◇天使の涙


 第七話 真実


「さてと、邪魔者の坊やは、宇宙へと消えたわ。」

 マイラーがにっこりと微笑んだ。
「後は、このまま、船をゼナの闇空間へ誘導して、ずらかるだけね。ふふ、こんなすばらしい船まで手に入るなんて。ハルさまが見ればさぞお喜びになるでしょうよ。」
 マイラーは一人悦に入っていた。
「晃、あんたはどうするの?…ふふ、まあ、聞くまでもないかしら。」
 怪しげ微笑みかけながら、あかねを再び腕に抱き上げた晃を振り返った。
「血の儀式。彼女にそれを与えるつもえりだよ。それから、ウエストエデンへ飛ぶ。地球連邦軍のエージェントとして、彼女と任務に就く。」
 晃は愛しいものを見るような目をあかねに差し向ける。
「よっぽど、その娘がお気に入りなのね。晃は。…。私の誘いを拒むほどなんですもの。嫉妬してしまうわ。」
「あかねは穢れなき、天使のような娘ですからね。」
「そうかしら?さっきの乱馬っていう坊やがすでに手を付けているようだけど…。」
「そんなことたいした問題じゃないっ!血の儀式を受ければ、全て忘れてしまいますからね。僕の超力で記憶操作するまでもなく。」
 晃は無表情で言った。
「その子と結ばれて子孫を残したいの?晃は。」
 にんまりとマイラーが笑った。
「さあ、それは…。穢れた子孫を残してもいいものかどうか。僕にはわかりませんから。」
「まあいいわ。もうすぐその娘も目覚めるでしょうよ。せいぜい可愛がってあげなさいな。血の儀式は私も見届けさせて貰うわ。当然の権利よね。あなたをゼナへ導いたマスターとして…ね。」
 そう言うと、マイラーは立ち去った。

「ちっ!飢えた雌豹め。あかねを狙ってやいるのだろうが。そうはいかない。」

 晃は彼女の後姿に、そう心から吐きつけた。

「早乙女乱馬。やけに簡単にこちらの手に落ちたな。君はそれだけの男だったのか?」

 宙を飛ぶダークエンジェル号の窓辺から、暗い宇宙空間へと目を差し向けた。暗い空間は、瞬く星もなく、ただ、闇が永遠と続いているように見えた。




「う…ん…。」

「お目覚めかい?」
 晃の声に、あかねははっとして振り返る。
「え?」
 頭がずきんと唸った。
「ここは…。」
 あかねは周りを見渡してぎょっとした。機械だらけの部屋。いや、それだけではない。異様な妖気のようなものが、目の前を漂っていた。黴臭い嫌な臭気が漏れてくる。
 体を動かそうとして、びくともしないことに気が付いた。何かに固定されている。それも十文字の柱にだ。着ていたパイロットスーツはいつの間にか脱がされ、白い布切れが巻かれただけの簡単な衣装をまとわされている。数千年前の古代ギリシャ時代のような、ひらひらとした衣装だった。

「晃、何の真似よ、これは。」
 降りてきた人影に向かって、言葉を吐きつけた。気を失う前の、彼の行動を思い出したのだ。

「血の儀式よ。」

 背後で低い女性の声がした。

「あんたはっ!マイラーっ!やっぱり、あんたが裏で手を引いていたのね。」

「気が強い子ね。そうよ。全てはこのゼナの精霊マスターの一人、マイラー様の目論み。」

 あかねは振り返って、一層、表情を硬くした。そこに晃の姿を認めたからだ。

「晃っ!この女たちとグルだったの?」

 その問いかけに、晃は黙って腕を組んだまま答えなかった。

「ふふ、嫌われたわね。晃。」
 マイラーは高笑いしながら晃を見やった。
「まあ、いいわ。儀式が終われば、この小生意気な娘も忠実なハルさまの下僕になるわ。」
 さっと手を上げると、何かがマイラーの背後で弾けた音がした。
「何よ、それ…。気持ち悪い。」
 もぞもぞとイソギンチャクの化け物のような、ふにゃけた触手がマイラーの背中から立ち上がる。そして、それはあかねに向かって伸びてきた。赤黒い、グロテスクな生き物のように蠢く。
「これはゼナの御手よ。きれいでしょ?」
 マイラーは不気味な笑みを浮かべながら、あかねを透かし見る。
 触手はマイラーの背中から、ぞわぞわと這いずり上がる。
「ば、化け物…。」
 思わずそう吐き出した。
「あら、あなたにはこの御手の美しさがわからないの?」
「そ、そんなもの、わかりたくもないわっ!」
「生意気な娘めっ!」
 マイラーの目が怪しく光った。と、ビリッと空気を伝わる電撃があかねを包む。
「うっ!」
 ビシビシっと電撃があかねの周りで弾けた。思わず漏れるうめき声。全身に痛みが走る。

「マイラー、いい加減にしろ。あかねはおまえの獲物じゃない。」
 マイラーのいかりあがった肩へ晃が手を伸ばした。
「ふん。そうだったわね。今回のおまえの報酬はこの少女を好きにすることだったわね。」
 マイラーは伸ばした触手を一旦引き上げた。だが、そいつは不気味に、マイラーの頭の上でぞわぞわと動き回っていた。

「あたしをどうするつもり?」
 あかねはきっと二人を見比べた。
「晃がね、あなたをパートナーにしたいんですって。」
「パートナー?」
「ええそうよ。晃はゼナの諜報員なの。もちろん、上辺は地球連邦軍所属の教官、いえ、これからはウエストエデンのエージェントになるんだったわね。あなたにもゼナの精霊、ハル様の血を受けて貰うわ。そして、晃のパートナーとして、一緒に働いて貰う。」
 マイラーの目が再び怪しく輝き始めた。
「嫌だと言ったら?」
 あかねは吐き捨てるように言った。
「おまえに選択の余地はない。」
 冷たい言葉がマイラーから返された。
「お生憎様、あたしには乱馬というパートナーが居るわ。だから、いくら晃の申し入れでも受けるわけにはいかないわ。」

「ふふ、これは滑稽だ。乱馬という小僧は、死んだというのに。」
「な、何ですって?」
 あかねの表情が一瞬凍りついた。
「死んだってどういうことよっ!」
 ぐぐぐっと身を乗り出しながら、あかねが叫んだ。
「文字通りだ。晃が救難カプセルへ彼を詰め込んで、宇宙(そら)へと飛ばしてやったわ。勿論、生命維持装置は外してね。今頃は生きた屍となって、暗い宇宙空間を彷徨っている。ふふ、カプセルの空気は持っても半日。そろそろ、永遠の眠りに就くかしら。何、安心をし。おまえが血の儀式を受ければ、今までの邪魔な記憶は全て洗い流される。乱馬とかいう小僧の記憶も全てね…。」
 とくとくと、マイラーは手に持った聖杯に、水差しからどす黒い液体を注ぎ入れながら答えた。

(乱馬っ!答えてっ!本当に死んでしまったの?乱馬っ!!)

 あかねは目を閉じて、乱馬の心へ直接問いかけた。意識を集中すれば、乱馬とはテレパシーを飛ばすことも可能なのだ。

(乱馬っ!!)

 必死で問いかけたが返答はなかった。もちろん、気配も読み取れない。

「どっちにしても、おまえは、ハル様に忠誠を誓って貰う。有無は言わせない。」
 マイラーは注ぎ終えた聖杯をあかねの目の前に差し出した。
「これを飲み干したとき、おまえは私たちのもの。もし、おまえにミュウの素質があるなら、見事に開花するだろうよ。損な話ではないだろう?」

「嫌よっ!あたしは絶対に、そんな物、飲まないわっ!」
 そう言ったままあかねは目と口を閉じた。

「だから、選択の余地はないと言っただろう?おまえが望もうが望むまいが、そんなことは関係ないのだ。抵抗はできないのよ。」
 するするっと再び、触手があかねの前に伸びてきた。
 そいつはあかねの頬をすっと一撫ですると、マイラーが手にしていた聖杯をあかねの方へ傾けた。ぎゅっと結ばれたあかねの桜色の唇が、その触手によってわずかに押し開けられた。
 そこから浸入する、どろどろとした液体。思わず吐き出しそうになる感触。僅かに鉄分の味がした。
 飲み込むまいと必死で抗ったが、無駄だった。伸びてきた触手が器用に彼女の口元を操り、聖杯の中の液体を無理やり流し込んだのだ。ゴクンっと咽喉が鳴った。
(嫌あっ!!乱馬あっ!!)
 心の声で叫ぶ。だがそのどす黒い液体は胃袋へと流れ込んでいった。

 ドックン!

 体の中の血が全て逆流するような熱さを覚えた。喉が焼けるように痛い。体中から湧き上がってくる「狂気」。縛り付けられた十字架の上で、あかねは壮絶な抗い方を始めた。

「マイラーッ!おまえ、ハル様の血を飲ませたのじゃないのか?」
 あかねの豹変振りに、晃が傍らのマイラーににじり寄った。
 ハルの血を飲んだことがある彼は、あかねの異変にすぐさま気がついていた。ハルの血は「快楽」の園へと意識を高める筈だ。そう、一種の麻薬の爽快感と似通った部分があった。少なくとも己が飲んだ時はそうだった。
 だが、今しがた「血」を飲まされたあかねはどうだろうか?快楽どころか苦痛に耐え、のた打ち回っているように見えたのだ。

 あかねの身体が一度大きく揺れた。
「乱馬あーっ!!」
 一言絶唱すると、そのまま、がくんとうな垂れた。

「おいっ!マイラー。約束が違うじゃないかっ!」

 そう言いかけた時だ。マイラーが手を打ち鳴らして合図を送った。

 ダン!

 一発の銃声が轟きわたる。晃の膝がガクンと折れた。彼の背後から、一人の男がその胸を打ち貫いた。

「マイラーッ!貴様っ!」

 滴り落ちる血を手で受けながら、晃は前のめりにつんのめった。みるみる彼のスペーススーツが鮮血に染められてゆく。

「ふん。こんな上玉を、みすみすおまえ如きにやるのは勿体無いからね。ハル様の血ではなくて、私の血を飲ませたのだよ。ほほほほほ。」
 マイラーは右手の小指を口元に立てて、せせら笑った。
「貴様、まさか…あかねを。」
 晃はマイラーを睨み付けた。
「ふふふ、勘が良い男だね。そうだよ。私の身体にこの娘の意識生命体を憑依させるのさ。見てごらん。この娘の肌の美しさ。そして、生気あふれる肉体。私たちゼナの精霊マスターは、下衆なおまえたちとは違って、生命エネルギーを獲物から受けることによって若返るんだ。ずっと、この娘のような英気に溢れた上玉を捜し求めていた甲斐があったっていうものよ。」
 マイラーはうっとりとあかねの肢体を見上げた。まだ苦しがっているあかねは、身悶えしながら十字架の上に立つ。
「約束が違う!」
「約束?そんなものは最初から守る気などなかったわ。ふふ。ついでに教えてあげましょうか。おまえが、記憶を消し去ってまで、この娘を守ったあの日の出来事の真相を。」
「あの日の出来事だって?」
 顔をしかめながら晃がマイラーを見やった。
「そう、六年前の忌まわしい事件の真相を。」
「六年前の事件…。ま、まさか、エターナ号の…あの事件かっ!」
 その言葉に思わず傷を忘れて晃は突っかかった。
「冥土の土産に教えてあげるわ。あの事故の真相をね。」
「真相?あの船は隕石で沈んだんじゃないのかっ!」
「そう怖い顔をするもんじゃないよ。連邦政府の高官連中が、己の身体を生きながらえさせるために、己の細胞からクローン人間を作り出して育てていることはおまえも知っているだろう?六年前のあの事故船にも臓器提供のクローンとして育てられた者が何名かいたんだ。私の任務は、その子たちを拉致してくることだった。クローンたちをゼナの衛兵にするためにね。血の儀式でクローンたちを洗脳し、そして、連邦要人に成り代わる替え玉を作る予定だったのよ。地球の組織に深く入り込むためにね。だが、私たちの目論見は外れたわ。偶然に飛来した隕石がエターナ号の運航を止めてしまったからね。」
 そうだ。航行の途中に、予期なく現れた隕石の尾尻に捕まって、エターナ号は多くの機材を失ったのだ。制御不能に陥り、宇宙空間を彷徨うことになった。悲劇の始まりである。
「あの航路の先で私たちはおまえたちの宇宙船、エターナ号を待ち受けて襲う筈だったのよ。でも、エターナ号は予定通りには来なかった。途中で遭難してしまったからね。通信システムも何もかも破壊されたエターナ号の場所を知ることもできなかった。連邦軍の連中も焦ったみたいだったわ。何しろ、中に、死を目前に控えていた連邦軍部幹部のクローンも居たんですもの。彼らを無事に地球に届けなければ、その幹部が死んでしまう。彼らもまた必死でで探し回っていたわけよ。私たちと彼らと、どちらが先に、エターナ号を見つけ出せるか。…そして運命の時が来た。」
 晃は黙って睨みつけながら、マイラーの話に耳を傾けた。出血は止まるどころか、鮮血が滴り落ちる。
「殆ど同じくして連邦軍と私がエターナ号を見つけた。私と連邦軍はエターナ号を挟んで対峙した。どちらがエターナ号を先に捕獲するか。奴らは連邦政府の高官が絡む手前、是が非でもエターナ号を回収しなければならなかった。それに比べて、ハル様からの任務は、勿論、子供たちを奪ってくることにあったけれど、最悪、連邦軍が回収できないように沈めて来いってね。そんな指令が出ていたのさ。死守しなければならない連邦軍と、破壊してもかまわない私たちと。どちらが有利に働くかは一目瞭然だろう?」
 マイラーは滑らかに喋ってゆく。
「あんたが乗っていたエターナ号は、レーダ関係もやられて通信網も使えなかった。だから、知らなかったかもしれないが、エターナ号を挟んで、私と連邦軍とは激しく撃ち合ったのだよ。そうなるように仕向けたのはこの私だけれどね。案の定、挑発に乗った連邦軍は、ビーム砲を私たちに向けて撃ち放った。そして、悲劇が起こったのよ。そのビーム砲はエターナ号のどてっ腹を打ち砕いたわ。粉々にね。」
「連邦政府の発表では、二度目の隕石がエターナ号を破壊したって…。報告書にもそうあがっていた!」
「そんなこと…。後で連邦政府がでっち上げた嘘の報告さ。おまえも信じたのかい?おめでたい奴だね。ま、最も、正体不明船だった我々を攻撃していて、誤ってエターナ号を撃破した、なんて、言えやしないだろうけれどね。ゼナのことは連邦国家の重要機密なんだからね。…奴ら、エターナ号にビーム砲が命中したと知った途端に、尻尾を巻いて逃げ出したさ。うふふ、綺麗だったよ。エターナ号が散ってゆくさまはね。」
 わなわなと晃の肩が震え始めた。
「だったら、あの後、救助をしてくれたのは…。」
「勿論、生き残りが居たら連れ帰るために確かめに行っただけのことさ。その一人に、あの娘とおまえが居たわ。瀕死のあんたは私に願った。悪魔に魂を売ってもいいから、この娘を助けたいとね。後は知ってのとおりだよ。」
 マイラーは口元に笑みを浮かべながら、真実をぺらぺらと喋りだした。

「あの船のあの惨状は、凄まじかった。直視できないくらいの血の海だった。それも未来輝かんばかりの子供たちの血と肉でな。その中であかねは、自ら傷つきながら、呆然と座り込んでいた。」

「そうだったわね。まだ、あどけなさを残していたこの娘は、血の海、肉片の丘の中で、己の精神の糸を、ふっつりとやる寸前だったわね。あのまま放っておけば、間違いなく、発狂しただろうよ。そんな危うさを秘めていた。」
「そして、俺は、おまえがゼナの手の者だと知りながらも助けを乞うたんだ。あかねを助けるために。」
「おまえがハル様の血を飲むことを条件に、私は二人を救命カプセル船へ導いた。この小娘の一時的な記憶を消して…。」
「そうだ。あの時、おまえは俺に言ったんだ。『不慮の事故の時は連邦もゼナも関係がない!』ってな。それで、俺は、ゼナへ寝返ることを快諾したんだ。あれは、まやかしの言葉だったのか?」
「ふふ、この赤い魔女様が、何の見返りも期待しないで、おまえたちを助けたとでも思っていたのかい?私はあの時からこの娘に目をつけていたのさ。光り輝く素肌と満ち溢れる英気を宿したこの娘にね。」
 妖しげにマイラーは微笑んだ。
「まだ、熟成しきらず、男とも交わったことがない、生娘だったこの子に、私の身体は馴染まなかった。いずれ、時が来れば、おまえがこの子とコンタクトを取るだろうと、計算したのさ。その時に奪えばいいと思ったから、泳がせていた。だから、おまえがその子の記憶の操作をしたのを見届けたら、救難艇で脱出させてやったんだ。おまえと共にな。」
 マイラーは勝ち誇ったように、晃を見下ろした。
「しかし、連邦軍の連中だって酷いことをするじゃないか。あの事故は全員が死亡だと情報を流し発表した。乗組員の名前の中から、おまえたちのデーターも全て消し去って。この娘の記憶がないことをいいことに、宇宙感染症にまで感染させて、エージェントから外した。そして、おまえはゼナと通じ、再び教官として連邦の学園都市で働き始めた。そして、あかねと接触するチャンスをじっと待った。イーストエデンに下った彼女のことを探しながら。そうだろ?晃。」
 晃の身体がわなわなと震えた。
「そ、そういうことだったのか。だから、今回、あかねがこの船に乗っていたことを知って、おまえがわざわざゼナから顔を出したってーわけか。あかねを餌食にするために。」
「そうだよ。だから、ハル様ではなくて、私の血を飲ませたのさ。同調し易いようにね。」

「くくく…。ざまあねえな。あの事件の首謀者だったおまえに、ゼナに引き入れられるなんてな。」
 晃は滴り落ちる己の血の上に、がっと足を着いた。

「もう、立っているのもやっとという感じだな。所詮おまえ如き、ハル様が相手にするとでも思ったのか?まあ、おまえのおかげで、次の媒体になる娘を手に入れられた。手塩にかけ育て、記憶操作してまでもかばったこの娘をな。安心しろ。おまえの分まで、この娘の生気を吸い尽くして、このマイラーさまが生き抜いてあげるわ。ほほほほほほ…。ほら、もうすぐ、飲ませた私の血が、この娘の全身を覆う。」
 マイラーの背中にめぐらせた触手があかねの全身をぞわぞわと駆け上がりながら伸びてゆく。まるで、獲物に食らい付いた食虫植物のように、あかねの身体を包み込んでゆく。

「畜生っ!」
 なす術もなく、晃は肩膝を付いたまま、マイラーを見上げた。気を溜めて放つ英気も残されてはいなかった。白み始める目の前の風景を、もはや捉える力すら削げ落ちていた。

「そこで指を咥えて見ているがいい。この娘が私の餌食になるところをね。」
 マイラーの身体が妖しく輝き始めた。脈動と共に、赤く蛍光し始める。やがて、触手に包み込まれたあかねの身体も、一緒に共鳴し始めた。
「素晴らしい…。なんて気持ちが良いほどのパワーを秘めているの。この娘。」
 マイラーはあかねの生気をすい始めると、恍惚の表情を手向けた。
「ふふ、この娘の全ての生気を私の身体に取り込むわ。これで、あと五十年は生きながらえられる。美しい肉体で…。」



「さあ、それはどうかな?」

 急に透き通った青年の声が響き渡った。

「誰だ?」
 マイラーはあかねを抱いたまま、ぎろりと振り返る。
「お、おまえは…。」
 
 すっくとドアの傍に腕を組んでいる一人の青年の姿が、その視界に飛び込んできた。
「生きていたのか?」
 驚き覚めやらぬ顔で、マイラーはじっとその青年の姿を見つめ返した。

「そう簡単にはくたばらねえよ。俺はそん所そこ等の奴らとは違うんでな。ここの外で凄んでいたおめえの部下たちは、皆沈めて来たぜ。歯ごたえのない連中だったぜ。」
 にんまりと青年は笑った。ダークグレイの中に揺れる瞳は真っ直ぐにマイラーを見詰めていた。逞しい腕と揺れるおさげ髪。
 紛れもなく、宇宙空間へと投げ出された青年、早乙女乱馬、その雄姿であった。

「生憎だが、このまま幕を引かせるわけにはいかねーんでな。あかねは返してもらう。この俺にな。」

 そう静かに言い放つと、彼は、マイラーの方へ歩み寄り始めた。



つづく



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