◇ダークエンジェル4
    闇の狩人 覚醒編


第一話 アンナケへの誘い


一、

 どこまでも続く漆黒の闇。
 纏わり付くように、美しい白い肢体に伸びてくる闇の魔手。
 それを振りほどこうと必死で足掻く。
 金縛りにあったように声も出ない。

「いやっ!来ないでっ!あっちへ行ってっ!乱馬っ!乱馬ぁーっ!!」
 相棒の名前を必死で叫ぶが、音もない空間。声も出ているのかどうかわからない。
 口を開いたが闇が、目の前でふっと笑ったような気がした。

『超力(ちから)を…。』

 どこかで女性の声が響く。

『超力を解放なさい…。あなたの身体に穿たれたその超力をっ!!』

 ぐっと拳を握り締めたその瞬間、ぱっと目が開いた。






「ゆ、夢?」
 息は荒い。ぐっしょりと汗で背中が濡れていた。どうやら今のは夢だったようだ。
 
「どうした?あかね…。」

 ふっと傍で声が響いた。

「!!」
 あかねは思わず、がばっと上体を起こす。と、悪戯な瞳がこちらを見詰めているのとぶつかった。
「ら、乱馬ーっ!」
 焦って辺りを見回す。部屋の端っこに、置かれたおさげの人形。その手前に、一人の青年が佇んでいるのが目に入った。
「ちょっとっ!あんたっ!人の部屋で朝っぱらから何やってるのよーっ!!」
 握った拳を思いっきり振り上げていた。
 それを難なくひょいっと交わすのは彼女の許婚、早乙女乱馬だった。
 
 ナオムという見習いエージェントの少年をこのステーションで預かってそろそろ五十日目。その間、この許婚の青年と惰眠すら共にすることは殆どなかった。途中、東風先生の粋なはからいで「癒しの時間」と称して、爆発寸前の彼のストレスを何度か癒すのに一緒に過ごしたことはあったが、それも片手で数えるばかり。
 昨夜だって、任務前の休暇中であったが、居住区にあるそれぞれの部屋へ分かれて睡眠に入った筈だ。鍵もちゃんとかけていた。なのに、何故、彼がここに居るのか、あかねには解せなかったのである。
 彼がここに居るということは、強行突破、つまり「夜這い」してきたということに等しい。言ってみれば「不許侵入」だ。
 あかねが怒るのも無理がない。

「そう怒るなよ…。俺は、ちゃんと自分の部屋で睡眠はとったんだから。」
 ひょいひょいっとあかねの拳を交わしながら彼が言った。
「じゃあ、何でここに居るのよっ!この助平っ!!」
 ばふっ、とあかねは枕を投げつける。それを胸で受け止めると、彼は笑った。
「起こしに来てやったんだろ。おまえ、目覚まし(アラーム)かけるの忘れてたろ…。もうとっくに起床時間、過ぎてんだぜ。」
「へ?」
 大慌てで、時計へと目を転じる。針は九時を大きく上回っている。

「やだっ!!もうこんな時間っ!!」

「だから、起こしに来てやったんじゃねえか。たくう…。俺は感謝されこそすれ、怒られる筋合いはねえぞっ!」
 そう吐き出すと、あかねの真正面へ、悪戯な瞳が手向けられた。
「乱馬?」
 至近距離から見詰められると、思わず身体がすくんだ。
「せっかくだから、お礼とお詫びくらいは貰っとく…。」
 にっと笑うと、強引に顔を両手ですくい上げてきた。

「ん…。」

 間近で漏れる、甘い吐息。及び腰のあかねを乱馬はぐいっと引き寄せる。熱い唇を宛がい、強引に求めてきた。起き抜けの、濃厚なベーゼ。
 それだけではない。身体をぴたりと密着させ、なかなか離してくれないのだ。
「ん…。」
 差し込まれてくる熱っぽい舌。甘露のように絡ませながらあかねを求めてすくい上げる。
 その激しさにだんだん苦しくなってくる。息つく暇がないのだ。じたばたしようにも、身体は逞しい腕にぎゅっと抱き寄せられている。身体は乱馬にぴたりと密着していて、動くこともできない。
 そのまま、窒息するのではないかと思ったとき、ようやく彼の口があかねを解き放った。
「ごちそうさんっ!」
 そう言って舌なめずり。彼はにっと笑った。
「もうっ!朝っぱらから、濃厚なキス、ねだらないでよっ!!」
 あかねは上がった息をそのままに、彼に言葉を投げつける。
「さて、急げよ…。何か召集がかかってたぜ。」
 彼は動じることなく、ポンっとあかねの頭を軽く叩(はた)く。
「それを先に言いなさいなっ!!」
 だが、彼はにやにやしながら、なかなか部屋を出て行こうとしない。
「ちょっとあんたっ!まさか、あたしの着替えを覗こうなんて、思ってないでしょうねっ!」
「ン…、そのつもりなんだけど。」
「いっぺん死んで来いーっ!!」
 そこら辺にあったものを思いっきり彼に投げつける。
「あはは、冗談だよ、朝っぱらから元気だなあ。あかねちゃんはっ!じゃあ、早く着替えて司令室へ来いよっ!皆待ちくたびれてるだろうぜ。」
 乱馬は笑いながら逃げるようにドアの外へと駆けて行く。

「たく…。何考えてるのよ、あの男はっ!!」

 はあはあといかり肩であかねは怒りを撒き散らした。

 と、ブンッと音をたてて、空間にモニターが開いた。
『ちょっと!あかねっ!朝っぱらから乱馬君といちゃついてるんじゃないでしょうねっ!!彼が起こしに出てから何分かかってるのよっ!!』
 いつもにも増して、なびきの口調が荒い。
「何分って、ほんの五分もかかってないと思うけど…。」
 きょとんとして見上げると
『何言ってるのっ!乱馬君がそっちへ行ってから小一時間はたってるわよっ!!いい加減になさいよねっ!!』
「そ、そんなはずはないと思うけれど…。」
 と思って言葉を止めた。
(もしかして…。あいつ…。あたしの寝顔覗いてた…。)
 わなわなと震え出す。多分、そうなのだろう。彼ならやりかねない。そう思ったのだ。
 ここのところ、ナオムのせいで同じ部屋で寝起きしていないから、ここぞとはかり寝顔を堪能していたのかもしれない。

『とにかく、早く来なさいっ!指令があるんだからねっ!』
 ブンっと慌しく画面は途切れる。



二、

「こらっ!乱馬っ!!」
 司令室へ行って、早々あかねは乱馬の首根っこを押さえつけた。
「これっ!あかねっ!止しなさいっ!!」
 開口一番、父であり司令官である早雲から一喝。乱馬はぺろっと舌を出してみせる。
(あとで絶対とっちめてやるんだからっ!!)
 怒りが収まらないあかねだった。さっき、悪夢に苛まれていたことなど、もう忘れていた。

「集って貰ったのは今度の任務のことでだ。」

 あかねは面子を見回して、彼が居ないことに気が付いた。
 彼。このステーションにやってきた研修生、源ナオムだ。

「ねえ、何でナオム君が居ないのよ…。」
「そんなこと俺が知るわけねえだろうっ!」

「こらっ!そこっ!真面目に聞きなさいっ!!」

 何となくなびきがいつもになくビリビリしている、そんな感じを受けた。

「実は、本日予定していたのナオム君のここでのラスト飛行が変更になったんだ。」
 早雲が唐突にそう言った。
「変更?おやっさん、そりゃあどういうこった?」
 この飛行の運行責任者だった乱馬が怪訝な顔を向けた。
「端的に言おう。別の指令が地球連邦軍本部の方から入った。」
「地球連邦軍本部だって?」
「そうだ…。」
「でもよ、なびき、ナオムが天道コーポレーション(うち)に居る間は、連邦中枢部関係の任務は受けないって言ってたじゃねえか。」
 乱馬はちらっとなびきを見返した。
「そのつもりだったんだけどね…。」
 ごにょっと言葉を濁したところを見たら、事情が変わったというのが分かる。
「そう暢気(のんき)なことを言ってられねえ事態が起こった…まあ、そんなところか、おもしれえっ!」
 乱馬がふつっと言葉を吐いた。そろそろ、ただの連絡任務のような小さな研修運行には飽きていた。少し嬉しそうに微笑む。
「で、その割り込んできた任務ってどんなものなの?緊急指令かしら。」
 今度はあかねが父を見返した。

「ダークホース号に連邦の学者と機材を乗せて、アンナケへ飛んで欲しいそうだ。」

 早雲の口がゆっくりと任務の骨子を告げた。

「アンナケ…。」

 その言葉を聞いて、乱馬とあかねの肩がピクンと揺れた。

「言うまでもないと思うが…。この任務に君たちの超力は、恐らく不可欠になるだろう。」
 重い口を早雲は続けて開いた。

「で、何のために今更あの星へ…。おやっさん。」

 乱馬が神妙な顔つきになって早雲を見返した。

「あたしが説明するわ。」
 すいっとなびきが前に出る。

「これを見て…。」
 予め用意していたのだろう。なびきは持っていたリモコンを目の前に突き出した。それに反応して、ブンっとモニター画面が開く。それから慣れた手つきでさらにリモコンを操作する。
 と、何かの映像が流れ始めた。軽い音楽と共にながれる女性の声。
「これ…。地球の報道番組?」
 あかねが画面脇を見て言った。そこには、地球放送の証であるマークが浮き上がっていたからだ。
「黙って見なさいっ!」
 なびきはボリュームを上げた。

『最近、大西洋の海底から古代文明と思われる遺構が発見されました。これは政府の海底探査機が見つけたものです。』

 そこに映し出されていたのは、確かに、何かの遺構に見えた。

「これが何だってんだ?」
 乱馬が怪訝な顔をなびきに手向けた。

「ほらほら、まだ続くんだから、黙って画像を見て…。」
 なびきは少し音量を上げた。

『……これが、今回、大西洋の海底から発見された遺跡です。さらに驚くべきことにこの遺跡は、人類がこの地上に出現したといわれている時代を遥かにさかのぼると見られています。遺跡を少し、深海艇で探索してみましょう…。』

 変わってモニター画面に映し出されているのは、海底深くに眠っていた遺跡の映像。

「良く見ておきなさいよ…。」
 なびきは乱馬とあかねに声を掛けた。
 順繰りに映し出される遺跡。

『何千年、いや何十万年もの間、沈んでいたにも関わらず、この遺跡は全く腐食されていません。これは奇跡に近いことだと、学者たちは皆口を揃えます。古代ローマ帝国を遥かに凌駕する、この美しい羽を持つ豹の像。』

 カメラがその像を映し出したとき、乱馬の表情が明らかに変わった。
「これは…。」
「やっぱり何か知ってるのね、乱馬君。」
 その様子を見て、すかさずなびきが言葉を返した。
「あ、いや、はっきりとはわからねえけど…。画像が暗すぎるし…。近くで見たわけじゃねえし。」
 反応した乱馬になびきは言った。
「ちゃんと良く見てなさいよ。」
 と。

『この像のように、ここに住み、この文明を築き上げた人類は、我々ホモサピエンスとは異なる種族であったかのことを物語っているのかもしれません。この歴史的な発見は、考古学者のみならず、各方面に波紋を広げています。見てください。この美しき文様。文字のようにも見えるマーク。』

「あれはっ…。」
 乱馬の手が画面を指したまま固まった。映し出されたマークに、確かに見覚えがあったからだ。
 なびきはそこで画面を止めた。
 映し出されたのは、印象的な円形の幾何学的文様。クロスのような十文字と羽を表すとも思える美しき三角。真ん中には玉が埋め込まれている。
「あの印は…。」

「そう、あのマーク。あの時のマークよ…。そうだわよね?」
 なびきの口元が軽くほころんだ。この任務の意味がわかった?と彼に問いかけんばかりに。
「あのマークが何故、地球の海底にあるんだ?…。」
 乱馬は指を前に組みながら言った。
「さあ…。それは私にもわからないわ。でも…。何か繋がりがあることだけは確かね。あたしもはっきり見たもの。アンナケのあの場所でね。」
 なびきが答えた。
「あかねはどう?あのマーク。見覚えある?」
 その問い掛けにあかねは答えた。
「見覚えがあるかと言われたらあるような気もするけれど…。覚えてはいないわ。」
 曖昧な答えを返す。
「そりゃ、当然だ…。あのときのあかねは正気を失っていたに等しいからな。」
 乱馬が憮然と答えた。
「いずれにしても、あの時、あたしたちが見たマークと、海中で見つかったマークは、同じ文様…てことになるわ。違うかしら?」 
なびきが乱馬を見返した。
「アンナケのあの場所と海底遺跡は同じ者たちが作ったものって考えることもできるな…。」
「ええ、だからこそ、この事実を重く見た、連邦政府が動いたってわけ。わかる?」
 なびきが真剣な眼差しを手向けた。
「ああ。で、アンナケを調べに行く、連邦学者が居るってわけか。もしかして。」
 乱馬は鋭い視線をなびきに手向けた。
「そういうことね…。」
「そして、それをさりげなく護衛しろってか…。それとも、俺たちに道先案内をしろとでも言いたいのか…。」
「まあ、どっちとも取れるわね。」

「とにかく、イーストエデンとウエストエデン、双方にこの機密調査の補助を依頼してきたというわけだ。しかも、この航海は、ナオム君にも同行させなければならない。難しい任務となる。」
 早雲が言い切った。

「な、何だってえっ?」
 乱馬は冗談じゃねえと声を荒げた。
「おやっさん、正気なのか?俺たちの超力(ちから)は超極秘事項なんだぜ。それをあんな見習いのガキ、同行させたら…。」
「ばれてしまうかもしれないわね…。」
 なびきが口を挟んだ。
「でも、研修生を乗せておかないと、ウエストエデンの連中を欺けないんでね…。」
 早雲が苦笑いを浮かべた。
「どういうことだ?」
 納得がいかないと乱馬は詰め寄る。
「だから、あんたたちを普通のエージェントクルーに見せかけるためよ。じゃないと、ウエストの連中に、いらぬ詮索を抱かせるわ。「ダークエンジェル」の超力を秘めるかもしれないエージェントだってね…。イーストからは二隻しか船が出ないもの。」
「二隻って、別のステーションからも宇宙船は出るのか?俺たち以外に。」
「そうよ…。隠れ蓑に使えってあたしが打電しておいたから、適当に見繕って出てくるわ。」
「ウエストは何隻来るんだ?」
「同じく二隻よ。こういうことは平等でなくっちゃいけないというセオリーに乗っ取ってね。」
「何か胡散臭(うさんくさ)い任務だな…。」
「仕方ないわ。こういう稼業なんですもの。」
「というか、かなりきついぜ。この任務。ダークエンジェルの超力をこれみよがしに使うわけにはいかねえし…。それだけじゃない。ゼナの連中も何か仕掛けてくるかもしれねえぜ。あの事件がどこかで絡んでいるとしたら…。」
 乱馬は爪を噛んだ。

「大丈夫よ。だから、あたしも一緒に出るわ。」
 なびきがプツンとモニター画面を切った。

「あん?」
 乱馬がはっとしてなびきを見返した。
「だから、あたしも出てあげるって言ってるでしょう…。じきじきにね…。」
「お姉ちゃんが?」
 あかねも驚いたように見返した。
「ちょっと待て。じゃ、今回の任務。」
「あたしも出ないと収拾がつかないでしょう。あんたたちだけに任せておくのも不安だし。それに…。あたしもあのマークはこの目に焼き付けているんだもの。」

 乱馬はそれ以上言葉を継がなかった。
 自分で出ると宣言した以上、この、凄腕の諜報部員、天道なびきは一緒にくっついてくるだろうからだ。

 コホンと一つ早雲が咳払いをした。それからすっと切り出した。
「ということだ。天道なびき、早乙女乱馬、天道あかね、そして研修生、源ナオム、この四名は、ダークホース号へ乗り込み、民間船の運営船として、連邦遺跡探査官数名と機材をアンナケまで運び、遺跡の調査の補佐をし、帰還する。それを任務とする。」
 さっと早雲が背筋を正した。それに反応してなびきが復唱する。
「任務。天道なびき、早乙女乱馬、天道あかね、この三名は研修生源ナオムを伴い、四名で任務遂行にあたりますっ!」
「出発はフタマル、マルマル。総員、任務を速やかに履行せよ。以上っ!!」

 任務の開始が速やかに宣言された。

「あかね、さっさと朝食すませなさいよ…。それから顔もちゃんと洗いなさいよ。髪の毛だって逆立ってて、寝坊したの丸分かりなんだから、あんたは。」
「わ、わかってるわよっ!」
 あかねは心持緊張した面持ちでキッチンへと駆け出していた。朝食をまず摂るために。
 それを見送りながらなびきが言った。

「ねえ、乱馬君…。何故あんたは今朝はあかねの寝床へ潜り込んでたのかなあ…。」

 あかねが去った後、なびきはにんまりと彼を見据えた。
「うるせーよっ!あかねの寝顔が眺めたかっただけでいっ!」
「そんなことだけで、鼻の下伸ばして潜り込むのかしら…。普通。」
「あいつ、夢にうなされてたみたいだからな…。心のどっかにまだ藤原晃の闇が残ってるのかもしれねえ…。そんなのほっといて宇宙(そら)へ出られると思うか?」
「なるほど…。それを癒してあげてた…ってところかしらね。」
「……。」
 乱馬は黙り込んでしまった。
「傍で人の名前絶唱されてみろ。誰だって抱きしめてやりたくなるじゃねえかっ!」
 と暫くして小さく呟く。
 なびきにその呟きが聞こえたのか聞こえないのか。
「もしかしたら、今回の任務にあかねが先に反応したのかもしれないわね。」
 なびきはぽつんと言葉を吐いた。
「はん?」
 言わんとしている意味が解せず、乱馬が覗き込む。
「だから、デジャウ。アンナケの闇の女神があかねを呼んでいるのかもしれないってこと…。」

「アンナケの闇の女神…。」

 乱馬はさっき見た、地球の海底の映像をふっと思い出した。

「とにかく、きつい任務になるかもしれないから…。覚悟だけはしておきなさいよ。あの忌まわしい星、アンナケへ再び足を踏み入れるんだから…。それ相応の覚悟はね。」
 なびきが珍しく真顔で乱馬を見返した。
「ああ、そうだな。」
 乱馬も頷き返す。

「で、悪いんだけど…。ダークエンジェルの超力は最後まで封印しておいて欲しいのよね…。」
 にやっと笑った彼女は、さっと乱馬の右手の薬指からリングをすり抜いた。
「あっ!こら何しやがるっ!」
 そう怒鳴りかけた乱馬の背後から、次には思いっきり水を浴びせかけた。
「ち、ちめてーっ!!こら、なびきっ!おまえっ!!」
 みるみる女に変化する乱馬。
「はい、いっちょうあがり、これ止水桶の水だから。言わなくてもわかってると思うけれど。」
 なびきはそう言い終えると、抜き取った乱馬の手にリングを返した。
 このリングは、呪泉郷の呪いを緩和させる耐水リングであった。この指輪をはめていると、かかる水が直ぐに湯へ変化し、変身を催させない。だが、これを抜いておくと、水をかけられると女に変化する。しかも「止水桶」の水は変身を固定する作用があり、「開水壷」の湯を浴びせないと元の男の姿には戻れないのだ。
「これも、持っておきなさいよ。念のためにいくつか身体に仕込んでね。」
 そう言って縮小カプセルを乱馬に渡す。この中には開水壷で沸かした湯が詰め込まれている。
「これじゃあ、あかねとキスもできねーじゃんかっ!同性同士で楽しむ趣味なんて俺にはねえぞっ!!」
 乱馬は恨めしそうになびきを見返した。
「キスくらい、任務が終われば、いくらでもやったらいいでしょう?…それに、あんたたちには思い出の場所へ行くんだから…。何事もなく任務が終われば、思い出に浸る事だってできるでしょうが。」
「何が思い出だよっ!何が…。くそーっ!!なびきっ!てめえは絶対、まともな死に方しねえからなっ!」
「そんなもの望んじゃいないわよ。この宇宙(そら)で生きるって決めた時からね。」


 なびきは後ろ手に手を振ると、さっさとそこから立ち去った。

 難しい任務になることは、容易に予見できた。

「ダークエンジェル…。この超力…使いたくねえな。あそこでは。…それに「アンナケの女神」は本当に俺たちを呼んでいるのだろうか…。」

 乱馬はぎゅっと己の右拳を握り締めた。その指には、なびきが抜き取ったリングが、鈍い銀の色を輝かせていた。



つづく





アンナケ
運命の「必然」を擬人化した女神の名前だそうです。
20KM直径ほどの小さな木星の衛星。


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