ボコボコと上がる、培養液の泡の音が、不気味さを演出している。
 だが、リーは怖くはないらしく、淡々と目的に向かって歩んだ。
 培養カプセルの林立する通路を抜けて、突き当たりに来る。

「あった…。」
 リーは目の前にそびえる、培養カプセルを見上げて、にっと笑った。
 居並ぶカプセルの中でも、一際美しい姿をさらした娘が、ふわふわ、淡い色合いの光を解き放つ溶液の中で揺らめいていた。口と鼻に繋がれた管が、ゴボゴボと音をたてながら、呼吸を助けている。
 
「天道あかね…。やはり君は美しい。」

 リーはカプセル越しに眺めながら、そんな言葉を吐き出した。
 それから彼は、ロボットを操作し始めた。四角張ったロボットの樹脂の皮の下から、これまた美しい女性が現れた。リーの婚約者、フィーネ・リブロックを象った、クロノイドだ。
 半開きになったクロノイドの無機質な表情。彼は、丁寧に、ロボットからコードを取り出し、あかねの入れられた容器に繋ぎながら、独り言を語り掛ける。

「フィーネ。僕はもう待てないんだ。おまえは感情すら持たぬただの木偶(でく)。傍に居ながら、愛の言葉一つ交わせない。おまえの虚ろな瞳には僕は映っていないんだろう?」
 ぶつぶつと独り言のように言葉を浴びせた。
「だが、今夜こそ、君をあの当時のままに復活させてあげる。僕の理論が正しければ、この娘の生体エネルギーを転送すれば、フィーネ、君はあの時の記憶と共に目覚められるんだ。君の遺伝子に記憶されている、僕らの愛の日々が蘇るんだ。」
 リーは丁寧にコードを繋いでいく。
「やはり、美しい娘こそ、フィーネの復活に相応しい。男勝りなあのおさげの女などでは、役不足だ。ほら、透き通るように白く輝く、この娘の柔肌。崇高なエネルギーにこそ、おまえを目覚めさせる超力がみなぎっているではないか…。」
 カプセルの中を浮き沈みする、あかねを見ながら、そんな言葉を呟いた。
 上半身を、ロボットの土台から曝け出した、美しきフィーネの玉肌。穢れを知らぬ乙女のように、淡いピンクに輝いている。
 リーはあかねのカプセルへと、コードを取り付け終わると、愛しそうに、フィーネの無表情な顔を見詰めた。それから、フィーネの手を取り、静かに口付ける。
「フィーネ…。私のフィーネ。今、蘇らせてあげるからね…。」
 そう囁くと、少し離れた場所へと、赤いコードを持って下がった。
 そして、手元にあった、スイッチを一ひねりする。
 ウインと機械の音がして、静かに部屋中が胎動し始める。

「ふふふ…。これから始まるんだ。あかねという娘から、生体エネルギーを抽出し、フィーネを蘇らせるんだ…。今宵こそ、フィーネを我が元に…。あはははは、あっはっはっは。」

 リーは上機嫌で、じっとコードで繋がれた、あかねとフィーネを見守り続けた。



三、

 そのアンナケのもっと地中深く、もう一人、目覚めた者が居る。
 事理の空間へと飛ばされた乱馬である。

 どのくらい空間を彷徨っていたのか。
 ふと目を開くと、広い空間が開けていた。かすかに匂うのは硫黄の臭気。

「気が付いたようね、早乙女乱馬。」
 傍で聞き覚えのある女の声がした。アンナケの時の女神だ。
 大きな羽が目に入った。
「ここは…。」
 乱馬は己の状況を把握しようと、きょろきょろと辺りを見回した。
 さっきまで男だった身体は、再び変化を遂げて、女へと戻っていた。小さな手に膨らんだ胸。何より、男の時よりも筋肉がない分ひ弱だ。

「ふふふ、何とか事理の空間から抜け出せて来たようね…。運が良い子だわ。」
 時の女神はそう言うとにっこりと微笑みかけてきた。
「何が、運が良い子だよ。たく。一体全体、あの空間は何だったんだ?」
 乱馬はブツブツと文句を言うように、女神を見返した。
「あなたが見たままの世界。光の聖地。」
「光の聖地だって?」
「本来、人間が足を踏み入れること敵わない清き世界。淘汰されなくてよかったわね。」
「ふん。簡単にくたばってたまるか!」
 乱馬は吐き捨てるように言った。さっき、己を捕縛した時と違って、今の女神からは「殺気だったもの」はこそげ落ちていた。穏やかな微笑が、それを物語っている。
「やっぱり、あなたは光の後継者だったのね。無事に光の番人と遭遇できたのだから…。」
 女神はゆっくりと語りかけた。
「ああ。おまえの言ってるのが「あいつ」の事だったらな…。人の記憶を存分にかき回しやがって…。ひでえ目に遭ったぜ。」
 乱馬は再び吐き出した。
「酷い目?そう?」
 にっと女神は笑った。
「何が言いてえ。」
 乱馬はじろりと彼女を見上げた。
「光の超力を手に入れておいて、その言い草はないのではないの?」
 全てを見透かしたような言葉が返って来た。
「おめえ、まさか、あの様子を見ていたなんてこと…。」
「見ようが見まいがそんなことは大した問題ではないわ。私は時の番人だから。。」
「ちぇっ!おめえたちは一体、俺に何を望んでやがる!光だの闇だの超力だの…。」
「現在の望みはただ一つよ。あかねというあの娘を救い出すこと。彼女をゼナの手に渡してはならない。それだけよ。」

「そうだな…。このままじゃ不味いんだよな。」
 乱馬はぎゅっと拳を握り締めた。
「あかねは、あの後どうなったんだ?」
 乱馬は女神を見た。ユルリナの急襲によって、あかねを奪われ、闘いに移る前にここへと投げ出されてきたのを思い出したのだ。

「あかねは彼らの手の中にある。それに…。時間があまり残されていない。」

「時間が残されていないって?」
 唐突の言葉に戸惑いながら、乱馬は女神にきびすを返した。

「急ぎなさい。あかねの身の上に、危険が迫っています。あの、アンナ・バレルが生きていたのですから…。」
 詳細を語るのを避けたのか、端的に女神はそう言葉を返した。

「な、何だって?アンナ・バレルが生きていただって?」
 乱馬は驚愕の言葉を投げつける。

 女神の頭はたてに揺れた。
「肉体は滅んだので、他の女に憑依してね…。でも、確かにあの意識体はアンナ・バレルのもの。狡猾なゼナの魔女の波動。」

「そいつが本当なら…。確かに厄介だな。」
 乱馬は親指を強く噛んだ。

「行きなさい。乱馬よ。あかねを助ける。全てはそこからです。」

「ああ、行くさ。」
 乱馬はきっと上を見据えた。
「上に向かって飛んで行きなさい。今のあなたなら出来るはず。」
 女神は乱馬へ静かに言った。
「上に飛ぶ…。」
 ざざざっと音がして、乱馬の身体が上に浮き上がった。羽も何もないのにだ。不思議な超力だった。
「不慣れな超力も、使ううちに慣れるでしょうね…。今は使えない超力も次第に目覚めてくるわ。とにかく、時間がありません。あとは、己の潜在能力を信じなさい、乱馬。」

「けっ!いい加減なこったが、かまうもんか。俺は、俺の超力であかねを助け出す。あかねを助け出せば、ここへ舞い戻って、おめえから事の仔細を聞かせてもらうからな。時の女神。」

 女神はそれには答えずに、勢い良く言った。

「お行きなさい。乱馬!!」

「おうっ!!」

 力強く返答した途端、乱馬の身体がふわっと浮き上がった。
 それから、ひたすらに、上に飛び上がって行った。乱馬が浮かび上がると、まるで、一つの道のように、空間が真っ直ぐに上に開けた。これも彼の潜在能力なのだろうか。
 乱馬はふわっと飛び上がると、開けた上への道を、ひたすらに飛び上がった。
 上に、上に。あかねが囚われた場所へ。



つづく





コスモノイド
 一之瀬の造語です。その意味は、追々と明らかになっていくことでしょう。コスモスが意図的に作り出した生命体というような意味で使っていくと思います。

セレナ
 太陽系の第十惑星として存在が取り沙汰されている星の名前の一つです。元はイヌイット神話の女神名だそうです。

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