◇闇の狩人 覚醒編
第八話 赤い玉
一、
美しい玉。
真っ赤な血の色の玉。
玉は乱馬へと言葉を続けた。
『あなたに折り入ってお願いがあります。』
赤い玉は静かに光を放ちながら乱馬へと言葉を継ぐ。
「お願い?この俺にか?」
『はい…。私をあの少女のところへ連れて行って欲しいのです。』
「あの少女?」
『はい。あなたの許婚、あかねさんの元へ。乱馬さん。』
「おいっ!」
乱馬の顔が瞬時にきつくなった。
「てめえ、いったい何なんだ?何で俺やあかねの名前、知ってる?」
当然の疑問であった。玉を見たのも、ましてや話したのも、勿論今日が初めてだ。なのに、この玉はまるで己のことを良く知り、今までのことを全て見ていたかのような口ぶり。気にならない筈がない。
『詳しく話している時間は残念ながらありません。けれど、あなたの利害と私の利害は一致しています。何故ならあかねさんは今、奴らの手の中にあるのですから…。』
そう言われてはっとした。
そうだ。あかねはアンナ・バレルに拉致された。その時に己はこの地の底へと叩き落とされた。アンナの勝ち誇った顔が浮かび上がる。
「で、何で貴様はあかねのところへ行かなけりゃならない道理がある?説明しな。そこのところをちゃんと訊かねーと連れて行くにしても、始まらねーっ!」
乱馬はその場へどっかと座り込んだ。
返答次第では動かないぞというパフォーマンスだ。
暫く玉は考えていたが、静かに黙した。
『いいでしょう…。かいつまんでお話します。私はこの聖域を守る者。遥か昔、ここを守るためにこの場所へ据えられました。気の遠くなるくらいの悠久の時の中、私たちの文明の一部を守ってきたのです。次の人類へと伝えるために。』
「ほお…。で?」
『この星は今から四百年前あなたがた人類に発見された。それから数百年後、この地まで到達し、この星を開発した…。』
「ああ、バレル一族だな。」
『でも、彼らはここまでは辿れなかった。勿論、空間の割れ目には気が付いたが、それ以上は何も知りえなかった…。私の存在にも気付かず、ただ、己の私利私欲を貪るのにこの星を利用してきただけ。』
「へえ…ということは、ここへ足を踏み入れた人間っていうのは。」
『あなたが初めてです。乱馬。』
玉は静かだが厳しい口調に変わった。
『彼らはこの星をその悪しき魂で汚したばかりではなく、跡形もなく破壊しようと目論んでいます。』
「な、何だって?」
乱馬は目を見張った。
「あかねをさらった奴らがこの星を破壊するってか?どうしてだ?やつの先祖、バレル財団が開発した星だぜ、ここは。」
『何の価値もない不浄の星と彼らは思っているのでしょう…。利用するだけ利用して、ゼナへと生贄を持ち去った後は、もう要らない。ここに残した忌まわしき記録ごと吹き飛ばそうとしているのです。』
「そこまでわかってるなら、何でおまえ自身が動かねえ?」
『…残念ながら、私は、意識は飛ばせても、自分で動いて、直接、超力を発動することはできないのです。』
「だから俺に連れて行けというのか。」
『そうです。このまま、この聖域ごとこの星を破壊されるのをみすみす待つわけにはいかないのです。自分の任務を遂行するためにも。』
「なるほどな…。で、もう一つの質問だ。あかねとおまえとはどんな関係にあるんだ?何でおまえをあかねの傍まで連れて行く必要性がある?」
『それは、彼女は私の超力(ちから)を受け入れることができる器(うつわ)を持っているからです。彼女には強いエナジーが感じられます。』
「エナジー?」
『あなたがたはその能力をを「ミュー」と呼んでいるかもしれませんが…。この危機を乗り切るために、私の超力を彼女に解放したいのです。彼女に眠っている大きな超力、それを覚醒させるのです。そして、この星を破壊から守りたい。それが私の役目ですから。』
「とてつもない大きな超力を…あいつが持っているっていうのか?」
『厳密にはあなたがたが言っているミューという超力と私の言う超力とは似て非なるものす。上手く言葉が見つからなくて、そう表現しましたが…。ゼナもどうやら、あかねさんの持つ、潜在能力に気が付いたようです。』
「あん?」
『だから、あかねさんをさらったのです。あなたには俄かに信じられないことかもしれませんが…。とにかく、彼女を彼らの手に渡してはなりません…。だから、私は、自身の超力を分け与えなければならないのです…。眠っている彼女の超力を覚醒させるために…。』
「で、あかねの超力を覚醒させて、それからどうするんだ?」
『奴らの手からあかねさんを引き剥がし、奴らを倒し、そして、こちらへ向かってくる地球連邦艦隊を退けます。』
「ちょっと待てっ!今何っつった?地球連邦艦隊がここへ向かってるだあ?」
勿論、彼は連邦の艦隊がこの星が攻撃態勢にさらされていることを知らされてはいない。
『ええ…私は彼らの通信を傍受しました。それによるとあと三十分で射程距離に入ると。』
「射程距離って…。追撃ミサイル弾のかあっ?な、何のために連邦軍がこの星をぶっ放そうだなんて…。ここには一般人も居るんだぜ。」
『ゼナを攻撃し、なおかつミューの因子を持つ人間を闇に葬り去るため…。そう仕組まれた作戦です。たとえ一般人を巻き込んでもかまわない…。そう判断したのでしょう。おろかなことです。』
俄かには信じがたかった。だが、エージェントとして冷静に分析すれば、確かに、大量のミュー因子保有者を処刑するには、ゼナを持ち出すことは「言い訳」作りともなる。ミュー因子保有者の多くは厳密にはミューではない。遺伝子を送り込む可能性があるというだけで、能力は開花していないのが常だ。そんな疑惑者だということだけで表向きに葬ろうとすれば、マスメディアの攻撃対象になり、人々の非難の目にさらされかねない。
が、ゼナとの戦いになった場合はどうだろう。まだ、一部分しかゼナの存在は知らされていないが、反乱軍の計略を阻止するためにやむなく犠牲になったと説明すれば、大量殺戮も可能になる。
大まかに言えば、連邦政府からしてみれば、ゼナも反乱因子の一勢力なのだ。
(抹殺…か。嫌な考え方だな…。)
乱馬は黙った。
『いずれにしても、このままだと、あかねさんは奴らに連れ去られ、この星は跡形もなく破壊されてしまうでしょう。……。それを阻止するためには、私の超力の一部でも受け入れられる人間に、超力を与えて、最悪の事態を凌ぐしかないのです…。』
「超力を与える…、か。胡散臭い話だな…。その超力、俺では受け入れられねえのか?」
乱馬はじろっと玉を流し見た。
『残念ながら、あなたは男だ。たとえ、あなたに超力があっても、私は生憎、女性としか交信ができないのです…。』
「例えば女に変身できたとしてもか?」
暗に呪泉の水の呪いのことを持ちかけようとした。
『いえ、いくらあなたが呪泉の水で女に変身できようとも、精神は男。だから、私の超力はあなたには伝達できません。』
「女しか同調はしねえってわけか…。何か気に食わねーな。その超力。」
『ふふふ。大丈夫ですよ。交配するとかそういったことじゃありませんから。あくまでも精神的に交信するだけのこと、それに、私は一応、女ですから。』
乱馬は一呼吸置いて考えた。ここで判断せねばなるまい。この玉の要請を断った場合、到底この地の底からあかねの居る場所には上がれまい。
だが、得体の知れない玉の頼み事だ。納得のいかない部分もたくさん残っている。信用して良いものか悪いものか。
エージェントとしての嗅覚も今回は分が悪いのか働かない。
(信用してみるか…。)
そう結論付けた。
いずれにしてもあかねを助けに行かなければなるまい。それに、なびきのことも気になる。
(なびきのことだ、どっかでちゃっかり生きてやがるだろうがな。)
そう想いを巡らせたところで、玉に向かって吐き出した。
「いいだろう。乗ってやるぜ。その話。」
何が何でも進めるところまで突き進むだけだ。そう結論付けたのである。
二、
『急いでください。我々には時間が残されていませんっ!』
「で具体的にはどうするんだ?」
乱馬は玉を見詰めた。
『こちらへ…。解放(レリーズッ!)』
玉の周りには結界が張り巡らされていたのだろう。空気が一瞬大きく揺れた。
『さあ、こちらへ。私の本体へその手で触れてみてください。』
玉は乱馬を結界の中に導くとそう声をかけた。
乱馬は言われたとおり、部屋の中央にある玉台に近寄った。丁度己の胸の高さくらいに据えられている玉台の上の玉。赤く息づくように、光が点滅している。赤の中に浮かぶ、不思議な文様。それはまるで天に羽を広げたエンジェルの文様のようにも見える。
『そのまま、掌を下にして、私の上に手を置いてください。』
玉は乱馬へ指示した。
「ああ…。」
乱馬は右手を差し出して、胸元の高さにある玉の上へと翳すようにゆくりと置いた。
ブウンと軽く音がして、玉が振動したように見えた。
と、掌が玉に引き寄せられるように、ぴたりとくっ付いた。それだけではない。玉に触れた掌に向けて、何やら、物凄い「超力」が集中してくるような感覚に捕らわれた。
玉の中に眠るとてつもない大きな力。それが、玉を通じて己に競りあがってくるような感じを受けたのである。ともすればその超力にねじ伏せられそうになる自分をぐっと堪えて、乱馬はじっと気配が治まるのを待った。
だが、一向に気配は止まない。それどころか、最後に一気に玉の中から得体の知れない強い力が雪崩れ込んでくるような気がした。
「うわっ!」
一瞬だったが、その強い力に身体が押し出されて、上に浮き上がりかけた。
『しっかり、踏ん張って、超力の伝達が終わるまで耐えてください、』
その声と共に、彼はぐっと堪えて足を地面へと踏ん張った。そうでもしないと、上に飛び上がってしまいそうだったからだ。
その間にも続けて流れてくる強大な超力の渦。
眩いばかりの光が一瞬弾け出して、その力の伝達は止まった。
『もういいわ、手を私から離して御覧なさい。』
玉が喋った。
乱馬は恐る恐る手を玉から退けた。
「こ、これは…。」
掌を見てぎょっとした。掌の中央部に、直径ニセンチほどの小さな赤黒い血の色の玉が皮膚にめり込むように埋まっていたからだ。丁度玉が半分、埋め込まれたように覗いている。痛みもうずきも何もない。だが、確かに玉はそこへ埋まっている。
『私の超力の一部をそこへ転写しました。つまり、あなたのその掌の玉は私の分身です。それを、あかねさんの所へ行ったら、彼女に向かって翳してください。』
「これをあかねに翳すのか?」
『はい。そうすれば私の本体から、あかねさんに向けて超力を発することが出来ます。』
「わかった…。良く効果もわからねえが…。これしか方法がねえのなら、最後まで付き合ってやる。」
乱馬は玉を見据えながら言った。
『玉があかねさんのところへと誘ってくれるはずです。どうか、この星を破壊と殺戮から守ってください。私はこの星の、この聖域の運命を、あなた方、二人に預けます。』
玉はそう言うと、光を放ち始めた。
『行きなさいっ!乱馬っ!あかねさんの元へ。』
そう言うと玉は思いっきり光を発光した。
「わあっ!!」
その強い光に耐え切れず、乱馬は思わず目を閉じた。
天井が開き、上に向かって空間が開けた。それに飲み込まれるように、乱馬はそのまま吸い込まれて行った。
物凄いエネルギーの流れだった。
乱馬は息も出きぬくらいの激しい風に煽られて、ひたすら上方へと飛び上がった。
「くっ!」
必死で歯を食いしばる。
『このまま彼女のところへ飛ばします。後は、私を彼女へと思い切り翳してください。そうすれば、彼女は目覚めます。多分…。』
「多分?…随分いい加減な話なんだな。」
『こればかりは、翳してみないととわかりません。でも、確かに彼女の中には潜在能力が存在します。ゼナの闇が彼女に手を伸ばしたのが良い証拠。』
「いずれにしても、サイは投げられた。行くしかねえってことか…。」
乱馬は不思議な力に押し上げられながら、玉が埋まった右手の掌をぎゅうっと握り締めた。
少し上に上がったところで、乱馬を引っ張る力が止まった。
「どうした?急に止まって。」
怪訝に問いかける乱馬に玉は言った。
『あれを…。』
「あれ?」
掌の玉はすっと光を解き放った。辺りがぱっと明るくなって岩壁が照らし出される。
「あれは…。」
何か黒い塊が岩壁にへばりついているのが見えた。明らかに人工物だ。
『中性子爆弾です。小型だけれど、この星を吹っ飛ばすくらいの威力は持っているはず。』
「な、何だって?」
乱馬はゆっくりとそっちへ向かって玉の力に誘導されるように旋回する。
「見たこともねえ、タイプの爆弾だな…。」
乱馬の顔が厳しくなった。
『大丈夫。このくらいの単純な機械なら、私の超力で十分ばらせます。』
「へえー。おめえそんなことも出来るのか。」
『玉をそのまま爆弾へ翳してください。』
「わかった。」
乱馬は言われたとおり爆弾へ向かって掌を翳した。
真っ赤な一筋の光が爆弾に向けて伸びる。何か、玉は超力を爆弾へと送り込んでいるように見えた。
一分ほどで光が止む。
『中身をばらしました。これでこの爆弾はただの箱。さあ、急ぎましょう。』
得体の知れない超力をこの玉は秘めている。乱馬はじっと掌を見据えた。
本当に、この超力をあかねに翳してもいいのか。躊躇したのも確かだ。
その時だった。
微かな揺れを身体に感じた。
「星が揺れてる?」
はっとして暗い上空を見上げる。
『恐らく、地球連邦軍の進撃機の攻撃が始まったのでしょう。これはミサイルの爆風による揺れです。』
「連邦軍の連中か…。ゼナの連中といい、たく、四面楚歌だな。どっちを向いても敵だらけってわけか。」
『急いでくださいっ!ゼナの連中もこれに発破をかけられて直ぐにでも飛び立つ手筈を整えている筈。スピードを上げます。』
「わたっ!急に浮き上がるなっ!俺は機械とは違って生身の人間なんだぜ。」
『わかっています。でも、急いで。』
確かに迷っている暇はないだろう。一刻も早くあかねのところへ到達しなければ、助けられるものも助けられなくなる。
(待ってろ!あかねっ!今行くからなっ!)
ただそう念じながら、乱馬は上空へと飛び上がっていった。
三、
「ふん、連邦軍の攻撃が始まりよったか。」
ジョージ・バレルがいまいましげに吐き出した。
「大丈夫。暫くはここへは到達しませんわ。強力な結界のバリアーを張っていますから。それに、誘導波で他の場所へ爆撃を逸らすようにプログラミングしています。」
アンナ・バレルが笑った。
「用意周到なことだな。」
「あら、だって、こんなところで連中にやられるわけにはいきませんわ。それに…。輸送船は連邦艦隊を偽装します。奴らの中に溶け込んでそのままこの星を離れ、空間トンネルへ逃げ込みます。それからは、いつものように…。木星空域の外れに据えられた、転送装置から…。」
「亜空間ワープか…。」
にっこりとアンナは微笑んだ。
「後は運搬物をカプセルごと輸送船に運び込むだけ。」
下りてくる巨大な機械に、アンナ・バレルはにっと笑いかけた。
「この部屋ごと、あの宇宙艇へ運び込むのか。ご苦労なことだ。」
ジョージ・バレルはふふんと鼻先で笑った。
「この建物は特別仕様ですもの。この大仕事が終われば、この星は砕けてなくなる。今回、私たちは連邦政府の無謀な作戦の被害者になるんです。奴等が攻撃を仕掛けて数分も経てば、手に入れる保険金だって半端な額じゃない。無能な連中には、私たちとにビルを繋ぐ証拠だって何一つ得られないはず。莫大な保険金と保証金をせしめて、バレル財団の新たな基地を求めて太陽系内の小さな衛星をまた開発すればすむことですわ。」
「今、第四ホテルが破壊されました。そこへ収監していた、二百体ほどのカップルは絶望的だと思われます。」
司令塔から伝令が飛んでくる。
「そのくらの被害は計算済みよ。第四ホテルの荷物は諦めるわ。それより、急いで頂戴。早くここを飛び立たなければ…。」
その時だった。
「決してここからは飛ばせないわっ!アンナ・バレルっ!」
甲高いきつい声。
天道なびきだった。
九能共々、張り巡らされた誘導装置の輸送路を辿って、ここへもぐりこんだのだった。
「あら…。連邦側にもそこそこ優秀なエージェントが配置されていたようね。」
さほど驚いた様子もなく。アンナがなびきを見返した。
ざざざざざっとアンナを取り囲んで守るように、ゼナの戦士たちが武器を持って現われる。
「みすみす逃がしてしまうのは悔しいからね。お相手させていただくわ。アンナ・バレルっ!」
なびきはじっと彼女を見据えた。
「ふふ。お手並み拝見といきましょうかっ!」
なびきはだっと横へ飛んだ。
「九能ちゃんっ!」
その声と共に、炸裂する爆薬。
ジジジッと音がして部屋中の什器から煙が立ち上がる。
「へえ、なかなかやるじゃないのっ!」
「この部屋を破壊してしまえば、宇宙艇へは乗せられなくなる。違うかしら?」
なびきはアンナを見上げて言った。
アンナはすっと飛び上がった。
「ゼナの技術力を甘くみないことねっ!」
そう言いながら手を翳す。
「なっ!」
ゴゴゴゴっと床が揺れだした。
「この部屋が宇宙艇なのよ。それに、破壊されたといっても、中枢神経までやられたわけじゃない。あくまでここは、宇宙艇の一室。そんなところに重要な機器はない。」
「九能ちゃんっ!上よっ!この上に操舵室があるわっ!」
「そちらへは行かせないわよっ!連邦のエージェントさんっ!」
アンナは周りの兵士にさっと目で命令を飛ばした。ざっと銃を構えてなびきを狙う。
「させないわっ!」
なびきは持っていた小型爆弾を、兵士たちへと投げ上げた。
ドンドンドオン。
爆裂音が響いて、辺りに硝煙が立ち込める。
「なかなかやるじゃないの。ふふ。あなたもあたしたちと一緒にゼナへいらっしゃいな…。とってもいい戦士になれるわ。どう?優遇してさしあげてよ。」
アンナがなびきを見下ろした。
「丁重にお断りするわ。」
アンナとなびきはにらみ合いながら対峙する。
その上方では九能が戦闘を続けているようで、銃器の音がひっきりなしに響き始めた。
「本当に困った悪戯なお子様たちね。…お父様っ!」
アンナは父を呼んだ。
その声に反応して、脇に立っていたジョージ・バレルが何かスイッチを入れた。
シューと音がして霧状の空気がなびきを包んだ。
「な、何っ!」
「一種の神経ガスよ…。」
にっと笑ってアンナが見据えた。
「それもね。空気より重いから下へと溜まるタイプなの。ノズルよりも高い位置に居る私たちには平気ってわけ…。」
「姑息な手を…。」
「勿論。空気よりも軽い神経ガスもあるわ。連邦の女戦士さん。」
「うわああああっ!!」
さらに上からは九能の声が響く。
「九能ちゃんっ!!」
なびきは上方に向かって叫んだ。
「効果てき面。上に向かっては空気より軽いガスを吹き付けたわ。」
アンナが不敵に笑い転げる。
「あなたの相棒もガスにやられたようね…。ほら、もう静かになったでしょう。」
確かに銃火器の音が止んだ。九能の気配も下りてこない。
「安心なさい。ここまで入ってきた勇気に敬意を表して、二人ともゼナまで連れて行ってあげるわ。…無傷のままね。向こうで忠実な兵士に洗脳してあげる。暫くそこで転がっていなさい。ここを飛び立って安定飛行に入ったら、カプセルを用意してあげるわ。特別性のね…。ふふふふふ。」
アンナの笑い声が響く。
「くっ!まずいわね…。」
なびきは床に這いながら踏ん張ろうとした。だが、神経を麻痺させられて身体に力が入らない。それどころか、目も霞んできた。
エンジンの音がグワンっと鳴った。
「出発の準備が整ったようね…。地球連邦軍の攻撃もだんだんと激しくなってきているようだし…。そろそろここを離れましょうか…。」
「ああ、そうしようか。アンナよ。」
と、なびきが倒れていた床が俄かに光った。
「危ないっ!」
強いエネルギーを瞬時に察知したのだろう。アンナとジョージ父娘はぱっと横へと飛び避けた。
そこへ吹きあがって来る真っ直ぐなエネルギー波。アンナたちのいる空間を突き抜けて、更に上方へと突き抜けていく。
と、うなっていたエンジン音がぷっつりと止まった。
「誰っ!」
アンナの怒声が響き渡った。
ぽっかりと開いた床穴から静かに競りあがってくる青年。
「あなたはっ!」
「へっ!待たせたな…。なびき。」
ゆっくりと浮き上がりながら青年は答えた。
「乱馬君っ!」
動かぬ体を精一杯巡らせて、なびきは彼を見据えた。
つづく
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